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はてなキーワード: 日本の歴史とは

2019-10-24

https://anond.hatelabo.jp/20191024062803

今の日本には天皇不要という論は意味ないよ。

体制崩壊したとき天皇必要になる可能性がある、という話。

支配体制が入れ替わるとき天皇権威を確保してた方が勝ちということにするというのが日本の歴史のルールだ。

ほとんどは単なる形式ではあるが幕府と名の付くもの天皇から権力を借りているという体裁をとってる。

現代日本でも内閣総理大臣は「天皇が」任命することになっているのは憲法にも書いている通りだ。

日本政府が日本支配する歴史的正当性根拠天皇権威なの。

それと同時に日本国の主権者国民であるとする近代国家の仕組みと折り合いをつけて、今の日本国の体制においては天皇象徴に過ぎないと言っている。

今の日本体制だけを見て天皇を論じるのはナンセンス

2019-10-03

日本史に出てくる偉い人がやりがちなこ

漫画日本の歴史全巻買ったので一気読みして日本史勉強し直して思ったこ

歴史の転換点には後の世で「偉人」とか「名君」とか言われる人が出てきがち

そしてまつりごとの腐敗から立ち直ったタイミング名前が残ってる偉い人たちは「家系や出生に関わらず能力の高いもの平等に登用する」ような政治的テコ入れをしがち

まり能力的な平等平和をもたらすけど、しばらくするとなあなあになってまた腐敗してしまうってことなんだろうな

今はどうでしょう

2019-09-29

日本では居ないことになっている左派軍拡主義と呼ばれる人々

日本では左派と言えば平和を望み、多様性を訴え、自由の獲得へ邁進する政治的主張を持っている人々というのが共通認識だ。

これらの人々は多くの場合日本憲法9条の堅持を中心とした反戦主義とほぼ同義となっており、軍拡政策へ対して異を唱えることが右派比較すると圧倒的大多数だと言える。

しかしながら日本の主流左派とほぼ同じ主張を持ちながらも「だからこそ軍拡必要だ」と訴えている人々が居る。

それが左派軍拡主義である

左派であれ右派であれ「そんな連中見たことがない」「もしかして暴力革命主義者のことか?」のどちらかの印象を持つ人が大半だろう。

しかしそうではない。左派軍拡主義者たちからすると暴力革命などもってのほかで、彼らは日本戦争へ至らないために軍拡必要だと主張しているのだ。

左派軍拡主義者たちの主張の中で他主義者たちが興味を示しそうな顕著な主張は「憲法改悪の反対」だろう。

彼らは旧民主党系、共産党系社会党系などのいわゆる野党連合同調しつつも「憲法改正の反対」ではなく「憲法改悪の反対」を主張しているのだ。

うつまり左派軍拡主義者憲法改正に反対していない」という主流左派たちからすると驚愕するかも知れない主張を胸に秘めているのだ。

そんな連中は何処にいるのか?と疑問に思うだろうから答えよう。

左派軍拡主義が主流となっている層は運輸業界」である

運輸業界と聞いて「運輸業界の人々が左派軍拡主義を訴えるのは仕方ない」というリアクションを直ぐさま取った人は平均値よりも日本歴史へ詳しいと言えるだろう。

惜しくも察することが出来なかった人々へ端的に説明するのであれば「日本戦国時代から第二次世界大戦までにかけて、発生させた戦乱はほぼすべて『物資不足への危惧』を理由に起きている」のだ。

戦国時代は恒常的な飢饉により食糧を中心とした物資の奪い合いが発端。

明治維新日露戦争第一次世界大戦参戦はロシア南下政策が発端(ロシア側も不凍港など運輸を理由に戦乱を起こしている)。

大東亜戦争太平洋戦争物資輸送網の確保が戦乱を起こした理由である

物資の運輸を司る運輸業界がこういった点へ敏感に反応するのは無理もない。

特に海運業界は第二次世界大戦中の海上輸送網の戦略的対応および、その戦後処理に対して日本政府のやり方へ対して不信感を募らせた。

その記憶現在でも継承されており「海上輸送網の軽視は日本という島国の立地条件から考えて間違いなく国難に繋がる」と信じて止まない。

それらはソマリア沖での海賊対策ホルムズ海峡での多国連携護衛作戦有事の際には日本沿岸で就航している民間フェリー自衛官輸送する協定政府と結ぶなどから海運業界は海上輸送網を防衛するための軍拡を許容している。

逆を言えば他国侵略するための軍拡は許容しないことが「憲法改悪の反対」という主張へ繋がっているのだ。

さて、これを知った主流左派の人々はどう思うのだろうか。

中には絶対的非暴力主義とも思える主張をする人も居る。要は「軍拡こそが戦争へ繋がり、もし日本が戦乱へ巻き込まれれば降伏すると良い」という類の主張だ。

これは尊敬に値する素晴らしい考え方であり、国際法が尊ばれる現代国際社会では降伏した者へ更なる追撃を加えようものならば間違いなく戦争犯罪という判定になる。非常に納得行く理論だ。

しかし「日本運輸業界が問題視しているのは降伏する以前の部分」であることに絶対的非暴力主義者の多くは気付いていない傾向にある。

何故ならば日本島国であり弱点は輸送網にあるからだ。それは歴史証明しており、日本が戦乱に巻き込まれることは輸送網に攻撃を受けるということに他ならないのだ。最小限の攻撃で大打撃を与えられるなら指揮官はそれを選択するだろう。

まり輸送網への攻撃ということは即ち船舶航空機攻撃に晒されるということであり、非暴力主義者たちは沈みゆ船舶航空機を見てから降伏すると言うのだろうか?

平和のために死んでいく船乗りパイロットはそれはもう英雄扱いだろう。私達に降伏するという選択肢を取らせてくれた船乗りパイロットには最大限の敬意を払わなければならず、永久にその勇姿を語り継がねばなるまい。

そう、戦争は悪であることを現代に伝えてくれている神風特別攻撃隊のように扱わなければならない。

……船乗りパイロット当人からすると何とも馬鹿馬鹿しい主張だ。他人平和のため、非暴力主義の正しさのために犠牲になれと言うわけだ。

船乗りパイロットは死にたくはない。しかしながら日本が戦乱に巻き込まれるということは間違いなく攻撃目標船乗りパイロットである自分たちである

船乗りパイロット日本で最も戦乱に近い民間人であり、ならばどういう結論に至るのか?と言えば輸送網を守るための軍拡なのだ

一種藁人形論法とも言える極端な例の絶対的非暴力主義者をたとえに出したが、左派流派平和主張には運輸業界に属する船乗りパイロット犠牲となってしま平和主義になりがちだということへ冷静に考えると気付くことがある。

左派軍拡主義日本という立地条件において絶対的に正しいのかはわからない。あらゆる主義主張は正しい面と間違っている面、それら両面が同時に存在してしまうのは常にあることであり絶対的に正しいとは言えないだろう。

このエントリ左派軍拡主義という日本へ居ないことになっている主義主張へ目を向けてもらい、あなた達の主義主張へ役立てて頂くために公開した。

2019-09-20

anond:20190920130250

乗っ取るもなにも天皇制がある限り日本であることには変わりはないか安心しな。日本の歴史は天皇の名のもと権力者政治を行ってきたんだから

2019-09-18

自衛隊すら米兵女児レイプしてるのをニヤニヤ眺めているだけの国だ

anond:20190918150403

日本の歴史の中で暴走族に注意した人は殴り殺された坊さん一人

2019-09-15

ボクは戦争に反対だ。しかし軍備の増強を望む。

このようなスタンスを取ると最近の決まった反応は「ネトウヨがまた何か言ってるよ」だ。

ボクは自身ネトウヨだとは思っていないけれど、もしかしたらある種のネトウヨの定義の範疇に居るのかも知れないとはたまに思う。

しかしながら、一旦ボクの立場を聞いて貰えないだろうか。

前提としてボクは海技士免状を取得している。つまり船乗りなのだ

この時点で戦争を繰り返さないためにはと先の世界大戦を少しでも調べたことがある方々ならば察しているだろうけれど、調べたことがない方々のために説明しなければならないだろう。それがこの話を始めた者の責任のはずだ。

そう、なぜ船乗り戦争に反対しながら軍備の増強を望むか?の背景を説明しなければならない。

まず日本国という存在島国という形態をしている。これはおそらくは日本の立地条件を知る99.99%の人が共通認識として持って頂けてると思う。これを否定されるとボクは何も言えない。

島国である日本はどうしても何か日本の外で行おうとするとき必ず外へ出る技術を持つ者の助けが必要だ。

それは古来から船乗りであり、現代では航空機パイロットも含まれる。

先の世界大戦でも重要視されたのが船乗りだった。それどころか幕末明治維新の時点で船乗りもっと育てるべきではないか?という主張が強くあった。

日本世界貿易活性化させるためにも、そして(防衛であれ侵略であれ)戦争するのにも船乗り必要だと考えられたためだ。

外へ出る能力と、それらによって支えられる貿易日本急所なんだ。繰り返すが、これは幕末明治維新の時点で内側から指摘されていたことだ。

そのため第二次世界大戦では米国を中心として、日本急所を突くためにいわゆるABCD包囲網形成され日本は一気にモノ不足へ陥ることとなった。

モノ不足へ陥った日本はそれを解消すべく動かざる得なくなった。そうつまり真珠湾攻撃に端を発する太平洋戦争の勃発だ。

モノ不足で戦争に至ることは日本歴史上そう珍しいことではない。例えば戦国時代の興りは飢饉によるモノ不足によって豊かな土壌の奪い合いを始めたことが切っ掛けとされ、徳川幕府が安定したのは恒常的な飢饉が解消されたためという学説がある(突発的に起こる飢饉は別)。

このような考えは別に日本だけのものではない。ロシア南下政策も考えてみれば豊かな土壌と貿易のための不凍港を得るためのものだ。だからこそ当時の日本ロシアに警戒感を強く寄せたのだろう。既に経験しているのだから

先の世界大戦日本は誤った判断を下してしまった。急所である本土補給線の軽視をしてしまたからだ。護衛も付けずに輸送船を運航したり精神論補給が無くとも戦えると言ったのだ。それが「欲しがりません勝つまでは」の状況を生むにも関わらず。

そして数多くの艦船と共に多数の船乗りが海へ沈み敗戦を喫した。

それどころか政府徴用した民間商船企業賠償へ対して税率100%を掛けるという血も涙もない行いをする。

この記述理解しない方々も言うだろうからわかりやすく言えば、日本政府から賠償された全額を税として納めよということだ。つまり最終的に民間商船企業へ残るお金ゼロである

徴用した船舶と共に誤った判断によって補給線を崩壊させたにも関わらず、賠償金は最終的にゼロ民間商船企業船乗り戦争を嫌うには十分な理由になるはずだ。こんなこと繰り返してはならない。

再三言うが、日本はモノ不足によって戦争をする。日本島国なのでほぼ間違いがない。歴史がそれを証明している。

からこそ船乗り民間商船企業日本戦争を起こさないために国際貿易航路補給線を最重要視せよと訴える。

そして外国がもし何らかの理由によって日本戦争を仕掛けなければならないとなった際に、急所である補給線を狙うのは明白なので、日本補給線を狙うのは割に合わないと絶対的判断して貰えるだけの圧倒的な防衛戦力が日本補給線には必要なんだ。

もしこの軍備の増強に対して異を唱える方々が居るのであればボクは更に続けてこう主張する。

あなた達がボクの乗る船を守ってくれるのか」

「モノが無ければ日本戦争をするぞ」

「次の真珠湾攻撃の切っ掛けをあなた達は作る気なのか」

しかしたら強固な非暴力主義者の方々が「暴力はいけないので侵略されたら降伏したら良い」と言うかも知れない。これは非常に素晴らしい人道的な考え方だとボクも思う。

だかしかし「侵略される際、一番最初に標的となるのは補給線上に居るボクが乗る船だ。安全本土でボクの乗る船が沈む姿を見てから降伏するのか?」とボクは言いたい。

このような形でボクが死ねばボクは平和英雄として名前が碑に刻まれ永代語り継がれるだろうが、それは間違いなく神風特別攻撃隊が生まれ思想とまったく同じだ。

ボクはこのような美しい平和思想のための英雄にはなりたくはない。誰かの平和のために死にたくはない。あなた平和思想実現のために死にたくはないのだ。

ボクは自身を守り、そして日本をモノ不足へ陥ることを防ぎ、日本戦争の道へ進まざる得ないという結果へ至らせない軍備の増強を望む。

ちなみに船乗り労働組合である全日本海員組合憲法改悪へ対して反対している程度には反戦主義だ。憲法改正ではなく改悪に対して反対しているということをよく考えていただければ幸いだ。

2019-08-13

日本の歴史家を支持する声明

下記に署名した日本研究者は、日本の多くの勇気ある歴史家が、アジアでの第二次世界大戦に対する正確で公正な歴史を求めていることに対し、心からの賛意を表明するものであります私たちの多くにとって、日本研究対象であるのみならず、第二の故郷でもありますこの声明は、日本東アジア歴史いか研究し、いか記憶していくべきなのかについて、われわれが共有する関心から発せられたものです。

また、この声明は戦後七〇年という重要な記念の年にあたり、日本とその隣国あいだに七〇年間守られてきた平和を祝うためのものでもあります戦後日本が守ってきた民主主義自衛隊への文民統制警察権節度ある運用と、政治的な寛容さは、日本科学に貢献し他国に寛大な援助を行ってきたことと合わせ、全てが世界の祝福に値するものです。

しかし、これらの成果が世界から祝福を受けるにあたっては、障害となるものがあることを認めざるをえません。それは歴史解釈の問題であります。その中でも、争いごとの原因となっている最も深刻な問題ひとつに、いわゆる「慰安婦制度問題があります。この問題は、日本だけでなく、韓国中国民族主義的な暴言によっても、あまりにゆがめられてきました。 そのために、政治家ジャーナリストのみならず、多くの研究者もまた、歴史学的な考察の究極の目的であるべき、人間社会を支える基本的な条件を理解し、その向上にたえず努めるということを見失ってしまっているかのようです。

元「慰安婦」の被害者としての苦しみがその国の民族主義的な目的のために 利用されるとすれば、それは問題国際的解決をより難しくするのみならず、 被害者自身尊厳さら侮辱することにもなりますしかし、同時に、彼 女たちの身に起こったことを否定したり、過小なものとして無視したりする ことも、また受け入れることはできません。二〇世紀に繰り広げられた数々 の戦時における性的暴力軍隊にまつわる売春のなかでも、「慰安婦制度 はその規模の大きさと、軍隊による組織的管理が行われたという点におい て、そして日本植民地占領から、貧しく弱い立場にいた若い女性を搾 取したという点において、特筆すべきものであります

「正しい歴史」への簡単な道はありません。日本帝国の軍関係資料のかなり の部分は破棄されましたし、各地から女性調達した業者の行動はそもそも 記録されていなかったかもしれません。しかし、女性移送と「慰安所」の 管理に対する日本軍の関与を明らかにする資料歴史家によって相当発掘さ れていますし、被害者証言にも重要証拠が含まれています。確かに彼女たちの証言はさまざまで、記憶もそれ自体一貫性をもっていません。しかしその証言は全体として心に訴えるものであり、また元兵士その他の証言だけでなく、公的資料によっても裏付けられています。 「慰安婦」の正確な数について、歴史家意見は分かれていますが、恐らく、 永久に正確な数字が確定されることはないでしょう。確かに、信用できる被害者数を見積もることも重要です。しかし、最終的に何万人であろうと何十万人であろうと、いかなる数にその判断が落ち着こうとも、日本帝国とその戦場となった地域において、女性たちがその尊厳を奪われたという歴史事実を変えることはできません。歴史家の中には、日本軍が直接関与していた度合いについて、女性が「強制的」に「慰安婦」になったのかどうかという問題について、異論を唱える方もいますしかし、大勢女性自己意思に反して拘束され、恐ろしい暴力さらされたことは、既に資料証言が明らかにしている通りです。特定用語に焦点をあてて狭い法律的議論を重ねることや、被害者証言反論するためにきわめて限定された資料にこだわることは、被害者が被った残忍な行為から目を背け、彼女たちを搾取した非人道的制度を取り巻く、より広い文脈無視することにほかなりません。

日本研究者・同僚と同じように、私たち過去のすべての痕跡を慎重に天秤に掛けて、歴史文脈の中でそれに評価を下すことのみが、公正な歴史を生むと信じています。この種の作業は、民族ジェンダーによる偏見に染められてはならず、政府による操作検閲、そして個人的脅迫から自由でなければなりません。私たち歴史研究自由を守ります。そして、すべての国の政府がそれを尊重するよう呼びかけます

多くの国にとって、過去不正義を認めるのは、未だに難しいことです。第二次世界大戦中に抑留されたアメリカ日系人に対して、アメリカ合衆国政府賠償を実行するまでに四〇年以上がかかりました。アフリカ系アメリカ人への平等奴隷制廃止によって約束されたにもかかわらず、それが実際の法律に反映されるまでには、さら一世紀を待たねばなりませんでした。人種差別問題は今もアメリカ社会に深く巣くっています米国ヨーロッパ諸国日本を含めた、十九・二〇世紀の帝国列強の中で、帝国にまつわる人種差別植民地主義と戦争、そしてそれらが世界中の無数の市民に与えた苦しみに対して、十分に取り組んだといえる国は、まだどこにもありません。

今日日本は、最も弱い立場の人を含め、あらゆる個人の命と権利価値あるものとして認めています。今の日本政府にとって、海外であれ国内であれ、 第二次世界大戦中の「慰安所」のように、制度として女性搾取するような ことは、許容されるはずがないでしょう。その当時においてさえ、政府の役 人の中には、倫理的理由からこれに抗議した人がいたことも事t実です。し かし、戦時体制のもとにあって、個人は国のために絶対的犠牲を捧げることが要求され、他のアジア諸国民のみならず日本自身も多大な苦しみを被 りました。だれも二度とそのような状況を経験するべきではありません。

今年は、日本政府言葉と行動において、過去植民地支配と戦時における侵略問題に立ち向かい、その指導力を見せる絶好の機会です。四月のアメリカ議会演説において、安倍首相は、人権という普遍的価値人間安全保障重要性、そして他国に与えた苦しみを直視する必要性について話しました。私たちはこうした気持ち賞賛し、その一つ一つに基づいて大胆に行動することを首相に期待してやみません。

過去の過ちを認めるプロセス民主主義社会を強化し、国と国のあいだの協力関係を養います。「慰安婦問題の中核には女性権利尊厳があり、その解決日本東アジア、そして世界における男女同権に向けた歴史的な一歩となることでしょう。

私たち教室では、日本韓国中国他の国から学生が、この難しい問題 について、互いに敬意を払いながら誠実に話し合っています。彼らの世代は、 私たちが残す過去の記録と歩むほかないよう運命づけられています。性暴力人身売買のない世界を彼らが築き上げるために、そしてアジアにおける平和と友好を進めるために、過去の過ちについて可能な限り全体的で、でき得 る限り偏見なき清算を、この時代の成果として共に残そうではありませんか。

(※署名者一覧省略。187人の在米歴史学者の署名

https://networks.h-net.org/system/files/contributed-files/japan-scholars-statement-2015.5.4-jpn_0.pdf

2019-08-06

ドッグイヤーでいえば世紀末は150年以上前

テキストサイトことなんて誰もちゃんと覚えてないわけだ。

150年前となると日本の歴史で言えば江戸時代だぜ。

ライト兄弟が生まれたかどうかの頃だ。

画期的発明が次々行われ、憲法が作られ、人工が爆発的に増加し、無限の広さを持っていたと思われた世界が着々と狭くなっていった頃だ。

大昔にも程があるな。

思えば遠くまで来たものだな。

そろそろ死ぬか。

ネット世界にもコレ以上の広がりもあるまい

2019-08-03

anond:20190803141822

ピンポイント1944年だろうね。

日本の歴史の中で、国のために命を投げ出すのが最も正しいとされた瞬間だから

2019-07-22

若年世代選挙に行かないのは題材にしたフィクションがないか

コミックボンボン選挙漫画が連載されていたら日本の歴史は変わっていたはず。

ヴォートマスター
選挙管理人 ボウト

    マスダボウト

俺の名は増田暴徒。名前から顔つきまでどこにでもいる普通小学生

そんな俺だけど、秘められた使命があるんだ★

第1票 取り戻せ!民主主義

『速報!給食委員長は5年生の沙羅 曼陀くんに決定!』

諸君の華麗なる一票に感謝する』

号外号外図書委員長は6年連続当選 光明院 健作くん!』

『神に感謝

「ククク……順調だな」

「この学園も、もうじき……いや既に我らのものですな」

「フン……面白くもない」

「次の選挙風紀委員戦となります

風紀委員長こそ学園の実質的支配者、貴方様にこそ相応しいのでは?」

馬鹿を言うな。私に生徒会長以外の役職につけと?」

差し出がましいことを申しました」

……

「(次の選挙あいつらの好きにさせるわけにはいかない……)」


伊藤毒斎!伊藤毒斎!に清き一票を」

金貨チョコだよー毒斎様からの施しだー!」

「やったー」

「是非投票してくれよ!」

「わーい」



すまん。

飽きた。

脳内設定だと合併あおりによって人口ピラミッドに歪みが生じて高学年と低学年の比率が狂った学校舞台になってたり、一票の格差を利用して謎の逆転を遂げたり、なんか色々あって小学生なのに選挙違反逮捕されるやつがでるはずだったんだがな。

飽きたわ。

ごめん。

つうかさ、選挙テーマにした漫画とか見せられても子供が楽しめるとは思わんわ。

ひなまつり選挙回みたいにギャグにしても1年持つとは思えない。

グルメ漫画ばりに嘘っぱちをつきまくって適当に勢いでなんとかしようにも、子供って意外とそういうの見抜くから呆れられて終わる。

難しいなー。

若年層に選挙に興味持ってもらうの難しいわ。

無理だー。

この国はもうだめだーおしまいだー

つうかね。


そもそも個人的にはさ、給食委員長沙羅曼蛇くんの元ネタと『華麗なる』ってセリフでもうこの増田は落ちてる辛さ、もうそこでどうでもいいんだよね。

2019-07-03

anond:20190703124622

実にそう思う。

この国民あっての今の現状。

ただ、政府も、マイルドな"愚民化政策"が、自民政権を維持しやすいということも自覚しているでしょうしね。

日本の歴史には騒ぐが、そもそも人権自由主義の成長過程なんかを学んだ人間が増えない限り、そのうち、自由主義新興諸国に追い抜かれちゃいますよ。

2019-07-02

anond:20190702163822

社会の有り様を考えた結果が「女は穴も子宮もあるから選ぶ側」とは

近代日本の歴史すら何も理解できてないし馬鹿なんだなという感想しかないな。

2019-06-11

anond:20190611165214

いた過労が何度でも反復する

戦争は二度と繰り返してはならない

格好良さなどどうでもいいから生きていたかったのが80年前の日本の歴史

2019-05-30

大日本帝国って別に悪くないでしょ

なんか靖国が「大日本帝国プロパガンダ」とか言ってる人いるけど、そもそもプロパガンダもクソも日本の歴史の一部であって悪いものじゃないでしょ

帝国なんて国家はどこも侵略戦争植民地支配してたしな

今より民主主義レベルが低いのも過去なんだから当然でしょ

江戸時代とか室町時代を讃える施設なんて沢山あるけど別に何も問題ないわけで

明治以降讃えても問題ないわ

2019-05-28

自衛隊不要原発作業員不要

anond:20190528174619

敵が攻めてきたら無条件降伏で殺されなかったのが日本の歴史

しろ日本人を殺してたのは日本軍

原発作業員も不必要

福島原発って結局なんもできてないし封じ込めれてない

放置して距離をとるのが正しい

福島とその周囲200キロ放棄しよう

2019-05-23

なまら祭とおっぱい祭を見てたら

ちんちん神輿からちんちんの飴に至るまで圧倒的にかなまら祭りのチンチン描写の方がリアルで、おっぱい祭は丸に点程度のグッズが多い。

昔はおっぱいは性欲の対象ではなかったと聞くけど、この筋や皺まで丹念に作り込んだ溢れ出るちんちん愛と、おっぱい?あかちゃんの物でしょ?的なこだわりの薄いおっぱいを見ていると日本の歴史ではおっぱいよりちんちんの方が愛されてきたのだなぁと感じる。

2019-05-16

anond:20190516121752

ま~た関東大震災朝鮮人虐殺事件みたいな汚点が日本の歴史に加わるのか

んでロシア空挺軍に成敗されて無条件降伏

何度同じ過ちを繰り返すんだろうなあ

2019-05-11

文系学問における注と参考文献の話、補遺

文系学問において資料実在証明するものとは何か」(anond:20190510230425)についたブコメに応答&補足説明します。

参考文献と注は違うよ!

Wikipediaですら参考文献を求められるので、参考文献(ここで言っている注)のない本はある意味Wikipedia以下の信頼性と考えられても仕方がないことを多くの人に知らせるべきだと思う。

参考文献と注は違います! ぜんぜん別です! 参考にした本を並べてあるのが参考文献(厳密にはこの場合「参考文献一覧」)で、本文中の記述の出典を直接明らかにするのが注です!

参考文献と注については、以下の4つの組み合わせが考えられます

  • a)参考文献も注も揃っている
  • b)参考文献はあるが、注はない
  • c)参考文献はないが、注はある
  • d)参考文献も注もない

このうち、研究書として許されるのはaとcだけです。ここで問題にしているのはbとdで、多くの学術的な新書はbであり(中公新書とかでよくあるやつ)、ごくまれにdみたいな本があります最近だと、岩波新書の『ロシア革命』)。

えっ、cも許されるの? はい、許されます。なぜなら、個々の注でしっかりと典拠を示してある場合は、参考文献リスト存在せずとも出典の表示に不自由はないからです。

これだとわかりづらいかもしれないので、架空の例で説明してみます(わかりづらいかと思ったので書き直しました)。

a)増田うんこを漏らした(注1)。一方、同人作家おしっこを描いた(注2)。

(注1)はてな太郎増田研究Hatelabo2019年、819頁。

(注2)Y. Arim, Oshikko Collection (Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019), p.8107.

参考文献リスト

Arim, Y. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019.

はてな太郎増田研究Hatelabo2019年

b)増田うんこを漏らした。一方、同人作家おしっこを描いた。

参考文献リスト

Arim, Y. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019.

はてな太郎増田研究Hatelabo2019年

c)増田うんこを漏らした(注1)。一方、同人作家おしっこを描いた(注2)。

(注1)はてな太郎増田研究Hatelabo2019年、819頁。

(注2)Y. Arim, Oshikko Collection (Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019), p.8107.

d)増田うんこを漏らした。一方、同人作家おしっこを描いた。

cでも十分に出典表示として問題のないことはご理解いただけるでしょうか? 実際、英語圏でもcのような本はたまにあります。そして、著書ではなく論文レベルだと、cのようなやり方を採用している雑誌はとても多いのです(日本語圏でも英語圏でも)。いや、もちろん理想を言えばaみたいな本であるべきなんです。でも、紙幅の都合というものがあり、印刷費が嵩むからどこかを削りたい、となった場合には、真っ先に参考文献が削られてしまうのは致し方ないと思います

日本出版問題は、そこで「参考文献ではなく、注を削ろう!」という話になってしまうことです。違います注か参考文献、ページ数の関係上どちらかを削らないといけないのなら参考文献を削るべきなんです。

もし注がしっかりとつけられていれば、参考文献の欠如は「どんな文献があるかひと目でわかりづらい」程度の問題しかなりません。しかいくら参考文献があったところで、注がなければ「ではこの記述典拠はいったい何なのか」という根本的な問題惹起します(bの例から正しい出典を復元できるでしょうか?)。参考文献は省いても構いません。しかし注を省いてはダメなのです!(学術的な新規性のある本ではなく、学界の定説初心者向けにわかやす纏める本でなら、読みやすさを優先して逆の判断になっても構わないのですが)

もちろん、これはauthor-date方式やMLA styleの注をつける場合には適用できません。どういう方式かというと、次のような方式です。

author-date方式

増田うんこを漏らした(はてな 2019: 819)。一方、同人作家おしっこを描いた(Arim 2019: 8107)。

参考文献リスト

Arim, Y. 2019. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies.

はてな太郎.2019.『増田研究Hatelabo

MLA style:

増田うんこを漏らした(はてな 819)。一方、同人作家おしっこを描いた(Arim 8107)。

参考文献リスト

Arim, Y. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019.

はてな太郎増田研究Hatelabo2019年

こういう方式の注をつける場合には参考文献が絶対必要です。当たり前ですね(author-date方式についてはanond:20190511230117も参照)。

2種類の「参考文献」

自分実験室の試験管”イメージ偏ってるなー(´・_・`)理系論文での引用たことないんかな。普通に出典書いてるし、それを叩き台に積み上げたり、否定したりするんだが。博士論文なんか引用文献沢山乗るしね

理系学問についてのイメージが偏っている点についてはごめんなさい。でも引用については、申し訳ないけれどそちらが勘違いされていると思います(もちろん私は理系論文ちょっとしか読んだことないので、私に事実誤認があれば教えてほしいのですが)。

文系学問において、参考文献には2種類あります

このうち、理系論文で文献として挙げられるのは「先行研究」だけですよね? でも、文系では「一次文献」も参考文献に含まれ、そこへの参照が論文重要な核を占めているのです。

たとえば上皇陛下が書かれた論文(※1)を見てみると、確かに末尾にずらずらっと先行研究が並んでいますが、論文の核となる部分はあくまハゼ遺伝子を解析した部分にあって、それは当然ながら実験室で採られたデータであり、何らかの文献によって引証される類のものではないわけです。

しかし、皇族つながりで天皇陛下が書かれた論文(※2)を例に出すと、この論文において著者の主張の裏付けとなっているのは古文書における記述であって、その原本研究施設が所蔵していたり史料集として公刊されていたりするわけです(史料集って何ぞや、という点については後述)。

私が最初増田で言ったのは、この「一次文献」の問題です。多くの場合理系ではこういう資料引用しないですよね(最近だと古天文学歴史的史料引用するとかあるのかな?)。しかし今回の研究不正がなされたような分野においては、そのような資料こそが研究の核心にあるという話です。

もちろん、慌てて言いますが「なにをデータにするか」は研究対象によって異なります文化人類学のような分野では、ヨソの土地まで出かけていって住人たちとの会話を書き取ったもの資料です(この分野だと「インタビュー」とかいう生易しいものじゃなくて、ヨソの土地に住み込んでその土地言語習得して日常生活を過ごす中で遭遇した会話や出来事を持ち歩いてるノートに書き付ける、という調査方法が採られます。これを参与観察というわけですが、私にゃ無理ですわ)。記述言語学だと研究対象の言語話者にその言語を口に出してもらって記録する(「これを○○語でなんといいますか?」と聞くこともあれば、話者どうしで会話してもらってそれを横で聞くパターンもあり)、というやり方になるんだろうと思います。なので私が言っているのは、あくまでも近現代史やその隣接領域での話だと思ってください。

一次史料からといって信憑性が高いとは限らない

文系生データは出典となる書籍だったり、原典資料がある場所と。原典原典って、どんどん辿っていけるブロックチェーンみたいな形式理想ってわけか。一時情報当事者証言なら信憑性高いって判断にはなるし

違います! 当事者証言からといって必ずしも信憑性が高いわけではありません! たとえば戦争犯罪裁判にかけられた人の証言のことを考えてみてください。彼もしくは彼女証言をそのまま「信憑性が高い」として扱ってしまってよいか? そんなわけはない。

歴史学において一次史料が重視されるのは、それが「生データ」だからです。それはひょっとしたら当事者の保身によって捻じ曲げられているかもしれないし、当事者が間違えているかもしれないし、当事者が見ても聞いてもいないことは書かれていないかもしれない(たとえば「沖縄返還をめぐる日米交渉」を研究しようと思ったとき日本側の史料は「日本側の政策決定過程」を教えてはくれますが、アメリカ外交官たちがどういう考えを持って交渉に臨んでいたかを教えてはくれないのです。それを知りたければアメリカ側の史料を見るしかありません)。けれども新しい研究は必ず一次史料から出発する必要があるのです。何故ならそれは昔の人によって直接書き記されたものから

なので歴史学では「史料批判」というものを重視します。これは説明すると長くなるので詳しくは歴史学入門書とかを読んでほしいんですが、要するに史料に書かれていることはどのくらい信用できるのか、みたいなことを分析するわけですね。あれれ~? おっかしいぞ~? この人、自分は後方にいたか虐殺行為に関わってなかったって言ってるけど、部隊の記録では後方にいたなんてどこにも書いてないよ~?

(「なにが一次史料か」というのも研究対象によって変わります特に科学史史学史といった分野では「他の研究において先行研究とされている文献が一次史料である」という状況がしばしば発生するのですが、この理屈はわかっていただけますよね)

デジタルアーカイブ史料

図書館ScanSnap SV600を完備し研究する皆の熱意でデジタルライブラリが出来るといいな… P2Pで共有されればノード消滅にも耐えられる。しか日本ではプリウスミサイル上級国民は不逮捕で、P2Pプログラマ逮捕なので

出来るといいな、じゃなくて、既にあります

たとえば国立国会図書館デジタルライブラリーには幕末以降の古書が多く登録されていて、PDFで落とすことができます。archive.orgや、フランス国立図書館デジタルライブラリー「Gallica」も有名ですね。こういうところに所蔵されている文献については、わざわざ現地の図書館まで行かなくともPDFダウンロードすればそれでよいわけです。デジタル化によって歴史学者の仕事は格段にやりやすくなりました。18世紀ドイツ語の本をコタツに入ったままで入手できるんだもんなぁ。

しかし、当たり前ですが全ての史料電子化されているわけではありません。国によってデジタルライブラリーの整備状況に違いがありますし、そもそも現代以降に出版された印刷物の数を考えたら全部をデジタル化するなんて人手も時間も足りない、という場合もあるでしょうし、身も蓋もない話をすれば著作権問題もあるでしょう(とある国では、その国の図書館に直接行かないとデジタル化された史料アクセスできなかったりします。てっきりPDFはないと思っていたのですが、著作権上の問題で館内からしかアクセスできないようになっているだけだそうです)。

また、多くの国では、公文書館史料まではデジタル化は及んでいません。元増田でも書きましたが、お役所ちょっとした書き付けなんかも史料になるわけで、それ全部デジタル化しようとしたらとんでもない数になります(これについて、日本戦前外交文書のかなりの数をウェブで読めるので恵まれていますね……アジア歴史資料センター様には足を向けて寝られません)。なので未だに、現地に行って史料を直接見てくる、というのが重要になるわけです。

さらに言うと、史料が必ずしも公的機関によって保存されているとは限らず、貴族武士の子孫のおうちに保管されていて、読みたい人はご当主様の許可を得て読ませてもらう、という場合もあり、当然デジタル化の波は及んでいません。イギリスだと由緒ある大貴族屋敷には私設の文書館付属している場合もあり、日本歴史学者でもソールズベリ侯爵のお屋敷であるハットフィールドハウスに赴いて史料収集している人もいます。謝辞で「史料を閲覧させてくれた当代のソールズベリ侯に感謝する」みたいなこと書いてあって「すごい……」って思いました)

ただ、「みんなが読みたがる重要史料」については、史料をまとめた本を出すとか、史料を集めたマイクロフィルムを作るとか、そういう形で広く公開されている場合があります(たとえば第一次世界大戦の勃発に関しては、イギリスオーストリアなどの当事国が何十巻にも及ぶ史料集を出版していて、東京大学などの国内研究機関にも所蔵されています)。けれどそういうのを購入するのはお金がかかるし、何より発行から何十年も経ってしまうと入手自体が難しくなってしまう(でも著作権は残っているためデジタル化も遅々として進まない)ので、あんまりお金がなかったり新設されたばかりだったりする大学研究者は結局それらを所蔵している大学図書館に行く必要が……

「注があると読者に嫌われる」は本当か?

しろ最後の注を見て次の本を決めたりするので、注があると読まなくなる人というのがいるのにびっくり…

注なんて読みたくなければ飛ばせばいいのに注があると売れない……? やべえな世の中。/ みんな本当に自己防衛意識が弱いよね。優しい世界生きてるんだろうな

注があると読まない人が居るという話、ただ気持ちよくなるために情報摂取してる層には、正確性の担保なんてむしろ邪魔なんだろね。ワイドショー視聴者と同質。

これ、実際に「注があるから読まない」読者が本当にいるのか、と疑ってみるべき案件だと思うんですよね……。「編集から言われて注を外した」という話は学者あいから漏れ聞こえてきますが、「注があるから読んでいて苦痛だった」という話ってなかなか聞かなくないです? いやもちろん編集者のところにはそういう苦情のお便りが届いているのかもしれませんが……。「注があると売れない」という都市伝説が生き長らえているだけのような……(一般読者からしてみれば、注の存在に気づいてなかった、とか、なんか数字が振ってあるけど気にしてなかった、という場合も多いでしょうし)

注は別に読まなくてもいいです

ちゃんと注まで読んでるのね。今まで気にしたことも無かった…我ながら知的レベル低い…

注がついている本を読んでいる段階で十分かと思いますので安心してください。注は、もし興味がないならさらっと読み飛ばしても別に大丈夫ですよ。というか、注で典拠が示されていても、アラビア語とかギリシャ語とか朝鮮語とかロシア語とかで書かれている場合も多々あるわけで、そんなの普通の読者さんにチェックできるわけないですし。ただ、注を見てみると、おっ、ここはちゃんと原史料を読んで書いてるのか、なーんだ、ここは英語二次文献に頼って書いてるんだ、みたいなことがわかっちゃったりするので、学者仕事の裏側を垣間見ることができて面白いですし、どんな情報源を使って書かれているのか? をチェックしてみることは学術書だけでなく普通ニュースとかを読むときにも重要なことだと思いますよ。

ブコメ

物理分野では「参考文献」の意味増田とは異なる。参考文献は本文記述の直接の引用を表す。あとあまり明確に決まってないけど、注は捕捉説明を指す。「参考にした文献一覧」は存在しない。読書案内なら見かける。

誰がReferences(Bibliography)を参考文献と訳したのか。"refer"した文献のリストであって、本文の著述に紐づけられるものだけリストアップすればよく、逆に、何でもかんでも列挙して博識をひけらかすところではない。

や、まあ、文系でもたいていの場合は「引用文献」ってことですよ。それを「参考文献」と呼んでるだけ。参考にはなったけど言及してない文献は、私なら入れない(でも入れる人もいるかも)。

いま史学科にいる人間全員読んでリアルブクマしとけ。懇切丁寧な論文の"文法書"だぞ。

あなたがこの増田に感心してくれたことは嬉しいけれど、史学科の学生上から目線アドバイスしないでください。こんなの初歩の初歩で、史学科の学生さんならとっくに理解してます史学出身じゃない人たちが「そうだったのか~!」って言ってるだけ。別に史学科の常識を知らないのは悪いことじゃないけれど(私も他学科常識とかわかんないし)、自分が知らなかったある分野の初歩の初歩を解説されて、そこで聞きかじった内容をその分野を学んでいる人の前で「お前らこういうのよく読んどけよ~」って言えちゃうの、ちょっと傲慢すぎません?

2019-05-04

女系天皇に賛成している人達に聞きたい

おそらく賛成派の多くは「天皇になった愛子様を見てみたい」という単純な願望なのではないか

天皇になること自体は、法律改正可能となるからそれほどハードルは高くはない。

しかし、問題天皇になった後なんだよね。

愛子様が適齢期になった場合民間男性結婚して「皇族」になっていただく必要がある。

旧宮家男性を招くという選択肢もあるが、美智子様雅子様紀子様前例があるので民間から招くのが筋論であろう。

これは、美智子様はじめ民間女性皇室に迎える以上に、難関ではないだろうか。

皇室に入ってくる男性から、何かしらの「野心」を持っていないとも言い切れず、それをどうやって判別するのか。

日本の歴史上、民間人でありながら自ら天皇になろうとした、奈良時代道鏡の例もある。

それに女性宮家を作るということは、小室圭君を皇族として迎えることなんだけどね。

女系天皇制に賛成している人達は、この点についてどう考えているか

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