2019-01-14

ボヘミアン・ラプソディーが楽しめなかった話

ボヘミアン・ラプソディーを見た。

人知人が軒並み鑑賞して絶賛。

普段音楽にそれほど興味を示していないはずの兄や妹までもが

正月帰省の際に「面白かった」と感想を述べていた。

まりにも色んな人が見に行っているので、

このままではボヘミアン・ラプソディを見ていない人間世界自分ただ一人になるんじゃないかと思ったくらいだ。

それはそれで面白いのでまぁいいかとも思っていたが、

たまたま友人が誘ってくれたため見に行く運びとなった。

友人はこれで4回目の鑑賞だと言う。

最後ライブのシーンでめちゃくちゃ泣いていた。

一方自分はと言うと焦っていた。

横で感動して涙を流している友人がいるというのに、

迫力あってかっこいいなーくらいの感想くらいしかなかったからだ。

自分もびっくりすぐらい浅い。

浅漬けももちょっと浸かってる。

面白かったとは思う。

ただ泣くほど感動したわけではなく、

もう一回映画館で見ようと思えるくらいぞっこんになったわけでもない。

もちろん好みは人それぞれなので、好みでなかったものは仕方ない。

しかったのは、一般的に「良い」と評価されているもの自分特にハマれなかったことだ。

夢中になることができなかった。

それは、自分感受性やそういうものが鈍い、足りないからなのではないかとか思ってしまう。

仲の良い友人と感情を共有できないことを申し訳なく思い、盛り上がれない自分を情けなく思う。

作品は誰かと共有して楽しむためだけに存在するのではないのは分かってる。

それでもできればいろんな作品を楽しめる方が絶対人生楽しいのに、

なんで自分はこんなに間口が狭いんだろうと思ってしまう。

とはいえここまで考えて食べ物好き嫌いみたいな話だなと思ったので、

結局こればっかりはどうしようもない。

好き嫌い時間が立って変化するときもあれば、一生変わらないときもあるのだ。

最近は、なぜか好きになれないもの出会ったとき

なぜそれを好きになれないのかを自分分析するようにしている。

これはこれで嫌いなものについて考えるのであまり愉快ではないエネルギー消費の仕方な気もするが、

自分を納得させるには足る。

作品否定するためではなく、

「この人はこういうところが好きだから面白いと思った」

「私はこういうところが苦手だからまり楽しめなかったと思った」

ただそれだけの事実認識だ。

ただそれだけでも、

つの出来事に対して人によって抱く感情が違うのだから

一本の映画感想なんて違って当然だよな、という気にもなってくる。

この人生ももう少し楽しめるのではないかと思う。

  • 私はその事象が「君の名は」で起こった 前評判に期待を膨らませて見たが「良かったけど…」という感じだった 背景の絵が綺麗だなーとか運命的だなーとかは思ったけど 周りが大絶賛...

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん