はてなキーワード: 失言とは
ヤフコメ民は「議会=悪」と単純思考な方が多いのか、「よくぞ言った!」とか「議会は改革すべき!」という意見が多いようだ。
しかし、この首長は失言や暴言で注目を浴びることが度々あり、地元民としては「また過激な発言をしてるだけだ」という印象が強い。
特に、ある自治体の首長にいつも喧嘩売っていて、地元の新聞やテレビでは首長同士の争いについてよく記事になっている。
そういう背景を知らずに、冒頭の発言だけ見ると、ヤフコメ民のような反応になるんだと、意外な気持ちになった。
もう一つ思うのは、議会=悪で思い込んでいる人は、どれだけ議員の仕事や議会の仕組みを知っているのだろう。
「議会側の情報発信が足りないからだ」という意見には一理あるが、一方で、一般市民の立場として議会を知る努力をしたことがあるだろうか。
例えば、自治体が発行する議会だよりなど読んだことがあるのだろうか。
どうしようもない議員がいるのも確かだし、これから議会も改革をしなければいけないこともたくさんあるだろうけど、「議会=悪」の考えも浅慮なのではないのかね。
キャッシュが残ってる> http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:blIvDuDYfZoJ:chaiy.hatenablog.com/entry/2016/12/27/221556+&cd=1&hl=ja&ct=clnk&gl=jp
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正直、迷った。この記事を公開するべきか、しないべきか。決して読んでいて気持ちのいいものではないし、ただの一個人の勝手な意見だから。でも、心にしまっておくのも限度がある。私の周りでも似たような意見を持つ人が多く見られた。どうせなら言いたいことは全てはき出してから新年を迎えたい。
この記事は「今の嵐は嫌い、昔の嵐は好き」というほぼアンチ化しているファン卒業間近の私が今の嵐について書いたものである。嵐大好き!という方は気分を害される可能性がありますのでご注意下さい。
私はグループ内での信頼や絆、目標、価値観、考え、そして思いを知るのがとにかく好きだ。その為、よくテキスト重視で雑誌を買ったりする。
どんなに大きな壁が待ち受けていようとも決して諦めず傷だらけになりながらも頂点を目指す、そんな人間味のあるグループに惹かれる。
また、ライブの演出や構成が好きな分拘りも強いし、ここはもっとこうした方がいいんじゃないかと気になる事があればすぐさま友人と語り合うほどだ。メンバーの発した言葉や行動に不快を覚えれば叩く事だってある。それほど性格も口も悪い。
これから綴る文章はそんな私の個人的な意見にすぎない。共感を求める訳でもなく、喧嘩を売るつもりもない。どう思うかは自由だ。ただ、近年思っていることをこの場に書き留めておきたい。
私は昔の嵐が好きだ。詳しく言えば10周年前後の2007~2012年。この頃が好きなファンも多いだろう。
1999年にデビューした嵐。当時5人中3人が辞めたかったと話している。チケットが売れずに悩んだり、自分がどこに向かっているのか分からなくなったり。これからの嵐について深夜遅くまで語り明かした日もある。嵐という立場の自分に大きな葛藤を抱き、悩み、苦しみ、藻掻き続けた5人は「トップになる」というひとつの夢を掲げ這い上がってきた。その小さな努力の積み重ねが形となり、2008年頃、抜群の歌唱力とトーク力を兼ね備えた親しみやすいグループとして世の中に浸透していった。
そんな嵐のことをメディアは「仲がいい」と表現した。確かに5人の仲の良さは大変微笑ましいもので、歌っている時に目を合わせて笑ったり、ふざけ合ったり悪戯をして楽しんだり。その反面やる時はやる。ファンの為に真剣に仕事に取り組むその姿はかっこいいとしかいえなかった。
嵐はアットホームな関係性で見ていて和やかな、穏やかな気持ちになるグループだ。さりげない気遣いや思いやりを持ち、5人でいることへの感謝の気持ちを忘れずに仕事をしている。お互いがお互いを必要として「嵐」であることを誇りに思っているのだ。
その純粋な思いは5人のイメージや才能を圧倒的に開花させ、国民的アイドルとまで上り詰めた。
ライブが出来る喜びや有り難さを実感しながら作り上げる嵐のコンサートは誰が見ても幸せな空間といえるものだった。一緒に楽しんで一緒に笑顔になる。きめるところはきめ、魅せるところは魅せる。何しろ飽きさせない、つまらないと思わせない。グループとしてうまくバランスがとれていたせいもあり心の底から楽しいと思えたライブができあがっていたのだろう。
しかし、近年の嵐はどうも違う。こればっかりはどうしても挑発的な言い方になってしまうがいくつか例をあげて話したい。
まず一つとして仕事に対してのやる気のなさが取り上げられる。これは特に最近になって目立つようになってきた。リハが始まる直前まであぐらをかき、スタッフに「次○○(曲名)やる?」と聞かれても「やらない」と即答。これは本人達の気分もあるだろうから仕方が無いのかもしれない。
また、一部のメンバーに限るが、収録中にも関わらず寝ていたり、頬杖をついて人の話を聞いていたり。それを他のタレントに注意され頬杖はやめても指をトントンすることから苛立っている様子が伝わった。
二つ目は態度。クランクアップした役者さんに向けて花束を投げて渡したり、ゲストの前でもだらっとした格好で座っている姿が映っている。そんな行動を一部のファンは可愛いといっているが私はそうは思わない。少なくとも花束を投げて渡すというのは非常識にも程があると思う。それでも可愛いという人は自分がその渡された役者の立場になってみて考えてほしい。
三つ目は失言。「金いらない」「いつになったら飽きるの?」「チケット争奪戦が楽しみ」分かっている。バラエティだからふざけて言ってるだろう事も、ウケを狙って言ってるであろう事も。そんなこと分かっている。けど金いらない発言は流石にいらっときた。ファンは夢を買っているのだ。歌って踊って夢を見させてくれるアイドルが好きで、応援したくてお金を払っているというのに。そんなこと言うんだったら仕事なんてしなきゃいい。申し訳ないがそう思った。
また、去年に続き今年もコンサートという場でファンにガチ切れ。そんなに言いたいことがあるんだったらいっそのことはっきり言ってほしいものだ。今の嵐はいちいち文句をつけなきゃやってられないのか。
挙げ句の果てには散々今までファンと呼んでいたのをついには客扱いされるようになってしまった。これは四つ目の点として「近年のコンサート」の話にもなるのだが、私たちファンは彼らを明るく照らし、演出の一部になり、一緒にステージを作り上げる。確かにそうだ。だが、私としては一緒に楽しみたい。例として言えば2010年、11年の「Scene~君と僕の見ている風景」や「BeautifulWould」があげられるだろう。会場が国立というせいもあるかもしれないが同じ歩幅で、同じ距離感で、同じ方向を向いていたあの頃は本当に良かった。誰が見ても楽しいと思えるコンサートになっていて彼らと気持ちを共有して見ている景色が同じだった。それが私は嬉しかった。
けれど今、私はあの頃のようには思えない。ペンライトの演出が年々パワーアップしていってるのはいいが少々拘りすぎではないか?演出に頼りすぎていないか?制御ライトの制御を強制されてる気がしてあまり好ましくない。2014年のデジタリアンで使用されたファンライトに到ってはただ演出の為だけに作られたようなものだ。だってあれ、光が嵐に向けられてるんだもの。ステージにいる者だけが見れる、つまり映像映えするように、ということなんだろう。だからファンライト(ファン=ライト)なのかもしれない。
このようなことから、私は嵐がどこを目指しているのか段々分からなくなってきていた。以前よりファンを大切にしていないと感じる人も中にはいるのではないだろうか。
更に近年の嵐について調べあげ、具体例をあげたいと思う。
・どんだけ売り上げ伸ばしたいねん
今回のアルバム発売後、事務所から通常版購入特典として「嵐から皆様へ感謝の気持ちをご用意させていただきました」というアナウンスがあった。なぜ初回を購入した人には送られず通常なのか。それは売り上げ向上の為なのだ。
実を言うと最新のアルバム、シングル共に売り上げが落ちている現状である。
◆嵐1stアルバム~現在「Are You Happy?」までの売上数
◆嵐シングル 2015年「Sakura」~現在「Power of the Paradise」までの売上数
原因としては昨年と今期のメンバーによる熱愛報道、ライブの内容、CD・DVDを買う需要制、また年齢が年齢の為、若手グループに担降りしているのが主な理由だと考えられる。先ほど書いた通り、失言の多さややる気の無さが気になって離れた人もいるだろう。
そんなこんなで今事務所は売り上げを伸ばす為に必死になっているのだ。何としてでも今までの売り上げ数に並んでおきたい、そんな概念があるように見える。だから発売から一ヶ月以上たっていても新たな「嵐クローバー」というキャラクター&CMを作り宣伝し続けていたようだ。
更には現在行っているライブのMCにてほぼ全公演でアルバムを買ったか買ってないか、買ってないなら是非お買い求め下さいと、まるでセリフのように呼びかけている。上からの指示で言っているのか本人がただネタとして言っているのか分からないが、何としてでも売りたい、そういう風に捉えられる。
11月のVS嵐にて「もう一度見たい名場面集」という企画があった。そこに第二位としてハワイで5人だけで語り合った回がランクインした。確かに素晴らしい回だった。15周年を迎えた今の彼らが本音で話し合う、それは私にとっても凄く好きな内容で、当時思っていたことや、もし嵐になっていなかったらなど5人の気持ちを知れて嬉しかった。
だがしかし、もうハワイネタはいいんじゃないだろうか。「辞めたかった」そう打ち明けられた時の2人の顔。気付いていただろうか。とても哀しい目をしていた。あんな顔、もう二度と見たくない。嵐で頑張っていこうと決意した2人にとっては、突然突きつけられた衝撃の言葉に動揺を隠せなかったのであろう。
そして、名場面集第一位はメンバー同士のキスシーンだった。何故これが一位なのか投票した人に伺いたい。赤さんが「俺らのファンきも(笑)」と思っていてもおかしくない。いや、思っただろうな、きっと。
去年のドーム公演にてある女性アイドルグループを招待し、その子達に向かってファンサービスをしていたという目撃情報がファンの間で話題になった。その公演はDVD化され、ファンサービスをする様子も映り込んでいる。これに対してファンは双方に激怒したのであった。
そして先週のドーム公演にはあるメンバーと共演した女優さんが来ていた。勿論そちらも満点のファンサービスを振る舞っていた。
毎回嵐のコンサートは招待客が多いので有名だ。共演者、関係者、更にはメンバーが連れてきている人も入っている。招待客にはファンサービスするくせに肝心のファンにはスルー。一部ではビジネスコンサートなんて言われている。共演者を見るよりも、何倍もの倍率の中やっとの思いで当選して、年に一度会えるか会えないかのプラチナチケットを手に入れてここまで会いに来たファンを見るべきではないのか。ファンサービスするべきではないのか。誰の為に行っているコンサートなんだろう。
・今更銀テの話
アリーナツアーでも話に上がったそうだが、先日のコンサートにてファンが銀テ取りに夢中になっていると「銀テじゃなくて俺ら見てよ」「取りすぎ」「1個でいいだろ」という発言があった。今更何を言ってるんだ。いちいちつっこむ私も私だが銀テ取るのも取らないのも客の勝手だろう。以前「銀テにロゴ入れ始めたのは全部客に取らせて掃除を短縮している」というのを聞いたことがある。それを取るなと?逆に銀テ発射されても誰一人取らずに嵐を見てたら。想像するとあまりにもシュールすぎる。ファンを見ないくせに俺らを見ろと。もう少しファンとちゃんと向き合って欲しい。
・回りくどいぜ兄さん
何でもかんでも遠回しに説教してくる。
例えば。「どうせネットでばらされるなら先にセットリスト公表しちゃおうか」つまり、ネタバレすんなよ、と言いたいんだろう。ならそう言ってくれればいい。某グループはファンに「楽しみが無くなるのは嫌だからツアーのネタバレは禁止」とちゃんと呼びかけている。だからファンは守ってる。何故嫌みっぽく煽ってくる。はっきり言えばいいのでは。
・調子乗りすぎ、自慢しすぎ
メンバーが特定されてしまうが、やたらと「第39回」と推してくる。正直言ってしつこい。受賞したからっていい気になりすぎじゃないか?前回の受賞者は自慢もせず何度もその話をあげることは無かったのに。
嵐のコンサートに行ったというと誰もが凄いね!という返事が返ってくる。私の職場では「宝くじ当てるのと同じくらいだよね?!」なんて言ってくる。確かに嵐のコンサートは入手困難な超プラチナチケットといわれる程大人気だ。現在の嵐ファンクラブ人数は200万超え。数字だけ見ると爆発的な人気を誇っているように見えるがこの中には退会した人も含まれている為、実際はどのくらいの人数がいるのか気になる。
肝心のコンサート内容は簡単に言えば「アルバム曲+定番曲(感謝カンゲキ、Love so sweet、Oh yeah辺り)+制御ペンライト=嵐のコンサート」となっている。ただ演出が凄い、それだけ。以前の楽しさはどこに消えたんだろう。いつもと同じ曲、同じ順番、更に説教付き。演出に頼らず、一度素で勝負したらどうだろうか。
・本当に仲が良いのか
例えば2010年「君と僕の見ている風景」特典映像の強化合宿。私はこの映像が大好きだ。ロケバスで自由に話す5人。寝るところをじゃんけんして決める5人。赤さん一人だけ皆と並んでないのが寂しくて結局一緒に並んで寝ちゃう5人。着地するときに支え合う5人。くだらないことで笑い合う5人。楽しそうにレコーディングする5人。私にとって手放せない大切な1枚だ。
その頃と比べると今は本当に仲が良いのか疑ってしまう。カットという言葉がかかれば真顔、無言。前はこんなんじゃなかった。勿論大人になったせいもあると思うが5人集まることが「仕事化」している気がして。いや、仕事ではあるんだけど。それぞれに壁が出来ている気がする。嵐はお互いに気を使っている、だから揉め事が生まれないなんて言ってたけど果たしてそれでいいのだろうか?気を遣ってると自分の気持ち、意見が押しつぶされるのでは。本当に思ってること、言いたいことが言えないのでは。こればっかりは私は一般人だし嵐でないのでわからないが。何にせよ、今の嵐でちゃんと話し合った方が良いと思う。このままじゃバラバラになっていく。
去年のツアーにて「なんだよ、原点回帰しただろ」「原点回帰の意味知ってるか?」等。そして今年はアンコールの声が小さいと怒られ「いつも出てくると思われても」なんて言われ、面白かったから笑ったのに「は?」とキレられる。
今の彼らはアンコールで出てきて当たり前、という風に思っているところがある。それに、しようがしないが、これも客の勝手だろう。アンコールするほどの価値がないと思ったらしない。この間の公演でもWアンコールを用意してたにも関わらずアンコールの声が無かった為、それにて終了となった。どうせ客としか扱ってないのなら、アンコールがどうとか、声が小さいとか、セトリがどうとか文句言わないでほしい。
他にも書きたいことは山ほどある。これでもかというくらい、次から次へと言いたいことが出てくる。
アイドルは人気になればなるほど、提供してくれるものと、こちらが求めているものに誤差が生じてくる。求められている事全部に耳を傾けるのはとても難しい事だ。
それに、嵐は世間に美化されすぎた。「嵐」の○○が好きで、「嵐」の○○だから使われて。正直、名前の頭に「嵐」をつけなきゃ誰なのか分からない。誰もが皆コンサートに行きたがるけど、結局は「嵐のコンサートに行った」「嵐に会った」そういう肩書きが欲しいだけなのでは。
もう疲れた。
どうして説教されなきゃいけないんだろう。どうして楽しいはずのコンサートで涙が出るんだろう。哀しくなるんだろう。
どうしてもやもやしたまま帰らなきゃいけないんだろう。
こんな思いをする為にファンになったんじゃない。ただ、あの頃のまま一緒に歩いていきたかったのに。ペンの指す方向に、先陣切って歩いて行くあなたたちについていこうと思えたからついてきたのに。あなたたちが見せてくれる夢を見たくて買ったのに。
どうして。どうしてこんなにつらいんだろう。
苦しい。
変わってほしくなかった。
変わらずにいてほしかった。
ちゃんと愛してほしかった。
でも。もう既に心は決まっている。
さよならまであと少し。
400字詰め原稿用紙4枚分くらいある。
両親ともにオタクで、私自身も〜専門学校の友人は100%オタク。
小中高と、オタク的な会話がほとんどで、自分のことや人のことに関して直接口にすることが多くなって、
自分に失言が多いこと、毎日存在を意識している人以外との約束を忘れるということ、遅刻が多いことに気がついた。
専門学生になってグループワークが増えて、オタク的な会話ができない状態になって、
貶すつもりはなく言ったことに対して後ほどLINEでさっきの発言はどういう意味?と怒られたり、
毎日顔を合わせていない人(twitterで繋がってない人)との約束を何度もすっぽかしたり、
高校と違って授業が変則的になり毎週毎日同じ時間同じ場所ではなくなったせいで混乱して遅刻ということが増えて、私おかしいのでは?ということが多々発生するようになった。
決定打だったのが、Twitterで回ってきたまとめ(http://togetter.com/li/1047924)。
初めは忘れっぽい不注意マンあるあるじゃんと思って読んでたら、参考元の本がADHDについての本で、あまりに当てはまりすぎたから、そうなのでは?と思った。
それで通ってる心療内科で相談したらADHDないしはADDということで服薬をしている。
思い返してみれば、小さいときは食事中に座り続ける事ができなくてよく怒られていたし、
中学からは人の指示に従うことが難しくてだったら自分が指示する側になれば良いのでは?と委員長をやっていたし、
授業中静かにすることが難しいから手を上げてよく発言していたし、
座っていても脚を組んだり組み直したりが多かったり、何か一つのことをやっても中途半端で投げ出したりしてた。
部屋は常に雑然としているし字は汚い。
オタクだから、アニメ・マンガ・ゲームには集中できるけど他のことにはあまり集中できず、
常になにか考えていて頭のなかで声や会話がしているんだと思っていたら、自分の問題だった。
今、正直、ADHDという診断がついてほっとしてる。
今まで荷持は3つ以上にしない、とか、自分は飽きっぽいからやると思ったときに一気にやる、とか、
などと失敗してダメージを受けて反省して経験則としてわかってきたことが、ある程度の対策をはじめからできる。余計なダメージ食らわなくていい。
幸いにも内定先が自分の好きなことに直結しているし始業時間はゆるいしオタクばっかりの職場でよかった。
あまりにも生きにくいと感じてる女オタクは服薬で落ち着いたり対策が取れるようになるかもしれないから一回病院行ったらどうかな。
今までオタクだからしょうがないと思ってたのがADHDによる生きにくさだったら、少しは解決するかもしれない。
私は少なくともオタクだから自分が発達障害だったことに気が付かなかった。
おわり。
このゲームで〔松本城〕というのは、現実の長野県松本市に建っている松本城のことではない。それをモチーフにした架空の美少女キャラクターのことを指す。
今回問題になっているこのキャラがしゃべっている言語は、実在するアイヌ語をモチーフにして作りあげた変テコな口癖をちょっぴり混ぜこんだだけの日本語である。そういう日本語のことを指して〔アイヌ語〕とよぶのは、このゲームの公式設定でそう決っているというわけではない。
それにもかかわらず、担当声優は「アイヌ語でお話しするかわいい子です♪」とツイートしてしまった。
私はこれが失言だったと思う。
アイヌ語ではないものを"アイヌ語"だと宣伝してしまったのである。現実世界とゲームの世界、どちらに照らし合わせてもこのツイートは誤りだ。
さらに一層悪いことには、このツイートに出てくるタイプの偏見が現代社会におけるアイヌ差別にも直結してしまっている。
例えば「アイヌ民族は存在しない」という差別的な主張を唱える者たちがいるけれども、彼らがよく根拠として出してくるのは「アイヌ人も日本人と同じ言葉をしゃべるし、文化的にもまったく同じ生活をしている」ということなのだ。
声優のツイートは「アイヌ語は北海道の一地方の方言であり、基本的には日本語とほとんど同じものだ」という誤解を与える。それは差別に加担することになりうるし、その点はもっと慎重になるべきだった。
なので、製作者側が対策としてできることがあるとすれば、あれをアイヌ語だとする主張を撤回することだ。もしくは「アイヌ語をモチーフにした口癖です」ぐらいのかんじで、適当な主張に改めればよい。
いやまあ、今から公式設定を追加して、「このゲームの世界ではこれこそが正しいアイヌ語なんです。現実のアイヌ語とは違いますけどご理解ください」という強弁をすることもできる。フィクションだからその方法で押し通すことも可能だ。とはいえ、わざわざそれをやる必要は感じられない。
同じく海外赴任したことのある身から想像するけど、海外赴任できるチャンスを得られたということはそれ自体が恵まれている。
もしかしたら貧しい中で必死にバイトして留学資金を貯めたのかもしれない。家族から見放され家を飛び出したのかもしれないが、それでもなお。
ただ、海外に出て世界の広さを感じると別の部分が鈍感になる傾向がある。よく陥るのが「自分が努力してできたんだから他の人だってできるはず」という思い込みである。
そしてあなたは日本だけでなく多くの国で問題になっている「閉塞感」というものが理解できていない。
国がどれだけ恵まれていようがその恩恵に預かれない人がいる。そして自身の生活を打開できるだけの精神力を持つことを許されなかった人がいる。
この人たちは「恵まれない」環境にいるのだ。物理的に恵まれない人へは同情が寄せられるが、精神的に恵まれない人はあなたが敵意を向けるように理解を得られないことが多い。
物質的に「日々の食べるものにも困り、生きてくるだけで精一杯だった」人がいるのと同様に「精神的にぎりぎりで、ここまで生きてくるだけでも精一杯だった」という人たちがいる。
その人たちとあなたは90度くらい違う。私も英語とプログラミングができるので、別に何をしたってどこの国だって生きていけるという安心感がある。これだけで世の中がどれだけ悪かろうが夢を持て、生きていくエネルギーを得られる。
しかしそれもこれも基本的には努力できる恵まれた環境を用意してもらえたからだ。恵まれた環境を与えられずエネルギーが尽きかけてる人に、エネルギー源のある人の方法論を唱えても使えるものじゃないんだよ。
世の中に届かない方法論は国を良くしない。
「原発立地自治体はいままで散々おいしい思いをしてきたのに反対するとは何事か。俺が政治家ならすぐに再稼働するのに」という意味合いの発言を聞いた。
最悪である。
こいつは今までに政治家が地方にどれだけ頭を下げようやく原発を建てさせてもらったかをまったく分かっていない。事故は起こさないという約束を守れずどれだけ信頼を失ったかを理解していない。仮にこんな奴が政治家になったら失言の上、地方自治体から総スカンくらって即更迭である。国のために何の役にも立たない。足を引っ張るだけ。
最初から最後まで、皆うんうんと頷いて聞くだろう。そうだね、その通りだよ。今までの人生で1000回くらい聞いたよ。そして半年後には別の誰かの1100回目のお話で上書きされ誰もあなたのことは覚えていない。
あなたの意見が間違っているわけではない。個人の幸福の追求方法としては正しいが、多数の幸福を求める場合、思いが届く範囲が狭すぎるのだ。国を良くしたいならその方法は効果が薄い。
あなたのような意見が聞けるのはいいことだ。きっと日本をよくできる、個人でも頑張ろうという人が少なからずいるということは日本にとって明るい材料だ。
しかし閉塞感の蔓延した世の中には届かない。ここ20年間以上、無力感を蓄積させられた人たちに必要なのは「頑張れば日本は良くなる」ではなく「良い日本にするから頑張れ」だ。閉塞感→不景気→少子化の悪循環を止める現実的な少子化対策だ。
今回の「保育園落ちた日本死ね!」は結果として「お!?きっかけはともかく、実際に対策が打たれたぞ!?こいつは明るいニュースだ」と今保育園に入れられない現実に直面している人たちの背中を押しただろう。子供が一人増えれば、何世代か後にはGDP数億円分に貢献したことになる。
理想とは言い難いが「伝わる」物言いが世の中を変える。(途中で気づいたが、トランプ大統領誕生も一種のそれだな。私はトランプを支持してないので書いてて自分の胸に刺さったわ……)
なんと、仮想増田だったとのこと……『種明かし』http://anond.hatelabo.jp/20161205182802
なぜ喋らないのか考えられる原因を列挙しました
・人との交流に興味がない
・特定の人達とだけ喋らればいいと思っている。相性が悪い人と無理に話す必要は無いと思っている
・声を出すことや会話が怖い、緊張する。傷つきたくない
・交流には興味あるが話題が思い付かない。もしくは頭の回転が遅い
・聞き専である
・趣味や思考回路が相当変わっている為、普通の人と話題や会話のスタイルが合わないから交流を諦めている(早口で論理的にまくし立ててしまう為、普段は話さないなど)
・自分が会話に入っていくことが迷惑になると考えている、または自分が嫌われていると思って萎縮している。
・会話の相手を嫌いか、怖いか、興味がないか、関係がこじれていて気まずい
・会話の相手がこちらの沈黙を好みそうな人だから、またはうるさいのを嫌いそうだから
・話しかけた相手に誤解されたり、変な好意を持たれることを予め防ぐ為
・誰かと「話さなくても成り立つ関係」を築きたいと思っているか、誰かと既に築いている(アイドルとファンのような関係など)
・いつかは人に嫌われるような問題を抱えていると自覚している為、最初から人と関わらないと決めている。
・いつか絶対に来る別れで悲しまないように初めから人と関わらないと決めている。
・知られたくない秘密があったり、その場に話の内容を聞かれたくない人がいる
・喋らないことで相手に一方的に喋らせ、情報的に有利な立場につこうとしている。
・事実でない噂が流れているのを訂正せずに放置しておきたい、偽りの噂によって虚像を作り上げたい為、沈黙している
・「寡黙な人」や、「やれやれ系」だと思われたかったり、神秘的なイメージを形成したい。
・喋らないことで威圧感や不安感を与えるなどして相手を操りたい。もしくはプライドが高く自分から話しかけたら負けだと思っている。
・その場の特定の人と人間関係を築くと、自分の別の人間関係に支障を来すと考えている(「あの人と仲いいと思われると困る」)
・目立ちたくない
・どういうキャラで話せばいいか分からない(自分のキャラクターについて特定のレッテルを貼られたくない)。もしくは今まで喋らないキャラだった自分が急に喋ったらどう思われるだろうかと躊躇している。
・不祥事、スキャンダルを起こしたため嫌悪の嵐が収まるまで交流を断とうとしている。
・人間関係に関して破滅願望や自虐心がある。または、孤高の状態に対する自己陶酔
・保守化、様子見。会話を断つことによっていままでの関係を維持するか、見直したいと思っている。
・事なかれ主義。話に加わると、自分に責任が降りかかるなどの災厄があるかもと考えている
・失言をふせぐため
・話さないことで逆に何かを伝えようとしている(無言のアピール)
・考え事や、目標達成の為の努力など別のことをしているので話したくない
・人と関わることによって俗欲が生まれたりメンタルが乱されたりして別の活動に支障が出るのを予め防ぐため(隠遁者の発想)
・言語が通じない
・物理的に喋れない
・耳が聴こえなかったり、声帯や反回神経に障害があり、医学的に声が出せないか、交流に障害を来すほどの知的・精神的疾患がある
一番最初の「人との交流に興味が無い」タイプを分類し直すと、完全に他人に興味が無く、人目も気にしないスキゾイドタイプ、自意識は高いが他人には興味無い自意識オンリータイプ、一部の人にしか興味を持てない選別タイプ、会話より考え事や空想が好きなデイドリーマータイプ、日常的で些細な話題に興味が無く抽象的な議論や専門分野や自分の好きな世界のみに興味を示す異星人タイプ、人には興味があるが会話のマナーやプロセスが面倒臭い怠惰タイプ、別の人間関係で満たされている幸せお腹いっぱいタイプ、歳をとって色々なことに飽きた悟りタイプなどに分けられると思います。
また、大きく分けると、喋らないタイプと、喋れないタイプ、理由が自分にある場合、相手、環境、関係性の中にある場合、感情型と目的型と消極型と障壁型に分けられます。
※指摘があったので触れておきますが、この記事は喋らない人を見下して書いたものではなく、ただ単に原因を列挙することを目的としたものです。(私自身が「喋ら(れ)ない人」です。)
#9観た。一期からの伏線である、田中あすかの瞳に世界はどう映ってるのか、彼女の本音は何なのかというところに一応の決着がつく回だった。手放しで絶賛するほどではないものの、けっこう興味深いところもあったので書く。
一言でいうと嘘つき。もうちょっと言うと過干渉を嫌い、それを笑顔とジョークによって躱す処世術は身につけたものの本音が外に漏れるぐらいまで一杯一杯になってる普通の女の子だった。
「あの人のこと嫌いってわけじゃないの」
(中略)
「嫌いじゃないって言いましたけど、嫌いなんですよね、お母さんのこと」
あすかと久美子のやり取り。嘘を即座に看破され、その後もっともらしい言い訳を述べるが、内心は母親をそうとう嫌悪しており、それを体のいい言葉で取り繕っている――ということは直前の香織とのやり取りを見ても明らかだ。
https://i.gyazo.com/cce45435ce91ef4c1afafb65ed403306.png
https://i.gyazo.com/c73ef75ed14157800b37d979b5fa2c4a.png
この過干渉に対する露骨な嫌悪は、パターナリスティックな母親を想起してのものだろう。しかし香織が顔を上げるや笑顔になり、別れを見送りつつ「カワイイでしょ、香織って」と久美子に語りかける。直前の表情からすれば「ウザいでしょ、香織って」とでも言いそうなものなのにそう口にすることはない(みぞのぞの結末を目撃した我々は、一見すると仲の良い友人であってもそこに温度差があることはすでに承知しているはずだ)。
父親から贈られた曲を否定してほしいのかもと言いつつ、実際に思ってるのはその逆だ。ということは吹く前に「……本当に聴きたいと思ってる?」と不安げに確かめるところから察することができる。
そもそも久美子を家に呼んだのは、私利私欲に走った自分の苦しい胸の裡を誰かに話したかったからだ。そこからもあすかは特別なんかじゃなく、弱いところも持った普通の少女だということが判る。
むしろ特別なのはそんなあすかがハッとすることを折に触れて言う久美子のほうだ。
特別なあすかや麗奈に比べれば普通といっていい久美子は、しかし実際のところ作中における特異点だ。それは1期から麗奈によってしばしば語られてきており、今話でも強く指摘された。
「久美子ってなんか引っかかるの。普通のフリしてどっか見透かされてるような、気づいてなさそうで気づいてるような……」
「なにそれ……」
「そして、いちばん痛いときにポロッと言葉になって出てくる。……『本気で、全国行けると思ってたの?』」
「あれは……、あの時は……」
「だからなんか引っかかる。ギュッと捕まえてその皮はがしてやるって」
「あすか先輩も……?」
「判らないけど」
あすかにも府大会の直前に「今日が最後じゃないですよ。わたしたちは全国に行くんですから」と言って意味深な笑顔を浮かべさせたり、「嫌いじゃないって言いましたけど、嫌いなんですよね、お母さんのこと」とか「あすか先輩がいつもと違うんですよ」などと言ってハッとさせる。
これは久美子の失言王(http://dic.nicovideo.jp/a/%E5%A4%B1%E8%A8%80%E7%8E%8B)というキャラと密接に結びついている。1期の開幕では「本気で、全国行けると思ってたの?」と言って麗奈に睨まれ、吹部の新歓を聴いては「ダメだこりゃ……」と零し葉月に聞き咎められる。いずれも“失言キャラ”というキャラ立ての一環であると同時に、本人の意図によらないところであっても本質を思わず突いてしまうという側面にもなっている。そしてそれは1期#8で結実し、今話においてより大きな伏線の回収という形を描いた。思わず「おおう」と唸るところだ。
「……本当に聴きたいと思ってる?」
「はい!」
「?」
「私、自分のことユーフォっぽくないってずっと思ってたんだ。だから黄前ちゃん見たときびっくりしたの。こんな……こんなにユーフォっぽい子がいるんだって」
「……褒めてます?」
ここであすかが吹いたのは父親から贈られたユーフォのソロ曲だ。ユーフォだけで構成された、独りで吹ける、あすかのためだけの曲。ただ本質的にユーフォはソロ向きの楽器ではないし、吹奏楽においてもペットのような花形にはなりえない。オーケストラにおけるチェロになぞらえられるように、オブリガードや伴奏などで曲に深みを与えるところで活躍する。ユーフォは集団の中でこそ輝ける楽器なのだ。
久美子は楽器を習い始めた当初からユーフォを吹奏楽の一部分として捉え、楽しんできた。集団の中にあることを疑わず、まっすぐ素直に受け容れてきた。
あすかにとってユーフォは父親と自分をつなぐ唯一の存在だ。みぞれにとってのオーボエのように大切な誰かとつながる唯一無二の手段。だから「私は遊びでやってるわけじゃない。独りで吹ければそれでいい」とさえ言う。そんなあすかにとって父親から贈られた曲は心の支えだったろう。だけどそれは同時に、父親に囚われているということでもある。あすかは母親だけじゃなく父親からも囚われている。そんなずっと独りで吹いてきたあすかが久美子に聴いてもらうために吹くということは、大げさな言い方をすれば初めて誰かに聴いてもらうために吹いたと言えるのかもしれない。
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卒業するとき、あすかは久美子に父親のノートを託す(2期#1冒頭)。それは父親が審査員を務める全国大会を経て完全にその呪縛から解き放たれたことを意味するのだろう。残る4話のうちにそこに至るまでのあれやこれやが画面いっぱいに描かれるはず。そう思うと終局に向けて動き出した『ユーフォ2』からますます目が離せない。
なーんかどこかで見たことあるような増田だなと思って昔の自分のブクマ探してみた
http://anond.hatelabo.jp/20140624211919
赤の他人の失言をあげつらって公然と批判するというのは、実は非常に難しい事なのです。私よりも年齢を重ねた人でさえも、きちんと出来ない人は少なくありません。その割に、得るものはあまり多くありません。
批判自体は簡単です。ただし、自身の品位や人間性を損なわずに批判するというのは、これは極めて高度な技術に加えて、強い精神力も求められるのです。
二年前に注目を浴びた増田だけど、きちんと糧に出来ている人はどれだけいるのやら
ネットの世界では,みんな誰かを攻撃したくてたまらないみたいだ。
悪意のない失言ひとつで,自覚のない差別的言動ひとつで,顔も名前も知らない大勢の人たちから一方的に非難され人格を否定されるようになってきていないか
失言をした人に対して正論をぶつけて批判することはことは決して正しいことじゃないと思う。
いくらその人の発言が不用意でまずいものだったとして,見知らぬ人たちからいきなり攻撃的に批判されて,それで過ちを認めて反省できる人が居るのか。
俺たちは他人の落ち度につけこんでただ攻撃したいだけなんじゃないのか
それで社会がよくなると本当に思っているのか。
どんなに(自分にとって)正しい理由があっても人を攻撃していいわけない。
正しい=正解じゃないはずだ。
正義感で他人を攻撃しないでくれ。正論で他人を殴らないでくれ。
みんな頼むよ。
失言はいけないことであるというのはわかる。失言してしまったらお叱りを受けるというのもわかる。
失言は勿論失敗に当たるし、減らしていくべきではあると思うんだけど「口が滑った」程度のことを殺人か何かのごとくとんでもない重大犯罪をみなすというのは流石に行き過ぎだと思う。特にパニックになったり、よくわからない話題を振られて適切な言葉が思い浮かばなかった時なんて的外れなことを言ってしまうのは誰にでもありうることなのに、そこに悪意を見出して、さらには失言するようなやつだから自分へ危害を加えてくるかもしれんと言い出すのはなんかなあと。
http://anond.hatelabo.jp/20161011170143にほぼ同意。
テンパった結果の失言やら、知識不足による不適切な言葉遣いやら、ミスを差別案件だのと騒ぐ人が多すぎる。
勿論悪意が無かったとしても失言は失言だし失敗は失敗だ。でも、だからといって悪意を勝手にでっち上げていいとは思えない。
勿論悪意が絶対なかったと断言するもまたできないし、どの案件も本当は悪意という可能性はある。
けれども、客観的にわかる状況だけじゃ悪意と良い切れはしないこともまた確かなんじゃないだろうかなあと。
まあ現実的には、「まずは穏やかに対話」なんて絶対ゴメンだという人が多いらしいからこんなこと書いても非現実的理想でしかないんだろうとは思ってるし、それが結論だとはわかっているけど。
ブログ上のこととは言え何であそこまで強く明るく振る舞えるのか。
まあそれも間違いではないだろう。
ただ、誰かに支えられてこその強さというより自分の内側から沸き上がってくる強さの気がする。
多分小林麻央って人生を通して(特に思春期や学生時代)家族や友人から常に愛されながら生きてきたんじゃないだろうか。
顔中にニキビができてちょっとブサイクになってしまったときも、リレーでバトンを落として自分のせいでクラスが最下位になったときも
責め立てる人間などいなくて、周りの人みんなに(特に男から)相当優しくされてきたんだろう。
そんな中でどんな状況でも自分を嫌いにならない精神が形成されたんだろう。
人ってなかなかこういう自分と向き合って素直に愛したりできないものだけど
それはあえて悪い言い方をすれば悲劇のヒロインに堕ちてしまったその状況さえ楽しんでいるのかもしれない。
いや、ガンで余命いくばくもない状況を楽しんでいるってのは失言だった。
ネット上じゃブログは小遣い稼ぎなんて言ってる人もいる。死後書籍化で稼ぐんだろうという意見もある。
だけど普通に考えて、もうすぐ死ぬ人間が(もちろん回復を祈ってはいるが)小銭のために髪が抜け落ちた自分の写メなんか晒せないよ。