はてなキーワード: 人知とは
返信読みました。
ずっと同じレベルのハードワークを続けていて、急にだめになる例を自分以外に1人知っています。
あなたのが過労かどうかはまあ知らないんですが、おれもだめになった時「こんなん、もっと忙しい月もあったのに」という感想を持ちました。
おれは今から思えば過労でした。いろいろがんばってて、お正月休み明けたらなんかもうすべて無理になっていました。
おれのまわりのハードワーカーでは、25歳くらいから衰え始めたと述懐するセンパイは多いようです。
何にせよ一般的に徹夜は不健康の極みです。徹夜明けは心臓おかしくなりませんか。
こいつは失礼。
でも発表内容が修論の印刷物よりもグレードアップしてないと即退学っていうわけじゃないんでしょう?
すでに提出したような内容を15分間とか喋って、その後立ってれば卒業可能なのではないですか。
健康な人間の場合、窮地に追い込まれてもなんとか生きる道を模索するのが一般的です。
もうすべて無理になってから、おれは治ってません。
元気が一番。
「えー、皆さん、こんばんは。今回は新プログラムの説明をさせていただくため、先生方にも全員集まってもらいました。ではPTA会長。よろしくお願いします」
「はい、うけたまっ。それでは皆さん、お手元の資料をご覧ください」
その資料の表題には、妙ちきりんなフォントで『新・イジメ対策プログラム』と書かれていた。
「現代社会は流動的です。我々も高度の柔軟性を維持しつつ、臨機応変な教育をしなければなりません。学校という小規模な社会においてもそれは同じであり、然るにこのイジメ問題も―――」
勿体つけた言い方をしているが、要は学校のイジメ対策を強化しようというものだった。
数週間前、近隣の学校でイジメ問題が各メディアで取り上げられたこともあり、彼らはピリついていたんだ。
そこで今回のプログラムを急いで作った、てところだろう。
だけど、そうやって作ったものがちゃんと出来ているはずがない。
色々書かれていたけれど、要約するなら「イジメらしき行動には問答無用で介入して罪・即・罰」といった感じ。
「―――以上になります。特に反対意見がなければ、このまま適用していただこうかと思いますが……何か質問はありますか?」
PTA会長はこう言っていたが、プログラムの適用はこの時点でほぼ決まっていた。
“イジメがよくない”という点では意見が一致しているので、下手な反論をしてもヒンシュクを買うだけだからだ。
それでも、そのプログラムの内容に難色を示す人がいた。
「なぜでしょう。ルビイ先生」
「やや過剰反応といいますか……イジメと言っていいのか分からない微妙なラインを、大人の尺度で判断するのは如何なものかと」
「何ですと?」
生徒たちだけで解決することが可能ならば、生徒主体でやらせるようにしている。
「私たちが必要以上に目くじら立てて、生徒たちの間に介入して問題化させる。それが果たしてベターなのかが疑問なんです。仮にやるとしても、現実問題として教師側の負担が大きすぎますし……」
だけど、ルビイ先生の教育に対する姿勢を、職務怠慢だと感じている人も多くいた。
穏当に、あくまで一つの意見を述べたにも関わらず、周りの人たちから怒号の嵐。
「何を悠長なこと言っているんですか! イジメ問題は、早めに解決しなければ取り返しがつかないんです」
「イジメを認知していなかった学校が、どれほどの責任を追及されるか」
「PTAからはもちろん、大事になればメディアで世間にも広がっていくんですよ。それだけイジメは深刻に見るべき問題なんです!」
「あなたはそれでも教師ですか! 児童の上に立ってモノを教える仕事にをナメているんですか!」
会議室という閉鎖された空間で、その波を一身に浴びてはひとたまりもない。
「い、いや、私はただ冷静に対応しようと言いたいのであって、イジメを容認しているわけでは……」
ルビイ先生はその大きな力に抗えるはずもなく、慌てて取り繕うのが精一杯だった。
「では、“満場一致で賛成”ということで。『新・イジメ対策プログラム』を、みなさん頭に叩き込みましょう」
ルビイ先生はただ黙って、他の職員に合わせて頷くしかなかった。
「はあ……」
『新・イジメ対策』に関する分厚い資料を目の前に、ルビイ先生は人知れず溜め息を吐いた。
場面は戻り、俺たちのクラス。
裏で起きていることなんて知る由もない俺たちは、未だブリー君との距離を測りかねていた。
最初の内は頑張って仲良くなろうとする奴もいたけど、数十秒ほど会話をするとすぐに諦めてしまう。
そんな感じで、一週間経ってもブリー君は孤立している状況だった。
コミニケーションをとれる余裕も、俺たちにはもはや残っていない。
「ちょっと可哀想だけど、当然の結果よ。あんな子と上手くやっていくなんて無理だわ」
タオナケはすっかりブリー君のことを嫌ってしまったようで、遠巻きに見ながら毒づく。
「う、うん、別に悪い子じゃないんだけど……話すと、すごく疲れるんだよね。め、免疫細胞がガリガリと削られていく感じ」
それに対し、ドッペルは控えめな表現をしているが、ところどころにトゲを感じる。
「まあ、大きなトラブルが起きないだけマシ……か」
俺もこの状況を妥協するようになっていた。
ブリー君の今の立ち位置に問題なんてなくて、そこから無理に動かす道理もないんだ、と。
だけど、この時の俺たちは忘れていた。
ブリー君に気をとられすぎて、気づいていなかったんだ。
ブリー君と接触していないクラスメートが、まだ一人だけいたことを。
葬式BGMを考える増田を眺めていて、BGM遊びでさえ葬式不要論が出てきて、まぁはてならしいと言えばそれまでだが。
確か数年前、業者に頼まず自分で親を見送った増田のレポートがあった記憶があるが、ああいうものはあれでいてかなりシステマティックに世の中の仕組みができていて、業者に依頼しない=仕組みに乗らないで遺体を焼くのは割と面倒そうだった記憶がある。
この頃は葬式業者もお手軽パックもあるみたいだが、何だかんだでそれなりにしようとなるとお得感が無くなる、オプションなしだとかなり質が下がるという話もあるし、それほど簡単ではないかもしれない。まぁ彼らも商売だから阿漕だなとは思うが仕方ないだろう、商売とは基本的に阿漕なものだ。
簡単に死んで簡単に野ざらしになれればさっぱりして良いなと思うが、残念ながら妙なところで現代社会には「ある種の厄介さ」があり、それを良いことだとも思ってはいないが、ことに生き死ににかかる諸々は出来上がってるシステムに乗ると割と楽だし人と違うことをすると悪目立ちしやすいという困ったところがあるのだ。
増田は親を二人見送ったが、多少金がかかっても出来上がっているシステムで楽をする方を選んだ。
親のうちひとりは病気で亡くなったのだが、死ぬ前の1か月はだんだん意思が柔らかく緩くなっていき、元気な時は「葬式無用 戒名不要」とか「その辺に灰を撒いてほしい」とか言っていたが、最期の病床では墓のことなどをぽつりぽつりと言いだすようになった。家庭の事情が若干複雑で、ある墓を引き継がざるを得なかったのだがその引継ぎについて口が煩いだけの親戚から了承を取る必要があり、まだ元気なころは墓はつぶす葬式もいらんお前たちも家を継ぐなんて考えなくていい、など言っていたのが、私に煩い親戚からの墓引継ぎの了承を取ってほしいと頼んできて驚いた。元気なころは生まれや世代からしたら相当アナーキーな考え方をしていた人だったので、本当にいいのか、別の方法(散骨など)も考えられるがと聞き返したが、それでいいんだ、と言っていた。もう死んでしまったので本意は分からないが恐らく「それで(お前たちが楽な方が)いいんだ」ということだったのだろうと思っている。
もう一人の親は自宅での突然死だったので、もう色々(警察が来たりする)大変で、そのまま業者に頼むほうが気持ちも体も楽だった。というか詳しい人が助けてくれるのが金払ってでも有り難かった。検死も必要だし死亡診断書がないと焼き場の手続きが進まないし焼き場の予約も混雑してたこともあり時間が結構かかって、ボディが腐らないかという心配がかなり頭の多くを占めていた記憶がある。先に死んだ親が墓問題を己が死に引き受けたくれたおかげで余計なことを一つ考えずに済んだのがありがたかった。
検死の結果、自然死だったわけだが、病院で死なないというだけでこれだけ手続きが面倒になるのか、そして病院(や誰か看取る人がいる場所)で死なないとこれだけ面倒なのかとかなり身と心を削られた。オフィシャルに死なない(医者などが看取らない)ということは、誰かが疑いの目で見るということだ。警察などからしたら疑うこともなさそうなのが一目瞭然であっても念のため疑わざるを得ないし、遠巻きの第三者はそのような「念のため」をすっ飛ばして、残った我々に色々な憶測を割と無遠慮に投げつけてきたりすることもある。親族などに親の死を連絡をする時はこういうフレーズだと角も立たずこちらも苦しくないです、と教えてくれたのも面白く、ありがたかった。儀礼やコミュニティにおける知恵が企業によりマニュアル化されている面白さ。
身内が死んで1か月ぐらいは、なんていうか、生きている側であるこちらも生死の境にいるようなところがある。頭が回らないし究極の非日常でもある。そういう「境目」にいると体の負担も心の負担もかなり大きい。
業者に頼むと大抵のことは業者がやってくれて、ご遺族様なんて様付で呼ばれて下にも置かない扱いを受ける。参列者がまばらになった通夜ぶるまいの席で親族や親の友人知人たちにお礼を言って回っていて、気が付いたらまる2日たいしたものを食べてないな…とごちそうの名残を眺めていたら、業者が私たち「ご遺族様」用に別に美味しそうにきちんと整えられた食事を用意してくれていたのがありがたかった。まぁそういう気遣いが商売なのだろう。
親ふたりの葬式にはそれぞれ彼らが生きていた時によく聞いていたCDを自宅から持ってきてBGMにしてもらった。
どちらの葬式も業者の葬式会場で行ったが、通夜の日から翌日の夕方に骨壺になって帰ってくるまでの1日半程度は葬式会場がベース基地になる。勝手の分からないベース基地で、言葉は悪いが良い感じの時間つぶしが必要だった。スマホではてブなんかは、やはり見る気にはなかなかなれない。SNSも、動画サイトも、自分たち大人はもちろん、子供たちもあまり見たい感じではない様子だった。休んでいる間の仕事のやり取りでメールや電話をしても、なんていうかしんどい。確認メールを1本入れるにも、気持ちを整えて橋を渡ってまた橋を渡って戻ってくるというような隔絶感があった。
TVも置いてあったがこれもやはり見る気になかなかなれず、そしてクタクタのはずなのだがちっとも眠くならない。通夜番(とはいえ線香も一晩通して火が消えない蚊取り線香のようなぐるぐるした線香があったり(仏式です)と番をするような必要もないのだ)で残ってくれたごく親しい身内親族がいたこともあって、ふと思いついて実家に一度戻って、親が好んで聞いていたCDを何枚か持ってきて、会場の音響設備を使わせてもらって聞いてみたら良かったのだ。
親と趣味を共有していたからということもあるが、この曲好きだったねとか、このCDは家族でドライブに行くときにはいつも持って行ってたよねとか、そういう話ができたのも良かった。そしたら業者がお好きな曲を流せますと言うのでそのまま持ってきたCDを葬式にもかけてもらった。見送られる人も、そして何より見送る人も聞きなれた音楽が流れてたのは思いのほか、久しぶりに肺に空気が入ったような悪くない感じだった。
この辺はただの好みの問題だが、業者が用意しているBGMは、ふやぁ~ん系ニューエイジ風の環境音楽みたいなヤツとか耳に残らないようなクラシックの室内楽とか当たり障りのないもので、ずーっと聞いてると逆に耳に障った。当たり障りのない音の方が良いという人も居るだろうと思うが。無音はかなりしんどいと思う。周囲が虫の声とカエルの合唱みたいなところなら良いのかもしれないが、何らかの街のノイズがいちいち気になった。
これはほとんどの人がそうだろうと思うが、ネットやTVラジオ等もほとんどの「日常情報」はしんどくなると思っておいていいと思う。なんていうかすごくしんどかった、「橋の向こうにある日常」が。
あとは業者にもよるだろうが、業者の言うままにすると、妙に感動的な当たり障りのない美辞麗句の式次第アナウンスとともに当たり障りのない感動音楽を流す感じだった。葬式内容の打合せで試しに聞かせてもらったのだが、こんなん葬式コントみたいだと笑っちゃいそうだったので葬式コント化を免れたのは結果的にすごくよかった。この辺は結婚式をオールお仕着せでやるとギャーってなるのと同じ感じかもしれない。
増田が自分でも言ってる通り、どうせ男の大多数は細かい所なんざ見ちゃいないけど女は見ているからね。
デートより何より「お洒落な女が集まる場所」に行く時が一番気を遣うよ。
あと気を遣った格好≒女が好む格好、は勿論「(女の一員である)自分にとっても好みの格好」だからテンション上がる。
女友達は一人もいないの?女が集まるような場所に行く事はないの?
「おばさん」はパート主婦で正社員は男ばかりの職場で、プライベートでも男友達ばかりで女友達はゼロ、な名誉男性な方なんだろうか。
先日、一人の友人の部屋に遊びに行った。便宜上、彼のことは〝彼〟と表記する。
初めて会った時から変なやつだとは思っていた。ろくに授業も聞かず、学校も部活もサボってばかりいる割にテストの点だけは良くて、ラノベの主人公みたいだという印象があった。
帰り道が同じ方向なので、僕はしょっちゅう〝彼〟と一緒に帰っていた。話してみれば面白いやつだった。僕も根は真面目ではなかったので、〝彼〟とは仲良くやることができた。
進んだ高校は別々だったが、もう一人別の友人を交え、僕たちは三人でことあるごとに集まった。
いつも遊ぶ場所は僕の家だったが、ある時〝彼〟の家に遊びにいく機会があった。
〝彼〟の家はすごく辺鄙な立地で、信じられないくらい細い路地を進んだ袋小路の先にあった。
外観はゴミ屋敷だった。銭湯の下駄箱とか、シーサーみたいな動物の置物とか、そんなもんどこで拾ってくるんだよと尋ねたくなるようなゴミで溢れかえっていた。
内装はバカの家だった。玄関のドアを開けるとまず真っ先にバカみたいなサイズの水槽の中に入った故の知れぬナマズみたいな魚と、明らかに飼い主の手に余っている気性の荒い大型犬が三頭出迎えてくれた。当然床はゴミであふれていて足の踏み場もない。大量の段ボール箱とか、いつ食ったのかもわからないコンビニ弁当のガラとか、とにかく生活感のあふれるゴミがわんさか転がっていた。あと窓ガラスが割れていて、ビニールテープで雑に補修してあった。
多分〝彼〟のご両親は頭がおかしいんだろうなと思った。先生の話を聞かないのも、一番身近な大人がちゃらんぽらんだから敬うことを知らないせいだろうと思った。
のちに聞くと、彼の父はDV常習犯の躁鬱病患者、母はそんな夫を見限ってまだ幼い息子二人と娘(〝彼〟には二歳下の妹と六つ上の兄がいた)を放って家を出て行ったのだとか。本当に両親揃ってダメ人間だった。
現在、〝彼〟のTwitterアカウントはFF比が3くらいあって、2000人くらいフォロワーがいた。投稿内容はアルファツイッタラーもどきの気持ち悪いツイートであふれていた。マッシュ頭に丸メガネというテンプレート通りの外見の自撮りを投稿して囲いのメンヘラ女を喜ばせたり、学問の話をして身内と盛り上がったりしていた。
あと〝彼〟は常に病んでいた。メンヘラというより厭世主義者で、誰かにかまってほしいから病んだふりをしているというより、本質的に狂っているような感じがあった。なにが面白いのかさっぱりわからない上に、なにか僕の感性の根本的な部分が拒否反応を起こすので普段はミュートしている。
〝彼〟の感性は普通ではない。太宰や芥川の作品のような雰囲気を纏う芸術の類ばかりを愛で、普通の恋愛とか、人間関係にはほとんど関心を示さなかった。恋人はいたし、その相手とは僕も交友があったが、やはりどこか壊れている女ばかりだった。援交でお金稼いでるとか、エロい自撮りを鍵もかけていないアカウントで上げているとか。
〝彼〟の感性は普通ではないから、部屋で遺書を見つけた時もただの悪ふざけかと思った。だって「遺書(これは常備のものなので私が死んでいない時には読まなくてよい)」とか書いてあるんだもの。けれど、悪ふざけにしては度が過ぎている。自殺する気があるのかどうかは知らないが(決してないとは言い切れない)、少なくとも常人よりは死を身近に感じているような雰囲気があった。
少し迷ったが〝彼〟は階下で僕と飲むためのお茶を用意してくれていたので、その隙に僕は勝手に内容を検めた。好奇心に負けた。
遺書は封筒にすら入っておらず、B5のコピー用紙の片面に印刷されているだけで、その乱雑さも〝彼〟らしいと感じた。
中には男女1人ずつのフルネームと連絡先が記されていた。男は大学で同じゼミに所属している人間で、女は元恋人だった。男には〝彼〟のスマートフォンの完全な破壊を、女には引き出しに入っているという手書きのメッセージを引き取るよう指示してあった。流石に女に宛てた手紙を勝手に読むことは良心の呵責が許さなかったが、いったいどんな手紙を残したのだろうか。(すでに良心が〜とかどの口が言うんだ、くらいのことをしているとは自分でも思うが)
〝彼〟は無駄なことをわざわざする人間ではない。誰にも発見されないかもしれないのに手の込んだネタを仕込むようなお茶目なやつでもない。
だからあの遺書は多分、本気で書いたものなのだろう。本気で彼はスマホの破壊と、童貞を捨てた相手にメッセージを伝えるくらいしか自分が死んだ後に望むことがないのだ。
言葉にし得ない虚しさがあった。育ちや環境に同情するには遠過ぎた。ただ、哀れに思った。
こんなことを考えるのは不遜にもほどがあるとは思う。人の遺書を勝手に暴いてこんなところに晒しておいてケチをつけるとは何事だと、これを読んでいるあなたはきっと思っていることだろう。
けれど、僕は悲しいのだ。仮にも数少ない友人である〝彼〟の人生が、こんな詰んだものであることが。
遺書には男の名を指して「君くらいしか頼める相手がいない」と書いてあった。
僕を頼れよ、とは思わない。だって僕は彼を救いたくないから。本当に気色悪いと思っている。
ただ、彼の人生が詰んでいるのが、ひたすらに悲しい。
〝彼〟はまだ生きている。3年前と同じことをツイートしている。
そして、僕の知らないところで人知れず死んでくれ。
少し考えてみた
去年の今頃までは、遊びの予定が立ったら、たとえ締切日まで余裕があっても、レポートをそれまでに終わらせることができていた
確かに今はめんどくさいが、その日は気兼ねなく遊びたい
先の報酬を考えて行動することができていた
今は、締切日の前日になって終わってなくても、徹夜すらできない
終わってない いいや 出さんでも
そう思って、目先のめんどくさいに気を取られるばかり
どころか、一文字も書いてなかった
でもなんでかよくわからないが
書けなかった 書くことは決まっているのに
ずっと好きなことがあった
大学に入って、多少頻度は落ちたが
それでもテストやレポートから解放されて真っ先にやりたいと思うことはそれだった
でも、それはマイナスではなかったと思う
何かそれの他に、一生懸命打ち込むことがあったのはよかった
でも最近、好きなことのはずなのに、やってても全然楽しいと思えなくなってしまった
以前は確固としてあった理想形が全く見えなくなってしまっていることに気が付いた
周りの人々にも恵まれた
友人も、決して多くはないが、素晴らしい人々に巡り合えた
共通の趣味を持つ友人は、大学に入ってからほとんどできなかったが、特に苦ではなかった
もともと、趣味を他人と共有したり、趣味をコミュニケーションの道具にすることが好きではなかったからだ
一人で楽しみたいタイプだった
剥き出しの悪意に晒されたり、理不尽に踏みにじられたりしたこともない
誰しも人見知りな私のことを認めてくれた
もしかしたら、表面的な付き合いなのかもしれないが、
それでも、私は他人と接していて、他人によって、嫌な気持ちになったことがない
私の知り合いに、両親、友人知人、バイト先の人々、教師から病院の先生に至るまで、悪い人は一人もいなかった
みんな親切だった
自分で言うのもなんだが、私は世間から見れば非常に恵まれた位置にいると思う
思春期の少年らしく、容姿については相当悩んだが、今はさほど気にしていないつもりだ
自分にはまるでやりたいことがない
焦った
とりあえず並行してどちらの準備もしたが
色々調べたり、友人と話すうちにその焦りがどんどん自分の頭を食っていった
みんなやりたいことがある
もしくは明確でなくても、ちゃんと方向性を定めて、舵を切り始めている
少なくとも、『ある』フリをして、
やりたいことは何だろう
興味があることは?
関わりたいことは?
やりたくないことは?
好きなことは何だ?
将来何をしていたい?
何が欲しい?
でも、誰にも相談できなかった
なんだこいつ、まるで中身がないと思われるのが怖かったんだと思う
このころから、夜になってひとりで部屋にいると、涙が止まらなくなることが増えた
部屋にいると、どこまでも自分で、自分しかいなくて、自意識に押しつぶされそうになる
声をかけてくれる人はいなくて、気を紛らわしてくれるものもない
ネットを見ればキラキラして一生懸命な自分より若い子ばかりでつらい
結局誰にも相談せずに、まだ働きたくない、この気持ちだけで進学を決めた
勉強するうちにまた気持ちも定まってくるだろうという甘い気持ちがあった
けど、ちゃんと、興味ある分野が見つかった
夜になると涙が止まらないし
そしていま、やりたいと強く思うものがついになくなった
どうすればいいんだろう
誰かに話せばきっと呆れられる 早く人生をどうにかしなきゃ、そう思うけど、体が動かない
今日はついに、大好きな先生の授業を初めてさぼった 最終回なのに
悩みのないふりをして、ほとんど自分の中で消化してきたし実際できてた
それで問題なかった
だから、4月から今まで意味もなくほぼ毎日泣いてるけど、誰にも言ってない
恋人にも親にも友人にも言ってない
わかんない、こういうこと言うと、同情をひこうとか、健気アピールに見えてしまうのかもだけど、本当に、
ひとりじゃないときは、飄々として、何も考えていない人っぽくあろうとしてる
不真面目で、明るくて、てきとうで悩みのない人間を演じている、つもり
というかそういう人間だと自分でも思い込んで、それで悩みを消化していたんだろう
でも、そうやって問題の根本的な解決をせずに逃げてきた、その負債に今苦しめられてるんだろうな
確かに悲しかったけど、つい最近まで、この出来事が自分の今に影響してるとは思ってなかった
なんでかっていうと難しいけど、弟が亡くなってからも両親は今まで通りに接してくれていたし
学校も少し休んだけど、すぐ復帰した
それまで通りの日常はすぐに戻ってきたし、何より自分は幼かったから、あまりわかってなかったもんだと思ってたのかも
何より、それから十数年生きてきて、それによる自分の不具合は一度もなかったから
だけどよく考えたら、事故現場に私もいたし、そのあと友達の家で私だけ一時待機でご飯食べてたのも、
お母さんが「頑張ったんだけどね、」って迎えに来たのも、
棺を飛行機に乗せるために木板でまわりを固めてるのを見て可哀想って誰かが言ってたのも、
謎にガラス張りだった葬儀場の周りにいた野良犬も、幼稚園の同級生が来たお葬式も、
全部覚えてる 小学校低学年以前の記憶がほとんどないのに、そこだけ鮮明なのは、やっぱり強烈な記憶だったからだろう
それに、弟が亡くなってから私は一度も両親の前で泣いていない
これだけは断言できる
当時発症してた小学生特有の謎の天邪鬼の影響も多少あると思うが
今までの日常を失いたくないという一心で、何も気にしてないフリをしなきゃ、と思ってたのかもしれない
自分さえ我慢すれば、自分がちゃんとすれば、すぐに日常が戻ってくると考えていたのかもしれない
まあ正直この辺の思考回路は今の自分と照らし合わせて想像したものだから、本当のところはわからない
ただ自分がもともと、感情をむき出しにしている人間に出会うとかえって冷静になってしまうタイプの人間だった、というだけかもしれないし
この経験が今の、人に相談事をするのが苦手で、自分の中で決着をつけようとする自分につながっているのではないか、ということ
今現在の無気力代謝マシーンであるゴミ人間の自分まで、この経験に帰結させようとは思ってないけど
こういう不可避の経験に無理やりでも結びつけないと、やってられないです どーしよ
ボヘミアン・ラプソディーを見た。
友人知人が軒並み鑑賞して絶賛。
あまりにも色んな人が見に行っているので、
このままではボヘミアン・ラプソディを見ていない人間は世界で自分ただ一人になるんじゃないかと思ったくらいだ。
たまたま友人が誘ってくれたため見に行く運びとなった。
友人はこれで4回目の鑑賞だと言う。
一方自分はと言うと焦っていた。
横で感動して涙を流している友人がいるというのに、
迫力あってかっこいいなーくらいの感想くらいしかなかったからだ。
面白かったとは思う。
ただ泣くほど感動したわけではなく、
もう一回映画館で見ようと思えるくらいぞっこんになったわけでもない。
もちろん好みは人それぞれなので、好みでなかったものは仕方ない。
悲しかったのは、一般的に「良い」と評価されているものが自分は特にハマれなかったことだ。
夢中になることができなかった。
それは、自分の感受性やそういうものが鈍い、足りないからなのではないかとか思ってしまう。
仲の良い友人と感情を共有できないことを申し訳なく思い、盛り上がれない自分を情けなく思う。
作品は誰かと共有して楽しむためだけに存在するのではないのは分かってる。
それでもできればいろんな作品を楽しめる方が絶対人生楽しいのに、
とはいえここまで考えて食べ物の好き嫌いみたいな話だなと思ったので、
結局こればっかりはどうしようもない。
好き嫌いは時間が立って変化するときもあれば、一生変わらないときもあるのだ。
なぜそれを好きになれないのかを自分で分析するようにしている。
これはこれで嫌いなものについて考えるのであまり愉快ではないエネルギー消費の仕方な気もするが、
自分を納得させるには足る。
「私はこういうところが苦手だからあまり楽しめなかったと思った」
ただそれだけでも、
<チャイルドライン>宮城の電話相談、児童虐待の53%が「性的」 17年度「これほど高いのは衝撃」 | 河北新報オンラインニュース / ONLINE NEWS
https://sp.kahoku.co.jp/tohokunews/201901/20190107_13006.html
『性的虐待の被害者は主に小学生から高校生の女子で、特に中学生が多かった。加害者の多くは実父とみられる。被害者の大半が「誰にも話していない」と訴えるといい、相談できずに独りで悩むケースが多いことをうかがわせる。』ニュース本文より
ここに電話してきた子供たちの苦しみや勇気を思うと、胸が締め付けられて仕方がない。どれだけ一人でつらい思いをしてきたのだろう。電話をかけることだってきっとものすごく悩んだだろう。相談しようと決意できただけですごいことだ。
性的虐待はきっと私達が思っている以上に身近に起きている。そして誰にも知られることがないまま、被害者は苦しみながら、なんとか大人になって自分の負った傷から目をそらして生きる。
だって、どうして言うことができるだろう。実の父親から「女」として見られ、性的に搾取されているだなんてことを、他人に話せるわけがない。
セックスに対する知識だってあるかどうかわからない年齢で、自分がどんな被害にあっているのかもよくわからなくて、けれど怖くて、不安で、相手は父親で。
どんなに仲が良くても友達になんて話せるわけがない。母親に話すことだって不可能に近い。
まず子供の言うことだとまともに取り合ってもらえず、信じてもらえないかもしれない。信じてもらえたとして、「お前から誘ったんだろう」と責められるかもしれない。ヘタを打てば、家庭という小さいコミュニティの中で自分の居場所も安全もますます確保できなくなるのだ。親が絶対的な存在で、家から出たら生きていくこともできない子供にそんなリスクは冒せない。
私は13歳のとき父親からラブホテルに誘われたことがある。ショッピングセンターの駐車場で、母の買い物が終わるのを車中で待っていたときだった。
広い駐車場でぼーっと外を眺めていて、窓から見える様々なネオンの看板について父と他愛もない話をしていた。その中の一つにちょっと変わった読み方をする看板があった。それがラブホテルの名前だった。
当時の私はセックスに関する知識もほとんどなく、その建物がどういう目的の建物なのかもよく分かっていなかった。ただポツリと目についたので、「あれなんて読むのかな、ホテル××?」と何も考えずに名前を読み上げてしまった。それを聞いた父は、ニヤリと笑って「行ってみる?」と言った。なんともいえない嫌な感じ、そして父のあのニヤリとした笑顔の気味悪さに何か言ってはいけないことを言ってしまった気がして、すぐに黙った。父もなんとなくその場を濁して終わった。
まぁ普通に考えて冗談だったのだろう。それ以上のことは何も起きていない。けれど一年程経ってその施設の意味を知ったときの私は、激しく悩んだ。
どういうつもりで言ったのか、冗談だったのか、もしあの時私がよく知らないまま「うん」と言っていたらどうなっていたのか……何より父親から「そういう目で見られているかもしれない」という疑いを抱いてからは毎日家で顔を合わせることも恐怖になった。
直接身体を触られたり、関係を持ったりしたわけではない。だから世の中にはもっと深刻な事態で苦しんでいる子がいることは十分に承知している。
けれど大人になって振り返った今、やっぱり自分が父親から言われたことは「おかしい」と思う。
なので、もし過去の私と似たような体験をしていて「これはおかしいのだろうか…」と人知れず悩んでいる子がいたら、それはおかしいのだと、助けを求めていいのだと伝えたい。
父が激しく女にだらしがなく、結婚直後から無節操に繰り返していた浮気が発覚したのは中3の終わり頃だった。母はすぐに父と別居し、私は高校生になった。(余談だが中学卒業が近付いたとき、父は私に冗談で「制服は目線を入れた顔写真をつければネットオークションで高く売れるぞw」と言ってきた)
何年離れて暮らしても、あの時の言葉は心の中にシミのように残ってしまっている。
あれはただの冗談で、自分の自意識過剰なのではないかと悩んだこともあった。
けれどあれから倍以上年をとった今の私には言える。そもそも10代の子供が、そんなことで一人きりで悩んで苦しんでいること自体がおかしいのだ。タイムマシンがあれば即座に行ってアンタは悪くないと言ってやりたい。
またこれは詳細を知りたくない話だが、別居に際し父の持ち物から「盗撮マニュアル」的な物が一式見つかったと小耳に挟んだことがある(父は無線で盗聴する趣味があったのでなんら意外なことでもなかった)。
悪い小遣い稼ぎをしていたらしいという噂もあったので、考えたくないことだが、もしかしたら自分やきょうだいの裸が父の手によって売られていた可能性もある。もしそうだとしても、それをこの世から消すことは不可能だろう。
本人が全く気付かない内に被害者になっているところがこの怖さだと思うので、児童ポルノの単純所持をしている人がもしいれば、それを持っているだけでどこかの知らない子供が傷ついて苦しむことになると分かって欲しい。
私が話せることはこれだけです。もっとセンセーショナルな話を期待していた方にはすみません。
けれど私の「たったこれしきのこと」であっても、私はこの話を今まで誰にもできませんでした。恥ずかしくて、怖くて、誰にも言えませんでした。ここまで読んでくれてありがとうございました。
父は未だに私の中の「相手が骨になっても絶対に会いたくない人ランキング」のトップランカーです。
(※2019-01-09追記)
まさしくそう言われることが怖くて、これまで誰にも話すことができませんでした。
信用して打ち明けた相手にこう返されるかもしれないと思うと、10代のとき他人に話すことはとてもできませんでした。
もしこういう会話が親子間・親戚間での「よくある冗談」だとしても、その影で傷ついて悩んでいる子供がいる可能性についてはもっと知られて欲しいと思います。
そして私の体験が児童虐待・性的虐待かどうかについては、私には判断できませんのでこの場では語りません。
ただ宮城のホットラインの内訳は氷山の一角で、かつての私のような悩みを抱えている子供、もっと深刻な事態にいる子供は今も一人で苦しんでいると思います。
以下、正月早々縁起の悪い話かつちょいグロかつ胸糞な話なので苦手な方はスルーしてください。
家から駅への細めの路地を歩いていたところ、道端で丸くなっているネコを発見。
自分が住んでいる近所に猫エサおばさんがいるので、野良ネコ自体を見かけるのは普通だったのだが、この寒いのに道端にいるのはちょっと変だなぁと近づいてみる。
あきらかにいろんな汁が飛び散っているし、主に上半身のパーツがはみ出ていて、おそらくバイクか何かに轢かれて即死しちゃった感じでした。
周囲をきょろきょろしたもののあんまり人もいなかったので、なんとかしないとなぁと思い寒空の下いろいろ調べてみた。
細い路地なのでおそらく市道 → 市の担当の部門とかに電話して相談
市の担当がわからない → 道路緊急ダイヤル(#9910)に電話して聞いちゃうのが早い
市 「年始なので整備課が動けないんですよ。
ぼく「どうしたらいいですか?
市 「…週明けに回収に行くようにします。
ぼく「え、丸一週間このままですか?
市 「えーと…、では再度轢かれないように道の端によけておいてもらえますか。
ぼく「え、冬とは言え、一週間放置は大変なことになりませんか? というかかわいそうすぎませんか?
市 「そうなんですよね…。大変申し訳ないんですが、いったん回収して生ゴミとして扱ってもらえませんか。
ぼく「え。生ゴミの回収も週明けですよね。
市 「そうなんですよね…。
という感じ。
ぼく → めんどくさいけどいったん家に帰り、ビニール袋を持ってきて回収+密封、近くのゴミ収集所に置いておく
ゴミ業者 → その収集所は最初の収集日(1/4 金)は資源ゴミなので、生ゴミが出てると困る
まあ、いい落としどころではないでしょうか。
なんというか、いろいろ調べてる時に、いっしょに相談してくれる人がいてくれたらうれしかったんだけど、ネコのそばを通る人は「うわ~…」っていう感じでガンスルーだった。
10人ぐらい通って全員足も止めなかったのでなんかさみしいなぁ、と思った。
自然消滅するとでも思ってるんだろうか…。
で、自然消滅はしないわけで、一般的には誰がどうしてるんだろう。
いちいち警察とかに連絡してるのか、近所のおばさんが庭とかに埋めてくれてるのか。
というか猫エサおばさんにちゃんと責任もって処理してもらいたいところだけども。
少なくとも自分は、生ゴミとして回収するのが一番手っ取り早いというのがわかったので、今後はそうすると思う。
ネコ本人にとっては、どうしてもらうのが一番うれしかったんでしょうか。
動物は死期を悟ると群れから離れて人知れず死ぬ、っていう本能的な動きがあるので、死の間際とかはもっと目立たないところで死にたかったなぁ、って思ってたと思う。
ちゃんと森とかに穴掘って埋めてあげるのが一番良かったと思うんだけど、まあ野ざらしになってるよりはマシだと思うので、多少は感謝してくれてればうれしい。
某オープンソースアドサーバの脆弱性をつかれてリダイレクト広告を挿入された。
こうしてどこかの国の悪い人の挿入ソースと戦っている間にも、そんなことは人には言ってないので、
誰も気が付かずに周囲では平常業務が行われている。
一応XMLRPC等は塞いだけど最新版でやられちゃうんだからこりゃどうしょうもないよな。集合知のないくらいの数しか使われていないものは
https://blogcircle.jp/user/fairysbible
以下のブックマークエントリーがはてな利用規約に反していると思われる場合は、以下のフォームからご連絡ください。
He can eat anything but himself! 9/11発売 わかめラーメン 麺大盛りでわかめ7倍
エントリー元記事URL: https://fairysbible.blog.fc2.com/blog-entry-4366.html
下記に挙げるような方法でブックマーク数を集める行為は、いずれもはてなブックマークにてスパム行為、不正行為として禁止しており、利用停止等の対象となります。
友人知人、家族、所属組織のスタッフなど利害関係者にブックマークを依頼する行為。相互ブックマーク行為
ブックマークを強要したり、ブックマークに特典や報酬をつける行為。クラウドソーシングでブックマークを依頼する行為
http://bookmark.hatenastaff.com/entry/2018/11/26/150044
https://blogcircle.jp/user/toshi-ya
saitou yuko はてブ&隅々まで訪問させていただきました。
【身勝手】皆さんにとって2018年12月26日(水)が幸運であるための四字熟語をお伝えします
http://b.hatena.ne.jp/entrylist?url=https%3A%2F%2Ftoshi-ya.com%2Flucky-idiomatic-word-20181226%2F
下記に挙げるような方法でブックマーク数を集める行為は、いずれもはてなブックマークにてスパム行為、不正行為として禁止しており、利用停止等の対象となります。
友人知人、家族、所属組織のスタッフなど利害関係者にブックマークを依頼する行為。相互ブックマーク行為