はてなキーワード: 結果的とは
毎朝思うけどわざわざ決まった時間に行ってなんの意味があるのか
職業によってはあるだろうけど、職業によってはなんの意味もない
誰かと話すわけでもなく時間まで黙々と自分の席で作業して帰るだけ
30分遅くなったらその分30分遅くまでいれば十分
決まった時間に来ないといけない、それだけで朝からストレスがたまる
洗濯物を干すなどやっておきたいことを一通り終えてから出社すればいいから気持ちよく一日を始められた
それが時間指定があると朝からやりたいことができないし、場合によってはシャワーすら浴びる時間がない
朝から最悪この上ない
働き方改革とか言ってるなら必要もないのに定時を作るようなのを指導してもらいたい
実際電車の混雑も収まるだろうし、良いことのほうが多い
こういうことを書くと朝早くから起きろとか言う意見が出るだろうが、
それなら、早く行ったならその分早く帰れる制度くらいつくるべきだ
結局自分の都合の良いタイミングでできない時点で無意味にストレスがたまる
早く行っても早く帰れないならギリギリまで時間潰すことになるが中途半端だとできることも限られる
時間がなくて間に合うかギリギリなのに、そんなときに電車止められたり信号が赤になったらどうか
多くの人はイライラするだろう
それは周りの人にも影響するし、車だとスピード出すせいで事故る危険も増える
事故はその人だけで済むとは限らない
電車でも、病人だとか痴漢だとかで止めたときに文句言われる事が多い
そういうのがないだけでも心に余裕ができるから、ちょっと止まったくらい「べつにええで」くらいの気持ちで許せるようになる
どうせ残業ばかりで終わりがルーズなんだから始まりもルーズにすればいい
それだけで心に余裕持てる人が多いと思う
わたしは小5のとき、嫌いな女の子がいた。そいつを排除するために、クラスを分断することを思いついた。
当時仲の良かった女の子を巻き込み、その子の悪口を言いまくってまずその子を孤立させ、さらにクラスを二つのグループに分けてそれぞれが対立するようにトップを対立させた。共通の敵がいればグループはまとまると知っていたので、トップ同士にそれぞれの悪口を言わせるように吹き込んだら簡単にグループ同士は敵対した。小学生女子はヒマなので、噂話と悪口は簡単に広まる。そして一度思いついた「あの子を排除する作戦」を執念深く実行する時間を持て余している。
結果的にグループ同士の仲は悪くなり、当初嫌いだった女子はどちらのグループにも入れずに孤立することとなった。
計算違いだったのは、排除しようともしていなかった地味な女子が意外と親の力を借りようとするいい子ちゃんであったため、親側にいろんなことが筒抜けになってしまい、その子の親→先生ルートで仲直りミッションが実行されてしまった。
わたしは諸悪の根源として吊し上げられ、各ポジションから説教された。
親も呼び出されたが、私の親はめんどくさい事が何よりも嫌いなため、学校に行く途中の道で、飲みに行く約束が入ってバックれられた。当時は信じられなかったがいまなら気持ちはわかる。
30代なった今思うが、自分の子供が自分のようなことをしていたら、自分の「嫌い」に人を巻き込むなと説教する。子供の嫌いという感情なんて、昨日明日でコロコロ変わるものであるし、そんな一時の感情で、相手の心に深い傷を負わせるなんてとんでもないことだ。
本日、プラチナメダル交換所のSSRスカチケの対象アイドルの追加があったため、プラチナメダル50枚を使い、SSRスカウトチケットを手に入れ、あるアイドルをスカウトしてきた。
そのアイドルとは、私の担当の一人である、先日SSRに追加された「仙崎恵磨」さんである。仙崎さんといえば、ベリショでキャラクター的にも癖があるため、未ボイスのアイドルの中でも、かなり好き嫌いが別れるアイドルでSSR実装されるのかどうか不安視されていたものの、ナゴヤドームの業務連絡にて、SSR追加のラインナップのシルエットに発表された時は、かなりテンションがあがった
しかしながら、いざ実装はされたものの、有償分を含め150連ほど課金しても仙崎さんは出てこなく、ナゴド直後であったことから、それ以上お金を使うに使えず、止む無く、プラチナメダルを使い、月末の実装を待つことにせざるをえなかった。
ただ、「結果的にすぐに引けなかったことで、見えてきたこともあった」から、その意味では、課金した分も含め、決して無駄ではなかったと思ってる。
なぜなら、私が、そこで思ったことは、この先、まだSSRが実装されてないアイドル42人のSSRを順次、実装していくにあたって、必ずぶち当たることになる、問題だからである。
というより、おそらく、そのことがあったから、仙崎さん含む一部の「未ボイスかつ、好き嫌いが明らかに分かれるタイプ」のSSRの実装はつい最近まで見送られてたのだと思う。(第八回総選挙の近辺までに実装されていた未ボイス側のアイドルは、一見さんにもそれなりに受けるタイプか、もしくは好き嫌いは別れるタイプでこそあれ、Pの頑張り等から、一定の市民権は持ってるアイドルばかりなので)
それは、限定SSR等で目当てのアイドルを引こうとしたときに、SSRだと思って期待したら、その自分の担当が出てきてしまった場合、露骨にハズレ扱いされる可能性が存在するからである。
覚えてる人は少ないかもしれないが、デレステのフロンティア時代に、小日向美穂の限定SSRが実装された時、美穂の声優さんである津田美波氏が、美穂SSRを狙ってガチャを回したところ、他のアイドルが出てきてしまって、自らのブログで愚痴ったところ、その他のアイドルの担当Pからお叱りが来て削除したという経緯があった。
blog.esuteru.com/archives/8519641.html
これが批判されたのは、津田さんがシンデレラの関係者であったという部分が大きいし、今は、天井もスカウトチケットもあるから、当時ほど、SSRで騒ぎになることはないにしても、現状、月末限定が入る確率はピックアップからさらに三等分される形になるため、今後、お目当てのアイドルを月末限定で手に入れるのはかなり難しくなってくるだろう。
その上で未ボイス側のSSRは原則、特技が限定されてくる上、「お願い!シンデレラ」のソロも獲得できないため、自分にとってタイプのアイドルなら、納得できても、そうでなければということになってくる。
折角、心待ちにしてた担当のSSRが実装に至ったとしても、そうなってしまったら、矢張りそのアイドルの担当Pは悲しい思いをしてしまうことになる。
とはいえ、全てのアイドルに同等に興味を持つ機会を持ってほしいと言ったところで、少数ながら箱推しの人もいるため「できない」とは言わないものの、大半の人にとっては「難しい」ことであるのは間違いない。
よく「あなたの地雷は誰かの萌え」という言葉があるように逆もまた然りで、シンデレラガールズというコンテンツに登場するアイドルの場合、「もしかしたら苦手な人が出るかもしれないことを上等で作られてるアイドル」が何人もいることで、コンテンツにおける多様性と、登場人物としてのリアリティを出してるように思えるからである。
そう考えていった場合、担当アイドルの良さを広めるためにPが行う「ダイマ」という行動にも限界があるということを覚えておいた方がいいかもしれない。
ただし、ダイマという行動には私は二つの意義があると思っている。一つは「担当を魅力を外に伝える」ため、もう一つは「担当の魅力は解ってもらえないかもしれないけど、その担当に価値を見出してる人間だって居るということ」を知ってもらうため。後者は一つ間違うと自己顕示欲とも捉えられかねないが、「あなたに大切な担当アイドルが居るように、その担当アイドルを大事に思ってる自分のような人も居ることさえ知ってもらうこと」さえできれば、それだけで、十分すぎる価値はあるように思うからだ(特に、未ボイスで好き嫌いが別れるタイプのアイドルの担当Pの場合)。
こういうことを言うと、「アイドルに対して失礼」と思う人も居るかもしれない。しかし、SSR実装については、もう「全員実装するにはどうすればいいか」ではなく「全員実装されるまでの間にどんな問題が生じるか?」の方にシフトしつつある段階だと思っている。そのため、少し、歯に衣着せない言い方をさせてもらうことにした。
新アイドル含めて190人から居るアイドルと、規模の差こそあれど、それぞれについている担当Pたち。「夢をのぞいたら」の歌詞にあるように、その人たちが誰一人欠けることなく、共栄共存していくとするのなら、個人個人が好き勝手やりまくることでも、「俺だって我慢してるんだから、お前もそうしろ」と我慢を強いることでもなく、それぞれが、負の部分もひっくるめてお互いの考えを認め合って、前に進んでいくことが必要なのではないかと私は思う。
そうそう。単にインプレッション広告枠を買って何かを広告する、ってことは老成したスマホゲーではもうやらない。
リマインド広告って言って関連したワードを検索したときに「おっ、こいつは白猫ユーザやな。白猫の広告出したろ!」みたいなのはやるんだけど、これも死んでるゲームだとリマインド自体がされないので費用も掛からない。
2019年に印象を残った映画を上げるなら、僕は天気の子とジョーカーを上げるだろう。どちらも大ヒットをした作品で、どちらも非常に「似た要素」を持つ作品だ。
新海誠の作品は前回の君の名はの時も、非常に似た要素を持つシンゴジラがヒットした。新海誠の作品は、どうも数奇な運命作品に巡り合うらしい。
天気の子とジョーカー、どちらも公開時期は近いから、どちらかがどちらを参考にしたという事も無い。
「都会で、周りの人にぞんざいに扱われる」「銃を手に入れ、物語を動かす狂言回しとして存在する」「どちらも既存の正しさに異を唱える作品」
これらの共通点は、単に箇条書きマジックか、偶然だろうか。僕はそうではないと思う。
新海誠も、トッドフィリップスも、どちらも現代社会を描いた結果導かれた必然ではないかと思う。
しかしながらそのような大きな共通点がありつつも、その結果と印象は全く異なる。
トッドフィリップスはジョーカーを「人の温かさを描いた作品だ」と言った。社会的な思想だとあえて言わなかった。
先ほど内容とモチーフが似通っていると言ったが、実はその共通点の中に、二つの物語の差異が存在する。それはまさしく、「人の温かさ」なのだ。
・都会での周囲の人の暴力
風俗店の経営者と聞くと、多くの人は「ちょっと怖い」とか「金持ちそう」とか「褒められたものではない職業」と思うだろう。
これは天気の子の主人公が都会や社会に対して抱いていた感情と似たものがある。
ジョーカーでは、その役割を看板を壊した褒められた存在ではない不良、新卒サラリーに抱くちょっと怖く金持ちそうという存在に負わせている。
天気の子の須賀は主人公を体のいいコマとして使うが、同時に役目と居場所を与えている。
ジョーカーではその役目を、ピエロを雇う事務所と、精神科医が担う。ピエロであることで、役目を与え、向精神薬によって居場所を与えているのだ。
そして周囲の人の中に居た女性は、自分の事を気にかけている、までは一緒だったが、ジョーカーではそれは妄想だった。
ジョーカーの母親は妄想にしか目を向けておらず、誰もジョーカーの事を見ていない。
天気の子の主人公は猫に自分を重ねて助ける優しさを持っていた。
ジョーカーも、幼少期のバットマンの寂しげな顔に自分を重ね、笑わそうとする優しさを持っていたのだ。が。
・『銃』という存在
この銃は、両映画にとって「社会にとっては間違っている、主人公の正しさ」を象徴するアイテムだ。
二人が銃を手にした理由は違えど、持ち続ける理由は、同じだ。片方は風俗店の経営者に暴力(足掛け)をされたこと。もう片方は、不良に襲われた事。
しかし、その銃を持った結果には差異が存在する。「銃を見た人の対処」そして「誰に向けたか」だ。
天気の子では、主人公銃をヒロインの前で撃った。標準を「自分を拒絶する社会」としての風俗店店員に定め、しかし恐怖か迷いかで弾は逸れる。
ヒロインは一回それを拒絶するも、主人公が家出して不安に感じたことを理解した上、それを許容する。
ジョーカーでは、銃を小児病院で落とす。しかしそれに対して社会や人々は、ジョーカーが銃を持った理由を理解しようとせず、拒絶した。
ジョーカーは部屋で銃を持ち踊る時、自分の世界の象徴である母親の椅子に向けて標準を合わせている。結局ジョーカーはその正しさの行き場を失い、自己に閉じ込め、
電車のシーンでは「自分を拒絶する社会」としての新卒サラリーに迷わず発砲する。
天気の子では、あくまで向けるだけで発砲しない。自分の都合の良いように女の子を使って、いなくなっても気にせずに呑気に笑ってる人に対して、脅しとして使う。
主人公にとって世界は「自分を拒絶する社会」ではなくなっていた。主人公も同時に社会を拒絶していた事に気付いて、優しさに触れた。
「女の子一人を見捨てる社会」に対して銃を向けていたのだ。かつて自分がそうなりそうな時に拾ってくれ、見捨てずに愛を教えてくれた一人の女の子に対し、同じことをしたのだ。
ジョーカーはその銃で、「男一人を見捨てる社会」の象徴であるコメディアンを撃つ。自分への愛などないと教えてくれた一人の男に対し、同じことをした。
・『正しさに異を唱える』
天気の子では、兎に角「正しさ」に対して異を唱えている。神社で言われた、「現代の人の考える正しさなど、1000年スパンで考えればないも同じもの」という趣旨のセリフ。
最後のマンションのシーンでも、「昔は海に沈んでいた場所が、あるべき姿に戻ったのかも」というセリフ。正しさというものが絶対的なものとして語られがちな現在に対する批判である。
そして極めつけは、最後の主人公の「天気なんて狂ったままでいい。青空よりも、陽菜がいい」というセリフ。主人公にとっての正しさを「選び取る」セリフだ。
新海誠も「選び取る」事に対して、意識して制作したと言っている。
ジョーカーは「正しさ」を雄弁に語るテレビの向こうの人物を見て笑う。ジョーカーは誰も自分を見てくれず、平気で見捨てる社会に銃を向ける。明らかに世界は狂っているのに、その世界は自分をことごとく無視する。
薬を辞めて、あるべき姿に戻ったことを感じる。正しさの無い世界で、正しさなんて自分で決めていいんだと気付くのだ。「正義なんて自分で決めたっていい」という、主人公にとっての正しさを選び取る。
天気の子もジョーカーも、暴力に遭いつつも、主人公は誰かを見捨てない優しさを持ち、社会から自分を守る銃を持ち、その銃で正しさを行使し、既存の正しさに異を唱えた。
しかしジョーカーの場合は、誰もジョーカーを見ず、助けず、愛など与えなかった。結果的に優しさは失い、銃は社会を襲い、誰かを救うためにその力を使えなかった。
天気の子は現代社会で愛を描くことで愛を表現し、ジョーカーは愛を絵が描かない事で愛を表現した。
愛を与えればいい、そう結論付けるのは簡単だが、僕たちはまだ犯罪を犯してない、
だが金がマックで寝る男を、精神障害を持ち銃を落とす男に優しさを向ける事が出来るだろうか。
少なくとも、優しさを与えないのなら、ちゃんとその道を選んだ覚悟と認識を持ちたい。
そう考えた雨の降る夜であった。
妊娠のことを、女性のことを軽く扱い、「その後」を何も考えず次々と相手をとっかえひっかえ性交する男性がいる。
学窓で性教育を真摯に学び、将来のパートナーとお互いの体のことを最優先で尊重しようと心に決めたが、異性にとっての性的魅力に極めて乏しいためそもそも女性との接触がなく、結果的に修行僧と同様の完璧な純潔が保たれたが社会に蔓延する妊娠問題に寄与する余地がなく、しかし男性全員が負った責任を引き受ける男性がいる。
ポコポコ子供を産んでは虐待する親がいる一方で、子供のことを大切にする素質があるのに不幸にも子を授からない男女がいる。
あ!
ただ、理不尽。
当方、小規模会社のWeb系開発者。チームリーダー的な立ち位置。受託開発。
難易度低めの案件が来ると、スキルや経験値が低い人にお願いする。成長してもらうためだ。
チームや長期的な視点で考えると、多少時間がかかっても、経験値低い人にこなしてもらうのが良い。
それが、チーム全体のスキル向上に繋がり、パフォーマンスがあがるからだ。
自分でやったら、すぐにこなせてクオリティも高いものができる。
経験値が低い人にまかせると、時間がかかるし、レクチャや色々教えたり、まぁ尻拭い等もする必要もある。
上記のようにチームを回してきたが、何だか世知辛いなぁと感じてきて、なかなかツライ心境にある。
自分にはもう、高難度や短納期、炎上している案件しか回ってこないのかと。
そして、逆に簡単な案件をしている人のサポートをし続けるのかと。そして、責任は俺が持つのかと。
精神摩耗するでこれは。
スキルが上がった人が、同じように次の新人を教えたら良いのでは、というのも解決になっていない。
その場合でも、簡単な案件は下に回すので、やはり自分にはキツイ仕事しか回ってこない。
長期的にはチーム全体のスキルが向上し結果的にラクになる、というのは幻想だ。
今更だが、宇崎ちゃんポスターがこんなにも揉めたのは、ファンと非ファンの認識の差が大きいと思う。
宇崎ちゃんはその名前からして、「ウザキャラ」である。ウザいとはつまり不快ということだから、ウザさを前面に出した宇崎ちゃんポスターが人を不快にさせるのは宿命のようなものであった。
宇崎ちゃんのファンは漫画やアニメ(あるのか?)を通して、宇崎ちゃんはうざ可愛いなぁと思うのである。巨乳も煽り台詞も可愛い宇崎ちゃんの個性である。
問題は、宇崎ちゃんを知らない人。知らない人達の中に宇崎ちゃんポスターを見て「ありえない巨乳の女が上から目線で煽ってくる、訳わからない不快な絵のポスター」と感じる人が多くいるのだ。
今回揉めているのは「宇崎ちゃんポスターは人を選びファンでない人を不快にさせるからダメだ」派と、「いや、ファンでない人を不快にさせようとファンが来て献血が増えるからいいんだ」派である。
献血という人の命が関わる事柄なので、後者には正当性があるように思う。だが、前者の人達はそれに危うさを感じているようだ。
もしこれが宇崎ちゃんでなければどうだろう?
露出のない宇崎ちゃんと違って、極端な話裸でM字開脚した絵、いや写真だったら?それでも話題につられた男性客が来るだろうからいいのか?
エロじゃなくてグロだったら?グロ好きは来るだろうが、いいと言えるのか。
或いは、大きなムカデの写真だったら?不快になる人は多いだろうがムカデ愛好家は来るだろう。
差別がどうのという話なら、黒人差別ポスターだったら?差別主義者の白人が来るからいいのか?
「ファンでない人を不快にさせようとファンが来て献血が増えるからいい」には限度があるのではなかろうか?
勿論万人に受け入れられる表現はないが、赤十字のポスターはコラボ先の愛好家でない人が見てもある程度スルーできるものでなければならない。
宇崎ちゃんが「ある程度スルーできるもの」だったか。これが微妙なのだ。
すもも氏の調査でも、「宇崎ちゃんは不快じゃないし問題ない」と受け入れているのは、一番寛容な20代男性ですら半数を切ったのだ。女性は大半が不快感を示していた。
だが、これは宇崎ちゃんのポスターのみを殊更取り上げた結果であり、他のポスターと並んだ状態であれば不快だとも思われずスルーされていた可能性もある。
もう一つ、揉めているのは男オタクと女オタクの考えの違いでもある。
ある女オタクの人が、「私も萌えキャラやエロが好きだ。だからこそ、萌えキャラで人を不快にさせたくないし結果的に迫害されたくない。住み分けたい」と言っていた。
これは女オタクの考えだ、と思った。
不快にさせないよう、結果的に自分達の立場が悪くならないよう、私達は隠れよう、住み分けしよう。そう思って身内で「学級会」を開く文化の女オタク。
これに対し、隠れるなんてしたくない、自分達が受け入れられる社会を目指したい男オタク。
両者はけっして分かり合えない。
現在、JR東日本の電車内に人気アニメの劇場作品『劇場版新幹線変形ロボ シンカリオン 未来からきた神速のALFA-X』の中吊り広告が貼られている。
【中づり広告掲出中!】
現在、JR東日本の各路線で中づり広告が掲出中!
超進化研究所からのメッセージも込めました。JR東日本の電車に乗ったら、ぜひ探してみてください!(一部掲出していない路線もございます)#シンカリオン #好きなものは好きなもののままでいいんだよ pic.twitter.com/cq5vozC37L— 新幹線変形ロボ シンカリオン(公式) (@shinkalion) 2019年11月19日
主人公ハヤトの父・ホクトは、小さいころから新幹線が好きでした。
しかし、9歳の少年ホクトは「鉄道が好き」であることを同級生にからかわれ、
誰にも知られないようにしていました。
好きなことがある、その気持ちを大切にしてほしい。
誰かの“好き”を応援できる人になってほしい。
その後、ホクトは大学生になっても鉄道趣味を持ち続け、新幹線の運転士になり、歴女である妻・サクラの方針で彼らの間に生まれた2人の子供は「好きな事を思い切り好きなようにさせてあげるように」育てられ、結果的に長男・ハヤトは父譲りの自他共に認める新幹線バカに育ったのである。
確かに、ここ最近の十数年はオタク文化そのものも開放的になってきたが、20年以上前のオタク文化が閉鎖的だった頃の自分としては共感できる広告である。
ホクトと近い年代の昭和末期~平成初期に少年少女期を生きた世代なら、ファミコンなどのテレビゲームが世に出た頃であり、ドラゴンボールやセーラームーンが人気だった世代だっただろう。
それでも、それらに限らず人の「好きなもの」に偏見を持つ人もいると思う。
しかし、誰かの「好きなもの」を馬鹿にしたり排除しようとしても、された相手も傷付き、した相手も悪いし、
他人に嫌いに思われてもそれを「嫌いなんだね」と理解できたり、ショックを受けたり…と人によって反応は様々であるし、
自分の「好きなもの」でも全く嫌いな部分がないとは限らなかったりもする。
しかし、先述のように学校・会社の人や家族に「好きなもの」に偏見を持たれないようにずっと隠している人も少なくはない。
でも、人の「好きなもの」を、どうか悪く言わないで欲しいと思う。
自分の「好きなもの」は相手の偏見が含まれたものでもいい。
でも、誰かの「好きなもの」はその人の「好きなもののまま」でいいのだから。
とりあえずメモ代わりに書いたゲートくんまとめ、特にSNSで見てね!って宣伝もしてないのに見つかってますね
今回は「それ情報源どこよ?」という諸兄のために現在閲覧できるゲートくんの情報を一覧化して置いておきます。
ツイキャスなどが見れなくなっている場合はコメントなど頂ければ別途アップロードなどします。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
ちなみに、このまとめはあくまでも「ゲート君にまつわる一連の騒動って、一体なにがあったの?」という方へ向けた
ネット上に未だ残る当時の騒動の断片と、それを語る当時の友人の証言をそのまま鵜呑みにしてまとめたものです。
これが真実かどうか、当時の友人の証言が確たるものかは不明ですが、そこも含めてネット炎上の一例としてください。
ちなみに有志連合からの情報開示は警察の捜査が絡むため、これらを補強出来る材料があってもここに記入する事は出来ません。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
ttps://twitter.com/nonono_nonono25/status/1195946246847922176
ttps://twitter.com/emp_vtec_noodle/status/1214759949244305408?s=21
ttps://twitter.com/fugaku2010/status/1214749757710561280?s=21
ttp://twitcasting.tv/deltadopes/movie/578340867
[DL済]
ttps://www.facebook.com/mousu.nawa
・ツイキャスで語られた本名の一部を使っていると思しきFacebook
ttps://www.facebook.com/seiya.nawa.73
・らっと当時の主催イベント、ツイキャスに出てきた名前がある。また現在もツイッターにいる者も散見される。
ttps://twipla.jp/events/267719
今でも見られる!ゲートくんのゆかいな仲間たち。中には「あくまでも取引は自己責任」だとか「器が小さい」だとか、被害者を馬鹿にするような発言をする者も。
流石はゲートくんのお友達だと言わざるをえない考え方をしているが、偽名や他人の口座を駆使して
結果的に詐欺行為を働いて被害届を出されてる人間の肩を持つ事が出来る世界の人間は言うことが違うと改めて思い知らされた。
過去の事と言う者もいるが、当時止めなかった為に結果として被害は拡大している。
おともだち連中については片棒を担いだ者達として記憶されるべきである。
このまとめをご覧になる諸兄らは留意されたし。類は友を呼ぶのだ。
覚書
https://anond.hatelabo.jp/20191119173232
続
https://anond.hatelabo.jp/20191119191508
続々
自ジャンルで肩身が狭い。
頻繁に荒れるからです。オタクたちが。公式相手に。それが怖い。
とはいってもこれオタク側がヤバイ人たちなのかっていうとそんなことはなくて、ごく普通にコンテンツを楽しみたかったごく普通のオタクなんですよね。
だから怖がってるのはたぶん私と、もしかしたらいるかもしれない私と似たようなタイプの人だけだろうなあ、という話。
先に言っておくとこれは自分語りというか感情整理なので一介のオタクの日記にミリも関心がない人は読んでもおそらく時間の無駄です。
自ジャンル。具体名は伏せますが、読む人が読んだら一瞬でわかってしまう気がします。
数年ほど続いてるジャンルで、原作はCDです。アニメ化もしたし舞台化もしました。人口が今どれくらいいるのかはわかりませんが、まあたぶんそれなりにいるのかなあ……私が思ってるよりは知名度が高いのかも、と時折思います。
で、このコンテンツ。まあやり方が下手くそで……こりゃ怒り買ってもしょうがないぞとちょいちょい思うんですよ。
クリエイター側というか、キャラとか声優さんとかストーリーとか役者さんとかイラストレーターさんとか曲を作る方々とか、そういう人たちは全部素敵なんですけど、如何せん公式のやり方が心配になるくらい下手なんですよ。
大事なことを何故か公式からアナウンスしないことが本当に多い。しても遅い。発売予定とかね……大事だと思うんですけど……遅れるなら諸事情で遅れていますって一言いうだけで落ち着く人、そこそこいると思うんです。それがないから……偉い人から口止めでもされてるんですか……?と思うくらいにはその辺の話をしない……かといって公式ツイッターが動いていないかというとそんなこともなく、企画とかコラボカフェとかの話は意気揚々としてるから……偉い人から口止めでもされてるんですか……?と思う……
あと二次元と2.5次元の混線が多い。これ、私は全然平気なんですけど苦手な人はほんとに絶対無理だと思うので……やめてあげたほうがいいんじゃないかなあ……と常々思います……それでキレてる人定期的にお見かけしますよ……
他にも多分いろいろあるんでしょうね。対応面とか……脚本の解釈問題とか……私はそこまではわかりませんが……ただ公式として些か不誠実だな、と思うことは確かにあります。どうかなあ……と思うことは。
あるんですけど、思うところというほどのものがあるかっていうと、ない。
これはどちらかというと個人的な性格とか、こういったコンテンツとの付き合い方の問題なんだと思います。
私は公式に甘いタイプのオタクです。喜怒哀楽の怒の感情がたぶん比較的希薄で、なんていうか、自分のことなのでやや乱暴な言い方をすると、無責任なファンです。
公式が正直客観的(になったつもり)で見ても問題が多いことを認識した上で、はあそうですか、くらいの感情しかない。
平和に生きていたいんですね。植物のようにと言うべきか。穏やかでありたい。そのほうが楽なので。
だから、感情をはっきり吐露しているオタクを見ていると、胃がキリキリするし、怖い。
これほんとに向こうには非はないんです、正直正当な怒りだと思います。でも怖い。
怒っている人がとにかく苦手です。その対象が自分の知っているもので、自分が許容しているものだとなお胃が痛い。
本当に何も気にしてないオタクなんです。
発売が遅れようと。その間は別のジャンルにいたり、一応文を書いたりしてるのでのんびり書いてみたり、それこそ公式ツイだとか、企画系の新規絵や安定して動き続けてる舞台を楽しんでみたり。のびのびやっています。
でも、公式に思うところがある人というのはたぶん、そこそこいる。(観測範囲が狭いのでなんとも言えませんが)
原作が動かないのに派生のものや舞台版は動いてることを複雑に思う人。
派生や舞台も好きだけど、原作が動いてないのに……と思うと素直に喜べないという人。
初期にあった設定がいつの間にかなかったことになっていることを疑問に思う人。
いろんな人がいますし、どれもおかしなものでは無いと思っています。
ほとんど何も気にしてない私のほうが妙なのかもしれない、と思うくらいには。
それでも推しがいるから離れられない、という人もそこそこ見かけました。推しを人質に取られている、と。
言わんとしていることはわかります。でも怖い。
自分と違うものを恐れるという心理があります。それに近いのかもしれない。頭で理解しているつもりでも、反射的になんでそんなに怒るんだろう、って思ってしまう。
物言いが過激というか、些か攻撃的な言葉を使う人が一番苦手です。だめってわけじゃないです!Twitterなんだから好きにつぶやいていいんです、企業でもあるまいし。匿名で何事か言ってる人間のことなんてないものとしてカウントしたほうがいいです。
言い方が不謹慎で非常に申し訳ないのですが、こういうコンテンツのことで体調崩すレベルで怒ったり嘆いたりできる人、すごいな……と思います。あのほんとに揶揄する意図はなくて、感情が豊かだな……と思って……
二次創作をやっているひとは少なからず気が狂っているといいますが、まあそれは確かにそうだろうなと思います。
私も一応は書き手の端くれなので、ツイッターにも二次創作をやっている人は多い。で、たぶんそういう人って、コンテンツについてめちゃくちゃ考えてるんですよ。
(ROM専の人がそうではないということではないですし、書き手が必ずそうというつもりもないです。現に私はそのあたりがとてもゆるい書き手なので……)
コンテンツのことが好きだから、コンテンツの先行きを憂いているから、好きという気持ちが公式への怒りとか、悔しさとか、悲しさに変わってしまうのかな、と思っています。
私はそういうのがない。出てきたものをわーいって言いながら素直に楽しんで、何もないときは何も言わない。それだけ。コンテンツのことはシンプルに好きだなってそれだけだし、公式への感情はそれ以上は特にない。
グッズとか買うのだってただ欲しいからでしかない。応援したいからとか続いてほしいからみたいな殊勝な理由はない。だからお金がどこに流れてるのかなんて気にしたこともない。
設定のブレもそれほど気にならない。これおいしいな、と思うとこだけ適当に拾って食べてる。
要は、私が勝手に肩身が狭いような気がしているっていうだけなんです。被害妄想みたいなもの。
みんないろんな思いを抱えてるのに、脳天気にゆるく楽しんでるのなんか悪いなあ、と思うことがある、それだけ。
別に自分ないし相手のスタンスが嫌なわけじゃなくて、向き合い方はひとりひとりにあるんだからそれはそれでいいんじゃん?と思っていますが、それはそれとして周りが怒ってる中ひとりで普通にしてるのはちょっと心苦しい。
かといって無理に抱いてもない感情に同調するのはどう考えても不毛でしかない。
結果的に、どうでもいいようなことを呟いたり静観したり、という形に落ち着いていく。
とはいえ怒りの感情を眺めていると私は辛くなってくるタイプなので、結果TLからは足が遠のく。
不当なものではないよなあと認識できるからこそ辛いんですよね。同調できないから。同調することが必ずしも是ではないけれども。
モノが出なかろうが何しようが私は別にまあいつか出たらいいなと思うし死んだらその時はその時よね、みたいな感じなんですけど、ただオタクたちがそれで荒れるのを見ているのがただキツい。
そういう意味で、少なくとも公式とファンの間はそこまで荒れないジャンルのこと、たまに羨ましくなります。
でもやめてなんて絶対に言えない。そういうのは自由なので。十中八九ないと思いますがこれ見てやめようとか思ったりしないでください。責任持てないので。
自分のこととはいえこの辺はなかなか変えられないし正直あんまり変える気もないし、まして他の人に関してはもっとそうなので、たぶん公式がちゃんとなるか私の飽きが来るかまでは今の姿勢を取り続けるんだと思います。
おわり。
私たちは男性の性欲を一身に受けうる存在を創造し推進してきた。
これらは実在する人物ではなく非実在のフィクションの空想上の萌える女性です。
男性の性欲の向け先を架空へ逸らすことになれば、実在の女性からみたら男性の性欲を減衰させたのと同じ効果がありセクハラ等で苦しむ女性を減らすことが期待できます。
男性の性欲を好き勝手に描くことでの実在の女性への悪影響を懸念する声がありますが、これは強力考課論の研究により明確に否定されています。
私たちオタクフェミニストは同好の士を増やすことで性欲の解消の低コスト・実被害軽減に努めておりこれらを推進することこそが結果的に女性の権利へと繋がると考えており活動を通してフェミニストであることを主張し続けたいと思います。
こんな感じでどうだろう
そんなにマウントとって心を満たしたいのか
キャンプの話だぞ?
一回考えてみてくれよ
元増田そっちのけで煽り合いとかなんでよりによって俺のキャンプ増田なんだよ
勘弁してくれ
どう思う?
数年前貯金でイギリス短期留学してきたけどスイスは渡航経験なし。
普段2ちゃんやがるちゃんで人生に疲れた系のトピ見てることが多いんだけど、スイスいって安楽死したいって人多くて、それじゃ通訳やってみるかなと思った。
外国人を受け入れてるのはDIGNITASってところだけど、イギリスやドイツではスイスまで同行する団体がいるらしい。
もちろん誰でも受け入れてるわけじゃなくて、向こうでかなり慎重な問診や調査があるらしい。
精神疾患は受け入れまでにかなりかかるとかで、本当に死ぬ意思があったかについては十全なチェックは取られてるっぽい。(後述)
懸念は、家族とちゃんと合意取れてないお客さんの依頼を受けたらトラブルに巻き込まれそうということと、関係ない第三者に叩かれそうということ。
それでも検討している理由は、まず需要がありそうだということと、実現できそうだということ。
ただことがことだけに事後にトラブルが発生した場合かなり大きな問題になるだろうし、かと言って「事前に必ず家族の同意を取って下さい」といっても天涯孤独な人とか親類と疎遠な人もいるだろうし悩む。
あるいは家族の同意が取れない人は申し訳ないけどお断りするか。
※DIGNITASによる自殺幇助ができる条件は
死に至る疾患(末期疾患)、および/または
のどれかが必要で、医師の診断書も必要みたいで、精神疾患はNOとは書いてないものの、ほとんど受け入れられないみたい。
Q:精神疾患や心理的問題を抱えています。ディグニタスで自殺幇助を受けられますか?
A:これは非常に難しく、多くの障害を伴う長く複雑な手続きが必要であり、YESと言える保証はありません。(クライアントの)主治医による診断書によります。病気の明確な診断、その原因と経過の説明、試したあらゆる治療法の結果(成功問わず)に加えて、判断力と識別力に関する詳細な精神医学的評価、また精神疾患の症状による希死念慮ではなく、十分に考慮された末の自己決定であることを確認します。
※追記です。
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56712?page=2
>日本では他人がサポートすることは自殺幇助罪にあたる可能性がある
とのことで、そもそも通訳することだけでも法に抵触している可能性がありそう。
色々調べていくうちに
・ディグニタスが受け入れてくれるのはほぼ末期や回復不能な疾患のみ
・日本では緩和ケアが発達しており上記疾患があっても苦痛を和らげることは可能
とわかって、最終的に「これクリアしてる人って緩和ケアと尊厳死でいいのでは…?」という思いになった。
歳を取るたびに人生が負債になってきて、いずれ動けなくなった時、財源の乏しくなった日本で公的扶助が受けられるかもわからず野垂れ死ぬのを恐れている人にとっての心のお守りみたいなものにはなりえないんだな。
それにたとえこの条件をクリアしても、医師や団体による対話でちゃんと伝わるよう訳せなかった場合、意思疎通の齟齬で結果的に望まない死を選ばされたなんてこともありうる。
がっつり本職にしないと回っていかない気がする。
残念だけど
・幇助を受けられる層が限られている。
・通訳とはいえかなり責任が重い。依頼者の考えてることが不明瞭な場合うまく訳せないかもしれず面接までによくよく意識をすり合わせておかなくてはならない。それでも伝えきれず幇助が果たされた場合法に触れる可能性もある。