はてなキーワード: 観光地とは
車、家の近所の近距離で週1回ほど乗っているが、点検してもらったら「バッテリが弱ってますねぇ、もっと乗らないとダメです」と怒られてしまった。
ドライブというものは嫌いだったけども、日常生活の大切な道具としての車を健全に維持するためには、月イチとかでも良いから、もっと長距離を走らないとダメらしい。
増田はドライブの良い感じの目的地なんて全く知らないので、以下の要件の大半を満たすような場所があったら教えて欲しい。
あーこの人マッチングアプリで食い散らかしてるんだなってイケメン2人とやった事あるけど、
なんかテクニックは見せつけるけど肝心の思いやりがすっぽり抜けててどっちも全然上手くなかった
多分まともなリピーターが全然いないから、フィードバックが無いんだよね
おしゃれでインスタ映えする料理出すけど味が全然美味しくない観光地のカフェみたい
イケメンに熱心に口説かれちゃった♡でセックス下手でも気にならない恋愛弱者女子しかあの夜の感じは耐えられないと思う
まぁ増田さんはセックスにたどり着くまでの過程と初回が好きみたいだから別にいいんだけどさ
まともで綺麗な女とありのままの自分と付き合いたかったらインスタントなセックスは一旦やめた方が良いかもですな
前間違いで冴えない既婚者とそう言う感じになってしまった時、めちゃくちゃセックスが良くてたまげてしまったことがある
長年信頼できる人とフィードバックを積み重ねた人は本当に優しいセックスしますよね
まあやっちゃダメなことなんで既婚者と分かった後すぐ連絡断ちましたが
女は受け身なことが多いしまだ夜はグイグイ行くと引かれることが多いから一回目でそんなセックス上手い下手がバレないのはラッキーですよね
観光地でデートをした際、串や容器などゴミの出る食べ物を食べた後の男性の取るべき行動を考えた時、女心の難しさを痛感した。
ゴミ箱があれば問題ないけど、人のごった返す観光地だとゴミ箱設置してないところも多い。男性の対応別に見ると、
・店員さんなどに捨てる場所があるか聞くor頼んで捨ててもらう→蛙化レベル☆☆★★★
・店員さんに捨てる場所があるか聞いて「ない」と言われるor頼んだ結果「持ち帰り」と言われ断られる→蛙化レベル☆☆☆★★
・たまたま持っていたビニール袋などに入れて持ち歩く→蛙化レベル☆☆☆☆★
・ゴミ袋を持参しておりそこに入れて持ち歩く→蛙化レベル☆☆☆☆☆
・ゴミを女性に預ける→論外(その場でデート終了して帰宅する)
ここで注意なのが女性にとって「社会的に正しいこと」が正解ではないし「社会的に間違っている意こと」が不正解ではないということ。これはゴミ問題だけでなくあらゆる場面で同様のことが言える。
店員さんにタメ口とかヤンチャ自慢、ガチの犯罪みたいなのは絶対嫌なんだけど、ゴミを丁寧に持ち歩かれるよりはサラッと人目につかないところに捨てて「じゃあ行こっか」みたいに爽やかに言ってくれる感じの方が良い。わざわざゴミ袋とか持ってるとむしろ引く。
ただ、人目につかないところに捨てた時にたまたまそれを見られてて「ポイ捨てしないでください」みたいに言われた場合、相手が怖そうな男性や警察官だったりして謝りながら捨てたゴミを拾う場面を見たらもう無理。
もし日本が首都を東京から高知に遷都する場合、様々な影響が生じるでしょう。以下に、その可能性があるいくつかの要素を挙げてみましょう。
経済の影響:
首都が高知に移ることで、東京の経済的な中心地が変わります。東京周辺地域の発展が鈍化する可能性があり、一方で高知周辺地域が発展する可能性があります。ただし、首都機能の移転による地域経済の変動は複雑で、様々な要因が影響を与えるでしょう。
インフラの整備:
高知が新たな首都になる場合、交通機関やインフラの整備が必要となります。新しい首都にふさわしい設備や施設を整備するための大規模な投資が行われることが考えられます。
政治的な変化:
首都の移転に伴い、政治の中心も変わる可能性があります。政府関連の機関や企業が首都に近い場所に本拠地を構えることが一般的で、これが変わることで政治的な環境が変化するでしょう。
東京は観光地としても知られており、首都の移転によって文化や観光の焦点も変わるでしょう。新しい首都が持つ歴史や文化が注目を集め、その地域の観光が活性化する可能性があります。
住民の移動:
首都の移転によって、関連する産業やサービスに従事する人々が首都に近い場所に移動することが予想されます。逆に、東京から高知に住む人々が仕事や生活のために移動することも考えられます。
ただし、これらはあくまで予測であり、実際の影響は多くの要因によって左右されるでしょう。首都の移転は国家の基盤に深い影響を与え、慎重に計画される必要があります。
秩父に縁もゆかりもないのだが、今年の夏、仕事がやたら忙しく、週末になんとなくラビューにのって秩父にいったら、すっかり魅了されて5回も行ってしまった。
秩父のなにがいいかって、都内からちょうどいい距離感で抜けるような空と山と渓流があるところで、駅からちょっと離れたところにある道の駅に入るとポテくまくんの上りが上がっているすぐそばでみそポテトが売っていて、御花畑駅前の駅そばのはなゆうのそばのダシが美味く、長瀞にいくと最高な感じのロープウェイに乗れて、降りると山の中腹の意外と規模の大きい動物園で猿が大騒ぎをしており、秋になると紅葉が美しく、宝登山神社の参道の道の脇に野菜やお風呂に入れる用の柚子が無人販売されてたりして、自然を胸いっぱい摂取した後は西武秩父駅前の祭り湯で都内に帰る最終のラビューが出る21時ギリギリまで風呂に入れて色々最高なのである。
参拝すると人生が変わるとまで噂の三峯神社は最近やたら人気で、秩父市内からは結構遠い上に、山の上の駐車場に参拝者の車が入りきらずに2時間の駐車場渋滞が発生したりするのでちょっと注意だ。
秩父はこういった観光資源と生活の場があんまり明確に分かれてなく、観光地にありがちな緊張感があんまりないのがいい。
神社もロープウェイも温泉も、そこにいくまでの特急も、実のところ箱根にあるし、よりちゃんと観光地然としてるのはなんだったら箱根で、秩父はちょっとユルいのだが、そのユルさがいいのだ。
箱根は海外でも有名で、最近は外国人観光客でいっぱいなんだが、そこいくと秩父は欧米の外国人にはあまり知名度がないらしく、たまに台湾や韓国から見た人を見かけるくらいで呑気なものだ。
秩父は生活の場というのもあって、土地に「秩父LOVE」的な空気が流れており、それも心地いい。
秩父夜祭を見てきて興奮冷めやらなかったので秩父について書いた。
朝おきて夜祭と昨夜秩父土産で買ってお風呂に入れてゆず湯にした路上販売のゆずの香りを思い出しながら、ささっと書いたエントリーがバズっててびっくりした。
嬉しい。
書くきっかけの夜祭についてちょっと書くと、ブコメで紹介した人の言うとおり、秩父夜祭は日本三大曳山まつりの一つで、昼に出発した山車が町内を周り、夜の帷が降りた後も、冬の花火が上がる空の下で男衆や女性の引手がボンボリの赤い光で照らされた山車を引き廻す。
2日の宵祭に行った時には秩父神社で神楽が奉納されていて、演目は日本神話で最も有名なエピソードの一つである天の岩扉開きでなんかラッキーだった。
演目のクライマックスのアメノウズメの踊りは神話に忠実にやると結構凄い事になってしまうんで、そこは榊をもってバタバタするコミカルな表現になっていたりした。
で、山車の方なんだけど、夜になると照らされるボンボリの光源はLEDとかでは無く、トラディショナルな蝋燭で、そういうモノとはいえすげーなと思った。
圧倒されたのが山車の方向転換で、秩父夜祭の山車には車輪に方向転換できるような舵がない。
なので、ゆるいカーブは大回りに曲がるけど、90度の方向転換が大仕事になってくる。
これをどうするのかというと、山車の側面に備え付けてある角材を抜いて、山車の底面にかまして、そこに20人ほどの男衆がぶら下がってテコの原理で持ち上げて、下部に方向転換用の軸を入れて水平に回すという「ギリ廻し」で山車を回す。
これが見もので、2階建ての家屋ほどある木造の山車に角材突っ込んで上げるもんだから、乗っかった男たちが掛け声を上げる中、「ギギギ」とちょっと心配なるようなすごい軋み音を上げて山車が持ち上がるのだ。
この「ギリ廻し」は動画でも見られるし、実物を見たい人は来年12月に秩父に行ってみてほしい。
読んでくれてありがと!
JR名古屋駅のことだけど、いつ見ても有人窓口にサラリーマン風のスーツ男が10人くらい並んでるよね。
自動券売機に不慣れな老人や子供だったら有人窓口に並ぶのはわかるよ。
でもなんでサラリーマン風の男が並んでるの?
ICカード持ってなくて普段電車使わなくても、自動券売機の使い方くらいわかるでしょ。
東京や大阪へ行くにしても、新幹線の自動券売機がずらっと置いてあるからそこで買えばいいのに。
俺は名古屋⇔豊橋を往復したかったから、豊橋往復切符を買おうとしたよ。
https://railway.jr-central.co.jp/tickets/toyohashi-round/index.html
上記WEBページの販売箇所に「きっぷうりば」またはJR東海ツアーズの窓口と書いてあったから、とりあえずJR東海ツアーズの窓口に並ぼうとしたらそこでも10人近く並んでいたよ。
行列に並びたくなかったから自動券売機で豊橋往復切符を買ったよ。
自動券売機で探しても分からなかったら行列に並ぼうと考えてたけど杞憂だったよ。
それとも、探したけどわからなかったから有人窓口にならんでるの?
それとも、俺が知らないだけで、名鉄とか近鉄とか他の私鉄と乗継ぐ切符とかも取り扱ってるの?
はたまた、ホテルの予約とか観光地の案内とか、コンシェルジュサービスも有人窓口で扱ってるの?
わからない。
工場労働者の俺なんかより遥かに稼いでいて、学歴もあって知識も深くて計算能力も高いはずなのに。
俺なんかよりも遥かに時間単価が高いはずなのに、時間の使い方に無頓着なのはなんで?
ちなみに俺は豊橋駅からJR飯田線に乗り換えて某駅に行って、紅葉狩りと低山登山を楽しんだよ。
豊橋駅での有人窓口はどうだったかというと、豊橋から行くときは急いでいたから見ていない。
豊橋駅に帰ってからは、電車待ちで暇だったから改札近くで有人窓口を見てたけど、そこでもスーツ男が行列を形成していたよ。
スーツ男が行列を形成するのは名古屋駅限定じゃなかったんだね。
名古屋以上に鉄道網が発達している東京や大阪では、仕事のできるサラリーマンは有人窓口なんか使わずに、ICカードやスマホを駆使してスマートに改札を乗りこなしていることだろうけど、まさかね?
ちなみに、名古屋⇔豊橋の往復だけど、JRよりも名鉄の方が安いことがこの文章を書く際にいろいろ調べてる時にわかったよ。
なごや特割2平日・なごや特割2土休日|でんしゃ旅・おトクなきっぷ|名古屋鉄道
https://www.meitetsu.co.jp/plan/discount/1268869_8040.html
名古屋からJR飯田線の駅に行くから、経由する豊橋駅までもJRを使うのが当然だと思い込んでいたよ。
名古屋からJR飯田線の某駅への切符を直接買うよりも、JR東海の豊橋往復切符を買った方がお得だと気づいたのは良かったんだけどね。
もう少し調査を広げて、名鉄のWEBページでもお得な切符を調べてみればよかったよ。
でも、こんなことはJRの有人窓口で教えてくれるはずはないよね。
「それなら名鉄の方がお得ですよ」って答えてくれるのかな?
そんなわけないよね。
それにしても、わからない。
私はアニメの舞台になった場所に行く、いわゆる聖地巡礼が好きなのだが
↓
そもそも観光地ではないもの ←私(かってにアニメの〇〇だなと思う消費行動)
↓
一般人
オタクというのはそういうモノだと思ってたんだが
オタクが一般化してからは自治体がオタクにたいして矢印を向け始め
↓
↓
みたいなパターンが増えた
丁寧だろうが誠意があろうが
こっち向いてる感じが好きになれないのだが
私みたいなオタクの声は届かないのか
どうにかならないのか
[追記]
最初ゆでガエル現象と書いてしまっていたが、これは全く意味が違うモノだった
[google検索]
ゆでガエル現象とは、緩やかな環境変化に気づかず、対応が遅れて手遅れになってしまう現象です。
正しくは蛙化現象というらしい
[google検索]
蛙化現象とは、好意を持つ相手が自分に対して好意を持っていると分かると、それがきっかけとなってその相手に嫌悪感を抱いてしまう現象のことです。
臨床心理学者の藤澤氏が2004年に名付けた心理学の用語です。
茹でてごめんね
私マウスの旅してるって話ししたっけ?
エルゴノミックのやつでマイクロソフトのおっぱいみたいな丸いマウスが廃番になってそれから困ってマウスの旅に出掛けたまんまのー
おかえり!そしてただいま!を言っていなかったような気がするのよ。
ちなみにおはようからおやすみまでは、
そんでその
私のマウスの旅は終わったわ。
とうの昔にね。
高いけど、
その安い版のジェネリック他社のマウスエルゴノミックのやつ3000円弱のを好んで使っていて安っー!っつって喜んでいたんだけど、
弾かれて回した方向と逆にスクロールしたり上下にぷるぷると交互にスクロールし始めたりと、
部品の耐久性の弱さの証明を3台ぐらいこの3000円のマウスを買ってみて、
その都度その都度買い直しまくりまくりすてぃーだとなんだかアホらしいことに気付いちゃった山脈に向かってヤッホー!って叫んだんだけど。
それなら大奮発して
清水の舞台から飛び降りて実際に死んだ人はいないって伝説の境内にあるあの重い2トンあるでお馴染みのゼットソードを持ち上げに行こうと京都寄った際に行ったけど、
もうさー!
そんでもう大奮発して清水の寺からデラックスに飛び降りて美味しいランチでも食べようと近所を散策してみようと思ったけど、
やっぱり京都市の中のメジャーな観光地は人がパンパンであんまりオススメ出来ないわ!
でも一瞬だけ一瞬だけ
あのまんが日本昔話の絵に出てくるようなオープニングの龍が書いてある私もそれ再放送でしか見たことないんだけど、
そのお寺のその絵の書いた下に行くことが1回だけ出来て、
まるで龍がガオー!って鳴くような反響の音がして、
それができたので、
本当にガオー!って鳴ったから凄かったわよ!
そんで何の話しだっけ?
マウスの話しのただいまお帰りの話しで、
おはようからおやすみまでを見つめるのはライオンで、
私はちょっと大奮発して清水のお寺からデラックスに飛び降りたけれど未だかつてそこで舞台から飛び降りたとて
死んだ人はいないって伝説を叶えるための手に持ちやすいマウスを探していたって、
えいや!って大奮発して買ったの。
結構もう使い込んでいるけれど、
なるー!
ちなみになるー!って言うのはなるほどー!のことで、
今だけにしか言えないなるー!なのよ。
そんで、
そう言ったようなことの言い得て妙なことわざが無いところがもどかしいわ。
結局これはなんのお話だったの?って思うほど
私は高いマウスをえいや!って清水の舞台のデラックスなところから飛び降りた気持ちで大奮発して買ってみて正解だったわ!
そう思うと、
いっそのこと
えいや!って飛び降りるコンテンツをショーとしてそこから清水の舞台から鳥人間コンテストすればよくない?って安直に思っちゃうんだけど、
どうかしら?
何個か買い集めたので、
あとちょっとは持ちこたえることができるけれど、
キーボードはマウスほど激しく消耗しないことに激しく同意って言う意味の禿同!と言いたいところなので、
もしかしたら一生分賄えているのかも知れない鴨鹿!
そんな鰯気な気持ちにはなっていられないのよね。
チリには今まで3回ぐらいは行きたいなーって思ったぐらいなほどよ。
うふふ。
ランダムで決まると行っても鮭と鯖の2種類から選ばれるそれはランダムと言ってもいいのか分からないぐらいな
思わず内田裕也さんばりに鮭な!ベイビー!って朝から美味しくいただいた次第よ。
グレープフルーツを1玉買ってきて、
輪切りにしてボトルに入れて一晩置くまでもなく、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
なんか海外では紅葉が珍しく、かつ赤や黄色などいろんな色の紅葉はさらに珍しいみたいだ
こんな山奥までご苦労様
道もよく聞かれるので案内してる
活気があっていいね
何とかするためにまずは状況を整理した方が良さそうと思いつつも、良さげな出力先がないのでここに書く。
小さい頃から家庭事情が複雑だったこともあって、希死念慮はずっとあるけど、やりたいことを見つけて散らしてきた。
最近は何をしても気持ちが晴れないし、楽しいと感じられることもなくなってきた。いわゆる鬱っぽい感じ。
何が悪いんだろうか。
【自分の状況】
今までは疲れるまで体を動かせば大体のことはどうでも良く感じて乗り越えられたけど、最近はそうならないのがまずいと感じている。
食べたい物を毎日食べているけど、美味しいとは感じても幸福感はない。ギターを練習して上手くなっているのは感じるけど達成感的な喜びがない。
アニメ・マンガ・小説で笑ったり、泣いたりもするけど、すごい刹那的な感情の動き方しかしない。
ゲームの三国志シリーズで7割ぐらい支配するともう惰性でクリアできるのが見えてしまって萎えるみたいな状態が続いているような感じがする。
いきなり働けなくなっても困らないし、特に頑張るべき理由がないのが良くないような気もしている。
人と話す機会が増えれば改善しそうな気もするけど、離婚したばかりということもあって、恋愛的なものは気が乗らない。
ペットは旅行に頻繁に行っている状況では飼いづらい。しかも独り身になったからなおさら。
学生時代の友人とは生活スタイルが違いすぎて気軽に話せるような感じにはなれない気がしている。
何らかのサークルに入るとかミートアップに参加するみたいなのも考えたけど、
知らない人と会ったときに自分のことを話して、相手のことを聞いて仲良くなっていくみたいな過程が億劫でやる気が出ない。
教育機会に恵まれない子供たちへの金銭的支援(団体への寄付)をずっとしているのだけど、
より直接的な関わり方として、学習ボランティアとかでもするかなと少し考えたりもしている。
主義主張と関係ないテーマ(200年後に AI はどれだけ発達しているかみたいな)で気軽に会話できれば楽しそうだけど、
なんかそう都合よく会話相手が見つかるイメージがわかない。ChatGPT の会話モードがもうちょっと進化すればベストなんだろうな。
6、7年前のこと。
当時、私は大学を1年休学し、アルバイトで貯金を貯めては発展途上国に旅に出るという生活を送っていた。
いわゆるバックパッカーという奴で、当時はうだつの上がらない大学生を中心にとても流行っていた。
国民からの支持も厚きプミポン国王陛下(大変偉大だった。名前の響きも良い)がまだご存命であらせられた頃の微笑みの国で、途上国と言っても過ごしやすい場所だった。
主な活動拠点であった首都バンコクにはそこら中にコンビニがあるし、バンコクでなくても観光地ならそこら中にコンビニがあった。
短距離の移動も楽で、自動車やバイクやトゥクトゥクなんかのタクシーが車道を(適宜信号を無視しながら)縦横無尽に行き交っていた。
足に自信があればレンタル自転車でも移動できたし、自信がなくてもレンタルエレファントに騎乗することによってなんか自分がとても偉くなった気分にもなれた。
だが、長距離の移動は辛かった。
何十キロも移動する場合、貧乏学生に与えられた選択肢は乗合バスか国有鉄道の2択になる。
私はこの1年後、南国フィジーで偶然出会った黒人と雰囲気でビガップするまで乗合バスというものを食わず嫌いしていたのでタイで乗ったことはない。乗り込んだら最後、ギャングが鮨詰めになったファベーラっぽい場所に連れて行かれるような気がしていたからだ。
なので国有鉄道ばっかり乗っていた。
国有鉄道は大変安価で、バンコクから国中に放射状に線路が伸びていたっぽい。バンコクのなんか名前の長い駅からどこへでも行けるし、どこからでもバンコクに戻れた。
だだ、乗り心地は酷かった。
座面も背もたれも材質不明の硬い何か(プラスチックっぽい)で長時間乗るとケツが割れる。
窓はいつも半開きなくせになぜか換気能力が低く、どの車両に乗っても独特の臭いがした。しかもこの窓は出入り口でもあった。車両が駅に停車すると野生の物売りたちが華麗な身のこなしで窓から乗り込んでくるのだ。なので泥とか砂とかがいろんなとこについてた。
最も難儀したのは、夕方夜にかけて、バンコクから地方に向かう鉄道の車内である。
一つ考えてほしい。我々日本人は、夜にへとへとで電車に乗りこんだものの、座席が空いていなかったらどうする? 観念して空いている場所に立つか、次の電車を待つかするだろう。
タイの疲れた人々はどうだろうか。そんな非効率的なことはしない。
何故なら、電車には床があるのだ。そして疲れているのだ。疲れている人は、座るか、寝るのだ。
そう、電車の床に座って、寝るのである。それも、スペースがあればあらゆる場所に。
座席の肘置きはもちろん、座席の下に潜り込んで疲れを誤魔化す。始発のバンコクならまだスペースに余りもあるが、途中の街から乗り込もうものなら、扉をあければもうみっちみちである。
しかも、地方に行くほど駅が減る。1時間停車しないということもあった。つまり、長時間、めちゃ揺れる車内に、みちみち。
私はその日の夕方、とある観光地から別の観光地に向かう鉄道に乗り込んだ。そして、普通に行き先を間違えた。
動揺を押し隠して途中下車し、優しい駅員の指示のもと折り返しの電車を待った。折り返しの電車が来るころには、空は暗く、月が輝いていた。
やたら笑顔の駅員にはにかみながら、私はやってきた車両に乗り込んだ。
扉を開けると、わぁ……人がみっしりしていたぁ……。
足の踏む場もないほどの人の密集具合に、育ちのいい小学生ほどもあるバカみたいにでかいリュックを背負っていた私は、車両にいることさえ不可能なのではないか思った。
行き場所を失い、半分外みたいな場所に追いやられた私は、そこが電車の連結部であることに気づいた。(賢いので)
日本の電車の連結部は大抵、人間がおっこちて線路脇のゴミにならないように何かしらで覆われている。だがその車両は違った。
連結部の左右は吹き抜けで、端的に言うとめちゃくちゃ危なかった。
だが、私の居場所はそこにしかなかった。私は肩の荷を慎重に下ろし、それに腰掛ける形で車両入り口の扉に向かい合った。バランスを崩すとそのまま車両から脱落する可能性が大いにあったので、足を広く開き、腕は胸の前で組んだ。RPGのボスみたいな座り方だな、と思った。
それからしばらく、私は連結部の主だった。
どれぐらい動的不動の時間が過ぎたか、12、3歳の少年が、扉を開いて入ってきた。
続きはまた今度書く。
さて、続き。
少年の年齢は私の推測である。見慣れた日本人ならともかく、他人種の正確な年齢など私にとっては一目見て分かるものではない。
ただ、少年は成人男性の顎ぐらいの身長でスポーツ刈りだった。よれよれのシャツを着て、よれよれのズボンを履いていた。
少し話は逸れるが、私がタイを訪れ、タイ人と出会って抱いた強い印象の中に『なんか目がキラキラしている』というのがある。これは漫画的な表現ではあるけれど、これが一番適切な表現だと信じている。涙袋のせいだとか二重がどうこうといった美容的なことは知らないので詳しくはわからないが、タイ人の多くはどことなく目が大きく、それでいて黒目が抱き込んでいる光がたくさんあるように見えたのだ。今昔の写真で見返すとそんな風にも感じないのが不思議だが、とにかく、当時の印象としては、大人から子供まで、とにかくキラキラした瞳を持った人間が多く、特に子供たちはだいたいキラッキラだった。屈託のないとか、卑屈な感じじゃないとか(実態はともあれ)そんな感じだったのだ。ちなみに、現地でインド人もたくさん会ったが(外人にスーツを仕立てさせる押し売りが流行ってたっぽい)特にそんな印象はなかった。
さて、話を戻すと、その少年もまた瞳がキラキラしていた。表情は特に無かったと思う。連結部は車両の光で明るく、顔はよく見えたはずなのだが、今思い出せるのは瞳の印象だけである。
少年は私を見ると、なんか言った。タイ語は全くわからなかったので、私は唯一知っているタイ語で挨拶をした。
「サワディカ」どこでも使えて便利な挨拶だった。
すると少年は少し笑って、挨拶を返してくれた。浮かれた様子はまったく無かったので、彼にとっては電車の連結部で見知らぬ外国人がふんぞり返ってる状況など慣れたものだったのかもしれない。
私は気が楽になって、アイフォン(当時はオンボロの5を使っていた)を取り出してイヤフォンを耳に入れると、昨日ホテルのWi-Fiでダウンロードしていたアニメを見始めた。
画面に青白い顔でピンク色の制服を着た女子高生がウロウロしたり電気をつけたりするオープニングが流れ出すと、少年が近づいてきてそれを覗き込んだ。
私は少年の顔を見た。少年は、驚きとか、興奮とかそういう表情を浮かべてはいなかった。ただ、じっとアニメーションを見ていた。私は途中からイヤフォンのコードを抜いて、音量をあげた。
そのオープニングが終わると、別のアニメのオープニングを流した。それから、アイフォンに入れていた日本のアーティストのMVや、ディズニー映画のミュージカルシーンなんかをいくつか再生した。
私は映像を流し見しながら、少年を見た。少年はだいぶ負担のかかりそうな首の角度で、画面を凝視していた。
海外の反応集みたいな大きな反応を期待したが、そういうものはなかった。だが、私には分かるような気がしていた。幼い頃、実家で兄が怪物と戦うゲームを遊んでいた時、たぶん私もこんな風に画面を凝視していた気がする。
しばらくして、私は再生するのをやめて、アイフォンをしまおうとした。少年に見えるように持っているのが普通にしんどかったからである。
すると、少年がなにやらそれを止めた。
まだ何かが見たいのかと思ったが、どうやらそれも違う。自分の写真を撮ってほしいということを身振りやら表情で伝えてきた。
そんなことならとカメラを向けると、少年はポケットから小さな箱を取り出した。
それはたばこだった。
真っ黒な内蔵の写真が雑にプリントされた、やたらグロテスクなパッケージのタバコである。当時、タイのたばこは全て買う気が失せるようなパッケージをしていた。(今もかもしれない)
私は少しだけ衝撃を受けた。少年は明らかにタバコを吸っていい年齢ではない。タイではそういうものなのかもと思ったが、そんなわけないなとすぐに思い直した。
が、一介の腐れ大学生で、この国のことを何も知らない観光客である私には、目の前の未成年喫煙を止めるような義務も、権利もない。
少年は慣れた手つきでたばこを取り出すと火をつけて、口元に持っていって、動きを止めた。
どうやらポーズが決まったらしい。私は写真を撮り、それを見せた。
少年は素人のブレブレで光の加減も適当な写真を見て、口の片方だけを上げるやたらニヒルな笑い方をした。私も真似した。
それが気に入ったのか、少年は私にタバコの箱を差し出した。吸うか? ということらしい。
私は普段タバコを吸わない上に、未成年からこんなものを勧められるとは、などと色々と迷ったが、こんな経験も貴重だろうと一本いただいた。
少年にライターを借り、私はタバコに火をつけた。そして一口吸った。普通の煙たいタバコだった。
私と少年は少しの間、揺れる車両の連結部で煙をふかした。吐いた煙もタバコの先から出る副流煙も、すぐに飛ばされていった。
少年は私がたばこを吸い終わるのを待って、吸い殻を引き取ってくれた。そして、車両の外に放った。私はポイ捨てとかが嫌いな人間だったが、それをここで誇示してもしょうがないなと思ったのを覚えている。
私は車両に戻ろうとする少年の肩を少し叩いて、アイフォンの内カメラを見せた。一緒に写真を撮ろうという意思表示である。
少年は少し照れくさそうにしていたが、写真を撮る瞬間だけ何故かすごいハードボイルドな顔をしていた。たばこを吸っている写真を撮らせたり、なにかそういうのが流行っていたのかもしれない。
私は車両連結部の主に戻った。
私は時折車両の揺れによって荷物経由でケツを叩かれてバウンドしながら、ぼんやりと思った。
この電車は、私が乗り込んだ駅から、まだどこにも停車していない。私が乗り込んだ駅にはあの少年はいなかった。つまり、彼はどこか遠くからずっとこの電車に乗っているのだ。連結部で少しの時間を過ごしたが、親や兄弟と思しき誰かが様子を見に来ることも無かった。時刻はとっくに夜だった。平日だった。少年の様子は、何も特別なものではなかった。
あの子は家から離れた場所に働きに出ているのだろう。と結論づけた。
翻って白状すると、私は就職活動から逃げるためにバックパッカーをしていた。
ただし、当時の私は反省などしなかった。今もしていない。自分がやっていることは間違いじゃないし、こういうことしていたからこういう経験ができたわけだし。
だが、瞳だけはキラキラで、貧乏な風体の、サラリーマンみたいな貫禄の少年に、思うところがないわけでは無かった。
少年と自分を比較して、自分の子供時代を評価していたことにも気づいた。
意味のないことをした。と思ったと同時に、何かとても価値のあるイベントに参加したような気もした。
それから、電車はいくつかの停車地を経て、私を目的地へと運んだ。
電車を降りる時、さりげなく少年を探したが、彼は見当たらなかった。
私は何故かさらに少しだけ気分が良くなり、意気揚々と宿を探すことにした。
宿を探すのにはさらに1時間近くかかり、しかも宿のベッドで南京虫と格闘することになったため、私は激怒した。
結局、特に何かを伝えたい話ではない。
海と山があって、都会じゃないのに、東京の洒落たものが入ってる。
良い景色と美味しいもの。懐かしい昭和の古民家の中に、こだわりのフレンチがある。
それって、面白い。
もうひとつ。
戦争を前提として作られている。
岩をくり抜いたお墓だったり、自然をそのままに活かしてるところが、近江の石の文化に似てる。
鎌倉五山は、京都五山に比べると、まだ公家の洗練を受けてない感じがして、なんだか生っぽい。修行って感じ。
そういえば、鎌倉には京都のような日本の美しさを凝縮したような庭園はないけど、高台から見える海は最高。
神戸に少し似てるけれど、もっとひっそりとして、秘密の場所みたいだ。
鎌倉文学館に、小さなワゴン車のカフェがきていて、芝生の上で飲むコーヒーはおいしかった。
海の方まで伸びた参道は、こじんまりとした鎌倉に珍しくスケール感がある。
素朴でおいしい。