はてなキーワード: やかんとは
あー、なんかわかるな。妙にハマるように巻き込まれ期って思い当たる節がある。
自分の場合も「派手じゃなく」「遊んでなく」、それなりに「気安い」あたりだった。昔から休日は家で手芸なんかしてるようなインドアタイプだった。交友関係はそれなりで。26くらいの時に一番仲のいい友人がリラクゼーション関連の仕事でやっていくことに決めたので、マッサージや栄養学なんかの勉強に付き合ったりしてた。それがきっかけて体調管理って大事だなーと思ってジョギング始めたり、料理の基礎から学んでみたり、外見にもほどほどに気を使うようになった。「最近、元気そうになったねー」とか言われたりしてました。そうしてしばらくしたら、やたらに男性に食事に誘われるようになった。最初はそれが好意だとは気付かなかったんです。アホな話だけど。料理の話題が多いせいだから誘われるのかと思ったら、どうにも違うんだと告白されて気づきました。「あ、これはよくわからいけど、まずいんじゃないか?」と思って慣れないながらも誘いを断ったりして気をつけたんだけど、対応がまずかったのか当て擦りのようなことばかり起きるようになってしまってストレスで物が食べられない状態→入院コース。数か月で退院はしたんだけどなんやかんやあって退職。そこから数年間は思い出したくないことばかり。
他人の好意を背負い込んでしまう時期っていうのはあるのかもしれない。モテ期って呼ばれる奴なのかも。でも、そういうのは自分みたいなタイプには本当に毒だった。他人の好意が本当に怖かった。
2011 9/8 失敗したものと部屋の選び方を追加しました
2012 9/29 わあ!また上がってるぜってことで、またちょっと追加です。
見た目の良さは度外視している。
本当にずぼらでめんどくさがり(しかも貧乏)だが、できるだけ清潔に便利に(そしてできれば健康に)暮らしたいという人向け。
そんなの今更目新しくねーよってことばかりだけど一応。
俺は、めんどくさがり屋だが、それ以上にパンクしやすい人間だ。
ゴミ、未実行の工程(畳む、拭く、しまう)などが貯まると、パンク、というかショートして何もできなくなり、どんどん散らかり汚くなっていく。
だからできるだけ、工程を減らしつつ、ひとつひとつの工程のハードルを低くしつつ、散らかりにくくすっきりした暮らし方を目指している。
■オサレじゃなくていいが、すっきりと清潔にしたい
■できるだけ自炊したい(俺は人工甘味料で腹を壊しやすい体質だし、カップラや弁当を食い過ぎるとニキビができるからな)
おれがとりあえず言いたいこと
■整理整頓ができていないと、掃除はできません
■食事は【体に良い物を取り入れる】よりも、まず【体に悪いものを取り除く】方が簡単で効果的
■↓意外ににめんどくさくないこと
金のある人はもちろん外食やなんかでもいいんだが、俺は如何せん金がない。
メンドクサイ→外食、ってできればいいんだが、それができない。
メンドクサイ→でも金無い→カップラーメンとか安い弁当→体調壊す、ってなっちゃうんで、
体に良い(マシ)なものを、いかにインスタント食品のように簡単に(できれば美味しく)食すか、という風に工夫している。
ご飯やスープを冷凍していれば、カップラーメンをたべるのと同じくらいの時間で、腹を満たすことができる。
■↓失敗した!!
■↓これから引っ越したり、新生活をはじめるやつに言いたいこと
■↓ミニ知恵
続ける秘訣は在庫を切らさないこと、つまりはまとめ買い、かもしれない。
アルコールティッシュなんかも、
なくなる→詰め替えがない→買い忘れる→また買い忘れる→なんとなくヤル気失せる、
ってなっちゃうんで、クイックルワイパーとか、アルコールティッシュなんかは買いだめが良いです。
■追記(11/08/29)
もちろん何もかも習慣化してシステマチックに動くのが一番良いかもしれない。でもなかなかできない、ずぼらだから。でもできるだけ頑張ります。
服も何度もたたもうとしたんだが、
最初は調子よく畳む→忙しくなったりで畳めてない洗濯物がたまる→パンクする、ということの繰り返しになってしまう。
確かに俺はずぼらに見えないかもしれない。
でも俺はハウスダストアレルギーと弱い腹の持ち主なので、ある程度きれいにしておかないと、鼻水下痢お化けになってしまうのだよ。
その条件下でいかにサボるか、という風に生活していたら、こういう感じに落ち着いた。
実際俺は、一人暮らしを始めて2年くらいまでは、半年に1度くらい必要に迫られて大掃除をするだけ、六畳間が一杯になるほどゴミを貯め、食料を腐らせ、食器をカビさせ、洗い物のたまったシンクから腐敗臭をさせ、あらゆる粉類をこぼしまくり、出したものは出しっぱなし、服は床に山のようにぐちゃぐちゃに…という生活をしていたのさ。もちろん友達なんか呼べねぇ。生活の質も著しく悪い。台所がちらかって料理できないから、出来合いのものばかり食って腹を壊し、大事なモノもすぐなくす。毎日ホコリやカビのせいでかゆいし鼻水だらだら出るし。
これはそういう事態を改善するための最低限の習慣なんだよ。
そしてこれは、そんな俺にできる精一杯のことだ。はっきりいってこれ以上やることを増やすと、パンクして元の状態に戻ってしまうだろう。
■蛇足(11/08/30)
まあ、ずぼらに思えないわな。真のずぼらのみなさん申し訳ない。
なんというか、別にホコリで痒くなったりしないし、腹も壊さないし、ニキビもできないし、ものをなくしたりしない人ならば、
掃除とか整理整頓とかしなくていいんじゃねーですかね。こういうのは必要に迫られてる人だけすれば良いというか。
俺も数年前までは、自分はそういうことが必要のない人種だと思っていたし。
でも、あまりにも常に鼻をずーずーやっていて目が充血、ひどい時には喉がピーピーなりだすので、
こりゃなんだろうと病院へ行ったら、ひどいハウスダスト(その他あらゆる花粉)のアレルギーだったことが判明したのですよ。
「よくこれまで我慢できたねwww」と医者に笑われるレベル。
それで、抗ヒスタミン剤なんかを飲んでやりすごそうとするんだけども、眠くなったり、ホコリとかダニが多すぎて薬が効かなかったりやらで、
こりゃいかん、と少しはがんばろう、と思ったわけですわ。
それに、脂漏性皮膚炎という皮膚の病気と、脂っぽいものと甘いものですぐにニキビだらけになる顔の持ち主なんで、
ところが、小さい頃から母に、
「出したものはしまいなさい!」「服を脱いだら洗濯機に入れるか畳みなさい!」「蓋を開けたらしめなさい!」「ものをこぼしたら拭きなさい!」「部屋を片付けなさい!」を、
家を出るまで言われ続け、1度もできたことのなかった俺なので、本当にできないんですよ。
「ふっ。本当のライフハッカーにゃ特別な道具なんていらねー。砂糖の袋なんか洗濯バサミでとめときゃいいんだよ」
とか思ってやってみるんですけど、その一手間「洗濯ばさみで袋を閉じる」ということが出来ず、開けたまま放置、湿気て塊だらけにした挙句、こぼす。
野菜食おうと思って野菜炒めとかつくるけど、思ったより野菜食えない割に手間かかるし美味しく作れないし、ですぐにやめる。
そんなかんじで試行錯誤してるうちに、いきついたような感じです。
長年の非モテ生活に終止符を打った記念に書いてみる。
先日の誕生日には弟から元東大教員が恋愛を科学的に分析したとかいうノウハウ本を
プレゼントされて本気で死にたくなりました。
ただ、もう今更へんなかっこつけててもしょうがないので、
その中に書いてることをダメ元で全部実践してみたらあっさり彼女が出来ました。
その本はすごくわかりやすく最新の心理学の研究成果とかを書いていたし、
丁寧にその実践方法とか説明してくれたりもして
全体として見てみれば別にオリジナリティのあることを言ってたわけじゃありません。
それこそ自分が無礼に煽ってた増田エントリにも書いてたようなことだと思います。
大きく分けたら要するに以下の3つ。
1)好みのタイプの女子のニーズやライフスタイルやコミュニケーションスタイルを理解すること。
2)そこに合わせてイケメンぶった服装や振る舞いを身につけること。
その後のことも色々書いてましたが、この3つを実践しただけであっさり彼女ができました。
こんなことはみんなわかってるはずです。
でも実際自分たちは全くモテてなかったのは何でだろうと考えると、
物凄く当たり前のシンプルなところに行きつきました。
もう何ていうか、「やればいいとわかっていることをやるかどうか」なんですよね。
きっとこの文章を読んですら昔の自分は変な理屈をつけて拒絶すると思います。
どれだけ簡単に1)~3)を達成する方法を聞いても、
でもやりさえすれば上手く行くし、やらなければ何もおこらない。
やらなくてもいいのかもしれないけど、
よく「自分がない」と言われる。
誰かと一緒にいて、「何食べたい?」「どこ行きたい?」ときかれて、
「なんでもいい」というタイプ。
(最近これはよくないと思って「AかB」という風に答えるようにしている)
そういえば、好きなキャラクターも特にない。好きな色も即答できるほどない。
好きなモチーフも、明確にあるわけではない。よく言えば(?)こだわりがない。
本当は細かい所に強いこだわりがあるんだけど、それが表面化することはあまりないし、
言わないとバレないことが多い。
自分は小さい頃から、兄弟を優先することがいいと教え込まれてきた。
兄弟の次は親、と優先順位が決まっていて、いつも自分は最後だった。
だから自分の希望を言うチャンスはなかったし、あったとしても、
自分よりも誰かを優先した方が丸く収まることを覚えていったので、
そんな風にして大人になり、「なんでもいい」が基本になっていった。
そして、それは、自分の中での「正解」な気がしていた。
どこにでも自分の意思を通したい人はいて、その人の意思に任せていた。
それでいいと思っていた。
先日、突然親戚が家に来た。
やかんでお湯を沸かしている間に顔を洗い、少し着替え、
ササッと片付け、お菓子を出した。
「相変わらず気が利くね~」「良い子だね~」と口々に言われ、
ハッと気付いた。
もう、長子の肩書きは捨てたはずなのに、体は覚えているんだと。
どうしたら「気が利く良い子」と褒められるか知っているんだ。
急に怖くなった。
お菓子食べたいとか、自分は紅茶が好きだとか、そんなことは関係なくて、
相手の好みに合わせたものを出した方が、気が利く良い子になれるから。
ある程度の「正解」を知ってしまい、その正解を追い求めてきてしまったので、
正解のないことが一番苦手だ。
しかし年を取るにつれ、それもよくないとやっと気付いてきたので、
少しずつ希望を言うようになってきた。少し楽になれてきた気がする。
慣れないことをすると疲れるし、「相手の希望と違っていたら嫌だな、申し訳ないな」と、
申し訳なく思う自分も嫌だ。自分だけが我慢すればいいのになあ、と思ってしまう。
結論は特にない。ごめん。
なんとなくanondでメモ。コスプレ以外のネタはそう面白みも無いと思いますので別の箇所に。適当にぐぐれば出てくるとは思います。
アメリカのイベントでは、コスプレ率高いと話どこかのレポートで聞いてましたので、自分も二着、衣装持ってアメリカ入り。
30日から6日の予定が、30日発の羽田発LAX行きデルタ機飛ばず航空機遅延、振替は翌日の成田発大韓航空になりました。本来なら7日間のアメリカ旅行が6日間、一週間も無い単身旅行に、バカでっかい90リッタークラスのスーツケース持ち込むハメに。普通ならこのサイズありえません。重いデカい、移動に邪魔、帰り便じゃおみやげ増えて、航空会社にHEAVYのタグつけられるし。だから羽田発着にしたってのにorz
税関の開封検査でもあると正に羞恥プレイでしたが回避成功。助かった助かった。
アメリカのイベント、日本と違い衣装着たまま会場入りするのでなかなか面白いことになります。そのへんの路面電車からミクのレイヤーが降りてくるなんて普通の事。街中でも衣装着たままウロウロ。ホテルと会場結ぶシャトルバスはあるけど、そんなに距離は無いのでかなりの人が歩いて帰ってました。そのままレストランでご飯食べるはホテルのロビーでバス待ちしてるわ長物持ってるわでなかなか近辺カオス。
LAのダウンタウンなんて、幾分古めの自分の知識では、平日昼間以外は観光客立ち入り禁止のエリア。しかし普通にコス衣装着た女性が深夜に歩き回ってるのを見ると、行政が力入れて改善しようと思えば変わるもんだなー、と。他の参加者、衣装着てる人はソレが目印になるし、着ていない人もデカい参加証のお陰で、一目で分かります。とは居え乞食が物乞いしてきたりホテルから黒服が走っていく先を見てみるとデカい大男が喧嘩してたり。まー、この程度なら気をつければどうにでもなる事。
自分が用意した衣装、二日目が唄音ウタで、三日目に着たのはヘタリアの日本。当初、更衣室が無いと思い込んでたので、ホテルの部屋で着替え会場入り。流石にアメリカが、衣装のまま会場入りするしそのまま飯食べたりホテルに出入りする、そして電車にも乗るのが普通とは言えちょっと恥ずかしかったので二日目はシャトルバスで会場へ。三日目になると流石に慣れ、自分も衣装のままロサンゼルスのダウンタウンを歩きまわってました。しかしまー、慣れない……
更衣室、よくよくパンフレットを読んでみると実際は存在してました。何故最初見落としてたのかというと、この部屋の名前が「Repair and Changing room」となっていた為。で、ふとその部屋入ってみると、正に工房状態。針・糸からグルーガンから、各色テープになんやかんや色々揃ってて皆様修理中。デカいハリボテとかも多いから、なんか色々壮絶でした。自分も輸送中壊れた耳あてやらボタンやら修理。一応着替えるブース、有るには有りましたが、奥の方に三人分だけ。しかも自分が居た時は、誰も使ってないし。
ちなみに武器チェックはまた別の場所。今回は長物持ってってなかったのでどうチェックしてるかは判らなかったのですが、銃器系はアメリカらしく結構うるさいらしく。まどマギのマミさんの、マスケット銃もチェック対象になってた様子です。
撮影ルールは少しずつ違う。カウントとかは同じだけど、声かけず撮影ってパターンもよくありましたし。それでもノリノリで皆撮ったり撮られたり。面白いのは、カメラマンがクレーター作ってて、そのなかに撮影されたい人がかわりばんこに入っていって撮影ってのがあったってこと。あとはダンスはやってるは寸劇はあるは、どっかの黒人がラジカセ持って踊ってる中にレイヤーが沢山突っ込んで踊ってるはとなんかフリーダム。このへんはやっぱり文化の違いですね。
会場に、即売会エリアもあるにはありましたが、ちっちゃいうえ本はホントに少なかった。もし、同人即売会のノリでコレに参加したら、ある意味絶望したんじゃないのかなー、って位。コスプレや撮影を楽しむ分はホント最高なんですけどねー。あと物販ブースに長物やら小物、ウィッグやら色々たくさん。ウィッグ一つ30ドル(=2400円)は安い。
コレは、要はコスプレ寸劇40連発。
ただ単に舞台端から端へ歩くだけってモノから中国舞踏、一発芸コメディにミュージカルに内容よーわからんモノまでなんでもありの詰め合わせ。日本以外のイベントではかなり多いんだけど、国内では滅多に無いんですよコレ。日本の文化自体が変わらないとまず無理。
しかし内容、ホントに多彩。
元ネタ、ゲームはFFからソウルキャリバーから、エースコンバットまで色々、アニメはもうドラゴンボールやCCさくらのような古いのから、まどマギ、パンスト、タイバニのような最近のもの、NyanCatのような小ネタまで幅広くてw …NyanCatが流れたって事は、ミクの歌声が響いたその翌日に桃音モモの歌声が響いたって事か。UTAU好きとしては胸熱。
スタードライバーのロボット、高さ5mはありそうなの持ち込んだのに驚き、まどマギのうち一つはある別の時間軸って設定、なぜか五人がこのAnimeExpoに居てまどかが魔女化するって話でなかなか上手い構成に驚く。ホント多種。
イベントはコンテスト形式になってて、グランプリ取ったのはなんとも懐かしい機動戦艦ナデシコ、それもTV版を舞台。歌詞だけナデシコに変えた曲をナデシコ乗組員が歌い踊りながら、アキトと艦長がラブコメ。もう定番中の定番。確かに良かったけど、しかしこの時代にナデシコネタかー、そしてグランプリかー、ホントに演技見てるんだなと感心。
で、グランプリの賞金の渡し方が豪快。
テレビとかでよくある、巨大な小切手の形をしたパネルを渡したかと思いきや袖に放り投げ、かばんを持ってき中の現金を観客に見せ「小切手なんてオールドスタイルな事はしない、キャッシュをそのまま渡す!」と司会が発言、かばんごと現金を優勝者に手渡し。
業務の前に書店に寄ることが、半ば習慣化していた。
人の声の重なりのような、妙なざわつきを感じる。
地面が揺れていることに気づいたのは、その後だった。
一昨日の余震だろうか?それならばすぐに収まるだろう。
生まれて初めて体験する激震が、我が身を、そして店全体を揺らしたのは、そんな甘い考えが脳裏をよぎった瞬間のことだった。
本を買うより、身の安全の確保が第一だ。
店を出る瞬間に、視界の片隅だけに見えていたものだけど、その光景は良く覚えている。
激しく揺れ動く地面と同様に、あまりにも落ち着きのない思考が私を動かしていた。
だけど私は運が良かった。ガラスが割れる軽やかな音に気づけたから。
目の前で、ガラス造りの街灯が落ちて地面に砕け散った。
あと数秒、私の走りが早かったら、危なかったかもしれない。
まずは身の安全の確保だ。最優先事項にやっと気づいた私は、元々いた書店の入り口近くにある金属の柱にしがみつく。
建物の近くにいては倒壊に巻き込まれるのではないか、という考えもあったが、倒れそうには見えない外見のビルであったし、何よりも、屋根があった。
何かが落ちてきても、屋根があれば最悪の事態を免れることが出来るだろう。
一息ついて油断した、その瞬間を見逃さずに追撃するかのように、それはやってきた。
もっとも、どんな覚悟も、あれの前には無意味だったと思う。
視界に入るもの全てが揺れ動いていた。地面が左右に揺れる、というのを視認したのは初めてだったと思う。
地鳴りと悲鳴が重なる。震度表には「立っていられないほどの揺れ」という表現があるが、まさにそれであった。
銀色の柱にしがみつき、身体を支えること以外、何も出来なかった。
勇気ある人は、危険な位置にいた女の子たちを比較的安全な場所へと誘導していた。
その後、ガラスの街灯がまたひとつ落ちた。ガラスの破片が散らばったけれど、気にしている余裕はない。
私は死ぬのか、この世は終わるのか。本当にそう思った。
長い、長い、私の体感では3分ほど、実際はもっと短いだろう(これを書いている時点では正確なデータがないのです)、
だけど長い地震が終わって、私の思考はまた落ち着きのないものへ切り替わっていた。
そうだ、職場に行かなければならない。
揺れが収まり、身動きが取れることを確認すると、私は職場のビルへと向かった。
エレベーターは動かない。12階立建てのビルの3階に職場はある。
階段の壁は一部が崩れ、破片がそこらに落ちていた。非常灯がなかったので、昼と言えど薄暗かった。
それは階段だけではく、各階でも同様のようであった。日の光が差し込むだけ、階段よりは明るかった。
ドアを押しあけ、オフィスへ入るとほぼ同時に、余震が襲いかかった。あの本震の直後の余震である。実際にどれほどの震度の余震だったのか、これも現時点ではわからないけれど、本震と同じくらい強いものに感じた。
「危ないから入ってきちゃ駄目!」と悲鳴に近い声が私に掛けられたけれど、入ってきてしまったものは仕方ない。
オフィスの中にいた他の方々とともに、私は机の下に身を隠した。
自ら飛び込んできた私はともかく、朝から働いていたオフィス内の人々は、突然の、しかも未曾有の大きさの地震を受け、憔悴しているようだった。
それから、階段を降ってビルを出て、一度は近くの小学校へ避難した。しかし、地域の方々の避難が最優先であるため、解散の命令が出るまで、私たちは歩道で待機していた。
その間も余震はまるで容赦しない。地面が揺れる、街灯や電線が揺れる。大きな看板が地震で壊れていて、たくさんの人が携帯電話で写真を撮っていた。
本震の最大震度が7と聞き、やっぱりね、とか、宮城県沖地震かな、などという話題が上がった。少量ながら雪が降り始めて、とても寒かった。
地震保険の話があった。我が家には適用されるのだろうか。いや、それよりも我が家は無事か。
携帯電話を操作して、自宅に電話をかけるも、繋がらない。当たり前のことだった。
それからしばらくして、今日のところは解散、ということが上司から伝えられた。私は家まで歩いて帰ろうとしていたけれど、同じ方向に住まいがある同僚がいたので、家の近くまで送っていただくことになった。
車道は当然のように渋滞していた。加えて、一部を除いて、信号も動いていない。
仙台市中心部から郊外へ移動しようというのだから、渋滞に巻き込まれるのは致し方ないことだ。30分で100メートル移動出来たかどうか、ということもあった。
正直に言えば、自宅まで徒歩で戻った方が、早く家についたかもしれない。しかし、車で送って頂いて本当に良かったと思う。
そう思う理由はいくつかある。ひとつは、複数の人とともに移動することによって、不安や恐怖と言ったものを少しは紛らわせたということ。また、車にはラジオが搭載されているから、最新情報を確認することが出来たのも大きい。外気を遮断し、暖をとりつつ移動出来たというのもある。被災直後から、仙台市内には断続的に雪が降り、吹雪くことさえあったから。
最終的なマグニチュードが8.8であるという報道を聞き、私たちは笑うしかなかった。この地震で亡くなった方が出るかもしれない、という話題にもなった。これを書いている今現在、確認されている死者は1000人以上であると聞いている。ここまで多くの方が亡くなってしまうとは、あの時、思いもしなかった。
移動中、私は家族が心配でならなかった。特に、自宅にいるであろう、母。我が家は築25年の木造住宅である。自宅が倒壊してしまったのではなかろうか、それに母が巻き込まれてしまったのではないか、心配で心配で溜まらなかった。
同乗している同僚は、2歳のお嬢さんを心配していた。夫の実家に預けているのだが、連絡が取れないのだという。
私も母との連絡は取れない。「頼りがないのは良い証拠」であるという、この場にはまるでふさわしくない故事を信じるしかなかった。
被災直後であるから、携帯電話は全く役に立たない。それはとうに承知していても、家族の安否を確かめたいというのは当然のことだ。電話はとても繋がりにくかったが、幸い兄との連絡はついた。それから、機械に疎い家族が見るかどうか分からないが、災害伝言板に書き込みをしておいた。
車に乗っていても、余震は我が身に伝わる。窓から見える外では、多くの人が歩いていた。結婚式の最中だったのか、よそ行きの格好のまま避難する人、スーパーのビニール袋を被る人、クリーム色のカーテンを纏う人、様々いた。
1、2時間も経つと、日が傾き、徐々に日の光が失われていった。明かりがあるのは車ばかりで、どの店、どのビル、どの建物も真っ暗なままだった。唯一、警察署だけは明るかったけれど、自家発電装置はいつまで持つのだろうか。
これだけの巨大な地震であるにも関わらず、高層ビルの倒壊がなかった、このことはすごいことだと思う。
しかし、それは外見の話だ。どこも大なり小なりの被害を受けていて、壁が崩れたり、窓ガラスが割れたりするのは当たり前、水道管が壊れて、水が溢れだしている家もあった。
3時間半ほどの時間を掛けて、自宅の近くまで送って頂いた。ここからは、歩いて帰ることになる。
外はやはり寒かった。実際の気温だけではない。街のどこにも光がない。駅の近くにある大きな交差点、そこの信号は機能していたけれど、他の信号は依然光を失ったまま。これまで車で通り過ぎてきた光景と同じく、街のどこにも灯りはなかった。
この夜の空は、山中で見るもののようだった。星座が確認出来るくらい、綺麗な星空。あまたの星がいつもと同じように、黒のキャンパスの上で煌めき、瞬く。暗い街並みといつにも増して美しい夜空を、私は生涯、忘れないと思う。
さて、この地震では、かなり多くの方が避難所での生活を余儀なくされている。
我が家はかなりましな状況であるということを、ここで記しておく(こうやって被災最中に手記らしきものを書いている時点でお察しの方も多いだろう)。
何せ、不自由なことは多いものの、自宅で生活が出来ているのだ。現在、これを書いている3日目の朝も、白いご飯を食べ、暖かな野菜のスープを飲み、ゆで卵まで頂くことが出来ているのだから。
4時間かけて自宅まで戻ってきたが、電気はついているはずもない。もしかしたらみんな、避難所にいるのかもしれない。あるいは……。
最悪の事態を思い浮かべながら、玄関を開ける。ただいまと誰もいないかもしれない家に声をかける。返事はすぐに戻ってきた。
家族は全員、茶の間にいた。みんな、無事だった。そのことに安堵の息を漏らしつつ、私は茶の間に入った。
意外なことに、茶の間は暖かだった。捨てるつもりでいた石油ストーブを物置から持ってきて動かしていたのだ。停電していても暖が取れるのはありがたかった。さらに、ストーブの上にやかんを置けば、時間はかがるがお湯が湧く。パンを置けばカリカリに焼ける。外は氷点下にまで冷え込む中、石油ストーブで外から身体を暖め、お茶で内からも暖める。とても幸せなことだった。これを呼んでいらっしゃる皆様には、是非一家に一台、石油ストーブの購入をお勧めする。
家の中には、父、母、兄、それに近くに住む親戚の小母さんがいた。小母さんは、この地震で誰とも連絡が取れず、また誰も帰ってこないという。家の中は地震で家具が散乱しており、中にはとても入れない。一人でいるのも不安である。そのため我が家に来たのだという。
自宅へ帰って来た頃、時刻はもうすぐで8時を迎えようとしているところだった。こたつの上には大きな蝋燭が立てられていて、その脇にラジオが置かれていた。懐中電灯もあるにはあるが、あまり明るくないので、部屋全体は照らせない。そのため、トイレに行く時等、移動する際に使われていた。
そういえば、自室に小さなライトがあるのを私は思いだした。いつだかに、ゲームセンターのUFOキャッチャーで取ったものだ。おもちゃに近いが、電球ではなくLEDなので、大きさの割には強い光を出す。
本棚が倒れたため、本で埋め尽くされ、足の踏み場がない部屋へ行く(自室の荒れ方がまた素晴らしかったので、出来ればお見せしたいところであるが、この時既に携帯電話の電池が切れていた。残念である)。机の引き出しの中にライトはあった。スイッチを入れると、白い光が散乱した部屋を照らした。
また、その時の私は、黒いタイツにストッキングと随分冷える格好をしていた。荒れ果てた部屋からジーンズを引っ張りだして着替えた。ついでに、タオルケットと毛布を茶の間へ持ち出した。
茶の間に戻り、ライトで辺りを照らしてみせると、蝋燭や懐中電灯よりも広い範囲をより明るく照らせたので、当座はこのライトで部屋を照らすことになった。裸火がなくなり、火事の可能性が低くなったのでひとまず安心した。
余震は断続的に続いていた。これを書いている今もそうだが、大小の関係なしに、何度も何度も地震に遭っていると、いつも地面が揺れているような感覚に襲われる。恐怖が完全に拭われることはなく、むしろ大きい余震があるたびに増大していった。
母は、少し昼寝をしようとしていた時に地震に見舞われたそうだ。これほど大きな地震であれば、逃げることをまず第一に考えそうなものだが、母は42型の液晶テレビが倒れないか心配だったらしい。テレビを支えつつ、近くの柱にしがみついて、本震を耐えきったそうだ。
兄は仕事をしていた。オフィスの中にあったパソコンは全て倒れて使えなくなったそうで、しばらくは仕事にならないだろう、それどころか解雇されるのではないか、と心配していた。
父もまた、仕事をしていた。スーパーでカゴ集めのパートをしている父は、地震の瞬間に店内にいた。これは危ない、と思い、しかし出口からは遠い場所にいた父は、普段は閉じられたままのガラス張りのドアをこじ開けて外に出たという。後から聞いた話によると、父の勤務地のスーパーは、天井が落ちてしまったそうだ。
ラジオから聞こえてくる男性の声が、この地震による被害の状況を伝える。泉区で家がひとつ倒壊した、壁に挟まれて死んだ人がいる、火災が発生した、津波で何もかも飲み込まれた……。いつもの夜のラジオなら、軽やかな音楽や楽しげに話すDJの声が漏れてくるのに、今宵は厳しい現実と、それを乗り越える手段が、無機質に流れ出ているだけだった。
私が自宅に帰宅して、1時間ほどして、親戚の小母さんの娘さんが帰ってきた。
この時、電話はまともに使えなかったが、メールやインターネットならば使用可能な状態にあった。
機械音痴らしい小母さんは、メールを打てない。私が代わって、娘さんに「小母さんは我が家にいる」との内容を打ち、送信したところ、娘さんはすぐに我が家に駆けつけた。それまでは近くの避難所を当たっていたらしい。
娘さんの勤め先は、長町にある。我が家は仙台市泉区に位置しており、長町とはかなりの距離がある。娘さんは同僚の方から自転車を借り、ここまで帰ってきたのだった。それまでに1時間半の時間を要したそうだ。
午後の10時頃に、小母さんの旦那さん、つまり小父さんが帰ってきた。小父さんは地震発生直後に車に乗ったのだけど、ひどい渋滞に巻き込まれて、この時間に帰ってきたのだという。実に7時間もの時間をかけての帰宅だった。
先にも述べたが、被災はしたものの、我が家はかなりましな方だった。屋根瓦が吹っ飛んだり、壁に多少のひびがはいったりはしたけれど、とりあえず住める状態にはあったのだから。停電していて茶の間以外は真っ暗だし、ガスも当然止まってはいるけれど、この時点で水道は使用できた。トイレも流せる。これだけで、精神に随分と余裕ができた。とは言っても、時間が経つにつれて水圧は低下していき、2日目の昼には断水になってしまうのだけど。
しかし、断水前に風呂に水を貯めておけたのは良かったと思う。おかげで、今のところ、トイレの水には困っていない。流石に大しか流せないので、そこらへんの節約は必要だ。
とにかく、電気とガスが使えないのが痛い。そうは言っても、ライフラインが回復するまでは今ある環境で耐えるしかない。母に菓子パンを食べるように勧められたが、遠慮して、お茶だけ飲んでいた。……皮下脂肪が厚いので、少しの間飲まず食わずでも耐えられる。
夜の11時を迎えたところで、両親に就寝するように言われた。どうせ、余震が続いて眠れないので、次の日の夜明け、6時50分頃まで起きているつもりだったが、せめて横になるように、と言われたので、茶の間の畳の上に体を横たえた。今夜は座布団が枕の代わりだ。寝転がり、目をつぶるだけで、少しは休むことができる。
形だけの就寝をし始めて1時間。日付が変わった後、ふと母の携帯電話を見てみると、2、3時間前まであった電波がなくなっていた。メールやネットならば使えたのに、それすら出来ない。ラジオ以外の情報獲得手段がない。ニコニコ動画やユーストリームでNHKの放送をしている、とラジオは伝えていたけれど、そんなもの役に立たない、と思った(もちろん、まだ電池のある携帯電話等を持っている人には重要なのだと思うけど)。ちなみに、家に帰ってきた時点で、私の電話の電池は切れてしまった。
日の出まであと6時間。ラジオは伝える。どうか日の出まで、希望を持ってと。ラジオは伝える。現実を。荒浜に、200から300の遺体が流れ着いたとの報を聞き、涙が頬を伝った。
3時か4時になった頃、NHKのラジオが音楽を流した。2曲流れて、1曲は確か「カノン」だったと思う。そのおかげがどうかは分からないが、私は少し、眠ることが出来た。余震がある度に起こされはしたものの……。
長い、長い夜を過ごしているうち、私はひとつ思いついた。
被災している最中から、忘れないうちに、体験談を記しておこうと。
携帯電話は使えない。iPadは不向きだ。だから今、pomeraを使って書いている。我が家にて、単4電池を使う懐中電灯等もなかったから、こうやって書いている。
これは被災してから2日目に書き始めた。現在荒削りながら、被災当日のことを書き終えて、5日目である。出来れば電気が繋がった3日目のことまで書いて、増田に上げられれば、と思う。私なんか、とてもとてもましな方だったけれど、千年に一度とも言われる天災の体験談は書いておかなければならないと思った。……エゴイストで申し訳ない。
また、普段は趣味で小説のようなものを書いているので、そのような表現があり、読みにくい箇所も多々あったかと思う。このことについてもここでお詫びする。
私が住んでいる仙台市泉区のとあるところでは、3日目で電気が繋がり、4日目で携帯電話の通話及びメールが使用可能に、そして現在、5日目の朝にネットが復旧した。
すぺっく
何の因果か、リーダーとかやるはめになったのでその経験を書いてみる。
「任務は遂行する。部下も守る。両方やらなくちゃならないのが『幹部』のつらいところだな。覚悟はいいか? 」
プブチャラティさん!俺やるよ!
…というわけで、尊敬するプブチャラティさんの姿勢をすべての行動の方針とした。
■実際にやったこと。
○作業日誌を送りつけた。
われわれたはちゃんとやってますよという言い訳と、問題が発生した場合に上司に詰め腹を切ってもらうため。
○朝会
これで、問題点を抱え込まない状況を作り出すのと、一体感、連帯感的なものを演出した。
○作業の目的を語る
作業の目的を語った。
これは、会社的なメリットだけじゃなくて、メンバーの利益になりそうな目的につなげた。
例:
人事権のありそうな上司の前でほめてたり、お礼のメールを出す際のBCCに上司のアドレスをこっそり入れていた。
ぶっちゃけ、報酬を私権限で払えない以上、それくらいしかできることはない。
例:
「~してくれてありがとうございます」
「あなたのおかげで、XXXがYYYになった。ありがとうございます」
「いいセンスだ」
「褒美におぷーな購入権をあたえよう」
例:
「~してくれてありがとう。ただ、ここについては私は、こう思うが、どう考えている?」
○話は聞くが、決めるのは私だ。
「~の意見は確かに正しい。ただし、現状はこういう状況なので、XXしてくれ」
ちなみに「話はきくが頑固」という称号を手に入れた。
どのような結果がでようとも、責任の所在は命令者にあるという基本を徹底させるため。
例えば、メンバーが私の指示での作業中でサーバーのデータを壊した場合、その責任は私にあるということ。
○ふりかえりをした。
Keep: いままでやっていることで引き続き続けるべきこと。
Problem:問題点
お前のやりかたが気に入らんという意見がいつでるかドキドキしながらやっていた。
○将来食っていけるようなスキルを身に着けてもらうに心掛けた
何年たっても単純作業しか割り当てられなかった。
その後、そのメンバーはスキルが低いという理由で会社を追われた。
なんで、将来の事を考えて、とりあえず、自分とこのメンバーはスケジュールが守れている限り、新しい事をチャレンジさせた。
もちろん、任務を遂行するという絶対条件があるので、チェックは行う。
メンバーから仕事を取り上げる判断基準として、自分が土日でてリカバリーが効かなくなった時点で、自分でやるようにした。
おかげで、最後の方は私より、上手くなった。
あと、派生として、新技術の自社でのプレゼンとか上層部受けしそうな作業はメンバーにやってもらった。
(もともとヒッキーなのでやりたくなかったという感情は否定しない)
「軍隊において、現場士官というのは、ただ、勇気を見せればいいんです。
誰よりも先頭で勇敢に戦い、撤退の時は最後まで居る。少なくとも、我々兵や下士官にとって理想の士官とは、それです。
鼻水だそうが泣きながらだろうが、あるいは何にも考えてなかろうが、常に先頭に立ち、あるいは最後まで粘る、それで満点です。
まあ、頭の足りんところは、我々も同じですからな。そんな姿を見て奮い立たん人間は、おりませんよ。
そこを良く覚えておいてください。」
基本、残業させんようにしてたが、メンバーが一人でも残っている間は、残った。
あと、付き合い残業をさせないため、残っているようなら進捗を確認して問題なければ、帰させた。
次に、作業の責任者がとっとと帰るのはないだろJKという趣味の観点
最後に疲労度の観点。
メンバーが仕事で感じる疲労度をリアルなところで感じておきたいため。
当然、疲労度の感じ方は労働時間だけできまるものではないので、次の項目のような細工も併用した。
○疲労度とかモチベーションのチェック
…これは、強制じゃなくて、こういうのがあるよっていう感じで広めた。
ぶっちゃけ、半ヒッキーで人付き合いが苦手な私にとって数値でメンバーの疲弊を検知できるのはかなり助かったし、実際、大ごとになるまえに、問題を摘み取れた。
■結果
私の権限でできる任務は完了した。
・
・
・
でも残念ながら我々は特定派遣だった。
不思議なことに、ドナドナ先の仕事の成果は、あまり、関係ない。
社員の評価をサイコロで決めていたとしても、一向におどろかない。
私はメンバーに報いることもできずに、なんやかんやで、私は会社を去らざるをえなくなり職を失った。
てへぺろ(・ω<)
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追記。
また、就職面で、いろいろコメントをいただき、ありがとうございました。
組織に対する愛着とか、同僚に対する仲間意識とかの結果として、上記のようなマネージメントが可能だったのだと思います。
なお、規模については3~4人の少人数
そのため、私たちのところで有効だったことが、他のところで有効とは限らないです。
それでも、このやり方が有効だと感じていただけるのであれば、それは、そのやり方につきあってくれた人達のおかげであると覚えておいていただけると、助かります。
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追記2
「10年以上、『ブ』チャラティさんを『プ』チャラティと思い込むことなんてあるわけないじゃないですか!」
「この味は嘘をついている味だッ!!アリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリ、、アリーベデルチ!(さよならだ)」
友達はここには一人もいない。
自分でいうのもなんだけど真面目に働いて
週末は時間がかかる料理か映画を観に行く(全部一人で)、その繰り返しの毎日。
実家の親も私の身の振り方を心配し始めた(親が結婚した歳を過ぎたので)。
とてもいい人たちなので、心配されると本当に胸が痛む。
一人はとても寂しいし、子供を産んで親に孫を抱かせてあげたい。
そういう理想はあるけど、職場の人々が毎日会話している内容に毒されて混乱している。
男は女を蔑み、女は男を蔑んでいる。なぜああまで他者をこきおろすのか、理解に苦しむけど
そしてそんな会話には参加しないでいると、それはそれで狙われて叩かれるのである。
十代の頃こんなふうな社会があるなんて想像もしていなかったよ。
ちょっと前に増田エントリで、よく生きるどうのこうの…みたいなのがあったと思うけど
そういう社会がどこにもないような気がしはじめている。
ちりも積もればというけれど、マイナスなこともそうなんだな。
お母さんに会いたいー
出てきたゆでたまごが、問題だった。
A「ゆでたまご、剥きづらくね?」
たしかに、殻がへばりついてて剥きづらい。
俺「スゲー時間かかりそうだなw」
B「え?それより、ゆでたまごなのに冷たいってどーゆーこと?」
俺・A「え?そこ?」
B「剥きづらいのはあるけど、冷えてるゆでたまごって、テンション下がるわ〜」
A「別に、ゆでたまごなんて、冷たくても温かくてもどっちでもよくね?」
B「ゆでたまごは、温かくなきゃ駄目だろ!これってクレームもんじゃね?」
俺「そんなに問題か???w」
A「冷たいのコンビニとかでも売ってるじゃん。別に普通だよ。」
B「コンビニは冷えて売ってるのを買うわけだから、お客さんも最初からわかってる。でも、ファミレスのゆでたまごは、温かいってみんな思ってるだろ。」
って聞くのか?w」
B「うん!ってか、ホットがデフォだろ」
A「別にそこ気にしてる人そんなにいないと思うぞ。じゃなかったら、既にホットのゆでたまごを提供してるはず。」
俺「それより、剥きづらい方がもんだいだよ。今は。w あと50円払うから、剥いてだして欲しいw」
ゆでたまごは、ホットじゃなきゃだめ?
理由
↓
種として有効に生き延びるために社会作らなきゃ
↓
でもだれも言うこと聞かないよ
↓
そこで暴力の登場だ!
↓
↑ここで暴力を登場させたヌシが社会であり、つまり社会が維持されているということはそこに暴力があるということ
↓
なんやかんやあって近代以降はヌシの別名が国家ってことになってる
↓
↓
↓
というわけで軍事とか警察ってのは暴力装置そのものではなく、暴力を宿命付けられたヌシが取った手段の一つに過ぎない。それ以外で何かいい方法があればそれになっていることもありうる。しかし社会が維持されているということは手段に関係がなく暴力がそこにあるということ。
半年ぐらい前に、ちょっとしたきっかけでとある著名な出版社から本を出すことになったんですよ。ちなみに僕は普段、普通にサラリーマンとして会社に勤めてまして、長い文章なんて卒論で書いたぐらいっていう普通の人です。
それは新書として出すことになって。会社帰りとか、休日を使って文章を書きまくりました。それでも半年ぐらいかかったんだけど、なんやかんやで、
「これはもう、原稿を落としてしまうことはない。締切りまでに原稿を完成できるぞ」
っていうゴールが見えてきた。
そうすると、最初はがむしゃらで全然(といえばウソになるけど)気にならなかった印税のことが、俄然気になりだすわけです。
出版業界って、自分からすると不思議なんだけど、製作開始前に「これぐらいのページ量で、刷り部数はこのくらい、印税はこのくらい」っていう契約を交わさないんですよね。だから、自分がこれを書き終わって、本が出たらいくら貰えるのか、出版ぎりぎりまでわからない。
なんてこと言うので、
「○万部×10%として、税込の単価が800円ぐらいとすると…」
なんて計算してウハウハしてたんだけど、原稿が完成に近づくにつれて
「まあ…○万部は出ないね」
とか言い始めたりする(笑)
価格も、既にアマゾンとかで「定価○○円(税込)」って出てるんだけど、「あれは変わるかもしれないから」とか言って、ほんとに変わったりするんですよね。
余談ですが……
でだ、せっかくもらう印税をどうやって有効に使おうかなぁ、と思い始めたわけです。単にバーンとでかいテレビ買って、PC買って、でもいいんだけど、なんかもっと役に立つ使い方できないかなあと。それで色々と調べてみると、どうも印税を使ってアマゾンで自分の著作を買い占める販促方法があるらしいことを知ったんですね。
なんでこんなことするかっていうと、一瞬で大量の注文を出すと、アマゾンの販売ランキングで一瞬でも上位に踊り出ることができるからなんですね。
そうすると、「アマゾンで1位になりました!」とかって吹聴することができるようになるわけです。これを業界では、アマゾン式販売拡充、なんて言ったりするらしい。(←2ch情報)
中には「最初の印税は全部アマゾンで使う」なんて言ってる著者もいるらしい。でもなんか、これって要するにウソじゃないですか?だから、うそじゃなくて、印税を突っ込んで、うまいこと販促できないものか……なんて思ってたんです。
それで今回思いついたのが、「印税を賞金として突っ込んで読書感想文コンテストを開く」っていうことだったんです。詳しい要項は↓
http://d.hatena.ne.jp/shanaineet/20101117/p1
を見ていただくとして、これなら興味あれば読んでもらえるし、うそもないし……。個人的にはあれこれ買いたいものもあったんですが、まあこれを機に少しでも本を買ってもらえると嬉しいなーと思ったりしてるわけです。まぁご興味あればリンク先を見てみてください.
親は「記念だから」とか「後で後悔する」というけれど、ああいう華やかで綺麗な格好をするのは美人や可愛い子だけで良いと思う。
これも同じく、成人する本人の自己満足なんだから、
だから、元増田に当てはまらないのは「美人や可愛い子」が理由ではない。
それが商売なんだから「毎度あり」であって、誰も可哀そうではない。
店や商品(振袖)にしてみれば、変な自意識で売上減る方が可哀そうな話だ。
振袖ってそんなに着なくちゃいけないものなのか。可愛い子や美人な子というか普通な顔・スタイルな子だったら分かるけど何もチビデブスの写真撮るなんてwwカメラマンさんサーセンwwwとしか思えない。なんやかんやが腐ってしまうよ。
元増田は、自分がチビデブスだからとか、誰かの迷惑だとか変な理由つけているけど
下らない理由をつけていないで、「自分が嫌だ」と断固断ればいいだけ。
後で後悔するのも自己責任。
もし親が金を払ってしまったってなら、自腹で親に返せ。
親も痛い目を見たら、もう大人なんだって目が覚めるだろう。
成人すると言うのはそういう事です。
おめでとう。
親は振袖を着せたがっている。正直言うと私の家は裕福ではない。なのに写真一枚のために、もしくは成人式(1~2時間ぐらい)のためにあんなにお金をかけるなんて馬鹿げてる。
親は「記念だから」とか「後で後悔する」というけれど、ああいう華やかで綺麗な格好をするのは美人や可愛い子だけで良いと思う。
こんなチビデブスがレンタルと言えど振袖を着たとしたら振袖が可哀そうで可哀そうでしかたない。てか次の人もサーセンて気分。
成人式は行かない予定だし、成人式後の同窓会はまだ詳細は決まっていないけれどたぶん、夜だろうから振袖から着替えていく人もいると思う。
振袖ってそんなに着なくちゃいけないものなのか。可愛い子や美人な子というか普通な顔・スタイルな子だったら分かるけど何もチビデブスの写真撮るなんてwwカメラマンさんサーセンwwwとしか思えない。なんやかんやが腐ってしまうよ。
「するかもしれない」と「実際にした」ものが同じコスト負担だという事に異を唱えているわけ。
そしてそれは実際にした者に全部おわせりゃいい話。
別に全ユーザの同時アクセスに備えてるわけで無し、どっちにしろアクセス数から備える量を決めるのだから
まったくアクセスしなかった者、少ししかアクセスしないもの、フルにアクセスしないもの、がいて
従量課金じゃないにしても、適時解約するのは困難な場合があるので
連続一ヶ月もアクセスしな買った場合の同額徴収は免除するぐらいするのが、誠意ある企業のコンプライアンススタイルだろう?
そうなってほしい。
契約を盾にお前が悪いのだから全額いただく、という企業態度への異論だ。わかる?
携帯電話もそうだけど従量課金はそのつど支払いの手間が多く敬遠されるが、
なんやかんやで利用者のミスによる過払いともいえる状況を故意に生み出している。
そういった過払い分はなくしても企業が割を食ったということにはならない。
それが適正な稼ぎだっただけの話。
違うかね
人事っぽい仕事をしている者です。
どっかそういう風に教えてるところでもあるんだろうか?
15分~20分前に来るのが大多数。
30分近く早いヤツもいる。
やったらめったら皆早い。
5分前ぐらいが常識と思うのだが。
早くても10分未満ぐらいが限度だと思うのだが。
追い返すほどの時間でもないし、
待たせるのも気分的に落ち着かないし、
会議室なんかは予約制だから場所も空いてない事だってあるし、
なんやかんやで色々迷惑。
「すみません早く着いちゃいまして」とか言っちゃう人もいる、
すみませんの要素であるとわかっているのであれば
少しぐらい待って時間を調整できないものかと・・・。
みんな! 早ければいってもんじゃないぞ!
ロンダする前は地方の大学に通っていて、そりゃあもう毎日をニートのように過ごしていた。
それがどうだ。
ロンダして都内で生活してみると、出会うわ出会うわ、優秀な人間と。
優秀な人間と出会ってなにが良いかって、そいつら勝手に俺の良いところを見つけて、いろんなビジネスに巻き込んでくれるの。
ビジネスやってる俺は地方にいたときには考えられないくらい毎日が忙しくて、でもそのビジネスというのが俺の趣味が転じたものだから、楽しいの。忙しすぎるから楽しすぎるの。
なんやかんやで企業の取締役になり、今は趣味(=仕事)でお金もらってる。
俺の例は典型かもしれないけど、ロンダの利点は「新たな人との出会い」の一点に集約される気がするんだ。
ロンダは研究ができない……そんなこと言ってるのは内部のごく一部やロンダに失敗した奴らだけだし、言いたい奴には言わせておけ。
「新たな人との出会い」によって、ビジネスだけでなくもちろん研究でさえも、きっと大きく成長できるようになると思う。
だから、自大の院に行こうか他大の院に行こうか迷っている人は、ぜひ他大の院に行ってほしい。
唯一の欠点は、ロンダしたからといって俺の童貞が解消されなかったことかな。
……まあ、分かると思うけど、上述のような“可能性がある”ってだけなんだよね。
悪い方に転がる可能性もあることを承知の上で、読者の判断材料にしてほしい。
批判が多いだろうから、匿名で書きました。
チキンちゃんでごめんね。
まあ毎年毎年同じ話題が繰り返されるわけだが今度ばかりはもうそろそろニコマスに失望を禁じ得ない。
いやニコマスの沈みっぷりとか盛り上がらなさは09年くらいからひしひしと感じていたけど「アイマス2が発表されればまた盛り上がるだろう」と思って今年の5・6月までは乗り切ってた。しかし、これだ。この有様だ。ぜんぜん盛り上がってない。祭りもちらほらと見かけるけどどれも小粒だ。09年の暗黒期よりも沈んでるんじゃないか? 「アイマス2」はカンフル剤のはずだった。公式も、まあ、盛り上げようとなんやかんややってるようだ。でも盛り上がらない。これはもうニコマスそのものが、界隈のコミュニティが限界に達しているってことなんじゃないかな?
はてなユーザーと2chのユーザーがどれだけ被ってるのかわからないけれど、ここ何年かどうしてこうなった的に思っていることがある。それは「腐女子」と言う言葉の、主に2chでの使われ方について。つまり、女のおたくは全て「腐女子」的な使われ方である。
私が最初にこの言葉を見かけたのは、確かどなたかのはてダだったと思う。確かにそう言う妄想の類と言うのは、同好の者同士にしか理解出来ないことで、しかも「普通じゃない」ことだと「わかっているがやめられない」、自らを腐った思考してるなと自嘲しての言葉としては、なかなか面白い、巧い言葉だと思った覚えがある。
それから何年かして、内輪で言い合っていた言葉が今や多くの世間に認知され、気付けば当初の言葉が示した範囲から、逸脱した言葉になりつつあるんじゃないかと思うようになった。それは認知されることによって、内側(腐女子)の人の中に堂々と誇って良いような錯覚を覚える人が出てくるようになり、外側(not腐女子notおたく)の人はおたく趣味の女をそう呼ぶものとの誤解が生まれたんじゃないかと。
本来は自らを自嘲した言葉であるし、世間に理解されることは無いと自覚があるはずなので、市民権を得たように世間に堂々と腐った言動を垂れ流す処置なしな人種を最近は「ゴキ腐リ」と呼ぶこともあるようだが、どうにもそう言う人種は若年層で増えている印象がある。
余談だが、それに比例するように「嫌悪腐」と呼ばれたりする、所謂腐女子アンチも大きな声を上げるようになった気がする。昔はお互いをどう思ってようと、不可侵的な雰囲気があった気がするのだが。やはりそれは最初に男おたくの気持ち悪さを、某事件や何やかんやで叩く風潮があったことへの反撃なのだろうか。意外と腐女子ではない女の人にも一緒にしないで欲しいと嫌悪感持つ人が多いので、ちょっと違う気もするが。
閑話休題。
ま、ともかく世間は「腐女子」と言う言葉を覚えたんだけれど、それの持つ本来の意味までは広まらなかったんじゃないか、と思っている。少なくともその世界を知らない人達にとって、その属性を持っているか否かで分ける気はないだろう。世間認知度的には女のおたく=腐女子って認識が広まったってことなのかね。
しかし、ggrksを連発するねらーが本来の意味を知らないってことあるのだろうか。しかも何でもかんでも、例えば腐った妄想をしない女おたくだろうが、おたくまでいかないライトなファンであろうが、女と見るや全て「腐女子乙」とレッテル貼りをしたがる人たちがいる。この人種は確信犯なのか、それとも世間と同じく同じようなものだと思っているのだろうか。板によっても人種が違うようなので、一概にはこうとは言えないだろうけど。