はてなキーワード: 森山真弓とは
少し前、以下のようなニュースが流れた。
http://www.47news.jp/CN/200910/CN2009102701000772.html
しかし、このニュース、目を疑った。それは何故今、この法案が提出されるか全く持って理解できないからだ。
それは、野党自民党としての初の法案提出が他の重要事項を差し置いてこれということが理解できないとか、規制単体の立場から出すこと自体を理解出来ないというのではない。政治的な戦略として、これを提出することが全く持って謎だったからだ。それは、今出すということは、この法案が(少なくとも今の形で)成立する可能性がほとんどなくなったと思われたからだ。
まず、この法案は野党である自民党(と公明党?)から提出されたものだ。現在の国会は言うまでもなく、民主、国民新党、社民の連立与党が過半数を得ている。普通に考えれば通るはずがない法案である。よほどのもの(例えば臓器移植法レベルの生命的緊急を要するもの)であっても、野党から提出された法案を受け入れる可能性は皆無に近い。そうすればどんな場合でも手柄は野党のものとなるからだ。衆院で圧倒的多数を誇る民主党がそれに応じる可能性は著しく低い。ましてや今は、国民も優先度の面で納得する法案の成立が急がれているので、この法案を野ざらしにしても大多数の国民(先の選挙で民主党に入れた人)は文句を言わないであろう。
さらに、民主党幹事長小沢一郎は議員立法の廃止する方向で動いている。そしてこの児童ポルノ改正案はもともと元衆院議員森山真弓から提出されたものだ。野党の、しかも議員立法をどのような形でも受け入れれば、ブレが生じることになる。ますますもって同意する可能性はない。むしろ賛成した議員は小沢一郎の理念にも反することになるわけだ。しかも小沢一郎に逆らえる政治家(社民、国民新、または反小沢グループ)は、多くが規制反対である(賛成派もいるが)。
つまり、成立する可能性は著しく低い、というか普通に考えればあり得ない。
それにもかかわらず、何故提出されたのかが謎なのだ。
さらによく言われているように、この法案の後ろに成立させたい団体がいるとしたら、余計不思議だ。何故止めなかったのか。何故ならこの法案を自民党が提出したことで、「自民党が有利になる法案」ということを野党側に印象づけてしまったためだ。あらゆる案件を差し置いていの一番に出された法案、それが自民党に有利でないはずがない、ということはよほど鈍い人間でない限りは(真偽はともかく)普通に疑うだろう。となると、これを理由をつけて(表現の自由など理由はいくらでもある)拒否することは自然だ。そして民主党政権が続く限り、この法案は先述の理由を以て成立しない可能性が高くなる。
ただ、規制団体からの要請(もしくは圧力)があったとも推測できるが、それでも今出したのは理解に苦しむ。何故ならその団体は自民に味方したということで、今後民主党から敵の支持団体扱いされる可能性もあり得るからだが(その理由から今回公明党が法案の背後にいる説は?がつくのだが)。
このように、規制したい側にとっては、このタイミングで出すのは「本気で成立させたいのなら」愚の骨頂のはずだ。
では、何故出されたのか、というのを考えてみた。
・自民党は成立すると思ってはいないが、支持団体に対するアピールのため
・無茶でも何でも急ぐ必要がある。
・譲歩戦術(一番高めの要求を出しておいて、徐々に妥協させる方法)
・分断戦術(それがうまくいくかどうかはともかくとして)
・上のことを全く予測していないほど全員に知恵がない
・思いつかないようなウルトラCがある。
有力なのは、やはり支持団体の顔を立てたことと推測する。そうしないと、次の選挙での支持母体を失うことになりかねない。つまり成立するかではなく、出したことが重要なのだと推測する。
急ぐとしたら理由は何か。昔増田でこんなのがあった。
http://anond.hatelabo.jp/20090716142012
それが本当ならあり得ない話ではないが。でもそれなら余計民主にすり寄りそうなので、可能性は低いと思われる(この信憑性も増田ってこともあるし)。
他には今の形のままで成立する可能性はなくとも、戦術のひとつと考えることも出来る。
で、まさかとは思うが、支持団体、自民党含めて本当に上のようなことをふまえず、成立させるつもりなら、泣く。見通しが立てられる人材の不足に。
しかし、思いつかない方法での成立のためのウルトラCを控えている、という可能性もある。それがなかなか怖い(裏をかいて、それがあるという脅しをかけて混乱させているということもあるかもしれないが)。まあそんな方法があれば、こんなところで使わずにもっと重要な時や選挙で使えよ、と思ったりもするが。
とにかく、これからまた動きが再燃するだろう。この問題は終わりのないようなものなので(規制側は永遠により規制を厳しくするために動こうとするし、反対派はそれに逆らい続けなくてはいけないので)常に注視する必要があるだろう。