はてなキーワード: 親の金とは
アベノミクスで就職率が高い、とか言ってる人がいるけど、的はずれで困っちゃうね...。
そこで、21歳ピチピチ❤️Z世代で自称パヨクの私が、若い世代がアベを支持する理由を説明しよう!
今の10代~20代前半の世代って、安倍ちゃん以外の首相を知らないんだよね。長期政権だったから。民主政権時代は首相がコロコロ変わったから、その時期の印象が薄い、っていうのも理由としてあると思う。
とにかく、物心ついた時からずーっと首相だったという効果は強くて、日本の首相=安倍ちゃん という意識がこの世代では定着している。
アベノミクスが世間を席巻していた当時、今の大学生は小学生から中学生くらい。「アベノミクス」ってキャッチーな響きだから、具体的な内容は知らなくても言葉自体はどんな子供も知ってた。特に中学生の場合、社会の時事問題で「アベノミクス」が出題されたりするから、印象深かったんじゃないかな。
もう少し時が進んで、モリカケサクラでグダグダやってた時期になると、中学生から高校生くらい。当然ニュースなんてちゃんと見ないから公文書偽造なんてピンとこないし、増税や所得低下とかあっても、親の金で飯食ってるから何とも思わないわけ。
こういう経緯があり、「具体的な成果やスキャンダルは知らないけど、アベノミクスとかそれっぽいことをやっていた」という評価をZ世代から得ているワケよ。
国葬の賛成率が高いのもその理由。物心ついて思春期を過ごした、唯一ちゃんと知っている首相が悲劇的に死んじゃった。だから、「かわいそうだし国葬でいいじゃん」っていうライトな理由で賛成しているんだと思う。
ちなみに、30代から安倍政権の評価が下がり初めるのも世代が理由。今30代の世代は、安倍政権発足時に大学生から新社会人の世代。中学生や高校生とは違って世間のニュースに目が向くし、自分で飯を食うようになって金にシビアになる。その分、安倍政権の悪政を深く理解している人が多く、それが統計に反映されているワケです。
【追記】
官房長官は首相と違って影の薄いサブキャラなので、安倍ちゃんほどの知名度は無かったと思います。ニュース見てる人は会見で官房長官を見たりしますが、そういった機会が無い限り、官房長官が誰なのか、知って覚える機会は少ないと思います。(学校で習った記憶もあいまいです)
若い世代に対する第一印象が非常に大切であることは菅さんも深く理解しており、「パンケーキ首相」みたいなアピールをしたのでしょう。
菅さんが倒れてしまったのは、コロナで一般世間から厳しい目で見られていたことが大きかったと思います。特に、若者は政権に良い印象があったとしても、ピンチな政権を応援したりはしません。
今大学3年で就活中ですが、就活してて政治や就職率を意識しない、っていう実体験がその理由です。我々は今回の就活が初めての就活。これから社会に出ていく段階ですから、就職率の変化を肌で感じる機会がありません。氷河期世代は大変だったとは聞きますし、我々の世代は恵まれているのでしょうが、それを実感する機会は無いのです。
rna 「親の金で飯食ってるから何とも思わないわけ」それでも親が失業したらさすがに辛いだろうから雇用の改善は微妙に効いてたってことだと思う。あとバイトの時給上がってるのは流石に気付いてるのでは。
時給が上がっていることについては、就職率と同様の理由であまり気づかない人が多いと思います。長い期間就業する機会があれば、バイトの時給が上がるのにも肌で気づくでしょうが、学生なので長時間働く経験をする人は少ないです。さらに、生きるためではなく遊ぶために働く人がほとんどなで、自分の収入に対してシビアに考えないことも理由としてあるでしょう。
death6coin
医学部受験生がかわいそうだ、とんでもない。とはみんな思ってましたが、私含め医学部受験生以外に当事者意識はあまりありませんでした。冷静に考えてみれば、大学入試すべての信頼が揺らぐ大事件だったと思いますが、受験勉強で忙しくそこまで考える余裕はありませんでした。
当然、不安に感じた人も少なからずいたと思いますが、学生運動みたいなことにはなりませんでした。大学に行くために上げなければならないのは声ではなく学力。不正があろうが無かろうが、学力を上げないことには大学に受からないので、とにかく不正がないことを信じるしかなかったのです。
また、入試まで時間がある高校1,2年生で、強く問題意識を持った人も少ないでしょう。1,2年は受験のことなど考えたくもないし、将来の夢や展望を持ってる人も少なく、何よりも今を楽しむことが大切だと思っています。
rider250 なるほど、リベラルってこんな感じで若人を舐めてる/見下してるんだな、年がら年中「啓蒙してやる!」ばっか言ってるからわかっちゃいたが。俺が10代の頃、中曽根が長期政権だったがこんな風には思ってなかったぜ?
若者は愚かだと思いますが、見下してるつもりはないです。いつの時代も、それが当たり前だと思うからです。ニュース見ないし、政治なんて興味ないし、それより短絡的で楽しいことをする。いつの時代だって、そんなもんでしょうと。
普遍的な若者の特徴と、安倍政権のタイミングが噛み合ってこのような状況になった。ただそれだけの話で、Z世代が悪いとは思いません。
そして、「立憲をはじめとした野党は、そういった若者の特徴を押さえながら選挙運動をするべき。批判するだけでは支持を得られない。」っていう指摘は本当にその通りだと思います。
私はド底辺在日朝鮮人環境にありながら金貸し成金となった家に生まれたので資本投下をされて育った。
仕事なんて金貸しと風俗と不動産と飲食とパチンコしかなかった。それが世界のすべてだ。
エリートの奴らが皮肉を込めて言う JTC なんて遥か上層の見えない世界だった。
最大のエリートは朝鮮大学校を出て朝鮮総連でよくわからないことをやっているクズ共だった。
彼らがなにをやっているかというと、何もやっていない。建物に行きダラダラして終わりだ。
そういう肥溜めで育った。
そんな状況だったので中学二年生まで大学に行くという概念が現実的なものとして見えてはおらず、自分の成績についてもよくわかっていなかった。
私はどうやら頭が良いらしい、そういうことが分かったのは高校に入ってからだ。
ド底辺連中が跋扈している汚らしい街を出身として金が出来て引っ越した先にて進学塾というものに入ったときのこと。
市進という塾だった。
そう塾の先生が言った。
朝鮮学校などという肥溜めにいてはいけないと気付いてはいた両親が勧めた塾だった。
中学三年生になって入塾したのでクラスは下の方だった。自分でもよくわかっていなかったので別に何も思わなかった。
ただそのクラスで使うさほど難しくもないテキストをすぐに解いてしまう私を見て目をかけてくれた先生がそこそこ難しいテキストのコピーをくれた。
「きみならできるでしょ」
できた。進学塾という概念を親はよくわかっていなかったのでそれに入ったのは中学三年生だったが、個別指導塾などには行っていたのでそれなりにできたのだ。
資本投下はされている。
そして普通に受験勉強をして県内で五本の指にはいるくらいの高校に行った。東京大学に複数人排出してる高校だった。
そこでも私はなぜかよく出来た。物理の先生が言ったことを今でも覚えている。
「きみは頭が良いよ」
ほんの少しでもズレていたら確実にド底辺在日朝鮮人としてパチンコの景品替えでもやっていた私はどうやら頭が良いらしい。
あの人が言うならもしかしたらそうなのかも知れないと思い東京大学を受けた。
東京大学に受かった。なるほど資本投下されると東大にいけるものなのだな、と思った。
周りの人間に大学に行っている奴なんていなかったから、よく分からないまま大学に行った。
そしてなんとなく院に進み、教授の「君は博士に行くべきだ」という言葉を本気にして博士課程に行った。
適当に過ごして論文がそこそこのジャーナルの editor's choice になりそのテーマで課程博士号を取った。
確かに私はそこそこ頭が良いらしいなと思ったが、本格的に文化的資本を投下されて育った奴の中では生き残れる気がしなかったので適当な JTC に行った。楽だった。
8:30-17:15 の勤務で残業無し、年間 124 日の休暇に 24 日の有給休暇を7割くらい使える。天国だった。
ただ天国過ぎてなんかやめた。後悔はしていない。
今はちょっとした外資にいる。そこそこちゃんとやっていたらなんか年収がそこそこになった。悪くないくらいの金額なのでまぁいいやと思っている。
大学と院の頃にデリヘルをやって生活費と学費を稼いだ女だった。
Non-MD だが東京大学大学院医学系研究科で学位を取得している。
負けたと思った。生まれて初めて負けたと感じた。
ここまでこの文章で成り行きをつらつらと淡々と描いてきたが階級を超えるためにそれなりに考えて生きてきた。
私は私を誇りに思う。
親の金と自分の頭を使ってなんとか金貸しでも風俗でも不動産でも飲食でもない仕事に就きたかった。そして就いた。
ホワイトカラー、美しい仕事だ。銀行で住宅ローンを借りられる。そんな人間、周りにはいなかった。
私はその階級突破を密かに誇りに思っていた。少なくとも私は道を切り開いた、そう信じていた。
普通に考えれば簡単にわかる。18歳で処女を20万で売る方法と丹力を持ち、東京大学を受けるような奴には勝てっこない。
そしてさらに悪いことにギリギリ公的幇助の対象にならない痴呆老人が一人と精神疾患を持つ叔母とともに暮らす家で育った。
塾にも予備校にも行かずに勉強し、九州地方の片田舎から東京大学に試験を受けに行った。自分自身の処女を売った金でだ。
大学進学すら反対される中で生き延びるために持てるものをすべて使い、生き抜いてきた。
「私はなんでもするよ。誰でもいずれはそうなる。私は少し早かっただけ」
そう言い切る彼女の言葉は真実にすべてを投下してきた人間のものだ。
「そもそもね、結婚相手に稼ぎを求める女たちと処女を金で売る私の間に違いなんてさほどないわ、タイムスケールが少し違うだけ。あと学問が好きだったからね。知的好奇心と処女では知的好奇心が重要だった」
勝てる訳がない。こんな化け物に勝てる訳がない。何の言い訳もできない。私はこの女より弱い。
本は無制限に買ってもらえたし、進路に口を出されたこともない。勉強部屋も与えられたし、家事も介護もしたことはない。
受けたい模試はすべて受けることができたし、加えてお小遣いももらっていた。
朝鮮学校からまともな日本の学校に行く際にはクソ共に反対はされたが常に親は味方だった。
それは非常に幸せなことだった。
昨今、テレビやネットで「宗教」が悪い意味でクローズアップされることが多いので、
多少なりとりも宗教に関わっている人間として思っていることをとりとめもなく書いてみる。
このエントリは「宗教を信じろ」とか言うつもりは無いし、何か提言をするわけでもない。
目的はなんだ、と聞かれたら愚痴や相談に近いのかもしれないし、
ブクマをもらって、ただ承認欲求を満たしたいだけなのかもしれない。
そして自分は俗にいう「寺の後継ぎ」であった。
〇〇平和連合とか××学会とかでは無く、大手宗派のフツーの田舎寺の生まれで、社会人を経てから東北のとある寺を継いでいる。
真面目にやっているつもりではいるが、カツカツ状態でお寺を運営している一応の「宗教の運営サイド」である。
僧侶として不適切な表現があるかも知れないが思うことをリアルに書いてみようと思う。
こういうネット論調に対して、別に否定はしない。実際にそういう人は目立つし、まぁ多いんだろうな、と思う。
たぶんお金のある環境で何不自由なく育ち、社会にも揉まれずに、資格だけ取って親の跡を継いでるのだから。
悪く言ってしまえば、中小企業の無能ボンボン2世社長みたいなイメージなんだろうか。(もちろん厳しい修行は経ている)
一方で、もちろん真面目なお坊さんもいるし、先代住職の後をきちんと継ごうと頑張っている若い子もいる。聖者かよ、ってレベルの住職もいる。
特に、小さいお寺で住職だけじゃ食べていけない比較的若めな人ほど、副業をやりながら、
きちんと社会と関わりを持っているからマトモな感覚を持っていると個人的には感じる。
やはり前者の「クズ」とネットで呼ばれる方はでかい寺のボンボンドラ息子が多いんじゃないかな。
センス悪い真っ赤なBMW乗り回して、キャバクラ行ってるような生臭坊主。そんなネット上で揶揄されるイメージとそこまでかけ離れて無いと思う。
ただ宗教法人の本部側、もしくはお檀家さん側から見て、1番ヤバいのはこういうタイプがやっている寺ではないと思う。
彼らにはまだ、人とコミニュケーションを取れる、という立派な能力があるからだ。
結論から言えば、前述のようなテンプレ的なクソ坊主(以下テク坊とする)よりヤバいのは、
発達障害の方が継いでいる寺なんじゃないかと個人的に思っている。
※発達障害の方自体をどうこう言うつもりは全くないし、彼らに社会のケアは必要だと思うし、本題から逸れるので置いておく。
そもそも「寺の跡を継ぐ」だいたいのパターンとして寺生まれの子が高校卒業後に専門の大学に入って資格を取り、寺に戻るルートが多い。
しかし彼らは陽キャなテク坊とは違う。大学時代にテク坊が親の金でクラブで遊び呆けている一方で、
人とマトモなコミュニケーショが取れない、文字がすらすら読めない、簡単なことが覚えられない、優先順位がつけられない、何度同じことを注意されてもできない、大学に来なくなりがち等、
見ているとこんな子がいるのかとびっくりしてしまう程だ。
発達障害のエピソードなんかは他のエントリでも言及されている通り。
別に彼らを馬鹿にしたりとか、彼らのやばいエピソードを列挙・紹介したりとか、そういう目的では無いので詳細は省く。
そして、もちろん彼らは悪い子ではない。
高校を出たての18歳で、地方から単身、大学のある都市に出てきて彼らなりに努力しているのだと思う。
本来なら「彼らにもできること」を職業として、何かしらのケアや気遣いを受けながら生きていくのだと思う。
しかし彼らは(親の意思であれ)お坊さんになる道を選んでしまったのである。
お坊さんという仕事は、言ってみればイチ法人の社長みたいなものだ。
お檀家さんや地域の方とコミュニケーションは必須だし、当然一定のタスク処理能力もいる。
人の生き死ににも関わる仕事なのでイレギュラーな対応も多々起きる、体力のいる仕事だ。
テク坊は生臭坊主かもしれないけど、寺が回っているなら一応やることはやっているはずなのだ。
また、ひと昔はお坊さんになるのにも、一定の選別は行われていたのではないか、と思う。
しかし今は少子化も進み、在家から出家する人も減ったろうし、そもそも職業として倍率が減っている。
なので、どんな子であろうと、なんとかして跡を継いでもらわないと、田舎なんかだと寺自体が潰れてしまうかもしれないのだ。
宗教法人の本部側からしてもそれは避けたいし、何より坊さんを養成する大学側も継いでくれる彼らを見捨てるわけにはいかない。
昔と比べて志望者は減り、入試の倍率はほぼ1倍に近い、いわゆるFランで、入学後も彼らを(大学とは思えないほどに)サポートする。
優しく、とても優しくお坊さんになるまで見守ってあげるのだ。
そうして見事生き残ってしまうのである。(もちろん修行から逃げてしまう子もいる)
もう一度言うが、発達障害の彼らをどうこう言う気は無い。
ただ彼らの能力的におそらく無理であろう、さらに寺の住職という少し特殊な職業に就いてしまう、就かされてしまうそんな構造がヤバいと思う。
想像してみてほしい。自分の家族や親戚が亡くなった時に来たお坊さんが、ほぼコミュニケーションが取れず、小さな声でボソボソと下手くそなお経を読んでいる光景を。
いや、そもそも予定を覚えられず来ないかもしれない。彼らにとっても、ご遺族にとっても最悪だと思う。
言い過ぎだろうと思う人もいるかもしれないが、彼らを見ると本当にあり得ると思う。
一般的な仕事であれば、当然そんな人に需要はなくなるし、潰れて当然だろう。
だから冒頭のネットの論調のように、坊主が嫌われてるのも分かるし、自分が在家の生まれだったら不要と思うかもしれない。
でも自分は寺の生まれで、亡くなった先代に反抗してた時期はありつつも、結局継ぐことを選んでしまった。
これからの宗教法人の行く末を不安に思っているだけで無力な一僧侶だ。
あえて言いたいことがあるとすれば、
住職としゃべってみてやばいと思ったら菩提寺を変えてみた方がいいかもしれない。
完全に俺の経験則だけど、ニート兼非モテは脱ニートより脱非モテから始めた方が良い。
太ってるならとりあえず食べずに過ごして痩せて、親の金かっぱらってでも美容院行って無難な服買ってスキンケアして、女と出会える環境に身を置いてみたらどうだろうか。
「空っぽで無価値のニートでも見てくれと雰囲気と慣れで女をモノにできる」ということさえわかれば職業面での無駄なプライド捨てて職探しできる。俺はとりあえずガソリン代とデート代や服代を稼ぐためにほぼ無条件で採用される工場で働き始め、「スーツ着てる仕事の方が印象良いかな」と思い働きながら宅建取って小さな不動産会社に入った。そこで何年か働いてから同じ業界で規模も大きい今の会社に入った。
教育の階級格差や地域格差、親ガチャで生涯が左右される現状を問題視しているのってどう考えても左翼やリベラルの方なのに
親の金でキラキラした留学や海外ボランティアの経験をさせてもらった経験から経験重視を訴えるお嬢様を憎む人達が(これ自体は実に真っ当な怒りだと思う)
これ。
件のお嬢様に苛つく気持ち自体はよーーーーーーーーーーーーく分かるんだけど。
引用RTでバラモン左翼だのリベラルだのと言われているのが不思議でならない
常々思うんだが「上級国民」や「親ガチャ」という言葉を好んで使ったり、社会階層や格差の問題に対して敏感な事を言う人達に限って何故か
左翼やリベラルを叩いてどうやったら自分達の境遇がよくなると思ってんの?
大体、「バラモン左翼」認定される人達ってせいぜい地方の開業医や大学教授といった中流の出で
この手の親の金で良い経験をさせてもらったお嬢様のようなお金持ちが左翼やリベラルであった試しがないと思うんだけど
どうして左翼やリベラルこそが強者で真の敵だーって思考が抜けない訳?
一見民衆の味方のような善人に見える者こそが本当の悪だって思い込んでいるなら、漫画やアニメの見過ぎなんじゃない?
https://twitter.com/abcabcabc999666/status/1562189495818403844
ねこパ〜スタ
@abcabcabc999666
金持ちの家に生まれたお嬢様が「経験は唯一お金では買えない」とコメントしてたけど、たぶん本気でそう思ってそう
親が金払うところとか見てないんだよ
彼女は自分が親ガチャSSRを引き親の金で留学などの経験()を積んだ身分で「若者の格差を無くすには学歴中心で評価するより経験を重視すべき」「留学ができなければいじめられた経験でも語ればいい」のように過去発言し、「いや余計格差広がるだろ」と今さらぶっ叩かれている。
俺は父親が貧乏なうえDVしまくり、母親は常に彼氏がいるというゴミ家庭で育ったがなんとか生き延び結婚し子供が1人いる。
俺は平原依文さんみたいな人間を見ると反吐が出るが、子供には平原依文さんみたいになってほしいと思ってしまう。
彼女のように子供のころから何もかも与えられることが当然で、求めれば与えられると信じることができ、好きなことができてそれを支えてくれたり賞賛される人がいることが当たり前で、自分を肯定してくれる人が周りにいて、自分の意見は正しいと思えて何一つ疑わないキラキラした顔でいられて、自分を否定してくる人にはムッとした顔をすることができる。
全てを与えられ、愛されることを疑わない、万能感が滲み出ている子供に育てたい。
他人だとぶん殴りたくなるし、もちろん子供には人を思いやること、深く考えること、一人一人を尊重することは教えたいが基本こういう人間にしたい。
お金がなくなるのではないか、親にも愛されない自分はなぜ生まれてきたんだろうというあの目の前が真っ白になるような、背中に水が流れていくような感覚は味わったことはないだろう。それでいいと思う。素晴らしいことだと思う。
確かにそれは古典的な政治理論だったんだけど、今はもう通用しないよ。
というのも、お前や俺が大学の授業でそういう話を学んだ時と違って、今はリベラル批判が活発にされているからね。
「弱者の味方をする」ということは、どうしたって「弱者でないやつの味方をしない」ということ。
ここで言う「弱者でないやつ」っていうのは、お前の嫌いなアベのトモダチみたいな、強者のことじゃない。
まだ老人ではない健康で平均的な若者とか、シングルマザーではない普通に父親のいる子持ち家庭とか、人一倍の頑張りと才覚で業績の出ている中小企業とかだ。
彼らは確かに、高齢者やシングルマザーや業績悪化した中小企業よりも恵まれているけど、別に生活が楽なわけじゃないし、補助がじゃぶじゃぶもらえてるわけじゃない。
なのにリベラリズムに忠実であればあるほど、活動家ってのは、彼らの存在を無いものとして扱わざるを得ないのよ。
リベラリズムは、この世に強者と弱者しかいないものとしてきた。
その結果が、白人男性だけど貧しいトランプ支持者たちだったり、若くて親の金で生きてるけどネットにしか居場所のないネトウヨたちだったりしたわけだ。恵まれない奴の受け皿が、自称「弱者の味方」たるリベラルではなかったということだ
そういう文脈を前提すると、マジョリティのやりたいことは放っておいても実現される、なんてのは誤りなのがわかるだろう。
実現されるのは、強者の望みだよ。
マジョリティたる普通の人たちは放置されている。そのことに対する不満がある。
そういう不満を拾い上げることが、立民にはできない。
なぜならリベラル思想だけを見ていて、目の前の人の事は見てないから。
そういうことなんだ。