はてなキーワード: 齟齬とは
※ 再ポストを許してくれ。どうしても、聞く人がいないのだ。
当方は、元プログラマー。今となっては、家庭の都合で引退した身。嫌なことがあって、久しぶりにプログラミングを勉強したら楽しくて仕方ない。
たとえば、Ruby on Rails, Next with React on TypeScript とか最高にイカしていると思ったし、Kubernetes や Terraform で AWS, GCP を触れば IaC に感銘したし、Kafka や Elasticsearch といった NoSQL が RDB が進歩した上で共闘している様は夢のようだ。PHP や Java も元気にしていて、おじさん嬉しいよ。(最近の流行りだから Docker も触ったが、Vagrant なんかを触れた身からすると、正当な進化だよね。)ただ Python が人気なのは理解できないし、そんでもって C は苦手なままだけどな。あと、CSS と HTML のナレッジのアップデートについていけないのは歳のせいだろう。
閑話休題。それでタイトルの質問なんだけど、今のモバイルアプリの開発手法について知りたいのだ。もちろん React Native といったものがあるのは知っているが、この手のものは好きになれないのよね。どうしても無理から生じる齟齬が気になっちゃうし、もっと言えば「プログラミングを介して、設計思想に触れたい」からね。
まず、iOS の話題から。今は iOS は SwiftUI だけで書けば良いのかしら?昔は Objective-C と Storyboard を使っていたけど、新規のプロジェクトだと無視してもよいのよね?いや、だめだったら追加で勉強するだけだから良いのよ。その、加減がわからなくてね。自分としては Swift言語が好きで、SwiftUI は StoryBoard よりマシだと思うから、そこは問題ないのよね。10年前より、絶対に良くなったと思うし。あと SwiftUI と Swift言語の example 集とか、CocoaPods のまとめサイトなんかを教えてほしいな。公式だけじゃ物足りない。
次に Android なんだけど、現行なのは Kotlin言語 + Android Studio の UI ビルダーを強制なんでしょ?昔は Java言語 + XML の MVC という感じで、当時としては iOS よりまともなイメージだったけど、最近ふれたら蕁麻疹が出そうだった。なんというか、ちょっと体が受け付けない感じがする。だから、Android は昔の開発手法で良いのかを教えてほしい。あと、iOS と同様に example を大量に載せたページをお願いします。
こんな感じかな。追加で知っておくべきことがあれば、嬉しい。たとえば、PWA とか。自分としてはモバイルのプログラミングが理解できたら、ブロックチェーンや人工知能を除くと、ここ10年のナレッジはキャッチアップできたつもりなので満足なんだよね。あと気力があれば、作成物を増田に晒すかもしれないです。
あらゆる文章を一切何もイメージせずに読むという人はいないと思います。
ある程度読書スタイルに依存する面も確かにあるでしょうが、一つの教養として一律に備えさせてもよいものだと思います。
あまりイメージしない人にとっても邪魔になる力ではありませんし、逆によくイメージする人については今までこのような教育がなかったためにイメージ先行の理解をする一方で独善的なイメージを行っていたせいで意思疎通の齟齬が頻発していた可能性があり、このような教育はそうした問題を改善させるでしょう。
そもそもあらゆる教育について、それが必要かどうかなどは将来的にしか分からないことであり、しかも個々人によって異なってくることですから、その理屈ではあらゆる科目は不要ということになってしまいます。
育休取れない社会はおかしいとか言ってる人。普通に考えて木っ端労働者が取れるわけないですよね?
もしあなたがgooglerや自民党員や高級官僚としてで、余人をもって代えがたい仕事をしているなら別ですけれども、まさか誰でもできる仕事なのに権利を求めてはいませんよね?
とても簡単なことですが、雇用者が労働者を守るためにかけられるコストの上界は、あなたが生み出せる付加価値と一致しています。
googleが福利厚生を充実させているのは労働者を失った時の損失が大きいから。裏にひっくり返して逆から眺めてみて、損失が小さいならばいなくなっても痛くない、となります。
このごく単純な論理から考えて、子供を設ける予定だといったあなたを落としたあの会社は、別に意地悪をしているわけではないのです。あなたが欠員した際の穴埋めにかかる費用、復員したときの引き継ぎと馴染むまでのその時間。それらを勘案した結果不合格になったのです。渋い顔をした面接官は、あなたが嫌いなのではなく、それを自分がフォローするのを渋ったのです。
職業に貴賎はありませんが、就きうる人の多寡はあります。少なければ少ないほど神の手によってあなたの価値はまとまり、多いほどあなたの価値は分断されます。
誰でもできる仕事をするあなたはそれだけ価値が低く、そのような労働者をなぜコストをかけて守らないといけないのですか?その穴埋めにコストをかけるより、はじめから健康な、穴をあけなさそうな労働者を雇ったほうが合理的ではないですか?
私は人権というものを見たことはありませんが、もし人権侵害なのだとして、あなた達が言うべきはこうです。「生産性の低いことは重々承知しておりますが、どうかその合理的な判断を曲げて、私達に慈悲の手を差し伸べてくれないでしょうか。ああ神様仏様菅様どうか御慈悲をお恵みください。アーメン」
あなたを私に取り替えてみて矛盾のない文章。この文章によって私とあなたの可換性は示されて、また一つ私の価値があなたと等分されたことを露わにしています。あなたと私を取り替えて、齟齬が生じる、べきだ、と思いますよね。
タイトルでテレワークのせいにしているが、本人からの申告内容的には自分のせいらしい。
ただ会社やその他上司からのコメント的には本人問題と判断されており、特に自分が咎められるとかはないらしい。
当方テレワークほぼ100%の環境。事の始まりは辞めたメンバー(面倒なのでA氏とする)がミスをしたことが発覚し、嫌な予感がしたので色々聞いてみたら他にもミスをしていたこと、そもそも依頼した作業の意味をちゃんと理解していなかったらしい。
ミスした部分、作業の意味については1年間何度も言っていたことなので、最初はまじでこいつ大丈夫かと思ったがそこで責めたらパワハラとかになるんだろうなーとか思ったので、改めて作業の意味をA氏に整理して伝えた。
そしたらA氏がまた別件でもちらほらとミスをするようになり、またちょっとした意思の疎通も認識の齟齬も増えてきて、結局最後に自分が同じ作業をやることになってしまい二度手間。
忙しい時期だったこともあり現場が回らなくなるので、二度手間を無くすため、認識の齟齬がなくなるようにするために作業前に想定している作業内容を箇条書きでチャットでいいので報告してください、とした。
それである日自分がチャットツールで簡単な手順概要をまとめてタスクを振ったのだが、その作業内容を自分が送ったチャットをそのままコピペで送り返してきた。ちょっとイラっとしつつも認識の齟齬を無くすためなので自分の言葉で説明してほしいですと返し、別件の問い合わせが来ていた件についても次のアクションわかるか聞いてみた。
問い合わせとかヘルプデスクしている人ならわかると思うが、そんくらい自分で調べろよと思ったり局所的な質問をチマチマ質問してきていつまでも問い合わせが終わらないことがある(A氏も以前経験済み)。そこを少ないメンバーでやりくりしているので、問い合わせの際は最初に何を意図して問い合わせしているのかゴールを明確にして進めないといけないんだけど、今回の問い合わせもチマチマ問い合わせ続きそうな内容だった。だけどA氏は問い合わせ内容をそのままベンダーへ流そうとしていたことが分かった。
そのため上記の意図を伝え、問い合わせ者と認識合わせして対応してくださいと伝えたらそれ以降来なくなってしまった。
事情が事情なので会社でヒアリング中らしいが、そこでは尊厳を踏みにじられたみたいなことを言っているらしい。
だがこちらとしては~してください、としか伝えておらずイマイチどこで尊厳を踏みにじられたと感じたのかわかってない。
なので普段のコミュニケーション不足なんだろうなと思い、テレワークで1日数分だけ案件状況確認でビデオ会議していたがそれだけでは足らず、もっと雑談とかしないとなのかなー、って感じで今自分の中では落ち着いている。
仕事の会話しかしていないと個人を無視しているようで、そこに人としての尊厳がなく感じてしまうんだろうなーと。
なのでうまく雑談するためビデオ会議の雑談枠設けたり、出社の機会を増やすべきなんだと思っているんだけど、基本テレワークしている人、その辺どういった対処してるとかあったら教えてクレメンス。
https://anond.hatelabo.jp/20210528052915
女子かくあるべしという一面がヘイトを生んだというの、一理ある。というか、それがまさに問題点だと思うんだよね。
3つの話が混ざってるにも関わらず、「創作での違法行為ヘイト」のみに絞って揶揄する声がTwitterなんかで作家から上がってるの見ると危うい感じがする。
元増田が言う通り、アウトローでかつフツーの女性ってのもアリだと思うけど、ハイコンテクスト(文脈及び暗黙の前提が必要)なんだよね。
映画詐欺予告と違って、アニメ版のスーパーカブの告知動画と実際の作品のビジュアルは、近い。
ありていに言えば「新海誠風」だよね。
より正確に言うと「秒速5センチメートル」のビジュアルで、ゆるきゃんよりも「けいおん」ふうのキャラクターで、「スーパーカブ」に焦点を当てたアニメーション。
このビジュアルと音楽のガワで、作中の小熊というキャラクターをアウトローにするのは、かなりの難物になる。
何故かというと、ビジュアルのちからって、アニメーションのわりと根源的なポイントだから。
西岸良平の「夕焼けの歌」や、青木雄二の「カバチタレ!」のビジュアルで、2ケツしたくらいじゃこうはならない。
これは、男女差別ではなくて、そのビジュアルは、どういった印象を相手にあたえるか、というところがポイントになるから。
ここでは各流派については踏み込まないけど、創作物の違法行為が問題視されるのは概ね3つ
漫画やアニメーションには、現実の人間に影響を与える力があると信じるものからすると、どれもまあ批判としては妥当かと思う。
受け入れるかどうかは別として、「アニメは良い影響を与えうる」と「アニメが悪い影響を与えうる」というのは、どちらも正しいと個人的には思っている。
1番のマネする奴がでるってのは、一番創作者にとって受け入れがたい指摘だとは思う。
悪い奴が悪いことをする、もしくは、悪いとわかっていてやることに意味があることを描いていても、指摘されるから。
2番の違法行為が肯定的にってのは、程度問題ではある。文化圏によるものもあるし、時代背景もあるしね。
ざっくり少年漫画少女漫画問わず、現在でも例えば「これ普通に暴行傷害だよな」とか「女性がやっててもこれ普通にセクハラ・パワハラだよな」みたいなのは散見される。
3番がちょっとメタっぽい話になるけど、2ケツって別に大したことないってアニメーションが増えると、そういう認識が広がる、という考え方のこと。
(主張する人たちが概ね3流派に分かれてるよねってことぐらいで、ここは特に踏み込まない)
アニメ版のスーパーカブでは、(ビジュアルと音楽とを取り払ってしまえば)リアリティラインは概ね一定に保たれていると思う。
個人的には、あの地域の高校二年生が、自己矛盾なく一貫した姿勢で物事に向き合ってたら気持ち悪いし、変だと思う。
ないないづくしの天涯孤独の女子高校生が、他人に厳しく自分に甘く、2ケツで気分爽快とか、まあ良いんじゃないの?という。
ココは元増田の話とは違うと思うんだけど、「小熊は2ケツなんかしない!」って話とは、若干違うと思うんだよね。
さっきのリアリティラインの話、純真無垢な箱入り娘のお嬢様じゃねえんだから法律違反ぐらいするだろ、みたいな話は
アニメーションのビジュアルが訴えかけてくるものに反するから、ヘイトを生んでるんだと思うんだよね。
「口では2ケツは法律違反だって言ってるけど、つまるところあのビジュアルでマイルドヤンキーみたいなの受け入れがたいってだけじゃね?」ってこと。
そしてそれは、「受け入れがたいというのは、ある程度しょうがないのでは?」という話。
要は、アニメーション全体で生み出そうとしてるリアリティラインに齟齬が生じてる。
ゆるキャン△でさ、嫌な店主だからっつって万引きしてみんな笑顔で「やっちゃったねふふふ」とかやってたら受け入れがたかろう。
「今日日の女子高生は別にグループ万引きとか普通にするしむしろ知らないのは世間知らず」とか反論はしなかろう。
あのキャラクター造形で、丁寧に遵法精神に欠けるところがあるって演出してても炎上すると思うな。
アニメーションのビジュアルが訴えかけてくる「この主人公はこんな感じです」っていうのと言動が一致してないんでヘイト生んでるんじゃねえのかな。
「このアニメーションは、スーパーカブという原付の良い面を広げる啓蒙アニメーションっぽいんすよ」みたいなのとか
「このアニメを通じて交通安全に思いを馳せて欲しいっすね」みたいなのとかが見え隠れすると、そりゃ反発もされんじゃねえかな。
例えば「ここは退屈迎えに来て」の中でまったくおんなじエピソードが語られたとして話題になるかっていうと、そんなとこ注目もされねえんじゃねえかな。
新海誠監督の時の「天気の子」で出てた法律違反の話と今回の件とは、語られ方がちょっと違うと思うんだよね。
ともあれ、個人的には「フィクションの違法行為にいちいち難癖付けてて乙乙」みたいな茶化し、良くないと思うなあ。
少なくともその層は切り捨てて良い層なのか確認してから揶揄すべきだと思う。
ドウェイン・ジョンソンがワイルドスピードで無茶苦茶するのに笑ってる同じ人間が、今回の件で嫌悪感を示すの別にダブルスタンダードでも何でもないと思うのよ。
俺は、ワールドトリガーのアニメ版で迅さんが原作とは異なる描かれ方をしているのを見てポリコレに屈しやがってとは思わない。客あっての商売よ。
(とはいえ、スーパーカブは切るところ残すところの取捨選択がちゃんとなされてると思うので、まあこれぐらいは織り込み済みなのでは)
いま就いている職種に関しては、分野自体は好きだし、基本的にはどこの現場に行っても作業は評価をもらえることが多い。
それ自体はありがたいのだが、しばらくすると必ず「マネージャーやってみないか」みたいな話になって、いくら断っていても最終的にはやることになる。ひどい現場だと、何の相談もなく周りを差し置いて強制的に管理をやらされたりする。
正直、マネージャーなんか向いてないしやりたくない。コミュ障だし、基本的にはあまり人と接したりしたくない。仕事のコミュニケーションって、無駄の塊みたいな時あるし、そういうのに耐えられない。同じこと何度も説明したり、齟齬があれば認識合わせて…って、そういうのが嫌だから作業者を選んでるのに。
もちろん、多少は許容できるけど、管理側に回るってそれが中心になる訳だから…。
こちとら黙々と作業するのが好きなのであって、向いてない管理の仕事をやるなら給料安いままで良いとさえ思う。元々の給料が生活ギリギリならともかく、たかだか年収100万円上がる程度で日々が向いてないし仕事で地獄になるなら、そんな割に合わない金いらない。
「人が死ぬ」ということをどれくらいの重みにとるかによって、当然のことながら、バランスは傾く。価値観のことなので正解はないが、増田は一般よりも命の価値を軽く見ているはず。
経済でも人が死ぬ、とはいっても、流石に致死率が違ってくるしね。
功利主義的な人間観では論理的にそうなるが、しかしそれは本当か?
少なくとも1年前の時点では、出勤や外出をある程度抑えることができたのではないか。
これからも、少なくともある程度、罰則無しの抑制は可能であろうと俺は思う。
(ここ半年ほど可能なことをサボった政府を批判するのはしょうがないけど)
そういう言説が広まっているが本当とは信じていない。
俺がみたのは、それは家計簿アプリのデータによる貯蓄の多さだった。
マメに家計簿をネット経由でつけるような少数派の話じゃないのか。
GOTOは少なくとも全力で使わはしれた。
こんばんは弱者男性です。
それは大変つらい思いをしましたね。客観性や公平性について他人からいろいろ言われるかもしれませんが増田が感じたこと自体は真実として受け止めます。
増田が出した内心の結論や今後の人生の選択についても尊重します。それは他人からどうこう言うものでもないですし。
元の記事を読んで想像できなかったんですが、増田が指摘している「理解のある彼くん」を盾に精神障害持ち女性を攻撃していた自称弱者男性はツイッターユーザーだったんですね。その部分で自分の認識に齟齬があったみたいです。
自分は、この手の話題のツイッターは見ていないので気づいていませんでした。ツイッターであれば攻撃者が普段どのような属性を自称しているのかを追うことができますしね。
ところで、なぜ弱者男性の主張がブログなどではなく、はてな匿名ダイアリーに書かれるかわかりますか?まわりに弱者男性だと知られると、余計立場が悪くなり男性からも女性からも激しく非難されるからです。相手に不快感を与える外見や言動を改善しようとしない努力不足だとか、抜け出すための努力をしない怠惰だとか、いつもネットで女性を攻撃しているというような(自分にとっては)身に覚えのない非難です。男にとって自分の弱さを表明することはとても恐ろしいことです。普通は餌食にされるだけでまったくメリットないですからね。
だから弱者男性は日常でもネットでもよっぽどのことがない限り助けの声を上げることができず、それゆえ善良な弱者男性はなかなか目につきません。
自分からすると、ツイッターやブクマのようなハンドルネームとはいえ過去の発言と結びつくようなメディアで差別や被差別について発言できるような人は、ある種の強者に見えてしまいます。ここは増田と感じ方が違いそうなので同意してくれなくていいです。
もしよければ増田の言う精神障害持ち女性を攻撃する自称弱者男性のツイートのURLを教えてください。今からでもツイッターアカウントを作って否定・批判しに行きます。
嘘だと思いますか?ここ数日のはてな匿名ダイアリーで目についた女性に対する酷い発言にはすべて批判のトラバを書き続けてきました。探してみてください。
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推しを攻めにすると、書く同人誌が全て”ぼくの考えたかっこいい推し”になり、最高です。
そして、ふと気づきました。
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推しはアイドルゲームのアイドルなんですが、低身長で童顔で、公式で女装した経験もあり、ぶっちゃけカワイイです。好き!
推しがカワイイと何が起こるかというと、ツイッターでみんな「⚫⚫は受け!」と言うのです。
わたしも(逆カプが読めるタイプの腐女子なので)、まあそうだよなー可愛いもんなーくらいにしか思っていなかったのですが、
2年間毎日推しのことばかり考えすぎたせいで、推しをもはや自分のように考えてしまう瞬間があり、
「自分が推しだったら受けって呼ばれるのモヤつくな…」と思いました。
(わたしの推しはファンからのどんな目線にも100パーの笑顔で答えてくれる最高のアイドルであることは書き添えておきますが…!)
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1つ目。
「⚫⚫は受け!って言い方、
ま⚫こ!と呼んでるのと変わらなくないか。」
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仮に自分が他人から不特定多数とのセックスの関係性を勝手に空想されたら結構嫌な思いするよな…。
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ただ、わたしも推しを攻めにして初めてこの「受け」呼ばわりの気持ち悪さを感じたので、
おそらくBL愛好者たちはキャラクターをそう断ずることに痛みを伴わないんですよね、、。
BL愛好者が口にする「受け!」は、
(自分の経験からそうだと思っているだけで、BL愛好者の全員がそうとは限らないです)
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2つ目。
「推しが受けと呼ばれるのは嫌だけど、推しが攻めと呼ばれるのは嬉しいわたしは、
わたしのこうした態度も、ホモソーシャルを擁立する態度のひとつなのではないか」。
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そんな自分が、男性社会に憧れる弱者でしかなく、男性の優位性を賛美しているように思えて、
すごく気持ち悪く感じました。
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単純に気づけてよかったとこなんですが……。
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私も例えば「運動部のこと攻めの代名詞だと思ってる」とか言うときはあり、
そういう強い言葉で言い切る会話は大概楽しい、ので、切り離しがたくもあります。
「くすぐられて泣いちゃう⚫⚫くんは受け」
「⚫⚫くん攻め大手なのわからん、線の細いお姉さんお兄さんは受けだろ」…
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”受け/攻めという役割にふさわしいものとして大別される要素の分類”のつもりでしたが、
仮に何人もの自分を見ている人に自分=セックスのとき女役/男役と言われるとしたら…と考えると、
いやでした。
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個人名に性行為時の役割に由来するカテゴリをつけるのを避けたい……
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と、思ったのですが。
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でもわたしにとって彼らの左右がこっちであることは重大なので書かざるを得ず、、ウウン、、。、
みたいな葛藤も抱えました。
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低身長年下童顔(女顔)お料理上手×高身長筋肉質塩顔いざってとき頼れる男
みたいなカップリングなので、
いわゆる逆カプがとても多いです。
BL二次創作を好む者の多くにとっては、受け攻めが異なる時点で別のカップルになります。
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どうしても、A×Bって書きたいんです。
もしもB×Aしか好きじゃない人がA×B表記のないA×Bを読んだら不愉快になるだろうし、それを理由に攻撃される。
だって、A×Bであることは、わたしの愛するふたりが恋し合って見つけた大切な関係性だから。
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わたしが冒頭に
「推しを攻めにすると、書く同人誌が全て”ぼくの考えたかっこいい推し”になり、最高」と書いたように、
「攻めの⚫⚫くんだけが好き」「受けの⚫⚫くんしか見たくない」
は確実に存在するのです。
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受けとか攻めとかの呼称を左とか右とかに言い換えても本質は変わらんし……。
どうしたって、確立してしまったBL的な自分の好みがある以上、
「⚫⚫は攻め」「⚫⚫は受け」
の洗礼を逃れることは出来ないし……。
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もう腐ってしまったことを無垢だった己の魂に謝罪しながら生きるしかない……。
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なんかこういう感じ、
みなさんには伝わりますか……?
めんどくさい捉え方すんなって話でもあるのでそろそろ終わります。
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そういうモヤモヤでした。以上です。
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補足
言葉足らずだったのでいちおう補足に来ました。
この記事の受け取り方は人それぞれだと思うので、
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「他の人が」「そのキャラがそう認識されている状況を気持ち悪がるから」「他の人を不快にさせないためにやめたい」んじゃなく、
「わたし自身が」「他人にそういう言葉を使うことに無配慮な自分が気持ち悪いから」「自分の使う言葉に痛みを持つためにやめたい」
という話でした。
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ブコメと増田が””具体例を挙げる”という点で噛み合ってないのは、ブコメを含むネット上での言及が差別になるかどうか……という点で齟齬があるからだと思うよ。
増田は『差別的なブコメは差別だから「弱者男性は具体例を挙げることもできないのか」と言う言及がすでに差別的でしょ、お前らのその反応自体が差別なのに具体例を挙げろって何言ってるの?ぜんぶ指摘しないとわからないの?』という反応に見える。
対して具体例を挙げろと言っているブコメは、セクハラのようにネット上でなくリアルの場、例えば就活生と企業の関係性だと企業訪問でセクハラが起きやすいです……みたいに言ってほしい、と書いているわけです。たぶん自分のネット上の言動は議論しようとしているから差別ではないと思っている。
以上を踏まえて言うと、弱者男性に対する差別が起きやすい典型的な具体例は「ネット上で弱者男性の当事者として発言した人に対して、議論やアドバイスという形を取った差別的なネット上の反応」でしょう。メタ構造みたいでおもしろいね
飛沫感染のリスクというのはコロナが無くなったあとも通常の細菌感染症やインフルエンザでも起こるよね?
そもそも論として音声による伝達は文字の発明によって言語の抽象化を完成させた人類にとってはレガシーツール以外の何物でもない。
文字が存在しない時代は「伝達したい事象をイメージ」→「音声言語化」→「発声」→「認識」というプロセスだったが、今は「伝達したい事象をイメージ」→「文字言語化」→「音声言語変換」→「発声」→「文字言語変換」→「認識」というプロセスを踏んでいる。
プロセスの間に変換工程が挟まることによって齟齬が生じるリスクが発生する。
外国語習得の際に文字だけでなく発音法についても学ぶ必要があり余計なコストがかかる上に、発音法の習得は長い時間外国で暮らしていても身につかずいつまで経っても会話成立において障害となりうる。
これは同じ言語を使っている国や地域であっても、方言としてのイントネーションの違いとして発言する場合もある。
文字言語を開発し、それの安定運用を終えた我々があえてまだ日常的に音声通信の使用を続ける理由はなんだろうか?
歌や演劇といった文化を残したいのなら普通に残せばいいだけで、それが日常的な情報伝達を音声で行うことに固執する理由になるのだろうか?
チャットアプリに慣れ親しめば会話するのと同じ速度で文字は入力できる。
また、通常の会話以上の速度における入力をした場合も、早口で捲し立てるよりかはずっと正確に情報が伝わりやすくなる。
誤変換のリスクがあるという反論を思いつくかも知れないが、それは音声によって伝達する場合においては常時つきまとうものであり、イントネーションによって解決しているという理論は方言の存在によって完全に打ち消されてしまう。
なぜ、21世紀にもなって音声による伝達に固執するのだろうか?
アップデートの時が来ていると考えるべきなのでは?
弱者男性が発する言葉には、一人のキモくて金のないおばさんとしてはその存在をないことにされることの多さに辛いものもある。
ただ、色々な意見を読んだときにわかってきた大きな齟齬は、異性を発情させることが出来ることを価値ある力と捉えるか、背負わされた悲劇と捉えるかで大きく違うということだ。
異性を発情させることが出来るというのを性的魅力と表現するならば、確かにその性的魅力は女にはほぼ備わっているのかもしれない。
キモブスなので恋愛したことも男性からの好意を受けたことも一切ないわたしだが、痴漢や覗きに強姦未遂の性被害にはあっているからだ。
異性から好意を持たれることがない人生で罵倒されることに馴れてる人生で、せめて性被害くらいは自分の人生になければよかったのにってよく思う。ゴミのような扱いの人生が悲しい。
わたしが持ってる性的魅力は、わたしにとっては悲劇でしかないものだった。
ただ、弱者男性の持つ性的魅力は一切無なのだとすれば、彼等にとってはその性的魅力は価値ある力そのもので、もし自分たちがその力を欠片ほど持っていればそれをうまく使って居場所を作れたのではないかと思うのも、彼等の立場になって考えるとわかる気もする。
わたしも、もしも美人だったらどんなに人生が楽だっただろうとよく思った。そして、楽じゃないと語る美人には憎しみに近い思いを抱いたりもした。彼らの視点ではそれと同じなのかもしれない。
この女にほぼ備わっている性的魅力は、それこそ力として存分に発揮して欲しいものを手にする人もいれば、中島みゆきの「ファイト!」の歌詞のように男であればこんな酷い目に合う可能性は格段に下がったのではないかと思う人もいて、そこは複合的に重なってる場合もあり、女の中でも結論が出るものではない。
性欲の発露の男女の不均衡さは男女平等を語るときに一律同じ扱いで語るのはどちらの視点からも乱暴な気がする。これは、きっと神様の設計に問題がある。
わたしたちが救われるにはルッキズムからわたし自身も含めて完全に全員が解き放たれるか、逆に美容整形の外科手術の発展でみんなが手術を受けられるようになりキモくなくなるかのどちらかしかない気がする。
艦これやアイマス、ウマ娘などのコンテンツって料理に例えられないか?と
艦これは素材の成形と史実やちょっとした性格などの塩コショウのような下味をつけて、味付けや調理の仕方を客に委ねるやり方
アイマスは味付けや調理の仕方を客と一緒に試行錯誤しながらやっていくやり方
他にもいろいろあるし、違う表現の仕方もあるが個人的にこう感じた
艦これのやり方はほぼ客主体で動くので運営も苦もなくやれるが、客の制御がしにくいので困ったときぐだぐだになってしまう
アイマスは一蓮托生、いわば共犯関係になるのでみんなで一緒にやっていく感はでるので余程のことが無い限り客はついていく
しかし、運営の方法を間違えたり客の暴走を制御しきれないと空中分解してしまう
ウマ娘はキャラの設定やその周りの齟齬を整えたりなど大変だが、それをうまくやっていればまずくはならない
でも、ある客が違う味付けを広めた時や運営が味付けなどをまるっきり変えた時に暴動が起きる場合があるし、定着してしまった場合既存の一部の客が
他にも、上から順にプレイヤーの顔が上から順に人に近づいていくというのもある
単にそれだけ「強い感情」を向けることに萌えるんだろうと思う。
美味しいものと美味しいものをかけあわせたら美味しくなると思っている人。
現実の料理でそれをやったら悲劇だが(例:キムチ鍋にNYチーズケーキをぶっこむ)
好き×好きがより強く好ましい好きを生むのなら、止める者はいない。
より正確に言うと、自由と言っても線引きはあるのだろう。
ただ、二次創作以外の世界のように比較的認識が共通した境界線がないだけだと思う。
各々で境界線を引いているのだろう。
だからあなたが境界線を引くのとかなり違う場所に引いている人が存在することになる。
よく見かける「自衛」というやつはその結果ではないのか。
世代や属する界隈でもルールは多様なようで、自分は最近別の場所でこの齟齬を目にした。
萌えという言葉が今でも適切なのか知らない、二次創作自体に疑問符を持っていて、
でも二次創作が最近やたらと目に入るようになってちょっと読んじゃってる人間の受け止め方。
これを理解できない、とかいうのは他人の性的嗜好にケチをつけるようなものだ。
「えっ、ムチで叩かれて喜ぶなんて理解できない」みたいな。
二次創作で性犯罪者化させるってことは性的嗜好の発露だろう。その人は「こういう男にこれだけ強く情熱的に求められたい」とか「こういう雄みの強い男に強く求められる責め」が見たい、とかそのぐらいだと思う。