あらゆる文章を一切何もイメージせずに読むという人はいないと思います。
ある程度読書スタイルに依存する面も確かにあるでしょうが、一つの教養として一律に備えさせてもよいものだと思います。
あまりイメージしない人にとっても邪魔になる力ではありませんし、逆によくイメージする人については今までこのような教育がなかったためにイメージ先行の理解をする一方で独善的なイメージを行っていたせいで意思疎通の齟齬が頻発していた可能性があり、このような教育はそうした問題を改善させるでしょう。
そもそもあらゆる教育について、それが必要かどうかなどは将来的にしか分からないことであり、しかも個々人によって異なってくることですから、その理屈ではあらゆる科目は不要ということになってしまいます。
国語辞典やブリタニカのような写真ではなく字が主体の百科事典の動植物あるいは衣服等の説明は分かりづらいものです。 あれはそもそも現物を見たことがあることを前提にしているよ...
文章からイメージを想起するかどうかは個々人の読書スタイルによるので、そうした読み方を前提とした教育はすべきでないよ。
あらゆる文章を一切何もイメージせずに読むという人はいないと思います。 ある程度読書スタイルに依存する面も確かにあるでしょうが、一つの教養として一律に備えさせてもよいもの...
元増田が言うような国語力を体系立てて教えない学校側にも責任があるような。 ㅤㅤㅤ 関連増田 国語は文章が喚起するべきイメージをないがしろにしてはいませんか? https://anond.hatelabo...
読んだ数だけではどうにもならないよ ㅤㅤㅤ 国語は文章が喚起するべきイメージをないがしろにしてはいませんか? https://anond.hatelabo.jp/20210617143141