2024-07-14

広告ブロッカー淫夢ネタを同一視している

俺は広告ブロッカーを使う気になれない。

広告はウザいが、それでも広告を閲覧させられることはそのサイトコンテンツを楽しむ上での対価であり、それを一方的に踏み倒す行為道義に反する行為で、もし広告に対して許容できないレベルの不満があるならそのサイトは使わないというのが筋の通った行いだと思っている。

だけど、じゃあ俺は広告ブロッカーは許されざる邪悪と思っているかと言えば、そういうわけではない。

俺は昔ながらのインターネットの「(法に反さない限りなら)ハックしてなんぼ!」みたいな価値観内面化している人間なので、広告ブロッカー道義に反することは認めた上で、それもまた"アリ"だと思っている。

自身広告ブロッカーを使わないのは、ただ無料コンテンツ提供者にも対価を返したいという自分のこだわりでしかない。

別に他人広告ブロッカーを使っていても、それを責めようなんて気持ちは毛頭ない。


……で、この前ふと「広告ブロッカーと同程度の罪悪度のモノは他に何があるだろう?」「道義には反するけど、それもまたインターネットって風に受け入れられるモノは?」って考えが浮かんだ。

それで、その時に一番しっくりきたのは「淫夢ネタゲラゲラ笑うこと」だった。

言うまでもなく、あの手のホモネタ現代ではポリティカルコネトレス観点から明らかに道義的アウトだ。

でもその上で、俺は淫夢ネタを「まあそれもまたインターネットっしょ!」って目で見てきた。

(MAD動画しか見たいことがなくて本編未視聴のにわかだけど)

倫理的是非で言えば非だけど、インターネットという空間でならまあそのくらい」という存在として、広告ブロッカー淫夢ネタは同じラインに立っているように感じられた。

以来、「私は広告ブロッカーを使ってます」って人を見ると、「こいつもホモガキと精神性は変わらないんだな~」って思うようになってしまった。

はてな民広告ブロッカー利用者が多そうだけど、つまりこれははてな民ホモということなのでは?(発想の飛躍)

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