はてなキーワード: 知事とは
東京の感染者数は驚異的な速度で減少している。一時期は1日1万人なんかもありえるんじゃないかと思ったが、そんな窮地に陥ることもなく完全にピークアウトしたと見て良い。
これから東京を始めとした首都圏は活気を取り戻し、少しずつだがかつての勢いを取り戻していくだろう。
これまで自粛自粛で規模が縮小していた各種イベントやライブも復活していくと思われる。
これは東京都民の自粛とワクチン接種の努力のお陰だと言っていいと思う。
地方に目を向けてみる。
相変わらず感染者数は多い。減る見込みも今のところ無い。
はっきり言って東京よりよほど危ないと思われる地域はたくさんある。
状況は逆転した。
東京ではこれから楽しいイベントなどがたくさん開催されるだろう。
ライブなんかもwithコロナの時代では地方で開催して移動を伴うのはもはやリスクでしかない。東京とその周辺都市での開催にどんどん限られていくだろう。
どんなに楽しいイベントが開催されようが、お前の推しのライブが開催されようが、地方民は東京に来るな。
コロナを持ち込むな。
これはお前らが望んだことだ。
感染者が増えれば東京ガー、大阪ガーと言って人のせいにしてきたのはお前ら地方民だ。
例えこのまま感染者数が全国的に落ち着いて旅行にも行けるようになったところで、都合の良い時はようこそ、都合が悪くなればお前らのせいだ来るなと言って差別を続けてきた地方の観光地なんかに人はもう戻らない。
地方に行くこともないし、来るのも許されることはない。
唯一の例外は、島根県だったか。東京などの大都市圏からの帰省者を積極的に受け入れると知事が表明したことがあったな。
俺は島根には行ったことはないが、コロナが落ち着いたら訪ねてみたいと思う。
お前らが散々言ってきたことだ。
ちなみに、大阪在住です。いわゆる氷河期世代です。ちょっと身バレ防止のため年代とかおかしくいじってるけど、
自分はIT系というかネット系の仕事してたので、勉強会やセミナーも東京しかなく、
求人情報もWebデザイナー・ディレクターで探すと、当時は大阪:10件、 東京:200件 みたいな感じ。
その大阪5件も、ずっと同じ企業が出てた。常時5件、たまに8件、みたいなそんな感じだった。(記憶だから全然違うかもだけど)
もう大阪にいても無理でしょ。って事で出て行った。
初めていった東京は凄かったし、大阪が東京にはりあってるのがあほらしくなるくらいにレベルが違いすぎた。
戻った理由は、大阪が昔より良くなった。活気が戻った。子育てしやすくなった。と身内や友人にめちゃ言われたから。
そして5年くらい前に戻ってきた。
出て行く前のあの大阪の負の空気感が凄く嫌で嫌で仕方が無かったから。
でもあるときからみんな大阪よーなったで。と言うようになった。
そんなタイミングで子どもも産まれたし、関西良くなったんなら実家近い方がいいねって、
何度か家族で相談し、何度か帰省して調査して話聞いたりしてほんまに良さそうやなってなって帰ってきた。
色々前提が長くなったけど、
東京、大阪である程度を過ごして、今大阪にいる人間からしてみると、表題のことを凄く実感する。
なんなら選挙の時に他の候補とか見てない(都構想の時とかはちゃんと読んでたけど)
でも、ポイントは、維新「が」ではなく、維新「で」良いというところだと思う。維新「が」良いじゃないんだよね。
テレビを牛耳ってるだ、なんだと言われるし、実際そういう面も強くあるかもしれないけど、そういうところじゃないんだよね。
大阪の人は、自分が大阪もう無理だわ。って思って出ていったあの時を知ってるんだよね。
公務員大天国であり大正義、なにしても基本は罰せられない。注意だけ、コネあれば入れちゃうとかね。
そもそも自民党と共産党が共闘するとかって大阪以外でありえるか?って話だしね。
え?公務員めざさんの?なんでなん?あほちゃうん?親戚にいないん?と言われたのは今でも覚えてる。
それくらいに腐ってた。
自分の知人とかは大阪地下鉄に入りたい。と死ぬほど願ってた。入れてなかったけど。今どうしてるのかな。
もっと腐ってたんちゃうかと思うくらいに腐ってた(自分の記憶だとそういうイメージ)
今ほどネットが進んでないから、出てない腐ってたことなんてもっとあったんじゃないかと思うくらい。
そういう時に維新がきた。
色々問題もあるし、自分も維新が絶対良いなんて事は全く思ってないけど、
結果として、はしもとさんになって、大阪が劇的に変わったというのは、大阪に住んでる人は、間違い無く実感してるはずなんだよ。
あの天王寺動物園が、家族連れで普通に行きたい場所になるなんて思ってもみなかった。
遠足で行くとかになったら、まじで?ふざけんなよ。だれやねんこれ決めたヤツ。と言われるくらいに天王寺動物園は糞動物園の代名詞だった。
まさか自分が子どもを連れていくようになるなんて思ってもみなかった。
てんしば公園のあるあの辺なんて、昔は変な謎なカラオケとか家族でいくような場所じゃなかった。
地下鉄で絶体絶命の緊急時以外にトイレ行くという選択肢をとるなんて思ってもみなかったし、
新今宮界隈があんなに歩きやすくなるなんて思ってもみなかった。
新今宮から地下鉄へ乗り換えのために、パチンコ屋の前で寝てる浮浪者の横を通り、
交差点で変な布教活動するおっちゃんに声かけられ無視して逃げながら
恐怖心を抑えて移動してたのが、今は普通に歩けるようになってるなんて驚きでしかない。
そして逆に、維新以前に政治やってたやつらは、本当に糞オブ糞だったという思いが強烈にある。
この辺は維新がうまくやったというのもあるとは思う。裏では色々あったのかもしれない。
けど、結果として、本当に結果としては、そうなってる。
大阪は昔と違ってよーなったなーというのは本当に実感してる。
でも多分これは大阪、もしくは関西じゃない人からしたら疑問でしかないんだろうなと。
コロナで吉村知事や松井市長が度々やらかしたりしてるのを見て、
なんでそんなに支持率高いねんって思うんだろうけど、背景はこういうのがあるからだと思う。
それくらいに、維新以前、維新以後って大阪は変わってるんだよ。
平松大田時代から進めてきたってのもあるのは間違いないんだろうし、
その目が出たのが、維新の時だったとかってのもあるんだろうし
それを維新がうまく利用したりPRしてるってのはあるんだろうけど、
それでも一般人から見たら、維新の時に見るからに圧倒的な結果が出た。
で、これ最近、自民が腐るに腐ってるのに、他が全然支持されない状況になって、
特に立憲民主を見てると、この大阪の逆パターンなんだろうなと思う。
大阪は、維新になって、劇的に良く変わったという成功体験が強烈に残ってる。
大阪都構想が負けたのは、負けても都構想をやらないだけで、維新じゃなくなるわけではないからだと個人的には思ってる。
あれが、もし仮に、勝てば維新で都構想。
負ければ、維新じゃなく自民・共産などの維新以外で大阪府市の運営となかだったら、
維新以前?それは論外。って感じが多いと思う。
あれは、維新が人気というのもあるけれど、それ以外の、維新以外の時代の負が強すぎて、
維新以外は強烈なNOという結果なんだと思うんだよ。
だから最初に書いたように維新「が」じゃなくて、維新「で」いい。になってるんだと思う。
色々維新がやらかそうとも、維新が根強く支持されるのはそういうことがある。
それこそテレビとかメディア牛耳って世論を誘導してる結果だろと言われるかもしれないけども。
で、国政を見ると、これの逆が立憲民主なんだろうなと。
民主党時代、それが良かったか悪かったかというのはおいておいて、
世間一般的な評論としては、(それを自民が誘導したとか色々あるのかもしれないけど)
強烈に負の体験が残ってるんだろうなと。
2番じゃダメなんですかの話なんて、実際にそれをよく読みこめば、
言ってることは全くもって正しいってのはわかるけど多分そういうのはほとんどの人知らないんだと思うし。
で、これ、
大阪は、維新=大成功、維新以外=負の時代を作り上げた となっている。
みたいな印象になってる。
世論というかイメージというか、実際がどうとかじゃなく、そういう印象って残ってるんだと思う。
大阪で、何をしようとも維新が強いってのはこの成功した「体験」をモロに自らしてるからで、
民主の時、政権交代して強烈にダメだったという「体験」をしてる。(実際ダメだったかどうかの是非などはどうでも良い)
実際、大阪にいると、最近の維新での特にコロナ関連における学校関連とかはほんとひどいとは思う。
先生とか学校の関係者はめっちゃ疲弊してるしね。先生に差し入れとかしたいと思うくらい。
でもじゃぁ維新以外でやらせて、維新に危機感もっと持たせろよとなると、
自分もあの当時の大阪はもう無理だ。出て行こうと思うくらいの負のイメージがあるのであんな暗黒に戻るのは無理でしょ。となる。
維新以外にお願いしたいかと言われると、やっぱ無理。ってなっちゃう。
維新、最近おかしいけど、もうちょいがんばってくれ。頼むよって気持ちになってしまう。
時が経てば経つほどそういうのってより強くなってしまうとも思う。
これを払拭しないと、
国政はずっと自民のままだろうなと思う。
https://news.yahoo.co.jp/profile/comments/16311610968479.86dc.16906
このフェスの主催はクリエイティブマンプロダクションという会社らしい。
ライブ業界では超大手で、なんならフジロック以上に信頼度あるくらいの会社にすらこのレベルの物言いがくる始末
正直office keefに対して名誉棄損の訴訟は特例で起こしてもいいんじゃないかな
あとほかのヤフコメも見てたけど海浜幕張は平時でもイオンモールと三井アウトレットパーク抱えててそこそこ人の出入りはあるし、反面あそこでのライブイベントはほぼ直行直帰になるしなあ…人格攻撃まで発展しなきゃいいけど
立憲の支持を固める必要あるか?
自民じゃなきゃなんでもいいと多くの人が思ってるし
まぁ投票しないよりはマシやろ
そもそも自民以外ならなんでもいいので死票はかなり生まれるかと
100億回目だが自宅で中等症の患者が救急搬送先がない対応する医師がいないので救急隊員が個人宅に詰めて酸素供給したり、
案の定、家族全員が感染して死んだりの中で、『検査入院』ブチかましたりしてるのは
もはや政策がどうこうという次元にない。投票する選択肢のあるやつのおつむを疑う
ただおつむは疑うが『投票しにいかない』とか『白紙投票』よりは論外自民の投票した方が
民主主義の根幹の意思表示を投げ捨てない分だけ "マシ" なので
推しに投票したい方は自民へ投票してどうぞ。投票しないよりはする方が1000億倍マシだ
ちなみにだが、
全員入院を貫いてホテル療養もできる仕組みを作っている和歌山の知事は自民推薦の知事だし、
保健所の人員を大増員しPCR検査をガンガンし、患者の状態を把握、オンライン診療し、
すべての中等症は入院&呼吸などの症状が安定したら街場に診てもらえる仕組みを作り
パラリンピックの優先入院お断りをした墨田区の区長も自民推薦の区長だ
自民でも出来る人は出来るのにこのザマよ
貨幣の前身は、言語とともに、初期の現代人が他の動物が解決できない協力の問題を解決することを可能にした。これらの原型は、非フィアット通貨と非常に特殊な特徴を共有しており、単なる象徴や装飾品ではなかった。
17世紀のイギリスのアメリカ植民地では、当初から硬貨の不足という問題があった。イギリスの考えは、大量のタバコを栽培し、世界的な海軍や商船の船のために木材を切り出し、その見返りとしてアメリカ人の労働力として必要な物資を送るというものであった。つまり、初期の入植者は、会社のために働き、会社の店で買い物をすることになっていたのである。投資家と王室は、農民の要求に応じてコインで支払い、農民自身に物資を買わせ、さらに天罰として利益の一部を確保するよりも、この方法を好んだ。
植民地の人々の解決策は目の前にあったが、彼らがそれを認識するまでには数年を要した。原住民はお金を持っていたが、それはヨーロッパ人が慣れ親しんできたお金とは全く違っていた。アメリカン・インディアンは何千年も前からお金を使っていたし、新しくやってきたヨーロッパ人にとっても便利なお金であった。しかし、ニューイングランドの人々は、銀も金も使わず、自分たちの生活に最も適したお金を使っていた。その代わりに、彼らは獲物の耐久性のある骨組みという、その環境に最も適した貨幣を使っていた。具体的には、ワンパムと呼ばれる貝(ホンビノスガイ)とその近縁種の貝殻をペンダントにしていた。
貝は海でしか採れないが、ワンパムは内陸部でも取引されていた。アメリカ大陸の各部族には、さまざまな種類の貝殻貨幣が存在していた。イリコイ族は、貝の生息地に近づかずに、最も大きなワンパムの財宝を集めることができた。ワンパムを専門に製造していたのは、ナラガンセッツ族などほんの一握りの部族で、他の何百もの部族(その多くは狩猟採集民)がワンパムを使用していた。ワンパムのペンダントは、長さとビーズの数が比例しており、様々な長さのものがあった。ワンパムペンダントの長さは様々で、ビーズの数は長さに比例しており、ペンダントを切ったり繋げたりして、支払った金額と同じ長さのペンダントを作ることができた。
入植者たちは、本当のお金とは何かという問題を克服すると、ワンパムの取引に熱中した。貝(clam)は、アメリカでは「お金」の別名として使われている。ニューアムステルダム(現在のニューヨーク)のオランダ人知事は、イギリス系アメリカ人の銀行からワンパムで多額の融資を受けた。しばらくすると、イギリス当局もこれに同調せざるを得なくなった。1637年から1661年にかけて、ニューイングランドではワンパムが法定通貨となった。植民地の人々は流動的な交換手段を手に入れ、植民地の貿易は盛んになった。
ワンパムの終わりの始まりは、イギリスがアメリカ大陸に多くのコインを出荷するようになり、ヨーロッパ人が大量生産の技術を応用するようになってからである。1661年になると、イギリス政府はワンパムの製造を中止し、本物の金や銀、そして王室の監査を受けてブランド化されたコインで支払うことにした。この年、ニューイングランドではワンパムは法定通貨ではなくなった。1710年にはノースカロライナ州で一時的に法定通貨となった。ワンパムは、20世紀に入っても交換手段として使われ続けていたが、その価値は西洋の収穫・製造技術によって100倍にも膨れ上がり、貨幣が発明された後に西洋で金や銀の宝飾品が行き渡ったように、よくできたお金から装飾品へと徐々に変化していった。アメリカの貝貨の言葉は古風な遺物となった。百貝は百ドルになった。「Shelling out」とは、コインや紙幣で支払うことを意味し、やがて小切手やクレジットで支払うようになった。我々は、自分たちの種の起源に触れてしまったことを知らなかった。
ネイティブ・アメリカンのお金は、貝殻以外にも様々な形があった。毛皮、歯、そして後述する特性を持つ他の様々な物体も、交換手段としてよく使われた。12,000年前、現在のワシントン州で、クロービス族は、驚くほど長い角岩の刃を開発した。しかし、すぐに折れてしまう。これでは切ることもできない。火打ち石は「楽しむため」に作られていたのか、それとも切ることとは関係のない別の目的のために作られていたのか。後述するように、この一見軽薄に見えることが、実は彼らの生存にとって非常に重要であった可能性が高い。
しかし、ネイティブ・アメリカンは、芸術的ではあるが役に立たない刃物を最初に作ったわけではないし、シェル・マネーを発明したわけでもない。ヨーロッパ人も、昔は貝や歯をお金にしていたし、牛や金、銀、武器なども使っていた。アジア人は、それらすべてを使い、政府が発行した偽物の斧も使っていたが、この制度も輸入していた。考古学者が旧石器時代初期の貝のペンダントを発見しており、それがネイティブ・アメリカンのお金の代わりになっていた可能性があるからだ。
1990年代後半、考古学者のスタンリー・アンブローズは、ケニアのリフトバレーにあるロックシェルターで、ダチョウの卵の殻やブランク、貝殻の破片でできたビーズのキャッシュを発見した。これらのビーズは、アルゴン-アルゴン(40Ar/39Ar)比を用いて、少なくとも4万年前のものとされている。スペインでは、この時期に穴の開いた動物の歯が発見されている。また、レバノンの旧石器時代初期の遺跡からは、穴の開いた貝殻が出土している。最近では、南アフリカのブロンボス洞窟で、さらにさかのぼって7万5千年前に作られたビーズ状の貝殻が発見されている。
現代の亜種はヨーロッパに移住しており、紀元前4万年頃から貝殻と歯のネックレスが登場している。また、オーストラリアでは紀元前3万年頃から貝と歯のペンダントが出土している。いずれも高度な技術を要するものであり、もっと昔から行われていたと思われる。採集や装飾の起源は、解剖学的に現存する亜種の原産地であるアフリカである可能性が高い。人類が常に飢餓と隣り合わせの生活をしていた時代に、貝殻の製造には膨大な技術と時間が必要だったのであるから、収集してネックレスを作ることには重要な選択的利益があったはずである。
実質的な貿易を行っていない文化や、現代的な貨幣を使用している文化であっても、事実上すべての人類の文化は、ジュエリーを作り、楽しみ、実用性よりも芸術性や家宝としての価値を重視している。我々人間は、貝殻のネックレスやその他の種類のジュエリーを、純粋に楽しむために集めている。進化心理学者にとって、人間が「純粋に楽しむため」に何かをするという説明は、説明ではなく、問題提起なのである。なぜ多くの人が宝石を集めたり身につけたりすることを楽しんでいるのか?進化心理学者にとってこの問題は「何がこの楽しみを進化させたのか?」ということである。
進化心理学は、ジョン・メイナード・スミスの重要な数学的発見から始まる。スミスは、発達した集団遺伝学の分野から、共進化する遺伝子の集団のモデルを用いて、単純な戦略的問題(ゲーム理論の「ゲーム」)で使用される善悪の戦略をコード化できる遺伝子を提唱した。スミスは、これらの遺伝子が次世代への伝播を競っている場合、競争相手が提示する戦略問題に対してナッシュ均衡となる戦略を進化させることを証明した。このゲームには、協力の典型的な問題である「囚人のジレンマ」や、攻撃とその緩和の典型的な問題である「鷹と鳩」などがある。
スミスの理論で重要なのは、これらの戦略的ゲームは、近距離の表現型間で行われているが、実際には、究極のレベルである遺伝子間のゲーム、つまり伝播されるべき競争のレベルで行われているということである。遺伝子(必ずしも個体ではない)は、あたかも拘束された合理性(生物学的原材料と過去の進化の歴史を考慮して、表現型が表現できる範囲内で、可能な限り最適な戦略をコード化する)と「利己的」(リチャード・ドーキンスの比喩を使用)であるかのように行動に影響を与える。遺伝子が行動に与える影響は、遺伝子が表現型を通じて競合することで生じる社会的問題への適応である。スミスはこれらの進化したナッシュ均衡を進化的安定戦略と呼んだ。
性淘汰や血縁淘汰など、それまでの個人淘汰説の上に構築されていた「エピサークル」は、このより一般的なモデルの中に消え去り、コペルニクス的な方法で、個人ではなく遺伝子を理論の中心に据えることになる。このようにドーキンスは、スミスの理論を説明するために、「利己的な遺伝子」という比喩的でよく誤解される言葉を使っている。
旧石器時代の人間のように協力し合う種は他にほとんどない。雛の世話、アリ、シロアリ、ハチのコロニーなど、動物が協力するのは親族だからであり、親族にある自分の「利己的遺伝子」のコピーを助けることができるからである。非常に制約の多いケースでは、進化心理学者が「相互利他主義」と呼ぶ、親族以外の者同士の継続的な協力関係も存在する。ドーキンスの説明によると、好意の交換が同時に行われない限り(場合によってはその場合でも)、どちらかが不正を行うことができる。そして、普通はそうする。これは理論家が「囚人のジレンマ」と呼んでいるゲームの典型的な結果である。詐欺師と吸血者の集団では、常に詐欺師が勝つ。しかし、「Tit-for-Tat」と呼ばれる戦略を用いて、相互作用を繰り返すことで協力するようになる動物もいる。この報復の脅威が継続的な協力の動機となる。
しかし、動物の世界で実際にそのような協力が行われる状況は、非常に制約が多い。主な制約は、少なくとも一方の参加者が多かれ少なかれ相手の近くにいなければならない関係に限定されていることである。最も一般的なケースは、寄生虫とその体を共有する宿主が共生体に進化した場合である。寄生虫と宿主の利害が一致し、どちらか一方が単独で活動するよりも、両者が一緒に活動する方が適している場合(つまり、寄生虫が宿主にも何らかの利益をもたらしている場合)、Tit-for-Tatゲームを成功させることができれば、両者の利害、特に世代間の遺伝子の出口メカニズムが一致した状態である共生体に進化する。そして、1つの生物となるのである。しかし、ここでは協力だけではなく、搾取も行われている。それらは同時に起こる。この状況は、以下で分析する人間が開発する制度、つまり貢ぎ物に類似している。
寄生虫と宿主が同じ体を共有して共生体に進化するのではない、非常に特殊な例がある。寄生虫と宿主が同じ体を共有し、共生生物に進化するのではなく、同族ではない動物と高度に制限された縄張りを持つ、非常に特殊な例がある。ドーキンスは、クリーナーフィッシュを例に挙げている。この魚は、宿主の口の中を泳いで出入りし、そこにいるバクテリアを食べて宿主の魚に利益をもたらす。宿主である魚は、クリーナーが仕事を終えるのを待ってから食べるというズルをすることもできる。しかし、そうはしない。両者とも移動可能なので、潜在的には自由に関係を断つことができる。しかし、クリーナーフィッシュは個々の縄張り意識を非常に強く進化させており、偽造しにくいブランドロゴのように、偽造しにくい縞模様や踊りを持っている。宿主魚はどこに行けば掃除してもらえるかを知っているし、もし不正をしたら、新しい不信感を持った掃除魚ともう一度やり直さなければならないことも知っているのだ。この関係の入口コスト、つまり出口コストが高いので、不正をしなくてもうまくいくのである。それに、クリーナーフィッシュは小さいので、それを食べることで得られる利益は、少数の、あるいは1匹のクリーニングで得られる利益に比べて大きくはない。
最も適切な例として、吸血コウモリがある。その名の通り、獲物である哺乳類の血を吸う。面白いのは、良い夜には余剰分を持ち帰るが、悪い夜には何も持ち帰らないことだ。彼らの暗躍は非常に予測不可能である。その結果、幸運な(あるいは熟練した)コウモリは、洞穴の中で幸運でない(あるいは熟練していない)コウモリと血を分かち合うことが多い。彼らは血を吐き出し、感謝している受取人がそれを食べる。
このようなレシピエントの大部分は親族である。屈強な生物学者G.S.ウィルキンソンが目撃した110件の血反吐のうち、77件は母親が子供に食べさせるケースであり、その他のケースもほとんどが遺伝的な親族である。しかし、親族間の利他主義では説明できないケースも少なからずあった。これらが相互利他主義のケースであることを示すために、ウィルキンソンは2つの異なるグループのコウモリの個体群を組み合わせた。コウモリはごく稀な例外を除いて、元のグループの旧友にしか餌を与えなかった。このような協力関係を築くには、パートナー同士が頻繁に交流し、お互いを認識し、お互いの行動を把握するような長期的な関係を築く必要がある。コウモリ穴は、そのような絆を形成できる長期的な関係にコウモリを拘束するのに役立つ。
人間の中にも、非常にリスクの高い不連続な獲物を選び、その結果得られた余剰分を親族以外と共有していた者がいたことがわかるだろう。実際、人間は吸血コウモリよりもはるかに大きな範囲でこれを達成している。その方法が本論の主題である。ドーキンスは、「お金は、遅延した相互利他主義の正式なトークンである」と示唆しているが、この魅力的なアイデアをそれ以上追求することはない。我々はそうする。
人間の小集団の中では、世間の評判が一人の個人による報復よりも勝って、遅延型互恵主義の協力を動機付けることができる。しかし、評判を信じることには2つの大きな誤りがある。どの人が何をしたかについての誤りと、その行為によって生じた価値や損害を評価する際の誤りである。
顔や好意を記憶する必要があるというのは、認知上の大きなハードルであるが、ほとんどの人間は比較的容易に克服できると考えている。顔を認識するのは簡単であるが、好意を受けたことを思い出すのは難しい。また、好意を受けた人にとって、その好意がどのような価値を持つものであったかを思い出すことは、さらに困難である。紛争や誤解を避けることは、不可能なほど、あるいは法外に難しいことである。
パート2: https://anond.hatelabo.jp/20210906120933
パート3: https://anond.hatelabo.jp/20210906125926
パート4: https://anond.hatelabo.jp/20210906130017
規模が大きいんだよ。日本は。今となっては、ポシャったけど、道州制をやるべきなんだよ。都府県の知事が圧倒的に力を持つ方が、絶対に好ましい。その上で、JR やNEXCO みたいに地方自治体が、自主的に運営するという方式でやっていくべき。例えば、JRQ と JRH だと差がついたでしょ。そういう感じで、日本国内においても、貧富の差がでる国家になるけど、そうしないと「あっちでうまく行っている」のだから、こっちで試そうみたいなベンチマークがないので、全員が貧しくなるよ。。
100億回目だが自宅で中等症の患者が救急搬送先がない対応する医師がいないので救急隊員が個人宅に詰めて酸素供給したり、
案の定、家族全員が感染して死んだりの中で、『検査入院』ブチかましたりしてるのは
もはや政策がどうこうという次元にない。投票する選択肢のあるやつのおつむを疑う
ただおつむは疑うが『投票しにいかない』とか『白紙投票』よりは論外自民の投票した方が
民主主義の根幹の意思表示を投げ捨てない分だけ "マシ" なので
推しに投票したい方は自民へ投票してどうぞ。投票しないよりはする方が1000億倍マシだ
ちなみにだが、
全員入院を貫いてホテル療養もできる仕組みを作っている和歌山の知事は自民推薦の知事だし、
保健所の人員を大増員しPCR検査をガンガンし、患者の状態を把握、オンライン診療し、
すべての中等症は入院&呼吸などの症状が安定したら街場に診てもらえる仕組みを作り
パラリンピックの優先入院お断りをした墨田区の区長も自民推薦の区長だ
自民でも出来る人は出来るのにこのザマよ
みな、2009~2012年の話をするけど、もっと最近のサンプルがある。
知事選で敗北し、県議会でも多数派を取れないでいる沖縄県の話だ。
知ってのとおり、沖縄県では2014翁長雄志→2018玉城デニーと、自民党の指示を受けない知事が2期にわたって誕生している。
全国的にも最悪の感染状況で「だから非自民系を政権に付けるとダメなんだ」などという嘲笑めいたつぶやきがTwitterで散見されるが、沖縄県議会で「野党」として活動する自民党はどんなことを主張しているのか。
久米島で抗体検査を住民全部7800名、全員受けろと。本土から観光客が入ってきたら、全員抗体検査を受けさせる。やらない人は、そこでタクシーも乗れない、レンタカーも借りられない、コンビニにも入れない。飲み屋、食堂、どこにも入れない。そんなふうになったら、久米島に来た観光客は全員やりますよ抗体検査。そういう一つの夢がある島をつくっていったら経済対策になる。
ちなみにこの頃、沖縄自民党の県議は全員が「抗体検査」を受けて「陰性でした!」と言っている。
また、このあと10月に宮古島・石垣島視察時に二次会・三次会まである飲み会に行った結果、所属議員12名が新型コロナウイルス感染症に感染している。
皆さん、ホテルを借り切るのはいいんだけれども、今こういう世界的な感染拡大によってクルーズ船が空いているんだよ。クルーズ船を持ってきて、波の上で係留して、そこをホテル代わりに使うということもできないか。(中略)今、クルーズ船は泊まって係留先さえない。その船員と一緒になってそこをホテル代わりに使うということは、1000室、2000室、普通にあるんですよ。それを3分の1稼働させてもいい。少しリゾート感覚にも入れるかもしれない。だけど今、どこにも出られない。ホテルの1室から出るなと。そういう部分で果たしていいんだろうかということ。2週間、精神的にどうなんだろう。
「ホテルの1室から出るな」ということは「いいんだろうか」ということは、クルーズ船内では室外にも自由に出入りする状況を考えていると思われる。療養者は全員陽性だとしても、船のスタッフ・看護師などのことをどう考えているのか。何より、ダイヤモンド・プリンセス号が那覇に寄港してから半年の時期の発言だが、あのときのことをどう考えているのか言及がない。
又吉氏は県内ではがんで年間3千人、老衰で900人が死亡すると指摘。新型コロナによる死者は27日現在で179人などとして、「ほとんどは死亡せずに元気になれる」とした。
新聞記事は2021年6月だが、議事録を追うと、その前から類似の主張をしていることがわかる。
コロナが発生してこれまでお亡くなりになった方は、残念なことに69名いらっしゃるんですけれども、この5大死因について、悪性新生物でお亡くなりになった方が年間3095名もいるんですよ。コロナの69名どころじゃないんですよ。残りあと4大死因、老衰でお亡くなりになった方だけでも935名ですね。
また、このあと、陽性者が別の病気が原因で死亡してもコロナ死者に数えられる、とか、PCR検査のCt値が高く、不必要に陽性者を検出している、という趣旨の発言をしている。
これはもう愛知県は看過できませんわ
東京・大阪も追随してもうHIPHOPイベントは大規模なのは永久に無理でしょうな
愛知県の大村秀章知事は8月31日、観客が密集するなどして問題になっている野外音楽フェス「NAMIMONOGATARI 2021」について、主催者が30日に公開した「お詫びと経緯のご説明」に事実と異なる部分があると自身のTwitterアカウントで指摘した。「自分達(主催者)に都合の良いように事実と異なる記述がなされている」としている。
主催者のOffice keefが公式サイトに掲載した「お詫びと経緯のご説明」
愛知県側の指摘
主催者のOffice keefは会場で酒類を販売した経緯について、8月18日までに「過度な飲酒でなければお酒の提供も可能という状態で愛知県から話を頂き」と説明している。しかし愛知県は「お酒の提供を可能と説明した事実はない」と指摘。一貫して自粛を強く要請してきたという。
またOffice keefは常滑市がまん延防止重点処置地域に指定された20日の時点で、一部キャンセルできない酒類を販売すると「愛知県担当者に報告」したと説明している。
しかし愛知県によると、Web面談で主催者から酒類販売の申し出を受けたのは24日で、その際も「再度、酒類提供の自粛を強く要請」したという。さらに26日と27日にもメールで自粛を強く要請、イベント当日の29日にも電話でガイドラインに沿って運営できているか確認/注意するように指示したとしている。
観客が8000人にまで増えた経緯の説明についても愛知県は疑問を投げかけた。イベント当日、ガイドラインの5000人を超える8000人もの観客がいたのは、常滑市がまん延防止重点処置地域に指定された20日より前にチケットを販売していたためで、この場合は上限5000人は適用されない。
問題は販売期間。主催者は「8月20日でまずチケット販売を終了」と説明しているが、愛知県は12日に主催者とWeb面談を行い「即停止」を求めていた。実際にチケット販売を終了するまでの8日間でチケット購入者が増えた可能性も否定できない。
大村知事は主催者の説明を「事実を捻じ曲げるものであり、到底看過することはできない」とし、改めて厳重に抗議するとともに早急に誠意ある対応を求めるとした。
それ見たことか!学徒動員を強制した責任者を出せ!との論調が多いけど
以下の熊谷知事の一連のツイートを見ると希望者が参加しているに過ぎないように見える
強制があったのかなかったのかはいずれも現時点では証明ができないので無視すると
修学旅行等に代表される校外学習をもれなく中止すべきとの立場の人たちで良いのかね?
何なら校外学習よりも感染対策が不十分な民間のイベントもすべて中止すべきとの立場を貫いているのか
自分もオリンピック憎しの立場だけど校外学習まで中止しろとは思わないし
やりたい人が好きにライブに集まるのは腹は立つものの好きにしろと思う
県知事とか立場上のトップがそれらをまるっと中止させるのはいかがのものか?
8/25のツイート要約
以下、原文
https://twitter.com/kumagai_chiba/status/1430296749185277953
①今日からパラリンピックの学校連携観戦が実施されています。千葉市の保護者同意は直前集計(8/23)で小学校で約9割など、全体で約78%とのこと。
私たちは保護者の理解の上で、各自治体・学校設置者の判断で実施可能としましたので、選択肢を作ることができて良かったと考えています。
②千葉県の場合は幕張メッセが会場で、無観客となった会場を広く活用した観戦座席の間隔確保、屋内会場のため熱中症のリスクが低い、メッセ駐車場を活用して子供たちが貸切バスで直行直帰が可能等の条件が整っています。
千葉県の児童生徒が他都県の会場を観戦することはありませんし、逆も同様です。
④プロ野球等は今も有観客で実施されていますが、都県をまたぐ移動自粛等を県民に要請している立場からオリパラ全体においてコントロールできない人流を抑制する立場を貫いています。
その上で、それら人流と、教員等の引率による直行直帰が確定される校外学習や学校連携観戦は切り分けて考えています
⑥私達は保護者や子供達の意向次第では完全無観客も選択肢としていました。
8月初旬の千葉市の意向調査で多くの希望があることから、選択式で保護者同意が必要なこと、観戦しない場合も欠席扱いとしない等、学校において十分な配慮が行われることを前提に各市町村・学校で実施可能としました。
⑦各学校はこれまでも貸切バスで校外学習を行っており、パラだけが特別ではありません。学校現場の実態をご存じの方とそうでない方で意識の差があるかもしれません。
当然ですが、会場内は選手・関係者とは導線は区分されているほか、入れ替え毎に座席を消毒するなど、さらなる対策徹底を行います。
⑨私達は学校連携観戦と同様、教員等の引率による校外学習は感染対策を徹底した上で、保護者同意等に基づき、各市町村や学校の判断で、必要に応じて実施は可能との立場です。
18歳の投票権貰って共産党以外の候補者に投票してやっと変わった 自分の一票で変えたと自信を持った
でも小~高2冬まで公立校だった 共産党式の糞みたいな教育の被害者だ こんなんで全国津々浦々にいる人間と大学受験で争えなんて無謀だ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASP8L3D7MP8JUTIL03N.html