はてなキーワード: 入院とは
今年の1月に初めての子どもが産まれたので、出産に併せて育児休暇を取ることにした。
育児休暇を、取ることを決めたのは、共働きだし、家事も分担制なので、育児だけ妻にさせるのはフェアではないし
三か月なのは、最短で保育所に預けれるのがそれくらいだということだったからだ。
長期間育児休暇を取ることを、伝えると、多くの人に「奥さんが働くの?」と聞かれた。なるほどいっしょに休暇を取るという発想は、まだまだ浸透していないのだなと感じた。
育児が大変なのは、いろんな媒体で見たり聞いたりしていたが、正直子ども一人に対して、休んでいる大人が二人いれば、余裕だろうと思っていたが、初めての育児はそんなに甘くなかった。
最初の1、2か月は二人いてぎりぎりだった。
というのも産後の体力の低下により、妻が病気を発症し、入院することになったからだ。両方の両親は高齢かつ遠方なので頼れなかった。
二人で行うはずの育児がいきなり、ワンオペ育児になってしまった。
子どもが産まれた瞬間から、常に子どもの存在が傍にある。子の傍から離れることはできない。自分が世話をしないと子は死ぬ。このプレッシャーが毎日ずっと続く。
仕事は定時に始まって定時に終わるから切り替えができるが、育児にそれがない。
肉体的に辛いのは、寝れないことに尽きる。
新生児は2、3時間に一回授乳を求めて、泣き叫ぶ。おっぱいやミルクをあげれば、またすぐに寝るわけでもない。
そこから抱っこして、あやして、寝たと思って、ベッドに置いたら、また泣き叫ぶ。そんなことを繰り返してようやく寝てくれる。
それが1時間2時間続くこともある、気づいたときには次の授乳が迫っている。
仕事をしているだけのほうが育児の何倍も楽だが、あえて仕事に当てはめるなら、早朝勤務があって、そのまま日中の勤務もありつつ、夜間深夜勤務もあり、翌日もそのまま早朝勤務というルーティンが毎日続く。
休日などない。
寝ても覚めても、仕事が続く。気持ちの切り替えなどできない、肉体的にも辛い。どんなブラック企業だ。
自分のご飯など二の次、三の次だったがそれ以外にも、毎日出る洗濯物と、洗い物、ゴミ捨て、日用品の補充、買い出し。
新生児を抱えている以上、おいそれと出かけることは、心理的肉体的にもハードが高すぎる。
ここまでくると、いったい何の罰ゲームをさせられているのだと、混乱し、毎日がいっぱいいっぱいで、どうしようもなくなってくる。
食欲もなくなり、体重は減少した。
子どもはまったく可愛くなくなってくる。
何をしても、泣き止まない子供を、抱っこしていると逆に憎しみすら湧いてくるようになる。
新生児は泣いているとき以外は、天井を見つめて、バタバタと動くのみで、自宅にいると孤立感と孤独感が襲ってくる。
この世界で自分と子どもと、ふたりぼっちなんだと、何かあっても、どうすることもできないと恐怖すら感じ涙が出てくる。
今余裕が出て、こうして振り返ると、そんなことはない、多少離れても問題ないと思う。
当時は余裕がなさ過ぎて、産後うつに入りかけていたと思う。
育児をしてみるとわかる。新生児期は特にワンオペ育児をするべきではない。
女性は特に産後一か月は体力が戻らない、実際うちの妻は産前ばりばりの運動家で健康だった。結婚してから2年たつが、一度も体調を崩したことはなかった。
自分も休んでいたので、家事全般は全部自分がして、妻には授乳だけをしてもらうような体制を作っていた。
そんな妻でさえ、産後は精神的に落ち込み、体力も低下したことにより病気になってしまった。
これから出産を控えている人に言いたいのは、ワンオペ育児をさせない方が良い。
少しでも休んでもらって、育児してもらうのはもちろんだが、気持ちの切り替えと、睡眠不足解消のため、協力してもらった方が良い。
夫は休めないのなら、産後一か月は体力の回復のため里帰りをしてもらうか、どちからの親を読んでサポートをしてもらう。
それも無理なら、産後ケア施設というものがある。母子で1か月ほど入所できる施設だ。費用はかかるが、補助をしている自治体もある。
うちは二人休んでれば余裕だと思って、どちらかが倒れた時の心の準備が足りていなかった。これはパートナーが休んでいようといないと起きうることだから。
なんかネガティブなことをばかり書いたが、2か月が過ぎたくらいで、子どもに笑顔が出るようになったり、夜寝るようになってから余裕ができて、子どもは可愛いし、育児は楽しいし、成長に感動する。
これからも大変だとは思うけど、頑張れる気がする。
いつでもどこでも適切な医療が受けられる仕組みが崩壊している状態。
普段ならすぐに救急車がきて病院に運ばれて助かる程度の怪我でも病院の受け入れが遅れ、死ぬ可能性がある。
本来入院すべき患者(パルスオキシメータの値94%以下は平常時なら即入院)でも入院できなくなり、謎の新しいボーダーライン(90%以下、患者に自覚症状がなければオッケーなど)が現場の判断で作られるのがこのころ。
ガンの手術や慢性病の手術が中止にはならないものの遅れ始める。
病院に行けさえすれば適切な医療が受けられるという社会の前提が崩壊する。
コロナの重症病床に移すべき患者に適切な医療を受けさせることができない。その結果として死ぬ患者が増える。
入院すべきだった患者が家や施設で重症化しバタバタ死に始める。
病院のキャパシティの限界を超えており大部分のコロナ患者に適切な治療を行うことができない。
重症病床の逼迫率が150%を越える。つまり重症患者の3人に一人は重症病床に入れない。
マスコミの取材に対して、コロナ患者を受け入れる病院の66%が「現在の状況は病院の持つ機能の限界を超えている」と答え、90%近くが一般診療に影響が出ていると答える。
一般診療を含めて病院に行ってもほとんど治療を受けられない状態。
重症病床の逼迫率は400%を越える。
原因不明の死者が増えるがそのまま燃やされて検査されないためコロナの患者にカウントされない。
重症病床の逼迫率1000%以上。
これ書いた人です。4回目。
発生後の対応が知りたいというコメントがあったので、追記にはその時点で知り得る話は書いた。
最後に伺ったのは、感染者が判明した後のPCR検査で入所者にも感染が判明した情報だ。
職員の感染が判明する数日前に発熱の症状があったので、念のため個室に移動していたらしい。
今は陽性者を別の階に集めて隔離しているようだけど、職員も感染者が増えているし、施設側の苦労が忍ばれる。
施設のある地方都市は、ものすごい勢いで感染者が増えていて、正直大阪は対岸の火事ではない。
話を聞いて気になったのは、陽性者の多くが無症状患者だったというところだ。
職員からコロナが出た時、入所者の中にも発熱している人がいた。
けれど「コロナに感染しているかも」と思った人がことごとく陰性で、一見問題なさそうな入居者から多くの陽性が出た。
今のところ重症化した人はいないようだけど、年寄りなので先々はわからない。
一人目は職員から発見されたけど、デイサービスもやっている施設なので、誰が持ち込んだのかはわからず終いだと思う。
老人たちは集団生活をしているから、クラスター化してもおかしくないし。
まずは、昨年3月から1年以上感染者を出さなかった努力を労いたいと思う。
自分は首都圏にいるので、父親が亡くなった場合はどう対応しようかと思ってる。
入院・手術することになって、年末年始にPCR検査を受けた時は陰性だった。でも、検査してから時間も経っているし、無症状なだけで保菌している可能性はある。
でも、世情が落ち着くまで施設に遺骨を預かってくれとは言えないよなあ…w
最初に書いた日記に「介護士のミスで家族が怪我をしたけど、謝罪もないし賠償もされなかった」みたいなコメントがあったと思う。
残念ながら、そういう人も存在するよね。
自分が出会った介護関係施設の職員さんは、きちんと仕事をしているプロだった。
でも、たった一人だけ酷い相談員がいて、かなり不愉快な気持ちになった(詳しくは「こんなに長い日記書いたのはじめてだ。 追記が途中で切れちゃうので別にし..」に書いた)。
今日、たまたまそういう相手に久しぶりに遭遇して、「仕事としてお金もらっているのに、ごく普通の確認もできず逆ギレか」って思ったばかりだ。
世の中は広いだけに、「普通」のことができない人もいる。
でも一部の人間のせいで、全体が悪く思われるのは違うかなって思ってる。
もうすぐ11歳の雄。
11年前、生後すぐ数匹で公園に捨てられていたのを近くに住む人が保護して、3ヶ月くらいになってから地域の広告に里親募集した。
私はそれをたまたま見つけて、連絡した。
私が連絡した時には、広告に載せていた子達は既に皆譲渡されていた。
残った1匹がその子だった。
猫風邪がひどくて目も濁っていたので、どうせ貰われないだろうと、保護主はそのまま自分が面倒を見るつもりでいたとのこと。でも一目見た瞬間、私が引き取ろう、と思ってしまった。譲っていただいてもいいですか、と聞くと、ちょっと驚いた様子で、承諾してくれた。
うちに来た当初は怖がって、家具の後ろに潜ってなかなか出てこなかった。ドライフードを出すも一向に食べず、缶詰を開けたらようやくムシャムシャしだした。
家族は最初は猫がくることにちょっと抵抗があったみたいだったが、対面するとすぐにメロメロになった。
猫もそのうち慣れて、いっぱい食べて、一緒に寝て、ゴロゴロ甘えて、後輩猫たちもすんなり受け入れてくれて、面倒も見てくれてうちの家族みんな癒してくれた。
今までいろんな猫を見てきたけど、群を抜いて性格が穏やか。人のことが好きで、いつもちょっとだけ誰かに体を触れてくるように座ったり、休んだりする。
体はやっぱりあまり丈夫じゃなくて、しょっちゅう外耳炎になって病院にはかかってた。
あと食には頑固で、ちょっとでも気に入らないと頑として食べずにハンストする。
でもなんだかんだいっても順調に暮らしていた。
8歳過ぎた頃、後肢が微妙な感じの動きをするようになった。あんまり力が入ってないというか、歩き方がひょこひょこしてた。
病院で検査をしたけど、血液では何も悪いところはないと言われた。
そのうち、壁に突っぱって立ててるキャットタワーは、登れても降りられない、という感じになった。登ってから助けを呼ぶのだ。
そして、次第に登らなくなった。
それから10歳を超えて、歩き方はヨタヨタしてきたが、それでも普通に自分で動いてご飯を食べに皿まで行ったり、トイレはしてた。
GWが明ける日曜の夜、いきなり様子がおかしくなった。ガタン!と体を揺らしたかと思ったらひっくり返ってワタワタして、オナラをした。トイレに連れてってやるとゆるいウンコをしたけど、下半身が踏ん張れないようだった。猫のお尻を拭いて床に置き、トイレの片付けをしていると、床に尿の水溜りができていた。
そこからはもう、グッタリして動けないようだった。ご飯やチュールどころか水も飲まない。横になって、息も荒くなって、不安そうにずっと小刻みに鳴いてる。たまにワタワタと暴れようとしていた。
私も家族も心配で心配で、一晩交代で寄り添って背中をさすったりしてた。
血液検査と点滴。脱水症状と神経系に細菌性の炎症があるという疑いで、抗生剤と消炎剤投与。
3日経って状態がだいぶマシになったので退院となり、今日家に連れ帰ったけど、まだ自分じゃ歩けない。これから歩けるようになる保証もない。神経系の疾患は治るかもしれないし、治らないかもしれないことを聞いた。
ただ、猫にとっては住み慣れた家にようやく帰ってきたという感じがすごく伝わってきた。ずっとゴロゴロ言ってるし、自分でも頑張って動こうともしている。家族にくっついて今は安心したように眠っている。
これからどうなるんだろうという不安と、やっぱり帰ってきてくれて嬉しいという気持ちと、いやがおうにも迫る覚悟と、ぐちゃぐちゃしている。
とりあえずケージを組み立てて、ペットシートを敷き、おむつを買ってきた。
私も家族も仕事や学校で、まるまる24時間はそばにいられない。また倒れたら?ご飯が食べられなくなったら?この3日にかかった入院費は検査、治療費含めて6万とちょっと。保険は年間3万かかっていたわりに使わなかったので解約したそばからこの出費。次入院したら?…いっそもう延命しないと決めて静観する?でも目の前で苦しそうにしてたら、きっと放ってなんかおけないだろう。なるべく猫が楽な気持ちになる選択は?家がいいの?病院で点滴なの?家族の腕の中でスヤスヤしている猫は幸せそうだ。月曜入院させてほんとうによかった。でも。いろんなことが頭の中でぐちゃぐちゃだ。
ぐちゃぐちゃなまま書いた。
読んでくれた人がもしいたらありがとう。
正直な話、前回の入院を機に家族総出で不摂生な生活を改めるように言っていたけど、それを無視してなので、辞書に例として載せてもいいと思うほどの自業自得の行き着いた先。
でも、本来なら入院は数週間のはずが、退院後の投薬治療の方針決めで薬を選ぶ段で、薬の組み合わせごとにこっちを立てるとあっちが立たないを繰り返した。
コロナ禍で医療リソース不足もあるし、何かあったら死ぬんじゃないかと思ったこともある。
さらに言えば、結果単なる風邪だったけど、発熱して隔離されてPCR検査もうけた。
今は入院するとコロナ対応で基本的に面会謝絶になるので、濃厚接触者にならなかったが、普通の入院なら私も検査に行くことになっただろなど、心穏やかになれないときもあった。
というわけで退院してからなおさら不摂生な生活をしないように家族総出で言っているものの。
母はもう「死ななきゃ治らない」とあきらめつつある。
病院につれていった帰りにそう思った。
こんな夢をみた.友人と車でお祭りへ向かう途中,交通事故にあい幽体離脱.「あー死んじゃったかー」とか思ってグチャグチャになった車を俯瞰していると,僕の体は車から這いでて警察を呼び,友人と一緒に立ち去ってしまった.僕は取り残された.
こんな夢をみた。僕は中学校にいて、何人ものクラスメートと顔をあわせた。それも男女問わず、卒業から会わなくなった人達ばかり。最後に、初恋の人と食堂でてんぷら定食を食べた。そこで僕は、彼女は玉子が嫌いだったことを思い出した。あの中学校に食堂なんてなかったことも。目は覚めた。
こんな夢を見た.携帯が鳴り,研究室のソファから起き上がる.時刻は3時過ぎ.伸び上がって靴を履き,立ち上がる.と同時にソファで「目が覚める夢」から 目が覚めた.時刻は4時過ぎ.立ち上がる.と同時にまたソファで目覚める.時刻は5時過ぎ.6時,7時,8時.昼には諦めた.目は覚めていた.
こんな夢を見た。温泉から上がり部屋で一息つくと、脱衣所での忘れ物に気がついた。取りにかえるも、その温泉に戻れない。あるのはロビーと地下への階段。 迷わず下る。1/3ほど照明の点いたバーで、3人が飲んでいた。女性は言う。「私が代わりに探してあげる」。忘れ物はついに思い出せなかった。
こんな夢を見た。私は知らない農家の宴席で、その男の話を聞いていた。男は次第に興奮し、暴れ、自らの腹をナイフで抉った。私は取り押さえられた男の腹から一筋の血が流れる様子を眺めていた。「俺はあの牛なんだ」そう言い残した男は車で連れていかれた。
私は外へ出た。庭には一匹の黒毛牛がいて、気が違っていた。腰のベルトを外して叩きつけると、牛は逃げていった。それを横目で追いながら、川を越え、古いバス停に腰掛けたところで、読んでいた小説を閉じた。タイトルは「牛の首」だった。私は街へ下りることにした。
大きな駅の向こう側へ行きたくなって、地下連絡通路を目指した。下って歩いて上った先で、一人のセールスマンが待っていた。私は家を探していたことを思い出した。マンションの一室へ向かう。「紹介するのはここと同じ造りのお部屋です
お客さんは運が良い。ここのご主人は昨日自殺したので、誰もいません。見るなら今日です」フローリングは酷く黒ずんでいた。部屋を検分していると、喪服の女が階段の上に現れた。木製で高さのある螺旋階段は、このマンションには不釣り合いに思えた。
女は言う。「見よ、あの牛を。涎を垂らし、目を泳がせる、あの醜い黒毛の牛を」それは「牛の首」の一節だった。「ご主人はどちらですか。あの男ですか。あの牛ですか」「牛よ」そう答えた喪服の女は声を上げて笑った。私は部屋を出た。目は覚めた。
こんな夢を見た。高速道路のトンネルに入ると何十もの真赤なランプが光っていて、渋滞のようだった。車が完全に停止するまでブレーキを踏み込み、サイドを引くと同時に、警官に声をかけられた。「車を降りてください。指示に従ってください。」私は他の運転手と同様に非常口へ向かった。
先には窓のない畳部屋があって、黒い長机と弁当が並んでいた。奥から二番目の空席に腰を下ろす。右隣の男性の貧乏揺すりが続く。弁当はやけにコントラストが低い。向かいの女性は口を開けて呆けている。どこかでパキという音。戻ろう、戻ろう、私はつぶやきながら独り部屋を出た。
トンネルに警官の姿は無く、ナトリウム灯がまばゆいばかり。私は車を捨てて歩いた。出口に辿り着いたが、無機質な車列は途切ず、青空の下とても静かだった。脇にはトンネル名が刻まれた石碑があって、それをなぞる。五文字目で指先に鋭い痛みが走った。目は覚めた。
こんな夢を見た。夜祭の喧騒を抜けると、人のまばらな屋外ステージの中央で、男が何やら呟いていた。それらは全て、この地の死者が今際の際に発した言葉だという。石段に腰を下ろし聴き入る。殆どが呻き声でよく聞き取れないが、どれもこれも懐かしい。それらは確か、私の最期だった。
こんな夢を見た。私は窓の無い病院に何年も入院していて、その日は定期検診だった。入院患者の列に混ざって待っていると、前の一人が脇の通路を指差した。「そこから外に出られるかもしれない」
患者達は一斉に走り出した。初めは様子を伺っていた私も、後に続くことにした。無機質な通路を抜け、いくつもの自動扉をくぐると、急に冷たい空気が鼻に触れた。外は夜だった。私は、電灯に照らされた公園と人工の川に患者達が散る様子を眺めていた。
胸許の携帯が鳴った。「早く戻りなさい。外は身体に悪い」それは心の底から私を案じる声だった。「しかし、みんな喜んでいます。こんなにも空気が美味しいのです。こんなにも自由なのです。」話し終えると同時に、別の電話が入った。「ボートを見つけた」
それは汚いスワンボートだったが、迷わず乗り込んだ。ボートは勢いを増す。川底の石を蹴り、橋を越え、カモメを追い抜いた。ついには岩に乗り上げてしまったが、川岸からボートを押していると、その人数は少しずつ増え、豪快な波しぶきとともにボートは川に戻った。歓声が上がった。
ボートに再び乗り込んだそのとき、朝の光が目に飛び込んできた。「もう戻らなければならない」そう思った瞬間、電話で使った『自由』という言葉に重さを感じた。その言葉の意味に初めて気が付いた。目は覚めた。
こんな夢を見た。私は講座「反境学」のガイダンスを受けるため、大教室の扉を開けた。百名以上が座っていたが、私だけ後ろ向きの席に案内された。私の背中で女性講師が言う。「反境学について質問はありますか。」前を向いた学生の一人が手を挙げた。
「環境学とは違うのですか」「環境学も反境学に含まれます」「社会科学ですか」「あらゆる概念が当然含まれます」境界を無くす学問なのか、そう考えた途端、周囲の学生は消え、私は前を向いていた。講師と目が合った。「違います。」目は覚めた。
こんな夢を見た。私は想い出の場所に向かうため、登山をしていた。久々の単独行。ペースは上がり、森林限界を抜け、雪渓に差し掛かった。酷く咳が出る。雪渓は雪と砂が細かく混ざっていて、古い雪崩跡だと思った。視界の端に何かが映る。黒ずんで、痩せた人間の手が転がっていた。
足を止めた。酷く咳が出る。後ろから声がかかる。「ありがとう。○○さんは手伝ってくれるんだね。」初老の女性だった。「なぜ、私の名前を知っているのですか」「あなたに会ったことがあるからです」やはり酷く咳が出る。足元の誰かを、背後の誰かと掘り起こすことにした。
女性は言う。「ごめんなさい。もう、そのシャツの臭いはとれないね」しかし腐臭は感じない。いよいよ咳は酷い。掘り起こした誰かは、結局腕しかなかった。それもぐずぐずに崩れてしまった。私は手を合わせ、先に進むことにした。咳は血を吐かんばかり。痰が喉でゴロゴロと騒がしい。
すれ違った何人かの怪訝な目に、染み付いた腐臭を初めて認識した。視界が狭まり、白黒する。歩く。歩く。そうして日が沈む直前に、山小屋に辿り着いた。咳をすることでしか呼吸ができない。硬い床に雑魚寝する。眠れない。だからきっと白昼夢だったのだろう。こんな夢を見た。
私はベッドに横たわっていた。寝返りをうつと、そのきしむ音と合わせて時計が目に入った。時刻は午前二時五十分。外に錆びた自転車が見える。跳ね起きて質素な窓枠に足をかけると、不意に声がかかった。「子供はどうする」ようやっと、家族3人で寝ていたことを想い出した。目は覚めた。
100歳で新型コロナウイルスに感染して1月に入院し、1カ月ほどで退院した女性が10日、治療を担当した医師と共に大津市で記者会見を開き、回復までの経緯などを語った。酸素投与が必要な状態から劇的に回復し、「感染が分かった時は、まさか(自分が)と思った。治療では先生を信頼することが第一で、自分に打ち勝つことも大事」と笑顔を見せた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/94bdf7adbed337626d62f5715172254a188e11cf
当院は軽症〜中等症の病棟のはずが、先月くらいからずっと人工呼吸器の患者がいる。
その頃から、ウォークインで救急受診して即挿管レベルの患者でも神戸市内の重症病床への転送が断られ始めたような記憶。
医療圏を越えた広域救急の受け入れもそこそこ。保健所FAX送信先が神戸市ではないのでどうするのー?と迷う。
最近は主治医の転棟OKの判断があれば、PCR陽性でも人工呼吸器装着中でも、一般病棟やICUに押出しでコロナ病棟のベッドを開けて受け入れしている状況が続いている。そして開けたベットにはその日に次の患者が入る。なので休み明けだと初めて看る患者の情報収集から。ということが増えた。
一般病棟・ICUの負担は大きいと思う。コロナ病棟○ねって思ってるんだろうなと感じながら毎回申し送りに行っている。
神戸市民病院群も重症患者でギリギリなんだろうと思う。最近、え?こんなコロナ患者さん看れないの?って軽症患者の転送が何件か続いてあった。たぶん、軽症のベッド・スタッフを重症へシフトしてるんだろう。
これは口頭で聞いただけなので真偽はわからないけど、どこかの市民病院からコロナ治療撤退した人工呼吸器患者の転送依頼が当院にあったらしい。断ったみたいだけど。あと、自宅待機の患者さんも先生達は診ていて、入院している人の誰よりも肺が真っ白だった!って言っていたことがあった。
ヒト・モノ・カネの支援はいろいろ受けているみたいなので頑張ります。国・兵庫県・神戸市も何もしてないわけではないんだろうけどね…。個人はコロナ病棟勤務のお小遣い貰えました。ありがとうございます。
[B! 医療] 神戸市 施設で25人感染死職員が証言 “見殺しではないか”|NHK 関西のニュース
この記事とぶら下がってるコメントを読んで、ちょっと書きたくなった。
この施設ではないが、自分の親も介護施設にお世話になっている。
先日、地方都市にある入所施設から「職員にコロナ感染が確認された」と連絡があった。
今のところ入所者への感染は確認されていないが、今後のこともあって発覚直後に連絡をくれたようだった。
「遺族からは人殺しのように恨まれると思うとやりきれない 」ってコメントが書いてあったけど、まず、最初に述べたいのは、介護や医療関係者への感謝とお見舞いだ。
私のところは職員の感染までなので、自分の親が感染したり、亡くなっているわけではない。
だが、介護を担う親族としては、介護施設がなければ、自分は今まで通りの生活を送ることはできなかった。下手をすれば共倒れである。
そうならなかったのは、大きな負担となる介護部分を担ってくれたおかげだ。
それでも、人が行き来をし、濃厚接触になりやすい特性がある以上、発生は避けられなかったと思われる。
親族の立場だったとしても、すべてを施設のせいにするのは酷すぎる。
今のところ施設が矢面に立たされているが、本来は、政府や政治家が重く受け止めねばならない事案だ。
責められるべきは、感染が発生しクラスターを起こしてしまった施設や職員ではなく、無為無策な政府や政治家なのだ。
そもそも、政府や政治家は何をやってるんだろうという怒りを感じている。
介護を含め、医療を支える関係者の責任感と献身にいつまでタダ乗りするつもりなのか?
グダグダ政争をするのは勝手だが、国を救うために悪者にもなりきれない人間は「政治家」ではなく、くだらん「政治屋」だ。
しかし、救われるべき人たちが救われるなら納税した価値はある。
今現在、救われるべき人は救われず、自称「政治家」は有権者に味方ズラするだけでなにもしない。
国を救うことができる有効な手段と思えるならば、一時的に悪者になってもよいと考える政治家は日本に存在しないのか?
しょうもない相手に税金が垂れ流されているかと思うと本当に腹が立つ。
自分には、後期高齢者になった父親がいる。数年前に脳梗塞を発症した。
本人がどう思っているか知らないが、私と父親の関係性はよくない。
だが、兄弟親族もなく、どうにかできる人間は自分だけなので、最低限の対応をしている感じだ。
父は脳梗塞から驚異的な回復をしたものの、アタマのネジは数本抜け落ち、契約等重要事項に対する判断ができなくなった。
訪問ヘルパーを利用しても、住まいの周囲にサポートする親族もいないので、元の生活に戻すのは自殺行為だ。
その後、幸運にも特別養護老人ホームへの入所ができたので、施設の職員に助けられながら現在に至る。
父親が入所している特別養護老人ホームは、障害者支援施設、ケアハウスやデイサービスなど複数の福祉事業を行っており、階数によってエリアが分かれている。
昨年の3月以降、デイサービスは中止、対面はシャットアウト、外部との接点を絶たない工夫がされた催し物は内部の人間だけで少人数で行うなど、出来る限り接触の機会を減らしていた。
そして、先日知ったのだが、職員のPCR検査が毎月実施されていた。今回の感染も定期検査で発覚したものと思われる。
唯一、残念と思ったのが、ワクチン接種が間に合わなかったことである。3月に入った頃、ワクチン接種の確認書類が届き、承諾していたからだ。
施設からは、いつから開始になるか分からないので、先に承諾書を欲しいと言われていた。
もし、4月中に施設全体が接種を受けられていたら、コロナの発生を防げたかもしれない。
今後、自分の親が感染者の列に並び、最悪死ぬことになったとしても施設を責める気にはなれない。
自分の生活を守ってくれ、入所した父親にできる限りのことをしてくれた施設や職員に感謝する気持ちの方が強いからだ。
親が介護状態になるまで、老人ホームの種類を知らなかった。世間の多くの人もそうだと思う。
ニュースになっていた「介護老人保健施設(老健)」というところは、いわゆる「終の住処」ではない。
通常の生活に戻るためのリハビリ施設で、3ヶ月に1度行われる会議で継続か退所が決まるのだが、基本的には3ヶ月が上限だ。
ある施設に見学に行った際に伺った話では、継続するにしても最大2年が限度とのことだった。
そのため、入所者の入れ替わりが比較的多い。
規模が大きいし、「認知専門棟」もある。
また、単体施設では運営が難しいので、複数の介護施設があったり、病院が母体になってるのもよく見かける特徴だ。
コロナが収まる様子を見せない現状では、いかに施設が万全の対応をしていたとしても、入・退所者の動きは止められず、感染者を出してしまうのは必然だったとも言える。
この施設は医師や看護師が複数人常勤しているようだが、そもそも病院ではないので対応は難しい。
コロナの対応は病院でさえも難しいのだから、介護施設に対応しろと言うのがそもそもの間違い。
施設の男性職員が実態を知ってほしいと訴えるのも当然だろう。医療が崩壊し、無理をさせられた上でのクラスターなのだから。
そんな状況でも施設や職員の責であると言うなら、医療体制を整えられる可能性のあった時期を無策のまま押し通した政府に責任を問い質さなければならない。
こんな時期に開催したら、日本から海外にコロナを蔓延させることになる。
後世の歴史本に「あの時、日本がばら撒きました」って書かれたい人、どのくらいいるんですかね?
我が国の首相は、そこに名前を連ねたいのかな?悪評でもいいから歴史に残りたいっていうなら、まあお好きにどうぞだけど、我々を道連れにするのはやめて欲しい。
自分はものすごく運が良かったが、介護を担う多くの家族が救われていない現状がある。
仕事内容に比べて給与水準が低いのが一番大きい問題だと思うが、在宅介護を促進しようとする政府には疑問を持っている。
我が家は両親が離婚しているため、最終的に私一人で、二人をそれぞれ看取らなければならない。
一人で老人二人ですよ?
看取ったら今度は自分の番だけど、独身子なし、両親のおかげで親族とは没交渉な自分の後始末はどうすりゃいいのさ?と考えている。
今のところ思いつかないので、自分を始末できるお金を貯めて、相応の互助会に入ろうと計画してるけど、現時点でも積みな家族は多いわけで、正直在宅介護は「金・人・運」がある人じゃないと無理だと思ってる。
さっきの項で「老健(介護老人保健施設)」は「3ヶ月に1度行われる会議で継続か退所が決まる」と説明したが、これは建前だ。
本来の「老健(介護老人保健施設)」は、通常の生活に戻るためのリハビリ施設と位置付けられている。
当然リハビリの効果で症状が改善されれば、それぞれの家に戻っていく。
だが、実際はそうでもない。
父が退院直後に入所した「老健」には、半年、年単位で入所しているらしき方が同室にいた。
間違いなく「訳あり」の入所者なのだ。
「終の住処」たり得る「特養(特別養護老人ホーム)」への入所を希望する人は多いが、入所は非常に難しい。
居室の種類は個室(従来・ユニット)と多床室に分けられるが、比較的費用を抑えることのできる「多床室」の入所ハードルが異常に高い。
父がいる地方都市の場合、多床室は10〜12万円、個室なら14万円以上の月額費用がかかる。
利用料は年金の有無でも変わってくるので、あくまでも父親の場合だが、2〜4万円以上差が出る。
この「多床室」というのは、古い制度下で設置された特養や老健にはあるものの、近年新設された施設にはほとんど存在しない。
プライバシーを優先するため、居室タイプは「個室」が推奨されているからだ。
つまり「多床室」は増えていない。むしろ、このままだと今後減っていく運命にある。
そのため「特養が増えたから入所しやすくなった」というのは、やや正確性に欠ける。
なにせ「個室」は高い。
他の人と比べて年金をもらっている父親でさえ、それだけでは賄えず幾らかの持ち出しが必要になる。
中にはギリギリ賄えそうな施設もあったが、日用品の購入や今後の入院などに備えるためには、施設に年金の全額をブチ込むわけにはいかない。
介護において、絶対にやってはいけないのは「仕事を辞める」「自分のお金を持ち出す」ことである。
そのため、やや古い施設であったとしても「多床室」のある施設に申し込みが殺到するのも当然だろう。
私は「多床室」のある10施設以上に申し込みをしたが、介護度5で優先度が高めな父であっても待機順位は20番以内が多く、待機人数は100人を超えているのがざらだった。
また、部屋は性別で分かれている。女性の方が全体数が多いので割り当てられる部屋数も多く、男性はやや不利になる。
そもそも特養に入所するには、ほとんどの場合、既存入所者の「死」を待たなければならない。なんとも複雑な気持ちになる。
では、自宅で看ることが難しい待機中の人々はどうしているかというと、本来長期滞在ができない「老健」「ロングショートステイ」で待っているのだ。
だが、ひと月ほど退所期間があれば、集中的リハビリが受けられる3ヶ月の権利を再び得ることができる。
そのため、一旦退所した後、空白期間を作って再入所するという技が使われている。
それができない「ワケあり」入所者は、なんだかんだと理由をつけて入所期間を延長するが、集中リハビリは受けられないので、施設内をブラブラすることになるらしい。
自分も「老健」の退所期間が迫った頃、申し込みをしていた別の「特養」から「ロングショートステイ」を提案されたことがある(もう少ししたら枠が空きそうだったからだ)。
「特養」は「ショートステイ」を併設しているところも多い。枠が空きそうで入所できる可能性が出てきた時や、家で看るのが難しい場合に利用され、最大30日連続で利用できる。
そうやって裏技的な方法を使いつつ、なんとか介護を回している現状を見ていると「自宅で介護する」なんて絶対不可能である。
親を施設に入れるなんて…という人もいないわけではない。
でも、現実問題、自分の生活を守りつつ、フルタイムで自宅介護をするのは不可能だ。
介護休暇は年5日付与されるけど、遠距離介護をしている自分は全然足りなかったし、介護休業中は無給になるので、相当の理由がないと使いたくない。
親の年金を利用して家に入ってしまう子供もいるが、親が亡くなった後、相当の資産がない限り100%路頭に迷う。
だから「仕事を辞めてはいけない」し、「親の介護は親のお金でやる」が最低限のルールなのだ。
両親は離婚しているが、母親は介護施設でケアマネージャーをしていた。当然、施設の持つ裏事情、役所や施設間の駆け引きを知っている。
そこから得た知識と自分が調べた情報を使って、施設の本音を聞き出したことがある。相手も「わかっている」と認識するので、下手な対応には出てこず、いろいろな提案をしてくれたり、施設の事情を教えてくれたりもする。
私が申し込みした「特養」に関していえば、親切に応対してくれた相談員が大半で、無茶苦茶だったのは退院直後にお世話になった「老健」の相談員である。
相談員の中には、自分と利害関係を持つ、あまり質の良くない施設に送り込もうとする人もいるので、施設の種類や介護のことを全く知らないと危険なことになる。
悪者になってもいい、多くの人たちを救って見せると言う気概のある政治家はいないのか…。
追記書いたんだが、長すぎるので切れたw
これの件は誤解されちゃってるので、別の日記に書いた。
簡単に言うと「希望する特養への入所を妨害するような真似をして、個人情報ダダ漏れするちょっとアレな施設に送り込もうとした」相談員が「無茶苦茶だった」という話です。
老健自体は良い施設で、介護士さんや療法士さんには大変お世話になった。
それにしても、こんなに長いの初めて書いたよ…。
https://anond.hatelabo.jp/20210510164413
「その後、施設はどうなったの?」って話があるので、それも別のところで書く。
だよな
2018年10月の早朝、他の元看護師ら2人と一緒に、60代の男性入院患者を病室でベッド上に押さえつけ、陰部にジャムを塗り、食べ物に執着の強い別の50代男性患者になめさせた。
もう1人は19年9月の夜、他の元看護師ら2人と共謀し、60代の男性入院患者を布団の上に寝かせ、手すり付きベッドを逆さにかぶせ、閉じ込めた。患者のそばにポテトチップスを置き、手を伸ばす姿を見て面白がった。
事件の舞台となったのは、重い統合失調症や認知症などの患者が入院する同病院の「B棟4階」。いずれの事件でも現場では、「主犯格」とされる元看護助手(27)がスマートフォンで動画を撮影。LINE(ライン)でグループをつくり、共有した動画を見て仲間内で盛り上がっていたとされる。
6人の起訴内容はこれだけではない。▽男性患者2人の顔を押さえて無理やり口づけさせる▽患者の顔にホースで水を掛ける▽頭を粘着テープでぐるぐる巻きにする▽鼻の穴に指を突っ込んで引っ張る―など計10件に及ぶ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/5e55c112a2572ef22ac0feb026fa298b4953d2b0
だよな
謙譲と思いやりベースでやってきた社会に、金と権力しか関心がなく、かつそれで殴ろう。そのくせうまく行かなかったら情や同調圧力を駆使する連中が大手を振って歩き出せば、そりゃ10%の上級国民以外には地獄になるって。
池江選手騒動で、いまいちまとまらないが、箇条書きで書いてみた。
調べ切れてないので、間違いがあるかもしれない。
・そもそも五輪自体、今、何が何でも開催しなければいけないものなのか。
変異種が広まりつつある日本で、文字どおり全世界からの入国を許すべきなのか。
各種国際的なイベントが中止になっている中、パンデミック下でオリンピックをするのは疫学的に、人道的に正当性があるのか。
・選手、選手まわりのスタッフ(コーチとか)、マスコミ、スポンサー関連など、9万人近い入国者があるという。それらのワクチン接種は各国の問題だが、国内だと、ボランティアスタッフのワクチン接種の問題がある。ボランティアスタッフ分のワクチンは用意されておらず、ボランティアスタッフからその家族や同僚など一般人への二次感染が予想される。島国で、水際対策がやりやすいのに(できていないが)、すでに選手や五輪関係者でも、またルール違反者のなかに、コロナ感染者は出ている。
・池江選手は「平社員」であり、一選手に言うことではない云々。
たしかにTwitterなどで直接伝えることではないとは思う。SNSなどで直接、矢面に立たされてしまうのは、いい傾向だとは思わない。ただ、ここまでの騒動になっているのが、逆説的に池江選手の影響力の大きさを証明している。彼女が「参加しない」といえば、相当な影響力があるだろう。だんまりを決め込んでいる他の選手も何かしらの態度表明をし出す可能性もある。
たとえば、今度のオリンピック(出場予定)選手で、名前を5人あげろ、といわれたら、多くの人が彼女の名前を挙げるだろう。有名税というと言葉が悪いが、各種スポンサーのバックアップも得ており、「優秀な選手でありながら、難病を乗り越え五輪を目指すけなげな女の子」と矮小化するのは返って彼女への侮蔑である。
選挙で「自分の一票なんて意味がない」と投票さえしないのと同様に、「一選手に言っても仕方がない」というのは、おおよそ民主主義的な態度ではない。一選手の一票が、世論を大きく動かす可能性がある。
また五輪自体、国の金も掛かっているのも頭の片隅には置いておきたい。
医療従事者にも満足にワクチン接種が進んでいないにも関わらず、それを押しのけて「アスリートファースト」でワクチン接種ができ、いざコロナに掛かっても入院できる。特権としか言いようがない。
・医療リソース、ワクチン、金、その他諸々、日本は十全な態勢とはとてもではないがいえない。五輪にリソースをかけるより、コロナ対策にリソースを割くべきではないか。リソースは無限に出てくるわけではなく、限られている。直接は見えないだろうが、五輪が開催されれば、その期間中に一般市民がコロナになっても、五輪選手や関係者が優先され、前者は見殺しにされる。一般市民を後回しにしてまで、五輪に参加するのであれば、せめてもっと人殺しの顔をしろ。「暖かく見守っていてほしい」は、「一般市民は見殺しにされても黙ってろ」と変わらない。近代五輪の「参加することに意義がある」という精神が、痛烈な皮肉になっている。