はてなキーワード: 顔文字とは
http://anond.hatelabo.jp/20140804000142
この奥さんが他人に思えなかった。
自分と重なるであろう部分が多く、自分をちょっと振り返ってみたくなったので、増田で長文を書くことにします。
本当に長文なので、そしてほとんどの人にとってはたいした中身もない文章なので、よほど暇じゃないなら読まないでください。まじで。
高校のころまではとにかく何もかも完璧でないと陰に陽に容赦なく責め立ててくる両親に抑圧されていて、友達もいなかったし、自分というものをまともに出したことがなかった。
大学に入って自由がきくようになり、部活動に熱中するようになった。
活動の内容そのものより、自分が組織に貢献できているという感覚がうれしかったのをよく覚えている。
部のために骨身を惜しまず動いた。
一方で、無責任で頭のネジのゆるみきった同期や先輩連中が許せなかった。
でも直接文句を言う度胸はなく、一人でストレスを抱え込んではときどきあさっての方向に爆発させていた。
周囲の自分に対する評価は「よく気がついて、頼んだことはきっちり完遂するし、フットワークも軽くて、まあとにかくまじめでできるやつなんだけど、怒らせると面倒だからとりあえず機嫌を取って上手に動かしておこう」といった感じだった。
いくつかの人間関係の軋轢を経験した結果、自分の中に周囲との円滑な調和を妨げる深刻な側面があることに気づいた。
周囲の人間は自分よりもっと情緒的なつながりを大切にしているし、いつでも何もかもに対して100パーセントで動いているわけでもなく力の入れどころをうまくコントロールしながら生きているし、自分みたいに極端な滅私奉公精神で動いているわけでもなく、みんな自分の将来を少しでもよくするために大学という巨大な器の中でそれぞれにもがいているのであり、部活に熱心でないからといってそいつが何事にもだらしなくいい加減な人間だというわけではない。
何より、自分だってよく考えてみると周囲にずいぶんと失礼な言動を多々やっているのだが、周囲は少なくとも、そんな自分を「こいつはこういう性格だから」と受け入れて、ひとつの個性として尊重してくれている。
周囲が自分の考えをわかってくれない、のではなかった。
周囲を受け容れていないのは自分のほうだった。
このことに、4年かかってやっと気づいた。
同期はみんないい人ばかりで、わたしはすぐに彼らのことが大好きになった。
大学時代に比べたら、だいぶ上手に人間関係が構築できるようになってきた。
としばらく思っていた。
しかし、入社して半年が過ぎるころから、わたしは同期の中で少しずつ浮き始めた。
ここの会社は毎年の恒例行事で地域のお祭りに新入社員が何か出し物をしないといけないのだが、その出し物の内容をみんなで決めるとき、わたしは暴走した。
わたしの、無難でかつ隙のない正論づくめの提案に、当初、誰も反論する人はいなかった。
入社式では新入社員代表であいさつをさせられたりして、上司からは同期のリーダーとして何事も率先して動くことを期待されていたのでその通りに動いたのだけど、実際は同期の中で発言力がある人間が他にいて、その人の案にみな本当は乗り気だったようだった。
わたしはそのことに、全く気付かなかった。
やがてみんなで日程を合わせて練習を始め、わたしは何の疑問も抱かずに場を仕切り続けた。
ある日、たまたま残業で遅くなることになった。連絡を入れ、1時間ほど遅れて練習場に行った。
その1時間で、出し物の内容がまるっきり変わっていた。
テーマも違う、使う道具も違う、とにかく根っこから変わっていた。
わたしは2ちゃんの顔文字みたいにポカーンとしばらく固まっていたが、そんなわたしを目にしながらも、誰も、何も言わず、淡々とその新しい内容の練習を続けていた。
それでやっと、自分ひとりが周囲の感情を置き去りにして暴走していたことを悟った。
同期のやり方は、正攻法ではないのかもしれない。だまし討ちに遭ったようでいささか傷ついたのは覚えている。
けれど問題はそんなことではない。
学生時代からの課題を、わたしはまったくクリアできていなかったのだと気づき、愕然とした。
周囲がこういう行動に出ざるを得ないほどに、わたしはコミュニケーションを成り立たせるのに難儀する人間だと見なされていたのだ。
そしてさらに救いようのないことに、それにわたし自身は気づいていなかったのだ。
ちなみにわたしがどうしたかというと、さすがに黙ってその練習に加わった。
「当初の予定とは違うね」とは、このときから今に至るまで、わたしも他の同期も、誰も言わなかった。
あたかも最初からそれをやる予定だったかのように、全員が振る舞った。
親身になって面倒を見てくれていた先輩たちが、わたしと少しずつ距離を置くようになった。
仕事を覚え始めて自立に向かい始めたということだと勝手に解釈していたが、これもそうではなかった。
上司がわたしのことを露骨に煙たがるようになり、保身のために仕方なく追従するようになっていたようだった。
周囲との調和が何より大切、そう理解していたはずなのに、周囲と自分との間に生じ始めた軋みをどうすることもできなかった。
わたしは2年持たずにその会社を辞めた。
「その会社と自分が合わなかっただけだ」と結論づけるのは簡単だ。
けれども、今思えばそこは決してブラックではなかったし、日本的な一体感を過剰に強いる雰囲気の会社でもなかった。
いろいろな不運が重なっただけなのかもしれない。
本当のところは、何が一番の原因なのかはわからない。
その上司が結構なろくでなしなのは事実で、下についた人間はもれなく会社を辞めていくので今はまったく別の部署の実権のないポジションに異動になったと聞いた。
けれど、上司に恵まれずとも、同期との行き違いがあったとしても、辞めることはなかったのではないか。
孤立無援ではなかったはずだ。味方になってくれる人もたくさんいたではないか。
そういう人たちとの関係を、わたしはやはり、大切にできていなかったのだと思う。
はてなーには、こういう情緒的なつながりを過度に重視するところが日本企業の問題点だと考える人もいるのだろうと思う。
しかし現実問題、わたしのように、海外に出ていけるほどのスキルも度胸もないクズには日本の会社しか勤め先がないのだから、適応するしか選択肢はないのだ。
と考える一方で、結局ここまでつらつらと書いてきたこれもすべて「努力がすべてを解決する」「努力しなかった自分が悪い」「もっと努力していればよかったはずだ」という努力至上主義と自己責任論に基づいた考え方で、やはりわたしはまだそこから抜け出すことができていないのかもしれない。
自分に対してそのように分不相応に高いハードルを課すことが、他者への理不尽な厳しさや冷たさにつながる。
当時の自分としては精いっぱい努力はしたつもりで、それでもこういう結果になったということはやはり、不運やタイミングの悪さも重なったということも要因に挙げてよいのかもしれない。わからないのだけれど。
新しい職場でも似たようなトラブルに遭遇した。ここでは悪質なセクハラを受け、加えて同棲していた彼氏がリストラされてネトゲ廃人になったりとか、外的な要因も重なってうつ病になった。半年何もせずにいた。
この、一社目の退職から二社目に就職、うつ病、という流れの中で、わたしは両親から何度も罵倒された。
と公衆の面前で怒鳴られたりした。
気持ちはわからなくはないが、社会人になり、家を離れてから我が家の異常さに気づき始めていた自分としては、ああ、この人達ならこんなこともそりゃ言うだろうなあ、と我ながら実に冷静に受け止めていた。
要するに彼らの中では、うつ病になったのも「努力不足」なのである。
自分の弱さと向き合う努力をしてこなかったという意味では確かに、やるべき努力を避けてきたと言える。
努力の方向が間違っていたのだ。
「どんなことでも努力で何とかなる」という思考停止状態に身をゆだね、客観的に自己とそのまわりの環境について観察し、思索することをしなかった。
しかし彼らの言う「努力」とはそういうことですらなく、単に「朝起きられないのは根性が足りない」とか「気合を入れればうつ病なんてどこかへ行く」とかそういうことだった。
朝起きられないのも、割れるような頭痛も、吐き気も、そしてあの思い出したくもない深い絶望感と不安感、全身の倦怠感、そういったものはすべて気合でどうにかせよ、とのお達しであった。
正常な判断力が下がっている中でも「これは大変だ」というのは理解し、実家に戻るようしつこく言われるのを頑なに拒み、投薬と認知療法でなんとか生活できる程度には戻った。
その後就いた仕事では、即戦力として早い段階で部下をつけられた。
この部下には本当に恵まれていたと思う。
また、うつ病から立ち直ったばかりなのもあり、自分でも同じ失敗を繰り返さないように、早まったことをしてしまわないように、よくよく考えながら慎重にことを進めたのもよかったのかもしれない。
わたしより年上の人もいたし、その人とは何度か本気でやりあったこともあったが、結果的に和解できた。
これは錯覚ではなく、本当にうちの担当の仕事はうまくいっていた。
そんで今、燃え尽きかけている。
こないだ、業績が認められたのかなんかしらんが配属が変わり、見事にダメ人間ばかりの部署を仕切ることになった。
平均年齢はわたしより一回りほど上だけど、まず電話が取れない、来客の応対ができない、マニュアルに沿わずに自己流でやろうとして当たり前のように失敗して尻拭いをこちらに頼ろうとする、などなど、胃痛で病院に通うことが増えた。
比較的まともそうなのから少しずつ教育して、なんとか電話応対と来客応対が全員できるようにはなった。
わたしの力量と言うより、人材に恵まれていたのだ。
当然、同じように教育しても彼らには必要なことが入っていかない。
丁寧に10教えて、ようやく1入る、という感じで、その1を大切にしてくれるのならそれで十分なのだけどこれがまた抜ける。
また10教える。1入ったと思ったら次の日には抜けている。
この繰り返しだ。
もうなんか、わからない。
今まで他人にきつくあたって、たくさんの人間関係を壊してきた。
この人たちも、厳しく叱れば明日にはもう来ないかもしれない。
でも、この人たちは厳しく言われないとわからないのじゃないだろうか。
いや、一度だけ言ったことがある。
マニュアルに従わない人に対して
「それでうまくいくなら別にいいのだけど現にこれこれこうして失敗しているのだから改めてください」
という内容のことを言った。
彼女の返答は
「今まではこれでうまくいっていたんです」
だった。
その
「うまくいっている」
というのがあくまで社内的に一見すると波風立てずにすんでいるけれども対外的にはクレームの遠因になっていることで、つまりそれは実は
「うまくいっていない」
それで十分だと思う。
彼女も、今までのやり方を否定されていい気持ちはしないはずだ。
それでもまずは基本に忠実に動いてもらえるようになっただけでありがたいと思うし、そのほうがこちらも上司としてずっと安心できる。
わたしには、奥さんの気持ちがわかるような気がする。
こんなに頭も悪く仕事もできない(さらに言うなら、自分より年上の)人間が、のうのうと生活していることが、妬ましくて仕方ないのだ。
わたしの場合、年下なら、まだ許せる。
年上で自分よりできない人間、というのが、どうしたって、許せないのだ。
奥さんの部署の人たちがどんな人たちなのかは知らない。
うちよりはマシなのかもしれないし、もっとひどいのかもしれないし、それはわからないけど。
「目の前の人が自分に見せている姿でその人のすべてを判断すべきではない」と思う。
「仕事ができないからと言って、その人を全否定してはいけない」とも思う。
でも、あんなに痛い思いをしてきたのに、わたしはまだ、それらをやめることができない。
学生のころも、社会人になってからも、「役割」がどれだけ果たせているか。
それがわたしの自己評価だった。
「役割」を一心不乱に果たせている人はすごいと思うし、わたしもそのようになりたいと感じてきた。
そしてプライベートでも、わたしは「娘」「姉」「彼女」という「役割」に依存してきた。
自分が自分でいられているというアイデンティティ?自己同一感?とかいうやつが、内面に乏しい。
今付き合っている彼氏は愛すべきバカで、わたしは彼のバカなところを愛しつつも同時に強く軽蔑していることをもはや自分の中で無視できなくなってしまっている。
彼とは結婚の話が少しずつではあるが進んでいて、でも彼はバカゆえに職が不安定で収入が少ないということを自分で気に病んでいて、わたしは自分の食い扶持ぐらいは自分で稼げているから、いざとなったらなんとか助け合いながらやればいいじゃない、と話していたのだが、今日みたいに生理前で神経過敏になっていてしかもこんな身につまされるエントリを読んでしまったものだから、もう今の頭の中は「どうやって別れるべきか」ということばかりである。
叩かれるのはわかっている。こんな偏った価値観で他人を判断するなど何様だ、という話だ。わかっているのだ。その不毛さは誰よりわたし自身が一番よくわかっているのに、まだわたしはそこから逃れられないのだ。彼を軽蔑する自分が大嫌いだ。こんな人間と一緒になれば、彼はきっと不幸になる。そして、子どもが生まれたなら、まあ間違いなくわたしはわたしの両親がわたしにしたことと同じことをするだろうと思う。「あんな親にはならない」と決意するのは簡単だ。それで変われるなら、世の中の虐待のほとんどはなくなっているはずだ。わたしは彼や子どもに「役割」を強いるだろう。今だって、そうなりそうになるのを必死に抑えているのだから。彼に求めすぎてはいけない。適度な甘えは大切だと思うが、その加減もわたしにはわからない。あくまで事務的に淡々と接するか、べったり依存しまくるか、放っておくとわたしはどちらかになってしまう。
やはりこんな人間は異性と付き合うべきじゃないんだろうな、と書きながら改めて思った。
少なくとも子どもは産むべきではない。
今日帰ったら、彼に話そう。
なんとなく迷っていたことに決心がついた。
いやまぁ、どっちもオタクキモいで終わるんだけど、なんか男のオタクと女のオタクで全然違う気持ち悪さがあるなぁとtwitter見てて思います。
○共通していること
・妄想を垂れ流すヤバイ人が割といる→変な設定のbotとかいるじゃないですか。
・しなくていい他ジャンル批判→(例)「下手なミュージシャンよりジャニー○の方が上手い」
○男に多い
・性的衝動にストレートな表現→(例)「シコ」「援交してそう」
・○○してみた!っというのでイラスト以外も多い
・グッズを集めたことを自慢
・発言におけるテンプレの多用
○女に多い
・微妙に変な愛情表現→(例)「耳が孕む」「はぁ○○可愛過ぎて(○○過ぎて系)」「(変な叫び声と顔文字)」
・恋愛やモテを諦めたような発言をしつつも時折彼氏の存在をちらつかせたり取り巻きにかまって発言をしたり
・○○してみた!はだいたい美化したのかホモォみたいなイラスト(時々コスプレ)
・グッズを無駄に買ってなぜか取引を始める
・好きなキャラなら何しても「はぁ○○、××過ぎて…」
まだある気がするけど
カーラジオからは冬の定番ソングが流れる。それは、街路樹のイルミネーションとほどよくマッチし、心を冬色に染める。
『I want to show you everything.....』
あぁこの歌は5年前のChristmasを思い出す。
‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡
『いつも仕事が早いねー。一昨日頼んだばっかりなのにいつやったのこれ?』
『そんな無理しなくてもいいのにーつかそれ社内規程違反だからもうやっちゃダメだよ?』
『まーでも助かったわー。ありがとう^^』
課長の名前は由希子さん。うちの会社で女性の課長はわりと珍しくはない。
ちなみに、僕の直属の上司にあたる。一緒に得意先を回ることはあるが、その男勝りな性格のせいか、あまり浮いた話は聞かない。
でも、いつの間にか僕は好きになっていた。上司としてではなく、女性として。
『そろそろクリスマスねー。俺君は何か予定でもあるの?』
『予定と言えば、帰って風呂はいって寝るくらいですかねー。課長は?』
『わたしは、、、そうねぇ。今から作ろうかしら。ね!俺君!』
『え?どういう意味ですか?』
『だから、そういうこと!一人でいるのも何だから、食事でもしない?』
『僕でいいんですか?』
『嫌なら誘わないけど?』
『是非ご一緒させてください!』
24日の日、課長は取引先数件で商談とプレゼンがあるとのことで、朝から会社にはいなかった。
俺といえば年末の請求書の処理があるので、一日会社にいる予定だった。
『19時に上野でね(^_-)』
顔文字使うなんて今まで無かったのに。
僕も思い切って顔文字つかって返信した。
『わかりました!o(^-^)o』
ちょっと恥ずかしくなった。
19時、上野で待ち合わせたゆきこさんは、仕事着では無かった。普通に仕事帰りな自分が恥ずかしい。。。。
『き、着替えてきたんですか。』
『いやーこの服着る機会がなくってねー。変?』
『いや全く変じゃないけど…なんか仕事帰りって感じがしないっすね…』
『いやそんなこと無いんですけど、俺が普通に仕事帰りのままなんで…』
『気にしないで^^』
そんな談笑をしながら、歩き始めた。
街は当然クリスマス一色。
課長は、それはそれはとても綺麗で、いつもの男勝りな性格なんてみじんもみさせないくらい、というか、言葉に出来ないほど綺麗だった。
一緒に歩いてて、回りにはどううつってるのかな。そんなことを考えながらお店に到着。
『俺君はお酒飲める?』
『飲めますよ!』
『よかったよかった。ここは私の行き着けなんだ。結構洒落てて居心地いいんだよー』
正直大衆居酒屋しか知らない俺には抵抗があったが、今日はゆきこさんと一緒だ。何も恐れることはない。
『お。由希子ちゃん。あれ?彼氏さん?』
『なーんだwそうなのかー残念だなーw』
『俺君何飲む?』
メニューを見る。
やっべ分かんないお酒ばっかりだ。
どうしようと思ってるときに、たまたまカミカゼというお酒が目に入った。
『か、、、カミカゼを、、、』
『いきなり強いの行くねぇ。』
え。強いのこれ(^_^;)
『あ!本当だ!もう12時になるのね…』
『じゃあマスターまたね!』
『ありがとうございました。』
と、席を立とうとした瞬間、課長はふらっと俺に寄りかかってきた。
『そうなんですか?』
『普段はのまないよ。こんなにはね。』
そう言って、よろけながら店をあとにする。
駅までの帰り道。
『ごめんね酔っぱらっちゃって…』
『いや、平気ですよ!ちゃんと帰れます?』
『うん。ありがとう。』
ああああもう仕方がない。送っていこう。そう決意。
『家まで送ります。』
いつもと様子が変だ。
俺は口を塞ぐ、『しーっ!』のそぶりを課長にする。
課長の家は4駅先だ。
駅からそう遠くないのが幸いだ。
『ねぇ俺君。』
『はい?』
『俺君は私をどう見てるの?』
どきっとした。
どう答えればいいのか。
チャンスは今しかない!
でも酒の勢いにしか聞こえないぞこれは。
『あー。あの…上司としては素晴らしい、尊敬できる人です。友人としては…』
『友人としてゎぁ?』
不思議と甘い声に聞こえる。
男勝りな性格なんてまるでないような、それはもう猫撫で声。
そのさきを言おうとした瞬間、課長が手を繋いできた。
『あたしは、好きな人として見てる。仕事中も、プライベートも…』
『え…』
『…』
『こんな人が彼女じゃいや?』
『俺まだ続きをはなしてないです。』
『あ…ごめんね。』
『友人としては…みてないです!』
『え…』
課長の手を握り締める力が強くなった。
丁度コンビニの前に差し掛かったとき、聞こえてきたのは、winter song。
『This is my song for you....』
『今夜帰るの?』
『課長と一緒にいたいです。』
『課長って呼ぶのやめてよ。由希子って呼んでよ…せっかくカップルになったのに台無しじゃんかー。これは業務命令ね!二人きりの時は由希子って呼ぶこと!』
『え…業務なんすか…それもなんだかなあ…』
『あー、業務じゃないけど…でもだめ、ちゃんと由希子って呼ばないといじけるよ?』
『う…ごめんなさい。あの…由希子…さん?』
『それでよし。さあ帰って飲み直そうかー!』
『あたりまえででしょうに!飲む飲むー』
そうお互い笑いながら、二人は住宅街へ消えていった。
なんていうこんなクリスマスの一日を過ごしてみたい。
悲しいことに恋人に人の気持ちが分からないアスペ認定されてしまいました。
人の気持ちというのはどうやって汲み取ればいいのだろうか。
恋人でも仲の良い友達でも絵文字や顔文字を使うことのない私はLINEを使ってやりとりすると相手の気持ちを間違って汲んでしまうことが多い。
今日は朝食を一緒に食べる約束をしていたんだけど彼が体調が悪いのでキャンセルという話しになった。
恋人「ごめん仕事がキツくて体調悪くなっちゃったから今日キャンセルでいい?」
私「いいよ!お疲れ様です!」
私「もう少し早めに連絡してくれると嬉しいな」
恋人「早めに言ったつもりなんだけど」
この時点で私は先日も当日キャンセルがあったので当日に予定をキャンセルするのは早めじゃない・・。という不満を持ってしまった。
しかし後から知ったとはいえ動画のストリーミング中にメッセージが何度も飛んできたら苛々する恋人の気持ちもわかる。
私「もう準備しちゃってたの!」
私(7時30分に待ち合わせで、電車で30分かかるから駅まで歩く時間も考慮した上で髪を乾かす時間や化粧にかかる時間をいれて4時50分頃にお風呂に入る)
恋人「7時30分に待ち合わせしてて5時半に連絡って遅いの?」
私「遅くないやwww」
(恋人が苛々してると判断したのでこれ以上悪い方向に行かないように折れる)
恋人「5時くらいにならないと会える体力あるかわからないから」
私「今週はもう会わないってこと?」
恋人「うん」
私「前は毎日会うって言ってたのにwwwどうしてこうなった・。」
恋人「まぁいいや」
私「唯でさえキツい仕事なのに追い討ちかけられて吐血させるつもりか鬼畜社め」
私「・・・・なんか怒ってる?」
恋人「怒ってるのはお前でしょ?」
ここらへんで不安障害のような症状がではじめて
"このまま愛想尽かされて振られる"
"怒って私のこと嫌いになってしまう"
私「ごめんなさい。最初は(会えなくて)ちょっと悲しかったけどもう平気!」
恋人「平気とかじゃねーよ」
まずは恋人に煽られるのを恐れて一番に謝ってしまう癖が悪かったのだろうか。それとも"(会えなくて)悲しかった"という自分の気持ちを伝えたことが悪かったのだろうか。
私「ごめんなさい」
私「早く連絡してっていうのは伝えない方がよかったし、恋人さんは早めに連絡してくれたのに会いたかったから当てつけみたいな感じで"早くれんらくしてよ!"って言っちゃった。本当にごめんなさい」
私「ごめんなさい」
恋人「俺がどれだけ疲れてるか想像できたらそうならないのにね」
もう不安はMAXで心の中はどうしたらいい?どうすれば喧嘩にならない?ってはてながでまくってました。目からはぶわ~って涙が出てきて"呆れられた?"って気持ちでいっぱいでした。
私「本当にごめんなさい」
恋人「例えば俺が女で、生理きたから違う日にして欲しいってお願いしてたらそんな嫌味いってこないでしょ?」
恋人「それが仕事だったら不機嫌になるって仕事別につらくないでしょって心のどこかで思ってるんだよ」
私「そういう風に考えてはいなかったです。本当にごめんなさい。許してください」
恋人「うん」
恋人の言ってることはほとんど正しいしたとえ話も筋が通っていてすんなり理解できるはずなのに、心が不安定になってしまうと、最優先することを間違えて理解しあって和解することよりも振られないために許されることを最優先してしまうのは私の悪いところです。
その上恋人の仕事のキツさを一番身近に感じているはずなのに受け止められずに自分の感情をアピールして傷つけてしまったことも反省。
だけど私はどこが一番間違っていてどう答えていけば、雰囲気を壊すことなくこの一連の流れを阻止できたのかがわからないのです。
夜中に、突然、無性にポテチが食べたくなる事があるんですけど。
研究室の後輩に聞いたら、「体に悪いですよ…」と言われた。
そうなんだよ。もちろんわかってる。それでも食べたくなるんだ。夜中にカルビーのりしお味を、がむしゃらに食べたくなっちゃう。で、コンビニへ走る。
ひょっとして俺だけ?
誤解の無いようにしたいんだけど、俺は別に普段からポテチを食いまくってるわけじゃない。
確かに夜更かしばんざい二度寝ばんざいの不健康生活を送ってるけどさ。
研究室の仲間たちとワイワイ騒ぎ、あるいは根を詰めて研究にのめり込み、たまにゼミをすっぽかす。
そして稀に、人を好きになる。
研究室の後輩とは、随分前から仲がよくって、あっちもよく懐いてくれてて(多分ですけど)、勉強を教えたり、遊びに行ったりしてた。
皮肉屋で基本暗い性格なのに、たまに笑うとリスみたいで可愛いかった。
ある日、二人で近所の安っすいバーで飲んだ。
後輩は無駄に酒が強い。
彼女にあわせて飲んでいたファジーネーブルが変なところに回ったのか、ガラにもなく酔っ払った俺は、
ノリで告白してしまった。実はずっと前から好きでした。付き合ってください的な。
「え、冗談ですよね?」いきなり真顔になって返してくる後輩。口元しか笑ってない。引きつった笑みというやつだ。
「もちろん冗談さ。本気にした?」コンマゼロ秒で返す俺。俺ってば、いつもは低スペックパソコンの如く動きが重いくせに、こういう時だけ流暢になっちゃう。
「もう、からかわないでくださいよ…」そして笑い合う二人。
以上。話、終わり。
ドラマは展開せずに終了した。
よろしい。それでは、各自、持ち場にもどれ。
これ以上酒は入れたくないので、500ml缶のコーラを脇において、俺はポテチを掻き込んだ。
のりしおBIGを二袋も開けていた。記録かもしれない。
さすがに食べ過ぎなんだろうか…
iPhoneが震えた。
「大丈夫?元気してる?」田舎の姉ちゃんから、LINEで、定時連絡が来たようだ。
面倒くさいが、返さなきゃならない。
姉ちゃんは昔っからこっちの都合お構いなしに口うるさく心配してくる。放っとけばある程度みばえはするんだが、残念なやつだ。
でも、既読スルーにしてしまうと、熱帯低気圧は成長して、台風になる。
周りへの影響とか考えずに泣きわめいて、もう手に負えない。
姉「そっかーポテチ美味しいかー^o^(←実際にはもっと複雑な顔文字)」
こっちはこんなに泣きたいってのに、ガン無視でマイペースなんだよな…
でもどんな顔して返信くれてんだろ。ホントに笑ってんのか?
腹立つ。何だか久々に顔が見たくなってきた。帰るか。
http://anond.hatelabo.jp/20140325193023
面白い釣り記事でした。追記された部分もブクマカーへの釣り針がたくさん。
でも、記事の拡散が済んだあとの追記だから、気付かれていないようです。
そこで、ここに引用して、もう一度ブクマカーを召喚してみましょう。
あとせっかくなので、ブックマーカーやブロガーへの僕の雑感も書きます。
(増田からのidコールは届かないみたいだし、うまく召喚できるかなー?)
もう目も当てられないつまらなさだ。
03/27 ブコメに返信
raf00
上手いことを言いたい欲だけでできているブコメは見てて気まずい。
meme-o
マーク・雑感バーグ
raf00と同じ。
cider_kondo
自分は店長のコンビニ話はそんなに面白いと思ってなかった。雑感や感想の方が面白かった。
こういう人がやっぱりいる。cider_kondoはあまり本を読まないだろ?
高名なプロが書いた小説でも、実体験ベースの文章って、それと分かることが多いよ。
ドヤ顔で浅いこと言ってんじゃねえぞ。
feita
”もちろん誰が何を書いてもいいんだよ”/なるほど、じゃあ「個人ブログに変な制約を求めるな」
コメント後乗せでお馴染みのfeita。
一番本質的なことだけを言えるように訓練したほうがいい。
B、上から目線での幼稚な主張
ブーメランは、文章単位でのツッコミを入れやすいので、良い釣り餌です。
上から目線で主張が幼稚、は特に「はてな」でのツッコミ獲得に向いた釣り餌です。
また、ファン・アンチが多いヒトへの未熟な認識を披露するのも、良い釣り餌。
ミクロに(個人的に)問題解決したいなら、
マクロに(抜本的に)問題解決したいなら、
アルゴリズムを批判し改善案を提出すれば良い。又はフィルタを自作して公開すれば良い。
言い換えると。
他人をすぐには変えらないから。でも自分とアルゴリズムはすぐに変えられる。
…というのが大人の考え方で、その逆をいくと釣り餌になります。
←文章力あるとの評価が高く、ファンが多かったヒト(後述)
②「id:raf00は上手いこと言いたい欲だけ」という断定。
←ポジコメ率が高いことや穏やかな語尾からも、上手いこと言いたい派でないことが明らか。
←後乗せイメージない。その日でもスラッシュあるコメは20%未満。
更に元増田へのブコメは、後乗せでなく引用部と順序入替の明確化が目的のスラッシュでは?
あと、神経質というより対人距離について繊細、と言う方が適切。大喜利職人は概して繊細。
④「id:cider_kondoは本読まないだろ?」という煽り。
⑤id:meme-oさんへの、「raf00と同じ」という断定。
←meme-oさんはコメ率が低く、タグのみの無言ブクマや引用のみが多いウォッチャー。
raf00さんと全く違う。
そして素直に言う分の言葉のアクをとるために、語尾で柔らかくしているバランス派。
一方のmeme-oさんは一拍置いたコメントするヒト。タグの顔文字「#|ω・)……」が象徴。
コメントも、「まぁ」「~かな」「…」が多い。皮肉コメを付けるのはよっぽどのとき。
⑤id:jt_noSkeさんへの、「あの駄洒落ブコメの奴はつまらなくて邪魔だな」という八つ当たり
←ノスケさんが喋った事件を参照。http://jtnoske.hateblo.jp/entry/2013/11/23/230829
『ノスケ師匠のブクマはダジャレ抜きにしてもそのチョイスそれ自体で非常に価値が高いって』
長文であること・身の回りの話もすること、くらいしか共通点ないです。
まずコンビニ店長さんは、オタク趣味ネタと教養人への憧憬が「はてなウケ」の源泉。
加えて、仕事や嫁への誠実さを表すエピソードや表現が人柄評価につながり、「一般ウケ」もある。(勿論はてなウケも上昇)
それらをバランス良く配合しながら複眼的な思考を順序よく見せる文体が、
このコンビニ店長に最も近いのはズイショさん。id:zuiji_zuisho
嫁エピソードによる人柄評価と、一文が長くなるかわりに両論を見せることでバランスを重視する、ってところは近似。
けど、ウケのメインウェポンは「比喩」と「反転」と「反復」。それで明確に笑いを狙ってるというのも大きな違い。
面白全開爆発。痔の話の記事。 http://zuisho.hatenadiary.jp/entry/2013/03/13/000000
リズム重視の文体実験の記事。 http://zuisho.hatenadiary.jp/entry/2013/09/07/214055
id:Rlee1984は、日常話にも棒グラフなどの図を入れ込もうとするところと、ネタの一切ないつまらない話が多いところがコンビニ店長と違う。
つまり、ウケの比率で言えば「ズイショーコンビニ店長ーコウモリ」の順。
あと、グラフ以外でも造語や専門用語による抽象概念を振り回すことが多いから、「日常」区分からは最も遠い。
日常話にもグラフを捻じ込む記事。http://rlee1984.hatenablog.com/entry/2014/03/12/021134
専門用語をイジって振り回す記事。http://rlee1984.hatenablog.com/entry/2014/02/22/224720
ごめんなさい、分かりません。(ブコメで誰かが説明してくれるのを期待)
なお、増田で「得体が知れない・感情がない」的な言及されることのあるid:topisyuさんは、
(これ前も言ったし浸透してきたと思うんだけど、まだまだ普及させたい!)
ブログでは真顔でジョーク言うヒトで、真顔でブチ切れするヒト。
でもリアルだと感情の動きも明確。エピソード記事を見るとハッキリ分かります。
・トピシュさんブチ切れ、の話。『こっちは完全にスイッチが入ってしまいました。』
http://topisyu.hatenablog.com/entry/2013/08/23/190331
・トピシュさんの感謝と謝罪、の話。『いつもありがとうございます。見えてないことも多くてごめんなさい。』
http://topisyu.hatenablog.com/entry/2013/09/03/132807
・トピシュさんの涙、あれがデネブアルタイルベガ。『惚気た上で、その動画を見て二人で涙したりもします』
http://topisyu.hatenablog.com/entry/2013/10/31/014134
ヒトに対して、「このヒトどんなヒトかなー?」って判断するのは難しくて楽しい。
だから、ホテントリに上がった記事だけで他人を決めつけて無闇にdisるんじゃなくて、
pixivが余所の評判良いシステムをパクってくることは今に始まったことじゃないし、余所で良かったものだからpixivでもそれなりに使えたりする。
そもそもLINEとかでスタンプが流行したのは、チャットや掲示板のような日常会話レベルの言葉が交わされる場で、ある程度の定型文を手早く済ませられるからだったり、文字ばかりになる画面に彩りを加えられるからだと個人的には思っている。
じゃあpixivのコメント欄はどうかというと、日常会話の場ではないし、コメント付ける元々のものがイラストだから文字ばかりじゃないし、そもそも流動型のLINEと堆積型のpixivコメント欄は性質が違うっつーの!
現時点でのスタンプの一覧も微妙。顔文字アイコンの方がマシじゃないのか。イラストサイトならスタンプを自作できる機能があってもおかしくないと思うが。というか無い今の状態がおかしい。
最近、オウム関連のニュースを見る度に、もうこの国の宗教は宗教として機能してないし意味とか皆無だから、この先どうなるんかなって思う。昔、私は宗教ってものが怖かった。何が怖いって、よく分からないから。分からないものは怖い。理解出来ないものは怖い。お化けと一緒だね。一発逆転するにはもう新興宗教を作るしかないって友達とありとあらゆる宗教や団体を割と真剣に分析して、体験セミナーとかにも行ってたことがある。色々調べて分かったのは、ああいうのにハマる人は、所属と承認欲求に飢えてる。とにかく飢えてる。だからそこに入ることで、宙ぶらりんな自分をどこかに固定して、とにかくなんでも良いから自分を必要とされたい。称賛されたい。ネズミ講とかもそうだね。とにかく、怪しいって言われてる新興宗教ってのは大部分がそういうことなんだなあって理解できたら、今まで胡散臭くて怖かった勧誘も、寂しいから仲間を増やそうとする可哀想な人たち、としか思えなくなった。全然怖くない。だって、本当に幸せで役に立つものなら、他人に教えたりしないで自分一人だけで楽しむでしょ,
そういうわけで宗教を作る話はいまでは懐かしい笑話になったけど、もし私が本当に孤独で何にも無い人生だったらわからない。それはこれから先にも言える。私は、寂しいからネットしてる。本当実生活が満たされてたら、Facebookにいちいち食べ物の写真あげたり、LINEに近況を流したりしない。みんな、寂しいんだ。寂しさが寂しさをよび、更に寂しさを呼ぶ。寂しさ再生産、ってなんだっけ。
インターネット大好きだから、色んなツールに手を出してるけど、一番ストレス溜まる。何だろう、あれ。便所の落書きよりひどい。
Twitterとかで、◯◯クラスタとかいう言い回しや、◯◯したらRT〜系の言い回しにイラっとするのは、そういう所属したい欲求や承認されたい欲求が明確に視覚化されるからなんだと思う。そういうものは、誰しも持ちうる欲求だけど、決して人前で見せつけたり押し付けたりするものじゃない。はっきり言ってみっともない。それが子供ならまだ許せるけど、大人だと目が当てられない。だから、余計にイラっとする。んだと思う。
昔のインターネットは、もっと閉ざされたものだった。あと、意外ときちんとしてたどんなに荒んだ場所でも暗黙のルールがあって、それを破ると叩かれる。それは、一種の安心材料でもあった。気がする。
Twitter特有の、ハイテンションで壊れたあのノリは、私が恐れていたころの宗教によく似ている。何が本質か分からない、見えない、理解できない、意味がない。だから、怖い。インターネットのカオスな部分が好きだったけど、Twitterはあまりに乱雑で脳がパンクしそうになる。私のTL、総コテハンのクソスレ乱立状態って感じ。お前が何食べたかとか興味ねえよ。芸能人気取りか?ここはお前の日記帳じゃねえんだ。そう思いながら、顔文字付きの女子力()高いリプを飛ばす。うん、私には2ちゃんが合ってる。知ってる。あの殺伐とした、馴れ合い皆無の空気。多分、個を特定するのもされるのも嫌いなんだと思う。でもTwitterにはそれがない。個、ありき。個、ありきのインターネットは本当につまらない。匿名なのに個がある。矛盾。本当に、本当の意味で無法地帯。あと、なんだか知らないけど距離が近い。見知らぬ人から、わけが分からないリプが平気で飛んでくる。それも返しに困るようなやつが。私のようにパーソナルスペースががちがちな人間には非常に辛い。辛いから、今日も当たり障りのないツイートをしてため息ついてる。今のTwitterは、そんな感じ。怖い。
何が言いたいのか分からなくなってきけど、これだけ暇と虚無を抱えた人間がネットいるのに、本来の意味や役割としての受け皿としての宗教か全く機能してないし、宗教アレルギーや精神病アレルギーのせいで、頼れるものに頼る前に死んじゃう人がたくさんいるのも怖い。この先、オウムみたいな集団はまた出てくるかもしれないし、もういるかもしれない。そういう場所と役割に飢えてる人たちが、炎上のノリで何かしたら...と思うとゾッとするなあ。
小5から今まで(もうすぐ高2だから、大体6年)ほぼ毎日ネットしてた阿呆。
6年という時間が短いか長いかは人それぞれで変わるだろうが、自分の中ではまだまだ短い。
インターネットとは何か。納得できる答えは、いつまでたっても見つからない。逆に、6年では答えが出ないということが分かった。
短いとは言っても、6年かけて貯めた経験値は自分にまぁまぁな自信をつけた。
例えば、初めて手を出したSNSがLINEという友人(今じゃぁ普通に見られる光景)がいたとして、ローマ字入力もキーボードも情報の時間以外触らないもんだから、短く簡潔にやや遅くちょっと素っ気ない文でリプライが返ってきた時に、あぁかわええのぉ、と、大人ぶった上から目線でその友人と接することができる。勿論、友人はイラつく。
で、数日して、顔文字辞書なんかいれちゃったりして、崩れまくったAAなんかコピペしたりして、ちょっと自信有り気にメッセージを送ってきた日にぁ、初孫が初めて家にやってきた子煩悩ジジィのように愛でて、さらにイラついてる友人を撫で撫でしながら優越感に浸る。
と、まぁ、ネット歴6年の成果といえば、意地汚い優越感と自己中心的な幸せくらいだろうか。
自分は、はてなブックマーク・スペース・ブログもやるし、YouTubeもニコ動もUSTREAMも見る。TwitterにtumblrにGoogle+に(Facebookはやってない)mixiやGREE、もちろんLINEと、大手SNSの殆どを試してみた(殆ど飽きた。tumblrだけ続けてる)。オンゲも幾つかやってるし、もちろん思春期の男子ですから、FC2やxvideosも・・・。
また、自分は一切触れたことは無いので省略したいが、例えば会社が構築したネットワークを介してファイルサーバーにアクセス(適当)とかも、一応ネットである。ネットと聞いて真っ先に思い浮かぶものがそれの人もいるだろう。だが、「小5から今まで」自分がやってきた「ネット」について「思ったこと」を書くスタンスなので、ここではあまり考えたくない。
上記したサービスは自分がこれまでやってきたネットの一部だが、それらは自分にとって娯楽であり趣味であり暇つぶしである。そして、その殆どに実用性なんてものは存在しない。一介の高校生である自分には、不必要なものばかりだ。まぁ、毎晩のようにお世話になっているサービスもあるが、それはそれで、悪友から借りたエ○本を読めば良いだけで、今の時代だと十分実用的な漫画が普通に売られてたりする(某ダークネス)。
思いっきり省略したけど。
ここまで書いてきて最終的な結論が、6年やってきて思ったこと=最近ネットつまんない、とは、阿呆丸出しなのは重々承知の上。ネット自体が変化したのか、自分の現実のほうが面白くなってきた証なのか。きっと後者でしょうけど、つまんないと感じてる人は他にいないのか?淡いが、無駄に補色なもんだから目立ってしまっている期待を胸に、ふらふらと辿り着いたのがここ。見せかけの匿名は、自分が小5くらいに問題となってたことだから、どこか懐かしさを覚えて選んだのかもしれない。
「小5から今までネットやってき」た少年が、結構素直な気持ちで書いた日記。純粋過ぎる心で書いたせいか、読みづらい文になってしまった。
6年やってきて思ったこと、というより、6年やってきた少年が最近思っていること、になっている。この日記自体が、思ったことを伝えようとして、うまくまとめられなくて、失敗した結果だと思えば、表題の答えも自ずと現れるのではないかと、暇人に丸投げにして、夕焼の綺麗な空を眺めながら散歩でもしよう。
『女性が32歳になったら見直すこと』
http://yukixxxxx.hatenablog.com/entry/2013/12/17/205707
彼女が「32歳になった」女性を「見直す」ときに使用する判断基準とは、自分の目で自らを省みるときに確立されたものだ。
それは「32歳になった」女性が「見直」せば確かに見つかるようなある客観的な指標ではなく、
彼女の身体と、身体を鏡で眺めた視線の調和というごく個人的な事情に由来している。
32歳でそれができないのはまずい
これらの独語はすべて「ただ私一人の振り返り」以上のものではない。ここにあるのはまなざしが自己自身へと向けられるときに
覚える、単純な苦々しさの感情だけだ。しかし彼女は、「私が見直」す自分自身の服装・振る舞いへの視線を、
同年代の他者にもまた瞬時に振り向ける。まなざしが自分ではなく他者へと向かうとき、自身が裁かれた裁きによって彼女は
その他者を裁く(「きつい」「痛い」「変」)。
ところで、そこには同時に、酷評された他者の身に置き換えられた自分を眺めわたす視線も同居している。
他者に向けていた視線は、再び自分自身へ戻し返されている。ここでは、他者を裁く裁きによって彼女自身が裁かれている。
このとき、振り返られた「私」への視線・評価とは、当初の、鏡で見たときの自身への視線と同一ではある。けれど、
「私」はすでに鏡で「私」を見るのではない。まなざしの対象であった他者の身に置いたとき、「私」は「私」の目に見られる者と
なってしまった。外からの目にさらされ、だから彼女は「恥ずかし」いと想像したのである。この仮想の経験をきっかけとして、
「まずい」という彼女の苦々しい感情は、標語的な自戒の確認へと変わっている。
改めて気をつけたいと思います。
こうして見ると、文章を通して彼女のまなざし=評価基準は一貫していながら、目とまなざしの関係はころころと変転していることが分かる。
第一に、ひとり鏡を見るときのような「振り返り」のときもあるし、第二に、品評するかのように視線を他者に振り向けるときもある。
かと思えば、第三に、身体は他者の身に置きながら、目はそのまま固定され、「私」となった他者を凝視している。そしてけっきょく
各項目の最後では、まなざしの対象となる身体は「私」に舞い戻り、反省的に鏡を眺める目との関係を回復する。
しかし、これらの順序は実際はほとんどでたらめで、ひとつの文の中でもごったまぜに入り交じっている。
彼女は、もう自分自身の身体の固有性を強く信じることができるほど自分が美しくないことを知ってしまったのだ。
「もう20代が終わってちょっと時間が経ち、大学生でもなくなったあたりから10年」経ったそこらの女性と、自分の容姿はもはや見分けがつかない。
少なくとも、周りの視線は「私」の身体を特別扱いしてはくれなくなった。こうして、自分と他者の身体が置き換わっても何もおかしくないことに
気づいたときから、彼女の身体に他者の身体が闖入するようになった。だから、鏡を見ているかと思いきや、鏡の向こうには批評されるべき
他者がたたずんでおり、その他者の身体は間をおかず彼女自身の身体に変貌してしまう。
「私」の身体を鏡で眺めるとき、「私」はそこに同居している、美しいとはとても言いがたい他者の身体を苦々しく思う(第一)。そこで彼女は侵入してきた他者の身体を
切り離すために、実在する他者に転嫁しようとする(第二)。そうすることで安心して自分自身の身体の奪還を演出することができるからだ。
しかし今度は逆に、彼女は他者に汚らしい自分自身の身体を見出す羽目に陥るので(第三)、彼女は慌てて鏡の前へと退却してしまう。そうして、
混じりけのない自分の身体とまなざしの純粋な関係を取り戻すことを願いつつ、鏡に向かって言い聞かせる。
改めて気をつけたいと思います。
そこに他者の身体が入り込む余地など最初からないということを示すために、この文章は「ただ私一人の振り返り」でなければならなかった。
「他人を侮辱」してしまえば、酷評される他者の身体が自分と同居していることを認めることになるだろう。しかし一方で、
自身のまなざしに由来する自省は、他者に向けたまなざし、およびその断罪とは切っても切り離せない。というのも、
彼女の身体に他者の身体があまりに重なりあってしまったために、それを脱ぎ去ることはできないからだ。
したがって、「32歳になった」他者に対して「改めて見直すといいのではと思う」ことと、「私が見直した」ことは根源的に区別できないし、区別すべきでもないことになる。
そしてまた、「べき論」であってはいけないが、「私」を裁くことは同時に「32歳になった」「私」と他者をまとめて裁くことになる。
「自分のこと」というタグにも関わらず、タイトルが「32歳になった」女性に向けられているのも、身体の特権性を回復させようとする意図的な錯誤である。
こうして、彼女は耐えがたい矛盾を抱え込みながら、またもや鏡の前へ遁走することになる。自戒の身振りを通して、鏡の中の「私」の身体を証立てるために。
けれど、その身体はもう他人の身体と見分けがつかない。
あまりに入れすぎたために漏れでてしまう排泄物、分泌物が読みたいんです。
絞りだしてるもの読んでも辛いだけです。絞りだしてるから、残量を気にしてしまう。残量が気になるから、効率とか求めてしまう。
アフィブロガーだろうが、nonアフィブロガーだろうが、目的のためにブログを書いてる連中には反吐が出る。
d.hatenaの狼勢の溢れるだけで誰も受け止めない娘。愛が好きだった。
各メンバー用の顔文字がキーワード登録されている事に気づいた日の衝撃ったら無かった。
キーワード論争が好きだった。
一般人が見ることを一切期待していない、はてなキーワードの裏側で静かな殴り合いが行われているのを眺めるのは、まるで北欧神話の闘争を見るようだった。
小説家が、文化人類学者が、ちまちまダイアリを更新し、基本的に素晴らしいのに時に素っ頓狂なことを言ってるのが好きだった。
筒井康隆万能説が好きだった。
お題目すら唱えられなくなって、いまはどうだ。