はてなキーワード: 入院とは
患者「薬を飲んでいるから、イライラしちゃうんでしょうね」(とりあえず薬のせいにする)
看護師「違います、あなたが、乱暴な人なんです」(患者のせいにする)
世間話もできない
コロナウィルスのワクチン接種が日本で始まってから、医療従事者や予約を取った高齢者以外のルートで、自治体の首長や議員、地元の企業の有力者が接種したということがニュースになり、批判をされている。このニュースにおいては大きく分けて以下のような意見が出ていると思っている。
批判派のメインは一つで、ずるをしている、ということだ。権力者と近い人間がその権力を使って、ワクチン接種の列に並ばずに自分だけが利益を得ようとしているというものだ。
もう一方でこのニュースを肯定する意見もある。いくつかあるが、大きくその意見を支えているのが「ワクチンを余らせるべきではない。余るなら別の人が打つべき」ということだ。1本2000円する高額なワクチンを無駄にするわけにはいかないので、余って捨てるぐらいだったら誰かが打つべき、という意見はもっともらしく聞こえる。
ただ、ちょっとここで考えてみた。素人考えなので間違っているところは十二分にあると考えている。どこが間違っているのかを教えてほしいので、どうか上記のニュースに肯定的な意見を持つ医療関係者の意見をいただきたい。
私がワクチンのオペレーションに関して参考にしたのは以下の資料である。厚生労働省とファイザーの情報なので一番正確だろう。
https://www.mhlw.go.jp/content/10906000/000726454.pdf
https://www.pfizer-covid19-vaccine.jp/#/VaccineTreatmentMethod
余ったから別の人に接種を行う、というオペレーションを想像してみる。厚生労働省の情報によるとファイザーのワクチンは接種日まで超低温冷凍庫に保管されて、当日に冷蔵庫に移される。解凍されたワクチンは5日以内に打たなければならない。その場合余ったとわかるのはいつのタイミングだろうか? 1日100本用意して、その日80本しか使われなければ明日使うという選択肢も用意されているのに。そもそも厚生労働省の資料にある当日に解凍というのを無視して月曜日に金曜日までの1週間分ワクチンを一気に解凍していない限り、余るということが発生するのだろうか?
もう一つ考えてみるのが、接種会場に届くものが解凍済みという場合である。そうすると1日に必要量以上届いてしまった場合は一気に接種をしなければ行けないし、余っているので明日少ない本数送ってきてください、というオペレーションが成り立たないのかもしれない。接種会場に在庫が積み重なるパターンである。しかし、ファイザー推奨の移送手続きによればサテライト会場でもドライアイスによって-60℃の超低温状態が保たれているはずなので、届いた時点で解凍済みというのは正しくないと考えている。通常医薬品の取り扱いというのは厳格なものであり、このオペレーションと異なる方法をとっているとしたら重大事故になるはずである。
では、厳格に運用するとして解凍した当日中に打たなければいけないとする。その場合に余ったとわかるタイミングはいつだろうか。少なくても午後だ。仮に午後3時ぐらいとしよう。予定していた人が会場に来ない。あと2時間で会場は閉まってしまう。このままでは予定の接種を終えることができず解凍したワクチンが無駄になってしまう。
接種会場から取りまとめをしている役所に何本余ると連絡が届く。ワクチンを無駄にしないためにあと2時間で打てる人に会場に来てもらわなくてはいけない。そのときに誰に連絡をする?
最初の連絡先に市長や議員、社長を選ぶ? それらの人は朝から一日の予定が決まっている。その予定をすべてキャンセルして今から2時間以内にどこどこ会場に来なさい、と言うか? そんな人達の予定を調整するのがどれだけ難しいか、社会人として働いた事がある人なら当然知っているはずだ。
では逆に、余ることを前提に市長や議員などの予定をおさえたとする。逆に余らなかったらどうなるか? せっかく開けた予定が無駄になる。それらの人が余るかどうかわからないワクチンのために何日も予定を開けておくのか? そんなことは非現実的である。
もっと言えばファイザーのワクチンは接種後に副反応が発生して、高熱を発症する場合もある。簡単に一日の予定を開けられない市長や社長の翌日も潰れてしまう可能性がある。急いでワクチンを接種して翌日に影響が出たら? そんなリスクを負ってまで急遽仕事の予定をキャンセルして接種に行くのか?
しかし現在報道によれば、多忙な上流階級の人々に対してのみ、余っているので接種できたという情報だけである。ただし、余っていたら接種したというのは上記のようなオペレーションが働かないと成り立たない。
最初に書いてしまったが、市長だの社長だのは余ったから接種されたのではなく、最初から自分たちの分を融通してもらっているはずである。そうでなければ説明がつかないからだ。ただ、医療従事者や予約が取れた高齢者が接種対象となっている現状で、融通してもらうというのはまぎれもなく自分の持つ権力の行使であり、それでは具合が悪いので、一番マトモな言い訳として、余ったから打ったと言っているだけだと思っている。
この結論に対して、上記オペレーションを踏まえた上でぜひ間違っている点についての指摘を求めたい。
これまでのオペレーションの穴があったとして、本当に余ってしまった場合、そのときに誰が打つのかについて考える。
ワクチンが余っているなら誰でもいい、かつ極めて時間制限がある状況下であるならば、一番病院において近くにいる人、医療事務や病院で働く掃除担当のパートの方、医療従事者の家族、病院に出入りしている卸業者などを対象にすることだって選択肢はある。医療従事者の家族がコロナに感染すれば、ワクチンを打っているとはいえ濃厚接触者になるのではないだろうか(ここは自信がないので教えて下さい)。その場その場で判断するなら、どこぞの社長を呼ぶより家族の方がまだ急遽の呼び出しにも対応ができる可能性が高い。
さらに言えば、私は他にも優先的に接種すべきエッセンシャルワーカーがいると考える。インフラに関わるような公務員(水道局やゴミ収集車の職員の方も含む)や高齢者施設の職員、物流系の仕事に従事される方、あるいはスーパーの店員などいくらでも挙げられる。この人達だって市長よりは予定の調整をつけられやすいだろう。
新潟県三条市がワクチンが余った場合は教職員を優先する、と表明して高い評価を得ていた。教職の方々は常に多くの子供達との接点があるし学校でクラスターが起きて学校閉鎖になれば影響度が大きいので正しいと考えている。
権力者のワクチン接種のニュースで肯定する意見として「いずれ打つことになるのだから問題にすべきではない」という意見がある。私はそれを正しいと思わない。この手の話でニュースになるのは議論も合意もなく権力者がワクチンを優先して接種しているという、権力を持っているか、権力に近いかどうかが、ワクチン接種の決め手になっているからである。今はまだすべての医療従事者への接種が終わっていない。彼らが先に接種したことで接種日が数日ずれた人もいるだろう。その数日のズレがコロナ感染の決定打になることもありうるかもしれない。
これからは高齢者への接種が始まる。誰ががその列に割って入ったとして後回しになるのは自分の親や祖父母かもしれない。一人や二人ならいいとなるかもしれないが、昨日セコムの役員が80人分のワクチンを接種したというニュースが流れた。この話がだんだん甘くなってくれば、○○議員の後援会員数百人を優先して、という話になるかもしれない。それによって遅れる人も出てくる。遅れた人は自分が遅れたかどうかに気づくことはないが、それは権力の使い方として正しいのだろうか。今回はワクチンだが、コロナ感染者が入院できる基準が権力の近さによるものだったとしてそれを許容できるのだろうか。ワクチンだからいい、入院はいけない、ということのどこに基準を設けて話をすべきなのだろうか。
以上が素人が考えた意見である。はっきり言ってこういう意見は専門家に語ってほしい。医療系のライターならワクチンが余るのかどうか専門知識によって確認することができるはずだ。社会学者とか政治学者なら権力者が優先されることへの意見をもっとロジカルに説明できるはずだ。新聞社などメディアはただ批判するのではなく、もっと深堀してほしい。もし、専門家がここで説明していたという記事があればそのリンクなどを貼ってもらえると嬉しい。
私としては、こんな素人の意見でどうのこうのはてぶがつくよりもビシッと専門家のみなさんによって議論が深まってくれる方が嬉しいし、この疑問がそういう知性のある人に届いてほしいと思っている。
でも、去年の4月ごろからずっと面会ができなくて、話す手段はタブレットを通したオンライン面会しかなかった。それも、予約をして病院へ行って待合室でタブレットを渡され、10分間テレビ電話ができるというものだった。(それでも、対応してくれるだけありがたいのかもしれないけれど)
一週間前に、やっと面会許可がおりた。祖父はほとんど意識がなかった。やっと自分の子ども(ひ孫)にも会わせることができた。でも、見えていたかすらも分からない。
悲しい。つらい。全部コロナのせいだ。
変異型ということで、さすがに流出させた(と陰謀論者の間で有名な)武漢研究所のコウモリおばさんもここまで想像はしてなかったか
ウメハラのコロナの感想「二度と…二度とかかりたくない。多分すべてのことが思うことだと思う。俺は中等症だったんだけど、俺より上があるんだと思ったら重症化はこれはもう死ぬなと思った。それぐらいキツイ。入院できなかったら下手したら死んでた。悪いこと言わないから皆気をつけたほうがいい」
ウメ「ホテルはだいたいみんな軽症とか無症状の人が多いけど、酸素濃度の数値測ったらちょっと数値が低かった。95ぐらい。そしたら看護師の人が怪訝な顔してもう一度図りましょうって話になった。全部リモート。お医者さんともZoomで連絡とってた。で、もっかいやって数値が悪い。」
ウメ「明日最後もう一回測って数値が悪ければ入院。数値が悪いって言っても深呼吸したりすると97ぐらいにはなる。深呼吸するとそれぐらいになるし良いんじゃねえのと思ってた。で測ったら93だった。自分としては病院あんまり入りたくなかった(自由がないから)から深呼吸してみたりしてた」
ウメ「入る必要あります?って感じで聞いたら手遅れになることもあるから、って言われて入院した。実際自分では酸素濃度の数値と自分の体調では一致しない(わからない)らしい。病院搬送されてる最中にどんどんキツくなってきた。」
ウメ「病院入院して寝てたら息が苦しくて目が覚めた。息が苦しくて目が覚めたのは初めて。マジで焦ってナースコール押そうとしたら、押す前に看護師さんが意識してくれてたのかすぐ来てくれた。処置してくれて助かった。病院行こうかどうか迷ってたけど、初日からいきなり病院来て良かったと思った。」
ウメ「酸素濃度の数値も90きっててめちゃ苦しい。最初は空気の量を0.5とかいうのでやるんだけど、そこから地獄。熱が39度ある。解熱剤飲むと38度ぐらいにはなるけど、基本39度ある。いろんな機能がバカになっていく。腹減ったっていう感覚がない。」
ウメ「喉乾いてるって感覚があるんだけど、水を飲もうって思考回路にならない。飲みたい(食いたい)と思わない。生物として正しい反応ができてない。食いたい、飲みたいと思わないと脱水が起きる。頭がボーッとする。脱水起こさせないように、意識して無理やり水を飲む。」
特に男性のほうが「俺が愛したのは女優としての○○であって、素の○○じゃなかったんだ…」となりそうな気がする。
(自分はどちらのファンという事もないから、結婚自体は大変めでたいと思っている)
これまで色んな人が言ってきたことだけど。
結婚前は一緒に居られる時間は限られているけど、その分「作られた状態」でいられる。
結婚して四六時中一緒にいたらどうしたって「素」が出ることもある。
すっぴんの話だけではない。キラキラかわいい彼女だって人間だから生理前症候群で機嫌悪くなる日もあるだろうし、ストレス溜まったら暴言吐きたくなる日もあるだろう。男性だってずっと紳士的ではいられない。
調子が悪くてボサボサの髪で死んだ魚の目をする日もあるだろう。
某俳優の元奥さんのような、他の女優と話をしたらスマホをぶち壊すみたいな「やられ続けると確実にウンザリする言動」だってやっちゃうこともあるかもしれない。
それでも子供がいないなら、まだお互いの欠点を見ないフリできるけど。金銭感覚が大きくズレていると本当に地獄。
あと知り合いに産後ビックリするほど荒れた女性がいた。産後鬱って奴。
誰が産後鬱になるかならないかは、誰にも分からない。元々の性格が原因ではないのだから。
出産後に新生児のお世話で寝不足になったら、産後鬱とまではいかなくてもイライラカリカリするものだし。
どこにもこの「巨大なお世話でしかない心配な気持ち」を書き込めなかったから、
ここに書き込んでみた。
去年の秋に母親が亡くなった。
2019年の年末から「抗癌剤治療を辞めて終活をする」と言われていたので、ある程度覚悟は出来ていたしそこまで引きずらなかった。
でも母が亡くなって今まで母が守ってきたものって何だったのだろうと思うようになった。
母子家庭で一人っ子。祖父母は母が若い頃に他界。父親はDV気質だった為、私が物心つく前に離婚。
お金持ちという程ではないが、不動産収入があったので幼少期から苦しい思いはしてなかった。
小4の時母から「親戚の何人かにお金貸してる」と告げられ、それがおばあちゃん代わりになってくれていた人やお姉ちゃん代わりに遊んでくれた人だったのでショックだった。
その頃から親戚に対して少し軽蔑していたし、そんな親戚と仲良くしてる母親が理解できなかった。
大人になって母はこの親戚との関係を断つと孤立してしまうんだと気づいた。
祖父方の親戚とはとうの昔に縁を切ったらしいし、残すは祖母方のこのろくでもない親戚しかいなかったのだと。
私は田舎が嫌で16歳で家を飛び出して都会で一人暮らしをし、癌治療中の母をその親戚に任せっきりにしていた。(とはいえ母もずっと入院していた訳ではないので、任せっきりというのはおかしいかもしれないけど語彙力がないので何と書けばいいかわからない。)
なのでろくでもない親戚とは言えど感謝と申し訳ないという気持ちはある。
でも母が死んでしばらく親戚にお世話になっているとやはりろくでもないなと思った。
祖母代理を務めていた人の家に泊まっていたのだが、日数が経つにつれ「父親に似てる」「お前の父親は最低だった」なんて話をされた。
私は内心「遺書で母からまだ100万借金してんの分かってんぞ。けど母の良心に命じて何も言わんだけだからな。」と思っていた。思ってるだけでチキンなので何も言えないまま苦笑いしてた。悲しい。
また実家を売るとなった際に、その祖母代理の息子から「いい不動産屋を何件か紹介する。その代わり日給をくれ。」と言われた。
こちらは相続税バカ高くて、泣く泣く思い出の実家を売るのに金せびるんかい。
しかもお前の母親、うちの母親から借金してるんですけど?どの口が言ってんの?
と内心思ったが、チキンなのでまた何も言えないまま苦笑いして丁重にお断りした。
母が亡くなって一気に親戚関係が崩れた気がする。というか私が壊したのか?
相続手続きもひと段落して、一人暮らしの住居に戻って約半年経つがその親戚からは何の連絡もない。
母の同級生の方がよっぽど連絡してくれている。
親戚からすれば私が身勝手に飛び出して母を任せたんだからお金をせびったり、嫌味を言ったりしてもいいと思っているのだろうか。
でも任せた分、お世話代として借金はチャラにしてくれと遺書に書かれていた。
年2回は毎年帰省していたし、高校卒業し社会人になった後は親戚にもお礼としてご飯や買い物に連れて行ったりしていた。
私は母が守ってきた親戚との関係を壊したかった訳では無いのに、母というストッパーを失った事によってどんどん崩れていく気がしてならない。
幼い頃の親戚との幸せな記憶も、全て母の犠牲の上に成り立っていたのだと知ると居た堪れない。
母が守ってきたものって何だったのだろう。
当初は措置入院が必要と言われて三ヶ月ほど入院したけど、薬を服用するようになって落ち着いた。
今は幻聴があること、睡眠薬がないと夜寝られなかったり、感情の起伏がだいぶ少なくなっていて、やる気がないものの、薬をちゃんと飲み続けていて、一人暮らしを続けられている。
それでずっと気になっているのが、手が震えているのと、立ったり座ったりとじっとしていられない症状。
最初は統合失調症の症状なのかと思っていたのだけど、ネットで調べると、薬の副作用っぽい。
親にそう告げて病院では薬を変えてもらうなりするよう伝えるのだけど、もうこれ以上効果の低い薬を使うのは無理みたいなことを言われたそう。
本当にそうなん?
正直なところ、他のクリニックにも行って見てもらいたいのだけど、そうなると遠方のクリニックになるし、親はわざわざ遠くまで行きたくないと、全く取り合わない。
もし、セカンド・オピニオンをするにしても、紹介状を書いてもらった方がいいの?
その場合、元のクリニックに戻りにくいような気も。
<独自>時短・休業要請協力金 申請中に死亡の経営者に支給せず 大阪府(読売テレビ) - Yahoo!ニュース
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/622ec66968f7b094b9ebb803c23d521e8d576d3c
要するに争点は「協力金支給の権利は相続されるかどうか」ってことになるだろうけど法的にはどうなん?
例えば災害の支援金なんかはどうかなと思って調べたら被災者生活再建支援法に基づく被災者生活再建支援金は
(5) 世帯全員が死亡された場合や,単身世帯の方が支給を受ける前(申請後の場合も含みます。)に亡くなられた場合は支給されません(支援金は相続の対象になりません。)。
https://www.city.mihara.hiroshima.jp/site/goujoho/saikenshien.html
これを読んでドキドキしている。
これまで新生児や乳幼児が可愛いと思えず、大学の女友達グループラインとかで出産報告とともに写真が流れてきても、右に倣って「可愛い」というのも苦痛で、スルーしてきた。
妹の出産予定日が過ぎたばかりの今、増田の記事を読んで、もうすぐ身内の子供を「かわいい」と言わねばならない日が来るのだとふと思って怖くなった。むしろなんで今までその考えに至らなかったのだろう。
親には、自分が新生児や乳幼児が可愛いと思えないことをカミングアウトしていて、一応理解はしてくれていて、例えば従兄弟が赤ちゃんを見せに来ても、私は顔を合わせなくていいようにしてくれていた。
しかし今まで、妹とその話をしたことがあったかが定かではない。(もしくはしたけどもっとライトだったか、かなり時間が経っていると思われる)
体調がずっと悪く、入院も経験した妹(今もこれからも精神的にも不安定なのではないかと思われる)に今更この話を振ろうとも思わない。
自分の子供は別だ、はよく聞く。でも自分の子供ですらキモかったと言う人もいる。
結局のところその時にならないと分からなくて、一目会おうものなら目に入れても痛くないほどかわいくなっちゃう可能性も万に一つくらいはあるが、どう考えても、かわいいと言わざるを得ない状況になりそうな可能性の方が高く、憂鬱だ。憂鬱だと思ってしまう自分を責める気持ちもあって、ここに吐き出しにきた。
この時期に妊娠出産を決意した妹夫婦を尊敬するし応援しているし、できることは手伝うつもりではいる。
でもそれとこれとは話が別なのだ。どうか強制しないでくれと願う。でも「かわいいでしょ」聞かれたら、複雑な顔で「ソウダネカワイイネ」というしかないんだろう、大人だもの。つらい。