「軍事的」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 軍事的とは

2014-06-13

http://anond.hatelabo.jp/20140613110819

多くの人間にとって、敵か味方か、の影響範囲が、倫理的に許されるかどうか、の影響範囲より広いからだろう。

右派にとっては、韓国との関係に対して「反共」「過去の清算」といった意味付けをしてきたから、言動によって逐一裏切られたという感情も強い。

左派には、冷戦期に東側擁護し過ぎた負い目と、歴史問題を許容してでも、韓国軍事的協調関係を維持しようという立ち位置が多かった。

今は双方とも下火になった感があるけどな。

アメリカに対しては、日本戦後左派発祥アメリカサブカルからだろう。アメリカ音楽文化政府に批判的なのと同文脈だよ。

その上、戦争犯罪中韓が叫ぶより先にアメリカ規定したというのが左派にとっての認識なので、愛国心的なものを持ったとして、敵意はアジアには向かわないんだ。

2014-06-11

http://anond.hatelabo.jp/20140611020201

相手が40年以上前から日本攻撃を公言しつつ、口だけで何もしてこなかったからじゃない?

やれても、離島漁船をゴニョゴニョとか・・・

喧嘩相手が、そもそもそういう奴ってこと。

しろネットとかの知識で安易に煽られて、ここ数年で急に焦りだしたバカのほうがよくわからない。

もちろん中国は急激に成長しているし、備えは必要だろう。

だが軍事的防衛として考えた場合、現状の自衛隊兵力でも充分すぎるぐらい充実してる。

2014-06-01

集団的自衛権問題の論点について

そろそろ集団的自衛権問題について自分立場をちゃんと整理しておかないとどこかで選択を迫られる局面が訪れそう。

ということでまず論点を整理しておこうと思ったのだが、以下のような論点以外のものはあるのだろうか。


まず「集団的自衛権」の定義あるいは根拠は、次のもののようだ。


国連憲章でうたわれる主権国家として以下の権利

自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃をされていないのにもかかわらず、実力をもって阻止する権利


そして過去日本政府公式的な立場は、以下のようなものだった。


◎「主権国家として集団的自衛権権利として保有するが、これを行使することはしない」


今回の話は、憲法改正を経ることなく、憲法解釈の変更により集団的自衛権行使できるようにする、というテーマ。そう理解しているが、そこにどういう問題があるかについて考えていくと、いろんな側面が絡み複雑すぎてよく分からない。ちょっと検討してみただけでも次のような側面と立場があるような気がする。


1)手続きとしての憲法との整合性論(憲法解釈の側面)

   ○の立場:現憲法下では自衛権範疇を明確に規定していない以上、国際環境に合わせて自衛範疇の幅を広げることに矛盾は起きない。

   ×の立場憲法における「自衛権」には、発動の三要件(我が国に対する急迫不正侵害代替手段の欠如、自衛必要な限度に限定)があり、集団的自衛権はこれに抵触するので矛盾が発生する。


2)国家安全保障上の有利不利論(まだ見ぬ将来にわたる損得の側面)

   ○の立場国際社会での孤立を招かないことが安全保障の最たるものであり、その観点からすると、国連軍への積極的な貢献ができるようにすること、また日本有事の際に同盟から防衛協力を得るためにも現在の片務状態でなく、双務状態であることが必要

   ×の立場他国の紛争状況に同盟であるだけで巻き込まれる恐れがあり、不要な危機を日本に招くだけである


3)目先の危機への対応今そこにある危機対策の側面)

   ○の立場中国海軍東シナ海南シナ海でのプレゼンスを広げ、衝突をも辞さずの態度をとっている以上、日本一国だけでなく、関連諸国での共同作戦、つまり必要に応じて南シナ海へ協力出動ができるようにし、包囲網を敷いていかなければならない。そのために必要

   ×の立場日本軍事力がその軍事的発動として外に出れるようになった時点でアジア諸国から疑いの目で見られる。むしろ日本が包囲される結果になるので不利となる。


他には?

2014-05-15

http://anond.hatelabo.jp/20140515092408

今回の中国というか、いつもの中国にそこまでの思惑はあるだろうか。

基本姿勢として、アジア一帯は本来、華人の物くらいの傲慢さで、目の前の利権に手を伸ばしているだけではないか。

でも、だからこそ元増田が言うとおり全面戦争危険はあると思う。

軌道こそが危険なのだ

あくまで限定戦争しかないエリアの奪い合いが、さて、華人にはどう写るだろうか。

彼らは天誅くらいのつもりで過剰な攻撃をする。

限定的エリア防衛のために敵の軍事基地及びその支持基盤都市部)に攻撃を加えることもあり得る。

やられた方は、紛争に無関係地区を攻撃されたのだから

元増田が、いうとおり、見渡せば中国軍事的牽制できそうなアメリカ不景気から軍縮であえいでいる。

しかしたらまずい状況かもしれない。

2014-05-10

わたくしは韓国のやることがきらいです。

わたくしネトウヨであります

わたくしは中国政府のやることも北朝鮮政府のやることも韓国政府のやることも同様に気に入らないし嫌いです。

でも、中国人一般と韓国人一般と北朝鮮人一般だと同様の嫌い方ではなくなります韓国人を最も嫌っております


北朝鮮。一般とかない。全部政府と同じ印象。イメージがありません。残念ながら会ったことがない。

中国。総じて利にさとく合理的です。儲かるなら、みずからに利があるならあえて中国政府のような見解を振りかざすこともあるし、仲良くすると得なら家族のように親友のように振る舞うこともある。なるべく上に立ちたがる傾向があるものの、自分たちが何やってるか、だいたいわかっています。役に立つ仲間や部下や上役の関係になり共通の利益を目指す事ができればお付き合いで心配ありません。

韓国メンツプライド上下関係をたもつことが一番の優先です。個人間のつきあいで円滑にうまくいくには序列をはっきりすることが肝心です。あとなんか、メンツ価値が高すぎて財産生命相対的に安いです。中国人よりもメンツに命を払います。これが原因で、私は韓国人のやることが一番めちゃくちゃと感じます

このへんをふまえて外交の話にすると、中国は米中の海運関係の利害衝突というかそのへんの防衛問題をきちんと考えて対処しておけば問題ないので、現在急激に拡大している中国海軍が極端に優勢になってしまって変な気を起こさないように日米海軍力をほどほどに増強するのが平穏未来必要なことでしょう。「共通の利益」がそこだけはうまれづらいので、均衡した戦力で「動かないほうが儲かる」事態を産むのがベストだと考えます。というように利益と理詰めでなんとかなります

で、韓国ですが。謝罪しろとか賠償しろとか言いますが、その要求のものが全部嘘です。韓国はべつにそんなのほしいわけではないのです。ですからお金を出されても謝罪コメントを出されてもすぐ忘れてまた要求してしまます。本当に言いたいことは「日本韓国の下、中国の下の下であることを認めてちゃんと下につけ、下なのだからなんでも韓国の言うとおりにしろ韓国を上として敬え」です。さすがにそれを直接言っても無駄なのは理解しているので、責め立てる理由を見つけては殺到する行動に出る、馬鹿にする理由を見つけては鬼の首を取ったようにふるまうという話になるわけです。

これに対しては、直接に韓国を上回って圧力をかける手は日本が使うことはできません。意固地になるだけだからです。韓国の認める超大国である中国アメリカなら可能です。ただ日本が言いつけ外交をしたところでだれも聞いてはくれませんので、韓国をおさえつけることに利を提供するしかありません。これに利益を感じてくれるのは中国海洋進出をはばむ前線基地必要アメリカぐらいのものですからアメリカにお願いする他ありません。そのため米軍日本各地の基地提供し、金銭的に補助もだし、米軍を補うような機能自衛隊を保ち、外交交渉でも強く出ることはできない現状があるわけです。

ここんとこの米韓軍事的同盟関係微妙さや演習ギクシャク問題がヤバイのはそこの関係が崩れたら韓国がどっちにむかって破裂するかわけわからんからです。あんまり怖いのでニュースをこまめに見るようになるくらいは怖いです。そのぐらいしかわたくしにはできないのですが。

韓国はむやみに高い謎のプライドちょっと東シナ海に沈めておいてもらって、冷静になってもらいたいものです。国と国、民族民族固定化した上下なんてなくて、場合によってくるくると入れ替わるものなのですよ!親分に甘えるつもりで軍事的統帥権を返せって言ってみたら返されちゃって慌ててる場合じゃないんですよ!

2014-04-09

むやみやたらに世界遺産に指定欲しくない理由

一番の理由は、観光客が訪れて飲食物などのゴミをそのまま放置していくこと。

景色とか景観世界遺産認定の条件であるのに観光客はただただ「世界遺産」だというだけで観光地を踏み荒らしていく。

その代表的な例が、熊野古道である

苔がこの古道の名物であり指定される理由でもあったのに、世界遺産になってからゴミだけでなくたくさんの人が苔を無くして行ったのである

また、心無い観光客による参道周辺の木々への落書きである

このような事があるくらいなら世界遺産になんてならなくてもいい。

指定された位で北海道知床のように立ち入り自体を禁止されるなんて事もあってはならない。

また、世界遺産になったからといって良い事だとは必ずしも言えない。

タリバン見せしめとして破壊された世界遺産であったバーミヤン仏像がそれである

国家的にみれば宗教的にも歴史文化的にも象徴的であったそれは、タリバン軍事的あるいは政治的意図による破壊によりその生涯を終えた。

故に世界遺産になる事はこと政治的意味をも持つのである

富士山がこのたび世界遺産となったが、ただでさえ観光客やそれ以前からの心無い人達による産廃行為が問題であったのに、世界遺産であるために

タリバンないしアルカイダ北朝鮮のようなテロリズムの危機に晒されない保証はどこにもない。

飛躍し過ぎるかも知れないが、ミサイルなんかが富士山とその周辺にぶち込まれたら、世界遺産に指定したユネスコを生涯許す事が出来ないかもしれない。

2014-03-03

http://anond.hatelabo.jp/20140303184122

過去を鑑みれば、戦力差は戦争を抑止する因子にはならないよ。

てか、拮抗した戦力だと、戦争はうま味が少ないから抑止に働く。

戦力差が大きく開けば、大きな側からは小さな被害で戦勝の権利を得られる可能性が見えてくる。(もちろん、実際は絶対に焦げ付くし、圧勝で終わったのに、精算したら大赤字なんて戦争もある)

あと、戦争って一種の政策から落とし所が肝要なんだけど、国家事業から意志決定に係わる人が増えすぎて、始まったらなかなか終われなくなるのも戦争の常。

軍事的威嚇行動だけで終わるはずがズルズル泥沼化したり。

戦争ってのは大変だ。

2014-02-13

http://anond.hatelabo.jp/20140213174613

全面戦争になりうる、という意味での韓国脅威論はバカだと思うよ。一番悪くても竹島で小競り合い程度でしょ。

ただ中国は、すぐにはないとしてももっと先の話としてなら、世界を敵に回す前提で軍事的に正面衝突する可能性もゼロとは思えん。今後の国力と軍事力の増強次第で。

あと北朝鮮は、いよいよ崩壊となったら何か暴発しかねんから、怖いのは怖いよな。

その辺を考えると、最低限の防衛力必要だし、志願制の範囲で自衛隊は充実させて欲しいところだし、憲法を変えて軍隊化しても別に構わないと思っている。

そして、徴兵制警戒論はバカだと思う。

2014-02-05

百田尚樹は「愛国小説家」という意味トム・クランシーの超劣化版だと思えばまァ納得できなくもないが、

やっぱあのハゲ視界に映るだけで相当イラってなるのも事実なんでどっか行ってくれねえかな。

というか、あい軍事的知識なんてものがあるの?しきりに軍隊化を唱えてるけども。

2014-01-20

日本核攻撃の順番は1、2に東京、3、4も東京

不謹慎投稿

北朝鮮日本核ミサイルを発射する空想小説で、「1発目が東京、2発目が大阪、3発目が名古屋」とうまく地域バランスした設定すること多いが、

コスパ」を考えたら1・2・3発目全て東京じゃないか?

例えば東京駅上空で核ミサイルが爆発しても、被害範囲は限定的で、六本木新宿の被害は軽微。

であれば、2発目のターゲット大阪駅上空とするより、新宿駅上空とする方がコスパが高い、より日本経済へのダメージが大きい。

「1発目東京駅、2発目新宿駅、3発目渋谷駅、4発目池袋駅、5発目六本木、6発目品川駅、7発目お台場」。

大阪核ミサイルターゲットになるのは8発目以降でしょう。

大阪出身自分にとっては悔しいが、それだけ「大阪経済プレゼンスは低下」している

因みに、大阪市オフィスビルストック東京23区の10分の1らしい。

オフィスビルストックを「業務集積性」と読み替えたら、大阪への核攻撃の「コスパ」は、東京の10分の1となる。

もっとも、今までの話は、「経済的ダメージ」の観点オンリーの話。

 軍事的には、横須賀とか厚木とか岩国とか嘉手納とかが2発目に選ばれる公算が高いだろうが。

2014-01-18

http://anond.hatelabo.jp/20140118001604

アメリカというより西洋社会にっとて東洋は、日本人欧州に感じるのと似たようなひとつのまとまったイメージがある。

その中で影響力のある何国かと協調しておいて、軍事的安定への寄与と同時に影響力を確保したい、というのが無難見立てだろうな。

例え米国との同盟を前提としていても、軍拡する国があればパワーバランスの変化を感じ取って、顔色が変化するのは予想できる。

http://anond.hatelabo.jp/20140117235621

冷戦終結後のアメリカオプションとしては

イデオロギー抜きで経済重視で中国関係強化しつつ、米国に忠実な日本同盟関係を維持する

②「テロとの戦い」に対応するため、日本もっと軍事的な活動範囲を広げてもらう

というのがあると思うが、靖国参拝とか「歴史反省しない日本」のイメージが①、②どちらも米国戦略邪魔しているって感じ。

そりゃ失望もするわ。

困ってるのはアーミテージのような知日派グループだろうな。

ずっと日本は信頼できるパートナーって言ってきたのに、アメリカじゃ「日本は何をするかわからない国」って思われ始めてるんだからな。

日本の行動が読めないとなると、①、②の中で、中国との関係強化だけが残るもんな(反テロでは米中も米露も共闘できる)

2014-01-15

http://anond.hatelabo.jp/20140115121131

近いんだから経済面では交流があったほうがいいのは確かだし、わざわざ喧嘩吹っ掛けるのは馬鹿げてると思うけど、

安全保障は分けて考えないといけない。

軍事的には米国と協力するしか道はない。

2013-12-30

総理靖国参拝を批判していて靖国問題点を指摘してる人たちに聞きたい

靖国所詮民間宗教施設で、靖国にまつわる問題とは全く関係なく一般人も参拝しているし、

実際に遺族会など遺族も平和を祈って参拝している。

平和に対する罪を持つA級戦犯にしても死後も辱めることはない、と受け入れいている人たちや遺族もいる。

そんな中で靖国自体問題点をあげつらって総理靖国参拝をより否定しようと頑張ってる人たちのやり方は、

背後に靖国自体を否定したいと思う気持ちだとか靖国を肯定する人たちを否定したいと思う気持ちが垣間見えるのに、

はっきりとは言わないから気持ち悪い。だからこそ聞きたい。


  • 2. 他の大臣国会議員が参拝することに対してはどう思っているの?

  • 3. 非宗教慰霊施設を建ててそこで祈るとして、そこでA級戦犯は祀っちゃいけないの?








  • 11. 総理に限らず石破とか周囲にはあの戦争は誤りだったとする発言は結構あるけど、本当に自民党戦争や決定的な対立を望んでいると思っているの?

  • 12. 総理靖国を参拝した本当の目的はなんだったと思う? その目的のために本当は何をすべきだと思う?



追記:ブクマを見たけど、わかりづらかったようなので質問を変えるよ。

答えを見て自分でも気づいたけど、私が聞きたいのは、君たちはどうすれば、どうなれば納得するのか、

君たちは公人でない一般人靖国参拝靖国神社それ自体存在総理のあり方に対してどう思っているのか、を確認したかったんだよ。

もう回答済みの人は詳細な回答でだいたいこれに答えてる人も多いしそれでいいよ。

  • 1. 参拝者の是非

天皇

総理

大臣

国会議員

知事

地方議員

芸能人

遺族会

一般人

この中で参拝しないで欲しいのはどこから上?

一般人の参拝すら許せない?

参拝する一般人についてどんな感情を持ってる?

靖国とは別に慰霊施設ができたらそこで慰霊して欲しい?

物理的に潰せるか潰せないか、とかじゃなくて、実際に靖国神社がなくなって欲しいと思っているかどうかを聞きたい。

あるいは靖国神社にどう変わって欲しいかを聞きたい。

仮に靖国運営方針が変わってA級戦犯合祀をやめればそれで問題ないとするのか、

あるいはそれに加えて遊就館の展示内容が歴史認識を踏まえて戦争を否定する良い方向に変わればそれでいいのか、

やはり靖国がどれだけ変わっても来歴からその存在自体が否定されるべきものからなくなって欲しいのか。

国家神道についても同様だね。

靖国さえ解決すれば、あるいはなくなればいいのか、国家神道的なものはなるだけなくなって欲しいのか。

英雄

正しい戦争だったなどの積極的肯定

やむをえなかったなどの消極的肯定

なるだけ言及しない

個人の罪として扱うのではなく国として反省のよりどころにする

一切の行いを否定する

永遠に侮辱し辱める

戦犯について政府が取るべき態度はどんな形が正しいと思う?

A,B,Cそれぞれに対する態度は?

実際目の前にその戦犯が生きていて、あなたが彼に何をしても許される状態にあるとしたら、あなたはどうする?

とにかく戦争がしたい

日米同盟を破棄したり国連を脱退してでも中国韓国と再び戦争をして勝ちたい

竹島尖閣諸島北方領土領土紛争軍事的手段で勝ちたい

竹島尖閣諸島北方領土領土紛争平和的手段で勝ちたい

軍事力ごり押ししてでもアジア覇権的地位を得たい

必ずしも領土が取り返せなくても・あるいは奪われても構わないが平和的手段で解決したい

中韓露米それぞれについて対等につきあいたい

総理の内心についてはいろんな主観が考えられるわけだけど、総理が今参拝した理由をどう考える?

総理歴史認識や今回の参拝を踏まえて、総理外交についてどう考えていると思う?

本当にいろんなところで言われているような過激なことを考えていると思う?

本来総理世界に対してどういう内心と態度であるべきだと思う?

2013-12-29

なぜこの時期に靖国参拝たか総理外交とは

ということをマスコミはいうが、まあ、いつ言っても文句は言うからどうでもいいとして。

総理の考えをちょっと推理してみると


1、韓国経済やばい

IMFが入ってきて、監査結果発表年末年始に行われる

アメリカEUロシアとしては日本お金を払わせたい(今回、文句言ってきているのは面倒起こすなってだけだと思うが)

→→韓国の主要銀行の7つのうち、5か6はアメリカ出資している銀行なので、アメリカお金を払うしかなくなる

→前回の韓国経済破綻したときには日本お金をだした。で、各国から批判を浴びた(世界中破綻したところを助けるつもりかと)

→→で、韓国感謝もせず、金出すの遅い!だの、金少ない!だの、しまいにゃ日本には金なんぞもらっていない!


2、韓国軍事状況がやばい

2015年在韓米軍が撤退する模様

アメリカとしては日本韓国が仲良くなってもらって日本自衛隊に面倒を見てもらいたい

→→韓国から自衛隊軍事的連携のための会議を打診していたそうだし(靖国参拝で駄目になったらしいが)

→軍にお金かかるので、アメリカとしては韓国なんかに軍をおいお金使いたくない

→→在韓米軍に勤務する米軍行きたくない、確か米軍の中でも人気ないんだっけ


3、中国やばい

→毎度言われているが経済やばい!だの上海不動産バブルやばい!だの

反日デモ許可すると、そのまま反政府デモになってやばい


まあ、結論としては、面倒に巻き込まれてくないって話ですね。日本マイナスになることを避けたい。これが親日の国だったり、地政的に重要場所だったりすれば日本も何かするのはいいんだろうが、反日キチガイ言葉の通じない国ですからね。で、韓国軍事がやばかろうが、経済がやばろうが、正直影響は少ない。


(こっから靖国参拝だけじゃなく、総理政治運営の話だけど)

だけど、中国経済がやばくなって軍部暴走すると日本核兵器やら飛ばしかねない!戦争になりかねない!だから、色々やってるんですよね。123と色々書いたけど、実際重要なのは3。3あまり書いてないけど


特定秘密保護法案で、中韓軍事データ漏れないようにして、アメリカ軍との関係を密接にしたり

憲法改正で、中国の軍の反乱に対応できるようにしたり、(戦争できるようにというより、日本を守るためにだね)

武器三原則は軍需産業お金儲けるって側面もあるだろうが

ASEAN日本との協議関係構築したり、スワップ締結したり

ロシアとの2対2外交をしたり


これ全部中国の軍のためなんだよね。全部対中。オバマ外交下手だから日本自分で守らないといけない。だから、ここ一年間ずっと総理外交で飛び回っている。マスコミ全然報道しないけどね。圧倒的に少ない。

ネトウヨ系のまとめサイト読んでればこんな感じですね。テレビとか新聞見てても分からないでしょ。ラジオとかもニュース気持ち悪いね。まあ、でもまとめサイトも良い悪いあるし、悪いことは全部韓国人仕業だーみたいな極端なまとめサイトとかもあるんで、自分で見極めて。つーか、こんな当たり前のこと言ってたら右翼だ!って言われるのは心外だけどな。


安部総理、支持です!まあ、消費税やらTPPやら不満がないわけじゃないけどね。ただ、政権とった瞬間からマニフェスト全く無視在日韓国人やら在日中国人のために外国人参政権に真っ先に取り組んだ民主党とかね、そういう党に任せるのとどっちがいい?って話。

2013-12-25

南スーダン弾薬提供について調べてみた

http://togetter.com/li/606929

これを読んで、なんでアメリカは5000発しか予備がないのか不思議に思ったので調べてみた。喫緊に危機が迫っている韓国軍の予備弾が少ないのはもともと戦闘を想定していなかったというのは納得なんだが、しかし2000発程度しか予備がないとの情報もあり、なぜ各国で予備弾数がこんなにも違うのかというのはやはりわからなかった。

で、いろいろ調べてみたんだが、まずPKOでは兵站は一元管理しているようだ。

http://www.pko.go.jp/pko_j/liaison/liaison13.html

 私は、2011(平成23)年9月よりハイチ首都ポルトープランスデルタキャンプにある国連ハイチ安定化ミッション(MINUSTAH)軍事部門司令部兵站部において「兵站幕僚」として勤務しています。編成は7名、国籍チリブラジルアメリカヨルダンフィリピンハイチそして日本とバラエティに富んでいますが、これだけ異なる国が揃うと仕事のやり方もそれぞれ異なることは言うまでもありません。兵站部では、具体的にはCOE(派遣国保有装備品)及びUNOE(国連保有装備品)の定期的な現況調査、使用弾薬の管理、国連車両の管理、派遣部隊に対する任務支援(主に輸送任務)、補給品調達及び生活環境の構築・改善等を行っています。2010年10月よりコレラの流行が問題となり、特に生活環境(汚水処理施設やゴミ処理方法)については適時確認、改善させる等、万全の態勢で臨んでいます。私のこの他の任務としては、MINUSTAHと日本隊との連絡幹部的役割を担ったり、本邦とMINUSTAH関連情報のやり取りを実施しています。

これはハイチの例だけれども、多分スーダンでも同じ?

Wikipediaには

その兵站支援の方式としては平和維持軍に参加する一国が担当する一国支援担当方式、相互依存原則に基づき複数の参加国が他国分担方式、地域ごとに担当区域を定めて行う分権方式がある。[13]

とのこと(出典付き)だが、管理方法まではわからない。

と思って調べてたらばっちし兵站部のひとの話があった。

http://www.pko.go.jp/pko_j/liaison/liaison22.html

 兵站幕僚は、UNMISS軍事部門司令部(Force Headquarters(FHQ))兵站部(J4)に配置されています。FHQは司令官(Force Commander(FC))以下約90名(23カ国)から成るUNMISSの中で唯一軍人だけで構成される組織で、兵站所掌するJ4はチーフオーストラリア陸軍中佐)、副チーフオーストラリア海軍少佐)、部員2名(スウェーデン海軍少佐と私)の計4名で構成されています。

 派遣部隊との業務上の関係については、UNMISS派遣された部隊は全てFCの指揮下にありますが、FCが運用権限を有するのは歩兵大隊インド軍、ケニア軍、ルワンダ軍、モンゴル軍、ネパール軍)に対してのみで、支援部隊に区分される派遣施設隊の運用権者はFCではなくミッション支援部長文民)になるため、直接的なつながりはありません。しかしながら同じUNMISSという枠内で活動する自衛官として、日本の現地支援調整所や施設隊とは定期的に情報共有を図っていますし、新規部隊の派遣・展開といった他国部隊の動向に関する情報はFHQに集約されますので、情報収集観点から自衛官をFHQに配置している意義はあると考えます。

というわけで、日本・韓国兵站は独自にやっているもよう。ちなみに兵站はかなり困難な状況のようだ。

http://blog.livedoor.jp/takami_neko_shu0515/archives/67027137.html

さて、それで実際どの程度の武力を持つことができるのかというはなしだが、Wikipediaには

無撃的武力は車両による道路封鎖など、加撃的武力は小火器の使用などが挙げられる。最終的手段としての加撃的武力の行使は自衛戦闘おいてのみ認められている。自衛戦闘とは兵士個人または部隊の一部が危険に陥った場合、対立勢力の一方が平和維持軍を撤退させようとして平和維持部隊の安全危険となる場合、武力で平和維持軍武装解除を行おうとする場合平和維持要員を逮捕・誘拐しようとする場合平和維持軍資産を武力で侵犯した場合がある[12]。

という記述がありかつ、FCの指揮下にいるので、各部隊には予備弾などのルールもあると思われる。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/dragoner/20131224-00030921/

これでみると日本は330人位(二個中隊?)、韓国は273名(一個中隊)、アメリカはよくわからん。予備弾1万発を330人で分けると一人あたり30発(弾倉1個分)。どれくらい予備弾を保持するのが可能なのかと推測すると一人あたり弾倉2個くらい?予備でないの含めると弾倉3個が一人あたりの分配なのかなという感じ(自衛隊首都にいてUNMISSも近くにあるので全部渡しちゃったのか?だとすると弾倉2個が持ち分の可能性もある)。とりあえずアメさんが出してきた量からアメさんの人数を想定するとおそらく150人程度(一個中隊)かな。韓国も同じ割合で保持しているとすると、約2万5千発(うち予備約1万6千発)を保持、今回足りないかもで足した分が1万5千発。だいたい予備が二倍になったくらい、かな。

重武装反乱軍部隊1000名(しか戦車もいる)のに、小火器で弾倉五個(下手したら四個)というのはかなりつらそう。まぁ三個しかないよりはマシだが。

~~~追記~~~

色々見てたら自衛隊の予備弾薬8万発、韓国戦闘員は40~50人という情報も出てきた。

しか工兵中隊文民扱い文民指揮下だから戦闘員40人x弾倉2個(60) = 2400発。だいたい整合性が取れる感じ(追記2万発の間違いくさい。たびたびすみません)。これを非常時ということで工兵にも分配したらそりゃ足りないわ。1.5万発は本当にありがたいだろうね、現場の人的には。そしてそれくらい切羽詰まってるってことでもあるような気も…。しか自衛隊の予備弾薬多いな。一人あたり弾倉8個分か。兵站が困難なことが予想されてたから予め多めにおいといたのか。

アメリカ戦闘員しかいないので、自衛隊と比べてはいけなかったな。多分一個師団くらいできてるよなぁ…

http://www.mod.go.jp/j/approach/kokusai_heiwa/s_sudan_pko/pdf/gaiyou.pdf

一次ソースを読み直してみたら、武器数はちゃんとかいてあった(自衛隊の)。今回の弾薬提供に関係する武器89式小銃と5.56mm機関銃MINIMIなので、計302丁。所持弾薬数8万発の話がほんとだとすると、一丁辺り260発。でもたぶん機関銃が100発ずつ確保するとなると、200発弱ぐらいというところか。弾倉7個程度なので平和維持活動をすると考えるとまぁそんなものなのかなぁ…普通どの程度かがわからない。

なお、10月から自衛隊組織改編して増員(5次要因)している途中で12月末をめどに400人になる予定だったようだ。入れ替えで陸路を通らないといけないということでちょっと多めに予備を持っていたのかもしれませんね。

~~~追記ここまで~~~

しかしこれで反乱軍部隊におそわれて弾薬等を奪われてしまったら危険だなぁ。大丈夫なんだろうか。中立ルールにのっとって大量虐殺を阻止できなかったボスニア・ヘルツェゴヴィナルワンダのようになってほしくはないが、かといってヒャッハーせんそうだぜぇ!を国連が許すとは思えないし、とっととPKFで介入しろというのが結論の気がする。

なお弾が足りないとか公言したらむしろ危ないだろなどというコメント散見されるが、地理的に近い+UNMISSが関与しているので、閣議決定された時点で弾薬の受け渡しが開始され、それが済んでから発表されたのでは?というか閣議決定される前から動きはじめていたのでは?という感じだなぁ。現場のことはわからないけど。海外ニュースではちょろっと日本が初めて他の国に武器をあげたよっていう話題は出ているが、それほど大きく取り上げられてはいないので、あちらさんには弾が足りないとかい情報殆ど伝わってないだろうし。そもそもガラパゴス日本語韓国語の応酬だからなw

余談だが、弾薬提供は逆に戦闘力があると見做されて攻撃を受ける可能性を作る事になりかねない、ってのを見かけてちょっと笑った。いやいやいや…たしかにPKOで武器をできるだけ持たないのは現地民からの反感をかわないためだが、避難民が狙われている状況ではむしろきちんとした装備を持っていることをアピールしないとまずいですよね。

南スーダン関係のまとめ

なんか申し訳ない感じなので一応まとめておきます。間違ってたら指摘してください。

南スーダン共和国概要外務省ホームページ

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/s_sudan/data.html

もとは1956年独立したスーダン共和国の一部。二回の内戦と一回の紛争の後、2011年南スーダン共和国として独立した。

4世紀頃からキリスト教徒が多い国だったが、その後エジプトの支配が強まり、北のほうからイスラム化、途中エジプト英国領になった影響でそのまま英国領になった。で、19世紀の後半にイスラム教徒が蜂起して乱を起こし、国家を設立。この時に噛んだのが多分フランスで、その後はフランスイギリス代理戦争の場となる。

一応その騒ぎは収まって結局イギリス保護下になったんだが、北側は独立意思が強く、南北で分断して統治をすることになった。これが今も南北で仲が悪い遠因らしい。北は独立するために自治政府をつくり、第一次内戦をへて56年に独立、以後イスラム系が強い国になる。

が、石油南部発見されてしまったため、北部の人たちが無理やり地域区分を変えて利権獲得に奔走したり、イスラム原理主義に走ったので、これに南側の非イスラム系が反発してまたもや内戦勃発。この後はウガンダとかエチオピアとかマリあたりもごたごたしてぐっちゃぐちゃしてるのでようわからんが、とりあえず最終的には2003年イスラム系と非イスラム系の間で紛争がおこり、暫定政府を作ってようやく集結……かとおもいきやナンバー2が事故死してカオスになったりしつつも、2011年にようやく南スーダン独立することに住民投票で決定した。

ほとんどはイスラム系と非イスラム系の戦いではあるが、一部部族間抗争だったり、二回目の紛争の遠因になった油田をどっちの国にいれるかでもめてたりなどするので、単純な宗教対立ではない。南側は地下資源豊富だというのもキーポイントのようだ。どこの国でも同じですね。

で、このスーダン南スーダンは近年落ち着いてるかって言うと、全然そんなことはなくて、未だに国境ラインでもめている。

南スーダンへの自衛隊派遣

スーダン内戦と紛争で荒廃しきっているので、とりあえずインフラ敷設とかやろうというわけでPKO派遣が決まった。決まったと言っても未だごたついている地域なのでそれでいいのか、なんだがまぁやっちまったもんはしょうがない。日本がスーダンへの派遣をきめたのは2008年福田首相の時、実際に派遣が始まったのは2011年7月からなので菅首相とき現場はあんまり乗り気でないムード要出典)だったみたい。

http://blog.livedoor.jp/takami_neko_shu0515/archives/67027137.html

 南スーダンPKOへの自衛隊派遣における最大の障害は、兵站上の困難さである自衛隊の要員や物資は、ケニアのモンバサ港から陸揚げされるが、自衛隊が活動拠点とすることを予定しているジュバは、そこから1900キロの、いわば陸の孤島である陸上輸送ではジュバまで1カ月以上かかり、空輸であれば、大型輸送機ジュバの空港に着陸できないため、隣のウガンダで中型機に積み替える必要があるという。そして、自衛隊南スーダンにおける活動は少なくとも5年は継続される。このような長距離輸送は、今までに経験したことがないと、自衛隊幹部は指摘している。政府は、ジュバ周辺の安全性ばかり議論しているが、真の困難は兵站にある。(図参照) ジュバ周辺の治安不安があるという理由で武器使用基準を見直すなどというのは、後付けかつ極めて的外れである

 政治が、自衛隊派遣政治的目的を明示し、それにかかる軍事的コスト自衛隊ときちんと擦り合わせるというプロセスが、全く十分であったように見えない点が大問題である。本来、それこそがシビリアン・コントロール重要機能である

このように兵站が大変ということは最初から自衛隊幹部は指摘していた。実際現地からの声にあるとおり、雨季は道がつかえずかなり苦労している模様。竣工式などは和やかにおこなわれているみたいなので、ここ数日で急激に情勢が変化したんだろうなぁ。

今回の件の経緯

韓国軍がいたのはボルという街で、ネパール軍とインド軍がその警護にあたっていた。インド軍は医療部隊も持っていたけど、韓国軍工兵中隊なのでPKOでは文民

日本がいるのは首都ジュバで、ルワンダの部隊に警護をしてもらっている。ボルからは真南に15km150km(桁間違えましたすみません高速道路でいけるらしいです)だそうだ。日本がやってるのは道路の整備とかコンテナ住居の設置とか。

で、今月15日に反政府軍クーデター企図、一応未遂にはなってるみたいだが、火花が散れば燃える国なので戦闘が継続している。なんでか特定民族殺戮も行われていると言う話だが、これはどこまでほんとかは微妙

http://www.afpbb.com/articles/-/3005548/12849717

戦闘は、サルバ・キール(Salva Kiir)大統領を支持する政府軍の部隊と、7月に解任されたリヤク・マシャール(Riek Machar)前副大統領を支持する部隊との間で行われている。

キール大統領は、マシャール前副大統領クーデター企図したと発表したが、一方の同前副大統領は、同国部隊同士の対立を利用してキール大統領が粛清を行ったと主張している。

大量殺人から逃げ出したとする証言者2人は、自分たちがマシャール前副大統領と同じヌエル民族であるために狙われたと話している。一方の殺害行為を行っている兵士らはキール大統領と同じ多数派民族のディンカ人だという。

ボルのそばでもこの戦闘が行われており、インド兵が死亡するほどだった。しかも睨み合っていた政府軍がとつぜん反政府軍寝返りヌエル族の殲滅にうごいているようだ。それでインドネパールはやや退却したんだけど、施設に避難民がきている韓国軍は撤退するにできずとどまっている。難民の数は1万~8万との情報があり、ここに反政府軍雪崩れ込むと大変に危険。今朝の時点ではまだ接触はない、みたいな感じだったが、夕方には迫撃砲基地のそばに着弾したとのことでなんとなく時間の問題な感じがする。

ちなみに反政府軍が狙っているのは避難民なので、韓国軍はがんばればたぶん撤退できないことはない。撤退したらスレブレニツァコースだが。

で、工兵隊の韓国軍は弾数足りない!誰か送って!となったわけですね。

本来ならインドネパールが蹴散らしてくれるはずだったので、装備にそれほど気合入れてなかったのかな。どの程度の武器を所持しているのか調べきれていないのだが、相当の備えをしていても厳しい局面であるとは思う。というかよく避難民残して退却するという選択肢をえらばなかったなというくらいの状況だ。武力行使が起こる前に補給が間に合うか、PKFで介入するほかないのではないかと思われる。

現地の状況(英語多し):http://matome.naver.jp/odai/2138774124472690501

なんかー…

TBとかTBのTBとか一部ブコメとか、なんで韓国と日本のことばっかり言ってるのかわからない。今現在起ころうとしてる民族浄化がどうにかできないかって思わないのかなぁ。なぞだ…

何ごともなく自体が収束すれば、それでよいじゃないですか。なにごとかがもし起こってしまったとしても、それは当事者国の問題でしょう。犠牲者が出たことを悼みはするけど、こちらはせっせと働いて人道的支援のための金を捻出するくらいしかできることはないし、それだけでいいんだと思う。現場の人には無事でいて欲しいし、全部終わったあとに第三国人間がなにをいおうとどうでもいいよ。

2013-09-23

なぜフランス革命は分かりにくいのか

フランス革命は、平民(第三身分)が旧体制を打破した革命である

のように説明されることがあります。この説明は間違っているわけではありませんが、「平民」という均質な集団一丸となって何かをしたかのような誤解を与える点で、フランス革命の内容を分かりにくくもしています

平民(第三身分)は、農民都市の下層住民を総称した民衆と、民衆よりも裕福な中間層であるブルジョワからなります(職人を雇わず家族だけで仕事をしている親方や店主ぐらいが下層のブルジョワ民衆との境界層です)。しかブルジョワ民衆意識の上でも利害的にもあまり仲がよくありません。

ブルジョワ民衆は協力関係にあるよりもむしろ敵対しており、それぞれ自律的に行動していたととらえる方が、フランス革命の動向が分かりやすくなります

実際にフランス革命の流れを追ってみます

革命が始まるまで

普通フランス革命の期間は、バスティーユが襲撃される1789年7月からロベスピエールが処刑され恐怖政治が終わる1794年7月までの5年間、またはナポレオン総裁政府軍事クーデターで倒す1799年11月までの10年間とされます

しかしその当時フランス社会構造がどのようなものフランス革命が始まるまでどのような進展があったを知っていた方が、フランス革命の推移もわかりやすくなります

わかりやすくなるのですが、ここではバッサリはぶきますブルジョワ民衆がそれぞれ自律的な勢力であるという複合革命論の考え方を前提にして書かれた

などを読んでみてください。

またもっと伝統的な、革命の精神を称揚するタイプの解説として

があります。こちらのタイプの説明の方が分かりやすいという人もいるでしょう。

革命の始まり(1789年 5月~10月)

(ヴェルサイユで開かれた全国三部会は、第三身分強硬姿勢により憲法制定の議会に変身し、バスティーユ襲撃後の国内混乱を利用し封建的特権の廃止に至ります)

1789年5月5日ヴェルサイユ(パリから約25キロ)で始まった全国三部会は、採決形式でもめ審議に入らないまま紛糾します。第三身分強硬姿勢を崩さず、特権身分の中にも第三身分への同調者が出たこともあり、7月9日に憲法制定国民会議として再出発します。

しか7月11日に第三身分に融和的な財務長官ネッケルが罷免され、これがパリが伝わるとパリ市民は王の軍事行動が近いと恐れ、自衛のための食料調達武器調達に動き、焼き討ちや略奪が発生します。富裕市民政府軍隊への対抗と秩序維持のため常設委員会を設置し民兵組織します。

7月14日にはバスティーユの要塞に武器の引き渡しを求めて民衆殺到し、バスティーユ内で交渉が続くさなか襲撃が始まりバスティーユは陥落します。市庁舎まで連行された司令官ドローネーは群集に引き込まれて殺され、市長フレッセルも射殺されます

新たに組織されたパリ市当局ブルジョワ民兵(国民衛兵)を国王政府は追認せざるをえず、他のほとんどの都市でもブルジョワが市政の実権を握ることになります

一方バスティーユ占拠の報を受けた農村では、貴族が浮浪者を雇って報復をおこなうという噂が広がり、その恐怖から各地で領主の館の襲撃が行われ、「大恐怖」と呼ばれるパニック状態になります

自由主義貴族だけでなくブルジョワ議員の多くも地主であるため民衆の騒乱は早急に鎮める必要がありますが、正規の軍隊に頼ることは王や保守貴族の立場を強めることになるのでできません。そうしたなか8月4日の決議が行われます

8月4日閉会後の夜に抜き打ち的に再開された議会で、自由派貴族によって領主特権の廃止が提案され、熱狂的興奮のなか課税特権の廃止など諸特権の廃止が次々と宣言されます。大恐怖の圧力を利用して封建的特権の廃止に成功し、農民の騒乱も沈静化していきます

これで憲法の議論が進むようになり、8月26日には人権宣言が採択されます

しかし王は特権廃止の法令人権宣言批准せず、9月末には治安維持名目ヴェルサイユ軍隊を集結させます

10月5日食糧危機を訴えるパリ民衆ヴェルサイユに行進し国民衛兵がそれに続き、民衆は窮状を訴え国民衛兵は王に圧力を加えます。王は法令人権宣言批准、翌日には王一家はパリのテュイルリ宮に移されます。続いて議会パリに移り、ここから憲法と法令の議論が本格化していきます。一方で亡命する貴族が増えていき、国内政治分裂も本格化していきます

91年憲法の制定まで(89年末~91年9月) (革命勃発後1年目、2年目)

(91年半ばまではフランス革命期としては平穏な時期ですが、この時期に国内の対立が進んでいきます。また国王の逃亡未遂が発覚するヴァレンヌ逃亡事件(91年6月)によって王の威信が失墜し戦争を望む声が高まります)

議会パリに移り、諸特権廃止の内容や具体的な法律が決められていきます。ヴァレンヌ事件が起こるまで比較平穏とされる時期ですが、国内にさまざまな対立が生じていきます

1789年後半から91年にかけて、議会外に政治組織が形成されていき対立の構図ができていきます

また各地で反領主騒乱が発生していますが、そうした騒乱は徐々に革命反革命かという政治的な枠組みで解釈されていくようになります

さらに聖職者民事基本法をめぐって宣誓拒否問題が起こりますカトリック聖職者の多くは革命には好意的でしたが、叙任式における宣誓義務に対して大多数が拒否をします。議会からの警告が出されますが、地方によって大きくバラツキがあるものフランス全体で約半数の司祭が拒否します。教皇ピウス6世が民事基本法を否認したこともあってカトリックは内部分裂する事態になります。宣誓拒否司祭とそのもとにあるカトリック民衆は「反革命」に押しやられ、のちのヴァンデの反乱(ヴァンデ戦争 1793年3月~)の原因の一つになります

91年6月に国王一家がパリから逃亡し途中で発見されるというヴァレンヌ逃亡事件が起こります

これを受けて、外国支援された亡命貴族が攻めてくる、外国侵略が始まるという考えが広がり、国王救出を目的とした外国人が侵入してくるという予想から国民衛兵による警戒体制しかます

7月には主要な政治組織であるジャコバンクラブが、王の廃位共和制要求する請願書をめぐって分裂し、多数派の穏健グループはフイヤン・クラブとして分離します。

8月にオーストリアプロイセンが、フランス国王のために武力介入もありえるとするピルニッツ宣言を出したため、亡命貴族陰謀説にさらに拍車がかかり、外国との戦争を望む声が高まっていきます

そうしたなか9月3日立憲君主制にもとづく1791年憲法が制定され、9月30日に憲法制定国民議会は解散します。

開戦、王権停止(1791年10月~1792年8月) (革命勃発後3年目)

(インフレ物価上昇により食料問題が悪化し民衆の不満は増大していきます国内の多数が開戦を支持するなかオーストリア宣戦布告し(92年4月)、続いてプロイセンとも戦争状態になりますが、フランス軍の劣勢となります軍事的危機と国王への不満が積み重なり、パリに集結していた連盟兵やパリ民衆恐慌的な敵意が王に向けられ、王の廃位要求され、8月10日テュイルリ宮が武力制圧されます(8月10日事件)。これを受けて議会王権の停止を宣言し、新たな憲法制定のための国民公会召集を決議します)

憲法制定議会が解散した翌日91年10月1日に、9月までの選挙で選ばれた議員達による立法議会が開会します。再選が禁止されたため全て新人議員で、貴族がほとんど選挙に立たなかったため議員ほとんどは裕福なブルジョワです。立憲君主制を守りたい穏健派フイヤン派議会の最大勢力、共和制を主張するジロンド派(ジャコバンクラブのこの頃の多数派)がそれに続きます

なお同業組合や団結を禁止したル・シャプリエ法(91年6月)に抵触する恐れがあるため、政党存在しません。そのため、どの派でもない、審議内容ごとに立場を変える中間派(平原派)が、この時期に限らず常に議員の多数を占めます。そのため派閥議員数だけでなく、中間派の動向(またその動きに影響を与える議会外の動向)が重要になります

また議会内の各派の勢力数自体も確定したものではなく常に流動的で、各勢力をどう呼ぶかにかんしても文章によって違うことがあります

議会の中心的課題は、周辺諸国からの脅威にどう対処するかです。(それと穀物価格の上昇に対する価格統制の要求に対して、革命後の基本原則である自由主義あくまで守るのか、民衆要求を受け入れるのかも問題になっていきます)

これに対してジロンド派は、国内の不満をそらして(インフレにより物価が上昇し各地で食料暴動が発生していた)政治イニシアティブを獲得するために「自由の十字軍」などの言葉対外戦争あおります民衆の多くも「外国と共謀する亡命貴族」への脅威と愛国感情の高揚から戦争を望んでいました。

92年3月、フイヤン派大臣が王によって解任されジロンド派内閣が成立し、4月にオーストリア宣戦布告、数週間後にはプロイセンとも戦争に入ります(戦争ナポレオンが二度目の失脚をする1815年まで中断もありつつ続くことになります)。

しかし緒戦から敗戦が続き、「反革命」者へのより強力な措置を求める声や宮廷への不信から共和制を求める声が高まっていきます。またセクション(区)の政治活動を通じて民衆政治的組織化されていきます

そうした流れが最終的に民衆と連盟兵による8月10日のテュイルリ宮の襲撃に行き着くのですが、この事件偶発的に起こったバスティーユ襲撃とは異なり王の廃位を求めての組織された行動だったにもかかわらず、そこに至る決定的な原因があるわけではないので要約しづらく、フランス革命の大きな転換点の一つのわりに説明しにくい事件です。

ここでは事件の結果だけ述べると、立法議会は蜂起側の勝利がはっきりした後、王権の停止を宣言し、新たな憲法を制定するための国民公会召集を決議します。これでフランス共和制に向かうことが確定します。また国王一家はタンプル塔に幽閉されることになります

王の処刑、戦争の拡大、ジロンド派の没落(1792年8月~1793年6月) (革命勃発後4年目)

(戦争フランス軍の劣勢から優勢に変わり周辺領土占領します。93年1月には国民公会裁判結果により国王が処刑されます。周辺領土占領国王の処刑を原因として周辺諸国の多くと戦争突入し、さらに国内ではヴァンデ地方を中心に大規模な反乱が起こります議会ではジロンド派山岳派の対立が深まっていき、国内外の諸問題への対応のまずさからジロンド派民衆の支持を失い、93年6月ジロンド派逮捕議会から追放されます)

8月10日王権が停止しますがフランス軍が劣勢の状況にあることは変わりません。義勇兵がつどわれ前線への準備がなされる一方、反革命裏切り者排除する空気が広がり、家宅捜索がなされ多くの反革命容疑者逮捕されます。さらにパリへの侵攻の脅威が高まり義勇兵が出発したあと反革命者がパリ住民を虐殺するという噂も流れ出します。

そうした不穏な情勢のなかヴェルダン要塞陥落のニュースパリに届きます。これをきっかけとして、囚人の多くが殺されるいわゆる九月虐殺が発生します。

この事件の結果、内の脅威が消えたと民衆が大挙して義勇兵に参加し兵数万を増やすことになります

一方、この事件国外からの印象を非常に悪いものします。宥和政策を取っていた隣国スペイン首相宥和政策撤回せざるをえなくなり、またフランス革命開始時には革命好意的だった知識人たちも国王一家の幽閉と九月虐殺で決定的に革命嫌悪に転じます

戦況にも変化が生じますフランス軍はヴァルミーの戦いで勝利し、戦況が優勢に転じていきます。なお多くの本でこの勝利はフランス兵の志気の高さによるものと説明されていますが、志気が影響するような戦いではなく兵と砲台の数の差によるものといった指摘もあります(たとえば『近代ヨーロッパ情熱と苦悩』)。

そのヴァルミーの戦いと同日、国民公会が開会します。

普通選挙でしたが投票率は悪く、ほぼブルジョワ議員で占められていますフイヤン派出馬していないので議会におらず、共和制穏健派ジロンド派共和制急進派の山岳派、それに中間派という構図です。(ジロンド派ジャコバンクラブを脱退していくので、山岳派=ジャコバン派とも呼ばれます)

ジロンド派経済的政治的自由主義を維持し議会主導で政治をおこなうという近代的な原則あくまで重視し、山岳派革命の推進と防衛のためには民衆要求も受け入れ民衆運動の利用もありと考える現実路線です。

……とまだまだフランス革命の時期は続いていくわけですが、予想外に長くなったので中途はんぱなところですがここまでとします。

93年1月に国王が処刑され、6月ジロンド派の追放で山岳派一党独裁(ただし基盤の脆弱独裁)になり、恐怖政治の時代が翌94年7月まで続き、ここで一区切りとなります

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん