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はてなキーワード: 自死とは

2023-02-19

anond:20230219190144

海外特にお隣は民族的にそういう気質からヒステリーで突発的に自死するケースがまああるよ

2023-02-15

ネット知名度の高いMtFFtMに頭のおかしい人が多い理由

頭のおかしくない大半の人達性同一性障害であったことも手術を受けて戸籍上の性別を変更したことも一々公言しないんですよ。ただちょっと小さいオッサンとして、あるいはデカいお姉さんとして、社会の中に馴染んで消えていく人達ほとんどです。敢えてそうせずに、女になったのにわざわざ「私は元男(女)だった!これだけ頑張って女(男)になった!社会サポート全然足りてない!」みたいに騒ぎ続ける人というのはかなり特殊存在です。

彼らは物心ついた頃から自分性別違和感を抱き、着替えのたびに、あるいは風呂自分の裸体を見るたびに「なんで自分身体はこうなのか」と苦悩しながら生きています。彼らの望むことは自身の抱える身体への違和感を解消して、本人が自認した性で生きることです。

ではなぜ社会に物申したり反社会的行為をひけらかしたりして、とにかく目立とうとする人が出てくるかというと、平たく言えば絶望から目を背けるためです。

彼らは物心ついた頃からずっと果てしない闘いの中を生きることを余儀なくされます。そのゴールが性適合手術と戸籍上の性の変更なのですが、そのゴールをもってしても、彼らが「本来自分はこうあるはずだった」と信じるものほとんどは手に入りません。例えば男性器を女性器に作り替えて乳房を作って戸籍上女になっても妊娠絶対にできないし生理も来ない。女性器を取り除いて男性器を作っても朝勃ちもしなければ射精もできず性行為による子作りも出来ない。書面上の性が変更できて見た目をそれなりに自分の信ずる自分の性に近付ける事はできるけど、それだけなんです。そして、性適合手術を受けた以上、性同一性障害治療ほとんどアガりで、それ以上すべきこともできることもほとんど残っていない。それなのに「さああなたの戦いは終わりました!あなたらしく生きましょう!」と社会に放り出される。これが性同一性障害人達の多くが共通して抱える絶望です。性同一性障害を抱える人は、性適合手術を受けた後に燃え尽きて自死する人が多いといいます。その戦いが終わった後の絶望とひたすら向き合い続けるのが、生きる限り続きます。そこから目を逸らす方法が、戦い目立つことを日常にするという選択です。

また、彼らが望むように手術後の性で社会に溶け込もうとした時、彼らはあらゆる過去を捨てざるを得ないという事情もあります。元の性を秘匿して生きるには、学生の頃の話だとか幼馴染との思い出とか、そういう物を全部捨てて無難で退屈なそれらしいストーリーを用意するしかない。つまり過去を全て失うわけです。それを避けるには元の性を明かし、特殊立ち位置となることを選ぶしかないのです。

さらに言えば、彼らは迫害を逃れるために小さな嘘をつきながら生きることを余儀なくされます良心の呵責に苛まれながら人に小さな嘘をついたり事実の一部への言及を避けたりしながら生き続けるストレスというのは、想像を絶するものです。使いもしない生理用品をトイレのそれらしい場所に置いたり、男性らしさのためだけにTENGAを部屋に置いたり、そんなことしなくても誰も気にしないようなことまで細かく嘘を吐き、自分平穏を守るしかないのです。

若い頃の大半をひたすら肉体に対する違和感の解消のために消費せざるを得ず、出来ることを全部やっても手に入るのは不完全な肉体でしかなく、将来の夢もどんなふうに生きたいというビジョンも育む余裕のないままいきなり人生大人から始まる。それでも彼らの殆どは手に入ったものを出来るだけ守り穏やかに暮らそうと必死社会へ溶け込もうとして、出来るだけ目立たぬように生きているのです。

世間の抱く性同一性障害の人に対するイメージは、ごく少数の敢えて過去を開示して戦い続け目立ち続けることを生きがいに選んだ人達からくるものです。そして戦い続け目立ち続けると人はおかしくなりますほとんどの人は誰にも気取られないよう、最も違和感を与えない振る舞いはどうかとびくびくしながら選び、透明になろうとしているのです。

ふと知ってほしくなって思うままに描きました。

2023-02-12

anond:20230211194522

30までに死ぬって言って本当に自死した知り合い居るけど

今振り返るとすげーつまんねー人生だなって思うよ

だってエヴァ完結篇も見れないしハンターの続きも読めないし靖子にゃん脚本岸辺露伴ドラマも見れずに死んでるんだぜ

2023-02-07

役所国会議事堂死ぬ奴っていないのかな

経済状態精神状態が悪くてふっと死がよぎる時、まあまだ全然死ぬまでは何ステップもあるんだけど、

役所国会議事堂で国や政治への抗議のためにわざと死ぬ奴っていないのかな?と思う

自分が知ってるのは去年首相官邸前で国葬反対のために焼身自殺したやつと

だいぶ前に集団的自衛権関係新宿焼身自殺したやつくらい

意外と少なくないか

あと自分想像しているのはちょっと違ってて、思想信条に殉ずる強烈な抗議というより

「もう生きていけないな。どうせ死ぬなら死に様を抗議のために使おう」みたいなついでの死に方

生活保護を断られて役所の窓から外に向かって首を吊る

障害者差別した議員事務所前で障害者焼身自殺する

同性愛者への蔑視発言をした議員宅の庭先で周囲からいじめられた同性カップル服毒自殺する

コロナ対策で見捨てられたコロナ老人に張り紙をつけて国会議事堂前に捨てていく

「お前らがつくってる社会はこういう社会だ、お前らが普段目の前で死体を見ないだけだ」っていう、死体風刺画を完成させるイメージなんだけどあんまりいたことがない

パチンコ屋の便所で首吊ってましたみたいのはたまにあるじゃん

耳に入ってないのか報道されてないのか、自分はまだまだ元気で死を目前にすると人は抗議なんかどうでもよくなるのか

自死するような人は自責思考に陥りがちで、政治のせいだなんて考えないのかもしれない

まあ薬飲むわ

2023-02-04

自分人生を諦める時ってどんな時かな

多くの人が何かを苦に自死や取り返しのつかない行動を起こす。

しかし一体どんな苦で人はそうなってしまうのだろう。

自身そういう状態になりかけてる気がするんだが、正直良く分からない。

俺の今の精神状態では自死破滅行動を選ぶのが普通なんだろうか。

だいたい普通とは何なのか、そして普通だったらなんなのか。

数十億年前に生まれバクテリア

その進化過程に過ぎないホモサピエンス

そしてその典型的思考回路が「普通」だとすると、一体なぜその普通にこだわる必要があるだろう。

2023-02-01

anond:20230201232246

アメリカは二発も原爆落として一般人殺戮してるのに、オバマ反省してまぁす言いながら結局誰も自死せずのうのうと世界の警察気取りしてるて事よの

投資宗教バカにするのは勝手ですけどいざ老後資金が足りなくなったからって福祉に縋るのはダメですよ

その時は潔く自死してくださいね

2023-01-29

人生マップ

我欲が強い×共感力が高い×能力が高い:不存在

我欲が強い×共感力が高い×能力が低い:自死

我欲が強い×共感力が低い×能力が高い:組織トップ

我欲が強い×共感力が低い×能力が低い:闇バイト懲役

我欲が弱い×共感力が高い×能力が高い:過労死

我欲が弱い×共感力が高い×能力が低い:底辺

我欲が弱い×共感力が低い×能力が高い:孤独死

我欲が弱い×共感力が低い×能力が低い:ネット弁慶

2023-01-27

フェミってh本当にだめだな

https://anond.hatelabo.jp/20230126224510

それはお前のことだよ以外の感想はない。

からクソフェミ共は黙れ。利用するな。

あの女は正直どうでもいい。信用するに値しない。ブログ見てこれは無理だと気づかないのかな。恐喝やってるだろ。だからフェミは役に立たない。性被害とかふざけんなって感じ。あんなことばっかりやって孤立してしまった。

男だったらKKOですわ。

そもそも出産していきなりシングルマザーさら引退して事業をはじめる。普通にありえない。これがわからない女はフェミではない。

でも子供心配だよ。姉ちゃんが引き取ったのだろうか。

まあお前らがどうしてそうなるのかは興味ないしどうでもいいや。園に共感があるのか、告発するような人間が嫌いなのか、より関心を払うべきずっと重要問題があって(例えばアキバ系ポスター女の子の胸が大きいとか?)手が回らなかったんか、まあどうでもいいや。もはやお前らに興味ない。

ただはてブ民どもも興味もない女の自死に関心あるようなふりすんのだけはやめてくれよ。な。ほんとそれだけ。死んだとたん寄ってきて死体でシコんな。

いい加減変な芸名規制しろ

園子温監督の件で、自殺した女優さん美しい裸と書いて美裸(みら)だった…。マジ?

遺族が死因を公表してなくて、どうやら自死したっぽいアイドルまぐろ…。(本人は意味わかってたのか?)

最近自分必要以上に傷つけるような、変な芸名の女多すぎなんだよ。

まんしゅうきつこも改名

ぱいぱいでか美改名

この2人はもしかしたら危なかったんじゃないか。今は大丈夫なんだろうか。

明らかにバグってる芸名は周囲が止めろよ。

イエモンとかポルノちょっと危ういが、こちらは個人ではなく所属からまだダメージは軽いように思う。

個人名を自虐ネタにしてしまうと、本人で名乗ってるうちはいいが、人気が出てきて呼ばれる機会が増えてくると罵倒語になってしまう。なんだか認知に深刻な影響を与えている気がしてならない。

豆だがサッカー選手柴崎韓国語ではクソ野郎意味する罵倒語発音が非常に酷似している(韓国テレビ番組ですごい名前選手がいると取り上げられたこともある)。

こういうケースも自身の知らないところでアナウンサー連呼されてる程度なら笑い話で済むが、もし現地のクラブ移籍して生活してサポーターから野次も飛んでくるのが日常になってくるようだとキツかったりするのだろうか。さすがに登録名を変えたりして対応するのだろうが。

ともかく、今やってるやついたらやめろ。今すぐやめろ。改名しろ。むしろプレスリリース打てるぞ。自分商品として売り込む商売やってる人間が、自分大事に出来なくてどうするんだ。

2023-01-26

自作自演かもしれないのでアンフェとは限らない

N-bay

@nbay_hitocoto

   さんを叩いてたアンフェアカウント

正義中毒で白黒思考、もしかしたら被害者かも知れないも念頭に全くなく

セカンドレイプしまくって自死させてしまったのかな…

絶対にあの属性

中傷逮捕される人って大体自分が思ってる事が正義世界ルールしかも間違ってても絶対に謝らない

午後10:51 · 2023年1月26日

https://twitter.com/nbay_hitocoto/status/1618607576207486982

フェミニスト自己紹介ですね。

園子温告発者を見捨てたはてブ民が揃って口拭ってて超笑える

園子温監督の“性加害”告発女優自殺していた | 週刊文春 電子

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/bunshun.jp/denshiban/articles/b5000

いやいやいやいやw

何を驚いたみたいなコメントや悲痛ぶったコメントしてんのよw

こうなるぞってはっきり予言されてましたよね?

 

 

増田ではこの問題を指摘する人間が出続けててたし

それに対してはてなブックマーク嘲笑黙殺荷担を繰り返してたよな?

歴史修正させないように軽くまとめとくわ。

(ここに挙げた以外にも園問題継続糾弾増田には結構いたのも指摘しとく)

     

    

例1

「たわわ」がNG園子温が"無罪"になる、フェミニスト不都合な真実

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20220506182417

何故か早期話題収拾を図り話題にするのをやめたそうにするリベラル勢力に対し

鋭く問題提起するこういう増田もあった。ホッテントリから覚えてる奴もいるよな?

  

なのにこの問題提起には賛同するどころか

園子温問題継続的に話題にする必要がない理由」を熱弁するブコメばっか上位に押し上げてたのがはてなブックマークだったわけだ。

  

別にそういう立場意見"も"あってもいいと思うけど

それがずらっと人気上位に来るのがはてなブックマークだったやん。

ならおめーらに見捨てられた告発者が自死したくらいでショック受けたようなツラすんなよ。

なんとも思ってもねーくせによ。

 

例2

園子温が「100%有罪」ってどこの異世界の話??

https://anond.hatelabo.jp/20220508104059

上の増田ブックマークへの突っ込み増田だ。

  

ほんとこの問題については

増田たちが「見捨てるな!話題にし続けろ!」つってて

ブクマカたちが「嫌だ!話題性はない!終わった話!」って反発する構造だったよな。

 

こっちの増田は今みたいな展開まで読みきって予言してたか引用するわ。

5.「フェミニズム」「アップデート」が見捨てるもの

園子温はい

発する言葉を最小限にし、威嚇と居直り世間に出る情報を抑えて息を殺してる。

非常に賢いやりかただ。

   

  

これがうまく行くのは

「語るべきものがない」などと言いながら話題にすることを否定牽制までしてくれる市井リベラルの方々、完全ダンマリ追加報道なしを決め込む報道機関の方々(普段なら女性差別に感度の強いリベラルメディア含む)、皆さまのご理解協力があってこそだ。

  

   

こうして「語らない自由」「報道しない自由」によってまんまと疑惑の鎮火・風化が進めばどうなるか?

     

告発は無になり、白黒つかないまま全てが落ち着き、権力持ってる側の勝ちで確定するわけだ。

告発した側一人一人には暗い未来が待ってるだろうな。

  

   

いやーこれでもし告発が本当で園が悪質な性行為強要常習犯だったら大変だな!

     

多重レイプ犯やその共犯者たちを逃げ切らせて、やっぱりあれぐらいやっても大丈夫なんだと思わせて、

勇気出して声をあげたレイプ被害者達を「お前等の声なんか無なんだよ?」って言いながら殺すわけだ。

  

『語るべきものがない』と抜かして口を拭ったお前ら一人一人がな!

   

どうこれ?

から何までこの増田予言通りに運んでて草なんだわ。

口を拭うって表現もこの増田から学んだけど

くち【口】 を 拭(ぬぐ)う

(盗み食いをした後で、口をふいてそしらぬ顔をする意から) 何か悪いことやまずいことをしていながら、していないふりをする。 また、知っていながら知らないふりをする。

まさにこういう状況をぴったり表現する言い回しだよね。

    

  

 

で、まとめというかアドバイスなんだけどさー 

告発女優の痛ましい自死について世間の誰が衝撃受けても自由なんだけど

はてなブックマーク民だけはショック受けたフリすらするのやめなよ。

   

君たちは告発者を見捨てよう見捨てようって方向でだけ頑張った人たちで、そのログちゃんと残ってるし、増田に窘められてもますます「もういいの!話題にしないの!」って頑張った人たちなんだから。ね。 

   

もちろん園子温告発通りのことをしたとは決めつけられないけど、告発者がすげー弱い立場にあるのはわかってたことだよなー。

最低でも白黒つくまで見守って話題に上げ続けないとどんなことが起きる可能性があるか。

からない人やとぼけたい人のために丸々予言してくれる増田までいたよなー。

なのにはてブではこの問題を語り続けようとする声が結局全然伸びなかったよなー?

    

  

ふだん女の人権だのサベツだのが好みのネタなのに

権力構造人生まるごと圧殺されようとしてる女を平然と見捨てて「話題にする理由がないの!」って吠え猛ってたはてブ民の勇姿は忘れねーからさ。

    

それでなんだっけ?

駅に貼られるアキバ系ポスターは大問題から永続的に話題にしていくんだっけ?

女の権利生命のための戦いなんだっけ?

  

ロードローラーでグチャッてつぶされる寸前みたいな立場の女の人のことはへーぜんと見捨てるけど

オタクキモくてキモくてキモい!って言い続けるのは重要アクションてわけだ

お前ら誰かを助けたいんじゃなくてヘイトしていい被差別民ヘイトしたいだけだろ?

  

  

見捨てて死なせたあとで衝撃受けるフリでさらにシコるネタとして消費しやがってよwww

俺もこの問題話題にし続けないとやばいぞって増田に書いたけど上の二人と違ってホッテントリにもならなかったわ

誰も聞いてくれなくてやっぱりこうなった

無念だ

  

はてななんてクソだ

 

すげークソなはてブがついてた

WinterMute いやいやいや、なんでネットリンチ勝負つけようぜ! ってレギュレーションにしてんの。決着の場は裁判だろ。そんで個々の誹謗中傷ダメ女優中傷した連中も監督死刑! とか吹いた連中も同レベルだわ

2023/01/27

は?

誰が誹謗中傷しろなんて書いてる?

俺も増田2人もそんなこと書いてないよな。

真実がなにかは確定してないってこと俺も増田たちもちゃんと書いてるよな。

 

逆にたとえば園が有罪として落着してるなら告発者は安全だけどそうではないから言ってたんだ。

判決とか出てないし園は認めてないし潜航してるだけだった。

そういう不確定な状態からこそ注視し続けないと関心持ち続けないと話題にし続けないと告発者だけ潰れて終わりになります

ってことを増田たちは予言しててその通りになったって話じゃん。

 

園が有罪だと決めつけろとか誹謗中傷しろとかネットリンチでやっつけろとか俺がどこに書いた?こうやって言われたこと大幅にねじ曲げないと反論できないのはなんでだろうな?今度はこんなんが人気一位になるはてブ民ほんとクソだな。

  

そんで上に挙げた増田への反論ブコメでは「園は有罪と確定してるから話題にする必要がないんだ!」とか言う不思議理屈が一位になってて、今度は「決めつけて誹謗中傷するな!」が一位になってて、

100パー同じ奴らではないとは言え短い時間で完全に正反対な言い分を一位にするのが凄いよな。一貫してるのは何故か話題収束させてえ、ロードローラーの下の告発者の女の運命に全く興味ねえ、という実質的スタンスだけ。

   

書き忘れてたけどハフィントンポストも凄かったよな。ああい論調メディアでいわゆる女性差別はいっとううるさいようなポーズとってきて、園のことは何度も取り上げてたのに、この件は徹底だんまり

 

  

まあお前らがどうしてそうなるのかは興味ないしどうでもいいや。園に共感があるのか、告発するような人間が嫌いなのか、より関心を払うべきずっと重要問題があって(例えばアキバ系ポスター女の子の胸が大きいとか?)手が回らなかったんか、まあどうでもいいや。もはやお前らに興味ない。

ただはてブ民どもも興味もない女の自死に関心あるようなふりすんのだけはやめてくれよ。な。ほんとそれだけ。死んだとたん寄ってきて死体でシコんな。

2023-01-19

anond:20230119174546

車の例にとった「この世」のスコープ範囲は「都会」も「田舎」も含むから田舎の例が反論になるし、勝手に「この世」のスコープ範囲を「都会」に限定している提起者が異常になる。

翻って「不死」では注釈がない限り文字通り「死なず」を定義していると考えるのが一般的な考えといえるため「あらゆる条件下における不死」を指すはずであり、「自死ができる不死」こそが「条件付き不死」であるためあえてよりスコープ範囲限定たこ反論は反例たりえない。

よってお前が異常者。

anond:20230118214733

自死の主な原因が

健康問題老いと関連

から不老になったらその気も変わるかもしれん

2023-01-12

実家を出たら世界がバチボコに明るくなった

家族が嫌いだった。

だった、というのはちょっと語弊があるかもしれない。今もうっすら嫌いだ。

家にいたくなくて、死んでしまおうかと追い詰められていたこともあった。

死ななかったのはちょうどそれくらいの時期に従兄が自死たから。

先を越されて死にそびれただけである

実家は小さなことでもすぐ怒鳴り声が上がる家で、父親母親は怒鳴り合いの喧嘩をしたと思ったら不機嫌さを隠しもしない冷戦状態になることが多い。

それが家の中で起こるのはまだわかる。いやわからないが、出かけた先の車の中で起こると最悪である

密室状態の車の中でハンドルを握る父と助手席に座る母、どちらも不機嫌になったとき何もかも嫌になってイヤホン音楽を聴いていたら怒りの矛先がこっちに向いた。なぜ。

休みの日には起きてすぐにあてもなく外出して、日付が変わるころに帰ってシャワーを浴びて寝る生活をしていた。

もう消してしまったんだけど増田にも姉が嫌いだっていうタイトル投稿したことがあった。

家を出たほうがいい、というコメントがたくさんついたんだけど当時は自分の頭で物を考えるのも行動を起こすのもおっくうになっていて「1人暮らしなんてできるわけねーだろバカがよ、金も出してくれるでも手伝ってくれるでもないくせによ」と思っていた記憶がある。

そんなある日、オンラインゲームで仲良くなった友人に「やること全部リストにして送ってあげるから実家出なよ。楽だよ?」と言われた。

たぶんこの友人がいなかったら今頃ダム藻屑かになってたと思う。

初期費用とかで掛かる費用の目安、物件の探し方、不動産への連絡の仕方、内見で見ておくところ、電気ガス水道契約インターネット契約

送られてきたリストを見て、やること多いな!?と思いはしたがリストなしで自力でこれをできる気がしなかったので本当にありがたかった。

無事にいい部屋が見つかり、内見も終えて契約の時にだけ保証人として親に名前を書いてもらった。

そのときも「お前が1人暮らしなんてできるはずない」とか「すぐにゴミ屋敷になる」とかいろんなことを言われて精神的なダメージがとんでもなかったんですけど、契約開始日から布団とパソコンモニターゲーム機必要最低限の服を車で運んでアパートに転げ込んだ。

その週の土日に電子レンジ冷蔵庫洗濯機を買い、レンジは持って帰ってそれ以外は一番はやく運んでもらえる日に運んでもらい設置してもらった。

まだテーブルもなにもないし、床にパソコンゲーム機モニターがあるだけの生活だったけど今まで生きてきた中で一番安心して生活できた。

すごかった。毎日仕事行って帰ってきて台所で立って飯食ってんのに毎日回復だった。日に日に元気になってた。

どれだけ自分が消耗してしまっていたのかがわかってちょっと悲しくなったりもした。

実家には今、認知症の父方の祖父定年退職した父、パート勤務の母、無職の姉が住んでいる。

祖父介護についてデイサービスを使ったりしてはいるらしい。

ただそれ以外のところを母親にまかせっきりになっているのは心苦しく感じる時もあるが正直もう実家には戻りたくない。

2023-01-10

怒りを吐き出すだけの日記

一晩経ってもまだ怒りが冷めやらないので書く。本当に腹が立っている。某有名女性エンジニア結婚を発表したことについての俺のブコメに対し、見逃せないidコールがついたからだ。

Google検索に拾ってほしくはないので彼女名前絶対に書かない。皆も触れないでほしい。

自身ブコメは思った以上にスターがついてしまい目立つのは本意ではないので一度削除したが、おおまかな内容はこうだ。

自死した彼のことを思い出し複雑な気持ちになった、彼のことを俺は忘れない」

securecat 元カレの件はここにブコメせんでも。さすがに。ここは----氏と今カレ氏を祝うところでは。

その通りだ。本当にすまない。祝福のコメントが並ぶコメント欄にこんな空気読めないやつがいたら嗜められても仕方ない。

それでもブックマーク自由だという信念の上で、覚悟の上で自分のために書いている。

imaginaration ブコメ元カノを引き合いに出すのは控えめにいってヤバイから考えを改めた方がいいよ

すまない、「引き合いに出し」てはないんだ。あと元カノじゃなくて元カレな。

新しい旦那さんのことはよく知らないが人望が厚い人であるらしいことは聞こえてくる。幸せになってください。

だが、こいつらには本当にムカついた。

lady_joker 調べたがid:wakuwakuojisanはちょまど氏に粘着し続けており(https://onl.tw/t2B3zy9https://onl.tw/34feUNh)、自殺した元カレにもたいして興味ないのではと感じた。タタリ神になる前に病院に行ってもらいたい。お大事

chinpokomon_master 誰かが結婚するって話に「元カレ自殺してた」とか言う人単純にヤバいと思うんだけど。あなた部外者でしょ?自殺した人の彼女別に加害者でも犯罪者でもないのよ。 id:wakuwakuojisan元カレの知人」は部外者です

お前らに何がわかるんだ?せいぜい「なんだかめでたそうなエントリ読みにきてハッピーな気分になろうと思ったら気分を台無しにする空気の読めないやつがいてムカつく」程度の軽薄な気分で罵声浴びせてきたんだろうが。

ああそうだよ、確かに俺は空気の読めないコメントをする馬鹿野郎だよ。

決して性格が良くはないし、心も狭いし、ついでに顔も悪いし太ってる。でも心が許せる知人くらいはいたんだよ。血の通った普通の1人の人間なんだよ。

俺は彼と同業界の知人だった。

証明はできないが、彼の「一見本名みたいなHN」が実は本名と全く重なってないことを知ってるって言えば彼に近い人には伝わるか。

彼と某有名女性エンジニア交際末期ではあまり穏やかな関係性ではないことは聞いていた。

SNS上ですら公開痴話喧嘩を見せていたくらいだから自分だけでなく周囲の人間は皆気づいていたと思う。そして彼はまもなく自死を選んだ。

知人の目から見ても彼は元々精神的に未熟だったし、だらしないところもあったかロジカル女性から詰められたとしても仕方ないだろう。

不幸な結果の全ての原因が彼女にあるとは誰にも決めつけられないし、俺自身そうは思わない。状況や周囲の話も聞いた上で彼女けが一方的に悪いわけがないと頭では理解してる。

でもな、ほどなくして彼女SNS上の彼とのやりとりを片っ端から削除しているのを知ったときは彼の存在をなかったことにされた気がして穏やかではいられなかったし、今でも彼女名前を見たら心がゾワゾワしてしまうんだよ。それがそんなにいけないことか?


なあ、lady_jokerよ。「粘着し続けており」って、すごい意地悪な言い方だよな。


こっちだってできれば忘れたいが、彼女有名人なのでホッテントリでどうしても名前を見てしまうことがある。

見てしまったらやっぱりモヤモヤする。今だに気持ちの整理ができてないことを女々しい、気持ち悪いと言われたらそれまでだし正当化するつもりもないが、当て擦りくらい言わせてくれよ。

それにしたって彼の死から8年経ったその間にたった2回コメントしただけだぜ?たったの4年に1回のペースだ。これがlady_jokerの言う「粘着」なのか?

誓ってもいいが俺は彼女リアル接触したり直接SNSメッセージを投げたりエアリプしたことは一度もない。というか見たくないかミュートしている。今後も一切接触するつもりはないか安心してくれ。

これまでに書いた2件も消しておいたよ。何度も言うが俺が引きずってるのはキモいのは間違いないからな。


最後にlady_jokerとchinpokomon_masterに改めて言わせてもらう。何が「大して興味ないだろ」「部外者が」だよ。お前らみたいな何にも分かってないくせに知ったような口で気軽に罵倒してくるカス人間がいっっっっちばん腹立つわ。

ふざけんじゃねえぞ。お前らみたいな正真正銘部外者ならどんなに気楽で良かったか。心かきみだされることないもんな!


お前らはどうせ謝らないだろうし、薄っぺらな頭と口で謝られてもムカつくだけなのでこっちから願い下げだが、せめて「自分は軽薄な人間なのだ」と自覚してこれからの一生を送ってくれ!!!

anond:20230110001435

自死場合基本的他人迷惑かけるのでダメです。見つかっちゃったら警察が動いたりしなきゃいけなくなるし。迷惑しかない。

①人に見つかる場所でやる場合

片付けの為に人が割かれるし

②人に見つからない場所でやる場合

(1)うっかり見つかってしまった場合

見つけてしまった人に心理的ダメージを負わせてしま可能性がある

(2)見つからなかった場合

子供を含めた家族無駄な心労をかけてしま

2023-01-09

自死した元カレ、南山まさかずさんのことを思い出してしまってすごく複雑な気持ちになる。皆が忘れてしまっても俺は彼のことを忘れないようにしたい https://archive.md/QFnTr - wakuwakuojisan のブックマーク / はてなブックマーク

id:guldeenさんこういうのにスター付ける人だったんだね。当然、ちょまどさんが遺族と向き合われてきた事とかぜーんぶご承知の上で☆付けてるんですよね。すげーーーーーーーーーーーーーーーーーーなーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

2023-01-06

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

2023-01-02

anond:20221230145454

スピリチュアルキチの親が、ついに「すずめの戸締り」をスピリチュアルに関連づけてきて気持ち悪すぎる。

検索したら、スピ系の奴らが一斉にスピと関連づけるブログ書いてたりYouTube配信していてゾッとした。

俳優女優自死した時も、こいつら「◯◯さんの魂は綺麗で…」とか語ってて、いいかげんにしてほしい。

宗教2世と同じくらい、スピリチュアル2世も辛いから、法的になんとかしてほしい。

2022-12-28

「一人で死ね」の意味は、「(人を殺すくらいなら)一人で死ね」だよ?

https://news.yahoo.co.jp/articles/2df5ee600e853a65b6a4bfe5ee60ce9d374827a4?page=2

この記事でも社会的弱者男性が起こした男性を取り上げ

その中でその犯人に対する「一人で死ね」という言葉槍玉に挙げられているが

川崎殺傷事件犯行直後に自死した容疑者に対して投げつけられた「(死にたいんだったら)ひとりで死ね」という言葉。』

の()内は違うでしょ。

誰も「(死にたいんだったら)ひとりで死ね」だなどとは言っていない。

「(死にたいんだったら)ひとりで死ね」ではなく

「(人を殺すくらいなら)ひとりで死ね」でしょう?

あくまでも、実際に人を殺そうとしてそのような行為に及んだ人間に対して、その行為の残虐性や身勝手さを非難する言葉だよ

ただ単に死にたがっている人間に対して向けた言葉ではない。

しか元首相という権力者ピンポイントで狙った山上容疑者においてはそのような社会的弱者男性による犯罪系譜に掲げていいものかどうかも疑問だし。

anond:20221228155530

種の存続を考えれば一定年齢まで伴侶を獲得できなかったベータオスが頭おかしくなって自死するようにデザインされてるのは合理的じゃない?

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