はてなキーワード: 中二病とは
ノーマルEDだけだと★2くらいだったけど、オールクリアで★3.5くらいまで上がった
このご時世に完全新作ADVを出してくれただけでもありがたいってのはまずある
2chを見ると発売日がオカルティック・ナインとかぶってたらしい
テーマも似てるとくりゃこっちが売れる要素がない
まあオカルティック・ナインが地雷とわかってこっちに流れた人もいたみたいだけど
トゥルーエンド兼個別ルートは、実はノーマルEDは終わってなかったってところから始まる
んでエンディングまでは一本道
あからさまにひいきされててうーんとなった
イチレイってキャラが絶妙に下手だなと思ったけどユーフォ主人公の声やってるくろかわともよ?だった
やって損はしないけど無理してやるほど面白くもないって感じ
個人的に駄目だったポイントはシステム、一部の立ち絵、しつこい貧乳ネタだった
シモネタはいいとして、貧乳いじりがしつこすぎてほんと読んでてイライラする
たまーにあるくらいならまだいいけど、かなり頻繁にあるからほんと勘弁
しかもゲーム会社っていう一応大学生~成人してるコミュニティだから、なおさら
ラノベとかアニメみたいな高校生程度くらいのコミュニティならまだいいけど、いい大人がそれかよと思ってゲンナリする
システムはサクラ大戦のスタッフが作っただけあって制限時間つきの選択肢とかあるけど、ほとんど意味ない
こういうアドベンチャーゲームなら背景と立ち絵と立ち絵の動きだけで表現できるところをわざわざテキストで読ませるからすごい描写がかったるい
「ショーシャンクの空に」を貶す中二病と「なろう系」を馬鹿にする高二病の争い
拡張現実世界と現実世界を舞台にして、ゲーム開発会社のメンバーがいろいろやって最後は世界を救う話
多分トゥルーENDもあるけどひとまずノーマルクリアまでの感想。
中二病キャラ、天然巨乳女子高生、現実離れしたデブキャラ、超絶プログラマーとか
シナリオ阿智太郎って事前に知ってたから、ライターがひどすぎて読めないことはないだろうとたかをくくってはいた
トロフィー条件に全選択肢を選ぶってのがあるってのをどっかで見た気がしたから、
とりあえず全部一番下を選んでクリアした
選択肢のたびにセーブもしたかったけど、直前セーブができない時限式の選択肢(ニコニコ動画のコメントみたいに選択肢が右から左にながれてくる)があって面倒くせえと思ったから、
各キャラの掘り下げはかなりされていた
女キャラのガチ喧嘩と仲直りとかあって仲良しこよしのぬるい喧嘩しかないギャルゲーとはちょっと違うなと
男が3人もいるんだから誰か貧乳好きにしてもよかったのに、やたら貧乳キャラをおとしめる発言ばっかするからかなりイライラさせられた
おとしめられてる貧乳キャラ、普通にかわいいし、立ち絵的に全然貧乳じゃないし、むしろ他のキャラのほうがよっぽど貧乳に見えるし
あまりにも都合よく・わかりやすく展開の波の上下があって、ちょっとシナリオ練り込み甘いなと感じた
わかりきった逆転のためにわざとらしいくらいにいったん落とす、みたいな
場面場面だとそこまで悪くないし、うんちくもシュタゲより少ないしそれはよかったんだけど・・・
全キャラにうまくばらけて1周の中で見せ場を用意したり、とかね
これでそれが作りてのメタネタみたいなとこまでもってきたり・・・はしないだろうなあ
とりあえずトゥルーまでは見る
筋肉質でいいからだしてる、と評される上半身ハダカの立ち絵の大胸筋が薄っぺらい真四角でしかもやたらでかくて筋肉構造無視しすぎで、むしろダルダルに見えたし
推しが神ってよく言うけどね、私にとっちゃ推しはマジで宗教なんです。人生を生きる道しるべなんです。私の辿った道は絶対よいこはマネしない方がいいやつだから、自戒もこめてここで一つ纏めてるんですけどね。脈絡もないから絶対すごい分かりづらいし、めっちゃ重いけど、こんな人間もいるんだ、程度に流し見しといて。
小さい頃から親の転勤がさかんで、引っ越しばかりではあったけど、とうとう海外転勤になった。言語が通じなくて、文化も生活習慣も違くて、それでも勉強はしなくちゃいけないし、友達はつくらなきゃいけないし、死ぬほど頑張った。そもそもそれまでは幼かった私は日本で一生過ごすもんだと思ってたから、何の心の準備も無かったし、本当に地獄だった。その頃のことが実をいうとあんまりよく思い出せない。思い出せるほど何か考えてなかったからだ。毎日毎日、必死に勉強して、それでだましだまし、何とか現地の子と同レベルになった私は、本当にあの頃よく頑張ったなと思う。もしも日本に残れていたら、の事を考えるたびに泣いていたから、そのうち考えないようになった。
それまでは特にアニメや漫画に興味があるわけでなかったけど、小説は好きで図書室に一生籠もりたいと考えていたくらいだったので素質はあったんだと思う。
おおげさだと思うかもしれないけど、あんまりいきなりの事だったから、引っ越しても、現地の学校に通っても、友達を作っても、始終私には現実味が無かった。本当に、何だか悪い夢を見ているような毎日で、だからあまり思い出が無いのかもしれない。そんな私にとって、パソコンを開ければスクリーンの向こうにいつでも広がる日本語のアニメや漫画は、唯一現実を繋ぎ止めてくれる依代みたいな物だった。んな大げさな、って思うでしょ。実際に体験してみ、私があそこで心折れなかったのはひとえに推しと優しい家族のお陰だから。あそこで生きることを放棄しなくてよかったよほんとに。推しに会えたからね。
そんなこんなだから、推しにどっぷり。腐り始めたのもネットで違法アップロードされてた同人誌をみちゃったのがきっかけ。ごめんなさい、今はもうそんなことしません。推しにお金を貢ぐのがいいんだよね。話それたけど、とにかく検索能力を駆使してサイトを駆け巡った。全然未成年だけど十八禁の小説も読みまくった。本当にごめん。結局サイトのどこかに隠されたパスワードを見つけられなかったこともしょっちゅうあったわ。その頃から、特定の作家さんの存在を認識して、「同人作家」という概念も覚えた。最近はツイッター等で作品を投稿する作家さんが多くて、「その作品を作ってるのはロボットじゃなくて一人の人間だという認識がしにくい」なんて言われてるけど、サイト時代も割とそういうの難しかったと思ってる。似たようなサイトを毎日、毎週、毎月ひたすら検索かけて飛び回っていたから。
私の場合は、綺麗なデザインのホームページで、特徴的な絵柄で、日常的なお絵かきログ以外にも「何これ欲しい」って思えるようなハイクオリティの同人誌のサンプル等を綺麗に纏めて陳列してくれる作家さんがいて初めて、「このサイトを作ってくれてる、こんな推しの作品を作ってくれる特定の人間がいる」って認識できた。
支部の存在を知ったときも、正直「何だこれ胡散臭いな」って思った。皆そんなこと無かった?私はそんなことあったから支部の存在を知ってから登録するまで半年かかった。でも前述した綺麗なホームページの作家さんが支部を使ってて、サイトで見たのと同じ同人誌のサンプルが上がってて、初めて支部はまともな交流フォーラムなんだって認識できた。今まで見てきた沢山のサイトと支部が初めて繋がった感じ。その作家さんとは今は推しカプもジャンルも違うけどずっとフォローしてる。推しカプとは関係ない、推し作家なんだよ。本当にありがとう、つらい日々に貴女の綺麗な水彩絵や、幸せそうに体を寄せ合って笑う推しを見てると、それだけで救われた。生きていけると思った。
支部は本当に神だったね。推しが、色んな人の推しが、簡単に手に入る。神っつーかドラッグだったわ。ほらよくあるじゃん、神と交信する為にドラッグ使ってトランス状態に陥るやつ。私にとっては完全にあれだったわ。支部を通して推しと交信してた。
最初は年齢制限とか全然分かんなかったから単純に十八禁作品はアップロードできないのかと思って、「支部はいいけど十八禁の作品無いのが難点だよね~~~」とか思ってた。ある日とあるシリーズものの中に不自然に一話かけているのに気づくまでは。皆、シリーズ物の中に十八禁の作品がある時は、キャプションにその作品のリンクを貼っちゃだめだよ。私みたいな、支部の管理下に置かれていた駄目な未成年が年齢制限に気づいて誕生日を変えに行っちゃうから。マジで本当にごめんなさい。懺悔懺悔、推しに懺悔。
あと、小さい頃からパソコンやネット環境は惜しみなく提供してくれた親に感謝。
新しい学校では言語スキルの上達もあって、もう少し親しい友達が出来た。日本に比べてオープンなオタクや腐文化には優しいところだったから割とオープンにいけた。某巨人ブームも良くなかったよね、今までアニメなんかドラえもんくらいしか見た事なかった学級委員長が一夜にして腐るとは誰も思わないじゃないか。あのブームは本当にやばかった。もう、何か、やばかった。察してくれ。
でも成績は下がった。みるみる内に下がった。もともとだましだましやってきたもので、周りの子は塾に通ったり、来年の内容まで予習してるのに、私はその日その日を食いつなぐのに精いっぱいだったから、まあ普通に考えてそう簡単に差が埋まる訳ないんだ。新しい学校は優秀で頭のいい子が多かったし。私は焦ったけど、焦れば焦るほど悪化していく気さえした。あの頃が一番鬱だったかもしれない。中二病だったし。どんどん、自分が生きる意味や存在価値が分からなくなって、とにかく死にたいと思った。もともと勉強は得意な方で、読書が一番の趣味みたいな子だったから、海外に引っ越してそのどちらも取り上げられてしって、更に悩みを共有したり一緒に遊んだりする友達もいなくなると、存在価値が本当に揺らぐんだ。ついでに言うと、私の夢は言語に、もっと言うと日本語に関わる物だったから、母国語で義務教育を受けきれなかった私にとって、希望に満ちた夢は一瞬で絶望になった。日に日に日本語に変なアクセントがかかるのが分かって、辛かった。(大事な事(日本語)は全部二次創作に教わった。支部に駐屯する野生のプロの先生方、本当にありがとうございました。あなた達に救われた人間は、確かにいます)思い描いていた輝かしい理想に私はきっといない。もっと何か、別の道を探さなきゃいけない。でもどうして?その道を進みたい訳ではないのに?私にはどうしようもなかった理不尽に進みたかった道を閉ざされたのに?私の生きる意味って何だろう、どうして私こんなところにいるんだろう。私はここで一体何をしてるの?私がここにいる意味とは??
がむしゃらな努力は報われない。方向がちがけりゃどんなに頑張っても目標には届かないからね。その日その日を生きてきた私には、目標も努力の意味も分からなくて、次第に疲れて、やる気をなくした。ふさぎこむようになって、私のこと心配する家族とも喋りたくなくなった。反抗期だったしね。とにかく放っておいてほしかったし、何も考えたくなかった。
比例するように、推しへの依存は強まっていった。毎日、推しカプの小説を読んだ。それが無いと落ち着かなかったし、不安だった。息をするように支部にログインして、慣れた手つきで推しカプの検索をして、新しい作品が無いかチェックして、無ければ過去の作品を繰り返し繰り返し読んだ。推しを見ている間は自分のことなんて忘れられたし、何も他の事は考えなくて良くて、ただ推しのことを考えていられたから、本当に幸せだった。要するに推しを使って現実逃避をしていただけなんだけど、でも推しはそれを咎めてこないでしょ。上手くいかなくてむしゃくしゃして、どうすればいいのかも分からなくて、楽しいことが無かった訳ではないけど、それでも辛い私を推しが受け止めてくれた。
別に、推しやその生き様から希望を貰ったとか、頑張ろうと思えたとか、そんないい話じゃない。ただそこにいてくれるだけで良かった。何があっても、変わらず推しがそこにいてくれるのが心の支えだった。ただそこに推しがいてくれるだけで、生きていけた。それで、生きていたから、次の一歩を踏み出せた。
そんな日々を何年か続けて、やっと心の整理が出来て、ちょっとずつ、自分と向き合おうと思えるようになった。そういう時の心のワンクッションに、推しはなってくれた。重点を置くジャンルを移動するとほぼ同時期に、また親の転勤で、私はまた荷物を片付けて、また仲良くなった友達と空っぽになった自分の部屋と家にお別れをして、引っ越した。
推しとはお別れなんてしないけど。好きな作品はいつまでも好き、好きなカプはいつまでも好き、好きなキャラはいつまでも推しのまま。ずっと私を支えてきてくれた、大事な推しだから。弊社は推し殿堂入りシステムを採用しております。
ここらへんでさ、推しに対する思いがなんか重いなって察しのいい皆さんは気づくでしょう。そうこれ、私にとっての推しが「不変の何か」「道しるべ」「希望」であるんですよ。何かを思い出させません?宗教ですよ。神。絶対不変の神。人が神に縋るのは、神なら不変を貫きつつ全ての不安や煩悩や幻想、全部纏めて受け止めてくれるからですよ。生きるって本当に難しくて大変な事だから、皆ぶれない信念に縋って生きていこうとするんですよ。生きている人間からは得られない、あの絶対的な安心感。私は無神教だから~とか言ってたこともあったけど、あんなの嘘っぱちでしたよ。私の宗教、推しだったんです、この頃から。
新しい環境、新しい学校。ここは前にいた所より社交性を求められた。そして勘の良い皆さんなら気づくと思うけど、そう、ここまで勉強に精一杯で、時間があれば推しをキメて精神安定を図っていた私は、社交性を一切高めてこなかったんですよ。簡単に言えばコミュ障。そもそも海外に来た時点で言語が通じなくて性格一転したからね。人と会話して意思疎通図るのがいつの間にか苦手になってた。それだけの言語スキルを手に入れてからも社交に対する苦手意識はぬぐえなかった。
それでも、割といけた方だと思う。苦手でも、人と関わるのが嫌いなわけではなかったから。新しい学校は、私と似たような人生辿ってきた子が結構いたから、それもあってか、割と簡単に馴染めた。
いや実はそんなことなかったかも。友達関係でいっぱいトラブルも起こしたし、悩みもいっぱいあった。でもそれ以上に楽しい思い出があったから、嫌なことは簡単に上書きされちゃったんだと思う。勉強も楽しかった。成績も上がった。新しいことにも沢山挑戦できた。心残りや後悔はやっぱりあるけど、ホンマに何でもかんでも楽しかった~~~
でもね恐ろしいことにね、楽しい時間はね、続かないんだよ。おっそろしいわ。
大好きな学校はね、卒業しなきゃいけないし、大学ね、受験しないとアカンのよ。おっそろしい。私の場合は大学でまた海を渡って、まら違う国に渡る計画をなんとなく建てていたから、今まで何だかんだずっと一緒にいた家族とも離れなきゃいけない。また違う環境、また違う言語。(いや言語は前の時より準備あったけどさ、それでも外国語ってことには変わりないじゃん)どうすんねんマジで。大学受験でもれなく鬱になった。人間の身体って割と簡単に限界が来るんだよ。だから皆本当に、睡眠と食べ物はちゃんと取らなきゃだめだよ。一日八時間寝て。家族や友達に沢山迷惑や心配をかけた。もう二度と救急車の厄介になりたくない。
ここでもやっぱり、未来についても目標とかなかったんだよね。私には推しがいればそれで良かったからさ。大学に行こうと思ったのも、流されて、なんとなく。っていう部分が多くてさ。私にとってはまだ、日本にあのままいられなかったその時から、どの道を進んでも同じような気がしてた。
一方で相変わらず、推しへの愛を募らせ、イベントの度に支部に上がるサンプルに歯をぎりぎり言わせてた。ついったで作家さんをフォローするようになったのもこの頃。凄いよね、雲の上の存在だと思ってた作家さんにマシュマロで感想送れちゃったりするんだよ、しかもその感想に返事が返ってくるんだよ。やばいでしょ。マジやばい。イベントなんか参加したことないし、多分これからもそうなんだろうけど、作家さんと交流できるって本当に画期的だよ。自分で作品を書くようにもなった。日本語変じゃないかな、文法おかしくないかなって、不安になりながら上げた作品に、反応が返ってくる。ブックマークされる。見てくれる人がいる。感想を送ってくれる人までいる。嘘でしょ。やばい、好き。推しが好き。こんなに幸せな気分にさせてくれる推しが好き。
そうやって毎日毎日最低3時間は支部とついった巡りに時間をかけてたから、睡眠時間を削るしかなくて、それで生活リズムと体内時計狂い始めたんだよね。笑えねえ。絵や文だけじゃなくて動画にも手出しちゃったんだよね。えむえむでー、人力、偽実況。たま~に夜更かしするならいいけどさ、もともと身体強い方じゃなかったから、毎日2、3時に寝る生活は三年も持たなった。あとあと簡単に鬱になったのも、身体を壊したのも、完全にそういう無理な生活習慣が祟ったなって思ってる。周りの人は私が勉強頑張りすぎて身体壊したんだって思ってるけど、もうマジで全然そんなことない。推しに会いたくて会いたくてどんなに忙しい時でも推しに会う時間確保しようとして身体壊した、ただの馬鹿。皆は絶対真似しちゃだめだよ。寝てねマジで。
家族の話、ちらほら出てきたでしょ。小さい頃から国を離れたわたしは、「国がない」人間なんです。そりゃ法律的に言えば日本人だけどさ、故郷と言われてピンとくる場所も無い、地元ってどこだか分かんない、自分の国がない。私みたいな子に結構会ってきたけど、私らみたいな人は、結局どこ行っても余所者なんですよ。それが何年もかけて向き合ってきた私のアイデンティティだから、今更どうこうは言わないけど、でもそういう根本的な寂しさはやっぱりあるんです。いつだって、そんな私の帰る場所は、私の家、家族がいる場所で。でもそんな家を、家族を私は、離れなきゃいけない。一人で生きていかなくちゃいけない。何にだって終わりがある、別れはいつかくる、それを十分に分かっていた気でいたけど、全然分かってなかった。私の家は、絶対安全なシェルターは期限付きだったんだ、いつまでもそこにある訳じゃなかったんだ。それがなくなったら、私は本当に何処にも属さない、この世界の余所者になってしまう。いざそんな現実に直面して、そんな底なしの不安を感じて、辛くなりました。
またも不安に比例するように、夜更かしして推しに会いにいくようになりました。寝るのが怖かったんです。だからぎりぎりまで起きていて、推しに慰めてもらってた。寝たら、明日が来てしまう。明日なんて来なくたってよかった。ずっとこのままでいたかった。どこにも行きたくない、どこにも行きたくない。そう考えるうちに足はすくんで、本当にどこにも行けないような気さえしてきた。
この頃から親が趣味に物申すようになってきてたんですよね。前は私の精神状態が良くなかったから目瞑ってもらってたようなもんで。結局その頃も変わらず、推しに縋って現実逃避をしてただけだった。そろそろ社会に独りで出る私が相変わらず逃避し続けるのを心配に思ってくれたんでしょう。「もっと他に、するべきことがあるんじゃないの」って口を酸っぱくして言われました。
そうこのとき、私は推しに依存してはいけないと自覚しました。こんなんじゃ推しに私の人生狂わされるだけだって。前までは、推しに人生狂わされても、それでいいかって何となくなげやりに考えてたんですよね。でも違うんです。推しに縋って生きてきたのはいいけど、これで廃人になってしまったらそれは推しのせいになってしまう。これまで私を生かしてくれた推しにそんな迷惑をかける訳には絶対にいかないんだ。バランスを、妥協点を探さなきゃいけない。これからもずっと推しに会いたいのなら、推しに縋っていただけの不健康な関係じゃなくて、ちゃんと一人で前向きに生きていけるようになって、推しに何かを貰いながら何かを返せるような、そんな健康的な関係を築いていかなきゃいけない。推しに貰った希望を、何らかの形で推しや社会に還元しなきゃ。そう思ったから、何となく頑張って、ここまでこれました。今はとにかく就職して推しに貢ぎたい。推しが私に善行をしろと言っている。
......いやこれ、話飛びすぎだろって思うでしょ。ごめん、ここ本当は間の3000文字くらい推しと私に関する話あったんだけど、簡単に身バレする内容だったので削るしかなかった。とにかく、本当にそういう人生の細かい、肝心なところまで推しが絡まってくるんです。推しがいてくれたから。推しがただ、そこにいてくれたから、あとは私が勝手に進んだ、進むことが出来た。私みたいな何においても中途半端な半端者でも受け入れてくれて、ずっと変わらずそこにいてくれるんですよ。振り返ればいつも、そこには推しがいたんです。推しがいるから世界平和を願える。推しが私をまともな人間にしてくれた。
やばいでしょ。推しが情操教育に良すぎる。いや私はどちらかと言えば悪い例なんだけどさ。これからもきっと私は推しに縋って生きていきます。本当はね、推しに申し訳ないと思ってる。私の身勝手な都合で、推しを勝手に神様に祭り上げてしまった。私が生きる上での寂しさや不安を一方的にぶつけて、一方的に縋っていく、不変の存在に、勝手に仕立て上げてしまった。でも今更改宗なんてできないんですよ。心にいつも推しがいて、そのスポットは最早ぽっと出の何かが簡単に成り代われる物じゃないんです。そして心にいつも推しがいるから、今日も希望を持って、人に優しくしようって思えるし、今の道を進んでみようと思えるし、例え命の果てに、私の存在の果てに何も無かったとしても、それでも歩んでいこうって思えるんです。生きて、いけるんです。
お前、どうしても「教育勅語反対 = 軍国主義復活反対」に結び付けたいみたいだな。
そんな事どこにも書いてないのに。
人の話を聞かないって、お父さんお母さんに注意された事ない?
ほれ、「父母ニ孝」だよ。「父母ニ孝」。
それとも、お父さんお母さんもお前と同じく教育勅語大好き派かな?
まあそんな事はどうでもいいとして、
物分かりの悪いお前にもわかるように言うと、俺は教育勅語を復活させた所で軍国主義が復活するなんて思ってないし、
勝てない相手との戦争を回避できなかったのは馬鹿だし、そもそも軍が統帥権干犯を楯に政府の外交を邪魔したのは問題外だとは思ってるが、
帝国主義自体は当時どこの国でも普通だったから非難される謂れはないと思っている。
嫌なのは、責任も取れない卑怯者を現人神として崇め奉った挙句、そんなやつの言葉を陛下の言葉などと権威付けしてバイブル扱いした事だ。
昔、源頼政という中二病ボーイがいて、彼は日がな「自分は世の中にはびこる悪を倒す英雄である」と嘯き町中でヒーローごっこを繰り広げていたわけなんだ。
そこにある日「頼政どのwww うちに憑りついてる悪魔を倒してくれでござるwwwフォカヌプゥwww」という依頼があったんだ。
それを請けた頼政は依頼主の家で夜まで待つと、そこには夜には聞こえないはずの鳥の鳴き声が聞こえたという。
ここで賢明な諸君はお気づきであろうが、鳥は夜に活動はしない。だから夜に鳥の鳴き声がしたらそれは鳥ではない何かの化物である。その考えには重要な落とし穴があることには気づいているだろうと思う。
テープレコーダーだ。テープレコーダーがあれば夜に鳥の鳴き声を再現することもたやすいだろう。そう、これは「有り得るはずがない」を逆手にとって仕組まれた演出だったのだ。
頼政に悪霊退治依頼をしたヲタク、これは上手くいけば中二病ボーイのメンツを台無しにできると踏んで立てた茶番であったが、ここに誤算があった。
頼政は中二病だったので、鳥の鳴き声にはひるまずに音源を探し当て、その音源を持っていた刀で叩き斬ってしまったのだ。
しかし、斬ったと言えど実際は頼政がくらやみの中で無闇に刀を振り回していたのみ。
だが音が止んでしまったことにはこれは「頼政が何か化物を退治した」ということにせざるを得ない。
仕方がないからヲタクは「我が家に憑りついていた『鵺』を成敗していただきありがとうございます」と礼を述べる。
頼政も頼政で、礼を言われたのであるから化物退治の実績を挙げてしまったことになる。頼政はこのことをパパに告げると、パパはたいそう頼政を褒めちぎり、ご褒美に新しい刀をプレゼントしたんだとさ。
その刀の名前が「獅子王」。増田の大好き刀剣男子でもおなじみだね。
つまり、妄想が作り出した「鵺」を妄想で倒したり倒さなかったりすることによって結果的に物事が神格化されたりするっていうのは良くあることなんだ。逆に言うと、「鵺」を介して物事は万事解決の構えを見せることだってあるんだよ。
自分は、20歳ごろまで、アメリカの高級レストランだと思っていましたがじつは宝飾屋さんだったんですね。
選んだ理由はいくつかありますが、パートナーの好みであったことと、一度物色しに訪問したときに、いろいろ指にはめさせてもらって印象がとてもよかったのが大きいです。
この一度目の訪問のあと、DMが届いて、この期間に買うとティファニーでの朝食に応募する権利があたえられるよ、と書かれていたのに釣られた次第。
接客のレベルはとても高く、慣れない高級店で敷居も価格も高くて居心地の悪さもありつつも、おそろしいことに気持ちよく買い物できました。
カウンターでガラスケース越しに選んだものをはめ比べさせてもらって、テーブルで詳細な話を聞いての購入です。
いろいろ試させてもらうなかで、カウンターに置かれたビロードのようなトレーのうえに指輪がどんどん並べられだして合計金額が100万円くらいになって内心ひやひやしました。
価格は、ざっとみると石なしが10万くらいからシンプルデザインだとゴマ粒より小さい石ひとつが+3-5万みたいな世界。デパートに入っているほかの宝飾屋さんと比べても、素材が同じであればだいたい値段は変わらないような気がしています。結婚指輪だとだいたいプラチナが多いようです。
シルバーのほうが、硫黄化合物やヒ素化合物を検出できて便利では?と提案もしましたが、磨くのがたいへんという理由で却下されています。カズオ・イシグロの「日の名残り」でも銀器を磨くのがたいへんだったと書かれていましたね。ゴールドはロードオブザリング感があってかっこいいですが、普段使うには目立ちすぎると思います。
冷静に考えるとなかなか高いんですが、iPhone Xsの価格をみたあとで金銭感覚が狂っていたのもあって購入してしまいました。
個人的には、メデルさんとか手作り感があったり、地元の小さな工房のようなものが好きなんですが、パートナーの好みがあったのと、どう探せばいいかわからずこうなっています。
また機会があればまちの宝飾屋さんなど巡ってみたいものです。
さて、デザインはシンプルなものにしました。マットも魅力的でしたが、無難めのつるりとしたものです。
パートナーは、円周の半分に石を細かくはめたハーフエタニティというものにしています。
もともと、円周上にダイヤモンドを嵌めこんだエタニティという指輪があるのですが、その半周だけというものです。
永遠の半分というちょっと矛盾するような言葉の中二病感に惹かれています。ハーフのは、半周ずらせば無地になるので使い分けができるというリバーシブル設定も加点です。
あと、途中、カジュアルな服装の旅行者風の中国人カップルが5分くらいの物色で指輪を買っていてこれがインバウンドパワーかと思い知りました。
コンビニでおでんを買うくらいの気軽さで買っていて景気のよさを感じます。バブル期は、日本人も海外にいってこんなふうに買っていたんでしょうか。
指輪はハンドメイドでつくられているからか同じものでも微妙に個性があって、気に入ったものをひとつサイズを変えてもらう変更が追加料金なしでできました。名入れと合わせて納期は3週間です。
名入れについて、内側に0-9a-Z♡∞☆./-が使えて16文字まで機械彫り無料で刻めて、プラス1文字3000円という価格設定。
手掘りは3文字まで無料。手掘りのクラフト感はよいですが、指輪のサイズだと違いがわからないかと思います。
文字のことちゃんと熟慮できていなく、当日その場で無難な文字を入れてもらいました。
みなさまどういう文字をいれているんでしょうか。
いくつか没ネタを共有しておくのでみなさまのとっておきを教えていただけますと幸いです。
・結婚届提出時間をUNIXタイムで掘っておく。かっこいいと思いましたが、よくわからないと却下されています。
・自分の好きな言葉である、マトリックス由来のfree your mind(魂を解放しろ、思い込みから自由になれ)も、結婚という(2人の)共同幻想的な契約を無効化しうる言葉だと却下されました。
・聖書の「Enter by the narrow gate」からはじまる一文も好きですが、この冒頭だけを切り取ると、性的な比喩にとれそうでだめでした。
なかなか難しいですね。
結局合計数十万円になったのですが、その場で決済を求められてびっくりしました。
平静をよそおって、震える手でクレジットカードを出しましたが、上限におさまってよかったです。
ともかくもできてくるのが楽しみです。なくさずに使い続けられるでしょうか。
配慮が必要な人は配慮が必要な人であって、絶望的に頭の悪い人たちではない
中二病や自暴自棄の人は中二病や自暴自棄の人であって、絶望的に頭の悪い人たちではない
「?!」という言動を繰り返している人たちは
罵り言葉や説教で アホ/バカ と言われているのであって
絶望的に頭の悪い人たちではない
絶望的に頭の悪い人たちとは、配慮の必要はないとされ(常用漢字も読めるし算数も出来る)、自分に酔っているわけでも自暴自棄でもなく、会話も成立はするしネットも利用できるが、
どう考えても人生全般におけるサポートが必要そうな人たちのことである
親はどこかで気づきそうなものだが、絶望的に頭の悪い人たちは過酷な環境に身を置いていがちで
なんか親のサポートがどうこうというレベルの話では無かったりする
過酷な環境下にいるが故の認知機能の低下からの判断能力の低下なのかも知れないが
稀にお嬢様やお坊っちゃまと言われる生活レベルにあっても、結果的にはそういうことになったりするので、
やっぱり先天的に絶望的に頭が悪いのだと思う
でまぁ配慮が必要ということにはなっていないので(常用漢字も読めるし算数も出来る)
考え無しとして扱われ自己責任になるわけだが、自己責任と断じる前になにかがおかしいと普通は気づくと思う
知っていて気づかない振り、知っていて利用するとか、
これがいわゆる『サイコパス』『ソシオパス』ってヤツなんだろうなって思う
なによりメンタルごりごり削られるのは、絶望的に頭の悪い人たちと気づかない振りをする人たちには悲壮感がないのである
投げやり感もない
闇だなぁと思う一方、
人間は美しい音楽を作るし、美しい映像を作り出すし、美味しい食べ物を作り出すし、
宇宙の謎を解きあかそうとしているし、すべての人が幸福になることを模索していたりもする
人間のプラスの方を信じて生きたい
いいや、割と真面目に考えるべき事柄。
増田の言うディストピア=地獄郷 という定義を誰が行い、そして誰がその言葉を用いてるかを考えたら「ただのウィキペディアンの妄想」にしか過ぎない可能性は割と高いぞ。
とある中二病患者が自身のP.Nを「地獄卿ディストピアン」とでもしてるエヴィデンスが無い限りはその定義、あまり定義されているとは言い難いのではないかね。
たまたまネットサーフィンしていたらはてな匿名ダイアリーの記事を見つけて、「ほ〜こんなサービスがあるのか〜」と驚き、はてなアカウントも持っている事だしせっかくだから書いてみることにしました。
表題からもわかる通り、読み手の皆さんに有益な情報は一切書けませんので、そこはご了承いたただけるとありがたいですね。
というかそもそも読む人なんているのかな?笑
私は小学生ぐらいの頃から日記をつけるのが好きで、授業用に買ったノートの余りやスマホのメモ欄に日記をよくつけていました。
その日あった嬉しいことや悲しいこと、イラついたこと、趣味についての話、、、
自分の気持ちを文字にする事で、意外と気持ちの整理がついてすっきりしますよね。だから日記を書くのって私にとっては意外と大切だったり。
気持ちの整理のために書いているわけで、言ってしまえば私の完全なる自己満足の文章なので前述の通り有益な情報はないし、人によっては気分を害されるかもしれない。それは申し訳ないです。
ネット上に自分の気持ちを公開しようと思ったのは、ただの興味。それと、もしかしたら誰かが見てくれるかも!という自己顕示欲かなぁ。
ただ、いくら匿名ダイアリーとはいえ、どこから特定されるかもわかりませんし、誰かを傷つけて良い訳でももちろんないので、そこは。常識を持って書いていければいいなぁと思います。
突然ですけど、「いいないいな 人間っていいな」って歌、あるじゃないですか。
それを聞くと最近湧いてくるのが、人間って本当にいいのかな?という疑問。
人間はその頭の良さで色々な技術を生み出し、野生の動物と比べるとはるかに豊かな生活を送っているのは確実ですよね。
ですが、豊かな生活や頭の良さが仇となって、余計な心配事も増える。
深い知識は持っていないのでわかりませんが、社会で生きていくのがつらくて自殺する動物が人間以外にいるのか?と聞かれると、いない気がします。
私は幸い日本の一般家庭に生まれたので、親のおかげで衣食住には困らず、学費も出してもらっています。
幸せなことですよね。
でも、なぜだか私は幸せには感じない。
いや、頭では幸せで恵まれていて感謝しなければいけない環境にいることがわかっているのに、心は幸せではないし荒んでいます。
生理的欲求や安全欲求が満たされると、愛情が欲しくなったり、他者から承認されたりしたくなってしまう。
私は、なぜ自分が生きているのかわかりません。
自ら望んだわけではないのに「人間として生きる」事を強制されている気がします。
もちろん、死ぬことが良い選択肢ではないことぐらいわかるので死んだりはしませんが。
それにせっかく人として生きていかなければいけないなら、ある程度の努力はしてある程度の生活を送りたいとは思います。
ですが、何が楽しくて毎日を過ごしているのかわかりません。
突然自分の意思とは関係なく人間として生きる事を決められ、それに抗えないから仕方なく努力をする毎日。
最近そんな毎日がつまらなくて、そして憂鬱で仕方ないのです。何のために生きているのかわからないのです。
そもそも、何のために生きているのかを意識しながら生きている人なんてほぼいないのでしょうけれど、、
それでも、私はなぜ生きなければいけないのかわからない。
母親がお腹を痛めて産んでくれて、両親が大切に育ててくれた命を無駄にしてはいけない。それは痛いほどわかります。
ですが、何のために生きているのかもわからず、「死んではいけない。だから私は生きなければいけないんだ。そして生きるからには大学に進学して就職して結婚しなければいけない。そのために今から努力しなければいけない。」という「〜しなくてはいけない。」に縛られて毎日をこなしていくことに疲れてしまいました。
「なら、〜しなくてはいけない。という考え方をやめればいいのでは?」
それはごもっともです。
しかし、私は頭にこびりついたその考えを止めることができなくなっていました。
自分ができないことを、他人のせいにして逃げるのは汚いし最低な手段です。それはわかっていても、私は今までの環境が私をどうしようもないぐらい卑屈な人間に育て上げたのだと思ってしまいます。
自ら望んで妊娠して自ら望んで出産したくせに、言うことを聞かないと「お願いだからいなくなって。あんたがいるからこの家がおかしくなる。」という親。私だって好きでこんな所に生まれてきたわけじゃないのに。あなたが勝手に私のこと産んだくせに。なんでそんな事言われなくちゃいけないの。そう思って今までを過ごしてきました。
ですが、何を言われても親子です。酷い仕打ちを受けたこともありますが、大切にされているのだと感じる時もあります。何をされようが今まで十数年間育ててくれた恩があります。感謝をしなくてはいけないと頭ではわかっています。
そして何よりも、無理だとわかっていても愛されたいし認められたいのです。
だから、私は「良い大学に行けば親が認めてくれるかも」と思い、受験勉強を始めました。色々な動機があったにせよ、元をたどると確実にこの考えにたどり着きます。
逆に、良い大学に行かないでまともな就職先につけないと、我が家では居場所がありません。実際私の親は、私の今在籍している高校のことを「犯罪者予備軍と発達障害の集団」と呼びます。
それが、その環境で十数年間生きてきたことが、私の自己肯定感を大きく低下させたのだと、私はどうしてもそう思ってしまいます。
だから、「〜しなくてはいけない。」の考えから逃げ出すことはできないのです。だって、〜しないと私の価値は無くなってしまうから。
そんな毎日が嫌で、何もしたくなくなって、この先何十年も続く人生を考えたくなくて、1日を無気力のままに現実逃避して過ごしていると、その逃避中はいいものの、ふと我に帰ると「努力しなければいけないのにそれに背いてしまった」という猛烈な罪悪感に襲われます。
しかし、私はもう何もしたくない。
何もしない→つのる罪悪感→忘れるために現実逃避→さらにつのる罪悪感、、、
社会に全く貢献出来ず、そのくせ向上心も持たずにずっと現実逃避をしているだけ。
先程死なないと書きましたが、死にたいと思う時はたくさんあります。
ですが私は今のところ死にません。絶対に。
なんのために生きているのかもよくわからず、生きているのがつらいのに、死ぬのは怖いのです。これは本能です。本能には逆らえません。
私はこれからどうするべきなのでしょうか。
とりあえず、こうして馬鹿みたいに答えの出ないことを永遠と考え続けるのは返って辛くなるだけなので控えようと思います。
最早考えるのが癖なので、控えるのはなかなか難しいとは思いますが。笑
あとは、この時間にブログを書いているぐらいですから、生活リズムはただ崩れです。それも改善するべきなのは明白ですね。
自分を責めず、まずは出来るところから少しずつ始めていけば良い。
頭ではわかっています。
最後に。
せっかく親から与えられた命に対してとても失礼なことを書いてしまいました。深く反省しています。
私が生きている今日は、昨日亡くなった方がどうしても生きたかった明日です。
やはり命は大切です。そう決められているのです。それが本能です。そして生きとし生けるもののルールです。
私はそう思います。
もし私みたいに、生きるのがつらいと思っている方がこの文を読んでいたとしたら、それでも絶対に死んではいけませんよ。
なぜなら、どんなに冷酷でも残念ながらそれが決まりだからです。
でも、生きていたら少しは良いことがあるかもしれない。もちろん悪いことだってあるでしょう。でも、いつか「生きてて良かったなぁ」と思う日が来るかもしれません。
どうせ生きなければいけないのです。そう決まっているのです。絶対に死んではいけないのです。
だったら、つらいことなんか全部忘れて見ないふりをして、好きなように生きたっていいじゃないですか。
そう思ったり。思えなかったり。
中二病全開の語り口調で痛いのなんの。
見ているだけでこちらが恥ずかしくなるわ!というような文章でしたが、もし見てくださった方がいるのであれば、ありがとうございました。
(ちなみに私の中二病は永遠に治らないと思います♡馬鹿につける薬はないってな♡)
同感を求めたり同情して欲しくて書いたわけではありません。ただ、自分の気持ちを書きたくなっただけです。これが私の気持ちです。
では。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ガロア理論
グロタンディークのガロア理論において古典的なガロア理論は次のように理解される。K上のエタール代数はアフィンスキームSpec(K) の上のエタール層を表しており、
埋め込みK → K sep に対応する射 Spec(K sep) → Spec(K) が表す「点」でのファイバーをとることに対応する関手 FK sep: A → HomK(A, K sep)が、
圏同値 : Spec(K) 上のエタール層の圏 EtK≡ G が連続的に作用する集合の圏 BG をひき起こしている。また、絶対ガロア群はこのファイバー関手の自己同型群として実現されており、
特定の公理を満たしている関手 {\displaystyle \operatorname {F} _{K^{\mathrm {sep} }}:\operatorname {Et} _{K}\to (\mathrm {Sets} )} からガロア群を復元できることが分かる。
また、上の圏同値によって、体 K上の ガロアコホモロジーは、Spec(K) 上のエタール・コホモロジー理論と同値となる。