はてなキーワード: 視聴者層とは
鈴木は陣営外の人にも話が通じる右翼として有名だったが、実は朝まで生テレビの成立に大きな関りがある。鈴木が居なければあの番組は無かったんである。
また風桶式に鈴木が居ねばネットの団塊叩きも無かったんである。ちょっと説明しようと思う。
鈴木の親は民族主義新興宗教の「生長の家」の熱心な信者だった。その為大学時代は六本木にあった生長の家道場の寮に住み込みんで大学に通うと共に国粋宗教活動と学生運動に身を投じ、全共闘の左翼学生と殴りあいをしていた。最近話題の宗教二世だったのだな。
この道場は乃木坂の緑の中にあった。https://goo.gl/maps/tv9eakNek34ZLQXU6
今では生長の家の3代目がエコロジー志向になったので建物も塀も取り払われて開放的な森として一般にも開放されているが、一昔前は周囲の階段が「おばけ階段」と呼ばれるほど鬱蒼とした場所だった。
日本会議の中核メンバーも多くここに入寮しており実はこの寮は戦後の右翼運動の胎盤みたいな場所なんである。安倍政権で日本会議が急接近した事で政治にも影響を与えた。米議会は安倍政権と日本会議の関係を問題視していたのでこの寮の輩出者も分析把握されているかも知れない。
この敷地内には日本教文社という出版社もあってこれは生長の家の教祖谷口雅春の著書を出版して思想と教義を広める為に設立された出版社だ。しかしフロイトの『精神分析入門』や『夢判断』、ユングの選集などをいち早く出版するなど、実は学術分野でも存在感を示してきた社でもあった。
余談だが防衛庁(当時)の庁舎は2000年まで六本木にあり(現ミッドタウン)、更に60年代まで門が開いていたので近所の人は庁舎内の売店で買い物をしていたそうである。六本木、赤坂の物価より安い上に生長の家道場と防衛庁庁舎は目と鼻の先だったので鈴木も利用して安いパンツ等の購入に重宝していた。
ところがある日、左翼学生による防衛庁突入事件があり、それ以来門は閉められ部外者が売店を使用することは出来なくなった。
六本木交差点の先や青山まで行ってハイソ価格のパンツを買うしかなくなってしまった為に怒り沸騰、全共闘と衝突した際には「お前らのせいでパンツが安く買えなくなっただろ!」と叫んで相手を殴っていたとの事である。相手も何を言われているのか不明だったろう、と鈴木は述懐していた。まー、面白おかしく話を盛ったんだろうけど。
1970年に三島由紀夫の市谷駐屯地東部方面総監部占拠と割腹自殺事件が起きて世間を揺るがしたが、三島の介錯、つまり斬首をしたのが森田必勝。森田もまた割腹し介錯された。この森田必勝は鈴木の後輩で、思想的に鈴木の影響を強く受けていたという。
この為に鈴木は強く動揺、やがて右翼として生きる事を決意する事になる。やがて勤めていたサンケイ新聞も退職してしまう。(デモでの狼藉で解雇されたとの話)
鈴木はこの事をずっと気にしていて十字架を背負っているかの如くだったが、2000年頃になると「森田氏」と敬称を付けて呼ぶようになった。十字架を下したのかもしれない。
余談だが、小泉政権時代に男性か女性か判らんと評判になった井脇ノブ子という政治家が居たが、彼女は学生時代、右翼学生運動のマドンナで、ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』の様に数万の男塾みたいな学生の先頭に立ち、当時新右翼学生運動のプリンス的立場だった森田との交際の噂もあったとの事である。
1977年google:image:『おまえらがかわいいけんなぐるんや!』は井脇31歳の時の刊行だが表紙写真の井脇は暴力教師だかダチョウ倶楽部上島だか素人には見分けがつかない。
鈴木らは「新右翼」であり、これは全共闘などが含まれる新左翼に対抗する為に生まれ、政治権力に癒着した旧右翼らと違う軸を志向した。そもそも対抗する相手の新左翼自体が、日本共産党が暴力路線を放棄する事に反発して生まれたもので、要するに暴力vs.暴力。
最初から硬派なバンカラと軍国路線で、彼らが卒業して政治結社を結成するようになると国防色(カーキ)の街宣車を使うようになった。これが80年頃になると威圧感を与える黒塗り街宣車と旭日旗、日章旗、軍歌を流すというスタイルが定着した。
鈴木が代表を務める一水会も黒塗り街宣車で軍歌を流して通行人を威圧して居たが、やがて鈴木はこのスタイルは良くないと考え出す。こんなスタイルでは話を聞いてくれる人が居ない。
という事で今の機動隊バスのような爽やかなブルーに塗り直して大音量の軍歌も怒鳴り声も止めた。これは今で言うとテニスサークルヤクザとか好青年暴走族みたいな強烈なミスマッチである。(考えれば機動隊バスが国防色止めたのも同じ動機だ)
すると傍目には社会党などの街宣車に見えるから、すれ違う右翼街宣車に怒鳴られる事もあったそうである。「あー、てめえらふざけんじゃねえぞおいゴラ!」「あ、一水会さんでしたかどうもすいませんでした」って事が度々あったそうだ。
ただ、話を聞いて貰えないスタイルが流行したのは大人の事情もある。威圧感があって相手が震えあがるというのは、例えば企業相手の抗議に行くときは相手が折れてやり易い訳だ。
更に活動費というのは支持者の寄付と機関紙の購買費で稼ぐのだが、相手が折れた先に機関紙の購買も持ち掛ければ受諾されやすい。そこで心付けを渡してくる相手もいる。
するとシノギの手段としてヤクザが参入してくるようになる。民事介入暴力だ。ヤクザは元々旧右翼と不可分だったが、それが新右翼のスタイルを模倣して参入するわけ。威圧感を高める為に街宣車もカーキや灰色じゃなくて黒塗りの方がいいし、車格も小さいライトバン等より大型のワゴンやバスの方がいい。こういうのを警察用語で右翼標榜暴力団という。当時沢山いたヤクザが参入する事で「業界」のパイも大きくなった。
鈴木はこういう威圧じゃなくて議論や対話を好むスタイルだったので、敵のはずの新左翼側とも交流があり、新左翼出版社から自書を出版して居たりもした。それで「一般人の方も向いている面白右翼」という評判が高くなっていた。
そこで1985か86年に全共闘上がりの活動家と鈴木含む新右翼の大討論会というのを開催する事になった。司会はあの田原総一朗である。
この当時は全共闘とか学生運動というのは完全に過去のものになっていて嫌悪さえされていた。流行っていた思想はポストモダンで、モダンの内容も踏まえずに言葉の戯れを繰り出すのが流行していた。これは凄惨な内ゲバを繰り返して自滅したのに青臭い異議申し立てさえすればよいという立場で「議論」の場に居座っていた学生運動的なものに参加したくない、そうではないものが新しい価値ある態度なんだという、以前の政治的なものへの強い忌避、反感がベースにあった。あの田中康夫も事あるごとに全共闘残滓の異議申し立て的態度や代ゼミ講師的ノリをコキ下していた(湾岸戦争で日本が参戦を求められた事に衝撃を受け転向)。
そんな時代背景では政治議論なんてものはカビが生えた扱いで部外者には面白い訳がない。
そう思われていたのに、いざ討論会をやってみたら部外者にもかなりウケがいい。やってる方も面白い。
それでこれはいけるぞと踏んだ田原総一朗がテレ朝に持ち込んだ企画が朝生だったんである。
当時、エロ一本鎗だった深夜放送枠でフジTVが色々実験的な番組を放送し始め、その深夜枠のいい加減さも相俟って好事家的視聴者層にウケていた。そこにCNNの放送権をゲットして社会路線で行きたかったテレ朝が乗ったのだろう。
こういう経緯だから最初の頃の朝生は体制派vs.反体制派orリベラルという構図が鮮明だ。田原は最近「朝生は最早保守だ左翼だという時代ではないというのが朝生を始めた動機だ」みたいな事あちこちで言ってるんだが、この経緯を見ればこれが嘘って事は判るだろう。ボケちゃってるんじゃないの?討論なんてウケない時代に「激突全共闘と新右翼」討論会の成功で行けると踏んだのが朝生なのだから。
そしてこの討論会は鈴木の左右を超えた交流と議論好きの人格が無ければあり得ず、田原も来なかった筈なのだから、鈴木の存在が朝生を産んだと言って差し支えないんである。
こういう風に鈴木の活動と波及した社会現象は停滞して煙たがられていた政治議論を活性化した。すると全共闘上がりの人士らは元気になって「異議申し立てが必要だ」「もう一度騒いでもいいだろ」と言うようになった。これらを受けて刊行されたのが1994年の『全共闘白書』である。
この動きに対し、同世代の松原隆一郎が文藝春秋社の雑誌『諸君!』で批判を加える。更にこれを受けて諸君!誌では「うるさいばかりで無責任 上と下からぶっ叩け全共闘世代」という特集を組んで、その名の通りに上の世代と若手の執筆者が全共闘叩きをする記事を寄せた。
つまりはこれがネットで長年繰り返された団塊批判の始まりなのだ。この全共闘的振舞いへの批判から団塊Jr.世代(増田もそう)の日本を支配するオヤジ世代へのルサンチマンと甘えが被さり、「団塊世代」全体を叩くという風にスライドしてきたのである。そこでは例えばいい年になっても漫画を読んでるというスタイルを確立したのが団塊だ(劇画市場の成立)とか子供部屋が個室とか結婚は好きな相手とすれば良いしなくても良いという常識とか若者向け流行歌の市場とか個人のプライバシーとか時給制アルバイトとかが団塊世代がわがままをしたせいで出来たって事にも向き合わないで済んだ。
些か「風が吹けば桶屋が儲かる」的だが、鈴木の活動が無かったら全共闘上がりが活性化して『全共闘白書』が刊行されることも、それに対して下の世代が反発する事も無かったのである。そしてそれがネット民の甘えを吸収して団塊叩きに変化する事になったのだ。
最後に現在も統一教会との関係で取り沙汰される朝日新聞襲撃殺人事件の赤報隊に関して。
1990年代に新右翼を名乗る男の脅迫で柳美里のサイン会が中止されるという事件が起きた。鈴木はSPA!誌に連載を持っていてそれを批判したところその男が抗議してきた。その中で男が赤報隊の名を語った為、鈴木は「赤報隊とは面識がある、名前を騙ったお前を赤報隊は必ず殺すだろう」と伝え、懺悔の言葉を引き出す事に成功し、それを連載記事に書いた。
すると、直ぐに警察が何らかの容疑で令状を取り事務所を捜索して書類の類を皆押収してしまったのである。赤報隊の情報を得る為の別件事件だ。これに鈴木は怒って赤報隊の情報は二度と官憲に提供しないと書いてそれきりになってしまった。
結局赤報隊と鈴木の面識が脅迫犯へのブラフだったのか真実だったのかは不明なんである。
ヤクザの根絶やしを目的とする暴対法が施行される事になった時、任侠右翼とも付き合いがある野村秋介に鈴木はヤクザの人権を守れデモに参加しようと強く誘われたが、鈴木は「イヤですよヤクザなんて」と気乗りがしなかったが、野村は親分肌なので断れない。仕方なしに参加したら呉智英らに「アウトローの人権とは笑止」などと言われてしまった。
やる夫家康が好きだったから今年の大河の「どうする家康」を見てるんだけど、視聴者層の広さに驚愕してる。
嫌味半分だけどもう半分はわりと本気の驚き。
たとえば、「通説では家康は狡猾な狸だし、瀬名は悪女。こんな優柔不断な家康や柔和な瀬名はありえない」という批判が正論であるかのように繰り広げられている。
物語の中で一貫しているかどうかが重要であって通説がどうかは参考でしかないというのが普通というのが常識だと思っていたので本当に驚いた。歴史を題材にした漫画でこんな感想言ったら間違いなくバカにされるよ。
ほかにも、
という描写に「今川を裏切る決断が描かれていない」と批判がつくのは自分の理解を超えていた。家のために個を捨てる決断を迫られて裏切ったというのに十分な描写だろうと思う。
不良漫画のような織田信長や仙人みたいな武田信玄のようにデフォルメが強いところが受け入れられないのはわかるんだけど、描かれているものを読み取れない視聴者が本当に多くいるなと感じさせられた。
最初に言っておきますが僕はどちらかというとフェミニスト側です。
一時期話題になっていたフェミニスト原則の再確認~~には同意しかしてません。
というのも高校生の頃から8年ぐらい”はてな”を見てて染まっているから。
本題です。
僕の観測範囲ではフェミニストって言うと「ワーワー喚くおばさん」みたいなイメージ持ってる人ばかりです。悲しい。
嘘だろ?って思う人はネット人気配信者、主な視聴者層が10~20代であろう配信を見てください。すぐにわかります。
結構な頻度で馬鹿にされるというか、ネタにされてます。口うるさい先生をあざ笑うような感じですね。
例えば配信者がマズいこと言うと、「あっ」だとか「フェミが来るぞ」とか。とりあえず見ればわかります。
もちろん現実世界ではそういうことをする人は少ないです。まあ、現実でもネタにされていることもあるんですが。
俺らは俗に言うデジタルネイティブ世代ってやつだから、ネットめちゃくちゃ見るのよ。
大半の若者は滝沢ガレソとか知ってるし、なんJまとめとかめちゃくちゃ見ている。
そしてそれらに取り上げられる”フェミニスト”は悪目立ちするような人ばかりなわけ。こうなるともう「フェミニストってこういう人たちなんだ」ってなっちゃう。
だからもうイメージ最悪ですよ。まともな人も一緒くた。もうだめです。
そんで楽しんでいるのに水を差されるのが大嫌い。口うるさいおじさんおばさんに対してヘイトしかない。
最近だとSHEINですかね。ヤフーニュースでも取り上げられることが多くなって、デザイン盗用云々の話題あったじゃないですか。
もちろん盗用は叩かれるべきことなんですけど、それよりも「楽しんでいたこと、使っていたサイトが攻撃されるのに耐えられない」って人多いんすよ。
とまあダラダラと述べましたが無関心な人もいるんで、そこらへんはまだ希望があります。憎悪に傾いていないだけマシ。
今回の雀魂の件はより多くの若い奴らが悪いイメージを抱くかもしれん。本当に辛い。
実際、憎悪クリエイターの格好の餌食になってるし、雀魂のユーザーは上述の配信者に影響されて始めたみたいな人たちが多いから…
ついき
この部分含めいろいろ書き方が悪かった点は反省してますが、ここを間違われるのは非常に癪なので、この部分だけ言及します。
”俺”は過激な反まとめサイト派です。滝沢ガレソはブロックしてます。
できればブクマカのみなさんもまとめサイトをブクマしてホッテントリに入れるようなことはしてほしくはありません。
でも現実は時間がないので「まとめ」を見るしかないというのも理解しています。だから強要はしません。こういう意見もあるんだなぐらいで。
今期は注目作多く、また続編が多くてそのファンも盛り上がってるのだが
それとは別に新作アニメが賑わっており大体観測範囲でキッチリと注目作が分かれたようなのでメモしておく。
ガンダムだしおっさん向けは勿論だが百合としても楽しめる。が、百合界隈では百合ニワカおっさんの解釈が気に食わないとかで小言も多そうだ。脚本家がウテナ(監督イクニ)の小説版を担当した影響で、ある一定年齢のアニメ層も語らせに来てるので、熱気あふれる議論が生まれそうだ。年齢層はかなり高い。
もちろん内容の素晴らしさはあるが、受け取り方は人によるため割愛する。とにかくビジュアル面で注目されていた作品で、申し分ないスペシャルな出来に仕上がっていたので、作画オタは大注目だろうが、この作品をアニメ好きの家族で共有する絵を想像できないので、話題の割には多少マニアックなファン層になっていくだろう。ただしジャンプなのでライト層も引きずり込むことができる。ミーハーってのは悪いことじゃない。新しいものに敏感な人たちはこぞって見るはずだ。ちなみにピンドラ要素がありこれもイクニだ。イクニファン大興奮のクールになった(?)
ブルーロック→永遠の厨ニ病&心は女子オタ向け(腐女子、夢女子等)
前者2つと比べて知名度は低いが一話の構成が素晴らしい出来だったため、ダークホース的にあがってきた作品だ。純粋にめちゃくちゃ面白い。知名度は低いと言っても連載当初よく炎上していたので知っている人もいるかもしれない。とにかくファンアートやキャラクター情報が一気に流れ始めた印象。熱量が水星の魔女と違う方向に向かってる印象を感じる。呪術廻戦や鬼滅を好きな層はチェンソーマンじゃなく以外とこっちのが合うかもしれない。コミケで一番賑わう作品になる予感がする。
主にこの3作品は大注目作品として今期追っていきたいのだが、まだ放送されていない作品「うる星やつら」がある。
上記3作品は意外と視聴者層が幅広くないように感じるのだが、うる星やつらは色んなオタクがライトに楽しめそうなので、今季の癒やし枠として楽しみにしたい。
コメント返信
>悪い事してるやつが許されがちなのはメイン視聴者層が元ヤンとかそういう奴らだからだよ~
非常に腑に落ちる解説ありがとうございます。
書いてあるとおりなら、私がワンピにハマれなかった理由が見えてくる…
私は元ヤンではないし、なんなら全く真逆の位置にいるタイプなので、そりゃあ合わないなと。
元々ワンピは一般人というか陽キャ向けの作品なのは分かっていましたし、世代性別を選ばない人気がある作品でもありますからね…。
流石に人間正しくなきゃ生きる価値無しとまでは思いませんし、任侠的な要素も割と好きな方ではありますが、やっぱりウタは受け入れられないなー
>こうであったら良いけどこうじゃない方が儲かる、みたいなモデルケースになっちまった感は確かに。~
同意して頂いてありがたいです。
私が述べた原作付きアニメ映画のあり方は悲しい事に理想論であって売れる映画のモデルでは無いんですよね。
オリキャラにイラついても原作ファンは見に行くはその通りで、私も恐らくというか絶対ああいったオリキャラがDB映画に出てきても1回は見に行くでしょうね。
考えたくないことですが…
ていうかウタほどの悪人があの世界普通にのさばってるってマジですか…?
ただし、それについては原作をしっかり知らないのでなんとも言えませんね…
>DBは作者が一番設定をわすれているので誰も怒らん
作者が一番設定忘れているは否定しませんが、誰も怒らんは100%違います
神と神や復活のF、ドラゴンボール超(TVシリーズ&映画&漫画)には作者が原作設定を忘れて後付け設定による上書き批判が大量に飛び交っていますので。
https://anond.hatelabo.jp/20220713203406
ただ輪るピングドラムは完全ネタバレしていくともう少しいろんな事象を混ぜている。
視聴者層が若かったのではないか。今年開かれた原画イベントに行くと当時十代後半だった層が殆どだったので…多分見終わってから調べた層が殆どではないかと。
しかし2021年になってしまい、新規視聴者が増えても、時代背景からの作品理解がどんどん難しくなっていて、当時のブログや考察もなかなかたどり着きにくいなと感じている。
一応ピンドラ考察代表例としてだされている「ピンドラがモチーフにしたもの」についていくつか触れておくので、全くわからなかった人はこのあたりをヒントにしたらいいと思う。
■95というモチーフ
1995年のことだ。バブルは崩壊したが残り香がある時期。世間は2022年のように混沌としている。当時の混沌から勢力を拡大したのがオウムとする意見が主流だ。
モデルの事件として地下鉄サリン事件、は勿論なのだが、この年にはその前に「阪神淡路大震災」が起こっている。
村上春樹の「かえるくん、東京を救う」が劇中に出てくるが、これは短編集「地震のあとで」に収録されているその震災の話だ。
同じく村上春樹の「アンダーグラウンド」というサリン事件被害者インタビューの本がある。
この2冊は作品構造とも密接に関わっているので、考察するには要チェックだ。
作中で出てくるキーワードだ。
これは神戸児童連続殺傷事件(1997年)の犯人が出した犯行声明に書かれていたキーワードだ。
この件に関しては同監督作品の「ユリ熊嵐」の方が直球で投げていたかも。
■カレー
98年に起きた和歌山毒物カレー事件について思わせるシーンがいくつかある。
アニメ冒頭から語られる話であり、ピンドラを考察するならまずこれを読めというものでもある。
登場人物の名前から、関係性、台詞などアニメの構成自体のベースにあるものだ。
ただもう一つ踏み込むと、宮沢賢治が宗教観で父親と対立していたこと、岩手に「ユートピア」を作ろうとしていたこと、病弱な妹を溺愛していたことなど、彼の人生も重なる部分があるので調べてみてほしい。「自己犠牲」についても同じくだ。
聖書などを匂わせる描写もあるが、それも宮沢賢治の独特な宗教ルーツから連想したと思われる。
幾原監督の根本的な怒りの部分がここにある思われる。1964年生まれの監督なので、そのあたりを踏まえてみるともっと考察が生まれるはずだ。むしろその世代に語ってほしいとさえ思う。
■南極物語
銀河鉄道の夜と並行してこのストーリーが組み込まれている。こちらも登場人物に名前に注目してみてほしい。
■リンゴの受け渡し
この辺は有名な考察なのだが今から視聴する人がこの考察にたどり着けるか心配なので、一応触れておく。検索したら出てきます。最終回後にどうぞ。
まあまだ考察は山ほどある作品だが、このあたりを検索していけば他の考察も目にするだろう。youtubeとかにもあがってたりするので。
本作の見方で個人的におすすめなのは「分からなければ一旦ネット上で溢れている考察を鵜呑みにして見直すこと」で、その上で「それは違うんじゃないかなー」ってなっていくから…
やっぱ「生存戦略ー!ハイレグ!」で釣られて気軽に見れる作品ではないなという印象はずっとあります。導入すげー軽いんだけどな。怖いんだよなそこが。愛の話で片付けちゃうと宗教っぽいよね。総括すると愛の話なんだけどね。
あと総集編の新録パートがまたどう転ぶのか難しくて、そのへんも考察を待っている。この記事見るのはこのアニメのファンだろうから「それは違うよ」という意見ならどうぞ語ってほしい。議論こそピンドラだ。
はなれていくホロライブ3
前項ではVtuberの歴史から分析を行ったが、Vtuberの今後を書くために、彼らが持つ特性と売れた理由を分析しておきたい。
なぜならば、これこそが「ホロライブがリスナーから離れていく」理由につながっていくからだ。
Vtuberが現状に見られるほどにリスナーに受け入れられてきたのには、
以下のようないくつかの理由があると考えられる。
まず現実のアイドルやタレントまた生主とは違い、理想化されたイラストなどのビジュアルを持っていたことが大きい。
これはアニメや漫画を好んできたオタクに訴求され、生主やYoutuberとは違うリスナー層を獲得することになる。
ゆっくり実況を聴いてきたニコニコリスナーや声優ラジオの視聴者層もVtuberのリスナー拡大の一員となっているだろう・
2.配信頻度の多さ
前項からの繰り返しの解説になるが、Vtuberの配信頻度の高さ、供給の多さはリスナーの獲得に大きな影響を与えている。
ソシャゲは早くて1週間で1イベント、テレビ番組や番組では1週間で30分、漫画でも早くて1週間更新という中で、
専業Vtuberでは1日更新で数時間、兼業Vtuberでも週に2,3回の更新といったサイクルの早さが大きなアドバンテージとなっている。
更には上位層では1週間に30時間超という膨大なコンテンツ量が、
より多くの供給を求めていたオタク層に訴求できていた可能性がある。
事実として同じ事務所内で見た時に、配信時間が長いほど視聴者数が多い傾向がある。
例:ホロライブの2022年1,2月の配信時間と視聴時間のランキングhttps://twitter.com/Holo_Data/status/1498471655248523266
3.Vtuberの多さ
当時の生主や配信者にあこがれながら見た目で辛いを思いをしてきた人々の多くがVtuberに流れた側面もある。
特にのじゃロリおじさんや兎鞠まりのような「バ美肉おじさん」が生まれたことによって、
男性だろうとアイドルのように受け入れられると言った実績が作られて、
それが配信者たちの参加の敷居が低くしたのも大きいだろう。
その結果として、Vtuber全体の参加が多くなり、より多様なリスナー引き付けて、視聴者層を増やしていくことに繋がった。
4.リスナーとの近さ
ただ多くの売れた理由の中でもVtuberが人気になった要因として大きな影響があり、
さらに今現在の問題とも直接かかわってもいると自分が考えいている要因が、
Youtuberや生主、そしてVtuberはコメント欄やチャット欄でユーザーと即座に直で反応を返せる。
即時のレスポンス性の高さが。他と比べて大きな利点となっている。
また送られたマシュマロやスーパーチャットに対しての「お返事配信」などを行い、
1対1の対話を疑似的に楽しめるといった、気軽で距離の近い視聴の仕方が出来ることも大きい。
テレビの俳優や、雑誌に出るグラドルでは、気軽にできないようなファンとの距離感の近さが、
リスナーとの心理的な距離感を縮め、「応援したくなる感情」を作り出していると言える。
この点に関して、過去に現実世界で売れたアイドルやタレントの演出と比較をしてみよう。
・視聴者の購買数を引退と結び付けた「ポケットビスケッツ」や「電波少年」からつながる売り出し方
・視聴者の投票とアイドルのオーディションとを絡ませて応援する気持ちを煽った「モーニング娘。」
・ドンキの劇場で会える身近さや、握手会といったファンとの距離感を近づけて売れていった「AKB48」
アイドルには「身近さ」や「自分が応援しなくては」という感情を呼び起こすことが強い売りとなることが多い。
より親身な応援や、より切迫感をファンに感じさせ、支援活動を強くすることになっていったのではないか。
一方でVtuberは現世と隔絶した存在としてイラストや設定持っており、
例えばファンタジー世界の住人であったり、例えば架空の学園の生徒であったりと、
夢の世界の存在、またアニメの中の存在といった建前を持たせている。
(例:キズナアイは「電脳世界のAI」という設定を持つ。 他にもホロライブの猫又おかゆは「おにぎり屋さんで働く猫」、にじさんじの剣持刀也や「剣道部の高校生」という設定がある。)
むしろ逆に中にいる配信者本人の私生活や趣味嗜好をそのまま語っている。
例1:収録でも帽子を外せない話をするホロライブの湊あくあ(設定メイド) https://www.youtube.com/watch?v=tbK5nP_biXI 例2:飲み過ぎて改札で吐瀉した話をするホロライブのアキ・ローゼンタール(設定女子高生) https://www.youtube.com/watch?v=QGspko3seVM 例3:配信中に実の妹を登場させるにじさんじの文野環 https://www.youtube.com/watch?v=hzuaqG4uVOg
このように、Vtuberが虚構だけの世界ではなく現実世界と地続きであることをアピールして、
リスナー達に身近な存在であると、親近感を持たせることに成功しているのではないか。
理想と身近さの良い所どり・合いの子のような存在とも言えるかもしれない。
※ただし、Vtuberの喋っている私生活が現実に本当のことかは不明で、言ってることが嘘だとバレたことも多い。
Vtuberの設定とは別に、「中の人の設定」を喋っているだけの可能性は十分にある。
例1:イタリア旅行中と宣言しながら日本の廃品回収の音が配信に乗ってしまったにじさんじの郡道美玲 https://www.youtube.com/watch?v=JnOjyZjGQXU 例2:有名アニメのことを知らないと言っていたが元声優であったと噂されているホロライブの大空スバル https://www.youtube.com/watch?v=Mry71kaDmFc
それでも嘘をついてでも私生活を一種の売り物としているのは多くのVtuberで(生配信者でも同様に)見られる行為だ。
また、リスナーとの近さという点では、
上記のような私生活の切り売りによって親近感を呼ぶのとは別に、
Vtuberはその参入のしやすさからリスナーと近い存在としてみなされてきた。
それは例えば、Vtuber黎明期の頃に個人勢であり、自作の3Dモデルを使った
「バーチャルのじゃロリ狐娘Youtuberおじさん」が人気を博したことが大きいのではないか。
リスナーには「自分達でも配信者側・Vtuberとして参加することが出来る」と感じられた人が多く見られたように思う。
加えてVtuber黎明期のVtuber同士の仲の良さも身近さを感じさせるのに大きな影響があった。
Vtuber同士で集まってゲームをしたりオタク談義をする配信には、
「げんしけん」や「銀の匙」のような同好の士が集まったサークル的な楽しさがあった。
ある種、Vtuber達のコラボ配信はネットの著名人たちの「サロン」のようにも見えたのかもしれない。
「自分も楽しそうなVtuber達の輪の中に入れる入れるのではないか」
そう言った期待もまたVtuberたちを親身に応援させ、親近感を憶えさせ、
自分達と地続きの伝説として、より応援に熱狂さを増していた点があったのではないか。
そう言った点を分析するに至って、
ちょうどこういう増田を書こうと思ったところだった。
ただし元増田ではほとんどいないとされている、男性Vを見る男の立場で。
別にイケメンが見たいからとかではなくて、可愛さにそこまで重きをおいていないというだけだと思う。
話やコンテンツが面白いかどうかを第一としてみると、男中心になってしまった。
それでも、男Vを単体で見る男は少ないという意見は、今のV界隈ではあまり正しくないと思う。
何故なら、いわゆるストリーマー界隈からの流入が相当数存在するから。
内訳がわかるわけじゃないけど、StylishNoobや釈迦といった超大手ストリーマーの視聴者層はほぼ男性で占められているはず。
男Vを見る男も、今はここと同じ層が多いんじゃないだろうか?
実際、No.1男性Vであり、ドル売りもされている葛葉でさえ、登録者80万人を超えていた2021年7月の時点で女性比率は3割だったそうな。
他の例で言えば、個人勢最大手の天開司は9割以上男。これもコンテンツが圧倒的に男性向けなため。
こういう話をすると、Vじゃなくていいじゃんという指摘がありそうだけど、その話はまた今度増田にする予定。
元増田のような「面白さ」を重視する人間がVtuberの視聴者層の中にそんなに多くはないってこと。
にじさんじは明らかに元テレビマンが入って昔のテレビバラエティを追いかけてるのを感じるけど、
面白さで見るならまだテレビとか映画とかネットフリックスとか見るわな。
でもVtuberには終わらない美少女動物園がある。これはテレビにも映画にもネットフリックスにもない。
しかもその美少女動物園には限定的にとはいえ自分が介在できる。
これって、本当に美少女動物園好きにとっては夢のようなことなんだよ。
ぼーっと美少女動物園アニメ、漫画を眺めながら妄想していたことがまさに実現されている。
少なくとも日本では「みなまで言うな」が「粋」とされる傾向があるから、
わかりきったことをクドクドクドクド説明するのが「粋」じゃないって価値観は理解できる。
レベルをグンと落とすけど「凶器のナイフが、あ、ナイフっていうのは切るための道具で、取っ手がついていて、手に持って用いる汎用の刃物のことなんですけど」みたいな説明セリフがあったら「いや、ナイフくらいわかっとるわ。バカにしてんのか」ってなるか「いや製作者側ナイフの説明しないといけないレベルなのかよ」ってなると思うのよね。
ターゲットの年齢層に対して内容のレベルが低すぎると「製作者側のレベルが低すぎる」もしくは「製作者側が視聴者層のレベルを低く見積もりすぎている」という感覚になる人は多いと思う。