昔は、当事者同士では解決できなかったんだよ。
鮮明なビデオ映像が残らないことも多かったし、記憶に頼った判定では誰も納得できない。
そこで、「遺恨」という概念を作り出し、
「遺恨」があれば次の試合での反則は大目に見るという、ある種の報復行為を黙認する運用がなされていた。
関学のコーチが「遺恨は無い」と言っていたのを覚えている人も居ると思う。
ところが今回は、第三者が大騒ぎすることで、初めて合理的な解決策にたどり着けたんだよ。
それを評価しないでいったいどうすんのよ。
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