一番迷惑をこうむるのは、リンチされている人物が認識した敵だ。
このケースだけをとってみれば、Hagex氏にもそれなりに、煽った責任があるように思える。
しかし、一般化していえば、報復行為は、煽った事実がない人間を【黒幕】として誤想して行われる可能性もある。
ちょっとしたことで、俺とある人物がそいつのブログで論争を始めるようになった。その野次馬見物の場所が2chであった。
俺はただ、そいつが四方八方から叩かれているのをときおりウォッチしているだけだったが、次第に俺に敵意をむき出しにするようになった。
俺は黒幕じゃない、といっても理解してもらえず、次第にエスカレートした相手が俺の個人情報を見つけ出し、2chに晒すようになった。
妄想気味にあることないことを書き連ね、名誉棄損を行うに至った。
一方、野次馬の視点からすると、そいつが妄想に取りつかれたように俺を敵視して誹謗中傷する様が、面白おかしくみえるのだろう。
見物している連中が燃料を投下し続けたため、スレが更新され続け、30回を超えてもやむことはなかった。
自分の本名が毎日毎日ネットで晒され、罵倒されているかと思うと、気が散って仕事に支障がでてくるほどだった。
それだけではなく脅迫めいた個人的なメッセージもメールなどの媒体で確認していたので、生活圏に侵入される恐れもあるかもしれないと、じわじわとした恐怖感も生まれていた。
2chの野次馬連中が飽きて書き込みをやめるのを待つほかなかった。
幸いなことに、おそよ2ヵ月で鎮静化した。
この時の教訓は、燃料投下している野次馬を止めることはできないということと
案外と黙っていれば鎮静化するものだな、ということだった。
それは、要するに俺はブロガーには向いていないんだな、ということだった。
不謹慎なのだろうが、本当の意味で、ホッとしたのはこの時からだ。
そいつの追悼文をきっかけに俺のブログの更新は滞り、やがて停止した。
ブックマークによるコメントはストレス解消に、しばらく続けていたが、それもやめてしまった。
Hagex氏の事件を参照すると、当時のことがどうしてもフラッシュバックされてならない。
不思議なことに、その当時の恐怖感が呼び起こされるというよりは、そいつに対する当時の俺のいら立ちがむしろ呼び覚まされてくる。
終わってよかった、と思う反面ね。もう奴は死んでるのに、理不尽な目にあわされ、許しがたいと思う感情がじわりじわりと蘇ってきてしまう。
自然に消えていく感情もあれば、普段は全く意識しないけれども、ふとしたきっかけでよびもどされる残る感情もあるんだな。
正直、今となっては、全く必要のない感情だ。それなのにふと思い出してしまう。恐らく、報復する側にとっても似た感情が熟成されていくのだろう。
一方、Hagex氏殺害事件の場合、加害者の妄想に終止符が打たれた、というわけではない。そこはやはり注意を払う必要があるだろう。
「ま、俺には関係のないことだが」といいたいところだが、誰しも書き込みをした時点で関与を免れないと認識すべきなのかもしれない。