http://www.huffingtonpost.jp/2017/10/24/iwanami_a_23253606/
フェミニスト市民団体が辞書のフェミニズム/フェミニストの項の解説について異議を唱え、それに呼応して検討が行われるとかなんとか。
言うまでもなく、もともとフェミニズムは女性解放主義である。feminine-ismを直訳すれば女性主義なんだから、解放主義でも柔らかくしたくらいだ。じゃあ一体何から解放するのかというと、これは近代以前の社会運営がほぼ全世界的に男性によるものだったという状況からの解放だ。我々日本人にとっては、戦前の参政権が男性にしか与えられなかったことなどが代表的だろう。少し話がずれるが、戦前の参政権は当初性別と年齢に加え、当初は納税額も条件とされていた。納税額、つまりは収入額(と直結するものでもないが、一応目安として)、イコール教養(と直結するものでも以下同文)である。つまり、政治の話がある程度わかる人間にだけ参政権を与えたかったのだ(と私は推測している)。その理屈に正当性を見出すかどうかはさておくとして(そっちに脱線すると戻ってこれなくなる)即ち、それまでの社会運営は男性によってのみなされていたのだから、女性にそんな能力が認められるはずがない。よって権利が与えられるわけはない。おそらく、どこの国でも似たような理由で、似たような状況があったものだと考えられる。
では翻って、現代においてはどうか。少なくとも先進国においては自明だと言っていいだろう。男女同権は少なくとも建前としては完全に定着した。つまりフェミニズムは歴史的に見て、既に勝利を収めている。それも決定的な勝利をだ。実際その勝利によって男性にも少なからず利益があったのだろうと思っている(そうでなければ勝利できなかっただろう)が、まあ細かいことはさておこう。
さて、ここでお気づきの方はお気づきだろうが、この方向性を維持し続けると(実現性はさておき)最終的には女権社会になる。なので、「性差別を排し平等を目指す」という方向に、少なくとも一部(おそらく主流派)はシフトしたがっているのだろう。おそらくはだいぶ前から。
だがその場合、つまり性差を男性偏重からゼロにすることにのみ注力した場合、「これまでの歴史において女性が被ってきた被害、損害」が補填されることはなく、完全に据え置かれることになる。これは何を意味するかというと、現実かつ現在の女性を救うことはできない、ということだ。未来に生まれる女性をより良い環境に置くことはできる。過去の女性の名誉回復も可能かもしれない。だが、今現在なうで苦しんでいる女性を救う(ために男性からリソースを奪い彼女たちに与える)ことは、思想的に不可能なのである。そしてフェミニズムを奉じることが出来るのは、現在生きている人間だけだ。
この二律背反が、いわゆるフェミニズム界隈の不可解かつ理不尽な動きの根底にある。基本的にこの手の一括りにされた集団の動きが矛盾しているようにみえるのは「根本的に同一人物ではないから」というのがお決まりのパターンだが、これを一括りにしておかないと迷走する。かと言ってフェミニズムそのものを破棄すると、また前近代の社会体制に逆戻りするおそれがある(なにしろ自然条件ではだいたい男性が社会を運営するようになるものなのだ)。
これらを合わせて考えるに、個人的には、フェミニズムはいっそ完全に分裂するべきなのだろうと思う。そしてその場合、feminine-ismという字面を継承するにふさわしいのは、今苦しんでいる女性を助ける、実にハタ迷惑な方の「フェミニスト」たちなのだろう、とも考えている。