はてなキーワード: 怠惰とは
電車で耳に入ってきた話なんだが
中年の二人の女性が話していた。何やら知人なのか家族だかの労働環境について話している
話題となっていた人物は怠惰なので、一日8時間の労働を一週間に5日、更にそれを一ヶ月、二ヶ月と安定して続けていくということができないと、職場?から疑われている。だから、まずは連続勤務ができるかテストされている。その間はお試し期間みたいなもので、一日あたりのお給料は500円しか発生しない。8時間労働を一ヶ月続けられると、二ヶ月目?からは少しお給料がアップする。その人物は、8時間働いても500円ポッチだからとやる気がなく、やはり怠惰で……みたいな話だった。
引きこもり体質。
仕事以外で外にでることもない。買い物はほとんどネット。食料などは流石に近場のスーパーに買いに行く。
まず最初は髪の毛だった。
引きこもり体質にとって散髪ほど苦痛なことはない。別に髪型にこだわってないし、伸ばし続けてしまってもいいけどそうは社会が許さない。
美容室に行ってしまえば「あー、やっぱ切るとさっぱりするな!」と爽快感があるのだが、やはり行くまでがだるい。予約の電話をするのがそもそも苦痛。
なので、Amazonですきバサミと串を買って毎週土曜日、風呂からあがったら伸びたとおもった部分を切るようにしたら結局5年散髪行かずに保ってる。3000円ぐらいのハサミで5年間もってるならコスパもいいな、若干節約になってるのかも。
次がラーメンだった。
ラーメンっていうのは、正直に言うと外食のほうがうまい。どう考えてもチルドされてるのを買って食うのとラーメン屋で食うのは違う。でも、外食は金もかかるし外にでるのは辛い。
結局考えたのが、自分で作ることだった。
麺は仕方がない。こればかりは自分で一回やってみたけど、手間がかかりすぎる。というか、一玉だけつくるのはどうやっても100円に抑えられない。だったら、100円の麺買ってきたほうがマシ。
なのでスープだ。といって、鶏ガラを買ったんだけどこれも手間がかかる。粉末の鶏がら出汁もちょっとインスタントくさい。
そこで考えたのが、近場のスーパーで安売りされている鶏肉。安売りされているだけあって肉質が硬い。なので、コイツを朝に20分ぐらい沸騰させて仕事行ってる間は減圧鍋に閉じ込めておく。
家に返ってくると、まぁ手間がかかってない割に飲めるスープが出来上がる。ここに醤油や味噌で味付けをして、スーパーで買ってきた麺でラーメンをつくる。
たまに遊びに来る友人に振る舞ってるけど、「店で食ったら550円って感じ」って微妙な感想を受け取るが、まぁそれでも550円のラーメンをを作れてるならいいかな。今はチャーシューをなんとかスープと一緒に自作出来ないかと考えている。鍋が少ないからスープ使ってる間チャーシューを作れない…。
もちろん、自分でやることは節約を考えてるところはある。でも、結局一番の理由は外に出るのが辛いしだるいからなのだ。
なので、なんでも自分でやるようになって周りの人から「すごいね」と「そこまでするのか」と言われるけど、かなり怠惰な理由でやってるだけで、休日の過ごし方を趣味というならば、ほとんど無趣味な自分にとっての趣味がこれなんだと思った。
まぁもうちょい明確に悪意や怠惰が込められるとTel休だよね
HuluじゃなくHappyonで美味しんぼのアニメが全話見れる
見ていて思ったんだけど山岡士郎って最高のプログラマの性質を持っているんじゃなかろうか
怠惰だし、海原雄山みたらすぐ沸騰する短気さで、本物を見せてやると豪語する傲慢さもある
ある時、倒れた栗田のおばあさんの食欲を戻そうと栗田達がソーメンを食べさせるがあまり美味しくない
「いよいよ誰かさんの出番ね」
栗田と同僚女性2人がうなずく
これって最高じゃないか
何だかんだ言って最高の信頼を得ている
「山岡をクビにして究極のメニューを完成させればいいんですよ」と言ったときも
なんだよ
普段寝ていても、同僚からも上司からも切り札のような扱いをされている
ヤバイ時はあいつに頼もうという立ち位置とか一番いいポジションじゃないか
経費も使い放題っぽいし
異常なほどたくさんの人脈も持っている
現在私大の4年生。無事大手に就職が決まり、残すは卒業だが結構単位が残っている。
大学4年間のなかで得てきたものが特にこれといってない。サークルは1年の時に入ったけど2年の途中にはフェードアウト。
ゼミにも入らず、大学の授業も真面目に受けていなかったせいで何を学んだのかを説明することもできない。
2年続けたフィットネスのアルバイトだけが楽しい思い出となっている。
ただこの4年間で身につけたスキルがない。
せっかく4年間一人暮らしをさせてもらって不自由なく暮らしていて、親には迷惑がかかっているのに。
この4年間は楽しいこともあったけど今持っているものって就職以外何もない。
自分の中途半端な向上心と怠惰な性格のせいでなにか頑張ろうって思っても結局長く続かない。
自分がだめだなってすごく思う。
世の中の学生ってこんなもんなんだろうか。
本当は頑張って何か達成するのが良いんだろうけど、この気持ちから楽になれる考え方ってなにかないですか?
教えてくださいインターネットの皆さん。
確かにそれはそうだと思うし、そこでは日本国の理念とは何か?が問われる訳だが、誰も何も考えてないんじゃないかな、という点が一点と、逆に「全く変えない」となると、現実との乖離が出てくるわけでそこをどうするかが問題になるが。
例えば、安保法制も基本的には米国からの指示だろうし、どうこう足掻いた所でどうにかなる問題でもないと思う、日本共産党が独裁を始める等の例外事項が起こらない限り。
また、現実的に自衛隊がある訳だが、「今まで通り自衛隊を憲法に明記しないで、ナアナアで行くのか?」という点もある。
でもそうすると、あれほど忖度忖度と言っていた人達が静かになる訳だが。
結局、神戸製鋼も東芝も日本郵政もシャープも「ナアナアで忖度してやってきたからこんなことになったのでは無いか?」という疑念はぬぐえないし、今の日本企業の大半もそうでは無いかと思う。
要するに「怠惰」や「驕り」だと思う。
あんなモノはイキりオタクのするものであると。憑き物に憑かれているんじゃねーか(ワラワラ、的な感じ。
いやどうかな、という話だと思う。
以前太ってしまった時につくづく実感したのが、とにかく自分は怠惰だということだ。
当たり前だが、減量するためには食事を減らすか運動でもするしかない。
いろいろ考えたが、余計に運動するくらいなら、食う量を抑えた方がマシだという結論に至った。
もし自分にうまいものをたくさん食いたいという欲望があれば、運動も苦にならなかったのだろう。
意地でも食いたければ、ジムやプールに行ってでも、そうしたかもしれない。
だがそんな意地がなかった。
食欲だけではない。万事そうである。達成のために頑張る気力がない。適当に妥協して納得する。
欲望を抑えるというとストイックなようだが、そんなことはない。全てがめんどくさいだけである。
欲望を抑えた方がマシだっただけだ。
いや、褒めてんじゃねーかよww
誤字脱字一切なし、祖母の介護で留守がちな母と受験のプレッシャーの中で自己と父の関係を冷静に見つめ、病的な父に毎日の如く数時間正座させられ難詰されつつも――、
ろくに
多大な非
叱責に関してはすごく不当
烈火のごとく
抗議の声を上げれば大きな吼え声で遮られる
過剰な反応
干渉が過剰
頻繁に様子を見に部屋に立ち入る
もどかしさや焦り
情景がおぼろげに
叱責の頻度
感情はねちっこく反芻
この程度のことで手をわずらわせて
等の形容を使いこなし、1541文字25行にも渡って窮状を訴える18歳の女子高生。文章的な破綻は一切ない。
デビュー前の綿谷や金原の文章読んだ事あるか? あれ以上だぞ?
この思考力、そして客観視とアンビバレンツなまでに感情から遊離した語彙。
考えられるのは離人症だが、そうした人間の文章にしては余りに理路整然とし過ぎている。
興味深いのはそうした中に垣間見えるふつうの(少し幼めではあるが)表現だ。
ただいまの声が暗かった
目がヤバくなっていて
父がヤバい
これまではウワーと怒鳴られても
なかったかのようにケロッとしている
怒られすぎてどうにかなっているのだろう
家に帰るのがツラい
ツラいことにはツラいけれど死ぬほどツラいわけではない
上記の形容は父が絡む関連で内的に権威化されていることから生じており、下記は主観寄りである為に年齢相応な可能性もある。
それにしても最終的に、この程度 としながらも拠り所がスクールカウンセラーであり、それにすら及ばないという発想はなんなのか?
よーするに俺としちゃ理解に苦しむワケよ。もう歳なんだろうねw 最近の若い子の自己表現についていけてないんだよ。
部屋によく来るからうっとーしい顔をしちゃっててそれでパパは私に見下されてると思ってる、なんてのは娘の切ない父への慕情すら拾えるが、その父へ叙述が前掲上記ってのがまたスゲェ。
思わねーか……? どういう子なんだ? この子、ってさ。
語尾やかな漢字もおかしいが、一番不思議なのはセクシャルな表記が全くない点なんだよな。
よく読むと愛と理性、としながらも、この子の父は怪我が残らないような暴力は日常的に行っている可能性があるんだよな。数時間の正座込みでさ。
手を上げられる前に泣くけどそれがイラつかせてるかもしれない、ってんだからこれまた泣ける話だが、その辺をヤバイ形相で振り上げた新聞に母が叫んでるってのに重ねるとこう思うんだよ。
「アンタに毎日振り上げられてんのって、本当にただの新聞紙なの?」
ってな。
介護で毎日いない母、そして二人きりの家で自分をゴキブリのように何度も叩く父。
こうやって書くと「男はすぐそういう話にする、そういうのがさぞかしお好きなんでしょう」みたいのが沸いてくるが、率直に言って本当に理解できないんだ。
何がムカつくってこうやって細かく読み込んだだけで「若い子が気になるのね」とかって意見がすぐに出てくる事だが、こうして書くまではババァの創作四苦八苦か暇なSEの文章修練だろうと思ってた。
でも、これだけ破綻のない文章を書いているのに思春期の父親に対する反発が一切拾えないのは逆に不気味ですらねぇか? と。
そういった魅力が全くないタイプであれば、杞憂に過ぎないかもしれない。
一貫校で自室持ちなら両親にそこそこの収入も期待できそうだし、教育方針で激論するんだから所謂底辺家庭ではないんだろう。
世間にゃ殆ど反抗期がなかったって大人も割といるし、イマドキ4,50代で新聞紙説教オヤジってのもナンだが田舎ならWifiすらない地域もざらだ。
しかしどーもなぁ……、って思ってるんだが――、
ゴミみてーな増田のアフィステマアンケート群の一つ一つをこんな風に読んでたら幾らあっても時間が足りゃしねぇし、常連どもは勝ち逃げか派閥作りって風にしか見えねーしな。(読みも浅ぇしw)
そもそも商用のアクセス集め文章と本来の書き捨て名無し日記である内情吐露は全く読み方が違うんだよ。マジメに読むほうが馬鹿を見るだろ? 真偽なんか分からねぇんだから。
っつーワケでこんだけ書いといてナンだが、途中で放り出して俺は自分のやるべき事をする。後はもうこのエントリには書かねぇ。文章書きってのは読み辛くてループを仕込んだスパゲッティソースを他人に叩きつけて時間を奪い、その間に自分は別のコードを書くって最低な人種なんだよ。目的も分からねぇソースコードの解読なんぞにいつまでも付き合ってられるか。(笑)
悪いとは思うが謝りもしねーぜ? じゃーな。
私の大学受験が近いことで父が苛立っていて、ろくに勉強をしていないとかだらしがないとか態度が悪いとかいうことで毎晩毎晩怒られている。
勉強が足りていないのと怠惰なのはその通りで、自立・自律できていない私にももちろん多大な非があるのだけれど、態度への叱責に関してはすごく不当に感じる。ただいまの声が暗かったとか、口数が少ないとか、話しかけても勉強中なのをいいことに目を合わせようとしなかったとか、そういうちょっとしたことで烈火のごとく怒る。突然怒鳴りだし、物を投げ、扇風機のような大きなものを引き倒したり、丸めた新聞でゴキブリのように何度も私を叩いたりする。
怒っているときの父は完全に目がヤバくなっていて、抗議の声を上げれば大きな吼え声で遮られることもある。おまえはどうしていつもそうなんだ、どうしてどうしてどうしてと問い詰められ、なんと言えば許してもらえるのかわからないまま1時間や2時間にわたって正座させられる。ほとんど毎日!
(ただしそれでも、怪我が残るような暴力に限ってはほとんど振るわれたことがない。愛と理性だ……。)
私の態度に対する父の過剰な反応からは、わが子に不当に嫌われ蔑まれているという被害妄想のようなものが感じられる。決してそんなことはないのに。ただ父は干渉が過剰で、私の勉強中に頻繁に様子を見に部屋に立ち入るなどするので、それに対してつい鬱陶しそうなそぶりをしてしまうのがいけないのかもしれない。
現在のように父が怒るようになったのは、私が小学校4年生で中学受験の勉強を始めたときが最初だ。あのときも子どもが思うように勉強しないことへのもどかしさや焦りで気が立っていたのかもしれない。ごめんなさい。当時の記憶として、私が壁沿いに尻もちをついて怯えていて、父がヤバい形相で新聞を振り上げていて、母がおとうさんやめてと叫んでいる…… というような情景がおぼろげに残っている。
私が無事に中高一貫校に合格すると父の叱責の頻度は減り、5年間を比較的穏やかに過ごしたが、最近また大学受験を期に関係が悪化してきた。これまではウワーと怒鳴られても反抗的に淡々と言い返すことが多かったが、最近は手を上げられる前から簡単に泣いてしまうようになった。精神が変になっているのかもしれない。泣けばうまく話せないし、相手をますます苛立たせてしまう。それに何より見苦しい。非常によくない。
不思議なのは、叱責のきっかけや内容、直後の悔しかった気持ちを、時間が経つとほとんど思い出せなくなってしまうことだ。だいたい怒られた30分後には何事もなかったかのようにケロッとしている。家での叱責以外で会話の内容を忘れるなんてことはないし、どちらかといえば過去の感情はねちっこく反芻するタイプなので、多分怒られすぎてどうにかなっているのだろう。
中学受験のときと一緒で、きっと大学受験が済めば父は多少穏やかになるのだと思う。ただあと3,4か月耐えなければいけないと思うと家に帰るのがツラい。今年に入ってから母が祖母の介護のために家を空けていて、帰ったら父とふたりきりなのだからなおさらだ。それにもし浪人すれば追加であと12か月、今よりもますますヒートアップするに違いない。
(たまに母が帰ってくると私の教育方針のことで父との怒鳴り合いが始まる。私がかわいげもなく怠惰な穀潰しであるせいで家庭がおかしくなっている。申し訳ない……。)
家庭事情を友達と比べることなんてないので、自分の家がどのくらい異常なのかわからない。ツラいことにはツラいけれど死ぬほどツラいわけではない。親子なんて案外これくらいが普通なのかもしれない。スクールカウンセラーに相談に行こうかとも思うけれど、この程度のことで手をわずらわせていいのかわからない。
私は、現場に行かないといけないのははっきりわかっていたけれど、眠気が酷くて行きたくなくなってしまった。
けれど、現場に着けばそんな気の迷いはなくなったとは思う。
思えば、理性が効かなくなるのは昔からあった。
だから、今はなんとかして現状を変えて行きたいと考えてる。
それが、困難なことかと言われればそうではないと答えたい。
何故なら、みんなはちゃんと現場に行って定時から働いてるので、怠惰な自分が悪いと思うから。
この前、いまは踏ん張って仕事をするべきだと寮母からそう言われたけれど、毎日16時間も働くなんて人間じゃないと私は考えるんだ。
根拠は、人の活動時間が16時間と言われているのに、無理をして仕事をしたら、精神が病んでおかしくなるはずだから。
ところで、どうしてみんな人並み以下(というより、動物以下)の生活をしているのに弱音の一つも言わないのだろう。わたしには分からない。
そんなの、頭がおかしいんじゃないのか?
そんなことを考えはするけどさ。
もし、一生、この矛盾を抱えたまま仕事をしたら、今と変わらず日本の労働環境に適応できない。
そっちの方が、どういう結末を迎えるのか、恐ろしくて考えたくない。
皆さんは覚えているだろうか。
昨年夏、チケットの高額転売に反対する意見広告を音楽団体が連盟で発表した。
それはツイッターなどで瞬く間に話題となり、賛成、苦言、様々な意見が飛び交った。
転売屋潰れろ。転売屋から買うな。でもダブってしまったチケットを、当たらなかった人に渡す正規の手段は?
それに応えるような形で今年五月、音楽業界公認・公式チケットトレードリセール=チケトレがオープンした。
取引は定価でのみ。運営が取引を仲介する形を取り、チケット詐欺の心配はなく、何よりも「公認」だ。これ以上に安心できるシステムはないだろう。
残念ながら開設当時、私の手元にはトレードに出したいチケットも、そうまでして取りたい公演もなく、
意見広告が発表された時と同様、賛成、苦言の意見を「ふーん」と半分他人事のように眺めていた。
今日が発券日で、ほんの一時間前、会社の飲み会を一次会で抜けて発券してきた。
多分、ライブにしろ、舞台にしろ、スポーツ観戦にしろ、何度かチケットの発券をしたことがあればその内お目に掛かるだろうあの緑の袋だ。
発券元はイープラス。とても大事な事なので二度言う。イープラス。察しのいい人なら、この時点で話のオチが読めるかもしれない。
チケットは来週某所で行なわれる某アーティストのライブのチケットだ。
券面で確認したところ、席はそこまで悪くない。気がする。もしかしたらとんでもない後ろかも。
しかしそれは私にとって正直どうでもいい。なぜなら私は来週海外出張を命じられているからである。つまり行けないのである。
1ヶ月前、出張とライブの日程が被っていることに気付いた私は、過去同じアーティストのライブへ一緒に参加したことのある先輩に譲渡を持ちかけた。
部署は違えど同じ会社。身内であれば金銭処理もチケットの手渡しも容易だと思ったからだ。
しかし、確認するとライブ当日、かなり厳格な本人確認が行なわれそうだという。
どうやらそのアーティストはチケットの譲渡を全面的に禁止しているらしいのだ。
それを聞き、私の頭には身分証の貸し出しという禁じ手すら一瞬よぎったが、すぐさま抹消した。さすがに法に触れそうな気がするし、そうでなくても私は女で先輩は男だ。普通に無理だろう。
そこで公式に迷惑を掛けてはいけないという自戒を敷いているオタク=私は先輩への譲渡を諦め、公式が推奨する手段に則ることにした。
私はこれまでチケットのトレードというものをほとんど行なったことがなく、チケキャンなどのサイトにも登録していない。
なので、チケトレの公開時、世間で上がった手数料等の意見はあまり気にしていなかった。多少でもお金が返ってくれば助かるし、もし見たいのにチケットが取れなかった人の手に私のチケットが渡るなら、それがお互いの幸せだ。win-winというやつだ。
なので数日かかる登録作業(出品者は口座確認があるため登録まで時間が掛かる)を苦に思うことなく処理し、いざ「出品する」アイコンを押した訳である。これが大体二週間前の出来事だ。
結論を言うならば、このとき私はチケットを出品することができなかった。
チケトレは音楽業界公認のサービスだが、運営はちけっとぴあが行なっている。
もちろん、だからと言ってぴあ以外のチケットが出品できない訳では無い。私もそれは事前に確認していた。
抜けていたのは、ぴあ以外から購入したチケットに掛かる出品制限だ。
実はチケトレ、「発券前のチケット」はぴあで購入した場合のみ出品可能なのである。
つまり、イープラスから購入した私のチケットは発券しなければ出品できない。
公演日、価格、席種などなど、そこそこ長い出品情報の入力を行ない、さあ最後一項目だ、というところでその一文を見たときの私のやるせなさをどうか感じて欲しい。
そうか…ぴあじゃないとダメなのか…そっか…そっかあ……。くらいの。
実際はもっと荒れて、イープラス購入者には人権がない!!!などとツイッターで吐き出していたのだが、できないものは仕方ない。
なにも、出品を断られた訳ではないのだ。発券さえすればいいのである。
出来れば発券番号だけの取引で済ませたいな~などの怠惰な気持ちを撲滅すれば出品はできるのである。
すぐさまイープラスのサイトへと飛び、発券番号を確認し、その足で徒歩数分のところにあるファミマへ向かえばいいのである。
そして私は衝撃的な事実を知る。何と発券日、まだだった。購入内容確認画面に「発券開始 10月12日14:00~」の文字。マジかよ。
だってそれ、ライブまで一週間切ってるよ?私が9月に取った11月の舞台はもうとっくに発券できるのに?マジで?
私の動揺を少しでも推し量って頂けるだろうか。
こちとら人生初の海外出張を控えているのに、出品して、買い手がつくのをジリジリ待って、そこからギリギリの発送処理を行なえと言うのか?
私は大いに荒れた。イープラス購入者に人権はないを叫びすぎてツイートが重複した。そのくらいのやるせなさだった。
人生初の海外出張を控えながら、出品して、買い手がつくのをジリジリ待って、そこからギリギリの発送処理を行なう覚悟で発券したチケットだ。
私は二週間ぶりにチケトレにログインし、「出品する」アイコンを押した。
今回は頭から二つめの欄にそれが書いてあった。
「公演日が近いため、未発券のみ出品可能です。」
なるほど。
なるほど。
運営側もそんなギリギリ発送のリスクは侵さないということだろう。
そりゃそうだ。日付の上ではまだ数日あるが、土日を挟めばほとんど猶予はない。チケットが届かないなんてトラブルとして手際が悪すぎる。
だったら番号のみの取引にして、購入者が自分で発券できるようにするのが誰にとっても安心できる。私だってそう思うしそう思っていた。
保身のため言わせて貰うが、私は別に、6500円×2枚+購入手数料+さっき払った発券手数料が惜しいわけでは無い。
行くことはできないもののチケットが取れたのは事実で、自分ではどうしようも出来なかったとはいえ公演日に出張が被ったのは別にアーティストのせいでもなんでもない。
むしろそういう人のためのシステムをせっかく用意してくれたのに、その注意事項を事前によく読まなかった私が悪いのである。
あとは空席を作ってしまう申し訳なさを当日海外の地で悔い、チケット代を勉強代として家計簿の出費欄に記入すればいいのである。
ただ、もう一つだけ言わせて欲しい。
私は今回、取ったチケットの日程に都合を合わせられなかった事以外、何も悪いことはしていない。
正規の手順でチケットを取り、正規の手順でトレードに出そうとした。
ただ、システム側がぴあ以外のプレイガイドを認めていなかっただけで。
ただ、発券日がシステム側で対応できる期間よりも後だっただけで。
ただそれだけなのである。
私の手元には今、二枚のチケットがある。
行くこともできず、譲ることもできない緑色の紙だ。
右下にはあのポップなeのマークがある。
俺は社会が怖い。
社会の人間は皆が自分の利益のためだけに動いていて、誰一人信用することなどできないと思い込んでいる節がある。
だからこそ俺は高校卒業後就職をせず、だらだらとニート生活を送っているわけだ。
それが本当に思い込みかどうかは実際に社会に飛び込んでみなくてはわからない。
しかしそれはどうしても嫌だ。
会社へ出勤する自分を想像すると、上司に叱責され、同僚に嘲笑われ、後輩に馬鹿にされるイメージが鮮明に浮かぶ。
俺の深い芯の部分が拒否反応を起こす。
ずっと疑問に思っていた。
そもそもなぜ周りの連中は平気な顔をしてそんなところへ飛び込んでいけるのだろうかと。
それで東野圭吾の「変身」を読んだ俺は理解した。っていうか思い出した。
はてななんかを見ている人は東野圭吾の小説を一冊くらいは読んだことがあるだろう。
作風が狭いわけではないが、もっと根本的な部分で東野圭吾の小説には社会に対するネガティブな感情が刻み込まれている。
如何に社会が自分のことを必要としておらず、如何に一人ひとりが自分のことだけを考えて生きているかということを教えてくれる。
子どもの関係から発展したママ友同士のいじめ、旦那の収入で競い合うセレブの争い、優秀な部下に対する上司の陰湿な嫌がらせなどが大好物である。
だが決してそれらの行為を否定し、批判する意味で描かれるわけではない。
結構な確率で主人公自身がそれを実行する側であり、その心理と思想がまるで見てきたかのように詳細に描かれる。
加害者と自分が重なることで、誰かを苦しめる行為がただの悪意によってのみ生まれるものではないということを理解させられる。
それは即ち、差別やいじめやそれ以外の犯罪が人間社会にとって本質的なものであるということである。
読んだことがある人ならわかると思うが、東野圭吾の小説はとにかく読みやすい。
論理明瞭な文章で難しい語彙も表現も少ないため、小学生でも漫画のようにスイスイ読める。
なぜか小学生の俺は東野圭吾の小説を異常に気に入っていて、そればっかり月に何冊も読んでいた。
(白状すると今も昔も東野圭吾以外の小説はあまり読んでいないにわか野郎だ。)
その蓄積が俺の社会に対する恐怖を育んだというわけだ。
これは決して過大な表現じゃない。
子どもの頃に受ける影響というものは計り知れないもののようで、俺は骨の髄まで東野圭吾の社会に対する負の感情に蝕まれ、どうしようもなく社会を恐れている。
と、タイトルからここまで東野圭吾に自分の怠惰の責任を押し付けるニートとして綴ってきたが、まあ実は東野圭吾と小説を憎んでいるようなことは一切ない。
なぜなら別に俺は社会に出ない自分を嫌悪しているわけではないからだ。
東野圭吾に影響を受けたことも、その結果社会を恐れていることも事実だが、だからなんだという話だ。
子どもの頃から教えられてきた正規ルートからは離れてしまうが、それもまた人生であることには変わらんのではないか。
損得勘定で考えるものじゃないし、自己満足なのだとすれば、少子化とか当たり前じゃん。子育てどころか夫婦生活というのがそもそもデメリットが多すぎる。これなら一人で深夜アニメみてごろにゃーんってしたほうがずっと幸せだった。
私は年収700万円ぐらいで奥さんは専業主婦。子供一人。家賃や固定費はすべて私が払った上で月に30万円ぐらいを妻に送金している。使途には一切口出ししてない。
私の仕事の内容は自分でコントロールできるのだけど年単位で結果が出なければクビになる系のなのでそれなりに辛い。毎日12時間ぐらい働く同僚が普通。なのに私は朝ごはんをつくり、ゴミ捨て(含むゴミ回収・袋掛け)、掃除機かけ、こどもの入浴(残業で半分ぐらいの頻度だけど)、週末の洗濯なども担当している。いわゆるイクメンだ。
うちにいる専業主婦はなぜか月の半分は寝て過ごしている。生理って大変なんだよね。知ってるよ。体調が悪いといえばずっと寝て過ごせるなんて女性っていい身分だよなと思う。つらいとかだるいとか女性ってそういうものなんだよね。
仕事中もLINEがとどく。育児の愚痴やら、専業主婦が虐げられているというネットの記事をつぎつぎと。仕方なくレスであやしたり、褒めそやしたりしている。なんでそんなことし続けなければいけないのだろう。
統計によると、そんなストレスフルな生活であっても、夫婦や子どもがいたほうが健康状態や生活の満足度は同年代の独身よりも高いのだそうだ。とても信じられない。一人暮らしのときは確かに怠惰な生活だったけれど、若さゆえのセルフコントロールの不足に由来していたと思う。出張でホテルに泊まったほうがずっと快適で健康的な生活になるから。
結婚して幸せな生活をしていますよということを、両親にも同僚にも家族にも常に伝えなければならない。友人の夫婦生活の愚痴を聞いてあげるし、より良い方向への提案も可能ならしてあげている。外から見ればきっと素晴らしい夫に見えるだろう。しかしもう限界だ。なぜこんなことを続けなければいけないのだ。それも死ぬまで。
妻に一度、自分がちょっと辛いということを漏らしたことがある。そしたら私が悪いんだよね死んだほうがいいよねと死ぬ死ぬ詐欺をされてしまい、以降、マトモな相談ができなくなってしまった。もう逃げ場もない。
私の親や妻の親を(ともに遠方)たまに呼び出して孫を見せてついでに家事とか話し相手になってもらえばいいじゃない?と提案したけどむしろそっちが辛いと言って頑なに断られてしまった。うちの親が遊びに来たときすら、家の玄関をくくらせなかったぐらいだからね。
平日幼い子供と二人っきりで辛いのだろうと、託児サービスを探したり、週末は私が子どもをつれて一人にしてあげたり、遠出をしてもらったりするけど、せっかくそうやって休みを作ってあげたと言うのに、なぜかわざわざその夜に夜更かしをしている。そして翌日に体調最悪で朝から寝込んでいるのだ。意味がわからない。因果関係が明らかじゃないか。
毎朝通勤で、副都心線使うんだけど、駅降りた後、エスカレーターに長蛇の列作るのがを毎回見てるんだけど、あれなんなん?
エスカレーターがアホほど並んでいるなか、隣の階段はスカスカ。
賢い人なら行列の最後尾に並んでエスカレーターに乗るより階段を歩いたほうが速いのがわかると思うんだけど、そうしないのなんで??
別に長蛇の列がなくてもエスカレーターに立って上までいくのは階段を登るよりおそいよ
つまり「エスカレーターに乗る奴=自分の足腰を使いたくない怠惰な奴」で合ってる
あいつらはのんびりエスカレーターで登りたいというただそれだけ
んでさ
あんな運搬効率悪いものでスペース半分ぐらい食ってるのは狂気の沙汰だよ
全部階段にすればいいのにさ
変われる変われる
現に俺は変われた
なんでかというと
食べる量制限するだけじゃん
食わないだけ
しないだけでいいんだもん
俺らの減量は辛いよ
慎重に慎重に「落ちすぎないように努力する」
でもだんだん頑張れなくなるし、上がってた重りが上がらなくなる
なにも楽しくない
さっさとがた落ちさせて終わりにしたいけどそれは筋肉が落ちすぎる
そーっとそーっと体重落としていく
それにくらべて
おでぶちゃんのダイエットって余分な脂肪をただ落としたいだけでしょ?
マジでなにも難しくなくね?
大雑把に昼飯抜けばいいんだよ
そんで他はなにも変えない
大雑把だけど考えること少なくてやり易いだろ?
逆に、なんでこんな簡単なことができないんだ?
つまりさ
ダイエットなんていう簡単すぎることに取り組んでるからダイエットすら達成できないんだよ
ウエイトトレーニングで筋肉女を目指してみろよ
尻と腿のラインが出る頃には自分の身体をコントロールする当たり前の意識が生まれてる
ウエイトトレーニングに比べたら減量なんて簡単すぎる
お前は金があるならライザップじゃなくてゴールドジムでもいけよ
そんで一番ムキムキなトレーナーを雇って「ボディメイクしたい」といえ
ゴールドジムトレーナーの中でもムキムキっていうのは筋肉に人生かけてる気違いだから
そりゃあ厳しく指導してくれるよ
みんな弱音とか甘えとか大きらいだからな
きっと何度かは学生時代みたいな叱られ方をする
けど彼等はライザップのバイトのあんちゃんの千倍は努力と経験がある人だ
そういう本当に価値あるひとのレッスンについていくならば
必ず変われるよ
現に俺は変われた
食っても食っても太れない人、何をやっても痩せない人
両方を嘘つきと断じて目を瞑ってるのか?
強いて言えば前者はありうるよ
食べても食べても消化・吸収・同化のどれかがうまくいかないので体重が増えない
これは有り得ます
でも後者の「何をやっても痩せない人」、これは有り得ません
「何をやっても痩せない」ってことは「摂取カロリーより消費カロリーを大きくしても痩せない」ってことだよなあ?
このていどのこともわからず「個人差デブうウウウ!」とか言ってるから豚なんだおめーは
バッカじゃねーのw
残り半分落とすのに1年4ヶ月かかってる。それほどに変動する
そりゃ体重は減らしていくほど減りにくくなるよw
同じペースで減るわけないだろ
何を当たり前のことをドヤ顔でいってるんだこの豚は
むしろ84キロから69キロまで3ヶ月で減るならどこも「何やっても痩せない」じゃねーじゃん
お前の身長が160cmなら84キロから54キロまで減らしてもまあオーケーだし
へええ~~~~~え
すっごい人間だねえ
マジで検体いった方がいいんじゃね?
まあこういうこというデブは実際に食ってるもんをメモさせたら全然違うんだけどねw
もうアホらしくなったけど付きあいましょう
仮にお前のいうとおりだとしよう
1ヶ月1キロ増えるなら1日2000kcalの食事から1食だけ主食ちょっぴりにすりゃいいよね
食ったんでしょ?
豚はぶうぶうぶうぶう言い訳するけど
結局食ってるんだよ
太ってない人より食ってんの
ただそれだけ
「僕は特異体質なんデブう」っていうただの豚を俺が何ダース見てきたことか
ダイエット中に2週間位停滞するのは割とよくあることだ
それは普通にあるね
まあ食ってるんだけどさ
1日の活動に必要なカロリーという意味で最低限食わないといけないからさ
そこを削るともう体脂肪率が落ちるというより生活に支障が出るわけ
ほとんどの自称停滞期はダイエットにあきて食いながら「停滞でぶう」っていってる奴なんだけどねw
おまえはどっちかなw
たいたいさお前みたいに基礎代謝すらはるかに下回るカロリーしか食わない人は停滞期なんかなく痩せるわけ
あるていどの期間やれば餓死出来るってこと
なのに生きてるだろ?
だから嘘だと断定できるわけ
俺程度の知識がある人間はお前の話が全体的に嘘だってすぐ分かるし
俺程度の知識の人間なんているとこにはウジャウジャいるからみんなお前のことあきれて見てるんだよ
盛るのが癖になってる豚くんよ
じゃないと、誤差なのか本当に痩せてるのかがわからなくなる
極論週に1度で十分だよ
食ってるか食ってないかなんか自分の食事に向き合ってりゃすぐわかる
目をつぶって間食繰り返す豚は自分がどれだけ食ってるわからなくなって
毎日体重測る暇があったら食うもん全部撮影してメモしてずるするなってだけの話だよ
根性がないならね
そりゃそうだね
84キロから54まキロで落ちてまた72キロになった人の身体なんてひどいだろうな
筋肉ごっそりなくなって腹の脂肪だけ目立ってデブなのに変に手足が細くてクモみたいな感じだろ
でもお前の話がほんとならそれはもうたんぱく質が足りないんじゃなくて純粋にカロリーが危機的に足りないからさ
その場合身体は普通に筋肉から分解するからプロテインとってどうこうって話じゃない
だいたいプロテインもカロリーあるんだからお前のエクストリームダイエットには邪魔なはずでしょ
(まさかプロテインのカロリー計算に入れてないなんてことでなければ)
1日500kcalしか取れないならプロテイン飲もうがビタミン剤飲もうが必要な栄養なんか全然足りないから安心しろよ
ひもじいとかじゃなくてデスクワークでも仕事にならない、それどころか長くやってれば脳に障害が出るし
爪や髪や肌や表面のわかりやすいとこも目に見えて身体がボロボロになるからさ
1日500kcalで長期過ごした人の感想は「ひもじい」「つらい」なんて生やさしいものじゃありません
つーか俺が1日に飲むプロテインのカロリーだけで500kcalぐらいあるわ
そしてリバウンド繰り返すような怠惰なデブなのになんでBMI22きることを狙ってんだ?
んなことするぐらいなら22で止まって太りなおすのやめる方がよっぽどマシだ
百歩譲って豚くんが「単なるエクストリームダイエットで骨みたいになるのが趣味なだけで嘘は付いてない人」って可能性があるかというと
まあないんだよね
ダイエット初期に筋力が上がるとか体重が増えるとか意味不明なこと言ってる時点でただの嘘付だとわかるわけ
食事も何もかもちゃんと記録せず適当なことヤッてるだけの奴だと
はーアホくさ
鬱病共が千人束になって説得しようと、専門家共が理由を示して説明しようと
俺にとっては鬱は甘えである
理由を此処に示す
俺は鬱病ではない
つまり、鬱の連中が口にする言葉は甘ったれの怠惰に満ちた言葉にしか聞こえない
甘えだ
理由1からさらに拡大すると、俺はそもそも鬱になったなった事がないのだ
だいたい精神が弱いし甘ったれてるから心を病むのではないのか?
やはり甘えである
まぁ自称病気の甘ったれどもとはいえ一応社会が病気扱いしてるし、病気なんだろうよ
俺は嫌な思いしてないから
嫌悪感が凄まじい
だから敵意を持って接する
どれだけ違うと言おうとも鬱病は甘ったれた連中にあることに間違いはない
したり顔で「お前が言うならそうなんだろうな?お前の中ではな」と言うアホウがいるだろうが、まさにそうだ
そう認識する存在がいる限り、そういう結論はこの世に確かに存在する