はてなキーワード: 音感とは
前回 https://anond.hatelabo.jp/20211124015201#tb
絵心がなければ、絵の道は行き詰まる。
文才も想像力もなければ、筆の道は行き詰まる。
反射神経も動体視力もなければ、ゲームを遊ぶことさえ行き詰まる。
プログラミングは、書けば動く。
コピペして、繋いで、くり抜いて、入れ込んで、数字を弄り、エラーコードに従えば、そのうち形になる。
広がりだしたインターネットの海が見せる可能性、巷に溢れる比較的できの良い教材たち、才能のない者たちでさえ「なれるよ」と道を示される。
善意でその道は敷き詰められていた。
市販ゲームを分析してそれっぽいコピーを作って楽しむゲーム製作をするオタク。
この両者である。
とはいえ最近のゲームと漫画の話ができればなんとなく流れには乗れた。
むしろ、流行りのドラマだったり音楽だったりに対して今で言う『リア充』のような匂いを感じてアレルギーを感じているだけの偏食者の集いだったのだろう。
私はその中で、少しずつプログラムを学んでいった。
何かを作りたいと思って手持ちのコードを組み合わせようとしだすと途端にその闇の深さが見えた。
それでも、漠然と「これが将来の自分の仕事になる」と思っていた私は必死にゲームを作ろうともがき続けた。
エスカレーターで上がった高校に上がってそっちではプログラム部という名前になっていたゲーム研究会に入った。
4年目、流石に間に合った。
間に合ったが、先輩の作ったゲームのコードを弄って、他のゲームから持ってきた要素を組み込んだだけのバッタもんだった。
なぜ4年もかけてこんなことになったのか?
答えは明白だ。
途中からゲームを作ろうという気持ちが折れて、ゲームをやるだけの人になっていたからだ。
それは正しかった。
当たり判定のプログラミングを自分で書いてからは当たり判定が見えるようになっていた。
これやると多分バグるなと思って試してみて実際にバグったのを見て「手抜きだな」と呆れたりもした。
そういったことが出来たからと行って、それが自分のゲームづくりには活かせなかった。
努力の才能と、努力以外の才能、その両方が恐らく足りなかったのだろう。
「俺にゲーム作りは無理だ……」
たとえばギターのギュインギュインってのを「アーミング(Armstrong)」って呼ぶらしいことを最近知った。
どうもギターには棒みたいなのがついててそこを腕で思い切りグリグリすると音がフニョ~~~ンってするらしい。
俺は小中高で12年音楽を習ったし小学校時代はピアノを習っていた(右手の小指と薬指はバラバラに動くけど左手の薬指と小指は半分ぐらい繋がっている)が、全くそんなの知らなかったぞ。
1 クラシック(電子楽器とかチャラチャラしたボーカルがない)
2 ポップ(ロックだろうがメタルだろうが昭和歌謡も含めて全部コレだ)
ビートルズはロックらしいが、ビートルズっぽい歌い方をしてる日本のアニメソングがJ-PoPでいいのかロキノンなのか分からんしぶっちゃけロキノンはなにがノンなのかも分からん。
まあそれでも全く困らないと思っていた。
たとえば俺が好きな曲に「 allegro cantabile /SUEMITSU & THE SUEMITH/のだめカンタービレ OP」と「グルッポ/茶太/Like a Butler OP」があって、この2つは音楽の感じか俺の中では似てるんだが、そもそも音楽ジャンル的に似てるのか、コードが近いのか、技法が近いのか、ぶっちゃけパクリに近いのか、そういったことさえ何も分からん。
ピアノ習ってたんだろ?って言われそうだけど俺の先生はとにかくコンクールに向けて丸暗記しろ以外のことはほとんど教えてくれなかったし、俺も親の趣味に付き合っていただけで微塵も興味ないし「いや~~俺もスターウォーズとかやりってっすわ~~」といった提案さえしなかったのでマジで「鍵盤叩くと音出る!頑張って覚える!」で全部終わってたからマジで何も分からんのだ。
音感は生まれつき皆無だったし、ピアノ教室に通っている最中も「鍵盤叩けば音出るんだから俺が知ってる必要あるか?」状態だったのでこのコードはこの音階でって言われてもマジで分からん。
なまじピアノやったせいで俺の中にある音楽の感覚が「右手でピロピロしつつたまに左手でペチッペチッと別の音を出す」の世界で終わっているし、それも和音が「よくわかんねーけど必殺技」レベルの感覚で人生に強烈に残ってしまったから、和音の一部を曲の屋台骨として使っていくなんて感覚がねーんだ。
生兵法はジッサイアヤウイと古事記にも書いてあるように、俺の音楽感覚は結果として楽器に半端に触れないで暮らしてきた人間と比べて最悪な形で歪んでいるからマジで音楽が分からねえんだ。
どんな楽器にどんな音の出し方があるのか、それがどういう効果として使われているのか、クラシックの名曲でどの楽器がメインなのかも分からん。
G線上のアリアでさえそもそもああいった音が出てるのが弦楽器だと認識できずにピアノの曲だと思っていたぐらいだ。
だって弦楽器ってギターみたいにギュイーンギュイーンだと思うじゃん?
それでどうやって普段音楽聞いてんだよって言われても俺にとってはそれが当たり前なんだ。
たとえば小学生がゲームやってて「あー当たり判定の設定が見かけよりデカイけど雑に四角形で取ってんのかな・・・それならこの辺が端か~~よっしゃよっしゃ有ってるっぽい」とか「ライティングの仕方がうめーな。マシンパワー節約しつつ程よく室内感出してんわ~」とか「あのNPCの視界判定がフラグになってるからそこ迂回したら良かったわけね~~~」みたいな感じの独り言いいながらゲームしねーけど普通に遊べてんだろ?
バンドの編成とか、どんなコードとか、どこから影響受けてきてるかとか考えてなくても曲って聞けるんだよ。
昭和のおばちゃんはTVの仕組み分かってねえしハンダなんて素材も知らなくても叩くと接触不良が治る可能性があることを直感と経験で知ってるのと一緒だよ。
でもそれだとどこかで限界が来るんだよ。
もしもハンダを知ってたら中の基盤ちょっと抜いてちょっとずつグリグリして抜けてる場所見つけて付け直したら終わったような修理でも諦めて捨てるしかねーのと一緒だよ。
でもおかしくねえか?
12年あって、俺はなんでそういうの知らねえんだ?
モーツァルトの名曲は「アイネクライネナハトムジーク」でライバルとの確執が演劇や映画になってなんかめっちゃ有名になったということは知っているけど、それがどういう曲なのか思い出せねえし音楽的にどういう意味があったのかは分からないままで「モーツァルトは、天才です。ウィーンはオーストリアです。オーストラリアじゃないです」だけを機械のように答えられるようになっただけで!終わってんだよ!それが音楽を聞く人間として何の意味があるんだよ!
5chに連投コピペで貼られてたんだけど、ググっても元の文章が出てこない。
・すぎやまこういち(1931年東京都生。作曲家。日本バックギャモン協会会長)
・植松伸夫(1959年高知県生。神奈川大学外国語学部英語科を卒業後、TVCM等フリーで活躍し、1986年スクウェア入社)
(要約)
すきやま:
だんだんドラクエ関連のスケジュールだけで1年終わっちゃうみたいな有様になってきちゃって、
あんまり他のことができなくなってきてるんだよね。困ったもんだよ。
ドラクエやると、やれCDブックだアニメだときて、レコードもブラスバージョンやエレクトーンバージョンやピアノバージョンが出て、
そうなると色んな出版社がピアノ譜やエレクトーン譜を出す。そんなことやってるから1年潰れちゃうもんね。
植松:
すきやま:
どうしても大変だと思いながら、「このゲームが好きだなあ」ってことになるとついね。
植松:
まさか本当にやって頂けるとはね。言ってみるもんだなとつくづく思いましたよ(笑)
すきやま:
でも楽しかったね、あれは。FFVも大変だったね。やっと僕も上がったんですけどね。
植松君は働き者だなとつくづく思いましたよ。何曲あるの、あれ?
植松:
60近くはあるかもしれないですね。
すぎやま:
60曲あのゲームの中にあるということは、実際作った曲はその裏にもっとあるでしょう。何曲ぐらい?
植松:
1コーラス作ったという感じで言ったら100曲ぐらいいってるかもしれないですね。
すぎやま:
働き者だなあ(笑)
植松:
曲数が多いというのも一既にいいとは言えないとも思ってるんですよね。
すぎやま:
植松:
そんなでもないんですけどね、それでも10曲ぐらいは少ないかな?
すぎやま:
そうでしょ。やってる時はこの曲面白いなと思うんだけど、終わったあと覚えてる数が少ない感じがしたね。
その原因は何だろうと思ったんだけど、多すぎるというのがあるのかもしれないな。
でもやっぱりどんどん意欲が湧いて、ここはこういう曲にしちゃおう、ここはこうしようっていうのが出てきちゃうものだよね。
植松:
作ってる方としてはまだ足りないんじゃないかという気もするんですよね。完成したあとに自分でやってみますよね。
そうすると、こことここの音楽変わってないやっていうところがいくつかあるんですよ。
だから作った本人は全部曲覚えてるから別に問題ないんですけど、
自分以外の一般の人にとっては多いかなとは思ってるんですけどね。
30曲に抑えようとしたんですよ。IVのときもちょっと多いと思ったんです。
今回は絞り込んでやろうと思ってたんですけど、欲が出てしまいますね。
すぎやま:
僕も曲を絞り込むときは断腸の思いでね。切る作業が大変ですよ。
前にも言ったと思うんだけど、むこうのミュージカルなんかを見ると本当に曲数少ないんだよね。
でも植松さんのやり方でいいなと思うのは、1つの曲をシーンに応じてアレンジを変えて出すケースが多いでしょう。
植松:
すきやま:
働き者なんだよ。FFVの曲は植松さんの趣味趣向がはっきり出てるから、
それがある意味でいい個性になってていいなというのがありますね。
スコットランド民謡をはじめとして、民族音楽への傾斜というのがあるでしょ。
植松:
今回そのアイルランドのリールっぽい曲を入れたのって初めてなんですけど、あれを入れますと
ユーザーの意見なんかのハガキに「アイルランド行ってきて帰ってきたらもうこれだ」というのがあるんですよ(笑)
別にアイルランドから帰ってきて、その影響受けてやってるわけじゃないんですけど。
以前から凄く民族音楽に興味がありまして、入れたかったんですけどファミコンのときとかって難しいじゃないですか。
すぎやま:
ちょっとやりにくいよね。
植松:
いつかやってやろうと思ってたんですけど、あんまり興味本位で民族音楽好きだから
入れるというのも安っぽく見えてイヤかなと思ったんですけどね。
先日、すぎやま先生がうちの職場にいらした時にお話ししたんですけど、今トルコ音楽を習いに行ってまして、
すぎやま:
植松:
日本人だったら日本の音楽ルーツとして民謡とかがあるはずだと思ってるんですよ。
日本に昔からある音楽が自分の血の中にあるはずだって自分では思ってるんですけど、
一度「雅楽(古来の宮廷音楽の総称)」の“ひちりき”(雅楽用の竹製の管楽器)を習いに行ったことがあるんです。
そうすると自分の中に流れている血というよりも、逆にそれがすごく新しい、
ブライアン・イーノのシンセサイザーの音楽に近い印象があったんですよね。
すぎやま:
笙(雅楽用の管楽器)のハーモニーなんかは音の響きが非常にシンセサイザー的な新しさがあるよね。
植松:
そうなんですよ。だからこれはものすごく面白いけど、自分にとっての血ではない気がしたんですよ。
雅楽は朝鮮からのものですけどね、そういうルーツみたいなものを考えていったら、
逆にヨーロッパの民族音楽がすごく自分にピンとくるものがあったんです。
自分にとってピンとくるものを追っかけていく方が面白いんじゃないだろうかと思って、
最近は自分が日本人だから日本古来の音楽をどうのこうのという考えはなくなってきてるんですよね。
すぎやま:
僕ら日本人で日本の文化の中で暮らしていると、いつかは三味線音楽や琴の音楽が耳に触れてるわけ。
和風喫茶やレストラン、エアラインなんかでもいつの間にか聞こえてくる。
アメリカで生まれ住んでるとそれは耳に触れないで大人になっちゃうでしょう。
僕らは耳に触れてるから、知らない間にそういう音感は身についてると思うの。
町の音楽「ミーファー」ってメロディがいくときに、もう1つの声部が「ミーミー」とそのまま引っ張って、
ミとファが平気でガチャーンと使ってるのがあるでしょう(トゥールの村などの音楽)。
植松:
バッテンなんですよね。
すぎやま:
植松さんはあれにある種の美しさを感じるからやってるわけでしょう。
で、僕も日本人だから聞いて「あ、ここいいな」と思ったんですよ。
「ソーミーファー」というのと「ソーミーミー」というところでミとファがぶつかっているのは、
西洋音楽のエフメジャーセブンの中のミとファのぶつかりの意味とは全然違う意味のミとファでしょ。
それは江戸時代の三味線や琴の音楽でしょっちゅうやってることなんだよな。
「ラファミミファミミファファミ」といってるときに、1は「ミミミ」といってミとファがぶつかってるという、
そういうテンションに美しさを感じるという江戸時代の音楽家らの伝統みたいな感覚の流れがあるんだよね。
あの部分を聞いて植松伸夫もやっぱり日本人だと思ったんですよ。
で、僕もアレをイヤだと思わずに、あぁこれいいなと感じて、僕も日本人だなと再確認したんです。
植松:
ミとファの半音でメロディと伴奏が平気でぶつかることがしばしばあるんですよね。
自分でもああぶつかってるな、クラシックの音楽のテストなら絶対にバツだなと思っても、
その響き欲しいしと思ってそのまま残すこともあるんですよ。
すぎやま:
それが間違いか間違いじゃないかというのは、感覚的にそのぶつかりが許せるかどうかなのよ。
いいと思うかどうかなのね。だから西洋音楽なんかも近代音楽以降はガンガンぷつかるでしょう。
それが前後の関係や音楽全体の姿からいって、感覚的にこれが美しいと思えるものはマルなのね。
ミとファのぶつかりあいが美しいと思える感受性があってやったものであれば間違いじゃないんだよ。
ただそれが自分一人でいいと思ってるだけで、世の中全員が気持ち悪いと思ったら
植松:
難しいですよね。音楽を学問にした人というのは、かなり強引だと思ってるんですよ。
どうやって音楽の点つけるんだろうって未だに僕思ってるんですよね。
小中学校を通して音楽というものを学校の教育に取り入れて100点取った人は偉い、
大人になって楽器を手にしなくなっちゃう人が多いんじゃないでしょうかね。
すぎやま:
音楽教育というのがどうあるべきかというものは、これはもっと考えなくてはいけない問題で、
植松:
すぎやま:
笛を吹いたことについて点数つけることよりも、笛吹く楽しさをわからせるのが大事だよね。
だからファイナルファンタジーとかドラゴンクエストの音楽というのは大事なんですよ。
植松:
ドラゴンクエストの音楽が好きになってコンサート行きますよね。
すぎやま先生なんかのコンサートはフルオーケストラでやってらっしゃるでしょう。
それはものすごい影響力だと思うんですよね。
子供がオーケストラを生で聞くチャンスが普段あるかというと、少なくとも僕は子供の頃そんな経験はしてないんですよ。
そうすると、ある意味ですごく羨ましいんですよね。小学校2-3年という頃に、N響の音が年に1回、生で聞けるわけでしょう。
すぎやま:
他のオケなんかのコンサート数えると、20-30回やってるよ。全部ドラクエじゃないにしても、1コーナーとかね。
だから、あちこちに頼まれて棒振りに行く仕事もやってます。それは大事なことだからね。
植松:
すぎやま:
しかし、いつもゲームの音楽作るときに、昔の大作曲家の作品聞くじゃない。
とてもかなわないなと思うことが多いね。
植松:
すぎやまさんがそんなこと言ったらこちらの立場はどうなるんですか(笑)
すぎやま:
昨日久しぶりにバレエ見ようと思って神奈川県民ホールに「くるみ割り人形」見に行ったの。
チャイコフスキーのド天才めって感じだよ(笑)。とんでもない天才だね。
植松:
チャイコフスキーは僕もすごく好きですね。音楽は誰が好きなんですかなんてインタビューとかであるじゃないですか。
すぎやま:
とんでもない大天才だよね、あの人は。
あの時代で20世紀の音楽家が考えて書くようなヴォイシングやってたりするわけよ。オーケストレーションのうまいこと。
植松:
この前、西田敏行がロシアに行ってチャイコフスキーの足跡を辿るという番組をテレビでやってたんですよ。
僕もチャイコフスキー好きだから見てたんですけど、チャイコフスキーはホモであるというのを聞いて、
「ああ良かった」と思ったんですよね(笑)
すきやま:
その良かったというのはどういう意味なの?
植松:
チャイコフスキーも人間だったんだなというね。ま、噂なんですけどね。
すきやま:
モーツァルトなんか完全にいってるよね。大天才でも大欠点があるという。
植松:
チャイコフスキーにしろモーツァルトにしろ、メロディが非常にわかりやすいんですよね。
クラシックって難しいから嫌いという人が多いですけど、そんなことないと思うんですよ。
すきやま:
ベートーベンとかブラームスあたりはみんなそうだよ。いいメロディもってるよ。
植松:
すぎやま:
植松:
だからドラクエなんかはオーケストラでやっても子供が聞けるんですよ。
すぎやま:
ドラクエにしてもFFにしてもメロディ大事にしてるからそこに強みがあるでしょう。
他にもFFでは民族音楽的なのがありましたな。デデンッデデンッ…てやつ(笑)
植松:
すきやま:
だからそのうちトルコも出てくるぞ(笑) FFでは吟遊詩人というジョブがあるじゃない。
吟遊詩人がマップの中のトルコやアイルランドみたいなところへ行ったりするとそこの音楽を覚えて、
それを戦闘中に唄うと何かが起こるみたいなことがあれば面白いんじゃない。
植松:
すぎやま:
増えるね(笑) でも吟遊詩人というジョブがあるから使えそうな気もするね。
植松:
一度何かに絡めてやってやろうと思ってるんですけどね。
どうしても容量がそういう余分なところまで回らないんですよ。
すぎやま:
植松:
すぎやま:
ダンジョンも違う?そんな気もしたんだけど。
植松:
いや、ダンジョンという曲は1曲しか用意してないんですよね。他で使ってるのを使いまわしてるんです。
すぎやま:
でもなんかすごく多い気がしたな。
植松:
実際多いんですよね。飛空艇は1曲ですし、チョコボは2曲だし。
すぎやま:
チョコボはまた面白いね。あの音楽と動きを見事にシンクロさせてて良かった。
植松:
あそこらへんはプログラマなんかと楽しんで作ってましたよ。
すぎやま:
植松:
ヘタクソなやつが最後はコンサートピアニストぐらいにしてくれと言われたんで、
最初はメトロノームにも合わせられないようなところから始めて、最後はドビュッシーまで弾けちゃうんですけど、
あのドビュッシーの曲(月の光)をみんなあんまり知らないんで、ガッカリしちゃったんです。
すぎやま:
グリークとかチャイコフスキーのピアノコンチェルトみたいな方がコンサートピアニストみたいな気がするからね。
植松:
そうですよね。最後のが弱かったのが残念だったな。
すぎやま:
植松:
息抜きというやつですね。でも結構一生懸命やっちゃうんで、息抜きできなくなっちゃうんですけど。
すぎやま:
作ってる本人はいいんだよ。遊ぶ方は息抜きできるんだから。植松さんはドラクエは上がったの?
植松:
実は最後のダンジョンの手前でFFVのアレンジCDの仕事に入っちゃいまして、まだなんですよ。
すぎやま:
上がってないの!?
植松:
今日までに終わらせるつもりだったんですけど。
すぎやま:
僕は対談頼まれたときに、12月中だと聞いてそれまでにFFVを終わらせる自信ないって言ってたんだけど、
元祖プロゲーマーを称してるからには面目にかけても上がろうと、しゃにむにやって上がりましたよ。
途中でやんなっちゃうゲームだと上がれないけど、やってて楽しかったから相当寝不足になりましたよ。
植松:
今回はアマチュアの勝利ですかね。スクウェアのメンツって、単独で独立して音楽で食っていけるか、
絵で食っていけるか、企画で食っていけるかという連中がまだ1人もいないんですよね。
すぎやま:
植松:
いえいえ。平均年齢がまだFFチームでいうと25ぐらいなんですよね。
すぎやま:
ドラクエチームもそうですよ。皆さん若い。僕1人だけ飛び抜けてるんだ。
植松:
結局若い、何かやってやろうという奴らが集まってるんですよね。
そいつらが泥まみれになって一緒くたになって限度知らずの頑張りをするんですよね。
全てのプロの人がそうというわけじゃないんですけど、中にはお金と割り切って仕事をする方もいらっしゃいますよね。
そうするとある程度から先の気力とか頑張りを越すというのは難しいというのがたまにあるじゃないですか。
そういうことが5のチームには無かったんですよ。
とにかく最後の最後まで、〆切のマスターを任天堂に送る朝まで、どこまでできるかということをみんながやったので、
そこらへんの適当なプロの人を集めて作っても、ああいう気合いの入った作品は出来なかったんじゃないかなと思うんですよ。
今になってやってみると、あそこをこうした方がいいというのはうのはいっぱいあるんですけど、
終わった時点ではもうこれ以上はできない、とみんなが思ってるんですよね。僕もあのときはそうでしたしね。
すぎやま:
結局世の中を見てると、FFにしてもドラクエにしてもそうだけど、
好きで好きでとことんまで頑張るという人が集まってるところのゲームがヒットしてるんだよね。
植松:
この投稿は比較的若手の声優が書いています。また、個人的な意見ですので正しいと思うかは各自の判断でお願いします。
声優養成所で講師をしています。講師歴は5年程度。声優としては吹き替えをメインで活動しています。
皆さん、どうします?
ここ数年ずっと人気な声優業ですが、鬼滅パワーで再び人気を博しています。ですので、年頃のお子さんをお持ちの親御さんから
「子供が声優になりたいって言い出してね〜。増田さん、どう思う?」と質問を受けることがあります。
個人的には応援してあげてほしいですが、人生がかかっていますので簡単な話ではありませんよね。そこで、講師業の経験から声優になれる人、なれない人の違いを説明しています。(正確には声優になれた人、なれなかった人の特徴)
さて、声優になるのに避けては通れないのが声優養成所(あるいは専門学校)です。養成所によって違いますが年間約50~100人が入所し、そのうち事務所に所属できる(= 声優になれる)人は3~5人。倍率にするとおよそ20倍です。
東大の合格倍率が3~4倍ですので、声優になる難易度の高さがよくわかります。
そんなことはありません。どちらかと言えば確定要素によるものが強く、声優に必要な素養を持っている人が声優になり、持っていない人はなれないというだけの話です。
声優に必要な素養としてよく語られるのが「良い声」や「ルックス」ですが、声優になれるかどうかにはそこまで影響しません。
なぜなら「良い声」や「ルックス」は売れるためのものであって、声優になれる = 事務所に所属できるためのものではないからです。
声優になるのに本当に必要な素養は「理解力」です。頭の回転の早さと言ってもいいでしょう。
では、なぜ「理解力」が声優に必要なのかを実際にあったエピソードとともに説明します。
私が講師になって2年目に入所してきた生徒、通称さわやかくんは全く演技をしたことがない大学生でした。声は中音域、ルックスは平凡とThe・普通な男子。それでも彼にはズバ抜けた「理解力」がありました。
初回の授業では自己紹介をしてもらうのですが、この時点で声優に適した人材かどうかと採点を始めます。採点項目は人前で声が出せるか、エンターテイナーとして聞いてる人を楽しませられるかなど。
ほとんどの生徒はボソボソと挨拶をするだけで、中には「自分なんてつまらない人間です」と自らを卑下する生徒もいます。そんなネガティブな声優が魅力的に映るハズがありません!
そんな中、さわやかくんは違いました。
「初めまして!〇〇です!小学校から高校までなぜかずーっと3組だったのでさわやかってあだ名でした!元ネタが分からない人はさわやか3組ってNHKのドラマ観てください!よろしくお願いします!」
彼は自分が既に採点されていることを分かっていて、ボソボソした挨拶が続く中で勝負を仕掛けたのです。ここで一目置かれれば周囲から抜きん出ることができると、理解していたのです!
結果、彼は生徒内でも講師の私にとっても「こいつはちょっとできるヤツだ」と認識されました。
発声練習が始まると、お腹の使い方などを身体で理解する必要が出てきます。大半の生徒は腹式呼吸で発声することもできず体得に時間がかかるのですが、さわやかくんは違います。
もちろん、彼も未経験者。初めは全く腹式呼吸ができていなかったのですが、一通りの説明が終わると朗々と話し始めます。
彼は運動神経が良いのでしょう。身体に覚えさせるのは一瞬でした。これも「理解力」です。
セリフのある台本を読むようになると初心者は誰しも棒読みになります。さわやかくんも見事な棒読みです。そこで私がクラス全体に「声優が使うのは音だけで、音に感情を込めるということは音高やリズム・間や呼吸が変わること」といった趣旨の話をしました。
すると、さわやかくんのセリフが色づき始めました。私のアドバイスを噛み砕いて理解して即座に反映させる。なかなかできることではありませんが彼にはできたのです……!
さらに彼は読解力も非常に高く、当日渡した台本にもスラスラと感情を込めて読んでいきます。もちろん、それが完璧なわけではありません。実際の現場では音響監督と意見が食い違うことも多々あります。
時折、私がさわやかくんに彼とは異なる演技プランを説明すると「あぁ〜、なるほど」と一瞬考えた後、すぐに修正した演技を見せてくれました。見事な対応力です。
その後も彼は指摘をすれば即修正を繰り返し、確かな演技力を身につけていきました。
最終的には成績上位者のみ受けられる仕事につながるオーディションのメンバーに抜擢され、1発で合格とはいきませんでしたが、何度か挑戦の末、ついにチョイ役で声優デビューを果たしました。
ここまでお読みいただいて、声優にとっての「理解力」の必要性を感じていただけたでしょうか。
さわやかくんの例は珍しく、数年に1人レベルです。彼ほど高い「理解力」がなくても声優にはなれます。
もし、身近に声優を目指す方がいらっしゃれば以下の特徴に当てはまるかチェックしてみてください。いずれも「理解力」につながるものです。
もちろん、全てに当てはまる必要はありませんが現役声優は複数該当する方が多いです。特に最後の「IQが高い」は意外と重要な特徴だと思います。地頭の悪い声優を私は見たことがありません。
つまり、元も子もありませんが声優になるには比較的賢い必要があります。弁護士になるのに頭脳が必要なのは誰でもわかることですが、なぜか声優はバカでもなれると勘違いをする人が多いです。
考えてみてください。何十ページもある台本を1週間程で読み込み、音響監督の意図を都度汲み取り、映像に合わせながら適切なお芝居をするのに頭を使わないわけがありません!
もしあなたのお子さんが声優になりたいと言い出したら、冷静に「この子は賢いだろうか」と考えてみてください。学校の勉強だけではなく、普段の立ち振る舞いや話し方などを総合的に判断すればわかるハズです。
もし、親の色眼鏡を無しに比較的賢いと判断した場合はぜひ応援してあげてください!
よく聞かれる質問です。
答えは「なれますし、場合によっては有利な可能性もあります」です。
場合によってはというのがミソで、以下に当てはまる方は有利な可能性が高いです。
社会人は学生に比べて練習時間を捻出するのが難しいですが、その分お金を使って有利に動く必要があります。具体的には「深夜も練習できるよう防音室をレンタル・購入する」「発声を良くするためボイトレに通う」「演技力を高めるために養成所外のワークショップに通う」など、お金があればできることはたくさんあります。
また、万が一声優になれた後も副業として続けられる職があれば食いっぱぐれることもありません。若い声優が声優を辞める理由の1位は「食べていけないから」です。声優の大半はアルバイトをしながら売れるチャンスを待って、待って、待ち続けて歳を重ねていき、ついに年齢と賃金が見合わなくなって心が折れていきます。
その点、副業として今の職場を継続勤務できる場合、収入は減りますが最低賃金のアルバイトよりは全然マシでしょう。そのまま声優を続けることでチャンスを待ち続けることができますし、万が一声優を辞めても職場復帰できれば万々歳です。
こうしてみると、むしろ社会人から声優を目指した方が良いのかもしれませんね。最近はそうした声優も増えてますし。
ですので、社会人の方でも声優になれる素養があると判断された場合、目指してみてもいいのではないでしょうか。
ただし、くれぐれも職場を飛び出してフリーターになったりしないように!
(時々、「会社員をしながらプロを目指すなんて無理に決まっている!」と熱弁する無責任な講師がいますが無視しましょう。オリンピック選手だって普段は会社員として働いている方が多くいらっしゃいます!)
才能もなければ努力もせずになあなあと高校3年生きてきたくせにほんのちょっとやってたdtmに活路を見出して音感もないしピアノも弾けず中学時代吹奏楽部だったってだけなのに音大行こうかななんて大口叩いた自分が憎い
dtm自由にできるって建前といじめ受けず楽に生きたいって本音で受けた通信制ダラダラと通って真面目に勉強なんかしたことないのに意気込んじゃって結局試験一ヶ月切ってもなかなか机に向かわず一日一時間勉強するかしないかってレベルの自分が憎い
無能なら無能らしくハードル下げれば楽なのに見栄切った手前逃げられなくなってる自分が憎い
どう考えても受かった後のビジョンが見えないし結局のところ合格を最終ゴールにしている逃げの姿勢の自分が憎い
やるしかない
やるしかないのはわかっている
勉強も運動も人脈も何も積み重ねて来なかった俺がこうやって好きな道に進むチャンスを与えられていること自体ありがたいことのはずなんだ
やるしかないんだ俺は
Togetterで漫画レビュー書いて1万ビュー以上読まれると、
「三沢は紹介するマンガは素晴らしいのだが、レビューが下手くそ」
自分の想像を超えたマンガを見つけて、それをテンションで語って伝わらない…ってオタクにとって最上の幸せだよねww
「誰にでもわかる書き方で冷静に、紹介してる作品」
はまだ自分の想像を超えてないし、自分を突き動かすほどの面白さを見いだせてないんだよ。
ちょっとわかんない人が出るぐらいテンションが上がるモノを見つけて、早口になってる方がオタクとしては正しい
ぼくの作品紹介がリアクション芸や実況の側面を帯びるのはそういう理由です。
一言二言でサクッと説明できない作品はもう、心に残った言葉や、その言葉を巡ってあれこれ考えてる人間(自分)を見せちゃったほうが早いなぁ〜と考えてそこにたどり着くわけです
というコメが出るんだけど…あんたにさえ何度も目に入ってるし名前覚えてる時点で俺の勝ちなんだよなぁ〜
「俺くんが書いた記事ヒットして、同じ界隈の人に一通り読まれたよ」
って。
あとは好き嫌いに関わらず名前覚えられてるぐらいコンスタントにヒット作を出せてる実感を感じる。
…そうやって考えていくとこの人達って一瞬傷つくんだけど、ありがたいかな。
覚えてて欲しいとは思ってないけど、忘れられない程度の腕前ではいたいと願ってるからそれが証明されてありがたい
自分の好きなことを好きなように書いて、それが読まれる&レビューや商品紹介なら作者と自分にチャリンチャリンするの、マジで理想形なので、その方向で腕前が維持されてるならぼくは幸せです。
最近、なんかうまく行き過ぎてると思ったら、致命的な失敗に気づいて
ってなった。
ロバが馬になるわけじゃないんだからなにか見落としてる。
積み上げてきた努力が実ってきてるのもまた事実なんだけどね…。
ただ、調子に乗ったり、勝利の美酒だの次のステップだの余裕ができた時に生まれるものを考える段階じゃないよ。
勝ちなれてないやつはすぐ自滅する。
一区切りつくまで気を抜くな。勝ち始めてもまだ、勝ちきってない。いつもそうだ
ただ…自分がちゃんと勝てる自覚が出てきたのか、自分の失敗に気づいた時に「よく気づいた俺!」って思えるようになった。
『何者かになりたかった自分が経てきた趣味一覧』(anond:20210614025554)がめちゃくちゃ刺さってしまい、しんどいお気持ちを供養したくなったためこの文章を書いている。おそらく十番煎じくらいだろう。気づいたらとても長くなってしまったが読む価値はまったくないことをあらかじめお断りしておく。
ある日突然父親が買ってきたのを触らせてもらっただけなので、自ら強い興味を示したわけではないが一応リストに加えておく。典型的なFコードで挫折した組である。
今でも不意に「弾けたらいいのにな」というお気持ちが襲ってくるがこの時の経験のおかげで衝動買いに至らずに済んでいる。ちなみに父親もすぐ飽きた。
その昔ドラムマニア(初代)という音ゲーを始めたことがきっかけで本物のドラムにも興味を持った。マイスティックはそんなに高価でなかったしゲームにも利用できたためあっさり購入した。
ドラムのできる友人としばらくスタジオに通ったがそこまで本腰が入ることはなく音ゲーから気持ちが離れるとともに練習へのモチベーションも薄れていった。
先ほどと同様、ふと「叩けるようになりたい」という感情がむくむく湧いてくることがあるため、家にはスティックと小さいカホンだけ存在している。いつか代々木公園でピクニックに行って友達と酒飲みながら何かしらを演奏したいとか考えながらしかし練習はしない!
ピアノにも憧れた。高校生の時バイトして貯めたお金で電子ピアノ(YAMAHA P-250)を突然購入し両親を驚かせた。それと同時に地元の島村楽器のジャズピアノクラスに通った。序盤の単調な訓練にモチベーションを継続できず、おそらく半年くらいで挫折したと思う。
その電子ピアノはなかなかに高額だったため、その後一人暮らし⇒同棲⇒結婚とライフステージが変わっても処分することができず(いつか時間ができたら再挑戦、みたいな気持ちもある)今も手元に置いてある。妻がピアノを弾けることがP-250君にとっての唯一の救いであろう。
音ゲー(BEMANI)で色々なジャンルの音楽(クラブ系に寄っているが)に触れる中で音楽への関心が高まっていった。さらに当時はBMSという自分で作った曲をBeatmania形式で遊べるようにする二次創作・同人的なアクティビティも一部界隈で盛り上がっていたため、それが自分も作曲できるようになりたいという思いを強化した。
典型的な形から入るタイプでギアにもこだわった自分は、当時おそらく最新だったDTM用音源モジュールYAMAHA MU1000を手に入れるも、独学では進め方がまったくもってわからず、文鎮と化すのにそう時間はかからなかった。
上と関連するが都内に音楽理論を学ぶ塾みたいなところを見つけて大学生時代に通っていた。歌が好きだったため音感を良くしたいという考えもあった。
説明はとてもわかりやすいし、どうすれば上達するかという道筋もきちんと見せてくれるところだったが、理解することと身につけることとの間には大きなが隔たりがあり、大学やアルバイトとの両立も当時の自分には難しかったため、志半ばで解約するに至った。
小学生の頃、グランダー武蔵という漫画を読んで主人公と同じギアを買った。
ブラックバスがいるという県内の沼に一度行ったが根がかりばかり起こすしまったく釣れないためすぐに飽きた。
またまた父親が唐突にレンズセットを買ってきて一緒に使わせてもらったのがきっかけでハマった。当時はCanon EOS Kiss Digitalが10万円台になりデジタル一眼レフが一般人にも手が届きやすくなった最初のころだった。それでもまださほど普及していなかったため、大学でカメラを向けると「おぉ、本格的なやつだ!」と周りの注目を浴びた。それに気をよくし、いつでもどこでもカメラを構えていたらいつの間にか金田一少年の佐木のようなポジションになっていた。それでも役割が与えられた気がして楽しかった。センスはまるでなかったが基本的なしくみや構図は身につけたので何も知らない人から見たら上手だと言ってもらえた。お金もなかったので安い単焦点だけは買ったがさほどレンズ沼にはハマることはなかった。
やがてスマホのカメラの性能が上がってきたこと、SNSの台頭ですぐにシェアできることが重要になっていったことなどから、スマホカメラにシフトしていった。余談だが初代GoProも輸入して買ったが大して使わずに人にあげた。
後述する筋トレとほぼ同時期に始めた。理由は筋肉がついていく中で、強くなる技術も身につけたいと思ったのと、なんとなくカッコよかったから。三十路を過ぎてここまでくるとさすがに自分の性格は把握しており、そう長くは続かないだろうと一年だけと決めて始めた。
基本的なフォームを覚えて生徒同士でミットの打ち合いをするのは楽しかったがスパーリングになると打たれるのも打つのも怖くて、一年限定にしておいてよかった、と思った。
書きながら自分のダメさ加減にさらにしんどくなっている。なお、趣味ではないが公務員試験と公認会計士試験と税理士試験と米国公認会計士試験も課金しながら挫折した。「才能のない怠け者」というトラバ見ておっしゃる通りですごめんなさいって泣いちゃった。
楽器系は序盤の基礎中の基礎みたいなところでモチベーションを保てなくなってしまっていた。スモールステップ大事!最近は「初心者が100日継続した結果」みたいな動画をよく見てる。
資格試験も授業聞いて分かった気になるものの実際に問題に取り組むと全然解けない。反復練習大事!
あとは「選択と集中」も苦手だ。いろんなことに興味が出てしまい、できもしないくせに同時進行しようとしてしまう。二兎追うものは一兎も得ず!
関係ないかもしれないけど何か一つのことを突き詰めるスペシャリストよりは、いろんなことを器用にできるマルチな芸達者に憧れがち。 DonDokoDonのぐっさんとか。
もう一つ、他の増田も指摘してたことだけど、一緒に頑張る仲間を作ろうとしなかったのも挫折が多い原因だと思った。どうしても人知れず練習していつの間にかできるようになっていたいという気持ちが出てしまっていた。寂しがり屋のくせになんでそん時だけ一匹狼しぐさきめるんだバカものが。
これを書きながら思い出したが昔は歌手になりたいと思っていたのだった。年を重ねていく中で自然と諦めがついて忘れていた。ボイストレーニングに通っていた時期もあり、人前で歌うとそれなりに褒めてもらえるくらいにはなった。カラオケは安いしどこにでもあるため、いつでも気軽に楽しめる大切な趣味のひとつになっている。
ずっと痩せ型だったのに、ある時雑誌Tarzanの脱げるカラダ特集の表紙の読者モデルを見て筋トレに目覚めた。正しいフォームを教えてくれる先生が近くにいたり、通いやすい場所にジムがあったりと環境が整っていたため、初心者の状態からベンチプレスで自分の体重と同じ重さを挙げられるようになるまではあっという間に成長した。今は訳あってジムには通えていないが家で自重トレーニングを続けている。
趣味と言えるか微妙だが細く長く興味を持てている分野。昔は毎月ファッション誌買ってブランドやセレクトショップも行ってたけど今はほとんどユニクロや無印。オシャレと言われるより洗練されてると言われたい。その願望は達成できていると感じる。
最近はレーザー脱毛をした。こういうのの良いところは課金さえすれば努力なしで昨日とは違う自分になれるところだ。そんなに歯並び悪いわけではないが次は歯列矯正をしたいと考えている。
同じく「あなたはおデブちゃんだもの」「あなたは運動音痴でしょ?」「あなたは音感ないでしょ?」
の他にも色々言われて育った
やってるの見てもねえくせに嘘をつくな!!できるわ!!舐めてんじゃねえぞしね!!!と思ってこなした結果
「自分ができる子だと思って調子乗ってんじゃねーぞ」って言われたわ
あの人たちはただ自分より子供ができない子だと思いたいし子供にそうであって欲しいだけ
今からでも遅くないしお金あるならやりたかったことやってみればいいんじゃない?
やってる人羨ましいムカつくって思ってるよりさ
やってみたら意外と思ってたほど大したもんじゃなかったなとかあるじゃん
一歩踏み出すのにたくさんエネルギーいると思うけど、始めちゃえば楽でしょ
応援してるよ
うーん、元記事のダイアトニックコード云々とか間違ってはいないと思うよ
子供のヤマハ音楽教室で習うレベル、単純な童謡を作曲するために知ってるべきレベル
楽器弾きながら、音を確認しながらやれば、音感があれば何も難しいこと言ってない
でも、音感というか、この音の次はこの音よりこの音の方が気持ちよくない?みたいなところで感覚が一致しないと難しいかもしれない
元の文章で言うところのドミナントモーションとか、鍵盤で同じようなメロディーを何パターンか弾いて聴いてもらって違いが分からないとか、
音痴の原因はいくつかあって、まず耳の問題というのがある、これは医療の話につながる場合もある
と言っても正常に生活できていれば問題とは言い難いのだけど、独特の感性で生まれたということもありうる
この場合、矯正するべきとは自分は思わないが、元の記事のような幼児の音楽スクールレベルで逸脱してしまう可能性がある
仮に自分が指導するとしたら、地面のレベルで異なる状況に普通に家を建てるようなものでそれは難しい
音楽理論をやたらと批判する人がいるが、音楽理論とは基本的にはすべて後付けの理論である
つまり、何だかよく分からんがこんな音を出したら気持ちがいい、こんな音を出したら不安になる、という経験則が先であって、
そこから、なんか法則性あるんじゃないの?勝ちパターンみたいな?と思うようになって、
元記事のダイアトニックスケールだのダイアトニックコードだのは最も基本的な勝ちパターンでしかない
ダイアトニックスケールという名称があるから難しいのであって、
ルート音がCのダイアトニックスケールはピアノの白鍵盤だけを弾いた、単なるドレミファソラシドでしかないし、
ダイアトニックコードも、その白鍵盤で構成されるコードでしかない
ピアノやギターで弾かないで、音楽理論の文章だけ読んだらまったく分からないと思う
逆に、ピアノやギターがちょっと弾ければ、あ、そういうことね、完全に理解した、になると思う
何でもそうだけど、本だけ読んで何も手を動かさないで理解できるわけがない
でも、元の文章の内容が理解できないと、カエルの歌もキラキラ星もちゃんと作曲できているとは言えないと思う
ノンダイアトニック(黒鍵盤を含むようにする)とかちょっとレベル上げるなら、
子供の頃から色々な曲を聴いて、好きな曲ができて何回も聴いたりしてれば、音感は養われてるはずなので、
自分だったら違う教え方するかなあと思ったり、あー、あるあると思ったり、観てるとあるあると思うのが多いなあ
ミュートとカッティングが混ざってるのって、Van Halenとか弾いてみるとかどうよ?と思ったり
というか、アコースティックの前に興味なくてもエレキギター試すのがいい気がする
フォークギターにエレキの弦を張るとか、とにかく弦を柔らかいのに変えるべき
どれだけ手の力を使わずに弾くか、
というのはライブやコンサートを最後まで弾ききる体力とも関係するので、
力を抜いてどれだけ弾けるようになるか、みたいな考え方は大事な気がする
どれだけ楽にちゃんとやるかみたいな
ローコードを先に覚えない方がいい気がする
単音でルートを弾くことで、ベースギターみたいな弾き方から音の感覚を学ぶのも大事な気がする
TAB譜通りにまずは好きな曲を1曲選んでちゃんと弾くのも大事な通過点だけど、
そこからTAB譜なんて買わなくてもなんとなく弾けるようになっていく方が、
会話するように楽器を弾けるようになっていく、というのは楽しい
何にしてもちゃんとやろうと思うのは意外と良くない
なんとなくギターなり、やらなければならない個人的な仕事を手に取って、
ちょっとやってみて、なんか違うんだよなあ、と思ったらやめていい、
ぐらい軽い気持ちでやるのがいい
何か音が鳴ったらその音を当ててみるとか、音あてゲームしてみるとか
そのうち、知らない曲がかかっても、すぐに合わせて弾けるようになると思う
まあ、難しい曲はプロでも難しいと思うけど、
ジャムりやすい、途中参加しやすい曲を敢えてやるという文化はあるわけで、
それはジャズとかよく知らないけど、
各楽器がかわりばんこに演奏する、みたいなのはそういう文化だと思う
子供の頃のゴム飛びとか、複数人数でやる縄跳びみたいなものである
ジャムりやすい、セッションしやすい単純な曲からやるべきというのもあるんだろうか
しかし、アラフォーになってギターが弾けるようになっても青春は取り戻せないので、
女の子とイチャイチャパラダイスした方がいいってばよ、と思うのだった
あと、福山雅治のギター講座でうっかりミュートでハーモニクス弾いてしまう話は面白かった
あんまり意識してなかったけど、あー、そうなるよなー、と思った
アンプ通すと余計汚く聴こえるだろうなあ
小さい時から持ってる病気の合併症であまり耳がいいとは言えず。いつも聴力検査に引っかかってたけど、25の時に会議室での会話が聞き取れないことを自覚して、悩んで27歳の時に左耳だけ補聴器導入。
元増田の言うとおり、聞き取りの能力は補聴器導入後すぐによくなるわけじゃない。音は聞こえるようになるけど、それが「言葉として意味をなす音」になるのはやっぱりそれなりに集中して聞かないと聞き取れない。
今一番不安なのは病院の待合室や会議室での会話、あと車内の会話。増してこのご時世、コロナでみんなマスク+アクリル板やビニールカーテン越しだから尚のこと聞き取りにくい。言葉っていうより、自分の名前の音監で判断してる。補聴器がなければ、音感で判断するってこともできない。
今はとても技術が発展していて、アプリで軽い音調節ができたりする機種もある。
それと、消費税非課税だよ。高い買い物だし、導入後も定期的に調整必要だけど、あるととても生活に奥行きがでる。電車やオフィスの中が騒がしければ補聴器のスイッチ切ってしまえば静寂もすぐ手に入って、King ◯が出てるS◯ny製ワイヤレスイヤホンのCMのスイッチ入る前みたいになる。
70万くらいする情報商材の謳い文句として「誰でもエンジニアになれる」とか書いてあるけどさ、無理に決まってんだろ。
味覚に問題があるヤツがパティシエになれると思わないだろ?音感がないヤツが楽器の演奏者になれるとは思わないだろ?でもなんでみんな「スクールに行けばソフトウェアエンジニアにはなれる」と思うんだ?適性のことを考えないのか?
そしてその適性ってのは頭の良さの事なんだよ。それも学校の成績とかじゃなくて根本的な。この表現嫌いだけど、いわゆる「地頭」って言うやつなんだろうな。
逆に適性が無いヤツを見てみるとまず文章が読めないし、考えることができない連中が多い。要は馬鹿。Yahoo知恵袋のプログラミング質問とか見てみろよ。エラーメッセージが出たときに「エラーメッセージが出ました」で思考停止してるバカが大量にいるんだよ。書いてあることを調べようとしない馬鹿がわんさかいる。
プログラミングを抜きにしても実生活でも大人になっても馬鹿なヤツっているじゃん。サラ金で借りた金で利息しか返せてない事に気づかなかったヤツとかさ。