はてなキーワード: 宗教団体とは
俺の誕生日は1995年の3月20日。地下鉄サリン事件の日だ。
実家は上九一色村に隣接する市町村にある(今は平成の大合併で同じ市町村になってしまった)。
そういう生い立ちがあるので中学生くらいの頃からオウム真理教について興味があって、オウムについてよく調べていた。
俺の世代は、上九一色村の隣だからって特別オウムに詳しい人なんて居なかった。オウムについて調べていたのなんて俺くらいだ。別に信仰に興味があるわけではない。起こした事件や活動について興味があるのだ。
こう言うと不謹慎かもしれないが、オウム真理教にロマンを感じてしまう。麻原彰晃の不気味な感じとか、バイオテロ・化学テロをそこらじゅうで起こしていたこととか、宗教団体なのにパソコン屋や飲食店を経営していたこととか、隣の村に不気味な施設を建てていたこととか、薄暗くて、どことなく惹かれるところがある。ほかの人が心霊現象とか超常現象に惹かれるのと似たようなもので、俺はオウム真理教にロマンを感じる。
オウム真理教が経営してるパソコンショップがそこらじゅうにあっていつでも行けた時代。ビートたけしと麻原彰晃がテレビで対談していた時代。隣の村にサリン工場があった時代。テレビでアーナンダが水中クンバカをしていた時代。エリートが胡散臭い宗教を大真面目に信仰していた時代。あの歪んだ平成一桁を、俺はもう経験することが出来ない。1日でいいからあの時代の空気を経験してみたかった。
教会で結婚式を挙げ、子供の七五三には神社で祈祷をしてもらい、多分死んだらお寺でお経を読まれるであろう、ある意味典型的な日本人だ。
今日、とある宗教団体の若者達と話をする機会があった。彼らの身分は学生で、あと何年かすれば社会に旅立って行く子達だ。
彼らに会いに行ったのは仕事の付き合いで、正直気乗りするものではなかった。私の仕事について講義をし、簡単なディスカッションを行うといった内容だ。
仕事柄、こういった講義の依頼は大学や専門学校などから年に何度か受けているのだが、今日の講義・ディスカッションを受けた学生の質は、非常に高かった。そして私が感じた率直な思いは、「こういった形で出逢わなければうちの会社に欲しいところだ」というものだった。
彼らの団体に対する依頼を受けた事で、彼らは私をその宗教に理解のある人、つまり味方であると捉えている。私に対しては自分の信仰をさらけ出してもいいのだと信頼をしている。しかし申し訳無いが、私は別にその宗教に対する理解者では無いのだ。ただ信仰を持っている人達だという理由で避けたり差別すべきで無いという精一杯の倫理観で引き受けたにすぎない。
結果今、私はひとり思い悩んでいる。
素直で、熱意を持って私の話に耳を傾けてくれる優秀な彼らを心から信頼し、受け入れる事が出来ない自分に。
頭のすみに「得体の知れないもの」という一抹の不安が引っかかり続けている自分について。
私の会社にはクリスチャンがいる。しかし私を含め誰一人、その事で不安になるものは居ない。よく行くカレー屋のインド人(ネパール人かも知れない)はヒンズー教人かも知れないが、だからどうしたといった感じだ。優秀なプログラマであればヒンズー教人のインド人を雇う事に躊躇はしないだろうし、親戚の婆ちゃんが頻繁にお寺にお参りに行く事を微笑ましくさえ感じている。
しかしこれが新興宗教となると気持ちが一変する。私の中の警告アラームが鳴り出し、倫理観で抑えようにも抑えきれずにいる。そしてこれは私だけの感覚で無いと確信さえしている。
仮に今日会った彼らの事を社員に説明し、将来彼らを雇うと言ったら反対する者が一定数いるだろう。反対を押し切って入社させれば、「退職します」と言いだす者も出てくるかもしれない。
この差は何なのだ。なぜ受け入れられる信仰と、受け入れられない信仰が、無宗教である私の中に既に形成されているのだろうか。
そんな事を考え続けいるのだが一向に答えが出ない。
なんだろう、胸が色々と痛くなってる。自分の中にこんな感情が存在するのか。yahoo!のトップに踊り狂う、幸福と科学の文字。新興宗教=危険な敵というストーリーは、とってもわかりやすくて、スマホを覗き込むバラバラな「個人」となった僕たちに、そいういや日本人という集団の一員だった!とアイデンティティを再認識させてくれる。気持ちいいよね。
俺の父も、今回の清水さんとほとんど一緒。20年くらい前に”幸福”を求めて出家したんです。今回の騒動で「出家」なんて言葉使うんだと驚いてるんだけど、普通の企業をやめて宗教団体の職員になった父。出家、というのを”瀬戸内寂聴”と、お笑い芸人さんが笑いに変えていたみたいだけど、実際は坊さん的な状態になるわけでは無いと思われる。髪の毛もそのままでいいだろうし、食事制限もなさそうだ。お寺というより、彼らの趣味は教会に近い。建物は大体、古代ローマ神殿みたいな感じ。父がお祈り用の仏壇みたいなのを部屋に持ち込んだ時期があったけど、ドラクエばっかりやってた俺は「これはもしや…ダーマ神殿ッ!?」と思ったものだ。
父はずっと家にいなかったから、俺と家族は宗教への接点はほどんどなかった。そんな俺が「幸福の科学」のコミュニティに具体的に触れたことがあるのは、人生で3回。
【コラム】すごい昔「幸福の科学」の東京ドーム集会に潜入した時の話
http://rocketnews24.com/2017/02/13/862050/
これだよ、まさにこれ。リンク先見た途端、記憶のドアが開いた。23年前だから、当時10歳足らずの俺を、まだ宗教のことをよくわかってない母親がビクビクして連れて行った。姉は物心つく年齢だから置いてかれたんだと思う。この記事のように15歳くらいで見に行ったら、裏読みで楽しめたかもなんだけど、俺の脳が危険を察知したのか具体的な内容は覚えていない。(ただ竜に乗ったシーンは、リンク先を見ることで蘇った。脳すごい。)ただ、イベントが始まるとき、彼らにおける「お経」みたいなのをみんなで読むシーンだけ、今でも覚えている。周りは自分より背の大きな大人たちで暗いブルーな照明。黒山の人だかりが一斉に立ち上がり、全く前が見えなかった。子供ながらに感じたのは、大人たちの高揚感と空気。内容は違うにせよ、大人になって同じ場所でミスチルのコンサートを見たときと、感じ取る空気感は変わらない。彼らにとってはハレの日であり、インディーズバンドがメジャーデビューするような、お祭りだったんだね。
これも小学生の時。父親の仕事を見る、的な学校の課題があったのか?母と見に行ったら、ダーマ神殿内部の集会場みたいな場所で、老人相手に説法を説いている父がいた。イメージは葬式後に坊さんが喋る、ありがたい系の話だったような記憶がある。職員はそこの運営をやったり、教えを説いているっぽい。今回の清水さんは広告塔しての貢献度が高いから、映画出演や広報や選挙戦出馬とかさせられるんだろう。ただ出家して職員になったら、教えを広めるのが基本の仕事だろうから、まあ似たようなイメージなのかと推測する。
これは大人になってから、なので7年くらい前かなあ。父親から話がある、と、おそらく人生一度きりになるだろう召集がかかった。どっかの山奥。この施設に永代供養できる場所があり入りたい。お前の了承が欲しい、と。俺とか母は嫌なら自分で別の墓を選んでもいい、みたいな確認をして、かくかくしかじか。結局了承したんです。ずっと避けていた父の決意というか意思の固さやピュアさを前にして、何も言えなかった。というか、あれ?自分に彼を否定できる根拠ってあったっけ?とも感じました。他者への想像力の無さも、自身の信念があまりに脆いことも体感した。あの時は、あまりに無力だったなあ。んで、ずっとその場所っておじさんの声で呪文がテープで流れてるんですよ。なんかこりゃ聴いたことあるなあ?って思ったら、あ!16年前の①のライブのセットリスト1曲目のやつ!
散々コスられてきているように、俺もネタっぽく書いたように、”普通”とか”世間”と比較して見ると、みんなで嘲笑できるトンデモな面白い対象なんです。
③の施設を見学したんだけど、彼らにはコミュニティがあって(地方の経営難のゴルフ場なんかを買い取って作ってるから相当疎外された感はある)そこに怪しい金ピカのモニュメントとか作って、学校なんかも作っている。隔離されて、オリジナルの歌とか教科書とかを元に教育を受けるのだろう。子供はそれが当たり前だと思うんだから、洗脳されちゃうよね。歴史の教科書とかは興味本位で見てみたい。勝手に乗り移って本出せちゃうくらいなんだから、アパホテルなんて比じゃないクオリティなんだろう(と予想される。ちゃんとした内容だったらすみません)。
出家して職員になった父を憎んでいたけど、尊敬していることもある。自分が信じている絶対の世界を全く家族に押し付けて来なかったこと。これは問題になっている清水さんの両親と圧倒的に違う差だと思う。本来は自分の課題や状況に合わせて、必要だから門を叩く存在であるのが宗教だと思うんだけど。生まれた時から両親から信じ込ませられてしまったら敵わないでしょう。まあ信者の人からしたら、身近な子供に自然と教育してしまうんだろうし、そうやって宗教って続いてきた歴史もあるんだろうけけどさ。”必要とされている人”のところに、クリーンに行き届けばいいのになあ。
時は流れ、俺は結婚して子供が生まれた。寝息を立てる愛しい我が子を左横に見ながら、ベッドの上で増田に投稿する文章をぽちぽち考えている。iPhoneをスクロールしていくと、件のニュースに紐づいた感情的なヤフーのコメントたちが姿を表す。”普通”の感覚からしたら、よくわかる。だけど自分が生きている世界が、価値観が、本当に正しいと”信じ込んでいる”という側面では、どっちも50歩100歩じゃないなのでは?とも思ってしまう。信じる人にかける言葉も、感情的なコメント欄の彼らにかける言葉も、想像してもあまりにも答えがなくて、難しくて。どちらも真剣で、本当は笑っちゃいけない気がするんですよ。
そして自分の子供が物心ついた時にどんな言葉をかけられるのだろう。誰かを嘲笑するのをためらう想像力と、自分が信じるに値する経験を積んで欲しい。それってどう教育すりゃいいのだ?難しくね?
答えが出ずに途方にくれる、新米父さんの自分語りにお付き合いいただき、誠にありがとうございました。
つ「日本国憲法」
第二十条
信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
何が「特権」なのかはよくわかんないけど、公有地をタダで借りた町内会が私費で祠や鳥居を建設すると神道に特権を与えたことになるらしいから(砂川政教分離訴訟)、公費で「ムスリムによって聖句を唱えながら屠殺された肉をムスリム専用の調理器具を用意して調理して公立学校の給食に出す」ってのはイスラームに特権を与えたことになるんじゃない?
「なにそれ?」
「我もよくは知らないが、一昔前にとある宗教団体がサソリをばらまくっていう事件があったらしい」
「なんでそんなことを?」
「まあ、そんなところだろう。当時の批評家は開放を求めていたと分析しているらしいが」
「開放?」
「終わらない日常の破壊だの、見えない未来への道しるべだの……我も自力で調べてみたことがあるんだが、頭が痛くなるだけだ」
本当は説明しようと思えばできたのかもしれないが、既にこの時点でシロクロは話を聞くフリすらやめており、ウサクは興が削がれつつあった。
「まあ、その批評家によると年代ごとに漠然とした不安があって、そういった不安に応える側面が宗教にはあるんだとよ」
「恐らくはそうなんだろう。だが、それは今のところ読み取れない。目的がみえないから、余計に胡散臭いと感じるんだろう」
その時、ピピピッと音が近くから聞こえて、一同は慄いた。
妙な緊張感が漂う。
が、ウサクの持っていたスマホの着信音だったことにすぐに気づき、弟たちからため息が漏れた。
ウサクは電話に出ると取り留めのない会話を始め、数十秒ほどすると電話を切った。
どうやら今この場所が“アレ”だから、友人との待ち合わせ場所を変更する、という話をしていたらしい。
「じゃあ、我はこれで失礼する」
「ね、ねえ。結局あの『生活教』は、何かヤバいことを起こしたりするの?」
「さあな。俺はただ過去の事例を話しただけだ。何も起こらないかもしれない。起こったところで大したことがない、我らには関係のないことかもしれない」
弟たちの「生活教」に対するモヤモヤは言語化できないままでありながら、ウサクとの会話でより疑念が強まる一方であった。
既に弟たちの中で「生活教」は、何かとんでもないことをしでかす前提になっていたのだ。
「ウサクの兄ちゃんは、サソリばらまき事件があったっていってたけど、『生活教』の奴らは何をばらまくつもりなんだろう」
「私、気づいたんだけど、野菜、野菜よ。さっき野菜の話をあいつらしてた」
荒唐無稽な会話だったが、弟たちの頭脳であるミミセンまでも思考を巡らせていた。
「なるほど……ほら、いま野菜って値上がりしてるじゃないか。もし、それをばら撒いて市場の野菜を減らしたら……」
「そうか! 野菜は更に値上がりする!」
奇妙な話だったが、その時のミミセンの考察にマスダたちは悪魔的発想だと慄いた。
普段、冷静に物事を考える彼までが追従してしまうと、もはや論理も常識も仲間たちにはなくなるのだ。
「でも、野菜を値上がりさせてどうする?」
「私、テレビで見たんだけど、動物園の野菜消費量ってすごいらしいの。もし、野菜が減ることで人間に行き渡らなくなったら……」
「つまり、あの『生活教』の真の目的は、理性の人間と、野生の動物の選別。いや、人間以外の生態系の選別なんだ!」
たどり着いた結論に、一同は自ら驚きを隠せなかった。
そして、そのような結論を導き出した以上、彼らが次にやることも決まっていた。
みんなの思いはほぼ同じだったが、その口火を切ったのはリーダー的存在である弟であった。
ゾーニングできてるじゃん。被害者なき犯罪。逮捕劇がなけりゃ誰も迷惑しない。
根本的にワイナリーや、クラフトビールのブルワリーで地域おこしするのと何が違うというのか。
追記:「村の人に迷惑かけたじゃないか!」というブコメを複数いただきました。
それは現在、大麻の所持・栽培・売買が違法であり、逮捕劇によって騒動をもたらしたからですよね?
大麻使用による迷惑ではなく、大麻取り締まりの"逮捕による迷惑"です。
離島民が迷惑してます。誰も住んでないと思ってんの? 石垣島には5万人近く住んでんの!! 一度は追い出されたんだけどねー。いつの間にか戻って来てた。 - b.hatena.ne.jp/entry/310297382/comment/shimasoba
そこに元々住んでた人やその子孫。当たり前だろ - b.hatena.ne.jp/entry/310297382/comment/mouseion
イメージの問題。観光で食ってる。 - b.hatena.ne.jp/entry/310297382/comment/pzp
高樹沙耶が移住したことで、石垣島在住の約5万人にどのような迷惑をかけましたか?
大麻吸引による被害と、大麻取締法違反による騒動への言及が混ざってませんか?
あなたの隣の住人が大麻吸ってたら嫌でしょ。 - b.hatena.ne.jp/entry/310297382/comment/jhflh
嫌いな人たちなら犯罪者として取り締まってもなんとも思わない、という発想ですね。
来年からアメリカでデバッグ始めるから。テストが終わってから段階的に導入しよう。 - b.hatena.ne.jp/entry/310297382/comment/yamadadadada2
テストはアムステルダム、クリスチャニア、ニンビンで実証済み。すでに10年以上の歴史があります。
日本の法律では外国で吸おうが違法行為で帰国した瞬間に捕まるから真似しちゃ駄目だぞ - b.hatena.ne.jp/entry/310297382/comment/Fushihara
なるほど、ブコメで「海外でやれ」「そういう国へ行け」って言ってる人たちは違法行為を教唆してるわけですね。恐ろしい恐ろしい
おまわりさんこちらです。いつもお世話になっています。ええ、またはてなブログなんです。すみませんいつもいつも、、、 - b.hatena.ne.jp/entry/310297382/comment/is0ladelcane
増田って、「名前を隠して楽しく日記」であって、匿名掲示板ではないのに、なんでこんなことを書いてしまうのか(´・ω・`) - b.hatena.ne.jp/entry/310297382/comment/gui1
この増田の文章はどの法に触れましたか?大麻取締法に疑問を持つことは犯罪でしょうか?民主主義、言論・表現の自由への弾圧ですね。
増田でルサンチマンを燻らせていないで法改正へのロビイングから始めるのが筋。 - b.hatena.ne.jp/entry/310297382/comment/dot
増田でコソコソ法改正へのロビイングしてる、って解釈をする人がいるかもしれないし、いないかもしれない。
「人に迷惑をかけなければ何をやっても良い」なんてしょうもない考えすよ - b.hatena.ne.jp/entry/310297382/comment/yy00610106
ジョン・スチュアート・ミル、ディスってるの…?
法律っていうのがあってだな。 - b.hatena.ne.jp/entry/310297382/comment/nine009
日本は法治国家であると同時に、法改正、憲法改正もできる民主主義国家であります。法改正を訴えることに何の問題が?
法律を破ってもいい、何をしてもいい、とは一言もどこにも書いてないのですが。
「無法地帯」って言葉知ってる? - b.hatena.ne.jp/entry/310297382/comment/kuro_pp
法律を一切無くせ、とはどこにも書いてません。「非犯罪化して、規制して、課税すべし。」と書きました。新しい法律を作れという意味です。
その大麻コミュニティが発展して、サティアンみたいなアジトになったらどうするのよ? - b.hatena.ne.jp/entry/310297382/comment/aoven
間違った類推です。オウム真理教はサリンを製造し、テロ事件という加害行為を起こしました。被害者が明確に存在してます。宗教団体やってて、田舎に集団で移り住んだから悪いのだ、ってわけではないです。実際に今も田舎で生活してる宗教団体はありますし、法律上は何の問題もありません。
「大麻 害」で検索したら普通にこういうの出て来て害だらけと感じた - b.hatena.ne.jp/entry/310297382/comment/zz_sexy
そのアンチ薬物を掲げてるサイトは英語版ウィキペディアによると、アメリカの新興宗教団体サイエントロジー関連っぽいですが。
Foundation for a Drug-Free World - Wikipedia
大麻は暴力団の資金源だから規制するわけで、 - b.hatena.ne.jp/entry/310297382/comment/u06nh
暴力団の資金源にならないようにするため、海外の一部の国では合法化しています。逆ですね。禁酒法時代、酒を禁止したために反社会的勢力(アル・カポネが有名)の資金源になりました。
議論すれば少数派に勝ち目はない。 - b.hatena.ne.jp/entry/310297382/comment/kunitaka
それは議論ではなく、多数決だからですね。LGBT、障がい者、オタク、少数民族、自らの意見や権利を主張し、社会に浸透させている人たちが日本にもいます。民主主義、人権問題は多数決ではないのです。
グローバルに考えよう。ゾーニングとして合法な国に行けば誰も迷惑しないと思うよ。 - b.hatena.ne.jp/entry/310297382/comment/ybc
違法なものが一部では合法という状態が法治主義に与える影響がでかすぎる。 - b.hatena.ne.jp/entry/310297382/comment/son_toku
このグローバル・ゾーニング理論とあわせて考えるなら「日本で違法なものが、海外の一部では合法」ってことの意味や影響も考えたいですね。
すでに日本には海外旅行や留学中に大麻を経験した人がいて、合法の国や地域から大麻を吸ったことのある外国人がたくさん来日してるわけですから。
二度と一生そこから出てこないのならばいいのではないだろうか - http://b.hatena.ne.jp/entry/310297382/comment/sharia
二度と出てこないと保証できるならいいよ。 ゾーニングってそういうことでしよ? - b.hatena.ne.jp/entry/310297382/comment/momopopohate
ポール・マッカートニーやレディー・ガガの来日公演が見たい!
ブラッド・ピットやジョニー・デップと握手したい!東京オリンピック!
大麻が合法のアメリカ・ワシントン州の嗜好大麻ショップで、日本人がジョイント1本とバッズ1gを購入したときの映像https://t.co/lDU0Xh6WLV— SHIVA (@francisco_bot) July 11, 2016
これが通るほど薬物問題は簡単じゃないというか、国が何個も滅ぶような歴史的経緯があるからな…。b.hatena.ne.jp/entry/310297382/comment/TakamoriTarou
麻薬によって国が崩壊した清の話とか知らないのかな? - b.hatena.ne.jp/entry/310297382/comment/kenjou
医療用の大麻も含め、個人の使用で逮捕されない国や地域は現在もあるわけなんだけど、滅んでないよね?
今は大麻の話してるんだけど、もしかするとアヘン戦争と勘違いしてるのかな?
全然無宗教なんだけど、ここのところ「仏教入門」みたいなのをいくつか読んでいる。
昔話とか「昔の人も生きるの大変だったのね〜」的なノリでとても興味深いし、
たぶんお釈迦様って「あの人いっつも良いこと言うよね!」的な人だったのかなあーとか想像するのも楽しい。
(ちなみに、お釈迦様自体は静かに悟りを開いて手の届く範囲で教えを説いた人で、死後に弟子たちが教えを編纂することで、れっきとした「宗教」になった。らしい)
『日本では、幕末・明治維新以後から近年にかけて創始された比較的新しい宗教のことをいう。』
らしい(Wikipediaより)。
で、そういうのって、得てしてものすごくうさんくさい(完全に主観だけど)。
いや、古い仏教もうさんくさいこと言ってる部分はあるし、キリスト教やイスラム教みたいな世界宗教もかなり怪しいところはある。
けど世界宗教の怪しいところって、時間を経るごとに権力者が良いように解釈した結果ついてきた怪しさだったり、
時代の流れ的にしょうがないよね的な不合理性だったりすることが大半なので(な気がするので)、
教えの本質だけみてみると、「はえー良いこと言う」くらいの気持ちでは理解・納得できる気がするんだ。
じゃあ、新興宗教の「うさんくささ」の正体ってなんだろうか。
暇なのでいくつかその理由を考えてみる。
もちろん信教の自由はあると思ってるので、別にその新興宗教を信じてる人をどうこう言うつもりはないけど
自分自身の中で何が「怪しさ」だと思ってるのか言語化してみたい。
Wikipediaなんかでそれぞれの新興宗教のページをみると、難しくて全然頭に入ってこない。
固有名詞が多いのと、概念的な話が多いのと、仏教系だと漢字が多いからかなあ。
だから、共感するとか云々の前に、そもそも理解できない。わからないものは「怪しい」と思う。という論理かな?
ただ、聖書とかも自分で読むとかなり意味不明というか回りくどい言い方多いし、「で?」みたいな逸話が多いし
経典なんかもすげーわかりにくいから、「誰でもわかる!xxx教のおしえ」みたいなのがあるといいのかしら。
デートとかしてて会話が途切れた時、「あ、あの建物変わってる!面白いね!」とか言った後調べて
なんとか教本部 とかだとなんとも言えない気分になりませんか。
考えられるのは、
・目立たせることで文字通り目を引いて、その宗教に興味を持ってもらいたいから
・でかかったり変わってたりすると、その宗教が流行ってる・勢いがあると思わせられそうだから
・お金持ちはアートが好きだから(宗教団体がやってる美術館とかあるし)
...あたりでしょうか。
なんか他に理由思いつく人、ご存知の人いらしたら教えてください。
仏教でもお坊さんが政治に介入してきた時代は途端にうさんくさくなったし。
ちなみにお釈迦様のもともとの教えでは、
お坊さんは働きもせず、他人からの施しで生計を立てているくらいなんだから、政治に介入とかしちゃダメ!って考え方だから
その意味で、お坊さんの政治介入はもともとの仏教的には「間違ってる」。はず。
新興宗教にしたって、そういう過去の経緯を経て(お坊さんは働かずにお布施で生活する等)税制とかいろいろ優遇されてる存在なのに、
さらに政治にまで介入してくると、なんか図々しいなと思ってしまうのかな?
あとその宗教が「この人に投票せよ」みたいな統制ができちゃうから、トンデモな政治家が当選する可能性もある。
あーでもこれは、候補者が演説したり後援会がいたりすることとどう違うんだろう?
xxx教の人だから無批判に応援しよう、ってなってるから違和感があるのかも。
その宗教に加入せよ も然り、私はxxx教です!も然り、それに興味のない相手に空気読まずにバシバシアピールしてくる感じが苦手なのかも。
ただ、宗教と布教活動は大昔からセットだったし、何を信じるのも自由だから別にいいはずなんだけどなあ...。
あれかな、アプローチしてくるのはいいとして、「やたら」ってとこがダメなのかも。
胡散臭いというか、興味のない相手に対して「しつこい」「鬱陶しい」って感じかな。
これは世界宗教にも一部言えることだけど、
「こういう考え方をすると、心に拠り所ができて、何もないときより精神的に安定するよ」はわかるけど
「これを信じないと不幸が起きるだろう」
「これを信じて実践する者のみが幸福になる」とかになると胡散臭さはぐっとアップするよね。
「霊波が」「オーラが」とか、「波動」「飛行」とか言い出すとまじでやばい。
ちなみにお釈迦様の肩ばかり持つわけじゃないけど、お釈迦様の教え的には
「絶対的な超越者などいない」「常に合理的であれ」って感じだから、かなり地に足がついててほーと思った。
政治介入についてもそうだけど、信仰すること=無欲であること、だと思うからなのか
宗教活動をするのに必要な以上の献金を迫るというのに違和感がある。
というかそもそも、「施し」ってそれに価値を見出した人が自発的にするもののはずなので、
月謝とかノルマとかみたいにお金を出せってのはおかしな話だよね。
ただ、今これを書きながら「信仰すること=無欲であること」という前提に偏りがあるのでは?とも思った。
で、信徒個人であれば、その宗教を信仰しつつバリバリお金稼ぐぞ!ってマインドの人がいても全然普通だけど、
「宗教」それ自体が分不相応なお金や権力を求めて身につけちゃうっていうのが危険だし間違ってるのかな
なお、檀家制度とか云々で分不相応にお金を持ってるお寺がある現状についても、同様の違和感を抱いてます。
*****
だいたいこんな感じかなあ。
自分の中でのモヤモヤはだいぶ整理できた気がするんですが、あまり頭が良い方ではないので
というか、そもそも別に議論することでもないし、着地「勝手にすれば」って話なんですが
もしなんかあったら教えてもらえると嬉しいです。
http://www.sankei.com/west/news/161121/wst1611210031-n1.html
神戸市など西日本の4市の市役所に「爆弾を仕掛けた」とするメールが相次いで届き、各市が21日、発表した。神戸市は兵庫県警に連絡し、庁舎内を点検したが、不審物は見つかっていない。
(中略)
他の3市に対する予告メールも同様の内容で、いずれも不審物は発見されていない。徳島市によると、送り主の情報には東京都港区に事務所を持つ弁護士の名前や電話番号などが記されていた。
ネットに入り浸っているダメなはてなーの皆さんは「ああまたこの手のしょうもないいたずらか」と思ってしまうんでしょうけど、万が一にも実際の被害があったら、と思うときちんと備えるべきでもあると思っているので、現場の皆さんに半ば無駄な行動をさせることになるのをどうにかならないものかと毎度のことながら詮無いことだと思いつつ同情してしまいます。
タイトルには「破防法指定団体にしてしまえ」と書いてしまいましたけどさすがに恒心教なる宗教団体があるわけではないというのは自分も重々承知しているわけで、この名前を使って悪さをする連中をどうにかしたいと思いつつもそいつらに粘着的に付きまとわれるのもイヤなので増田で書いた次第。あーほんと何とかならんかね。
最近、公共の場における(いわゆる)萌え絵についての議論が盛んだ。
風潮として議論がもりあがってる背景は主に三つあると思う。
一、日本でも一般レベルでフェミニズムが意識されるようなり、ああいうのものが「女性に対する抑圧」であると認知されるようになったため。
二、特に twitter でマイノリティの声(とそれに対するバックラッシュ)が広まりやすくなったため。
欧米なんかではそもそも歴史を通じて公共の場に性的なイメージがあまり氾濫してこなかった。
なぜかといえば、キリスト教は性愛やセクシャルなものに対してとても潔癖な宗教で、そういうものを基盤に文化を作ってきた人たちはそもそも「えっちな絵を描いてそれを世間に出しちゃいけないんだ」と自制が働いていた。フリーセックスの時代を経てさえそうだった。エロ絵文化がないではなかったが、それはあくまで秘すべきものだった。
だから、ラリー・フリントというおじさんが高級誌気取ってる『プレイボーイ』につばはいてお下劣なエロ雑誌を創刊したときは大変な大問題になって、「表現の自由」論争が沸き起こった。
そこへきて日本は他力本願の宗教の国だから、エロを抑えるのはお坊さんに任せていればいい。
嫌悪するにしろ称揚するにしろ、庶民はエロに対する政治的な定見など持ってない。
西洋のエロ絵に対する嫌悪には良くも悪くも宗教的な裏打ちがある。だから保守勢力(マジョリティ)を説得しやすいし、そのためにエロ絵擁護派はカウンターカルチャー側に位置していきた。
日本人にはエロ絵の感情に対する何のバックボーンもない。ただ、「その人がえっちなのを嫌悪している」か「その人がえっちなのを好き」か、それだけだ。完全に感覚。だから、互いに互いを説得しにくい。嫌悪側はフェミニズムの議論を援用して、擁護側は70年代的なフラットな表現の自由を標榜して、それぞれぶつかりあうが、そのどちらも西洋からの輸入品で、結局は自分の感性へのお仕着せでしかない。
宗教は無根拠であるけれど、それ自体がなぜか強力な根拠となりうる不思議な道具だ。
こういう方面の文化は、結局ロジックよりそうした宗教的文化の気分の勝負になるんだと思う。
日本はなんとなくのアニミズム=自然っていいよね=セックスって自然だよね=セックスで溢れてて何が悪い? という土壌が保存される。
事実これまではそうなってきた。
裏を返せば、ここに至るまで揺り戻そうとする力があまり働かなかった。
実は文化の隆盛を決定づける大きな要因は政府と法だ。法で規制されると文化は意外にもろい。
政教分離を謳われながら、キリスト教の団体は古くから西洋国家の主要なロビイング団体であったわけで、政府としてはそういう人たちの意をくまねばいけなかった。ただしい清い方向にふらないといけなかった。
もちろん日本にも宗教団体を背景とする政治団体やロビイ団体がいくつか存在するけど、それらはあまり庶民の性規範にあまり興味を持たない。
日本の不幸(あるいは幸福)は、その性的放縦を増幅させるだけの表象文化レベルの高さを持ってしまったことになる。
この世をエロ絵でうめつくす土壌と技術を兼ね備えた国は歴史上、まだ日本以外に登場していない。
これから日本の規範や法がどういう方向へ動くのかはまだわからないけれど、あと四五年は肌感覚でdisったり擁護したりみたいな実のない喧嘩が続くんだと思う。実のない喧嘩自体は悪いことじゃない。そうやって問題が認知され、議論の場が醸成されていくのだから。