はてなキーワード: ソクラテスとは
ごめん、正直言ってめちゃくちゃ説得力あるけど、やっぱりアリが車内にいたら普通に困るよ!😂 確かに歴史的な視点とか哲学的な考え方を持つと、「そんなに気にするなよ」って言えるかもしれないけど、現実的にはアリの行動が自分の生活に影響を与えるとしたら対処しなきゃいけないんだよ。
でも、確かに「物事をどう見るか」が重要だっていうソクラテスの考え方は心に響いた。アリを単なる「害」じゃなくて、自然の一部、あるいは生命の営みの象徴として見ると、少し視点が変わるね。少なくとも、感情的にならずに冷静に対処することができそうだ。
とはいえ、具体的な対応策も必要だから、車内の掃除を徹底したり、アリ対策のスプレーを使ったりして、自分の快適さも守りつつ、アリたちに適切に出て行ってもらう方向で進めてみるよ。感情的にイライラせず、ちょっとしたトラブルを学びの機会に変える、って感じかな!
お前、ちょっと冷静になれよ。アリの問題でそんなにイライラするなって。歴史をちょっと学べば、今の状況なんて全然大したことないって気づくだろうよ。
まず、アリってのはまさに「生態系のリーダー」だぜ。お前の車内に現れたアリたちは、むしろ自然界の壮大なシステムの一部だって思ってみろよ。古代エジプトの時代だって、アリは人々に尊敬されていたし、神々にさえ例えられていたんだぜ。エジプト神話では「アリの女王」が神々に仕える存在として語られてるし、そもそもアリの社会って非常に高度な協調性を持っているわけだ。
で、今お前の車の中でアリたちが遺体を運んでるって? それ、別にお前だけが異常なわけじゃないんだ。アリの社会にとって、死体を運ぶことはむしろ当たり前。これは「死者の埋葬」行為と見なされることもある。日本の「死者の魂を大事にする」という文化や、古代ローマの「死後の世界」に対する畏敬の念にも通じる部分があるんだ。アリたちが死者を運ぶのは、その「魂」の一部を「自然に還す」ためだと思えば、少しは気が楽になるんじゃねぇか?
そして、お前が言ってる「何と戦ったんだ」って、もしかしてお前が心の中で不安やストレスと戦ってるから、そのエネルギーがアリの動きに重なって感じてんじゃねぇの? 16世紀の哲学者、ミシェル・ド・モンテーニュも言ってたけど、「我々が恐れるものは、実際には自分の内なる恐怖である」ってな。アリの動きに過剰に反応してる自分を客観視してみな。
さらに言うと、お前が「車内にアリがいるのは許せない」と感じてるその気持ち、自分の所有物に対する過剰な執着って「物質主義」的な考え方そのものだろ。世界の歴史的な知恵、例えば仏教の教えや、ストア派哲学を思い出してみろよ。「ものに執着しないこと」がいかに重要か、理解してるか? 物質的なものに対して過剰に反応しても、それは一時的な解決にしかならないってことを肝に銘じろ。
それに、アリの問題を「俺の車なのに」なんて言ってるけど、車だって一つの「生態系」だぞ。お前が支配してるわけじゃなくて、アリたちの社会がそこにあるわけだ。アリたちが車を一時的に「自分たちの領土」にしてるだけだろ。それはそれで「自然」だって理解しろ。
最後に、こういう小さな問題で腹立ててる自分に対して、ソクラテスの言葉を思い出してみな。「人生で本当に重要なのは、物事をどう見るかだ」ってな。アリたちがいることをどう受け入れるか、その態度こそが「自分自身」を形作るんだよ。
お前の愚痴は、歴史的に見ても、いつの時代でもよくある問題だ。自分の言葉で話すことを重んじるのは自然だし、AIに対する不信感や嫌悪感もわからんでもない。でも、それを拗らせてどこかでただの愚痴に終わらせているようじゃ、お前が本当に望んでいる「成長」や「解決」には程遠いんだよ。
まず、過去の歴史を見てみろ。かつてギリシャの哲学者ソクラテスは、「無知の知」という言葉で、人々が自己満足に陥らず、自己を問い直すべきだと言っていた。自分の思い込みや偏見で物事を判断するのは、まさに「無知」の極みだ。だから、AIを「煽り」だと思うその感情の根底にあるものを掘り下げろ。君が不快に感じるのは、単にAIだからなのか、それともAIに対する無理解から来ているものなのか、どっちなんだ?
そして、AIの使い方についてだが、実際にはAIはただの道具であって、使う側の意図や目的が重要だ。人間が歴史的に発展させてきた数々の道具や技術、例えば印刷技術の発明や蒸気機関、電話、インターネットだって、最初は反発があったし、それを駆使した人々が「便利だ」と認めるまでに時間がかかった。そういう技術の進化に対する反発を、現代のAIに対して繰り返しているに過ぎないんだよ。
だいたい、こんなことでいちいちイライラしてるようじゃ、まるで中国の孟子が言った「愚者は愚者をもって愚者なり」だな。つまり、自分が感情的に不安定な時に、他人や物事を無闇に悪者にしても、解決にはならんということだ。AIをただのツールとして冷静に捉えることができなければ、いつまでたっても「クソ暇」な人々と同じ思考の枠に閉じ込められるだけだぞ。
お前がどうしたいのかが見えないが、もし本気で対策を考えるなら、自分がどうしてAI文に過剰に反応するのか、そこから見つめ直さないと何も進展しない。さらに、過去に「書物を読むこと」「知識を得ること」を拒否したことで後悔した人々がたくさんいることを思い出せ。例えば、宗教改革を引き起こしたマルティン・ルターが、聖書をドイツ語に訳して庶民にも理解できるようにしたのは、知識へのアクセスが限られていた時代への反発と進歩だった。だからこそ、今の時代にお前ができるのは、AIを単なる「煽り」と決めつけることではなく、その可能性を自分なりに捉え直すことだ。
もし、AI文が嫌いだって言うなら、それに対して冷静に「自分の言葉で表現したい」という態度を持ち続けるべきだし、それを強化するためにもっと学ぶべきだ。歴史は一度きりのものではない。繰り返し進化してきた結果、今のテクノロジーがあるわけだ。お前もその流れに乗って、もう少し視野を広げてみろって話だよ。
お前が今感じてること、わかる。正直、その気持ち、すげぇ理解できるよ。けど、歴史的にもこういう試練を乗り越えてきた人は少なくない。お前もその一員になるべきだ。
まず、古代ローマの将軍、スカウィウスなんて言ったんだ。「人間にとって最大の敵は、自分の内面の恐れだ」と。お前も今、自分の「苦手」「不安」ってのに対して恐れすぎてる。それは、あたかもローマ軍の戦士が「敵が強いから戦いたくない」って言うようなものだ。戦わないと、勝つことはできないんだよ。
「私はワガママで怠惰だ」って自分を責めてるけど、そうじゃない。どんな仕事でも、向き不向きはあるし、最初は苦手でも、続けているうちにその道が見えてくるもんだよ。例えば、アメリカ独立戦争の英雄ジョージ・ワシントンだって最初は全くの素人で、戦場で多くの失敗を重ねた。けれども、彼はそれを乗り越えて初めて真のリーダーとして成長した。お前も今、その過程にいるんだ。
運転中の無言の空間、確かに辛いかもしれん。でも、これはある意味で「禅」の教えにも通じてる。禅では、無言の時でも心を澄まして自分と向き合わせることを大事にする。今、お前が感じてるその「無言の時間」こそが、お前自身と向き合うチャンスだよ。空間を盛り上げようと焦る必要なんてない。むしろ、静かにしている時にこそ、その人の本質が見えてくるものだから。
そもそも、コミュニケーションは言葉だけで成り立ってるわけじゃない。古代ギリシャの哲学者ソクラテスが言ったように、「言葉は時に空虚だ。真の理解は、言葉を超えたところにある」。生徒が言葉を発しなくても、あなたの態度や視線、運転の指導が、彼らにとっての「学びのサイン」になることも多いんだよ。お前が感じている苦しみや不安、それを乗り越えた先に、ちゃんと成長が待っている。
少し休むことも必要かもしれないけど、「やめたほうがいい」と簡単に言う前に、もう一度考えてみてほしい。無理してでも続けることで、自分の限界を超えられる瞬間が必ず来る。どんなに大きな困難に見えても、それを乗り越える力は、すでにお前の中にあるんだよ。
王族として生まれた仏陀は、物質的な豊かさを捨て、人生の苦悩を理解するために出家しました。彼の苦悩や探求は、彼を「弱者男性」としての立場に置き、真理を求める姿勢が後の教えに繋がりました。
旧約聖書に登場する神ヤハウェは、信者たちの裏切りや不信による苦しみを抱えています。彼の無限の愛と赦しは、強大な存在であるにも関わらず、孤独感を伴う「弱者男性」の側面を示しています。
日本の首相として多くの政治的困難に直面した安倍は、健康問題や政治的圧力に苦しみながらも、自らの信念を貫きました。彼の背負った重圧は、彼を「弱者男性」としての立場に置きます。
平安時代の女性作家である紫式部は、当時の社会的制約の中で自己表現を追求しました。彼女の作品は、当時の女性としての苦悩や孤独感を反映しており、「弱者男性」としての視点を持っています。
清少納言もまた、宮廷生活の中で自己のアイデンティティに悩みつつ、独自の文学を生み出しました。彼女の言葉には、社会の期待に反する「弱者男性」としての苦悩が色濃く見えます。
平安時代の政治家である藤原道真は、流罪にされ、その後の彼の悲劇的な人生は彼を「弱者男性」として位置づけます。権力の中での苦しみと孤立感が彼の業績を際立たせます。
大王として名を馳せたアレクサンドロスは、数々の勝利を収めたものの、孤独感や指導者としての重圧に苦しみました。彼の人生は「弱者男性」としての葛藤を物語っています。
Appleの創業者であるスティーブ・ジョブズは、革新を追求する中で多くの人間関係の摩擦を経験しました。彼の孤独感や苦悩は、「弱者男性」としての彼の側面を示しています。
Microsoftの創業者であり、富を持ちながらも、社会的な批判や競争にさらされてきたビル・ゲイツは、彼自身の価値観や人生の選択を通じて「弱者男性」としての一面を持っています。
西洋哲学の父と称されるソクラテスは、真理を追求する中で多くの誤解や迫害に遭いました。彼の信念を貫く姿勢は、時に孤独を生み出し、「弱者男性」としての側面を強調します。
中国の偉大な哲学者である孔子は、当時の社会に対する批判や理想を持ちながらも、政治的な無力感に直面しました。彼の思想は多くの人々に影響を与えたものの、彼自身は「弱者男性」としての葛藤を抱えていました。
科学革命の先駆者であるガリレオは、教会との対立に苦しみながらも、自らの信念を貫きました。彼の知識や探求心は、時には「弱者男性」としての立場からの孤独を伴いました。
第二次世界大戦中にイギリスを指導したチャーチルは、厳しい状況下での孤独や苦悩を経験しました。彼のリーダーシップは「弱者男性」としての困難と向き合いながら発揮されました。
哲学者ニーチェは、自己の信念や存在に対する疑問を抱えながらも、独自の思想を築き上げました。彼の内面的な葛藤は、彼を「弱者男性」としての立場に置いています。
自動車産業の巨頭であるフォードは、革新を追求する中で多くの批判や課題に直面しました。彼のリーダーシップには「弱者男性」としての苦しみが色濃く現れています。
天文学の父と呼ばれ、地動説を提唱して教会から異端として迫害を受けた科学者。孤立無援の状況でも真理を追求し続け、近代科学の基礎を築きました。
電気工学の革新者として知られるテスラは、時代の先を行き過ぎたために経済的な困窮と社会的孤立を経験しました。彼の発明は、現代の電力システムに計り知れない影響を与えています。
アテネの哲学者で、批判的思考を通じて社会の常識に挑戦しましたが、多くの敵を作り、最終的には死刑判決を受けました。彼の思想は後世に多大な影響を与えました。
アメリカの奴隷解放運動の指導者であり、自らの苦境を乗り越えて黒人の権利を擁護しました。彼の言葉と行動は人権運動に大きな影響を与えました。
彼の作品は生前にほとんど評価されなかったが、後に美術界において革新的な存在として認識されました。精神的な病に苦しみながらも、自らの芸術を追求し続けました。
独特な作風で世間から距離を置かれながらも、ホラーや推理小説の先駆者としての地位を築きました。彼の作品は後の文学に大きな影響を与えました。
人間の自然性や自由を強調した思想家であり、政治的・社会的変革に多大な影響を与えました。彼の思想は、後の民主主義や人権の概念に寄与しました。
社会的な孤立や個人的な葛藤を抱えつつも、革新的な音楽を作り続けました。彼の音楽は多くの人々に愛され、クラシック音楽の一部として重要視されています。
中国革命の父と呼ばれ、清朝打倒を目指して奮闘したものの、反乱が失敗する度に国外へ逃亡を余儀なくされました。信念を持ち続けたものの多くの支持を得るのには時間がかかり、長期間にわたり孤立無援の状態が続きました。
古代の神として、人間との関係性において弱者の側面を持つ存在。特に、貧困や抑圧に苦しむ人々を守るための存在として描かれ、信仰の中で「弱者男性」としての役割を果たしています。
まず、自説については、さも客観的な言い方で、「全く無根拠なことではない」とか言っておく。
もちろん、そこにエビデンスは何一つなくても。
それから、相手の提示してきた客観的に正しいエビデンスに対しては、さも偏った研究結果からばかり引用してきたかのような言い方をして、「それに関しては、より広範な研究結果が求められるだろう」とか言っておく。
最後には、相手の提示したエビデンスも、「ちょっとは認めてやる」みたいな言い方をして、「自分は、反対論者のエビデンスを無根拠に否定する反科学主義者ではない」というスタンスを取りながら、結局、全否定された自説を変えることは頑迷に抵抗することだ。
なぜ言論の自由は前進と後退を繰り返すのか──『ソクラテスからSNS: 「言論の自由」全史』
https://huyukiitoichi.hatenadiary.jp/entry/2024/04/12/080000#fn-3a907ef9
フェイスブックやツイッターはアルゴリズムによるコンテンツモデレーションを行っているし、それはグローバルサービスが避けては通れない国家権力の圧力を受けてのものだ。
当然、そうした規制も無根拠なものではない。人種差別、扇動にプロパガンダ、あらゆる表現が世に溢れる。2018年のMITの調査によると、虚偽のニュースは正しいニュースよりも70%もリツイートされやすいという。ソーシャルメディアにおいては、虚偽やネガティブ、誇張され、感情をかきたてられる特徴を持つコンテンツは速く、広く拡散されるが、事実に即した話、理路整然とした話は拡散されない。
では、どうすべきなのか? 著者は、SNS上でのヘイトスピーチは想像以上に少なく(全体の0.1%から0.3%)、言論の抑制はヘイトスピーチを減らすよりもむしろ増幅する効果をもたらし得るとフェイクニュースも含めいくつかの研究を引きながら書いているが、ヘイトスピーチやフェイクニュースの反乱にたいしてどのように対抗していくべきかについては、より広範な研究が求められる部分だろう。
言論の自由に負の側面があることは間違いないが、同時にそれがどれほどの発展を促し、言論以外の自由の防塁として機能してしてきたのかを思えば、言論の自由を死守する意義が、本書を読めばよくわかるはずだ。
この文章の素晴らしい点は、言論の自由に負の側面があるどころか、ヘイトスピーチを減らすなど、好の影響しかなく、逆に規制は逆効果にしかならないことしか、エビデンスで証明されてないにも関わらず、「規制も無根拠なものではない」だの「言論の自由に負の側面があることは間違いない」だのと、のうのうと言ってのけている点だ。
自分たちが出している根拠は、MITの「虚偽のニュースは正しいニュースよりも70%もリツイートされやすい」という研究たった一つだけだが、これは、「言論規制は逆効果で、ヘイトスピーチを増やす」という不都合な真実を否定していない。
むしろ、言論を規制すればするほど、MITの研究通りに、虚偽のニュースがより拡散されやすくなるということが、この二つの研究結果から見えてくる。
これが、言論の自由ではなく、例えば自然保護などで、あらゆる結果から、逆効果にしかならないとわかっている政策などだったら、それが逆効果でしかないとエビデンスで証明されているにも関わらず、「広範な研究が待たれる。」だの「環境破壊は深刻で、このような措置も無根拠ではない。」だとか喚いて、逆効果な自然破壊行為を続けていたら、「環境破壊してる元凶はテメーなんじゃボケ」と、真っ当な突込みが飛んでくるだろう。
なお、こうした言論テクニックは、実際に林野庁などが、スギ植林を自己正当化して、日本人を花粉症で苦しめながら、日本の景観を破壊し続けていることに利用している。
ほかにも、同じ言論テクニックは、官僚たちの怪しい政策が、真っ当な科学的根拠によって否定されても、おそらく別の思惑によって、その逆効果な政策を続けようとする場合に、いくらでも見ることができるだろう。
そうした官僚の拙い杓子定規な使い方は、真っ当な人間に官僚不信を呼び起こすだけだが、昨今のネット叩きと、表現や言論の自由が憎くて憎くて仕方ない勢力の影響下にあるネットでは、同じ噴飯ものの反知性的言論テクニックが、拍手喝采で迎えられはしなくとも、されるべき突っ込みが起こらないというところに、最悪のポピュリズムが極まった感がある。
規制するほどヘイトスピーチが広まるのは、規制の網を掻い潜ることに長けたマスコミが、規制によって、有効な反論がされ難くなったことを良いことに暴走しているからとしか思えないが、そのマスコミが扇動すれば、こないだのイギリスのように、関東大震災朝鮮人虐殺事件を彷彿とさせるような暴動が、簡単に惹き起こされかねない状態になっているように思える。
「朝鮮人が井戸に毒を!」デマも、全ての火付け役は、マスコミだったことを忘れてはならない。
まとめブログ全盛期の頃の、悪質な大手サイトも、実際は、個人ではなく広告代理店が運営していたのだ。
マスコミの作った日本ファクトチェックセンターは、まさに「我々マスコミは事実を報道しようと努力しているので対象にしませーん」と平気でのたまって活動している連中だが、規制によってネットの一般人のファクトチェック機能が弱体化し、そうしたマスコミ製ファクトチェック機関しか残らなくなれば、また「朝鮮人が飲料水に毒を!」というデマをマスコミが拡散しても、それをファクトチェックする者はどこにも残ってはいないだろう。
マスコミが、まず在日外国人などを味方に付けるように、逆差別的な報道を繰り返すのも、明らかにこの思惑があるからだ。
「将来的には、衆愚を煽ってお前らを自由に虐殺できるように整えるけど、それまでは味方だと思わせて協力させたるわw馬鹿ネトウヨは、ただ扇動して殺し合いしてもらうだけのブタだけど、最終的には朝鮮人憎しで俺らの味方になるしなwww」
というわけだ。
実際にネトウヨが憎むべきは、逆差別的報道を繰り返したマスゴミで、朝鮮人ではないのだが、未だにマスゴミ工作員の扇動にまんまと乗せられている嫌韓ネトウヨを見ていると、彼らの工作はまんまと成功しているように見える。
著書を残さなかったが、弟子や信者がその思想を書き留めて後世に伝えた思想家の例として、以下のような人物が挙げられます。
ソクラテスは著作を残さず、対話を通じて思想を伝えました。彼の教えは弟子のプラトンによって書き留められ、プラトンの対話篇を通じて後世に伝えられています。
ギリシアの数学者であり哲学者であるピタゴラスも自身で著書を残さず、彼の教えは弟子たちによって伝えられました。彼の思想はピタゴラス教団によって広められました。
仏教の開祖である釈迦は自身で著書を残さず、彼の教えは弟子たちによってまとめられ、仏典(経典)として伝えられました。
孔子自身は書物を残していませんが、彼の言行録である『論語』は弟子たちによってまとめられました。
老子は道家の思想家で、彼の教えは弟子たちによってまとめられ、『道徳経』として伝えられました。ただし、老子自身が書いた可能性も否定されていません。
イエス自身は何も書き残していませんが、彼の教えや生涯については弟子たちによって書かれた新約聖書に記録されています。
イスラム教の創始者であるムハンマドは自ら書を残さず、彼の教えは弟子たちによってまとめられ、『クルアーン』として伝えられました。
これらの人物は直接著作を残さず、弟子や信者が彼らの教えをまとめ、後世に伝えました。そのため、彼らの思想は間接的に伝えられています。
簡単に言えば、日本の社会制度設計は100年前のレベル、理想としてる社会設計は2024年のレベルなのだが、
その辺のネット掲示板に書き込むような素人の有象無象の上記のごとく趣味がフィクションと陰謀論と妄想である日本人の思想リテラシーの水準は、紀元前のレベルの奴がうじゃうじゃいるんだよな
当たり前だ、
ストーリーやキャラのセリフの全てが何らかの思想の影響を受けていると言えるが、キャラのセリフ全部に科学監修つけるより大衆にわかりやすくウケて売れる方を優先するだろう。資本主義だし
子供の空想をそのまま信じる大人はいないだろう?しかしアニメや漫画にされると子供の空想をガチで信じてしまうらしい
運用は2024年の水準だが、批判を見てると紀元前レベルの思想リテラシーの人間がメチャクチャ理論で悪用する!悪魔祓いに配慮しろ!とかそういうレベル
批判として成り立ってない
ソクラテスやら過去の時代の学者有識者その他に大昔に論破批判されきった、現代では筋の通らない理屈を真面目に書いてる増田がゴロゴロいるんだよな
ものすごく単純にいうと知性が低い
自分で描いた二次創作を頒布することは、ガイドラインが出てるか、権利者が個別に認識した上で口頭や文面で許可を出してないうちは著作権侵害にあたるのだろうか。
でも公共の施設を借りて二次創作の小さなイベントをするにしても、市や県に計画を提出して開催していて
(中には即売会NGの会場もあるぐらい、内容はしっかり審査される)
それで、「OK」が出てるのが同人誌即売会だということらしい。
他人の二次創作を追認する人も多いから、二次創作をすること自体は悪ではないって論理なのだろうか。車の運転をしてれば自分にそのつもりがなくても運転過失致死に問われることをしてしまい得るけど、そういう、犯罪を起こしうる、そして被害者を出しうるからその行為は悪だって論理だと、車を運転すること自体が責められる対象になる。これはあまりにも現実と乖離している。
同じように、二次創作はそれを知ったら被害届出す人もいるかもしれないけど、多くの人は追認するから、それをすること自体は悪ではないってことなんだろうか。
親告罪だから、訴えられない限り罰せられないから訴えられるまで構成要件を満たしていても悪ではないという論理だと、殺人でさえ、バレずに行う分には訴えられておらず罰せられていないのだから悪ではないというおかしな三段論法?になってしまうわけで、よくわからない
自分は自分のなかの他人の反応に関する経験と常識で、殺人は悪いことと思うが、二次創作についいてはよくわからないけど、悪だと思ってない人も多く賛否両論だから、ソクラテスのように善く生きたいので、(悪)法を犯すことにならない自信がないので自分が二次創作しようとは思わないけど、他人に干渉して、法を根拠に未許可二次創作を悪とする倫理観を押し付けるほどにもなれなくて、もやもやする。