はてなキーワード: 中東とは
別に女にも責任があるって言うのは構わんけど、そう言ったところで大して実益がないんだよね。
せいぜい「若い女の子はキケンな場所や人に近づかないようにしましょう」ってのが確認される程度でしょ。しかもこれだって事件が起きればおのずと分かることだし、わざわざ責任云々を議論する必要もない。
むしろ女の側の責任を問うと、加害者の責任を減じたり、被害者を不当に叩く方向に話が行っちゃいがちな点で、責任を問うのは有害とさえ言える。
あと、
他ならこうはいかない。
中東で捕まった人がいた時には、自己責任だの税金の無駄だの散々言われたものだ。
首を切られてもバッシングがやまなかった。
当たり前のことが言いたい。
まともな女子学生なら、インカレだのイベサーだのは、昔のスーフリのこともあるし警戒するはずだ。
でもチャラいのが好きなんだろう? イケメンが好きなんだろう? 慶応の育ちのいいのが好きなんだろう?
女子アナになりたいから、わざわざミスコンなんかに出てきたんだろう?
もちろん、男が圧倒的に悪いのは前提で、でも女もそんなのに好き好んで近づかなきゃいいのにと言いたい。
ところが、そういうのをちょっとでも口に出そうとすると、はいそれセカンドレイプ! と一蹴されるわけである。
広島県に藤田雄山という県知事がいた。土建屋の一族の出身で、今でも評価はあまりよくない。
米兵によるレイプ事件が起きた際、「朝の3時ごろまで、盛り場でうろうろしている未成年もどうかと思う」
という発言をやらかしたせいで、当時この人はずいぶん叩かれたようだ。
しかし、そこまで責められなきゃいけないことだろうか?
当たり前だが、夜中に盛り場をうろついている未成年はレイプしてよろしい、とは誰も言っていない。
未成年が真夜中に盛り場でうろついているという、わずか1%ほどの落ち度を指摘するだけで、
まるで全責任を負わせようとしているかのごとく非難されるのだ。これはいったいどういうことだろう。
まともな親なら、子供が遊びに行く時、「暗くなる前に帰ってきなさいよ」ぐらいは言うはずだ。
ところが、あるケースにおいて、その当たり前のことを言うのが許されなくなる。
若い女が被害者だった場合に限って、とにかくその女は何があろうと責めるべきではない、
というタテマエが突如として現れるのだ。
他ならこうはいかない。
中東で捕まった人がいた時には、自己責任だの税金の無駄だの散々言われたものだ。
首を切られてもバッシングがやまなかった。
殺人事件の被害者が、そうなるに至った経緯について、ことごとく晒されるということも珍しくない。
サッダームはイラク全国に学校を作り、学校教育を強化した。教育振興により児童就学率は倍増した。
イラクの低識字率の改善のため、1977年から大規模なキャンペーンを展開し、全国規模で読み書き教室を開講し、
参加を拒否すれば投獄という脅迫手段を用いたものの、イラクの識字率は向上し、
1980年代に大統領となったサッダームにユネスコ賞が授与された。
また、女性解放運動も積極的に行なわれ性別による賃金差別や雇用差別を法律で禁止し、
家族法改正で一夫多妻制度を規制、女性の婚姻の自由と離婚の権利も認められた。
女性の社会進出も推奨し、当時湾岸アラブ諸国では女性が働くことも禁じていた中で、
イラクでは女性の公務員が増え、予備役であるが軍務に付くこともあった。
妹に「すっげー感動すっからマジ見てみ」と言われて『君の名は。』を見に行った。全然感動しなかった。
体が入れ替わったからって、どうしてお互いのことを好きになり始めるのか全く理解不能だった。
しかもお互いに記憶が失われているんだったら、何か気になって「君の名は?」とか聞くまでに、
「あのー前に会ったことありましたっけ?」とか聞くだろ、つかこれじゃベタなナンパだろ、とか思った。
そういえば、大昔に細田守監督の『時をかける少女』を見たときも、友人に「マジ感動するから見てみりん」とか言われて見に行った記憶がある。
でも、全然感動しなかった。「あれ、これってどこらへんが感涙ポイント?」的な感想しか思い浮かばなかった。
「未来でお前を待ってる」と言われても、「えーでも再会するときはヒロインおばさんになってるよ?」としか思えなかった。
昔から「感動するよ」と言われて見に行った映画で感動したことがない。
アニメではないが『西の魔女が死んだ』という映画も薦められて見に行ったが、見終わった後「( ゚д゚)ポカーン」としかならなかった。
みんなは「ダッシュツダイセイコウ」で感動するの? なんで? キム兄がタンクトップでキモいから?
ま、それはともかく、恋愛もので感動できないのはたぶん自分に恋愛経験がないからだろう。
逆に『ドラえもん』幻の最終話(CGアニメ化済み)のような、友人との別れものは結構泣ける。
これは自分に引っ越しの経験があって、親しい友人と二度と会えなくなるという辛い経験をしてきたからだろう。
ようするに、作品鑑賞というのは人生経験が大事なんだよね、当たり前だけど。
自分はどんな恋愛ものを観るたびに「( ゚д゚)ポカーン」としてしまう。
男が女に恋するのはまだ何となく理解できるけど、女が男に惹かれるシーンがどうも納得いかない。
『真田丸』で真田信幸に本多家から嫁いだ吉田羊が突然信幸に抱きつく場面が納得いかず、母親に質問したくらいだ。
(答えは「(夫が前妻にばかり気が向いていることに対する)嫉妬で火がついたんだよ」だそうだ。そうだったのか?)
恋愛ものって、まるで中東かアフリカの紛争の話を聞いているときのように、
恋愛という意味で他人に強く心惹かれたことも、他人から強く執着されたこともないので、恋愛ものに全然現実感がない。
自分にとっての「好き」はマンガなら「週刊誌で一度読んでいても全巻コレクションしたい」程度の意味であって、
人間に対していえば「写真を撮りたい」「近くで眺めていたい」と思う程度のことだ。フィギュア鑑賞と同じ。
恋愛もので描かれているように一緒にいたいとか、相手のことが知りたいとか、理解し合いたいという感じではない。
たぶん多くの人に自分は宇宙人のようだと思うだろうし、自分には一般人が宇宙人にしか思えない。
みんなが盛り上がっていたので、ファインディングドリー以来、久しぶりに劇場に足を運んだ。以下ネタバレ含む感想。
・くっついた
新海誠は、恋愛映画は最後に二人をくっつけた方がいいとようやく気づいたらしい。
・人以外の絵が綺麗
彗星とか。ご神体の盆地の外縁からの景色みたいな壮大な絵を無理矢理シナリオに盛り込むのも良い。
上映開始前に下らない話を大声でひたすらに続けてくれたお陰でテンション最悪。おっさん本人は片割れに対するひょうきんな俺アピールのつもりだったのかもしれないが、あれは公害以外の何物でもなかったし、おっさんじゃない方は保護者としておっさんを即刻つまみ出すべきだった。上映中もうるせーし何だったんだあの豚。
・手の動き
・主題歌
前前前世がどこで流れてたのかわからなかった。寝てないのに不思議。
実態に即しているかは不明だがリアリティを感じた。各人物の無能有能度合いも極端でなく、戯画化の度合いがちょうど良い。このパートがあんまりにも面白かったので、特別な事件が起きない架空内閣の成立から解散までをだらだらやってくれるだけの映画を見たい。誰か撮って欲しい、もしくは既存の作品を教えて欲しい。
各シーンを地理的に把握することが容易で、感情移入も楽だった。蒲田が吹っ飛んだ時は、蒲田在住の姉に心の中で感謝した。
・ゴジラが怖い
今までに見たのはビオランテ~デストロイアまでの作品だけで、その実内容を殆ど覚えていない。ただゴジラを怖いと思ったことは1度もなかったし、戦隊のロボ戦と区別していなかったと思う。翻って今回、ゴジラが動き、道路や家屋が吹き飛ばされ、都心が赤く染まる光景は心底恐ろしかった。多分それまでの過程で作品のリアリティのレベルを上げるよう苦心した結果だと思うんだけど、これが本当に新鮮で驚いたところ。ジュウオウジャーも週一くらいのペースで大惨事が起きてるんだけど、あれはリアリティを低く保ってるからストレスにならないんだなと改めて気づいた。
石原さとみは別に悪くない。通勤中東京メトロの看板で顔を見かける度にストレスが和らぐし、総監督もそういう狙いがあったんだと思う。
・OP
冒頭は石田がカレンダーでカウントダウンを始める下りから。その後は軽快な音楽にのせて石田と島田と島田じゃないやつの関係性をモンタージュで表現しながら右から左にジャンプしてる例の構図でタイトル。最高。
・永束
一番最初に×が剥がれる人物。登場時点で石田に十分感情移入していたため、終始好感の持てるキャラ。永束も石田によって救われているはずなんだけどそれをあまり意識させない。いわゆる天使。
・結絃
みんな誉めてるけど気にせず誉める。完璧な仕事をした。君の名は。ではどうでもいい仕事をしていたけど差し引きでも大幅にプラス。
・取捨選択
この映画は石田が主人公で自他との関わりがテーマになっている。元々原作者は恋愛ジャンルを標榜していないが、映画はさらにその手の描写をオミットしている。例えば植野の石田に対する感情は原作と変わりないのだが露骨な表現をほぼ削り落としている。寝込みも襲わない。それはラストの違いにも象徴されるように石田西宮間でも同様であり、結果として上手くテーマにフォーカスすることに成功していると思う。恋愛はコミュニケーションの一形態ではあるけれど、一形態にしか過ぎないので。石田や西宮の行動についても、原作では読者が意図を解釈しづらかった部分がスムーズに把握できるつくりになっている。シナリオ各所でなるべく台詞での説明を廃して絵と音で観客に理解させようという姿勢が見てとれて、全7巻の原作を2時間に落とし込む上での問題を上手く解消している。キャラの細かい仕草に気を使って意味を持たせているので何周しても損はしないタイプの映画。川井は描写が減った結果存在が若干マイルドになり、西宮への叱咤を観客が受け入れやすくなった。植野も同様。真柴は少しかわいそうだが本領を発揮されても困る。原作自体が優れた作品だったが、それを2時間の映像作品として昇華した結果一回りも二回りも質が上がった。意義のある映画化だったと思う。
・鯉
パンを食べさせ過ぎて怒られそう。
それで、なぜ
「ゴッジーラは…化け物か…いや…神…か…」
「頼む!!」
「サムラァイ!」
って流れにできなかったというと
今の日本が世界危機を救えるだけのイメージがあまりにも現実とかけ離れすぎてたから。
もうこの一点に尽きる。
昔のロボコップ3の敵役が日本産の忍者ロボットな時代ならまだしも
国債は膨らみ年金問題も山積み雇用は増えず非正規の救済もなく移民を取らない代わりに国民全員が奴隷化していく斜陽の国。
日本もまだまだしてたもんじゃないなと傷の舐め合いでシックスセンスし合うような国力だと客観的に判断してるから。
なので今の日本人に日本人が世界を救ったなんてストーリーは到底受け入れられないし納得されない。
せいぜい板挟みされてこき使われて泥被らされてる中でストロー使って新鮮な空気を吸えましたくらいの落としどころじゃないと共感してもらえなかったってこと。
それが核使えば終わるだろうな=バンカーバスターでのダメージ有効描写、との東京なくなっちゃうらめえええ電車アタック!ストロー注入!ってオチ。
世界はちゃんと救う方法はあるけど自分たちが被る泥を減らすための努力しました、というだけの話。
電車アタックなんてこれがインドネシアや中東に出てきて応用できるわけないじゃん。
だから電車の無い田舎は感情移入できないって日記があったんだよ。
冷却液なんてデータもらった国はどこでも思いつくわけだし。
日本が世界を救った!って話を見せられると恥ずかしくと顔赤くなる国。まだまだ恥は捨てたもんじゃないな。
そんな国の状況と国民性によって不幸にも最後で捻じ曲げられた脚本。
どこまでも自虐体質。
そのくせ変にプライドが高い。
まさにシン・ゴジラを持ち上げてる層の性格をターゲットにしてる。
庵野の得意分野だな。
なので冷えた目でしか見れない人はとことん違和感しか目に写らない。
最後の人間が出てきそうなのも本当にこの後無事ゴジラを解体できるのか?という日本人の詰めの甘さを臭わせるエンドにしか見えない。
何度もいうけど冷却後の対応について何も話されてないのがもうね。
考えるのがめんどくさくなった感がパない。
http://anond.hatelabo.jp/20160821212820
一回しか見てないんで見落としてるだけだよってだけかもしれんけども
追記:
やっぱり世間一般の「貧困」イメージと識者が言ってる貧困って乖離しすぎてるよね。
たぶんそこを埋めるところからはじめないと駄目だと思う。
グローバルな意味での貧困なイメージを今までテレビや新聞は広めてきたし、貧困ってのはああいうイメージなんだって刷り込んできたのはマスメディアや左派だと思うし。
アフリカとかで飯を食えずに死んでいく子供たちとか中東で爆撃されてる人達とか。
「貧困」って言葉を使うならそのレベルまでいかないともう絶対に納得しないと思う。
自国を省みなかったツケだとは思うんだけどさ。
ぶっちゃけその辺の世界的な意味での貧困を逆利用されてるよね。
今の状況って
「アフリカの子供たちはご飯も食べられないんだぞ!残すんじゃない!」
的な言説の裏返しだと思う。
これってつまりご飯が食べられるならアフリカの子供達のような貧困じゃないからねってことだから。
これもグローバル化の弊害かもしれない。
秋葉原事件後、似たような自暴自棄からの暴走がちょくちょく出てるけど、
このまま中間層は使い潰されて死んでいくんだろうなーと思ってた。
ある意味、某中東の「やれば48人の処女とあの世でセクロスできる権利」
という謳い文句と変わらないのだが、
自分勝手な理屈で自分勝手に行動するから、恐ろしくタチが悪い。
そして何より問題なのは、クソ真面目に働いてすり潰されていった中間層には、とてつもなく相性がいいってことだ。
これは私見だが、秋葉原事件は、自分を見てくれない世界への叫びだったと思ってる。
こんなに頑張ったのに、どうして認めてくれないの、と。
こんなに悪い事を放置してるのはいけない、なら、排除するのは正しい事だ!
犯人はリア充カテゴリの住人であり、友人から「バグちゃった」という証言から、
そして、サイコパスを育てた土壌が、昨今のブラック企業である。
明らかに過酷な条件で、低賃金で働かされ、問題が放置されたまま仕事が続いていく。
別の仕事で再起を図るも、これも出来ない。
この末にあるのは、自分を終わらせる自殺か、暴走する秋葉原事件のような他傷への道しかないと私は思ってた。
ところが、相模原事件で新たな可能性が出た。社会正義による殺戮である。
60年代大学闘争のようなイデオロギーの対立ではなく、この社会に属する者として、より良い方向に持って行こうとする、混じりっ気なしの善意なのだ。
その為なら、この身を喜んで犠牲にしようという、尊い自己犠牲なのだ。
狂っている。
社会に属する者として正気を保ちながら、狂気としか言えない行動を実行してのけたのだ。
この事件がただの殺戮でない事は、職員を生かしていた事からも読み取れる。
もしただの快楽殺人者なら、職員も患者も関係なく実行していただろう。
だが彼はそれをせずに、とても良い笑顔をSNSにアップして犯行を始め、終えた後、通報とほぼ同時刻に自首。
よくネット上で「富める逃げ切り団塊世代vs借金を擦り付けられた若者世代」
なんて対立軸が出てきたけど、この対立は、あくまで政治的に対立していく者だと思っていました。
これを解決するのは、いわゆる少人数による大人数への暴力行為なのですが、
戦後重犯罪最少記録を更新し続ける「おとなしい若者」には絶対不可能だと思っていました。
だが、相模原事件で新たな可能性が提示された。社会正義と自己犠牲である。
これって本当に恐ろしいですよ。
仕事感覚で殺人を行うキチガイが生まれるってことなんですから。
そして、それはブラック企業で慣らされた若者世代にとって、とても容易に現状を変革できる手段なんです。
超えちゃいけないラインをガッツリ超えてます。
となると、本当にやるかやられるか、なんですよ。
今後、増えていくんじゃないんですか?
まぁ、なんというか、お先真っ暗ですね。ご愁傷様でした。おわり。
イスラムの人を差別する気は毛頭ないけど、昼食を食べようとお店に入ったら客のほとんどが中東系だった。とか、マンションの隣の部屋に中東系の人が引っ越してきて、中東系の人が頻繁に出入りしている。なんてことがあったら少し警戒してしまうかもしれない。
ここが日本で、銃や危険物をそんなに簡単に入手できないことがわかっているから、そこまでの恐怖はないかもしれないけど、もう少し治安の悪いところだったら「テロに巻き込まれるかも。」とか考えてしまうだろうなぁ。
非戦闘要員ということでなんとかすり抜けてきた。
根拠がもうない。条文に。
手続き踏まないで、変えて、更にどう変えようっていうのか。
ってね。
無差別であったり、むしろ日本人が標的になっていることを考えれば恐ろしくもある。
被害にあった人とその家族や周辺の人たちの気持ちを考えれば悲しみや憤り、かと言って何もできない虚無感なども痛いほどに伝わってくる。
それはわかる。
でもどうしてそれで今年のハワイ旅行を中止するというのだ嫁よ。
バングラディシュでのテロは明確に外国人が標的にされている。それならばそうしたテロの中心国に近づかなければいい。
アメリカでの銃乱射事件は主に大学など明確なターゲットを持って行われている。だったら無差別テロが起こる可能性は低い。
それにハイジャックの危険性だって、911以降アメリカの空港におけるセキュリティは胸糞悪いくらいに厳しくなっているのだから、車で出かけるよりよっぽど安全だ。
中東と地続きのアジア・ヨーロッパ諸国に行くわけでもないし、海から気軽に密航できるような近隣国に行くわけでもない。
大量の武器を持ち込むのにはとてもリスクの高い南国の孤島に行こうと言っているのだ。
大剣幕で「こどもたちに何かあったら責任が取れるの?」と怒鳴っているが、それは国内においても同じことではないか。
それにそもそも海外旅行自体が少なからずリスクの上に成り立っているものではないか。
それでもそれ以上の感動や経験が待っているからこそお金を払ってでも行くのではないか。
嫁が言うにはママ友達の中にもこの夏の旅行を中止する人が多くいるらしい。
それにはまったく呆れて言葉も出なかった。
いつか必ず訪れる死を怖がりすぎるあまり今を生きることを諦めてしまってどうするというのだ。
嫁の不満そうな態度も相まって、今年は耐え難き退屈な夏になりそうだ。