そんなこと言ってやるなよ、お前ひどい奴だな。
と思ったけど元増田はまだ若いのか?学生か?それならそう思うかもしれない。
親の死を、服装なんか気にせずもっとなりふり構わず泣いてすがれよとでも思ったか?
でも元増田はその男性がどんな気持ちで喪服を買いに来たのかなんて知らないだろ?
なんでその程度の想像力もないんだよ。
なんで若い店員から年配のベテラン店員に代わったかって、そういう立場の人を思いやる接客ができるからだろ。
それをお前は「新しい服買うのが楽しいのはわかるけど」なんて高みの見物しててさ。
死期がわかっていて何も準備してませんでした、では通用しないんだよ。
お前は店員のお辞儀を見て「出棺したんだ」なんてポエム書いてられる立場だけど、
少し考え方を変えてみようじゃないですか。
その男性はもしかしたら、癌になった父親を必死に助けようとして駆けずり回ってそれでも駄目だったのかもしれない。
最初は苦悩し、必死に悩んだけど結果は変わるわけもなく親父の死を受け入れ、その時にふと、死んだら喪服が必要だなと気づいた。
親父を送り出すのに貧相な格好は申し訳ないと思い、買いに行ったのをあなたが見た場面なのかもしれない。
店員にくらい顔をして物を買うのも申し訳ないし、「も~、ダメおやじが死んでくれて清々しますよ~」なんて心にも思ってない軽口を叩いて
気を使わせないようにしてたのかもしれないじゃないですか。
50も半ばを過ぎて、90過ぎのばあさんの言う事にいちいち腹をたてるなよ。
そんなことぐらい分かってきたんだろ。
もしかして、治せると思ってきたのかね。
90年もあの性格だぜ?治るわけ無いだろ。上手く回すのが精一杯だぜ。
50年、自分の怒りの収め方も適当に上手くかわす方法も知らずに
生きてきたのかな~。まぁ、あのばあさんと一緒に暮らすってのは同情するけど。
自分だけが得をしたいという態度をありありと表に出す人たちがいる。
そもそもがっつり付き合う人を選ぶときは、相手がそういうゴネ得な人種かどうかを見極めて、
それなりの距離感で付き合うというのが必要なのだけど。
ほんとうに僕たちがしなければならないのは、
そういう人たちがいる世の中に悲観するのでなく、
なんらかの方法で伝えて、相手に歩み寄ってもらうことなんだ。
冷静に理性と論理と熱意をもって相手に正当な主張をして、
歩み寄ってもらう努力をしなければならない。
自分の主張をつらぬくことはそれが正当な主張である限りは悪ではない。
だがいわゆる「いい人」は自らの主張を通すことをなにか悪いことと考えてしまう。
「いい人」が安易に横暴な要望を受け入れた場合、
間接的に組織や仲間が傷ついている可能性だってあるかもしれないのにも関わらず。
自戒を込めて。
官僚制的行政が優越性を獲得した偉大な手段は専門知識である。専門知識が全く不可欠のものであるということは、財貨調達についての近代的な技術と効率的運営との結果であり、この事態は、財貨の調達が資本主義的に組織されていようと、あるいは社会主義的に組織されていようと―社会主義的な組織は、同一の技術的成果を達成しようとするかぎり、専門官僚制の意義を途方もなく高めるということを意味するだけであろう―、全く異なることはない。被支配者は、通常、自分自身の―これまた官僚制化の運命に曝された―対立組織を作り出すことによってのみ、既存の官僚制的支配に対抗しうるわけであるが、これと同様に、官僚制的装置(アパラート)自体も、自分自身の物質的および純粋にザッハリッヒな―したがって理念的な―抗しがたい利害関係によって、みずから機能しつづけることを余儀なくされている。要するに、官僚制的装置が欠如するときは、官吏・職員・労働者が行政手段から分離され、しかも規律と訓練とが不可欠であるような社会においては、生計手段をまだもっているようなひとびと(農民)を除いて、他のすべてのひとびとにとって、近代的な生存可能性が停止してしまうということになるであろう。官僚制的装置は、権力を獲得した革命のためにも、占領敵軍のためにも、従来の合法的政府に対すると同様に、通常はそのまま機能しつづけるものである。問題はいつも、現存の官僚制的装置を支配するのは誰かということなのである。そして、それを支配することは、非専門家にとっては、常にごく限られた限度でしか可能でない。例えば、専門家=枢密顧問官は、大臣としての非専門家に対して、自分の意思を貫徹する上で、長期的にみれば多くの場合に優位にある。
マックス・ウェーバー。世良晃志郎訳。『支配の諸類型:経済と社会第1部第3章ー第4章』。(創文社。1970年。)。27ー28ぺーじ(底本128ー129ぺーじ)。
・簡単/難しいをてめーの中で勝手に判断して押し付けるのは止めてください。
・使えないってお前の使い方が悪いんじゃないの?
・勝手に期待したことが実現しなかったからといって、後だしで文句言うのは止めてください。
・みんな?みんなって誰だよ。お前のことか?
・理解できないのなら、せめて放っておいて下さい。
年金、もっとよこせクソガキ
今、父親が入院してて、まだ本人には言っていないが癌だからもうすぐ死ぬだろう。ところが、喪服を持っていなかったことに気がついたと。
若い店員が接客して対応に困っていると、すかさず年配のベテラン店員がヘルプにくる。その辺はさすが。
男性は色とか生地とか気にしながら、たぶん、二番目くらいに高い奴を選んだ。
どんな会話してんのか知らないけど、裾上げしてもらいながら笑っている男性。
最初の会話が耳に入ってなかったら、どう見ても礼服選んでるようにしか見えない。
黒地のネクタイも、ベテラン店員がおすすめするうちの何本かから、少し悩んだ末に気に入った一本を選んでいて、喪服ってそういうもんじゃないだろって感情と、お前父親が死ぬんだろって感情と、新しい服買うのは楽しいのはわかるけどみたいな感情と入り交じりながら、なんだこれ本当に目の前の現実で起きてるのかって思うようなどうにも変な空間だった。信じたくないっていう願いか?
これを見るとイメージが沸くかもしれません。
http://www.google.co.jp/images?q=Gewalt&hl=ja&safe=off
のレスとして
というその知能が信じられない。
じゃあネット以外の媒体で発表したらどうなるんだ? それなりに注目されれば(誰もが褒め称える完璧な作品でない限り)悪評はつくに決まってるだろう。もちろんネットで発表しても話は同じ。
こんなことは、無数の「ネットの場合」ではない作品たちが「ネタにされて叩かれ」てる現状をみれば小学生だってわかることだ。
悪評がつく余地があってそうされないのは「それなりにさえ注目されない場合」であって、これは「ネットの場合」とかそういう話ではない。「ネットのある時代」では発表の場が「どこの場合」でも変わらないんだから。
厳密にはAmazonに出品してるUWORKSという会社なのだけど。
さいきんAmazonで買い物したとき商品を発送するのが遅いのが気になってて、昨日はとうとう注文から一ヶ月たっても届かなくて、あげく向こう側から勝手に商品をキャンセルされた。
アカウントサービスの「未発送の注文を見る」のところの商品の横にある「発送準備中」っていうのがみそで、ぜんぜん発送する気配がないくせにこのモードに一旦なってしまうと、われわれ消費者側からはキャンセルできなくなってしまう。そのくせ、商品が発送できないとわかると出品者側から勝手にキャンセルされてしまう。発送しない限り、出品者を評価することができないので、すぐに届いた人だけが評価すればそりゃ評価は高くなるよねという感じ。もう出品者の評価なんてあてにならない。
和書以外は非常に届くのが遅くてもうAmazonで買う気にはなれない。ただ古本はそれなりに早く届くのでまだしばらくは利用すると思う。
ただUWORKS、お前だけはだめだ。商品がないなら出品するな。
「自分に都合のいい女」のテンプレだから、多分モテるだろうと思う。
「DVが起こるまで何もしないのが正しい」なんてどこに書いてあるの??
信じられないほどのバカ。文章をまともに読めないのになぜ頭を突っ込むのか。まあバカだからだろうが。
とある問題Aの解決法としてα、β、γ…があるとして、
その中のαを実現するという事=それ以外のβ、γ…は実現しなくても良いと見なす事、じゃないぞ。
ある現象の被害者α、β、γ…がいるとして、
その中の全員を救う方法、そもそも事件を防ぐ方法があるときに、なんで事件が始まってしまってからのβ、γ…だけを救う方法「しか」話さないんだ?と言ってるんだが。
逆はわかるぞ。α、β、γ…をまるごと一気に救う方法があるのなら、それぞれを個別に救う方法をいちいち練る必要はないからな。
しかし今回は違う。一気に救う方法のことなんかまるで話されていない。
お前は今までものを考えたことはあるのか?
(前略)利益社会関係(フェアゲゼルシャフトゥング)を通じて作り出される・支配の特殊の安全装置は、一般的な形で云えば、次の点にある。すなわち、指導者の命令に服従することに慣れ・支配とそれのもたらす利益とにあずかることによって支配の存立に個人としてみずからも利益を感じている・一群のひとびとが、ひき続き命ぜられるままに動き、かつ、支配の維持に役立つような命令権力や強制権力の行使に参加するということ(「組織(オルガニザツィオーン)」)、がこれである。自分たちが要求しまた実際に行使している命令権力を、他の指導者による授権から導き出すのでない単数または複数の指導者は、われわれはこれを「ヘル」と呼び、上述の仕方で特にヘルの命令のままに動くひとびとをヘルの「装置(アパラート)」と呼ぼう。
マックス・ウェーバー。世良晃志郎訳。『支配の社会学1:経済と社会第2部第9章1節ー4節』。(創文社。昭和34年)。27ぺーじ(底本548ー549ぺーじ)。
最近車で出かけることが増えた。というのも表題のようなことをするとストレス解消になるからだ。
外車、特にベンツがカモ。ちょっと混み始めると無理めの車線変更繰り返す人、いるよね。
そういう車の前に出る。出た瞬間巡航速度を20キロほど落とす。ルームミラーをみる。
いらついた表情が見える。ストレス解消のはじまる瞬間だ。
車線が複数あると、速攻ぬかそうとしてくるが、こちらもこのときは機敏に動く。抜かれそうになったら
スピードを上げて並走。向こうが前の車に接近したらこちらも減速する。
クラクションをならし始める輩もみる。ならされたら巡航速度を5キロずつ落としていく。
右折するときは曲がれるタイミングでも曲がらない。信号が変わるタイミングでゆっくりと右折する。
ベンツのドライバーストレス死に直前の表情。こちらのストレスがどんどん解消される。
ストレスって解消できないけど人と人の間を移動するものなのかも。
ハッカーとは何かを知らない人が
ハッカーとは何かを知らない人に対して「君ってハッカー的だね」と言って
もう、それが彼らの中では「ハッカー」なんだよ、きっと。
どこからつっこもうかと思ったけど、やっぱやめた。
で、おっさんのクソつまんねー思い出話や愚痴でも。
ミトニックのクラッキングがすでに伝説となっていた二昔前、今じゃ考えられないがワープロで1分間に60文字打てれば「すごい人」「先進的」「ハッカー的」などと思われていた。
ソフトウェアは FDD でのコピーが横行し、そういうグレーな行動で行動で存在感を示そうとした馬鹿野郎が増えて一部で問題になっていた。
5インチFDD を使った MS-DOS が主流だったから、1990年代前半のことだ。
しばらくしたら、今じゃ考えられないが HTML をメモ帳で書いてホームページを立ち上げることができれば「すごい人」「先進的」「ハッカー的」などと思われた時代がきた。
HTML や画像に音楽・映画ファイルなどを埋め込んだり、そういうグレーな行動で存在感を示そうとした馬鹿野郎が増えて一部で問題になっていた。
メディアは 3.5インチ FDD から CD-R に代わりつつあり、Windows の新バージョンが販売されるたびに行列ができていたから、1990年代後半のことだ。
もうすこし経つと、サーバを立ち上げることができれば「すごい人」「先進的」「ハッカー的」などと思われた時代がきた。
P2Pで直接ファイルをやりとりするようになると、音楽・映画ファイルなどをアップロードしたり、そういうグレーな行動で存在感を示そうとした馬鹿野郎が増えて一部で問題になっていた。
WinMX ~ Winny が全盛だった時代だから、2001年~2005年だ。
それ以後も、同じように「技術開発」→「悪用される」の繰り返しだ。
いまだに思う。
まだまだハッカーは足りない。
単にコンピュータを利用する画家のような、クリエイティブなユーザでもいい。
0 と 1 でしか表現できない無能なコンピュータを、賢く使えるハッカーとなってほしい。
ネットワークを便利に使えるWebエンジニアが増えるほどには、そのインフラを支えるネットワークエンジニアが足らない。
仕舞いには、ITの歴史を田舎のヤンキーにこじつけて罵倒するしかできない低脳まで現れる。
そんなもん「おまえがキライ」で済ませろや。