はてなキーワード: 文学部とは
増田や青葉真司って精神障害者や狂った毒親育ちという点を共通として考えてもめちゃくちゃハードモードなのに自分の実力で飛ぼうとしてやよな
イージーモードなら、小学生の頃から小説家やITエンジニアになると言う夢に向かってPGスクールや塾や予備校に通わせてもらいそれなりの大学の文学部や計算機工学に入り、関連の仕事に就き、原作者や一端のPJやエッジの効いたエンジニアくらいにはなれただろう
才能がなくても親の財力で、私立大学、趣味的な起業、アニメ制作会社運営など選択肢ができただろう
良い家庭環境でメンタルも安定、精神疾患を悪化させたり発症するリスクは大幅に下がっただろう
何をやってもダメで事件沙汰を起こしても、揉み消してもらって遊び暮しストレス発散はできただろう
金持ちの息子でイケメン高身長豊髪だと市場価値が高いのでトロフィーワイフをもらって子どもを作り、性格的にも落ちついたかもしれない。
自称精神疾患でナマポで生きていく人間も少なくないのに、青葉や増田クラスの障害者なら一生ナマポをもらえる素質があったのに、それを良しとせず配慮を要求することもなくフェアに勝負しようとした
令和2年8月23日(日)に、第52回社会保険労務士試験が実施され、11月6日(金)に合格発表がありました。
今年は、新型コロナウイルスの感染拡大の影響が大きく、私も受験会場が希望していたところから変更になりました。厚生労働省所管の試験ですので、当日は手指消毒や検温、換気などは徹底されていましたが、酷暑の中、過去に例のない過酷な試験だったと思います。
私は、今回この試験に無事合格し、社会保険労務士有資格者となることができました。ここでは、国家資格の試験に興味・関心がある方や、これから社会保険労務士試験を目指そうと検討されている方たちのために、できるだけ情報や私が思ったことをまとめて記録しておきます。もし参考になることがあれば、お役立てください。内容について、何か自慢をしているように誤解される方もいらっしゃるかもしれませんが、無意味な謙遜をして不正確なことを書いても真意が正しく伝わらないし意味もないので、できるだけ思ったことを率直に書いています。はてな匿名ダイアリーを使うぐらいなので、その意図はありませんが、もし不愉快に思われても、その点は予めご容赦ください。
私個人の属性はTwitterでも一切明らかにしていないのですが、社会人で、仕事をしています。現在は、人事系の部署にいます。
大前提として、社会保険労務士資格を取得しても、現在の仕事は辞めないし、その限りは社会保険労務士として登録することも予定していません。この試験に人生やキャリアをかけている人もたくさんいるので、その方たちには申し訳ない気持ちもありますが、私自身は今のところこの資格を使うつもりはありません。
大学は文学部の出身ですので、大学で法律の勉強はしていません。
ただ、総務系や人事系の部署の経験があるので、人事管理や労務管理の実務経験はあり、労働関係法令や社会保険関係法令に触れる機会も少しありました。一定程度の予備知識はあったと言えると思います。
私はすでに行政書士有資格者でもあるのですが、実務経験もなく、これを将来有効に使えるとは考えていませんでした。社会保険労務士は、行政書士と同じ法律系の国家資格で、ダブルライセンスによる相乗効果も大きいと言われています。もちろん、ダブルライセンスによって直ちに資格が生きるとは考えていませんし、先に書いたように、これらの資格を使って独立開業というようなことも考えていません。資格手当の制度もありませんが、今の仕事で人事上有利に働く可能性はあるかもしれません。また、現在の部署では、試験勉強を通じて得た法令の知識は、大変役に立っています。
あと、現在の仕事の関係もあり、資格学校に通うことはもちろん無理だし、繁忙期は何か月も勉強できなくなってしまうので、通信教育も難しいと考えました。つまり、必然的に市販の教材を使って独学で勉強することになるのですが、独学で挑むことができる法律系の最高難易度の国家資格の一つが、私は社会保険労務士だと思っています。司法試験、司法書士や税理士、公認会計士、弁理士などは、おそらく独学では不可能だと思いますし、市販のテキストもほとんど売ってないと思います。独学の是非については、後で書きます。
さて、2019年の2月中旬、確かバレンタインデーだったと思いますが、私がたまたま立ち寄った書店で、社会保険労務士試験のテキストを見つけ、さらっと内容を立ち読みしてみて、これなら何とか対応できるのではないかと思い、そのまま買って帰りました。これが勉強を始めた最初のきっかけです。
私は、第51回(令和元年度)試験も受けましたが、実質半年に満たない勉強期間での受験になりました。結果は惜しくも不合格でした。実は、選択式は合格基準点を超えていたのですが、択一式の合計点が2点足りませんでした。その時点で、もう1年今の勉強を積み上げれば、合格できるのではないかと見込みました。そして、今年の第52回試験にて、2回目の挑戦で、約1年半の勉強期間で何とか合格することができました。
社会保険労務士試験は、年に1回、毎年8月の第4日曜日に実施されます。全国の主要19都市に試験会場が設けられます。
比較すると、行政書士試験は受験資格がありませんが、社会保険労務士試験には受験資格があります。例えば、大卒又は短大卒であるか、あるいは高校卒でも行政書士試験合格者であれば受験できます。他にも、実務経験など資格を満たす要件はいろいろあります。
厚生労働省の報道発表によれば、第52回(令和2年度)試験は、受験申込者数49,250人、受験者数34,845人、受験率70.8%(受験率が低いのは、新型コロナウイルス感染拡大の影響で受験を控えた方が多かったからではないかと思います)でした。そして、合格者数2,237人、合格率6.4%でした。この合格率からも、社会保険労務士がどれぐらい難関な国家資格かということはお分かりいただけると思います。合格率は例年並みという印象ですが、私が昨年の第51回と今年の第52回と、2回受験した印象としては、今年の方が試験は難しかったと思います。
難易度については、一般的には、税理士試験よりは易しく、中小企業診断士試験と同じぐらい、行政書士試験よりは難しいと言われています。ただし、これは受験者の実務経験や予備知識によって大きく左右されるので、だいたいこのあたり、という捉え方で良いと思います。
国家資格としては、一度合格すると一生有効なので、実務経験があれば合格後はいつでも登録して社会保険労務士を名乗ることができます。実務経験がない方も、事務指定講習を受ければ登録できます。
以下に、今年の試験に関するサイトへのリンクを貼っておきます。
社会保険労務士試験オフィシャルサイト - 第52回(令和2年度)社会保険労務士試験についての情報 https://www.sharosi-siken.or.jp/exam/info.html
厚生労働省 - 第52回社会保険労務士試験の合格者発表 https://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/0000183106_00007.html
以上の10科目です。大きく、労働科目と社会保険科目に分ける場合もあります。これらの法律に加えて、一般常識としてその他多くの法令、あと政省令や通知通達、判例、白書、統計なども問われるので、試験範囲はとても広いと言えると思います。
私は、労働基準法は実務経験の中で触れることが一番多い法律なので得意でしたが、同じく実務で使うにも関わらず労働安全衛生法が一番苦手でした。また、多くの人が毎年苦しめられるのが、労働管理その他の労働に関する一般常識(通称「労一」)と社会保険に関する一般常識(通称「社一」)です。一般常識は、私は得意とか不得意とかでは語れないような掴みどころのない科目だと思っています。そして、特に今年の選択式の労一は、阿鼻叫喚の様相でした。午前の試験で気持ちを折られると、午後が本当につらい試験です。
また、出題形式としては、
があります。社会保険労務士試験は1日で終わるのですが、午前中80分が選択式試験、午後210分が択一式試験で実施されます。試験中は休憩時間もないので、特に午後の3時間半は、知識や情報に加えて、気力・体力・集中力が試されます。実際に受験された方は分かると思うのですが、時間は長いのですが、問題を捨てたりせずに全問しっかり解こうとすると、かなり集中してやっても時間が足りなくなります。
選択式試験は、いわゆる穴埋め問題で、A~Eの穴に対して①~⑳の選択肢があり、埋めていきます。選択式は非常に対策がしにくく、私はあまり対策については意識していませんでした。
択一式試験は、いわゆる五肢択一で、A~Eから正答を選びます。正しいもの又は誤っているものを選ぶ問題は比較的解きやすいのですが、正しいもの又は間違っているものの組合せを選ぶ問題や、あと最も苦しめられる正しいもの又は間違っているものの個数を選ぶ問題(いわゆる個数問題)が増える傾向にあるそうで、この形になるとその問題の正答率はぐっと下がると言われています。
私は、社会保険労務士試験の勉強は、択一式対策が基本であり、これを深めていくと選択式も解けるようになる、と考えていました。
社会保険労務士試験の難しさは、この採点基準にあります。税理士試験のような科目合格の概念もなく、1回の試験で、全ての科目で合格基準点以上の点を取り、なおかつ合計点で合格基準点を上回っている必要があります。
具体的には、原則として、選択式は各科目5点中3点以上、択一式は各科目10点中4点以上を取らなければなりません(ただし、試験の結果によっては、それ以下でも救済されることがあります)。また、合計点でも、今回は、選択式で25点以上、択一式で44点以上が必要でした(これも、試験の結果によって毎年変動します)。これらの基準点を1つでも満たしていなければ、他がどんなに点数が高くても合格しませんし、次回以降免除になるなどの措置もありません。この試験は、まさに「1点に泣かされる」試験だと言えると思います。この「1点」で落ちると、本当にメンタルに堪えると思います。
社会保険労務士試験の勉強方法の選択肢は、大きくは次の3つだと思います。
金銭面のことを抜きにして考えれば、資格学校へ通学するのが一番良いと思います。教室で授業を受けられ質問や相談もできること、一緒に挑戦する仲間ができること、自習室を使えることなど、メリットばかりです。ただ、仕事と通学の両立というのは、よほど恵まれた職場環境でなければ難しいと思いますし、また、今年はコロナ禍で講義が開かれなかったり自習室が使えなかったりしたなどの影響もあったと聞いています。現下の状況が続けば、通学のメリットは少なくなるかもしれません。
仕事と両立して勉強をするのであれば、通信教育が一番現実的かなと思います。費用はかかりますが、お勤めの方で雇用保険が適用されている方であれば、通学や通信教育の場合、条件を満たせば教育訓練給付制度を使うこともできます。どこの資格学校が良いかは、私は使っていないので分かりませんが、人によって講師やテキストとの相性があるようですので、資料請求をしたり無料体験をして比較してみると良いようです。
さて、私は独学の道を選択したのですが、独学のメリットは圧倒的に費用が安くすむことで、それ以外のメリットは何もありません。社会保険労務士試験は、いくつかの条件を満たせば独学で突破できない試験ではないですが、私は全くおすすめしません。最初に、今年の試験の合格率が6.4%だったと書きましたが、資格学校利用者の合格率は、その3倍以上あると言われています(大手資格学校のフォーサイトでは3.59倍だと公表されています)。独学の人の合格率というのは統計としてはないと思うのですが、つまりこれは独学の人が合格率を大きく引き下げているということだと思います。通学や通信教育に比べて、勉強時間も長く確保する必要がありますし、効率も非常に悪いです。独学は茨の道だと思いますし、私は通信教育で勉強をしている方を本当にうらやましいと思っていました。
ただし、絶対に無理だというわけではないので、あくまで私見ですが、次のような条件を満たせば、独学での合格もありえると思います。
また、
私は該当しませんが、この条件であれば、独学でも取り組めるのではないかと思います。
特に、法律には「読み方」というものが存在します。この試験の本質は法律ですので、法律を読むスキルがあると、かなり有利だと思います。
横だが、青葉真司ってめちゃくちゃハードモードなのに自分の実力で飛ぼうとしてたよな
イージーモードなら、小学生の頃から小説家になると言う夢に向かって塾や予備校に通わせてもらいそれなりの大学の文学部に入り、関連の仕事に就き、原作者くらいにはなれただろう
才能がなくても親の財力で、私立大学、趣味的な起業、アニメ制作会社運営など選択肢ができただろう
良い家庭環境でメンタルも安定、精神疾患を発症するリスクは大幅に下がっただろう
何をやってもダメで事件沙汰を起こしても、揉み消してもらって遊び暮しストレス発散はできただろう
金持ちの息子でイケメン高身長豊髪だと市場価値が高いのでトロフィーワイフをもらって子どもを作り、性格的にも落ちついたかもしれない。
自称精神疾患でナマポで生きていく人間も少なくないのに、青葉なら一生ナマポをもらえる素質があったのに、それを良しとせず配慮を要求することもなくフェアに勝負しようとした
前回はこちら
https://anond.hatelabo.jp/20200904203318
ビジネス本を根拠として、娯楽を健全と不健全に分けるのは余計なお世話とか、「人間」と「作者という存在」を同一視するのは不健康とか、コンテンツを精神的に健康/不健康で断ずる行為はよくないなどの意見をいただいた。
特に、「私自身が敵意を持って何かを貶めたい意図を持っているので、記事そのものが精神的に不健康である」という意見には唸らされた。
一般に販売されているゲームで、自分がクリアしたことのあるものに該当はなかった。
やはり倫理基準があるので、人権侵害をメインに扱ったゲームは審査を通りにくいし、そもそも売れないのだろう。
それに、私がここに書かなくても、「グロ 残虐 ゲーム」などの単語でググってもらうと、有志がそういうコンテンツを紹介しているページに易々と辿り着くことができる。
なので、今回はフリーゲームを取り上げたい。フリゲは主に個人が制作するものなので、その人の心の健康がありありと現れる。考察にはうってつけだ。
以下に紹介する。できるだけネタバレはしない。
見た目はほんわかしているが、中身はエログロ(特にグロ)。見た目はMOTHER2のような暖かい印象を受ける。
プレイを初めて1時間以内に、このゲームの異常性に気が付くことだろう。気持ちが悪いタイプの異常性ではなくて、続きが気になるタイプの異常性だ。
ネーミングセンスが独特であり、作中の随所に現れる。
どこが精神的に不健康なのかといえば、ストーリーの救いのなさだ。特に2。1と3は、グロ展開を挟みつつも笑えて感動できる物語なのだが、2はとにかく救いようがない。
特にラストステージ。人によっては恐怖で進めなくなる。ニコニコ動画の実況プレイ動画にも、「怖すぎて〇〇さんの動画に来ましたwww」といったコメントが並んでいる。
私自身も当時は震えた。深夜1時頃にクリアしたのだが、翌日にあった英語の演習でミスを繰り返したのを覚えている。
あの時の私は、恐怖を感じていたんだろうか?
違うと思う。あのラストステージというのは、ぱりぱりうめというキャラクターの抱える苦痛や嫉妬や絶望や愛や夢が、画面を通じてプレイヤーを殴りつけるとしか言いようのない展開だったのだけど、その感情に心を揺さぶられたのだ。だから涙が止まらなかったのだと今では思う。
大学生4人(男2女2)が旅行に行く。そのうちの一人が入巣(いりす)京子。旅行先で楽しんでいる途中、事件が起こって1人ずつ行方不明になっていく。
パズルゲームでの得点によって物語が分岐する。バッドエンドだと、いりすが友人を したのを示唆するEDになる。高得点を取ると、行方不明は友人たちによる仕込みであったことがわかる。サプライズな誕生日パーティーをしたかっただけなのだ。
プレイを続けていると、ゲームフォルダ内のデータが少しずつ置き換わっていることに気が付く。テキストファイルや画像データが現れたり消えたりする。
最後までプレイすると、いりすのキャラクター性や、旅行について考えていたことや、男側の主人公であるうーじの抱える闇が明らかになっていく。
いったいどこが精神的に不健康なのかというと、〇〇と見せかけて、実は〇〇でした!みたいな展開の連続であり、特にその裏側に残虐性(しつこいようだがネタバレはしない)が潜んでいる。
以前の作品である「愛と勇気とかしわもち」でもそうなのだが、プレイヤーを悪い意味でビビらせることに全力を注いでいる。
プレイヤーの心臓に冷たい何かが突き刺さって、心臓が凍り付いて、血管が破裂するような恐怖を味わわせることに作者は快感を覚えているのでは?と邪推せざるを得ないほどに、このゲームはプレイヤーを驚かせてくれる。
数あるフリーゲームの中でも最大級の――精神的に不健康な作品だ。
ゲーム冒頭の説明にあるように、精神疾患の人や未成年は絶対にプレイしてはいけない。一般の人にもおすすめできない。やっていいのは恐怖を快感に変換できる人だけだ。
体調がおかしいと思ったら、プレイしている最中でも中止すべきだ。例えば、2周目に入ったあたりで、「ここで止めたら負けだ」とか、「モニカ、てめーは絶対○す」などの感想を抱くかもしれないが、それでも途中でやめるという選択はありだ。
作者、特に2周目の恐怖演出を担当した人間の悪意が突き刺さってくる。どのような理由でも説明できないほどに悪趣味な演出だった。
「このゲームを作った人たちは、学生時代に苛めや虐待などのひどい目に遭って、社会に恨みを持つようになったんじゃないか? だから、こんな残酷なゲームを作って社会に復讐しようとしたんじゃないか?」
私はそう推測した。
「違う。このゲームは高い評価じゃないか」という意見もあると思うが、典型的な確証バイアスだ。別の言葉で言えば、コミットメントと一貫性。
プレイヤーは、恐怖と戦いながら数時間~数日をかけてゲームをクリアする。敵だと思っていた存在は、自分のことを(以下略)。ハッピーエンドではなかったけど、恐怖に打ち勝ってこのゲームをクリアできた。俺はチキンじゃない!
終わり良ければ総て良しという言葉がある。悪趣味な演出にどれだけイライラしたとして、最後までクリアしてしまった後で、このゲームをプレイした時間が無駄だったと認めることはできない。
そんなことをすると自分は愚か者だったことになる。だからこそ、個性的なゲームだったね、just monicaだったねと高い評価を与えることで、自分の考え方と行動に一貫性をもたせようとする。それがこのゲームが高く評価される理由のひとつだ。
今までにないタイプのゲームだったのは間違いない。ホラーゲームが好きな人にとっては珠玉の一品だったと思う。私も、このドキドキ文学部!に評価を投じた。★4つだったと記憶している。
名前だけは聞いたことがあると思う。エログロかと言われればそのとおりだ。
この作品は、上下巻の約700ページ(しかも行間がほとんどない)に渡って以下のような展開が続く。
①ジュリエット(とその仲間たち)が乱痴気騒ぎを起こして一般人を強姦したり殺したりする
②騒ぎの最中かその前後のパートで、ジュリエット(とその仲間たち)による哲学論議が行われる
③ジュリエット(とその仲間たち)が不仲になって仲間を殺す。あるいは新しい仲間を作る
エログロ小説と世間では見られているが、実は哲学小説だ。作者であるマルキ・ド・サドは貴族出身でありながら、変態行為が露わになって逮捕→投獄というパターンで小説を書き始めたタイプの人だ。
この小説が有名になった理由のひとつは、サド自身が社会に対して抱いていた恨み(今でいう反社会性障害?)から生じるエログロ描写の反面、その知性や教養から精緻に描かれる人間社会に対する哲学的な理解の鮮やかさが奇妙なほどマッチしていることによる。
哲学的な描写の例として以下の例を挙げる。主人公であるジュリエットの序盤の師匠であるデルベーヌ夫人の科白だ。この小説のキャラクターは喋りの量が半端ない。ドストエフスキー並みだ。
※一部のみを抜き出した。この場面の文字数は引用箇所の軽く数倍はある。
「まあ!」とあたしはデルベーヌ夫人に申しました、「それではあなたは、御自分の評判などどうなったってかまわないほど、無頓着でいられるというのですか?」
「そのとおりよ、あなた。本当のことを言うとね、あたしは自分の評判がわるいという確信をもてば、ますます内心で愉快を覚えるの。そして評判がよいと知れば、まあそんなことはないでしょうけれど、きっとがっかりするでしょうね。いいこと、ジュリエット、このことをよく覚えといてちょうだい、評判なんてものは、何の役にも立たない財産なのよ。あたしたちが評判のために、どんな犠牲を払っても、けっして償われはしないのよ。名声を得ようと躍起になっている者も、評判のことなど気にかけない者も、苦労の多い点ではどちらも同じよ。前者はこの貴重な財産が失われはすまいかといつもびくびくしているし、後者は自分の無関心をいつも気に病んでいるの。そんなわけで、もしも美徳の道に生えている茨が、悪徳の道に生えている茨と同じほどの量だとしたなら、いったいなぜこの二つの道の選択にあたしたちは頭を悩ますのでしょう、あたしたちは自然のままを、思いつくままを、そのまま素直に信用していればよかりそうなものじゃありませんか? P.16
今時の心理学の本に載っていそうな感じではある。アドラーの『嫌われる勇気』に通じるものがある。
悪徳の栄えで論じられている思想はニーチェやハイデガーに通じるものがある。この世に存在し続けるものに重きを置いている。
私にとっては面白い小説ではなかった。万人にお勧めできるものではない。というのも、哲学的な論考はあるものの、残虐な場面や、人間的に醜い描写が多く登場するからだ。
今のコンテンツでいえば、『ダイナー』が一番近い。ダイナーを哲学的な内容にすると現代版の悪徳の栄えになる。
私が読むのをやめようと思いかけた場面のひとつを挙げる。ジュリエットが、師匠の一人であるノアルスイユという金持ちに気持ちを打ち明けるところだ。
※上を含めて、引用箇所を探して打ち込むのに2時間半もかかってしまった…いずれにしても引用が多すぎる。これで最後にする。
「おお、 ジュリエット、おまえはまだ全部を知ってはいないからそう言うが……」
「なら全部すっかり話してください!」
「おまえの父御さんや母御さんのことだがな……」
「どうしたと言うんです?」
「生かしておいてはおれのために都合が悪かった……息の根を止めてしまう必要があったのだ。で、二人ともばたばたと死んでしまったのは、おれが彼らを自分の家に招いて、ある飲物を飲ませたからだ……」
ぞっとあたしの総身に冷たいものが走りました。だがすぐに、自然があたしの心の奥底に刻みつけた、極悪人にふさわしいあの無感動な冷静さで、あたしはノアルスイユを正面からじっと見据えながら、「人非人! 何度でもこの名を繰り返してやりたい」と叫んでおりました、「あなたは見るも怖ろしい男です、でもあたしは、そういうあなたをやっぱり愛しております」
「ああ、そんなことあたしに何の関係があるのでしょう? あたしはすべてを感動によって判断します。あなたの兇行の犠牲となったあたしの家族は、あたしに何の感動も生ぜしめてはくれませんでした。けれどあなたがあたしにしてくれたあの犯罪の告白は、あたしを熱狂させ、何とお伝えしていいか分らないほどな興奮の中へ、あたしを投げこんでくれました」 P.57~P.58
ノアルスイユはジュリエットの父母を殺している。そのせいで、裕福だったジュリエットは修道院に送られて貧しい生活を送り、やがては売春宿で働くことになった。
その原因を作った張本人であるノアルスイユに対してこのような言葉を出してくるところに、この悪徳の栄えの醜悪さを感じた。読者をダークサイドに送り込もうとしている。
物語の中で悪事を働く人間の基本になっている考え方のひとつに、「悪事をする人間は自然に有益である」というものがある。考え方自体はとんでもないのだが、文学者が翻訳を務めている関係でやたらと格調高い文章になっており、それが読者の心に響いてしまう。
年末年始を使って上下巻を読んだのを覚えている。今では読むべきではなかったと後悔している。
いわゆる鬱小説というやつだ。心が痛くなるコンテンツ。とにかく痛い。この本も読むんじゃなかった。アマゾンで高評価がついていたので出来心で買ってしまった。
この小説のいったいどこが精神的に不健康かといえば、「いたいけな少女をいたぶること」を主眼に置いているからだ。
アメリカの田舎町に暮らす主人公のデイヴィッド(12)。ある日、隣の家に住んでいるルースのところに、両親を亡くしたという快活な美少女メグ(13才以上)が妹のスーザンと一緒に引っ越してくる。デイヴィッドはメグに心を奪われる。ザリガニ釣りから始まって、次第に仲を深めて、お祭りの観覧車に一緒に乗る。花火が綺麗、みたいな描写だったのを覚えている。
という言葉が脳裏をよぎった。まだ未成年だった頃、某動画サイトにアップされていた『true tears』というアニメを見ていた。眞一郎と乃絵が仲睦まじくしている様子を見て、ほかのみんなが一斉にこのコメントを打ち込んでいたのを思い出した。
この小説は、読者に精神的な苦痛を与えることを目的として、メグに対してありとあらゆることをやってのける。
メグは何でもされる。肉体的な苦痛から精神的な苦痛まで、何でも揃っている。
巧妙なのは、このメグというのが優秀設定のキャラクターであることだ。
運動神経は抜群で頭がよく、そのうえ美少女ときている。いわゆる利発キャラ。例えば、虐待が始まってすぐの段階で地元の警察に相談に行っている。普通の子どもはこういう行動を取ることはできないだろう。
実際、一度はルースの家から脱出に成功しかけるのだが、障害持ちのスーザンを気に掛けるあまり失敗してしまう。
ルースやその子ども達からの虐待はさらに苛烈になるが、デイヴィッドはただ観ているだけだ。傍から虐待されるのを眺めるばかりで何もできない。親に相談しようとするも、恐ろしくてできない…
この小説を読んでいる間に心が相当削られた。品性下劣という感想を抱きながらも、最後まで読まないといけない気分になっていた。悔しいが作者の勝利だ。
今回の記事を書くにあたり、隣の家の少女について調べたところ、ネットフリックスに映画があるらしい。今度見てみることにする。
作者である上原善広の父を主人公に据えたノンフィクション小説。ということになっている。物語というよりは、作者が精神的に不健康な例だ。
あらすじとしては、牛の解体場で働く上原龍造が、自らの腕だけを頼りに食肉業界の経営者として成り上がっていくというもの。
昭和の時代の話なので、解放同盟や共産党や右翼にヤクザが出てくる。彼らと渡り合いながら、少年だった龍造は成長を遂げてゆく。
問題なのは、ノンフィクションと謳っておきながら創作であることだ。
作中では、実際に存在した人物の名前や経歴が書き換えられている(ex 作者の父の名前は龍造ではない)のみならず、解放同盟支部の結成年や支部名その他、多くの事実に誤りがある。
作者と新潮社は解放同盟から怒られた。出版元である新潮社はHPで謝罪文を出している。作者である上原氏もnoteで反省文を書いているが、はっきりいって反省していない。
巻末のところで実父に関連して、自分の来歴や、元嫁や兄について語っているのだが、なんというかもう、ツッコミどころが満載なのだ。本編を読む前にこれを読んでいたら、一生読むことはなかったと思う。
書き殴り。
東大とは言え文学部卒なのでイキることは出来ないが、あそこにいる時から、「この国にはノブレス・オブリージュが存在しないのだな」と思っていた。
リーダーシップ教育もままならず(GLPという希望者のみのクラスは存在したが)、世界的に見れば最高学府の者が持つべきであろう「弱きを助ける」姿勢が全くない。
これは恐らく海外の有名大学とは入試形態が異なり、実情はともかく、家柄や裕福さと学歴とが(少なくとも本人たちの中では)分かりやすく繋がらないからなのだろうと思う。もちろん喜捨の宗教観のこともあるが。
むしろ「青春時代、ろくな恋愛も出来ず勉強させられてた俺」「東大に来たのに非モテ」みたいな弱者根性を感じる時すらある。
やれと言われた勉強以外一切やらずに無知無教養なまま大学を卒業した。
で、最近あまりに無知無教養だと人間との会話が成立しないことに気付き、本とか読みだした。
それで思ったんだが、人文系の学者が書く本、めちゃくちゃ親切じゃん。サイエンスライターはともかく理系の学者が書く本は死ぬほど不親切なのに。
でも、親切で分かりやすいものは、分かりやすいように情報が切り取られ体系立てられた恣意的なものだ。
そりゃあまあするする頭に入ってくるが、それお前どうなのみたいな主張が多すぎる。
そもそも、結論があり論理があるというか、真実の究明よりも持論の証明を目的に喋ってると言うか、へー、それが学問なんだ、みたいな。
正しいものが正しいんじゃなくて、偉い先生が言うそれっぽいことが支持されてる状態に死ぬほど驚いた。
いや法学とか工学とか実学系はあれだが、理学部と文学部ぐらいは真理の究明を目指してくれたっていいのに。
っていうか、工学部が兵器作るのは一発アウトなのに、文学部が左翼とズブズブなのは良いんだ。
人文系のアカデミックな世界、全スルーで生きてきたので、適当に足を突っ込んでみてあまりのあれさにおののいている。
そんなもんなの?
私には血の繋がった弟が二人いるが、こちらとも絶縁している。
親の仕打ちを少しだけ具体的に書くと
●教育格差
私に対し親は「公立の学校以外駄目」と言い、指定した高校・大学を受験させられた。
当然浪人も不可。しかも「文学部は食えないからダメ」と学部も指定。
その弟は付属の大学に進学したが『遠いから』という理由で仮面浪人。
さらに大学院に進学(文系の私立の)し、すべて親がお金を出す。
私だけ親に暴力を振るわれていた。
弟が窃盗事件を起こした時でさえ親は「駄目だからね」と口頭注意のみで終了。
「なぜ私だけ殴るの?」と聞くと親は
「弟を殴ると倍になって返ってくるから怖い。女のあんたは二人がかりで殴れば言うこと聞くし」
とのこと
●私には「耐えろ」、弟には「可哀相」
小学生の時ブラスバンドに入ったけど、担当の教師はいわゆるスパルタ。
また小突いたり罵ったりとパワハラオンパレードでやめる子が続出。
私も「やめたい」と親に言ったけど、親は「やめたら家に入れない」と私を叱り飛ばした。
(ちなみにその担当教師は他の親の訴えで担当を降ろされ、のちに処分も受けています)
一方、弟はサッカー部に入り、高いスパイクやウエアを購入したけど二か月で退部。
親は「運動部は可哀相だな」とあっさり退部届に判を押した。
●都合が悪くなると「あなたは女の子。弟は男の子だから仕方ない」という
その反面、私が部活などで帰りが遅くなっても迎えに来てくれることはなかった。
急に雨に降られて私が「駅まで迎えに来て」と電話した時
親は「知らない。ずぶぬれで帰ってこい」と冷たく言うだけ。
なのに弟のことは毎日迎えに行っていた。
私が断ると「かわいい弟ちゃんが誰かに襲われたら困る。弟ちゃんが雨に濡れたら可哀相でしょ」とのたまった。
「私が襲われてもいいのか」と聞くと「あんたは自分でなんとかしな。ブタみたいだから大丈夫、襲う人いない」と笑った。
まだありますが、このくらいで分かっていただけると嬉しいです。
こんなことがあり、社会人になってから絶縁し、一切会っていませんでした。
絶縁する際、私の親は「あんたなんてもう娘じゃない」と言ったので、こちらも安心して(?)絶縁していました。
上気のことを伝え「絶縁してるから会わない」と言ったら
「もう許してやれ」と返ってきました。
許すなんてとんでもない。
暴力を受けて転んでしまったことがあり、そこがケロイドになって残っています。
「許す」なんて考えられない。
命を絶とうと思った時踏みとどまったのは
「あんな親のことをいつか見返してやる」「いつか(合法的な方法で)仕返ししてやる」と思ったから。
今でも心の中で
「ほら、あんたたちにブタと罵られて私はこんなにちゃんとした大人になった。納税も勤労もしてる」
とほくそ笑んでいる。
「いのちの電話」やお坊さんや各種の相談員に悩みを打ち明けたこともある。
親身になって相談に乗ってくれているのは分かるし、そう答えるのがセオリーなんだろうけど
私は彼らの回答を飲み込めない。
伴侶の親もいい人で、私は彼らを本当の親だと思っている。
でも、それはそれ、これはこれ。
多分、親を怨む気持ちがなくなったらあっさり命を手放すと思う。
親を怨む気持ちが、私の生きるパワーになっている。
今願うのは一刻も早く親が死んでくれること。
弟とも話したくない。
あんな人たちと血が繋がっていることが嫌なので、一刻も早くこの世から消えて欲しい。
こうして文字に起こしたらかなりすっきりした。