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はてなキーワード: パトロンとは

2017-09-02

真木よう子さんのコミケ参戦問題を整理してみた。

現時点で、本人が参加を辞退している以上、もう掘り起こさなくても良いんじゃないかとも思うけど、今回の件で色々と考えさせられたので、自分の中のもやもやを整理するためにこの日記を書いています

なので、自分と違う価値観の方には全然落ちてこない内容かもしれない。そして私は、コミケ同人誌即売会というイベントサークル参加した経験はないが、一般参加は何度もした事があり、友人に同人サークル活動をしている人もいて売り子で協力した事があります。このため、出来る限り中立的目線を持ちたいですが、所謂コミケ参加者側の"オタク"の価値観に寄った意見になる事をご容赦ください。

ただ、自分にも真剣応援している推し俳優がいるので、今回の一連の騒動はなんだか他人事とは思えなかったので。

まず、問題は一つではなく複数あり、複数問題が複合的に重なった結果、今回の騒動が起きてしまったんだと思う。混ぜて話すと分かりにくくなるので、1個ずつ取り上げてみることにする。

また、「真木よう子コミケ参戦を促した黒幕別にいるか彼女には何も落ち度はない」という意見もあるかもしれませんが、ここでは論点が少しずれるので詳細には言及しないこととします。

まず問題なかった点というか、これは是非とも賛同したいなと思えた点から

問題なかった点】
写真集作成するということ

オタク普段から表現の自由を訴えている癖に、彼女表現する機会や表現する自由を奪った」という記事意見を多数見かけたが、コミケ参戦反対派のオタク(以降、便宜上オタク」と略す)の中で「写真集作成する」という行為自体否定している人はほぼいなかったと思う。写真集作成し、彼女写真エッセイ等で自分自身表現すること自体はとても素敵で素晴らしいことだ。今回は残念ながらプロジェクト頓挫してしまったが、今後また別の機会があれば是非とも再挑戦してほしい。

ただしその時は、その作品を発表・発売するのに一番適切な環境手法について熟慮して頂くことを心から願いたい。

問題があった点】
◆「クラウドファンディングによって多額の資金を募った作品」をコミケの「アマチュアサークル」として頒布しようとした事

これは既に多くの記事でも言われている通り「クラウドファンディング自体資金集めの手段としては画期的であるし、彼女応援するファン支援できる、という事は全く悪いことではないと思う。ただ、「クラウドファンディング」というビジネスモデルに頼って「多額の出資金」で作成された「プロライクな作品」を「コミケアマチュアサークルとして頒布する」となると、やはり違和感が拭えない。

正式ルール化されていなくても、アマチュアサークル作品を作り頒布する人のほとんどは、例外を除き自費制作が主流。これは、出す作品同人誌でも写真集でも雑貨でもCD映像作品でも一緒だと思う。当然、自費制作なので多額の資金を準備するのは大変だし、制作数にも限りがある。そういう制約の中で最大限の努力をして、自分作品を出す。コミケというのはこういうDIY精神ベース根付いているし、そういう人達の活力で出来ている。

クラウドファンディング」の「制作したいものがあっても資金がないので、パトロンを募って出資してもらおう」という精神は今の時代の風潮に合う素晴らしいものかもしれないが、「コミケ」の中の主流である自分達の制作頒布するもの基本的自分達の資金力・能力範囲内で準備する」という精神とはやっぱり相容れない部分が大きい気がする。

多くのオタク拒否反応を示したのはこの部分のはずなので、同じことを別の人がやってもやっぱり叩かれていたと思うが、真木さんほどの有名人がやろうとしてしまったことが大炎上に繋がったのだろう。

コミケ企業ブースであれば、出展料金はアマチュア向けブースよりもかなり高くつくものの、そもそもが商用のスペースなので、企業ブース出展する企業コラボレーションして参加するという話であれば、もしかしたら成功していたかもしれない。(企業ブースには声優等の有名人が登場することもある)

真木よう子さん自身目的を達成するにはコミケアマチュアサークル向けスペースが不適切すぎた点

何故コミケに参加したいのかという質問に対し、真木さんは「ファンの方と交流したい」という回答をされているのを拝見した。コミケは、確かに作品頒布者とそのファン交流できる場でもある。ただそれは、あくま作品頒布する際に生まれる「副産物」であって、そもそもファンとの交流に適した場所ではまったくもって無い。

コミケは、毎年ニュースになるほどの人混みになる。アマチュア向けサークルブース基本的に長机を半分で1サークルが使い、サークル側の1ブース内に入れる人数は2人程。大手サークルでも2スペースで長机一つ分。一般参加者が歩き回れる通路もとても広いとは言えず、移動したくても身動きが取れなくなってその場で立往生するなんてことは当たり前に発生する。人混みではない場所でもブースの周りにずっと人だかりが出来ていたら、近隣のサークル迷惑がかかる。そもそも、入場するまでの待機列から目的場所に辿り着くまでに3~4時間以上経っている…なんてことも当たり前に起き得る。夏コミなら炎天下灼熱地獄の中で長時間外で並ぶことになるし、冬コミなら早朝の凍え死にそうな寒さの中で長時間並ぶことになる。

そんな場所で、所謂有名人である彼女が参加することで起きるであろうリスクを考えるのは簡単だろう。コミケ参加者彼女ファンを問わず真木よう子というネームバリューがあれば大量の人達がそのブースに押し掛ける。コミケ参加に不慣れな彼女ファンコミケ常連客との間でトラブルが起きるかもしれない。それによって、近隣のブース作品頒布するサークル迷惑行為被害が及ぶかもしれない。コミケに不慣れなファンが長時間外で並ぶことで体調不良者が続出したり、救急車が出動することもあるかもしれない。

こういった可能性に対するリスクマネジメントをきちんと行い、徹底的に対策することまで考慮されていたのかは定かではないが、少なくとも頒布する場所コミケではなく、個別に専用の会場を抑えてファンミーティング握手会等といったイベントを開催した方がよっぽどリスクが軽減されるはずである。それに、彼女程の女優であればそのようなイベントを開催することも可能なはずだ。つまり芸能人ファンとの交流に重きを置いているのであれば、コミケという場は正直不適切しか言いようがない。

これは、自分推し俳優に当て嵌めて考えても、やはりコミケに出たいと言われたら絶対に全力で反対するだろうし、専用の会場を抑えてファンイベントを開催してくれた方が正直何百倍もありがたい。というか、あん過酷空間推しを放り出すのはファンとしてとてつもなく心配である

あとこれは、個人的意思が多分に含まれるが、コミケというのはそもそも芸能人ファン交流の場ではないので、それを正々堂々と「ファン交流のためにコミケに参加したい」と芸能人が言ってしまうのはコミケ私物化したいと言っているようにも捉えられかねないと思う。やはり、ファン交流目的ならば別の会場をブッキングするべきである

もちろん、今年の夏コミでの叶姉妹のように上記リスクを全て懸念の上、事前のリサーチ対策を徹底的に行い、かつ準備を入念にしているというのをアナウンスをしてくれれば「そこまでしてでも参加したいのであれば…」と参加を応援する声が増えていたかもしれない。コミケに来るオタクの一部は、とてもトラブルに敏感である。そして「有名人が参加する」という事はそれだけでアマチュアサークルの何倍ものトラブル勃発の可能性を内包している。有名人アマチュアサークルコミケ参加にはそれくらいの差があることを、彼女ファンの方々にも是非知って頂きたい。

◆本プロジェクトを発表するタイミングとその内容の詰めが甘かった点

これは想定の話になってしまうが、発表時点で「クラウドファンディング写真集作成をする」という事だけが公表されていて、「コミケ参加」は当選が確定した後に発表されていれば、ここまで批判する者はいなかったように思える。もちろん、コミケ参加を発表する際には、先述のリスクに関する対策案も同時に発表しなければ結局炎上していた可能性はあるが。

毎年多数のアマチュアサークルからの応募があるが、その分落選するサークルだっている。そういった背景があるにも関わらず、確定前に「コミケに参加する」という発表をするのは「芸能人からたぶん当選するだろう」という驕りにも見えるし、「コミケ」というキーワードを使えば話題性高まるのでクラウドファンディング資金集めをするネタにしようとしていたようにも見える。この辺も、オタクから反論を買うことになってしまった要因の一つだと思う。

そもそも事務所意向に反する活動が出来ないと言っているのに事務所的にクラウドファンディングというビジネス彼女個人で実行するのは問題ないのか?

この辺は所属事務所規定にも関わってくると思うが、本人のみで完全に非公式プライベートコミケに参加するというのであれば、会社員をやりながらコミケに参加するアマチュアサークル形式は一緒な気がするが、クラウドファンディングというのは一つのビジネスであり、実際の必要経費よりはかなり少ない額とはいえ800万円もの資金所属事務所を通さず、大々的に公表して集めて、事務所から何も文句は言われないのか?というところも疑問である

コミケという場を借りててっとり早く本を出すよりも、少し時間はかかるかもしれないが、事務所相談するなり、事務所移籍するなりして、事務所側に彼女自身が望む企画理解してもらえるように働きかけるべきだったのではないかと思う。

今となっては、あの発表内容に書かれていた文章が、本人による言葉なのかどうかは分からないが、ファンから集めたお金を使う以上、沢山のファンコミケに関わる全ての人が閲覧できる場所で、あの内容を「本人の言葉」として発表する事を許容してしまったのは、一端の大人であり、女優という注目されやす仕事をしている社会人として、あまりにも配慮が足らなかったと言えると思う。

SNSでの発言内容やその使い方に配慮の無さが際立ってしまった点

これは、かなり個人的意見になるが、Twitterにて批判を受けた際に、数あるリプライの中から特に暴力的ツイート引用して、謝罪文投稿した事は正直ドン引きだった。彼女の元に来ていたリプライを見ていた人なら分かると思うが、その中には暴言だけでなく、建設的な助言や意見が多数寄せられていた。にも関わらず、謝罪ツイートにそれらの意見引用するならまだしも、敢えて特別ひどい暴言引用した意図が全く意味不明だった。

正直、自分ファンに「こんな酷い暴言を受けても謝罪しているアタシって可哀想」というアピールをしているように見えても仕方ないやり方だった。事実、その後Twitterでの論争は更に広がり、彼女擁護派対オタクでの言い争いが巻き起こっている。こういった状況を誘発する事すら想像できなかったのだろうか。

世間には何も考えずに心無い暴言を吐く人間が山程いる。特にTwitterをやっている有名人というのは、そういう人間には格好の餌食だ。そういうのを真に受ける必要はどこにもないし、逆に相手にすることによって、相手負の感情助長してしまう事もあるので、そういう相手へのスルースキルを持つべである

逆に、彼女のことを親身に考えてアドバイスをしていたオタクファンも沢山いたのだから、そういう意見尊重引用すべきだったのではないだろうか。そうすることで、擁護派の人もオタク意見に寄り添えたかもしれないし、オタク側の理解者も増えていたと思う。少なくとも、今よりもう少し、平和な状況になってたと思う。

このTwitterでの一連のやり取りから感じた彼女への印象は、SNS煽り耐性の無い人なんだなぁ、という印象である。仮にも34歳の立派な大人なのだからSNS発言すること、インターネットという世界中に開かれた場所情報を発信する意味を、もっときちんと考えるべきだと思う。

最近この騒動を受けてか、Twitterアカウントを削除されたようだが、一旦彼女自身SNSとの距離感を考える良い機会になってくれたら良いなぁと思う。

…以上が、一連の真木さんのコミケ参入に関する一連の騒動への所感です。素人意見なので、色々と間違っているところもあるかもしれないですが、自分なりに整理してみました。

長々とお付き合い頂きありがとうございました。

いつか真木さんご自身が、これらの問題をすべてクリアにして作品を発表できる事になったら、その時は快く応援させて頂きたいですね…!

その日が来ることをお待ちしております

2017-08-27

コミケに参加する人はみんな身銭切って同人活動してるのに、なんで芸能人他人の金あてにするの?ってのはある

パトロンに金出させてるありむーかよ

https://anond.hatelabo.jp/20170826170538

2017-06-06

http://anond.hatelabo.jp/20170606145525

論破してるようで何も出来てないなw

趣味に分業化とかしてどうするの?そもそもあんたの意見だと代わりに頼んだ方も何かしらの技術で貢献してないといけないよね。パトロン的な考え方かな?

自分の代わりにやって貰って金を払うってのに文句は無いけど、それを趣味レベルでもやっちゃうのは悲しいよね。いっそ、中性貴族のようにお抱えに世界に一つのを作って貰えば良いのに

2017-05-30

メイドインアビス4巻までを読んでの感想

つくしあきひと氏の絵を初めて見たのは15、6年前のことである


当時から彼は特異な才能を持ったイラストレーターの一人として知られていた。当時は彼を含む様々なイラストレーター達が、個性的イラストホームページ上にアップロードしており、言わばその時期というのはネット上で活躍するイラストレーターの方々にとっての『黎明期』であったのではないかと今にして思われる。

まりは僕自身もそんな黎明期――『夜明け』の目撃者の一人であったということだ、何てことが言えるのかも知れない。


まあ、『ワシが育てた』とかそういうことを言いたいわけじゃないけれど。


とにかく当時は、センスに溢れるイラストレーターさん達が、その実力をアンダーグラウンド世界において遺憾なく発揮していたということである。あるいは彼らは一種の探窟者であったと言うことができるかもしれない。今となっては(つくしあきひと氏を含む)その一部だけしか生き残っていないという辺りも、あるいは彼らと強靭な探窟者達との共通点と言えるのかも知れない。


さて。

というわけで第四巻を先程読み終わった。素晴らしい巻であった。

深淵を辿って降りていく人の中の、もっとも先を行くもの、白笛の『黎明郷』のエピソードが続いている。


度し難い、とは正にこのことだろう。黎明郷の生命力秘密というのが何なのかについては敢えて口にしないが、その身体に相当な業(ごう)やらメカニズムやらが秘められているという事だけは間違いあるまい。

彼らのような人間現実にはそう存在しない。まあ一部の創作家とか、何らかの事柄に関する探求者といった人々は、ひょっとしたら白笛達のような度し難い探求者としての一面を持っているのかもしれないが、幸いながら僕はそういう人物との関わりを現実世界で持ったことが無い。大抵そういう人々というのは生活をする中で周囲の人間尊厳を食い潰していってしまものらしく、彼らの英雄譚を他人事として安全距離で聞いている内はむしろ幸せであるものの、まあ隣り合わせで生活していくとなってはこれは到底耐え難い事柄と言えるのだろう。パトロンや近親者を精神の淵にまで追いやった何人かの著作家のことを、僕としては数人思い出してみる次第である


ところで、彼ら『降りる者』の対比として容易に思いつく存在としては、『昇る者』――つまり登山家存在があると思う。作中において『黎明郷』の功績の一つに「新たなルート開拓」などが挙げられていたが、これは恐らく現実存在する登山家家業を匂わせるような表現だったのではないだろうか。


思うに、『探窟家』の存在が度し難いとするならば、『登山家』の存在もまた相当程度には度し難いと言えるのかも知れない。

例えば、世界中の八千メートル峰の全てを無酸素で登頂した伝説的な登山家ラインホルト・メスナー」は、登山中に弟を亡くし、自分自身も数本の指を喪った。挙句、そんな地獄登山から帰還した後で、実弟の死を巡ってメディアパッシングを受けている。

付け加えて言えば、登山家という職業は命を喪うに易い職業でもある。

エベレスト登頂ルートの途上には、幾つもの死体が未だ腐ることも許されず凍じ籠められている。


先日、伝説的な登山家の一人であるスイス出身のウーリー・シュテック文字通り伝説となってしまった。伝説登山もまた、探窟と同じくして度し難い……まっこと度し難いスポーツの内の一つなのだ、実際のところ。


さて、この作品はたくさんのインスピレーションを読者に与えてくれる。

何らかの深淵を追い求める中で、人は人間としての尊厳いかに保っていられるのか、あるいは、いかに失ってしまうのか。

そして、各々の探窟行の果てには何が待つのか。

『成れの果て』となってしまったたくさんの人々は、一体何を語るのか――


そういう意味でもこの作品は優れている。まるで膨大な歴史を辿り、旅をしているような感覚を味あわせてくれる――。弐瓶勉氏の『BLAME』を読んだ時の感覚と似たものがあるかもしれないが、あの作品とこの作品はまた別物である。こちらにはこちらのユニークさがあって、それが読者の好奇心を掴んで離さないのだ。


これからも彼らの数奇で危険に満ちた探窟行に期待したい。

2017-05-22

教師を殺す部活動

教員の友人が壊された

地方都道府県庁から遠い)の学校に飛ばされた友人は、新しい学校若いというだけで春夏と注目されるような部活顧問にされた。

4月からは前任の教員が昨年から決めていた週末を練習試合で費やしていた。

日付けが変わるまで新しい環境でのカリキュラム指導方法検討しながら、始業前・放課後グランドに出て指導しながら自身練習をして、なんとかノックを打てるようになったと言っていた。

春の大会が一回戦で終わり、OB保護者との懇談会が設けられ、彼はここで自分では難しいから色々と協力をお願いしようかなと語っていた。

その後、彼から受けた内容は懇親会なんて建前で、糾弾の矢面に立たされ訳もわから精神的肉体的にドツかれるというものだった。

次の週末どころか秋までは予定が組まれていて、自宅には帰れずに金曜から月曜の朝までの遠征しなければならない。

授業準備や部活動雑務は彼のプライベート時間マイナスにし、彼は”急病”で教壇から離れることになった。

理科離れ」に対し科学技術の魅力を若い人に伝えたいと語り合った友人からの連絡に、お前の役目はそれじゃないだろう!って言っても彼からの「ダメだった・・・」。

幸いなことに私は希望通りの自分趣味に合った部活顧問にさせて貰った。

活動の一部で道具を運搬する必要があったかレンタカー学校活動費を使おうとしたら例年は顧問私費ってふざけんな。

土日の手当てどころか、金出すのかよ。

部活ってボランティアどころか、時間と金銭に余裕がある教員パトロンになるもんだったんだな

2017-03-10

本郷のMitteが好きだった話

好きだったというより好きなままだけれど、好きなことは少しも過去にはならないけれど、たまには思い出話をしよう。

本郷三丁目交差点の沿いにMitteというお店がある。私はそこが好きだった。頻繁に通ったとは言い難いけれど、お金をきっちり落とす優秀なパトロンだとは言い難いけれど、それでも私はそのお店が好きだった。そのお店は今日が店仕舞いの日だった。だからたまには思い出話をしよう。

もとより古い文具とかそういうものが好きなのだけれど、Mitteのことは他のどこの古い文具を扱うお店よりも好きだった。

どんなに外が寒い日でもお店の中が温められていて好きだった。色々なものが所狭しと並んでいて、ただ眺めるのでなくかきわけるように探していいものを見つけるのが好きだった。それで何かを買おうとするとお店の人が話しかけていろいろ教えてくれるのも好きだった。

私は街中の服屋や電気屋なんかで話しかけられるのは全然きじゃないけど、Mitteでお店の人の話を聞くのは好きだった。ものを一つ買うにも、そのものが経てきた色々な経路とか歴史がある。私は古いもの固有のそういう遍歴が濃ゆいところが好きなのかもしれない。ものにまつわる話を教えてもらって、共有して、そのお話ものを連れて帰るような、いつもそんな気持ちでお会計をしていた。

買うのでなく連れて帰るのだった、というのが分かってもらえるだろうか。いいものを延々と時間を掛けて選び抜いて、抱える掌の熱で生温かくなってしまったようなのをレジに持っていったとき、お店の人がいいものとの別れを名残惜しむように値付けをしてくれるのが好きだった。

値付けもふつう古文具の相場に比べてずっと良心的だった。本当にそんな額面でよいのか疑いたくなるくらいだった。なんでもかんでも安いことが素晴らしいと礼讃する気にはなれないが、良心的だったことは間違いのないことだ。

それからこれはとても個人的な話で、これから述べることがMitteを訪れた全ての人へのもてなしだったとは少しも思わないが、私はお店の人が紅茶コーヒーお菓子を出してもてなしてくれることも好きだった。その場所長居して構わないような気分になるのだった。何時間長居をして結局買うのはほんの千円だとか数千円が関の山なのだが、それでも居心地良く何時間でも吟味をさせてもらえるような場所は、世界広しに古雑貨屋多しといえど、私個人としては、ここ以外には無いと思う。

Mitteはお客さんで混み合うことが少なかった。採算がとれるか否かでいえば勿論悪いことだが、自分勝手なことを述べるのがもし許されるなら、私は自分以外のお客さんがいないMitteでひたすらものを選ぶのが好きだった。

混み合っているようなのはどうも落ち着かなくて苦手だ。繊細なものばかり並んでいる棚の前を人間が往来するのは落ち着かないものだ。その点あの場所はとてもいい場所だったのだ。それで前述のとおりもてなしまでいただくと、ああ自分の部屋もこんな風だったら素晴らしいのにな!と思わずはいられないほど素敵だった。

Mitteはいものがどうしてと思うくらいに取り残されている不思議場所だった。東独の宇宙豆本なんかあまりにも素晴らしいもの一目惚れだったが、私よりかは宇宙好きな人の元に渡った方がよかろうと思い、一度見送って、数ヶ月後まだあって、まだ見送って、それから数ヶ月後の三度目にようやく、こんなに可愛いものを誰もまだ迎えないなら、私がさらって行ってしまおうと思ったものだった。さらわれた豆本は私の狭い部屋の狭い古文具入れの中に収まっている。少し運命が違えば東独博物館ガラスケース入り豆本の仲間だったかもしれないのに、豆本も数奇な運命を辿っているものだ。

それでも私は冒頭に書いたように、自身が優秀なパトロンになれなかったことを悔いている。続いて欲しいものお金を落とすことの重要さを今までもわかっていたつもりだったが、それでもやはり手を尽くせなかったように思われる。行きたい場所や欲しいものは、それがある内に大切にしなければならない。

重ねて書いておくが、お茶お茶菓子などの応対についてはされた人もされなかった人もいると思うが、そのことで何人たりともお店に文句を言うようなことはあってはいけない。私以上のもてなしをされた素晴らしいパトロンだって居るであろうし、私はそのことを悪いと全く思わない。逆に初めてそこを訪れた人などは相対的に落としたお金が少ないのであるから、もてなしのないこともあるであろう。もてなしは無償ではないし当たり前のものでもない。それが普通だなんて少しも思わない。それらは身に余るような優しさだったと今も思っている。食べ物は消えてしまうが、もてなしを受けたことは消えないので良い。

私は、そして私を含む古文収集家や古雑貨好みの人々はみな、永遠などないことを知っている。東独もソヴィエトもも現代にはないものだ。それでも自らが通った場所現代でなく過去になることは、どうしてこんなに厳しい気持ちになるのだろう。もう終わったもの過去のもの、二度と戻れないものにこんなにも執着し心惹かれながら、自らにとって現代と思われたものが同様になるのをどうしてこんなに悲しく感じるのだろう。

Mitteには現代の品物も置いてあったことを分かった上で述べるが、古文趣味や古雑貨趣味というのは、大きく括ってしまうと、使い終わったもの、行き場をなくしたものに、また新しい行き先を見つけていく趣味なのだと思っている。あの場所から幾多のものの新しい行き先を見出した私は、私たちは、私たち自身の行き場をひとつなくして、一体次はどこへ行くのだろうか。

それでも次の行き先をまたひとつ、そのうち見つけられるのだろう。そうやって集めた行き先の中にまだ何らかの形でMitteがあることを、私は知っている。だからなんてことはない。これは別れの挨拶でもなんでもなくただの思い出話だ。またね。

http://anond.hatelabo.jp/20170310162325

強要したいとか排除したいとかいう話ではありません。

ただ、相互理解尊重がすすみゲームに対してポジティブに語れる空気ができたらいいなってレベルの話です。

例としても上と下の極端なとこだけを抜き出して中間層無視していると思います

ファンなれば作り手にも関心を持つの自然なことですし、無邪気でも心無い発言に傷ついたりするというのが

ジャンルにくらべて軽視されすぎてるんじゃないかという話です。

そういう立場からすると消費者的な価値観押し付け強要されてるようにすら感じてしまう、というのがたぶんまずいところなのでしょう。

最近は重度のゲーマーでも消費者ゆえの無邪気だからなにいってもいい、と開き直り攻撃につながってるという印象もあったのですが

当人純粋一般人消費者だと考えてるから温度差があるのかもしれません

ネットの普及で一般消費者の声が目立つのは当たり前のことでもあるのでしょうしそのあたり気づけたのは収穫でした。

結局、お互いが攻撃とか排除とか強要とかに敏感すぎてどっちが先みたいな話に終始してしまってるんでしょうね。

それを乗り越えるにはどうしたらいいかってことなのでしょうか

個人的な話をすればパトロンレベルで巨額を使い込めるほどの人間じゃないですが、

気に入ったゲームは数人に布教して一緒に遊んだりとか、ゲーム環境整えるのに投資したりとか趣味範囲お金を惜しまないという程度です。

それでもまだまだゲームコスパが高い、他の趣味と比べても安く長時間遊べすぎると感じているので申し訳なさみたいなのはあるのですが。

http://anond.hatelabo.jp/20170310161352

芸術家を支えるのはパトロンがいるでしょ、得にならない出資をする人が

アイドルを支えるのはファンでしょ、1人で何百枚もCD買うでしょ

支えたい人が買い支えるだけで、一般客は欲しいから買うのみ

一般人芸術のために買うんじゃないし、それを強要するのはおかしな話だぞ

で、ゲームファンは何してるの?

ライトユーザー啓蒙活動批判活動

そんな暇あったらゲーム機200台くらい買えばいいのに

2017-02-16

金持ちになっても届かない領域

それが、芸術家スポーツマンだと思う

からこそ彼らは尊敬されるし

金持ちパトロンになる

2017-02-01

作者を応援する一番の方法は発売してすぐに書店で買うことと言うけどさ

一番の方法パトロンだろ?金を直接あげることが一番近道なのは誰が見ても明らかなのに、なんで回りくどいことするの?

2017-01-23

「一週間以内に本屋で買ってくれないと~」がよくないと思う理由

「1週間以内に本屋で買ってくれないと重版されない」って脅されると買いたくなくなる | アオシマ書店 - 電子書籍の情報サイト -

上記を読んで。

自分もあまりこのての台詞は好きではない。

その理由は、「消費者パトロン役割を負わせるべきではない」と思うからだ。

消費者作品を買うとき、その動機は「自分が読みたいから」だ。

それに対し、ある創作者を支援するために金を払うならば、

それはパトロンだ。

基本的に、なにか作品を買うという行為は、その二つの動機がそれぞれの割合で混じりあっているものと思う。

パーセント消費者としての視点で買うこともあるし、

パトロン的な視点応援のために買うこともあるだろう。

それはかまわない。

なぜなら、それは買う人間意思に基づいているからだ。

だが、創作するがわが「支援のために買ってください」と促すのは、

いわばパトロン募集する行為だ。

ここでは、パトロン的な買い物に、買う人の意思だけでなく作り手の意志が介在する。

パトロンとは、そもそもなにがしかの見返りを得る権利を持つ。

買い手が一人で応援のために購入するならば何の見返りがなくとも構わないだろうが、

買い手に「お願いして」パトロンになってもらうならば、

そこには互いに貸し借りの概念

「買って応援してあげたんだからしかるべき見返りがあるはず」

という意識が生まれはしないだろうか。

作品面白ければオーケーか?

そうだろうか。

誰もが面白い作品なんて誰にも作れないのに?

あなた発言が誰かを傷つける可能だってあるのに?

そしてここが重要なのだが、

昔の画家たちはパトロンを選べた。

パトロンがどんな人間か知ることができた。

しかし、現代消費者パトロンをお願いするとき、作りてはパトロンを選べない。

また、彼らがどんな人間か、作りては知らない。

そんな状態作品をのびのびと作り続けられるだろうか。

あなたの無数のパトロンたちのそれぞれの期待に、あなたは答えきることができるのか。

または無視することができるのか?

個人的には、それができなくて、がんじがらめになっているのが

ジャニーズAKBはじめとしたアイドル芸能人ではないかと思っている。

イメージファン人気に縛られてひどく不自由な彼らの立場で、

なおも創作する覚悟がないのならば、

消費者パトロンたれと促すべきではないと思う。

2017-01-03

SMAP解散の引き金は誰が引いたか

SMAP解散食事会をしたという報道がありましたね。

芸能人はなかなか懇意にする飲食店ができないものです。

写真を撮られたり、お勘定がはっきりしなかったり。

今回、こんなやっかい食事会を大晦日に仕切ってくれるとは、

メンバーお金を払うパトロン(いればですが)

とかなり親しい関係の店ですね。

今回の店の名を聞いたとき

あっという声が出ました。

これは今回の解散黒幕、そしてこれからくる展開を

図らずも指し示しているではないか

また、気が向いたらここに来ます

2016-11-22

プロデューサーって

昔のアイマスのPは本当にプロデューサーって感じだったけど今のアイマスPはそんな感じがしない

しろプロデューサーじゃなくてスポンサーとかパトロンに見える。ゲームの内容どうこうより課金額を自慢し合ってるし

運営が悪い」と言ってしまえばそれまでだけど、バカみたいに金つぎ込む方もお互い様だと思うよ

2016-11-20

映画監督になりたかったけれど、なれなかった人に聞きたい

映画監督やってるけど、そんなに難しいことか?「こういうことを表現したいときにはこういうふうに演出する」みたいなのを一通り学んで、後は面白い脚本を書くだけ。なんなら脚本すら外出ししても良い。個人的には、若手に足りないのはパトロンを見つける能力だと思っている。予算がついて、何作か撮ってしまえば後はこっちのもんで、資金集めの能力だけで次回作の話が入ってくる。監督能力演出能力ライバルとの競争優位にならない。よほどの天才でないかぎり。

2016-11-08

anond:20161108114136

相手の男になった立場の者です。

 

相手の男は就活等で散々お世話になった40代会社員過去彼女に対して好意を持ってアプローチしており、ブランドもの等も買ってもらうパトロンのような存在だった事もあるらしい。

俺と同棲し始めてからは、俺の存在相手の男にも伝え、好意を持たれても恋愛関係にはなれない事は伝えているらしい。彼女は、相手の男には友人として感情しかなく恋愛感情は一切ないと言っている。今はプレゼントももらっておらず、数ヶ月に1度食事に行っているだけとの事。

 

これが本当かどうか、確認するといい。たぶん、本当だろう。

だとしたら、「別れない方がいい」と忠告しておく。

過去がどうだったかじゃない。これから自分たち二人がどうかが問題だ。

ここで別れたら、のちのち、ずっと後悔するだろう。彼女匹敵する女性は、たぶん現れないだろう。

(仮に現れても、その女性増田を愛さないだろう。)

 

相手の男と彼女との関係みたいなことは、長い人生ではしばしばあるんだ。

増田はそれが理解できないのだとしたら、たぶん非モテ人生だったのだろう。 

一方、彼女は、モテ人生だったのだろう。モテ人生ならば、

恋愛または半恋愛みたいになることはしばしばあるんだ。

 

長い人生で、最初出会った一人だけを生涯愛し続ける、なんてことは、あまりない。

あるとしたら、非モテ同士の場合だけだろう。

 

増田彼女はたぶんその男性を(少し)愛したことがあるのだろうが、

それでも結局は増田との人生を選んだんだ。

それは彼女人生を捧げて増田を愛するということだ。

その愛情増田が捨ててしまうのだとしたら、あとできっと後悔するだろう。

 

増田彼女が嘘をついているのではないかと疑う。今後も寝るのではないかと疑う。

それはある意味、仕方ないかもしれない。また、その可能性は皆無ではない。

 

だが、本当に彼女増田を裏切っているのなら仕方ないが、

彼女増田を裏切っていないのに、増田彼女を捨てたとしたら、

それはたぶん取り返しの付かない人生の大失敗となるだろう。

 

「たとえあとで裏切られてもいい。自分はこの女を愛する。だから信じる」

と思ったのなら、その言葉彼女にはっきり告げるがいい。真っ正面で。

そのとき彼女の態度で、すべてを決めるといいだろう。

 

p.s.

オマケで一つ言っておく。

自分は愛されていないのかも」という疑心暗鬼が、真の愛情をぶちこわす。

どれほど愛しあっていても、疑心暗鬼があると、愛情はあっけなく壊れる。

あとでいくら後悔しても、そのときには遅い。

 

p.s.

トラバに答えておく。

彼女その男性をいくらか思いつづけるということは今後もあるだろう。というか、きっと思いつづけるだろう。

だけど、それは、「寝る」というのとは違うよ。

過去の恋の相手を思うということと「寝る」ということは別だ。

相手の男もそれはわかっているはずだ。

まあ、恋愛経験の少ない男には、違いはわからないだろうけどね。

体の関係を抜きに、苦い恋愛というのは、あるんだよ。

※ 特に知性的な男女の場合には。(知性の低い男女を除く。)

 

 

2016-10-24

パパ活もうやめる

8月から今日までパパ活をしていた。

パパ活というのはいわゆるパトロンを見つける活動のこと。「パパ」なので肉体関係は持たない。食事デートをして、お小遣いをもらう。それがパパ活だ。

8月、私は度重なる出費でどうにもならなくなっていた。そのとき、なんとなく知っていたパパ活をすることに決めた。正直、おじさんと食事するだけでお小遣いが貰えるなんてそんな楽なことでお金を稼ぐなんて最高だと思う。かくして私は出会い系サイトでパパを募集しはじめた。

これを読んでる多くの方々は「食事するだけでお金がもらえる甘い話があるのか?」と思うだろう。

あるのだ、これが。出会い系サイトでパパを募集し始めて半日食事1時間に付き合ってくれたら5千円くれるという人が現れる。結論から言うと1時間どころか喫茶店20分いっしょに過ごしただけで5千円もらえた。これを機に私はパパ活を本格的にはじめることになる。

しかし始めて約2ヶ月、今日新たなパパ候補であった高齢の方と食事をして、やめる決心がついた。

以前「大学時代バイトしまくってたけど、それって親が高い金出して買ってくれた膨大な時間バイト先に安く売ってるだけだと気付いた」という内容のツイートを見たことがある。

しかにそうだなと、そのツイートを思い出して思った。まだバイトの方が有意義だと思う。友達や先輩に囲まれて働く方が価値のある時間の使い方をしている。私は好きでもない、サイト出会ったおじさん…いや、もはやおじいちゃんと呼べるほど高齢男性食事をしてお金をもらって、こんなの無価値有意義でもなんでもないと気づいてしまった。

実は今日会った方に「食事1時間2万とは別に渡すからホテルイチャイチャしよう。付き合ってくれたら4万先払いで渡すよ」と言われていた。正直すごく迷っていた。話によると、セックスフェラはしなくていい、ただイチャイチャしてほしいとのことだったので、全然ないとは言えないけれど抵抗も少ない条件だったし誘いを受けるつもりで今日その人と会ったのだが、食事している間に自分のやってることとこれからやろうとしていることに冷めた。食事後、「やっぱりこの後やめておきます。」と断ると、「今日何のために来たんだよ」と怒鳴られた。「いつもこんなことしてるのか?」と聞かれ黙っていると、「こんな女に金払う意味がわからないわ」と言われ、立ち去られた。

帰り道、定期的に会っていたが、「あなたのことが好きになりそうです」と言ってきた40歳上の方のメアドを受信拒否した。出会い系サイトも勢いで退会した。

親が高いお金払ってくれた時間をおじさんたちに売るのはもうやめる。

2016-10-17

続・なろう小説サイゼリア

http://anond.hatelabo.jp/20161017134547


もうサイゼリアで例えることはできないんだけれど。

キーワード信者お布施

WEB小説(発の商業小説)って、人によっては微課金なんだと思う。無課金でも楽しめるけど、5~600円くらいならって敷居が低い。

昔は、全米が泣いた!! みたいな、ネットで2000万PV!! みたいな売りで普通の人に売ってたんだろうけれど、

今は、特典付けたり、作者がツイッター作品の前書きやら活動報告(ブログみたいなもん)でそもそも無料で読んでた読者に働きかけてる。

一部は、アニメ化の影響とか口コミで売り上げ伸ばしているなろう発ラノベもあるだろうけれど、ほとんどは元々の読者が、

無料で楽しませて貰ったお礼に、とか、付いてくる書き下ろし短編のために(書店毎に内容が違ったりもする、CD形態違いの商法)、

折角再読するんだから編集の手が入ってクオリティの高いもの

みたいな意味合いで買ってるんじゃないのではなかろうか。宣伝だってするし。

パトロン的な考え方もできるし。小銭で好きな作家プロになって更新速度やら質やら上がったらウィンウィン。

ハンバーガー屋とかは元々有料だから例えに無理は生じるんだけれど、期間限定メニューとか出たらついつい食っちゃうみたいな。

そもそもにして、購入者確保の点からいえば、新人賞の大賞作品なんてなんの売りにもならない時代

それよか、ネット一定数以上の評価を既に得ているWEB小説読まない層も安心して買って読めるのかも。

テレビとかそういう(マスコミ系主導のコンテンツ)のがすたれてきたのと似たようなもんじゃないのかとは思っている。

なんか無責任なっちゃったけど。

2016-10-16

郷愁』という映画が神だった。

 何となしに選んだ、『郷愁』という1988年の映画。とんでもない神映画だった。

  

 京都から土佐の四万十という町に引っ越してきた一家の話。

 父親は働かない画家だが、女のパトロンおばさんがついたために楽な生活をする。家にはお金を入れない。

 母親父親の職として学校先生を言い出すも、「画家他人に雇われるなんてできるかよ!」と突っぱねる。

 一家収入は長女の稼ぎしだいである。長女は大学中退しているが、賢く美しい。最初電話交換手として働いているが、全然お金は稼げない。エリートなのに田舎に来ている理解者の英語教師の男と付き合いだすも、金がないため嫁には行かせられないと断る。

 さらに、その理解者のエリート教師も教え子を不注意から殺してしまい、罪の意識からダメ人間となり地元の人たちと同じ知的レベルまで落ちてしまう。

 長女は父が定職に就かないために、夜の仕事を始める。

 夜の仕事場に父が来る。パトロンも順調についていて楽しく過ごしているらしい、そんな父が見とがめて「こんな仕事やめろ!」

 しかし、長女は、どこまでも落ちてやるんだと、水商売先の客と寝て借金を肩代わりさせたり、どうしようもないバス運転手と付き合ったり。

  

 で、主人公は、こんな家の次男坊。口下手で、地元の人たちに流されるまま過ごしている。

 どうしようもなく崩れていく家族地元の土着的な性に対する汚い行い。

 どうしようもなさに流されて、自分意志でやることと言えば、金を得たら売春なり。誰もいない滝で叫んだり。

 どうしようもなさを理解するブス女とセックスしたり。

  

 まあだいたいそんな感じのストーリーものすごくいい映像でやる映画なんだけど。

 もう本当に、こうやって人間ってどうしようもなく落ちていくんだなあってのがわかる。

 人間存在の程度の低さとか、この世の嫌なところを書いている。しかも、それが『普通なんだよ』という説得力がある。

 こういう映画を見たかった。

 他人人生がムチャクチャになることへの憤りを感じさせてくれる、神映画だった。

2016-10-14

http://anond.hatelabo.jp/20161013070634

讃美歌や労働歌というのは、今でいえば懐メロ名曲と言われるものを何十年もずっと歌い続けていたようなものだし、

酒場の歌や演奏も似たようなものだろう。

いや、作曲家すごーくたくさんいて、宗教曲も世俗曲もどんどん新曲作られてたよ。

1人で何百曲も書く作曲家だっていたし、有名無名合わせて一時代に何百人と作曲家はいたから、新しい音楽はいくらでも溢れていた。

から伝わる民謡だとか、伝統的なグレゴリオ聖歌ばかりを延々歌ってたわけじゃなくて、その時代作曲家がその時代に作った音楽普通に歌われていたんだよ。

現代との人口からすれば、そこまで少なくもない。

 

次々と新たなヒット曲が生まれていた状況のほうが

当時の音楽パトロンが大枚はたいて作曲家に書かせるものだったから、そりゃあ確かに"ヒット曲"なんて概念存在しなかったね。

流行歌というものはその時代にはもうすでに確かに存在したけど。

2016-09-19

パトロンがいるのって不健全なの?

女子校時代の話。

 

ある子は親が金持ちでいろんなものを買ってもらえてた。

同じ服はほとんど着ない、値札を見ないでカードで買い物。

でもそれはお金持ちだから仕方ないよね。みたいにみんなが羨んでた。

 

一方で、すごく可愛いんだけど、片親で学費ギリギリみたいな女の子がいた。

彼女は途中からパトロンを見つけたらしく、

そのおじさんのカードで服やアクセを同じようにおじさんのカードで買いあさっていた。

それに対してはみんなは、ヤリマンビッチ、異常者、男好きだと中傷して遠ざけた。

彼女性的関係は一切無いと言っていた。

それが本当かどうかはわからないが、仮に本当に体の関係がなかった場合

彼女を責めることは正当なのかと今になって思う。

 

当時は、なんとなく悪いことで、悪いことをしているから悪い!って自分では思ってたけど、

お金持ちの女の子と、お金持ちを見つけた女の子の違いってほとんど無いように思える。

お金持ちが若かったら、お金持ちと交際していたら、、条件を変えても、

おそらくそれでも彼女批判対象になっていたように思う。

 

世の中って理不尽だと思うし、結局あれは嫉妬感情だったんだろう。

2016-09-18

気にいらない女の潰し方

以下のようなレッテルを貼ります

 

ブスがブサイク男にちやほやされてる:オタサーの姫

ブスが男にちやほやされている:男好き、やりまん

美女が男にちやほやされている:ぶりっ子、やりまん、男好き、させこ、性格悪い、色目つかってる、枕、腹黒、整形、パトロンがいる

 

みんなもやってみよう^^

2016-08-24

パパ活調べてみた、そして「パパ役」側の本当の欲求とは

大体わかった。

 

パパ側はパパ活している女性金銭感覚崩壊させて人生壊れるところを観察したいのであって、

自尊心を満たしたいだとか愛が欲しいとかそんな理由からパパをやっているのではない。

金で人の人生を壊してそれを観察するという物凄いコストパフォーマンスのいい娯楽をしている。

可愛い子であればあるほどその子人生のものレイプするのを楽しんでいる。

普通の娯楽で他人人生破壊なんてできない。

性的要求もなく単にお金をあげているだけなので違法性も全くない。

もちろんコストは掛かるが、金持ちならその条件を満たせる。

パパ活してる女はこのどこまでも暗い欲求に気付かない、金の方が眩しいから。

パパ活は金をそういう使い方をするしかコミュニケーションを取れなくなった男の最後希望であり娯楽。

 

これは実況者に色々物を送りつけて支援して暴走して破滅するのを見るパトロンの欲求と全く同じもの

少し要求コストがあがるのと相手馬鹿から女の子に変るだけ。

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