よく「自分がない」と言われる。
誰かと一緒にいて、「何食べたい?」「どこ行きたい?」ときかれて、
「なんでもいい」というタイプ。
(最近これはよくないと思って「AかB」という風に答えるようにしている)
そういえば、好きなキャラクターも特にない。好きな色も即答できるほどない。
好きなモチーフも、明確にあるわけではない。よく言えば(?)こだわりがない。
本当は細かい所に強いこだわりがあるんだけど、それが表面化することはあまりないし、
言わないとバレないことが多い。
自分は小さい頃から、兄弟を優先することがいいと教え込まれてきた。
兄弟の次は親、と優先順位が決まっていて、いつも自分は最後だった。
だから自分の希望を言うチャンスはなかったし、あったとしても、
自分よりも誰かを優先した方が丸く収まることを覚えていったので、
そんな風にして大人になり、「なんでもいい」が基本になっていった。
そして、それは、自分の中での「正解」な気がしていた。
どこにでも自分の意思を通したい人はいて、その人の意思に任せていた。
それでいいと思っていた。
先日、突然親戚が家に来た。
やかんでお湯を沸かしている間に顔を洗い、少し着替え、
ササッと片付け、お菓子を出した。
「相変わらず気が利くね~」「良い子だね~」と口々に言われ、
ハッと気付いた。
もう、長子の肩書きは捨てたはずなのに、体は覚えているんだと。
どうしたら「気が利く良い子」と褒められるか知っているんだ。
急に怖くなった。
お菓子食べたいとか、自分は紅茶が好きだとか、そんなことは関係なくて、
相手の好みに合わせたものを出した方が、気が利く良い子になれるから。
ある程度の「正解」を知ってしまい、その正解を追い求めてきてしまったので、
正解のないことが一番苦手だ。
しかし年を取るにつれ、それもよくないとやっと気付いてきたので、
少しずつ希望を言うようになってきた。少し楽になれてきた気がする。
慣れないことをすると疲れるし、「相手の希望と違っていたら嫌だな、申し訳ないな」と、
申し訳なく思う自分も嫌だ。自分だけが我慢すればいいのになあ、と思ってしまう。
結論は特にない。ごめん。
相手が困らない程度に「自分がない」ことを貫けば それも立派な自分になれると思うよ。 気がきくということは気が利かない人に比べて 絶対有利になるはずだから、増田のいいところ...