2017-10-30

フェミニスト辞書の改変をしなければならない理由と、それに相応しくない理由

http://www.huffingtonpost.jp/2017/10/24/iwanami_a_23253606/

フェミニスト市民団体辞書フェミニズムフェミニストの項の解説について異議を唱え、それに呼応して検討が行われるとかなんとか。

言うまでもなく、もともとフェミニズム女性解放主義である。feminine-ismを直訳すれば女性主義なんだから解放主義でも柔らかくしたくらいだ。じゃあ一体何から解放するのかというと、これは近代以前の社会運営がほぼ全世界的に男性によるものだったという状況から解放だ。我々日本人にとっては、戦前参政権男性しか与えられなかったことなどが代表的だろう。少し話がずれるが、戦前参政権は当初性別と年齢に加え、当初は納税額も条件とされていた。納税額、つまり収入額(と直結するものでもないが、一応目安として)、イコール教養(と直結するものでも以下同文)である。つまり政治の話がある程度わかる人間にだけ参政権を与えたかったのだ(と私は推測している)。その理屈正当性を見出すかどうかはさておくとして(そっちに脱線すると戻ってこれなくなる)即ち、それまでの社会運営男性によってのみなされていたのだから女性にそんな能力が認められるはずがない。よって権利が与えられるわけはない。おそらく、どこの国でも似たような理由で、似たような状況があったものだと考えられる。

では翻って、現代においてはどうか。少なくとも先進国においては自明だと言っていいだろう。男女同権は少なくとも建前としては完全に定着した。つまりフェミニズム歴史的に見て、既に勝利を収めている。それも決定的な勝利をだ。実際その勝利によって男性にも少なから利益があったのだろうと思っている(そうでなければ勝利できなかっただろう)が、まあ細かいことはさておこう。

さて、ここでお気づきの方はお気づきだろうが、この方向性を維持し続けると(実現性はさておき)最終的には女権社会になる。なので、「性差別を排し平等を目指す」という方向に、少なくとも一部(おそらく主流派)はシフトしたがっているのだろう。おそらくはだいぶ前から

だがその場合、つまり性差男性偏重からゼロにすることにのみ注力した場合、「これまでの歴史において女性が被ってきた被害、損害」が補填されることはなく、完全に据え置かれることになる。これは何を意味するかというと、現実かつ現在女性を救うことはできない、ということだ。未来に生まれ女性をより良い環境に置くことはできる。過去女性名誉回復可能かもしれない。だが、今現在なうで苦しんでいる女性を救う(ために男性からリソースを奪い彼女たちに与える)ことは、思想的に不可能なのである。そしてフェミニズムを奉じることが出来るのは、現在生きている人間だけだ。

この二律背反が、いわゆるフェミニズム界隈の不可解かつ理不尽な動きの根底にある。基本的にこの手の一括りにされた集団の動きが矛盾しているようにみえるのは「根本的に同一人物ではないから」というのがお決まりパターンだが、これを一括りにしておかないと迷走する。かと言ってフェミニズムのものを破棄すると、また前近代社会体制に逆戻りするおそれがある(なにしろ自然条件ではだいたい男性社会運営するようになるものなのだ)。

これらを合わせて考えるに、個人的には、フェミニズムはいっそ完全に分裂するべきなのだろうと思う。そしてその場合、feminine-ismという字面継承するにふさわしいのは、今苦しんでいる女性を助ける、実にハタ迷惑な方の「フェミニスト」たちなのだろう、とも考えている。

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