はてなキーワード: マルチとは
例外ってあるじゃろ。tryしてる間にthrowされたのをcatchするアレじゃ。あれは、たしかに有用な仕組みじゃ。何かの関数に失敗したとき、本来の値のかわりに特定の値を返すのもダサいし、参照型の引数で成功したか否かを返すのもダサい場面、というのは確実にある。そもそもプログラマは怠惰で忘れっぽい生き物なので、例外という仕組みがなければ、関数で失敗したことにすら気づかないかもしれない。
だがな。例外は魔物じゃぞ。昔は、gotoというものがあってだな。好きなところに処理を飛ばすことができる。あまりに、いろんなところに飛ばせるので、邪悪だと言い出した奴がおって、今ではあまり使われなくなった。なぜgotoが邪悪と呼ばれたか。gotoというのは、順接、分岐、反復という、プログラムを組む上で最低限必要な制御構造から逸脱した、どっかからどっかに飛んでいく、という行為が容易にでき、それを多用したコードはまともな人間には読めなくなるからであった。そして、例外は、まさにその「どっかからどっかに飛んでいく」を容易にするための仕組みなのじゃ。
例外は、順接、分岐、反復による基本的な制御構造があった上で、あくまで対処を要するアブノーマルな状況に使われるべきものであり、例外というのは、制御機構として使ってはいけない。値を返す目的で例外を使ってはいけない。一体どこから来て、どこへ行くのか分からない、そんな、流れ星のような例外の使い方をしてはいけないのじゃ。例外を使うなと言うつもりはまったくない。じゃが、例外は制御構造を壊しうるものだと認識し、例外を悪用していないか、それによってコードが追えなくなることはないか、と、考えてから、使ってほしいのじゃ。
イベントの悪用も見た。イベントは非常に有用な仕組みだし、GUIなんかだと、もはや必須とも言える。なので、イベントを使うことは有用なことだ。けれど、イベントは、いつどこで発生するか予想が付きづらいものが多く、また、スレッドなどを使って非同期でイベントが処理される場合(今時は、多くがそうだろう)は、マルチスレッドと同じく、リソースの排他制御を行う必要があるかもしれない。複数の処理が同時に動くというのは、恐ろしいことなのじゃ。いつの間にか、変わってないと思ってた変数が途中で変わるやもしれない。「まー、滅多に起こらないし、ええじゃろ」って判断の上、何も対策しない、という手もあるが、ええじゃろで済むのか済まないのか検討するくらいは必要じゃわな。C# なんかだと、言語レベルでイベントが実装されておる。じゃから、イベント必要ないじゃろと言いたくなるような場面で、イベントが使われていたコードを見た。
便利な仕組みがどんどん出てきて、新しいものがどんどん古くなる今のコンピュータ業界。新しいものを追いかけるのもいいが、基本は基本として、しっかり押さえて欲しいのじゃ。今更、アセンブラでゲームを作れるようになる必要なぞ、微塵もないが、自分のコードがどのように動くのか、興味をもってほしいのじゃ。わしのような新しいものに不勉強な老害は、最近の若いものが基本的なことを不勉強だからこそ、居場所があるのじゃ。じゃが、わしももう長くない。若いもんは、新しい仕組みの表面だけでなく深い部分に触れて、学んで、わしら老害を追い出せるくらいになってほしい。わしからは以上じゃ。
量子論的観点から宇宙はこの宇宙だけじゃなくて複数の数えきれないだけの数の宇宙が最低限存在するという考えが主流になってる
マルチバースが本当だとしたら宇宙はさらに高次元の空間の球の上にぷかぷかと浮かぶパン切れの1つなのだそうだと
ビッグバンもこの宇宙からしたら1大イベントだがマルチバース的な観点からすると単にその球体の上で新しい宇宙が1つ産まれたに過ぎない
超紐理論の1次元に向かう考え方はこの世界を構成するのが1次元からの干渉だとするとしてその1次元が干渉する次元が3次元までという区切りがあるとは言えない
4次元・5次元・6次元んを形作ることもあるしさらにもっと上の次元を作り出しているが我々が感知していないのかもしれない
それはミジンコが海の存在を知ることができてもその外の大地や宇宙を理解できないように3次元存在にとっても理解を許されない高次元が存在し
担当医師や産業医、上長や人事などと再三の話し合いの上での休職だった。
ITベンチャー(広告関連)で、事務とも営業とも言える独特の職種で、新規チームの所属。新卒で、入社1年目。
23時がデフォルト。遅い日は深夜2時、土日も隔週くらいで出社していた(自主的にであり、強制されていたわけではない)。
7月から、私が主体的に進めていた割りと大き目のプロジェクト(というか業務改善)があった。本部長、部長にも承認され、私も入社してから初の大きな仕事ということでかなり張り切っており、上記のような勤怠の状態になっていた。しかし現場のリーダー(以下A)がきちんとそのプロジェクト内容を理解していなかったこと、リーダーでありながらプレイヤータイプでマネジメント力が低い人であったことから、思ったようにプロジェクトが進行しなかった。そんな中でAに「君は新卒なのだから単純なルーチンワークだけをやってくれればいい」「そんなプロジェクトはやっても意味がない」といったことを言われ、私はかなりショックを受けた。Aよりも格上の本部長・部長が承認してるのだから気にしなければいいと思われるかもしれないが、あくまで現場を取り仕切るのはAなので、彼が動いてくれないと進まないことも多かった。部長に相談もしたが、この部長自身もマルチタスカーで異常な業務量を抱えており、全てに対処できるような余裕はない人だったのと、社歴はAのほうが何倍も長く、年齢的にも一回りくらい上だった為、指示が出しにくいという背景があるように見えた。※その後Aには「申し訳なかった、傷つけるつもりはなかった」というような謝罪をされた
9月中旬頃から上記のようにプロジェクトがうまく進まなくなり始めると、それまでは感じなかった倦怠感が襲いかかってくるようになり、会社で仮眠をとったり午前休や早退をする日が増えてきた。土日は20時間ほど睡眠をとってもまだ眠く、一歩も外に出なかった。また抑うつの症状も出始めて、「Aさんの言うように私のやろうとしていることは無駄なのだ」「誰も努力を認めてくれない」「私が主体となっているから進まないのだ、人望がないのだ」などと考えるようになった。そしてある日、デスクで今自分が何をやっているのか、何をやろうとしていたのか、何をするべきなのかがわからなくなり、PCの操作ができなくなった。いよいよ自分の体がおかしいということに気付き、心療内科を受診した。
適応障害と診断され、約1ヶ月の療養が必要と言われた。7月からプロジェクトを任され、9月中旬までの約2.5ヶ月、体を酷使(深夜残業などで睡眠時間を削っていたこと)していたことのリカバリーのためには最低でもその期間が必要だとのことだった。その診断書を会社に提出し、会社の産業医、本部長、人事など何度か面談をし、休職の手続きをした。
休職期間は、とにかく寝た。寝たいだけ寝たほうがいいと医師に言われた。するとそのうち、寝ることに飽きる日がやってきて、何か行動したくなる日がくるので、そうなったらば回復した証だとのことだった。10月末にはその状態になり、11月1週目からの復職の希望を出した。それにあたり、かかっていた病院の医師の復職許可の診断書を会社に提出したが、産業医の許可も必要と言われたので面談をしたのだが、その内容が思いもよらないものであり、標題のように会社に対する不信感に繋がった。
休職前から何度か産業医と面談をしており、体調を崩すまでの経緯も説明していたし、具体的な症状も伝えていたにも関わらず、以下のようなことを言われた。
産業医も、うちの会社だけでなく何社も担当をしているので、一人一人のことなんて覚えていないのかもしれない。しかし、あまりにもこれまでの態度と違っていて、とても攻撃的だった。休職前の面談では「それは辛かったですね」「思い切って休職して、ゆっくり休んだほうが良いですよ」というように同情的だったのが、突然態度を翻し、「その程度のことで休むなんて社会不適合」「おまえにはこの会社は合っていないから、このまま辞めろ」と言われているようにしか思えず、この態度の豹変には「何か」があったのではないかと思う。面談の前には会社の人間が産業医と打ち合わせをしているはずだし、その「何か」は、会社からの指示ではないだろうかという邪推をどうしても拭うことができない。
また、復職に際し事実上の降格をさせられたことも1つ原因として挙げられる。業務内容はかなり限定され、単純作業のみになった。
そして1ヶ月間の「復職プログラム」というものを組まれており、1日の行動管理(平日だけでなく、土日に何時に起床しどこに出掛けて誰に会ったかも記載しなければならない)をされるのと、2日以上の休み、及び3回以上の遅刻(1分でも駄目)をした場合は強制再休職という条件つきでの復職となった。
10月の給料は支払われないため、10月1日〜31日分の傷病手当金を11月4日に会社に提出しており、「中旬には支給されるだろう」と言われたものの今日時点でまだ支給されないので、IT健保に直接電話したら「まだ申請がされていない」とのことで、どこで止まっているのかも謎。間もなく約2ヶ月無収入状態となり貯金も底をつくし、事情があって家族は頼れない。家賃等の支払いも各社に連絡して延期してもらっている状態だ。それに、11月20日まで休職していたのに11月分については傷病手当金の申請はできない(11月頭から健康上は復職できる状態にあったから)とのことで、11月に関しては傷病手当金ももらえない。
「この世界の片隅に」について。まだ見てねえけど、いい映画なんだろうなーというのは何となく感じる。
ただ、それをめぐってこういう言論が飛び交うのにはつくづくウンザリするなあ…。
http://togetter.com/li/1048335
ここにはどうも「反戦」という概念が戦時中には「なかった」とか思い込んでる人が一定数いるようで、それこそ鳥肌立つ。それじゃ憲兵さんや特高は何を取り締まってたんだよ。大正から昭和初期に言論を取り締まられてた人たちが何を唱えていたか、当時の雑誌を少しでも見てみればわかることなんだが。図書館に行けば復刻でもなんでも見られる時代だよ。見て確かめたのかよ?
何より、大昔に死んだうちのひいじーちゃんは、右翼の大物ともつきあいのあったそれなりの医者だったそうだが、戦時中酔っぱらって「こんな阿呆な戦争を誰が始めたんじゃ!負けるに決まっとろうが」とか叫んで警察のお世話になったことが何度かあったそうだ。ばーちゃんは子供のころひいばーちゃんから「お父さんはちょっとお仕事で遠くに行っていてねえ」とか言われて、「お医者さんも遠くに仕事に行くんだ」と素直に信じていたらしいが、戦後になって「実は」と笑い話に聞かされたんだと話してくれた。そういう話は別に普通にあるんだよ。それこそ「普通」に。ばーちゃんは、日本は神国だから戦争に負けるわけなんてないって信じてた普通の軍国少女だったらしいけど、そんなばーちゃんの日常も、そしてひいじーちゃんの「警察のお世話」も、同じように戦時下の「普通」の一コマだったわけで、なんでそれが無かったことになるのさ。
だからさあ。なんつーか「反戦イデオロギーうぜえ。コノセカ万歳」って唱えるのはいいけどさ(個人的には名作(かもしれない)映画をそんな目線で賞めたくないけどそれは人の勝手だからまあいいけどさ)、悪いけどそれが「イデオロギーうぜえ。アート万歳」って意味で言ってるつもりなら、その「反イデオロギー」主張だって十分に偏ったイデオロギーであり、すでにあなたの頭の中で歴史のねつ造が始まってるってことは知っておいて欲しいね。少なくとも、うちのひいじーちゃんのような人の存在をなかったように得意げに話されると、ちょっとムカッとくるわ。
だいたい、宗教とかマルチにしても、ふだん「宗教/マルチなんて」って言ってる連中をはめるのが一番チョロいのなんて常識だよ。右翼でも中道でもいいけど、自分のもってるその感覚が、左翼と同じく一つの「イデオロギー」であることを十分自覚した上で、左翼を批判するなら批判してほしいやね。それができない人は、ほんと、その手の人間の手にかかればチョロく騙されるんだから。自分はイデオロギーから自由だ、とか思ってる時点ですでにあんたはイデオロギーに染まってるんだから。
あ、言っとくけどオレは左翼だからね。でも、あんたたちは(特に中道を自認する皆さんは)、イデオロギーに関わらず、その意見が正しいか正しくないかを見極めることができるんだよな? オレが左翼であるか否かに関わらず、オレの意見自体が正しいかどうかを冷静に判断してくれるだろう? それが事実であることを心から期待しているよ。
父は邪智暴虐の王で、
母は殴られても骨を折られても遠方に置き去りにされても離れない、忠実な奴隷だった。
暴言、暴力、プライバシーの侵害、性的虐待、マルチ、宗教などなど一通りの悲劇は体験させられてきた。
徹底的に人としての尊厳を削られながらも生活力がないために必死に父に媚を売り、
私の性すら明け渡す母が、私の将来の姿であると絶望しながら死体のように生きてきた。
父に触られたくないと母に言ったら、あんたさえ我慢してれば平和なの、だそうだ。
基本的人権すら守ってはもらえない、人ではないものが私だった。
教師に話しても誰も信じてもらえなかった。
おかしいと思ったのは、私の好きな本を続柄父に破られた時だった。
唯一の救いだった作品たちを守るために家を出ると誓った。
自分のあまりの無価値さに耐えながら、奨学金で高校を卒業した。
家を出ると聞いた続柄父は顔を真っ赤にして私の見えないところだけをボコボコにした。
「みんながお前を嫌っているしすきあらば騙そうとしてくるぞ!二度と帰ってこれると思うな!」
簡単に生命線と帰る場所を奪われ、強烈な恐怖に吐くかと思ったが、
同時に二度と帰ってこなくて良い言質がとれたと高揚していた。
今は殴られることも、怒鳴られることもなく、死体のように生きている。
あの頃どうやって生き延びればもう少しマシな人生を送れたのか、今でもわからない。
幸い私の酷い過去を否定せず、私なぞを慈しんでくれる大切な友人はできたが、
少しずつ我慢してきたこと、諦めてきたことに気づいて自分を癒していくにつれ、
友人たちには絶対に言えないが、もうここで生きることを放棄してしまったほうが
ブラック企業を転々とし、ようやくそれなりに良い職場に転職したら、
皆それなりにキラキラしていて、優しくて、余裕があって、他人を排除したりしない人が多い。
私はというと、祖父にもらった金を返し(断られたが)、
体を壊した時の安楽死のための費用が貯まったら、あとはどうでもいいなと思ってしまった。
前に進むためのガソリンが、あの地獄を抜け出すために全て使い切られたようだ。
友人たちの言葉は砂糖のように甘く、明日も体を引きずってゆく気力を与えてくれる。
それでも、それだけのために生きるのはとても難しい。
癒されずに悲劇に浸っているほうがずっと楽だったかもと思ってしまう。
友人に申し訳なくてTwitterにもこんなことは書けなくなってしまった。
頑張っていれば、いつか幸せだとずっと思っていられる一日はくるのかなあ。
来る気がしないなあ。
・根拠1: PC、PS4、Xbox oneとのマルチにはほとんど期待できない
スイッチにはarm系プロセッサが搭載される。これはPC、PS4, xbox oneで使われてるx86系とは大きく異なり、
一応unityが対応するらしいが、そもそもスイッチの性能はPS3世代なので、クオリティを下げてまで移植作業をするだろうか?
同じarm系統なので、スマホゲーの移植は比較的簡単そうである。
しかし、多くのスマホゲーで使われている課金体系を、任天堂のプラットフォームでも展開できるかは疑問である。
そもそもスマホゲーに課金する層と、任天堂ハードを利用する層にどの程度オーバーラップがあるのか?
また、スマホゲーはタッチパネルに最適化されているが、スイッチに移植するにはパッド操作に対応させる必要がある。
・結論
KinKi Kidsデビュー時の盛り上がりをリアルタイムに目撃しているにも関わらず、当時は彼らの音楽をあんまり気に留めていなかった。さすが山下達郎だなー、歌もまあまあうまいし売れるのわかるなーみたいな。
それがなんだかんだで今年事務所が話題になったときに、なんとなーく昔の曲を聴いてみたら、なんかちょっとツボに入ってしまった。
これだけなら単に、おー20年近く、「アイドル」のクオリティを超えて音楽活動もがんばっているね、いいね、で終わる。
が。
堂本剛のミラノコレクションの音楽監修が話題になっているのを知って、「え、そんなマルチな音作りしてんの?」と気になり、うっかりソロ活動を検索。
数年前に立ち上げたshamanipponのコンセプトがやばいと話題になってたときは、「あーなんかスピリチュアル的なものにかぶれてしまったパターンかー」としか思っていなかったのだが、もったいないことをした。ざっと数曲聴いた限りでも、近年のインスト曲とか、とてもいいじゃないですか。
名義をいろいろ変えてた頃はよく知らないけど、今うまく技術とセンスがマッチして、成熟してきたんだなあと感じる。
戦略的に「売る」ことは志向していないように見えるので(複数形態での発売はレコード会社の都合もあるだろう)けっこう当たり外れはある気がするけど、今はFUNKを全面に出しつつも、それまでの自分の音楽経験を生かした音作りに真摯に取り組んでいる感じ、これからも応援したいと思いました。すごい。
あと、優れた声を持つ非整数次倍音と整数次倍音のデュオとして、個人的にはチャゲアス不在の今いっそうがんばってほしい気持ちもありますので、へんなこととかに巻き込まれず、ご自分のペースや気持ちを大事にしつつも、ソロの作曲家・歌手としてのみならず、デュオとしてもいっそう活躍してくれたら嬉しいなと願っているところです。
人は、信じやすい生き物だ。
ここでいうすごいヤツっていうのは、なんでも出来るマルチな才能を持った人間という定義ね。
人は皆、すごいヤツになるためには何年も努力を積み重ね、自分を磨いた人だと思いがちだよね。
でも、なんの分野にしてもすごいヤツになるためには何年も頑張る必要はない。
人は、未知の領域に対して過剰に評価する癖がある。そこを利用する。
俺はすげーヤツだと思う。英語を喋れるヤツなんて、世の中そうそういない。
世間一般だとこいつもすげーヤツだと思われるだろう。だって、英語喋れるんだぜ?中々いないよなこんなヤツ。
ここで気づいて欲しい。ネイティヴレベルでも、日常会話レベルでも、英語に自信がない人にとっては
日常会話程度なんか英語なら一カ月程度すきま時間に勉強すれば身につく。
これだけは声を大にして言いたいんだけど、
これは語学に限らず、なんにでも言える。
例えば料理、簡単な料理本1冊こなせる人間が世の中どれだけいるだろうか?
この料理本に載ってる料理なら一通りできるよ~って言われたら、料理ができるヤツだと評価するよね。
数十ページ程度の料理本を一通り作るなんて正味一カ月もいらない。
だが、たったその程度の努力で、人は料理ができるヤツとして評価してくる。
たった八割のスキルを手に入れるだけで、そのスキルを完全に手に入れた人間だと錯覚させることができる。
色々書いたけど結局最後に言いたいことは、
ハイスペックなWindowsのPCが必要になったので、ドスパラで見繕って1台注文した。
数日後、PCが届いたので開封して電源を入れると...なんとWindowsが起動しない。
BIOSの画面で止まったまま。
社内のエンジニアと一緒にあれこれいじってみたが、
どうやらWindowsがインストールされていないのでは?という結論に至った。
OEMでプリインストールされる方式なので、ディスクやプロダクトキーも付いておらず、お手上げなのでサポートに電話してみる。
自動応答で「混み合っています...」を繰り返すばかりで、数分待ってもつながらず。
諦めて時間をおいてかけなおすこと数回、やっと繋がった。
症状を伝えると、受け付けた人は技術的なことがわからないのか、分かるものから折り返すとのこと。
さらに折り返してくるのを待つはめに。ここまで半日くらいかかっている。
数分で電話がかかってきて、BIOSの画面見つつ設定の初期化などを試みる。がやはりダメ。
そして次に言ってきた対処法が衝撃。
ディスプレイ、マウス、キーボードと、本体につながっている電源を抜き差ししてくださいと。
さらに電源はマルチタップ経由ではなく、直接さすように言われた。
電話やネットが同時に止まってしまうので、厳しい旨伝えると、できるだけ外して電源だけの状態に近づけてくださいと。
これに一体何の意味があるのか。
すると次はさらに内部の電気を放電させるために、電源外して一晩おいてください、それでもダメなら修理になるので、また連絡してくださいと。
しびれを切らしてこちらから「Boot Optionに何も表示されていないし、そういう問題ではないのでは?」と指摘すると、
担当者は若干イラっとした口調で今度は内部のケーブルの抜き差しをしてみてくださいと言われてしまい、開いた口が塞がらなかった。
そしていずれにせよ配送での修理しか受け付けていないようで、送り返す以外に解決方法がないようだ。
翌朝もう一度電話をかけようとして問題のPCを起動した時に、とあることに気づいた。
このPCはHDDとSSDが内蔵されているはずが、HDDしかBIOS画面上に表示されていなかった。
もしや、と思ってフタを開けるとビンゴ、SSDも入っていた。ケーブルの配線を変えてみたらWindowsの画面が表示された。
そもそも一度電源を押して起動確認をすればものの数秒で検知できる問題なのに、それすらなされていないことも衝撃だった。
そのくせ本体には堂々とWindowsのラベルが貼られている...
世の中のPCトラブルはそれで解決されるケースが多くてそういう対応になっているのかもしれないが、
問題解決のサポートをしてくれる窓口としては著しく技術レベルに不安があるので、もうドスパラで買うことはないと思う。
自戒とするために。
「理解と対話」って書くのは簡単だし、普通に読み流されるようなテキストではあるけれど、それを実践することがいかに難しいか痛感している。
ネトウヨとはてサだけじゃなく、ネット全般、引いては現実社会においてまで、相手の主張を聞く、理解するというプロセスがないがしろにされすぎていないか。
ディベートの作法としては正しいんだろう。己の主張を通し相手を叩き潰すために、相手の言動を無視する、レッテル貼りして流す、揚げ足を取る。
でも現実の対話をすべてディベートにして、相手を論破する方法のみ追及しても意味がないんじゃないか。つまり建設的じゃない。
それで自分はどうだろうって思った。自分が会話において、はてこ化している場面はないだろうか。(もちろんマルチや新興宗教の勧誘みたいなケースを除いて。)
無かったとは言い切れない。むしろあったと思ったほうがいい。ふさわしくない場面ではてこ化してしまう可能性は常にある。
引き継ぎやってる後輩のディスプレイをマルチディスプレイにしたい、って申請したら「お前は1つで出来てんだろ?」っておかしくね?
そりゃ俺は慣れてるから出来るよ
でも後輩は俺が2、3時間で終わる作業を10時間かかってんだぞ
「お前がマルチディスプレイやったら劇的に効率変わんの?」って質問もおかしいだろ
俺が今さら画面2つにしたところで伸び白はねえけど後輩は10時間が6時間に短縮するくらいには伸び白あんだろうが
「後輩が慣れてから考える」って俺がいなくなったら業務が消化しきれないレベルでヤバい今こそ一番必要なんであって慣れた頃には後輩が自力でどうにかしとるわ
俺がいなくなんのあと3日だぞ、3日
打てる手は打っといたほうがいいと思って言ってんのにさ
ミユキです。
圧倒的な実績を上げている人を見て
「こういう風になりたいな・・・」
「少しでも近くで学びたいな・・・」
と思ったことはありませんか?
もしそうだとしたら、
今回の案内はあなたのために
作られたオファーと言っても過言ではありません。
→ http://directlink.jp/tracking/af/1444817/wbu0VmWJ-jFhjJH9U-CajYWCT7-TX6GP7i2-yyL1T0A2/
メールマガジンは創刊からほんの2年で発行部数15万部を上回る
Instagramでは本格的に更新を始めておよそ3ヶ月でフォロワーが1万9千名に
公式ブログ「我輩は我輩である」は運用開始からわずか1ヶ月で月間10万PV突破
デザイン事業やメディアプロデュース事業、IT関連事業等のグループ4社を束ねる経営者
与沢翼氏の創業会社の副社長、グループ企業の社長を務めあげ、週刊誌にも特集掲載される等、その敏腕さを伺わせる。
2016年9月、タイのプーケット移住を機に自身の創業会社の社長を辞任し、ミュージシャンとしての再起に向けて再始動
現在はレコードレーベルオーナーとして音楽活動に心血を注ぐ新進気鋭の自由人
Amanaグループ関連グラフィックアートコンテストではグランプリを受賞したり、
アニメーターとタッグを組んだ作品では第13回新国際ニコニコ映画祭大賞とユーザー賞を受賞、
更に第15回文化庁主催メディア芸術祭で優秀賞を受賞したりと、
これほど多くの実績を上げてきたレジェンドの
思考回路を知りたいと思いませんか?
→ http://directlink.jp/tracking/af/1444817/wbu0VmWJ-jFhjJH9U-CajYWCT7-TX6GP7i2-yyL1T0A2/
「野心の会」をつくりました。
上述した実績を見てもらったら分かる通り
本物の力をつけてのし上がってきた人物です。
→ http://directlink.jp/tracking/af/1444817/wbu0VmWJ-jFhjJH9U-CajYWCT7-TX6GP7i2-yyL1T0A2/
もう50年も60年も経つじゃないか
なぜ未だにCPUの内部構造について知っているのが当たり前という風潮なんだ
なぜ未だにC++が書けるプログラマが本物のプログラマ呼ばわりされているんだ
なぜ未だにCiscoの設定書くだけの資格がもてはやされるんだ
なぜ未だにプログラムを書いているのではなくAPIを叩いているだけだという罵倒が成り立つんだ
なぜ未だにマルチスレッドプログラミングなんて手で書いているんだ
なぜ未だにライブラリが増え続けるんだ
なぜ未だにコンピューターサイエンスなんて学問が必要とされるんdな
もうプログラムを書きたくない
方法論を考えたくない
そんなのを作りたいものを作るだけの人間が考えるのは間違ってる
簡単に良いものが誰にでも出来ることが理想に決まっているだろう
人間なんて働かないほうが良いに決まっている
なぜこんなにも不完全なんだ
なんでまだこんなにも人間の手を煩わせるんだ
早く産業革命が来てくれ
人間に何も考えさせないでくれ
もう休ませてくれ
助けてくれ