はてなキーワード: 実現性とは
先日、加古川の肥料メーカー多木化学がバカマツタケ(Tricholoma bakamatsutake)の完全人工栽培成功を発表した。それを森林ジャーナリストの田中淳夫氏がyahoo!ニュースで取り上げた記事は、多数のブクマを集め話題をさらった。
ただ記事の内容には不正確な情報や、やや解説が不十分と感じる点があったので補足したいと思う。なお増田は単なるきのこ愛好家に過ぎず本稿は信憑性に乏しいが、ブクマカのきのこへの興味と深い理解の一助となれば幸いだ。
冗長になってしまったので、概要だけ知りたい方や長文が苦手な方は、先に下部の【まとめ】を読まれることを推奨する。
バカマツタケはマツタケの近縁種。名前が名前だけに、マツタケより劣るように思いがちだが、実は姿もよく似ているうえに味と香りはこちらの方が美味しくて強いと言われるキノコである。
マツタケよりも香りが強いというのは一般に言われるが、マツタケよりも美味しいという話は聞いたことがない。野生下ではマツタケよりも相当に貧弱で、発生時期が早く暖かいこと、一般に湿度の高い広葉樹林に生えることから、マツタケよりも柔く品質の劣化がはやい(一般的にきのこは寒冷地・痩せ地に生えるほど日持ちが良く高品質なものを得やすい)ことが関係すると思われる。近縁で姿がよく似ているというのは本当で、素人目には見分けがつかない。増田にも発生場所の情報なしに個体だけで同定できる自信はない。
バカマツタケをサマツと呼ぶ地域は確かにあるらしい。しかし必ずしもサマツ=バカマツタケではない。きのこの地方名は極めて多様で曖昧な世界だ。その証拠に「サマツ」といっても梅雨時期に少量発生するマツタケを指すこともあれば、モミタケやオオモミタケ等を指す地域もあるようだ。
マツタケの人工栽培がなかなか成功しない中、バカマツタケの方が環境に適応しやすいから栽培もしやすいのではないかと注目する研究者はいた。実は昨年には奈良県森林技術センターが、人工培養の菌を自然にある樹木に植え付けて発生させることに成功している。
『人工培養の菌を自然にある樹木に植え付けて』という表現は正確ではない。菌に感染した苗木を人工的に作り出し植樹することで自然下で発生させた、とするのが正しい。既に自然化で定着している樹木に植菌を施すのと、無菌状態の苗木に植菌するのとでは似て非なる技術だ。(ところで同様の研究はマツタケでも行われており、無菌培養の松苗木の感染には成功しているものの、植樹後のマツタケ発生については再現性に乏しい。理由としては自然環境化においてマツタケ菌が他の害菌に負けてしまうこと、マツタケの発生にはまとまった菌糸量とそれを支える大きさの松が必要なことが挙げられる。例えば自然下でマツタケが生えるためには一般に20年生程度の松が必要とされる。)補足になるが、奈良県森林技術センターのバカマツタケ栽培研究は農水省の委託事業で、2015年より森林総合研究所(国立)との協働で進めている。要するに国策が3年の歳月を経て文字通り実を結んだかたちだ。今年の2月頃に、はてブでも話題にのぼった。しかし本件とは全く関係のない別個の案件であり、おそらく情報の共有などもされていなかっただろう。奈良県森林技術センターが松の苗木を利用するのに対し、多木化学は菌床を用いた完全人工栽培に取り組んだ。研究テーマもアプローチも全く異なり、時期も多木化学のほうが先行している。
これがバカマツタケ栽培の第1号で、今年も継続発生させて実用化に一歩近づけた。ところが多木化学は(中略)木クズなどによる人工培地(菌床)で培養から生育までを室内環境で完結させたのだ。これは画期的なことで、キノコ栽培の常識を覆す大発明かもしれない。
菌根菌(樹木との共生関係を結ぶ集団)とされるバカマツタケで『人工培地(菌床)で培養から生育までを室内環境で完結』、つまり”完全人工栽培"に成功したというのは実に画期的なことである。この成果は偉業と言っても差し支えないものであると思う。三重大学の菌学者、白水先生も、
「原基から子実体への形態変化を促すための各種シグナルを試し続けました」
さらっと書いているけど,ここにどれほどの試行錯誤があったことだろう…— 白水 貴 (@Takashirouzu) 2018年10月5日
とその成果を讃えている。
しかし本文にある『キノコ栽培の常識を覆す大発明』というのは誇張にあたる可能性が極めて高い。なぜなら「菌根菌の完全人工栽培に成功」という点においては既に先行研究があり、実はとうに商品化もされているのだから。例えばホンシメジの人工栽培がこれにあたる。
とくにマツタケ類は、植物との共生が必須と考えられてきた。これまでマツタケ菌糸の培養に成功した例はいくつかある(私もその度取材に行って、いよいよマツタケ栽培に成功か、と期待していたのだが……)が、子実体(傘のある姿のキノコ)を出すことに成功していなかった。だが多木化学は、とうとう菌糸から子実体を出させるシグナルを見つけたのである。この研究成果は、これまでの定説を破るものであり、学術上も大きな成果だろう。
繰り返しになるが、多木化学の成果が学術上も大きな意味を持つ可能性は高い。しかし、その成果がどのレベルかという点については当該記事では説明不十分なので、詳しく補足する必要がある。一般にきのこの栽培はざっくり以下の工程をたどる。
b. 菌糸の培養
c. 原基形成
d. 原基の成長肥大
ごく簡単に一連の流れを説明する。はじめに野生のきのこをたくさん採ってきて、それらの中から有望そうな株の組織(胞子ではない)を切り取って培養する。具体的には寒天培地というデンプンなどの栄養素を添加し固めたものを使う。きのこは組織を切り取り培地に置くだけで(コンタミを防ぐ必要はあるものの)、比較的容易にクローンである「菌糸体」を得ることができる。無事目的の菌糸体が得られたら、それらを培養して増やす必要がある。従来は木くずの他に、米ぬか、フスマなどを添加し水を加え固めたもの(=菌床)を用いる。菌糸体は、適切な温度、水分、光などある条件が重なると原基(きのこの基)を形成する。原基は一般に、低温、水分供給、切断などの刺激により成長をはじめ、十分な菌糸体の量と栄養供給を伴って肥大し、きのこの発生に至る。
ここで問題になるのは、b. 菌糸の培養、c. 原基形成、d. 原基の成長肥大という三つの工程それぞれに、全く違ったメカニズムが存在することである。マツタケを例にとると、これまで少なくとも半世紀以上もの研究蓄積(野外での観察研究の記録を遡ると実に70年以上)がある中で、c,dについては再現性に乏しく、bについてもまともな成果はあがっていない。マツタケ栽培の難しさにして最大の課題は実はここ《b. 菌糸の培養》にある。とにかく菌糸の成長が遅い上に、どのようなメカニズムで菌糸が栄養素を取り入れ増殖するのかということがほとんど未解明なままなのである。
理由は当該記事にあるとおり、マツタケが樹木と共生関係を結ぶ「菌根菌」であることが大きい。マツタケ菌糸の生育には生きている樹木が必要で、実験室での再現はほとんど不可能といっていい。それではなぜバカマツタケは完全人工栽培は可能だったのか。
マツタケなどの樹木と共生する菌根菌に対し、シイタケ、ナメコなど、倒木や落ち葉などを分解し、栄養源とする菌類は「腐生菌」と呼ばれる。腐生菌の多くは菌床による栽培が可能で、多くが一般に出回っているのは既知のとおりである。実は菌根菌は、腐生菌が進化の過程で樹木と共生する力を獲得し、腐生的な能力を失った集団だと考えられている。ところが菌根菌の中には、完全に腐生的な能力を失っておらず、腐生と共生、いわば両刀使いが存在するのである。その代表がホンシメジである。ホンシメジは「香り松茸、味しめじ」と言われるように、我が国における代表的な食用菌である。菌根菌とされるホンシメジの栽培は、マツタケ同様に長らく不可能と考えられてきた。しかし系統により極めて強力な腐生的な能力を備えるものが発見された(研究により、これまで同種と考えられてきた本種が実は様々な系統もしくは別種に分けられることがわかってきた)。1999年にタカラバイオなどにより菌床による完全人工栽培法が確立され、その後商品化もされており、少量ながら現在も一般に流通している。
多木化学のバカマツタケ栽培は菌床を用いた完全栽培なので、上記のホンシメジ栽培の成功と同様である。つまり、本件はバカマツタケの中から腐生的な能力を持つ系統を選定し、培養から子実体を発生させるまで成功したということだ。リリースにあるとおり、今後は栽培の安定化と供給体制の構築が図られ、数年後にバカマツタケが食卓に並ぶことの実現性は極めて高い。それではマツタケ栽培への応用についてはどうか。
勘の良い方には察しがつくと思うが、前述のc〜eの工程については応用が効く可能性が高い。他のきのこ栽培でも成功しているように、十分な菌糸体と栄養を確保することさえできれば、原基形成〜子実体に至るまで管理が可能なことを初めてマツタケ類においても示したことは大きい。ただし、最大の課題である《b. 菌糸の培養》については、ほとんど応用が効かない可能性が高い。なぜならマツタケにおいては既に膨大な先行研究があり、当然ホンシメジやバカマツタケ同様に”両刀使い”が存在する可能性も、その系統選びも、菌糸培養を促進する成分や菌糸の栄養源についても、少なくともバカマツタケよりは遥かに詳しく調べられているからである。それをもってしてもまともな菌糸培養に至っていないのが現状なのだ。
つまるところ、多木化学による本研究の主な成果は以下の二点にまとめられる。
繰り返すがこれらが偉大な成果であことに疑いの余地はない。一方でマツタケや他の菌根菌の人工栽培を実現するには、それぞれの種類において腐生菌的能力をもつ系統の発掘と培養法の確立が必須となる。その意味において本研究の応用範囲は限定的となる。田中淳夫氏は今回の研究結果により、さも菌根菌の栄養吸収のメカニズムが明らかにされ、あらゆる菌根菌の人工栽培が可能になるかのような書き方をしているが(あるいは本当にそう思っているのかもしれない)、残念ながらそうではないことはここまで読んでくださった聡明なブクマカ殿にはご理解いただけたかと思う。
菌床栽培なら、植物と共生させないので培養期間が短く、室内の環境を調整することで季節を問わず生産できる。また室内栽培だから虫の被害にあわず収穫時も混入の心配がない、収穫も簡単……などのメリットがある。
逆にデメリットを挙げるとすれば、野生のものとは全く異なる味わいと食感になることである。つまるところ、野生の品と菌床栽培のものとでは全く別物と考えるべきである。養殖ブリと天然ブリの味わいが全く異なるように(それでも近年の養殖技術の進化は素晴らしく、季節によっては天然物を凌駕するものさえある)、それぞれの美味しさと楽しみ方があると増田は考える。今回の成果によりバカマツタケが普通に食べられるようになったら嬉しいし、美味しければ普及すると思う。ただし、仮にマツタケの完全人工栽培が確立されたところで、天然松茸の価値そのものは今後も揺るぎのないものである(消費者がどう捉えるかはさておき)。
菌根菌のキノコの中には、マツタケ類だけでなく、トリュフやポルチーニ、ホンシメジ、タマゴタケなど高級キノコが多い。今回の成功が、これらの人工栽培技術にもつながるかもしれない。
トリュフやポルチーニは、日本におけるマツタケ同様にヨーロッパで盛んに研究がなされているが、今のところ菌床での栽培に成功したという話は聞かない。ホンシメジは前述のとおり既に栽培法が確立されており既に商品化もされている。
これらの菌根菌の人工栽培を可能にするには、ひとえに”両刀使い”の系統を発見と、それらの培養方法の確立である。ちなみに本家マツタケにも、実は”両刀使い”の存在が示唆されており、引き続き研究が進められている。また、マツタケ類は世界中に似たような種が多数存在しており、マツタケ(Tricholoma matsutake)の中にも、例えば中国の山奥には広葉樹と共生する系統があり、更にはそれらが日本のナラやカシと共生関係を結ぶことがわかっていたりもする。種の中にも多様性があり、それらをしらみつぶしに調べていけば、そのうち栽培可能なものに出くわさないとも限らない。その点はトリュフだろうがポルチーニだろうが同様である。ただし、その研究がどれほど途方もなく根気のいる仕事なのは間違いない(ちなみにトリュフもポルチーニも国産種が知られており、積極的に狙うマニアが相当数いる)。ところで、遺伝子組み換え技術により、これらの菌根菌に腐生菌的能力を付加することも可能とする研究者もおり、そのうち遺伝子組み換えマツタケの完全人工栽培が実験レベルで成功する日も来るかもしれない。
https://news.yahoo.co.jp/byline/tanakaatsuo/20181006-00099530/
http://fs.magicalir.net/tdnet/2018/4025/20181003413938.pdf
http://www.kinokkusu.co.jp/etc/09zatugaku/mame/mame04-3.html
https://www.ffpri.affrc.go.jp/pubs/bulletin/424/documents/424-1.pdf
http://www.jsmrs.jp/journal/No31_2/No31_2_167.pdf
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjom/50/2/50_jjom.H20-07/_pdf/-char/ja
見た目 味も 香りも 同等以上なら 偉業
あくまで野生産同士の比較なら、やや下位互換という感じではないでしょうかね。栽培バカマツタケは食べてないのでわかりませんが、うまくすればそこそこ美味しいものができる可能性はあるかなと。ただ、マツタケって単体で食ってそんなにうまいものじゃないと思うので、一般家庭での調理には手を焼く気がします。炊き込みご飯するにも炊飯器臭くなるしね。料亭とかでマツタケの代用品として普及する可能性はあるかもしれない。<
「同性婚が認められると、あなたにどんな不利益がありますか?」木村草太、小島慶子、ブルボンヌが同性婚の実現性を探る
http://fairs-fair.org/marriage-for-all-event-vol2/
という側面がやはりかなり強いように見える。
ブコメでもあったけど、昔からの家を守り、子供を生み、財産を受け継がせ、更にその子が次へ続けていく。
というローテーションそのものが国家の利益につながり幸福になる人が増大する。
そのために、全国民(男性、女性、独身、LGBT、老人、etc)から税金を徴収し結婚した人に重点的にお金を再分配するという構造になってる。
とかそういう感情的な側面も理解できるけど、現実問題として現行法はそうなっていない。
って言い分もわかるけど、現行法はそうなってない。
ただ、その上で同性の人が一体同性婚をすることで何を求めているのか?
ということをもっと理屈を突き詰めないと同性婚は実現しないと思う。
生産性というよくわからない単語とか、よく言われる同性が付き合うのは気持ち悪いとかいうたわごとはどうでもいい。
記事では理屈ではなく感情にも配慮すべきとかいってるけど、まずそもそも理屈を理解してないんじゃないのだろうか。
ってのが透けて見える。
つまり同性が堂々とつきあって、同性同士で道端で手をつなぎあったり、レストランに同性で入ったり、ラブホに入ったり。
というような問題に絞られると思う。
でも、それを実現するために現行法の婚姻制度を使ってしまうと子供を生み育てるためという理由と衝突する。
つまりやるべきことはパートナーシップ制度をもう少し洗練させて国法とするか
を分離させるしかないと思う。
「同性婚が認められると、あなたにどんな不利益がありますか?」木村草太、小島慶子、ブルボンヌが同性婚の実現性を探る | http://fairs-fair.org/marriage-for-all-event-vol2/
利害関係というのは利があるか害があるかという記述そのままイメージしやすい言葉ではあるが、もう少し掘り下げて考えてみるべきではある
利害関係は「利-利関係」による協調と、「利-害関係」による敵対によって成り立っているものであり、これは双方とも一種のコミュニケーション関係であるはずだ
「利-利関係」による協調支援と、「利-害関係」による敵対競争によって議論はより成熟していくのだが、中には一切その議論に関わりたくないと考える者も確かに居て、そういう層の自由は奪われるべきではない
よく言われる「アナタがもしその立場に立てば」「協調するとアナタの利益にも協調して貰えるかも知れない」という文句
例えば、極論かも知れないが「高校生カップルの婚約・婚姻を社会的に推進していくべき」という立場へ協調を求められた場合どのようなリアクションを取れるのか
人によっては「子供はまだ判断が未熟だから」と否定する者も居るであろうし、心無い者は「子供の恋愛は遊びだ」と断定し、その十数年が人生のすべてである高校生を酷く傷付けることもあるかも知れない
高校生はその十数年の人生によって「本気」で考えており、二十年の人生の「本気」や、五十年の人生の「本気」や、百歳の人生の「本気」と比較して価値が低いはずがない
人生の長さに関わらずそれぞれの「本気」は平等に評価されるべきであり、現代日本社会の中で困難に遭遇する物事へ突き進もうという恋人同士の、本気で同性恋愛を、本気で同性婚姻を進めようとする者が、子供同士の恋愛や婚姻を制御しようとするのは正しいのか?
ここまで言われれば「本気」である者の中に出てくるのではないか?
「この議論に口を出すとむしろ不利益になる。協調も敵対もせず静観することが最も自己の利益に繋がる」と考える者が
「協調はしない、そして敵対もしない」と言われた際、そのような発言が真っ当な社会の権利であると認められ、このような発言をすること、つまり「協調」「敵対」「静観」がそれぞれ同等の「発言をしたことに価値がある」と評価を受ける社会へとなった際、アナタたちはその人物をどう考えるのか?
政治で言うところの「無党派層」どころでなく「無投票層」であるその人物をどう考えるのか?
つまり、実際のところ利害関係のみによった社会運動の行動指針や判定は誤っている可能性がある(誤っていると断言はできない)
これまでの社会運動は結局市井へ対して「利害関係を持てと強制する」動きであり、この強制へ気付いている者がどれだけ居るのか?と考えるし、全く別の行動指針や判定を開発する段階へ来ているのではないか?と推定している
確かに炎上した元ツイートはどうしようもないその人の特性(男であること)で排除している点で差別だと思う。この人からはそんなに感じないけれど、この人を擁護する意見には、それは流石に男憎しがすぎて論理的ではないのでは…みたいなのもちらほら見受けられたし。
でも現実性なくない?とか、犯罪みたいな都合の悪いことを全部男に押しつけて女同士で起こる可能性考えてないのかよ、みたいな反論はあまりにも的外れだと思った。
そもそも元ツイの人は男が全部悪い!という意味じゃなくて、性犯罪の面で、ただ一部の危害を加えてくる人のせいで全ての男の人にビクビクしないといけなくて辛い。いつ何されるか分からないからいつも気張ってないといけなくてしんどい。疲れた。みたいな、愚痴まじりのつぶやきだったはずなのに、え、公用地ですか?インフラは?っていうのが論点になっているのが謎すぎる。そんなの明日会社行きたくねー!爆発しろ!みたいなつぶやきに、爆弾自分でつくるんですか?そんな知識あるんですか?入手経路はどこから?って返すのと同じでしょ。
あと、男全員を悪者にするなよって意見は本当にその通りだと思うんだけど、どうしても女の人は警戒しなきゃいけないんだよ。別に男が嫌いな訳じゃない。少なくとも自分は。自分は恋人もいるし、話してて楽しい男友達もそれなりにいるけど、やっぱり夜道で後ろに人がいたら速歩きで距離取ろうとするし、知らない男の人に話しかけられたら女の人に話しかけられるより冷たい態度をとってしまう。それはやっぱり、一部の男の人に当たり前に危害を加えられるからであって、その人が危害を加えてくる人か分からないから。例えば、街を歩けば強引にナンパされて、断ったら死ねよブスって暴言吐かれて。女性専用車じゃない車両に乗ったら痴漢されて。ヒトカラしてたら男子大学生の集団がいきなり入ってきたり、夜道で家まで送りましょうか?って声かけられたり、3万でどうですか?って急に言われたりして。全部自分が経験したことだけど、電車の中で痴漢されて精子鞄にかけられたり、スカートの中盗撮されてた友達たちも居るから自分はまだマシな方なんだなって思う。こんな一回されるだけで自尊心がボロボロになるような経験が、女子会で笑い話として消費できるくらい日常的なことになっている。
そんなしんどい毎日があるからこそ、多分女の人が男の人を警戒するのは、小学生が変質者避けの為に大人全員を警戒するのと一緒で、もちろんいい人が99%なのは分かってるけれど、目の前にいる人がもし残り1%だったら?と疑ってしまう。本当は男か女かなんて意識せずに暮らしたいよ。こんにちは、って言われたら笑顔でこんにちはって返したいし、夜後ろで人が歩いてたら、純粋に今日もお仕事お疲れ様って心の中で思いたい。たまに街で道を聞いてきたおじさんに、ありがとう、助かったよ。とか言われると罪悪感でいっぱいになる。ああ、なんでこんないい人疑ってしまったんだろうって。人を信じられないってなんでこんなにしんどいだろう。
この件で、男の人はなんで理解できないんだ!というつもりは全くない。だって本人の経験してないことはやっぱり理解しづらいと思うから。自分だって他のマイノリティの人達のつらさは本質的には理解できてないと思うし。でも、この女だけの街のツイートへの反応に、女の人がいつも感じていないといけないリスクのことだったり、行動が嫌でも制限されてしまうことへの言及が全然なくてなんだか虚しくなってしまった。マイノリティがする差別は綺麗な差別、なんて言うつもりはないし、擁護するつもりもないけど、実現性とか排除の論理とかの話をする前に、どうしてツイ主がこんなツイートをしたのか考えてほしかった。少しでもいいから言及してほしかった。皆で関係ないところで叩きあって、どんどん断裂を深めていって。多分ツイッターで議論してる人たちにとっては、この女特有のしんどさは議論する価値もないどうでもいいことなんだなって、別に特筆すべきこともないし心を痛めることもない被害妄想にすぎないのかなって、きっとこのまま無視されて明日も明後日もこんな日々が続くのかなと思って絶望した。本当につらいんだよ。助けてよ。でもこんなこと言ったら、女は何かをしてもらうのを期待してばっかで何にも自分で行動を起こす気ないじゃないか。結局特権階級が欲しいだけじゃないか。って言われそうで言えない。
日本人は感情をあらわにしない民族と言われている。たしかに、大人になってから人前で泣いた経験はあまりない。
それに加え、さまざまな場所においてマナーアップが徹底された結果、最近は心が安らぐ空間が圧倒的に減っている。
コメディ映画を観に行っても、声を出して笑えばマナー違反と言われてしまう。
感情の表し方も分からず、それを許す空間もない。そんな日本には、人が感情を表に出せる空間が必要だ。
ところで、悲しいのに泣けないということはないだろうか?
親戚が亡くなった際に、周りの女性はみんな泣いているが、強さを求められる男性は泣けないでいる。
幼少期など、怒られているときに泣くと、より一層怒られた経験がある人もいるかもしれない。
泣くというデトックスが必要とされているのはたしかだが、いざ公衆の面前で突然泣いてしまったら、何事かと思われるに違いない。
実際にお姉ちゃんがいる人の中にはあまりよい思い出がない人も多いだろう。
一方で、二次元では主人公などを慰める優しい存在とみなされやすい。
少なくとも、二次元におけるお姉ちゃんの包容力は全ての人を癒すポテンシャルを持っている。
ここで、「三次元のお姉ちゃんにはグロテスクさがあるのではないか?」という批判があるかもしれない。
しかし、メイドにしろ武士にしろ、2.5次元で表現されたものはみな美化され、無害化されている。
(セクハラ以外の)あらゆることを赦す存在以外のあらゆるイメージをそぎ落とした存在が、私の提案する「お姉ちゃん」だ。
それから、「借金の返済に追われている人や大切な家族を亡くした人は、泣いても意味がない」とも考えることができる。
しかし、このカフェの目的は泣くことを許容された空間の提供であり、問題の解決ではない。
そもそも、お皿を割って店長に怒られたことを慰めてもらっても、そのお皿が元通りになるわけではない。
「お姉ちゃん」は行き場のない感情を受け止めるクッションであって、全てを復旧する万能の神ではないのだ。
という感じで、ここまで実現性のない妄想を書き連ねてきたが、脳内に架空の「お姉ちゃん」を用意すれば、泣けるのではないかと思えるようになってきた。
http://www.huffingtonpost.jp/2017/10/24/iwanami_a_23253606/
フェミニスト市民団体が辞書のフェミニズム/フェミニストの項の解説について異議を唱え、それに呼応して検討が行われるとかなんとか。
言うまでもなく、もともとフェミニズムは女性解放主義である。feminine-ismを直訳すれば女性主義なんだから、解放主義でも柔らかくしたくらいだ。じゃあ一体何から解放するのかというと、これは近代以前の社会運営がほぼ全世界的に男性によるものだったという状況からの解放だ。我々日本人にとっては、戦前の参政権が男性にしか与えられなかったことなどが代表的だろう。少し話がずれるが、戦前の参政権は当初性別と年齢に加え、当初は納税額も条件とされていた。納税額、つまりは収入額(と直結するものでもないが、一応目安として)、イコール教養(と直結するものでも以下同文)である。つまり、政治の話がある程度わかる人間にだけ参政権を与えたかったのだ(と私は推測している)。その理屈に正当性を見出すかどうかはさておくとして(そっちに脱線すると戻ってこれなくなる)即ち、それまでの社会運営は男性によってのみなされていたのだから、女性にそんな能力が認められるはずがない。よって権利が与えられるわけはない。おそらく、どこの国でも似たような理由で、似たような状況があったものだと考えられる。
では翻って、現代においてはどうか。少なくとも先進国においては自明だと言っていいだろう。男女同権は少なくとも建前としては完全に定着した。つまりフェミニズムは歴史的に見て、既に勝利を収めている。それも決定的な勝利をだ。実際その勝利によって男性にも少なからず利益があったのだろうと思っている(そうでなければ勝利できなかっただろう)が、まあ細かいことはさておこう。
さて、ここでお気づきの方はお気づきだろうが、この方向性を維持し続けると(実現性はさておき)最終的には女権社会になる。なので、「性差別を排し平等を目指す」という方向に、少なくとも一部(おそらく主流派)はシフトしたがっているのだろう。おそらくはだいぶ前から。
だがその場合、つまり性差を男性偏重からゼロにすることにのみ注力した場合、「これまでの歴史において女性が被ってきた被害、損害」が補填されることはなく、完全に据え置かれることになる。これは何を意味するかというと、現実かつ現在の女性を救うことはできない、ということだ。未来に生まれる女性をより良い環境に置くことはできる。過去の女性の名誉回復も可能かもしれない。だが、今現在なうで苦しんでいる女性を救う(ために男性からリソースを奪い彼女たちに与える)ことは、思想的に不可能なのである。そしてフェミニズムを奉じることが出来るのは、現在生きている人間だけだ。
この二律背反が、いわゆるフェミニズム界隈の不可解かつ理不尽な動きの根底にある。基本的にこの手の一括りにされた集団の動きが矛盾しているようにみえるのは「根本的に同一人物ではないから」というのがお決まりのパターンだが、これを一括りにしておかないと迷走する。かと言ってフェミニズムそのものを破棄すると、また前近代の社会体制に逆戻りするおそれがある(なにしろ自然条件ではだいたい男性が社会を運営するようになるものなのだ)。
これらを合わせて考えるに、個人的には、フェミニズムはいっそ完全に分裂するべきなのだろうと思う。そしてその場合、feminine-ismという字面を継承するにふさわしいのは、今苦しんでいる女性を助ける、実にハタ迷惑な方の「フェミニスト」たちなのだろう、とも考えている。
多分、ウソを見抜くって発想が悪手だと思う。
最初っから騙す気マンマンってのもあるだろうけど、そうじゃなくても、色んな思惑がある人間が集まってやっているんだから、実現出来ない事もあるし、その時ウソのツモリはなくても、結果的に騙すことになる事もあるからね。消費税増税反対で当選して、結局賛成したみたいな話あったよね?
選挙は、一番実現性が高そうな政策の中で自分の中の優先順位の高そうなのを渋々(ここが重要)選ぶのが本質だと思う。自分の理想には決してならないから。渋々選ぶんだよ。それだって、実現出来ない事も多いからね。
票に色が付いている訳じゃないから、組織を持っていない有権者がどんな理由で自分が選ばれたか?なんて政治家は殆ど知りようが無いんだから。そこは割りきりが必要だと。