はてなキーワード: 中学生とは
間違った性の常識を作らないで。
学びを共にして高め合い、助け合う仲間であるはずのクラスメイトを、身勝手な欲望のハケ口の道具にするような人間性の見下げ果てた変態クズと一緒にしないで。
どんな綺麗ごとを並べても当然に周知の事実だ。
確かに、子どもの頃から、性欲を出すのはキモいキモいと忌避されてたよ。
俺はいま30代後半の田舎育ちだけど、たぶん日本全国同じだと思う。
エロい女性に鼻の下を伸ばしたり、オナニーの話題を出すと冷たい目で見られるし。
漫画とかフィクションでも三枚目の男キャラが下心丸出しにして女性キャラに殴られたりね。
でも、そもそも性欲って時代と文化に関わらず絶対的にキモいものなのかな?
いくつかの野菜は妙な形をしていた——…ブサイクな野菜だった。
奇跡でもなんでもない単なる偶然の産物である大根の顔には、しかし、ペンでこう書かれていた。
登校してそれを見た女子たちは、キモい、キモい、最っ低!! と口々にののしったんだ。
男子の中にさえも、キモいよな、と言い出すのもいたと俺は覚えてる。
早朝の教室の光景は、幼い頃の俺の脳みそに、原体験として刻み込まれた。
思い出すたびに、過去の自分を守る立場でクラスのみんなと戦いたい気持ちになる。
実在する弱い具体的な特定個人を追い詰めたわけでもないのにさー。
…。
思い出って、忘れたつもりでも、ずっと燻ってたりするんだよな。
割と唐突に思い出して、思い切って相談したら、親切にも彼は考えてくれたんだ。
犯人の自供ではなくネットの伝聞として紹介した話に、ひと回り歳下の男友だちは答えを出した。
だそうだ。
「性欲は当然存在してるけど、存在を見せちゃいけないんですよ」
「性欲を表に出すのは自由ですけど、だったら表に出すのを許さないのも自由です」
我納得不出来
然反論不出来
これは誰にも話せない愚痴。
過酷な仕事のストレスでメンタルを壊し会社を辞め、何も出来ず引きこもって3年後、ようやく社会復帰できた。
幼い頃から家事は全部自分でやって中学生の頃から仕事をし、その上で勉強も趣味もこなし、苦しくても誰にも頼らずに人生を歩んでいた。
貧乏で大学に行けなかったから社会人になってお金を貯めたら大学に行こうと考えていた。
しかしなかなかお金は貯まらず、メンタルも壊し、気付けば年齢は30を越えていた。
30を越え、社会復帰した途端、マスク美人なのもあり、モテた。
異常なまでに職場の男性が寄ってきた。新人である私の仕事のフォローを頻繁にしてくれた。隙があれば雑談を振られる。
しかし私はそのせいで仕事を覚えるのが遅くなり、女性からは冷ややかな目を向けられているのが分かった。
男性のフォロー等を掻い潜り、仕事を覚えようと必死だったが上手くいかず、女性上司からハッキリと「ずっと男に頼って生きてきたんでしょう?」などと言われた。
他人から見たらそう見えるのは自分でも分かっていて、とても悔しかった。
そう言われているのを男性は目の前で聞いておきながら「気にしないてください!嫉妬ですよ!笑」と言い、傷付いている私に見当違いの慰めをしてくる。
男性陣がチヤホヤするのも最初のうちだけだと、適当にあしらっておけば状況は落ち着いて、仕事も覚えれば信用は回復するだろうと思い耐えた。
しかし、最初についたレッテルは消えなかった。仕事が出来るようになってからは女性陣から冷たい目で見られることはなくなったが、私は「誰かが支えてあげないといけない人」として扱われた。
最初に雑談を適当にあしらっていた為か、皆は私の事を中身の無い人間だと思っていた。
寄ってくる男性は減ったが、残った男性達には結婚を前提としたお付き合いを考えている旨を伝えられた。マスクの下もまだ見ていないのに。
屈辱だなと思った。
自分で言うのもなんだけど私は表面的には「理想のお嫁さん」になりそうな雰囲気がある。
でも私はお嫁さんになどなりたくないしもっと内面を、私がこれまで取り組んできたことを、自立してることを、大人になってからも大学に行くという夢があることを、知ってから好きになって欲しかった。
趣味や勉強で時間が無いから自分の見た目には無頓着でいたいし恋愛らしい事はしたくないし、自分の夢を応援してくれる人に好きになって欲しいのに、何も知らないのに私のことを決めつけて私とかけ離れた部分を魅力的だと言われて、自分の価値がわからなくなってしまった。
「俺がいないとダメだ」と思わせてそこそこの人と結婚した方が楽になれることは知ってる。何度かその道に逃げようとした事もあるけれど、耐えて今の自分を築いてきた。
誰も頼れる人がいなかったから、苦しみながらその状況に適合するように自分を作ってきたのに手を伸ばされてしまうと全て台無しになる。
今までの事が無駄に感じて有り余っていた自己肯定感がどん底まで下がった。
私にとって、結婚は苦じゃない。そう思う理由は割愛するが、全く苦ではない。相手は私の事を勘違いした上で結婚を考えている。もし今結婚を選ぶなら相手の理想になり切って死ぬまでやっていける自信もある。そっちの方が楽だとも思う。
趣味に人生費やして趣味の延長で大学に行って研究したい夢は夢として諦めるべきなのか。
私の過去も夢も知らない男性達が返事を待っている。結婚を考えたら正直逃すのが惜しい人達だ。
彼らになんて言えば私は幸せになれるのだろうか。
タキくんとかさあ、いくら中学生っつっても、電車ん中で話しかけてきた知らない人に「お前だれ?」とは言わねえでしょ
えっすみません、どなたですか?くらいになるじゃん
「あー、すみません、なんかあ、どっかで会ったことなかったですっけ?急にごめんなさいね」
まあ言ってたら実際すげー不快なんだろうとは思うよ 逆にそんなリアリティいらねーよ!ってなるのは目に見えている
しかし、こう、バランスとして、フィクションに寄りすぎてる気がすんだよなあ
全体としてはわりとそんな、全セリフが大袈裟でダメダメってことはなく、むしろ結構自然さを意識してる感じがするからこそ、要所要所の決めゼリフ的なところで、人間って通常こんな喋り方はしませェん!となってしまう
すみません、どこかで会ったことなかったですか?よかったらお名前をーーー くらいでいいじゃん
君の……名前は?
じゃねーんだよ
まず君って言わないって
いや俺は実際言うけど、それはけっこう親しい友達とかに対してであり、初対面の相手にはぜってえー言いません
そこなんだよな
常に語尾にピョンとか付けてたら逆にもうなんでも許せる
男子小学生って秘密基地に憧れますよね。庭とかに作りますよね。環境によっては空き地に段ボール持ち込んだりして勝手に秘密基地作って後で怒られりしますよね。
男は中学生、高校生、大学になると女に夢中になるから「秘密基地つくろうぜ!」なんて言わなくなるけど、やっぱり秘密基地的なものに対するワクワクは心の奥底に残ってますよね。
社会人になって、三十代、四十代、五十代と男性に求められてる役割をこなしてる間に秘密基地に対する情熱なんて無くなってますよね。
でも第一線での役割を終え、子供達も自分の元から育って行って、金と時間に余裕ができるとかつてのワクワクや情熱を取り戻すんですよ。奥さん孝行のために夫婦で旅行行ったりする傍ら昔からの男友達とキャンプ始めたりツリーハウス作ったりジャズバンドを組んだりね。まさに今の私です。年金と貯金だけでは生きていけまけんし、子供達も小さな子供がいて物入りなので40年勤めた会社の子会社で役員をやってますが、出勤するのは週2,3なので少年の頃にやりたかったことを思い出しては実行しています。
でも最近の男性って小学生、中学生、高校生、大学、社会人になってもずっと「秘密基地つくろうぜ!」って感じです。次のステップに進まないんですよね。
本来なら稼いだ金や休日の時間を注ぎ込むべき妻や子供が三十代になってもいない。妻を獲得するための努力もしない。かと言って仕事に打ち込むわけでもない。同性の友達と「秘密基地つくろうぜ!」ってやってる感じが凄いんですよ。同窓会でこの話をしたら他の方も同じように思っており、私の勤め先の若い子だけではなく、日本全体の男性が少年のままで止まってしまっているんだなと感じました。
「三十代の男におすすめの趣味ってありませんか?」というTwitterでの呟きや知恵袋での質問の多さに驚きました。三十代の男がやるべきことやってたら趣味に使う時間と金なんかないですよ。今すぐ友人の紹介でも上司の紹介でも親戚の紹介でも、最近流行りのマッチングアプリでも何でも構わないから女性とデートして、付き合って、結婚して、子供育てて、仕事に全力で打ち込んで下さい。三十代で独身で趣味を探してる人に言いたい。
1 名前: 失業者 投稿日: 1999/12/06(月) 22:13
よれよれの紺のビニールジャンパー、べた付いてそのままよりも少なく
見える髪の毛。猫背。生気のない瞳。ただその存在そのものを見下して
たね。将来自分は絶対に出世するんだって何の根拠もなく思ってたね。
小さい頃からの日々の積み重ねが大人になるまで続いてくなんて夢に
も思わなかったよ。中学生の頃通っていた塾の先生が言ってたな。
「俺はあんまり頭良くないから法政にしか行けなかったんだ、ははは。」
クラスのみんなで大笑いしてたっけ。あの内何人が法政以上の大学に
行けたというのだろうね。毎日会社に通って夜遅くまで働いてるお父
さんがいかに大変で偉大かって、やっと分かりました。
転職を繰り返して人に馬鹿にされて初めて分かりました。生きるって
本当に大変。何をやっても後悔が待ってるもんね。特別じゃない。
自分は特別な人間でも何でもないんだって、20代後半になってやっと
分かりました。あの頃、白い眼で見てしまったおじさん、ごめんね。
刑法改正が女性差別だとわからないババアが多すぎ。本気でババアは有害ですわ。
統一協会です。矯風会と同様、狂ったカルトだ。上野千鶴子以下学者もまともな知能がない。
gjdm
@gjdm60639832
不同意性交や中学生の性交の条件についての議論に異議を出してくる男見たら、なんとしても女体を低リスクで得ようとする思惑が見えてキモすぎる。自己決定を下せる自我のしっかりした女性と、対等な関係を結んだ上で合意でセックスすればいいだけなのだが、こんなに抵抗するってやばくないか。
https://twitter.com/gjdm60639832/status/1659760202772787200?s=20
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gjdm
@gjdm60639832
不同意性交や中学生の性交の条件についての議論に異議を出してくる男見たら、なんとしても女体を低リスクで得ようとする思惑が見えてキモすぎる。自己決定を下せる自我のしっかりした女性と、対等な関係を結んだ上で合意でセックスすればいいだけなのだが、こんなに抵抗するってやばくないか。
@naoheroooo
少なくとも弁護士は、年齢差要件を付さないまま性交同意年齢を引き上げることによって生じる非常に大きな弊害を指摘して批判しています。批判の経緯を把握していただければ懸念点わかっていただけると思いますので、改正の議論の経緯を踏まえて意見していただけると助かります。
@yutchan_biyo
私は女性なんですが…なんで奔放な女の子はいない事にされるの?
女子校育ちで18が初体験ですが、中学からめちゃくちゃ興味ありましたよ?体験した周りの子にも質問してました。
ただ避妊の注意点はティーン誌の女医さんの説明を読み今でもそれが一番正しいと思ってます。
教材を与えるのが大事です。
💩
@un_co_the2nd
「女性に性欲はあるべきではなく、もしあるかのように振る舞っているなら生育環境が劣悪であるか邪悪なオスに騙されているのだ」というツボツボしいリプや引用がいっぱい付いており…
@un_co_the2nd
すごい漫画大好きだけど(1万冊くらい読んでるけど)、人生変えるほどでもないなというのを、自分の体験を含めて、書いていきます。
もちろん漫画が自分の糧となってる(色んな事を追体験できたとか、知識の幅を拡げられたとか)という自覚はあります。
小学生の時のずっとサッカーやってたけど、スラムダンクの影響で中学からバスケ部に入った。
けどバスケ部も入ってみたものの、面白くもなかったので3ヶ月で辞めて、サッカー部に入り直した。(ちょうど日韓ワールドカップが開催されてた影響もあるけど)
けど、その性癖を人前に出すわけでもなく、彼女とかにも変な性癖を出すわけでもなく、ごく普通の性生活を送ってる。
ちょうど中学の頃に読んでて、矢野くんっていう男の主人公的なキャラがかっこよくて(女の子にモテそうな感じで)、服装とか行動とかちょっとだけ真似したりした。
結果、少しモテたりしたけど、所詮付け焼き刃で(通用するのは中学生くらいまでで)、社会人になったら自分の軸をしっかり持ってる人がリスペクトされる(モテたりする)よね。
これは漫画じゃなくてアニメ(ラノベ)だけど、センター試験2日前くらいにたまたま深夜テレビ見てたらバッカーノ!がやってて、めちゃくちゃ面白かったから、センター試験直前なのに全話観ちゃった。
ただ、意外と試験に影響なくて志望校に受かった。これでもし志望校落ちてたら人生変わってたかもしれない。
まぁ前日にアニメ観ただけで落ちるくらいなら、どうせ落ちてただろうし、あんまり影響はないと思われる。
・ピスはめ
これ読んで成年漫画にハマった。そしてそれがこうじて学生時代成年漫画を扱う書店でバイトしてた。
でもまぁそれは、ただの趣味でしかないし、そんな人生が変わったとかじゃないなぁ。普通に全然違う業界に就職したし。
■結論
漫画なんて、所詮娯楽でしかなくて、だいたいの人にとっては、人生なんか変えるほどの影響力なんてない。
てか、ハンターハンター読んで人生変わったってどんな人生なんだよ笑
ただ漫画家になったとか、編集者になったとか、中華一番!読んで料理人なったとか、本当に人生が変わった人はいると思うから、ちゃんと影響があった漫画って知りたい気持ちはあります。
もし、そういう人がいたら教えて欲しい。
4年前に逮捕された。逮捕された時はホント前兆もなく、摘発されたファイルシェアの会社から辿られて、クレカと講座を馬鹿正直に書いてたのが理由。
逮捕された時や何をしていたかはまた話すとして、最近の「海外へ基準を合わせよう」という流れにはちょっと疑問がある。
自ポには大きく分けて2つある。「ハード(挿入あり)」と「ソフト(触るだけ)」だ。
そしてその中でも、「自撮り(自分で撮っている)」と「他撮り(他人が撮っている)」で分類できる。
個人的な雑感として、「性犯罪大国」として日本を呼ぶのはちょっと無理があると思う。
まず日本産の「他撮りのハード」はほぼ見つからない。肝炎シリーズぐらいだ。特に13歳未満の自ポは、自撮りくらい。
あっても他撮りのソフトだが、平成初期か昭和末の作品だけ。肝炎も平成初期だしな。
「他撮りのハード」を作るのは、「アメリカ、イギリス、カナダ、ロシア、中国周辺」そして「カンボジア周辺」。
これには理由がある。日本には無いが、海外では「自ポ生産スキーム」が出来上がっていて、児童虐待から自ポの制作、売りまで組織的に行われている。売り方は薬物売買でできたパイプラインや方式が使われている。
消費者とはtorを通じてテレグラムで繋がり、売買は仮想通貨によって行う。優秀な消費者は、実際に生産者に回ることさえある。
ドイツやイタリア、台湾では、「性的合意年齢以下」を扱う業者と「性的合意年齢以上」を扱うメーカーが分けられているが、「アメリカやイギリス、カナダやロシア」にはそれが無い。
ドイツやイタリア、台湾では、たとえ業者が生まれたとしても、「性的合意年齢以上、成人未満」しか扱わないが、「アメリカやイギリス、カナダやロシア」は「成人未満」すべてを扱う業者が生まれる。
「どうせレイプになるんだったら、儲かる低年齢層を狙っちゃえ」というチキンレースから、ここ10年で対象の年齢がどんどん下がっていってる。そして過激になっている。
かつては性器の挿入はレアだったのが、今ではそれがスタンダードで肛門性交は値段が下がった。最近年齢の上がった韓国やフランスでも同じ現象が起きている。ドイツとイタリア産はほぼ見かけない。
余談だが、何故性交同意年齢が低いカンボジア周辺の自ポが多いかと言えば、裏には白人が居るからだ。
児童買春が横行している国は、白人が動画を取りに来る。これは常識。
ここ最近の法改正で、日本は明らかにアメリカやイギリス、カナダ、フランスの真似をしている。
ただ日本が真似ている国は、「性犯罪大国ですよ」と教えてあげたい。
去年娘が生まれて、今は自分がしたことをかなり反省している。警察に情報提供したりもする。警察に(遠回しに)捜査を頼まれることもある。
目の前から犯罪が見えにくくなるのは、部外者からすればいい気持ちだろうけど、
時折、ふと思い立ってPCの画像を見返してると大きさ240x320の画像群がずらりと並んだフォルダを見つけて開いてみたら自作のアナログ絵をブツ撮りした画像が並んでて羞恥に塗れたリア厨時代の痛々しいネト活の記憶が光の速度でAMSから逆流するように蘇り心臓バクバクさせながらフクロテナガザルのケイジくんみたいな奇声を上げてイキュラスキュオライキュラスキュオラキュラスキュオラ!することってあるじゃないですか。ありますよね。あるんですよ。
私も昨日、昔撮ったきゃわいいきゃわいい飼い猫の写真を久々に見ようかと古い順に画像をソートしたら見ちゃいましてね……中学生の時に愛していた絵師様に向けて描いたキモすぎるラブレター的なアレとかアレとかアレとかをさ。
もうサムネ見た瞬間ビクッとなったんですけど、じゃあはよ消せよって話なんですけど、そんなんでも色々思い出が詰まってるんですよね。キモさの中にも美しさがある、痛さの中にも気持ちよさがある、親しき中にもレズがあり、みたいな。
そんな中学時代の汚らしくも輝かしい青春の記憶を今、絶妙に嘘松を交えながら赤裸々にここに綴る。
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私が絵を描き始めたのはそれこそ物心ついたときからで、母に聞かされた話によると同じ保育園に通ってたお隣の子が上手なおジャ魔女どれみの絵を描いて私に自慢しに来たのが始まりらしく、対抗心を燃やした私は連日おジャ魔女どれみを描きまくっていたらしい。その傾向は小学生になっても変わらず学校の休み時間はひたすら自由帳に絵を描き、帰宅しても夜まで絵を描き、休日は画用紙と絵の具を使ってカラー絵を描くという毎日を送っていた。
そして小学3~4年頃に美術館で観たアンドリュー・ワイエス展に衝撃を受け西洋美術に関心を持つようになり、本格的に勉強したいと思うようになるのだけど…。
5年生になった頃には私の身長は170cmを超え、親にも親戚にも「アンタそんな立派な体してるんだから何か運動したら」と事あるごとに言われるようになり、当人らは特に他意無く適当にそう言ってたんだろうけど、言い返せない、断れない性格の私にはその一言が重くのしかかり、渋々陸上部に入部する。
さすがに身長の高さゆえか男子女子問わずほとんどの部員より足が速かったためそれなりに記録を残すことができ充実感もあったのだけど、やっぱり勉強以外の時間は絵を描きたいし、特に休日に大会があるときなんかは切実に辞めたいと思った。でも親は陸上頑張ってて偉いね、なんて言うもんだから。別に親は悪くないんですけど。
そんな調子で2年間を過ごし、卒業まであと3ヶ月という頃にはすっかり絵を描くこともなくなってこの世で一番アンドリュー・ワイエスから縁遠そうな、カリカリに日焼けした野暮ったい私がそこにいた。そして中学進学に向けて色々と準備をするなか親に渡された携帯電話、これが私の人生を良くも悪くも大きく変えてくれたのだった。
当時インターネットなんて全くわからなかった私は、漫画誌に載ってたフォレストページの小さな特集を頼りに、検索でたどり着いたイラストサイトのリンクやランキングサイト経由でその手のサイトを読み漁っていた。そういえば私絵描くの好きだったなとか思いながら。そして、ある絵描きさんの作品に一目惚れし、その方のサイトの掲示板に初カキコ…ども…してしまう。そのHPは0zeroというドメインで、一番画像を綺麗に貼れるとかで絵描きに好まれていたとかなんとか。
コピックエアブラシで描かれた色鮮やかな夕焼けと少女、油絵の具の力強いマチエールの上に描かれた少女、鉛筆で描かれた量感溢れる少女の裸体、どれも本当に素晴らしかった。何で全部少女の絵なんだろ?と思ったけど。
もう一生懸命考えて思いつく限りの称賛を書いた長文を投稿した瞬間からドキドキですよ。もう興奮で夕飯も喉を通らない有様でF5アタックみたいに更新しまくってひたすら返信を待ち続けたのだけど、最初に貰ったのは社交辞令的な一行返信だった。がっかり…。が、後日めげずにこの絵はどんな方法で描いたんですか?それってどんな画材ですかなんて引き続き書いてみると丁寧にコメント返してくれて、油絵の具ってそんなに高いんですか!?私のお小遣い月1000円だからとてもじゃないけど手が出ませんね、なんて言ってみると「あなた何歳?」って。んで11歳です、と。すると、「じゃあ私の持ってる絵の具あげるよ、今度会お?」と言われて。
しばらく固まった。どう返信していいかわからなかった。それで母親にそのことを相談したら最初は「馬鹿な子だねそんな知らない人とやり取りして」そう怒られたけどどうしても油絵の具が欲しくて、最終的に私書箱経由で絵師さんが電話番号を教えてくれて、絵師さんと母が直接電話をし、母同伴で絵師さんと会うことが決まった。そんときリアルにジャンプしてガッツーズしましたよ。
そして絵師さんは隣府県に住むとても礼儀正しい芸大1年のお姉さんで、母としては好印象だったらしい。実際、母も当日たくさんお土産渡されて即堕ちしてたし。
春休みを迎える頃には私はすっかりお姉さんのサイトに入り浸り、連日絵を投稿しては色々アドバイスしてもらったりキャピキャピ雑談して大学生の世界を教えてもらったりと楽しい日々を送っており、さらにはお姉さんの通う芸大の卒展に連れて行ってもらったりして私はすっかり美術の世界に舞い戻り、既にお姉さんのことが好きになっていた。本当にお姉ちゃんが出来たみたいだった。そして両親に東京の美大に行きたいと言ったらすげえイヤな顔された。そりゃ確かに、費用がね…。
そして中学最初の夏休み、一緒に宿題を片付けて合間に絵を教えてもらうという名目でお姉さん宅に長期のお泊りをすることになるのだが、これがあかんかった。まああかんかったよ。
隣府県の郊外にある2Kのアパート、そこがお姉さんの住処であり創作の現場だった。部屋中に飾られた素描や水彩画、見たこともない大きなカルトン、イーゼルに立てられた描きかけのよくわからないけどかっこいいのはわかる油絵、全部を束ねればお姉さんの腰くらいになりそうな大量の絵筆と少しだけ錆びついたナイフが並んだテーブルに乱雑に置かれた混沌色に染まったパレット。そして棚に並べられた大量の本とCD。
やべ、カッコよすぎて漏らしそう。でも同時にいつもどおりの田舎臭いガキ臭い格好をしてこの部屋に足を踏み入れた自分が凄く恥ずかしくなった。
ただ、テーブルの上に飾られた「スーパードルフィー」なる人形だけは正直キモイと思ってしまった。学生服を着た二体の少女人形がお互い腰に手を回して座りポースを取っているのだが、その光景に何か変態的なものを感じたというかのちに私の勘は完全に正しかったのだと判明する。
うん、確かに宿題はすごい勢いで片付くし、特に苦手な数学は私が完全に理解するまで根気強く教えてくれて本当にありがたいし、絵は美大予備校でやるレベルのことを丁寧に惜しみなく教えてくれる。家事も一緒にやって料理もそのときにちょっとだけ覚えたし、お姉さんが影響されたっていうオノ・ナツメの漫画とかミギーのイラストとか、他にもボナールとかセザンヌとかいろんな画家の画集を見せてくれてカッケー洋楽を教えてくれたり一緒にビデオを借りに行って映画もたくさん見せてくれるという、いたれりつくせりの家庭教師っぷり。おお、私の田舎臭が浄化されていく…。
ただね、この人近いんすよ、距離が…。
ちゃぶ台に座って宿題やってるときはお互いの肩が密着するくらいくっついて耳に息がかかるくらいの距離で喋り、計算間違いしたり誤字ったりすると足裏をくすぐってきたり、考え込んでると腰に手を回して太ももを撫でてきたり、絵を描いてるときはまたも背中にピッタリ身体を押し付けて色々助言しつつも肩から肘までねっとり撫で下ろしたりしてきて、上手に描き終わったときは思い切り後ろから抱きしめて私を褒めながら脇腹をくすぐってきたりして、とにかくボディタッチが激しい。
で、私がくすぐったがるとお姉さんもケラケラ笑って冗談っぽい雰囲気になるので正直イヤなんだけど拒否しずらいというか私もちょっとくすぐり返したりしてるうちにお互い距離感も縮まり、遠慮がなくなってきてタメ口で喋れるようになったのもあっていつの間にかすっかりお姉さんのボディタッチを受け入れてたんですよね…。
そうこうしてるうちに2週間が過ぎ、翌日は待ちに待ったコミケに連れてってくれるというのでもう我は有頂天である。私はね、去年から流行ってたボカロが気になって気になってどうしてもCDが欲しかったのだよ。しかも事前に宿を取ってくれていて二日目も参戦できるという。そんなん友達に自慢しまくるしかないやん!!!!
その日の昼には車で東京に向けて出発し夜にはホテルにチェックインしました。
そして念願の初コミケ1日目はお姉さんのサイトに常駐している何人もの神絵師さんと会場で初対面し手描きイラストを沢山プレゼントしてもらい号泣しちゃったり、(特にSAINTさんという鳥居、紅葉、月夜と和服の女性をモチーフに厚塗りリアルタッチの作品を描いてる絵師さんが好きで、その人に貰った絵はその日一日中眺めてました。しかもクソイケメンだった)35度の炎天下で水分補給を怠った結果熱中症でゲロ吐いてぶっ倒れたりと惨憺たる有様でしたが、二日目には「ねんがんのSupercellのCDをてにいれたぞ!」したり恥ずかしながら寄せ書きコーナーでミクを描かせてもらったりと最高の一日になった…はずでした。その夜の出来事を除けば。
結果的に言うとその日の夜お姉さんに犯された。ホテルでシャワー浴びてるときにお姉さんが風呂に突撃してきて、私の身体を洗いながら今までにない冗談抜きのマジ顔で全身くすぐりまくってきて、特に脇腹と胸を執拗に愛撫されてイかされた。抑えきれない全身の痙攣に襲われ貧血でぶっ倒れたときみたいな状態になって何の抵抗も出来なくなったらベッドに連れてかれて体感的には一晩中乳首いじられながらクンニされて涙流しながら喉が枯れるほど叫んで何度も何度もイかされ続けた。ちなみにそのときの私は性的欲求なんて皆無だったしオナニーすらしたこともない。そりゃ12歳だしね。
そして帰りの車で初めて会ったときから私を性的な対象として見ていた、卒展で再開したときには実行するかはともかくこの計画を立てていた、そしてこの夏に私の日焼けした肌を見て、直接触ってみて欲求を抑えきれなくなったとの供述をし始めた。曰く私はくすぐりに対しての反応が非常によく、沢山くすぐって何度も乳首にタッチした日は洗濯物に出した私のパンツにしっかりヌルヌルしたものが付着していたので、着実に性感開発されててこれはいけると確信したと。
帰路はずっと涙が止まらなくて、でもお姉さんは自分は今で言うとこの性的マイノリティだとか言いつつ潜在的に君はレズだからこの経験は後に良いものになる、私のこともホントは嫌いじゃないはずとかぬかしやがってさ…。確かにまだ嫌いではないよバカ野郎。お前にされたことが予想外かつショックすぎて泣いてるだけだよ。んで家に帰ったらもっかい同じことするから嫌なら蹴るなり殴るなり親や警察に通報すればいいとか言い出しやがって。
で、その日の夜またお姉さんに風呂で全身くすぐられて乳首いじられながら玩具使いつつクンニされまくってイきまくった。俺は今度こそ限界だと思った。その頃にはマジで気持ちよくて、ていうか他人に逆らうのが苦手な気質のせいかお姉さんに反抗する気持ちが湧かなくなってたので。
その日以来、私はしばらくネットを止めてお姉さんとの連絡も断っていたのだけど疲れからか不幸にもお姉さんのサイトにアクセスし私書箱から久々の連絡をしてしまう。私もうすぐ冬休みです、と。
そしてサイトの掲示板ではクリスマスに皆でパーティーしようかという話にいつの間にかなってて、新しくサイトの一員になった秋間(かずひさんだっけ?もう名前忘れたごめん)さんというパステル画の達人も加わり互いの絵を持ち寄って見せ合おうという話になる。
大阪のカラオケボックスに集結したお姉さんに一生さんとかSAINTさんとか秋間さんとか特定されないよう他1名と記すけど5人の美大芸大ガチうま絵師さんたちの生イラストを観て立ち直らねば、あの日覚えた行為の名をググって知って自慰行為も知っちゃったけどやっぱ真剣に絵を描かねばという気持ちになるわけですけど、解散後にまたお姉さんに誘われていつものアレをされて、もう全部が台無しよ。
そして図々しくも来年の夏休みもまた一緒に過ごそ?とか言われて。まあ結局そうなるわけですけど。
でも翌年の夏休みは他の絵師さんにも事前に連絡を取り付けてお姉さんの住所を教えてたおかげで日中はセクハラされず夜限定になったわけですけど。そして夜にはお姉さんの所有する大人の玩具がつよつよすぎてまた屈してしまうというかそれ耐えるの絶対無理ってなって中2のときは毎週のように逢って電マの威力に屈服させられたりしてたわけですけどさすがにお姉さんも4年になると私を相手してる余裕が無くなったらしく卒業と就職の準備に時間を割き始めて私はお姉さんより3歳年上のSAINTさんと蜜月になって、彼は愛知住みだけど何度かデートしてたらお姉さんの耳にその情報が入ってしまい、また自宅に呼び出される。
SAINTさんは紳士すぎて何もしてくれないので久しぶりのお姉さんの責めに期待してたら駅前で対面即泣かれて、よくよくその理由を聞いてみたら「あなたホントは私のこと好きなのに男と付き合ってどうすんの思春期の一時の感情に惑わされないで絶対後悔するよそれはそうとしてまたあのときの快感を思い出させてあげる」とか言われてお姉さん宅連れて行かれたわけですけど、連れ込まれた先はいつものあの部屋とは思えない綺麗に片付いた状態で「私東京に就職に行くけど貴方は来れないよね」なんて言われてまた泣きつかれて。親には聞いてないけど多分無理でしょと答えたら今までにない本当にあたたかい感触でギュッと抱きしめられて「好きだよ…」と言われた。今だから言えるけど私もお姉さんのことが部分的には嫌だったけどやっぱり大好きだった。そしてもう今までのように会えないんだなって、その時悟って泣いた。
でもお姉さんに教わったことはずっと忘れないし、私は必ず絵の道に進むしそのとき必ずまた会えるよって言ったらお姉さんはコミケ帰りの私みたいにぎゃあぎゃあ泣き喚いてて、その姿が可愛くてギュッと彼女を抱きしめた。これが私達には一番心強くて、私達の絆を感じる行為だってわかってたから。そして携帯を取り出してお姉さんのサイトを開いて「私はいつもここにいるから、寂しくないよ、みんな一緒だよ」って。
その日はお姉さん家に泊まってずっと抱き合って一緒のベッドの上で寝てた。SAINTさんとの浮気をチクチク糾弾されながら。
その後、私が3度目の夏を迎えた頃にはお姉さんのサイトはすっかり過疎っていて、連絡しても一月に一回程度、たまに返してくれるくらいの頻度になり、絵を描きつつもバンド活動にハマってお姉さんにそのことを報告しようとしたら去年東京で結婚したとの書き込みを期に更新が途絶えていて。私もこのサイトのことは忘れよう、あの頃のことは忘れようとなってtwitterやpixivに活動の場を移すうち、いつの間にかお姉さんのHPは(0zeroからecacoへとドメインを変えて必死に延命していたらしいけど)サービスもろとも綺麗サッパリ無くなっていました。
ジャニーズのあれこれで、近藤真彦の記事に必ず「金屏風はどうなった」「金屏風のくせに」というブコメが付く。
恐らく渡部イコール多目的トイレ的な煽りだと思われるが、この人達当時の事知ってるんだろか?
自分は中学生だったけど、マッチと別れたという噂の明菜ちゃんがガリガリに痩せ細って、「難破船」という歌を毎回涙流しながら歌うのを、「そこまで捨てられたアピールせんでも…」とドン引きしていた。
しまいには彼の部屋で手首を切るわけだ。
別に不倫とかでなく独身同士で(確か20代前半だったかと)そこまでされたらマッチも普通に被害者なのではと思うし、金屏風はマッチが用意したわけではないんだよね?
この金屏風の話って30年ずっと言われてたわけでなく、明らかにSMAP解散の辺りから「ジャニーズ叩き用のエピソード」の一つとしてネットで広まった気がするんだけど、「金屏風」ブコメの人達ってどういう属性なのか気になる。