はてなキーワード: 跋扈とは
数年前に本社と支店のバーター人事に巻き込まれ名阪ではないとある地方都市に赴任し過ごしている。
その中でムカついていることを書いていく。
あえて地名は出さないが、土地柄の話も多いので察しはつくだろう。
なにを置いてもこれである。
ランチやディナーでちょっといい店に行っても、混んでいる時間帯は露骨にホールスタッフの愛想が無くなり、人によっては機嫌が悪い。
逆に店主もほろ酔いで常連と盛り上がってしまい、オーダーしたいこちらに全く気が向いていないような時もある。
車屋に作業の予約を電話しても『今週ならいついつが空いてます"けど"(だいぶ嫌そうに)』のようにおよそ仕事を請ける側とは思えない言葉が平然と出てくる。
イベントなどに参加しても、『今回開催するのにこれだけ苦労したんだ』というのをゲスト側に隠さない、場合によっては全員参加のもと巻き込まれるというのが平然とある。
周りに振り回されることを楽しめる人でないと楽しめない土地柄である。
市街地と郊外の区別がついていないやつも散見され、昼間っから市街地ですり抜けをしようとしてくる。
道を譲ってもサンキューハザードは200%焚かれない。
野生動物は豊かな自然など暢気なことを言っている場合ではなくやつらはすぐ隣にいる脅威である。
なるほどね。まあこれだけ霊感商法が跋扈する時代じゃ仕方ない。
瞑想がどうも科学的にも正しさが立証できるかもしれないということで、呼吸と体内感覚等に集中するというところに注目し、科学的にしていこうというのがマインドフルネス。
と言っても、呼吸と体内感覚等に集中するというのもなかなか外的に客観的に見れないし、まあもともと仏教の知識由来だから「後付で仏教の霊や先祖やら神やらの話をつけて歪める」ことができちゃうから。
まあ、根源的には「脳の疲労をオンデマンドでスキャンする方法」がないからね。それから、「何かにとらわれている(脳の自動操縦)」ということ自体がこれ客観的にどう評価するのだという話。
IT業界のキチガイは他人や社会に一人戦争仕掛けるようなことしても、何回ボコられようが首から下がなくなっても生きている限り俺の勝ちみたいなレベルだけど
健常者たる大多数のエンジニアは職歴にわずかな手傷を負うだけでも取り返すのに数年かかるし下手すりゃ再起不能になるからキチガイ無双なんだよね、だって向こうは普通の社会人なら人生終了クラスで懲役食らうくらいの犯罪犯そうが死なない限りノーダメっていう死ぬまで常時スーパーアーマーのゾンビみたいなもんだもの
ベンチャーの立ち上げとかオウム真理教みたいにたまたま運良く野良エリートが初期段階で入ったら、あんなんでも急成長できてしまう余地があるし、だから成長ある程度してキチガイが締め出されてベンチャーくらいしか選択肢がなくなる
参入障壁下げまくった結果、参入障壁が高いのならばこういうキチガイは取り付く島もないから昭和の先人たちの知恵だったというわけだ
キチガイや犯罪者予備軍みたいな人間にエンカウントしやすいブラック業種というのは必ず共通してる
それは参入障壁が低いことだ
キチガイのまぐれ当たりで撃たれる危険性がある時点で対策のリソースがいる
世界中のIT業界に70年代から今に至るまで産業スパイが跋扈してるが
オタクが正しいとか間違ってるとか、正義とか悪とか、有益とか有害とか、全部的外れ。
それも所謂「ラッキースケベ」に代表される時代遅れの感性が発端となることがとても多い。
仮に、いいニュースと悪いニュースで半々であれば「活気がある」と表現できただろう。
世間も「こいつらいつも炎上してるな」と思っているのではないか?
度重なる炎上がネット論客、祭り好きな人、喧嘩屋、活動家を引き寄せるという負のスパイラルだ。
かつてはオタクという言葉がさながらゴールドラッシュのように未開拓なフロンティアだったから人々は熱中してきたんだ。
今じゃあ夢見る若者にツルハシを売りつけるような山師の跋扈する現状だ。
一目置かれることを夢見るワナビ、声優志望、漫画家志望、自称ゲームクリエイター、アニメーター、地下アイドル、コスプレイヤー。
落ちて割れた卵のように、もう元には戻らない。
もはやオタク活動とやらに価値を見出すような時代じゃないんだ。
イキリオタク、キモオタなどの古い言葉は今となっては現状を表してはいない。
新たにオタクの時代遅れ感を一目瞭然に知らしめるための言葉が必要だ。
時代遅れなオタク、老化したオタク、村社会化するオタク、風習に従うオタク、盲目的なオタク、腐ったオタク、錆びたオタク、情熱を失ったオタク、昭和のオタク、平成のオタク、絶滅寸前のオタク。
やつらは、ナマクラ。
俺はいわゆるロリコンである。それを悪いと思った事は一度も無い(好きなもんは仕方ないしな)が、生きづらくて仕方なかった。
何しろ、思いを遂げたら犯罪である。うっかり「あの子良いね」などと言うと社会的に死である。具体的には、20代までは「小学校高学年以外は女じゃねえ」くらいの感覚で、社会的に完璧にアウトだった。他人との恋バナは全力で避けたし、一応好きって事にするために芸能人の名前と情報を憶えたりするのが苦痛でならなかった(だって全く魅力感じない相手だからな)。
※犯罪に手を染めた事は一度も無い。強姦強制猥褻は言うに及ばず、痴漢も覗きもである。当たり前だ。社会的に即死するんだから。むしろ、そう言う相手の居る場所は全力で避けて、一応取った教員免許も同性しかいない学校以外には就活しなかった。結局全部落ちたけど(氷河期だったのだ)。
まとにかく、望む相手と恋愛も性行為もまず不可能って状況は辛くて仕方なかったのだが、30超えた辺りから楽になってきた。単純に、「小学生以外にも性的魅力を憶えるようになってきた」からである。これは一般的な事らしいのだが、年齢が上がるに従い、ストライクゾーンは広がる。女子高生好きがいつの間にか人妻物を買うようになるってのは解りやすい(自分の年齢に近くなるからね)が、小学生と性交してもみたいか、みたいなアンケートでイエスと答えるのは高年齢の方が高かったりする。要は節操がなくなるわけだ。
で、俺もご多分に漏れず、段々ストライクゾーンは広がり(面白い事に下にはほとんど広がらなかった)、中学生は可愛い!女子高生、行けるな?となって行ってめでたく20を越え、その後は急激に広がって、20代後半までならOK,OK! みたいになった。
勿論、自分との年齢差は中々えげつない事になっているが、もう楽しくて仕方ない。だって、アプローチしても犯罪じゃないのである。婚活では20代に申し込んじゃ振られ、会って話しちゃ振られ、しばらく付き合っちゃ振られして、恋愛経験の壊滅的な無さ(ピークタイムの若い時に恋愛しようがなかったからね)を段々補っている感じだが、「アプローチして振られる」って過程をちゃんと辿れるのは人間として充実している。いや振られると泣きたくなるけど、舞台に立てるだけでもね。
恋愛に時間労力を取られなかったせいか、その後資格取ったりして年収と時間はしっかり確保できてるので、婚活や趣味の集まりで、気に入った相手とあるていど仲良くなる所までは行けるけど、ゴールまで行くのは結構難しい感じ。結婚するだけならマジで年収だけ見て寄ってくる人は居るけど、俺は人生で初めて恋愛を楽しんでるのでそう言うのは遠慮したいし。
それにしても、みんな10代とか20代でこう言う楽しい事をしてたんだなあ、と言う妬ましさは強く感じる。んで、恋愛できるようになっても、「うわ、○○歳離れてる相手に言い寄ってキモ」みたいに思われずに、「政治的に正しい」同級生なんかと振った振られたで楽しんでた・楽しんでるんだなあ、と言う事。自分が魅力を憶える相手がかなりの年下なのはどうしようも無いしそうでなくなりたいとは思わない(同性を好きになりたいとは思わないのと同じだ)けれど、社会的制約ってなんなんだろうな?とは思う。
とにかく何が言いたいかって言うと、人間は結構色々変わるし、100点満点とは行かなくても生きてりゃその内楽しくなる可能性はあるよ、という話である。
はてな辺りだと、小児性愛者死すべし薬漬けにして監禁しろ!みたいなキチガイが跳梁跋扈してるけど(ちなみに、認知行動療法で犯罪行動を抑制する事はともかく、彼等の目指す根治は同性愛の「治療」と同じく失敗不可避だろう)、ヤケ起こして犯罪に走ったりせず生きていこうな。少なくとも俺は、罵詈雑言浴びせてくる相手より立派な人生歩んでる自信があるし、奴らが歯ぎしりするであろう楽しい時間を過ごしてるよ。
あと、昔の俺みたいな奴に向かって言うと、死ぬなよ。その内、「全力で距離取らないと、気持ちが露見しただけで社会的に死ぬ相手」以外を好きになる日が来るかも知れないからさ。考えるだけでおぞましいかも知れないけど(自分が同性に惚れてSEXするのを想像するようなもんだからな。解るよ)、なってみると凄く楽しいからさ。話しかけても通報される心配も無いし、ちゃんと顔を見て「あ、迷惑そうだからやめとこう」とか「ご飯誘ったら行けるかな?」とか、まるで普通の人間と同じようなレベルで悩めるようになるかも知れないからさ。
俺は少なくとも、それで救いになったから。お前さんはそうならないかも知れないけれど、他の救いが訪れる可能性は常にある。俺は今、人生楽しいからさ。
それじゃな。
自分を棚に上げて言うんだが、経験上、他人の気持ちや人格を尊重できて、自分の衝動を抑えて、行動を顧みることができる、そんな奴世の中にほぼいないと思うんだが???
ほぼ居ないはまあ言い過ぎだけど、個人の性格とか育ち(謎)云々が悪いって話じゃなくて、能力的に無理な人がかなり居ると思うんだよな。
書いてあること読み取るだけのセンター現代文ですらロクに解けない奴がゴロゴロしてるのに、不文律とか勘とかいう理不尽極まりない概念が跋扈してる現代のナマの人間のコミュニケーションなんて、多くの人にとって手に負えるわけがない。
その手に負えない舞台の上で、性衝動を抑えながら、自分にはない経験をよく知って、語彙を磨いて厳選して、アンチパターンもある程度学習しておいて、ミスしそうになったら後からフォローもして……ってめっちゃ高度な技術だと思うんだよな。
DSMやIDCに定義された疾患とそのグレーゾーンには「治療が必要」みたいな多少の同情が得られるのに、ことそこから外れた(広義の)コミュ障に関しては「雨と埃だけ食って生きてろ」みたいな言葉が飛んで反発するなってのも無理があると思う。
とはいえセクハラは被害者の人生を壊しまくってる社会悪だから根絶しないといけないし、どうすりゃいいんだろうな。
特に考えがあるわけじゃないから、いつものはてな仕草で「人間には解決できないからテクノロジーの力で~」とか「社会の構造そのものを変えて~」とか「性欲が悪いから早く総去勢と人工子宮を~」とか言って適当に考えてるフリして終わっとくわ。
https://note.com/8284yatsuhashi/n/na77c405cc6f0 (それでもやっぱりオタクはキモい)
https://note.com/8284yatsuhashi/n/n3df4c60f0574 (インターネットはしょせん教室の隅にいる陰キャの集まり)
読んだ。んで、筆者もおそらくオタクだろう。少なくとも「オタクキメー(笑)」とかいう陽キャっぽさは感じない。
根拠は、
これを思い出した。
いま熱心にフェミや左翼の立場からオタクを叩いてるのは実はオタク
この人が「オタクということでいじめられるのをさけるためにオタク批判のためにオタクコンテンツを楽しんでいる」か「粋がっているオタクが嫌いな同族オタクか」はわからんけど。
「あいつらとは違う」と同族を見下し、陰キャグループにもなじめない真のぼっち。
(でも、陰キャグループ内でもこいつと違うんだーって心の中で思ってるのはよくあるか…)
仮面ライダーやアニメのキャプチャか漫画のコマか淫夢語録でしか会話できないクソみたいな馴れ合いしか能がないクソ陰キャが増えた。
下手をすればクソ陰キャどころか陽キャに近くなるんじゃないかなこれ
ぶっちゃけ淫夢語録もアニメキャプチャも身内のバズワード会話。JKの「ぴえん」、古いものではチョベリバチョベリグと一緒。
陽キャのグループでも、身内ではやった何かがワードになって「それ〇〇だわ」というのはよくある。
それで、その身内ワードのノリ(そこから生まれる会話のノリ)を否定したら、当然そのグループとは合わないよね。
当然淫夢語録は世間から大きくずれてるけど、JK語もずれてるからなぁ。
JK語という名前がすべての答えで、JKの間で流行ってるからJK語と呼ばれるわけで、みんなが使っているわけじゃない。そういう意味では世間とずれているといっていいかなと思う。
別に語録を正当化したいわけじゃないけど、どこのグループでも同じような身内バズワードは起きるし、それは世間とはずれるんじゃないかなという追記でした
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なんかあの頃と比べると素人(アマチュア)の中のバケモンが増えてるというか、可視化されるようになってるっつうか、素人と玄人の境目もわかんなくなってきてるな。ゲームでもインディが流行を超えて定着してきたきらいあるしな。
フミコの告白って、今だったらあんなにバズんなかったかもな。まあ今見てもすごくイイけど。パンツはめっちゃ叩かれそう。
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ただ、当時と今じゃ1000RTの価値、違うよな。当時は1000人フォロワーいればアルファツイッタラーなんて言われてたけど、今はそんくらいいくらでもいるもんな。そういやアルファって言わなくなったな。インフルエンサーも、最近聞かなくなってきたような…。
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ニコニコは落ちたね…。せっかく国産の動画共有サイトで、応援はしたかったけどさ。プンレクだのミルダムだのツイッチだの、いろんなオタク向けの動画共有サイトが跋扈してる時代だけど、画質もUIもダントツでクソじゃないか?金が無いのかな。ユーザー減りすぎだよな。まあストリーマー(生主とかうp主)がどんどん離れてYouTubeとか行ってるし、視聴者もそりゃ離れるわな…。
服の質
値段が格段に下がってるからコスパは上がってると思う。30年前にデパートで買ったポロシャツ1万円近くしたよ。
古いものが新しいものに代わっていく、時代とともに世の中が良くなっていく、自分はもう古い側なんだと気づいたときは悲しいよね
40年前のアッパーミドル・ミドルより、今のローワーミドルのほうが生活は充実していると思う
それができないという話だけど
夏の暑さ、地方衰退
これは同意
地元地方の農村だけど、モールやEコマの発達で買い物は便利になっている気もする
同意。欧州主要国は2.0付近あるみたいだけど、日本はいつまで本腰いれないの
今も悪いけど、昔から悪かったろう。
賄賂系は、昔は表に出なかった、問題視されなかっただけじゃないの
同意。キュレーションの跋扈にGoogleの対策が追い付いてない。広告ありとはいえ、まあ無料なので
30年前の日本人に戻りたいですか?と聞かれたらほとんどの人がNoだろう。
子供のころに戻りたいかなら多くがYesだろうが、2020年のおっさんおばさんが、1990年のおっさん、おばさんになりたいか、という問いだ。
とある場末の喫茶店。分煙化の潮流が激しくなる中、そこは地元の喫煙家にとって未だ憩いの場であり続けた。
しかし、にわか雨に嫌われた市長が、その店に緊急避難したことで事態は急変する。コーヒーよりもケムリが優先された空間に市長は眉をひそめた。嫌煙家ほどタバコに暗い情念を抱いてはいない。それでも健全であろうとする身の上が、「何か言っておかなければ」という衝動へ駆り立てた。
そんな市長に対し、店内の空気は冷ややかであった。その店を利用している客たちは普段“わきまえている”者が多く、それぞれ喫煙について一家言ありつつも享受している集まりだ。対して、市長の意見はあまりにも周回遅れだった。ウンザリした客たちは、この場において自分たちの喫煙が正当な権利であると主張することにした。それに加えて、市長の展開する議論が如何に古くさく、偏狭に満ちているかも指摘したのである。
論理武装を整えている数名と、杓子定規な竹輪しか持っていない市長。どちらが煙に巻かれるかは火を見るよりも明らかだった。タバコ一本が吸殻になる間もなく、市長は逃げるように店から出て行った。こうして店内は以前の雰囲気を取り戻したが、所詮これがピュロスの勝利でしかないことを彼らは分かっていた。
それからしばらくして、この町に「禁煙法」が制定された。つまりタバコの全面禁止である。何とも極端な政策だと思うかもしれないが、市長のやることとしては日常茶飯事の範疇である。市長は善良で行動力のある為政者で有名だが、同時に無能で単純な政治屋としても有名だ。
地元の風土も考えず風力発電所を作ったり、「足が不自由な人を抑圧する」として公共での二足歩行を禁じたこともある。そんな市長を椅子に座らせ続けているのは自分たちなのだから、この程度で驚くようでは市民は務まらない(言い訳させてもらうなら、候補の中でこの人が一番マシだったんだよ)。
それに今回の場合、一般人たちの反応は概ね好意的といえた。なにせ自分たちの世代はタバコの有害性について耳たこレベルで教え込まれている。公共での分煙化も推し進められている真っ只中だったので、喫煙というものに社会的な有意性も、政治的な優位性もないと考えるのは自然の摂理といえた。市長のやることを訝しげに思いつつも、ほとんどの人はとりあえず賛成派だった。
一部、ヘビースモーカー達による署名活動やデモ等が小規模に行われることはあったが、せいぜいその程度。かの喫茶店の客たちも、この状況を心静かに受け入れていた。
禁煙法ができてから数週間ほど経つと、なんとも不思議なことが起きていた。タバコを禁止しているにも関らず、なぜか喫煙者は以前よりも増えてしまったのである。理由は色々とあるが、ひとつはタバコの定義について詰めが甘かったのが大きい。
そもそもタバコは植物であり、それを原材料にしたもの全般がタバコといえるのだが、市長はこの辺りの知識が乏しく、一般的に普及している紙巻きだけを禁止したのである。実際は多種多様であり。蚊取り線香のように炊くものや、ガムのように口の中に含む物などがあった。中には舐めたり、吹いたりするものもあるのだが、市長はそのことを知らなかった。
厄介なのは、そのほとんどが普及していた紙巻きタイプより“重い”という点だった。紙巻きタバコの代替として使用し始めた喫煙者たちが、より深刻な依存症を患ってしまったのである。
それから何とか定義し直しても、今度は企業とのイタチごっこが待っていた。再定義されても、その度に企業はわずかな隙間を抜けて新たな“タバコのようなもの”を作り出す。特に煙屋が発明した「臭そうで臭くない少し臭い草」は革新的だった。どうすればこれを禁止に出来るかは、今なお思考実験として人気である。
そして取り締まりの問題もあった。何度も再定義するせいで現場の役員は対応しきれず、時に無用なトラブルに発展することもあった。結局、後手に回り続けるしかなかった市長は痺れを切らし、企業そのものに圧力をかけることで流れを止めたのである。
しかし、この選択は逆効果だった。既に喫煙行為は有名無実化している状態であり、市場に出回らないのなら個々人で賄おうとする動きが活性化したのだ。“タバコっぽいもの”を密かに楽しむ人が増え、時にはそれを売り叩こうとする者までいた。栽培そのものは禁じられていなかったため、取締りが後手に回りやすかったのも大きい。
「第一次タバコ自作ブーム」の到来である。このブームを最も苦々しく思う者たちがいた。政府に圧力をかけられたタバコ企業と、それに属する元組合たちだ。タバコの販売ルートは組合で決まりが存在していたのだが、禁煙法でそれが丸ごとなくなってしまった。それをいいことに私腹を肥やす人間が跋扈しているのだから、元組合の者たちは不満を募らせる。
そこで彼らは一念発起し、対抗すべく新たな組合を結成した。「サクリムケ組合」はこうして誕生したのである。組合は市場に出回る粗悪品を排除し、よく出来たタバコを作っていた者はスカウトして組織を大きくしていった。
当然、サクリムケ組合の統制を快く思わない者も多かった。そういった者達で立ち上げられたのが、悪名高き「シューリンガン互助会」である。こちらは烏合の衆の過激派であり黒い噂が絶えない。サクリムケ組合とはしばしば小競り合いが発生しており、そこに役員が介入した日には収拾がつかないことも珍しくなかった。
この頃になると、非喫煙者の間でも「禁煙法は失敗だったのでは?」という意見が蔓延し始めていた。撤廃されるのは時間の問題といえた。いま思うと、あの喫茶店の客たちが妙に冷静だったのは、いずれこうなることを予期していたからなのだろう。
そして某日、いよいよその時はやってきた。サクリムケ組合とシューリンガン互助会による大規模な抗争である。嫌煙家に「副流煙と中年ヘビースモーカーの方がマシ」とまで言わしめた激しい争いだった。禁煙法によって生まれた組織を解体させるには、禁煙法を失くすしかなかった。
これが禁煙法による大まかな歴史だ。喫煙問題が取り沙汰される度に、この出来事を挙げる人間は多い。その対象が如何に有害であっても、権利そのものを奪えば支障が発生する。その典型的な事例である、と。
だが、この出来事には裏事情がある。禁煙法を撤廃する代わりに、タバコの税率が大幅に上げられたのだ。そして、これは政府にとって予定調和だった。というより、タバコの税率を上げることこそ本命だったらしい。市長は人々の健康を願って「禁煙法」を提案していたが、政府の思惑はもっと別のところにあった。
税金を何とか工面したい、市民にもっと納めて欲しい状況。だが、税金には大義名分が必要だ。喜んで負担するとまではいかずとも、「仕方ない」と思える程度の理由がいる。かといって、あまり踏み込んだ話をすると国民は警戒してしまう。注意を逸らしつつ、実際に論じるべき問題から遠ざける必要があった。その条件を満たすのに、タバコは丁度よかったのである。
だからといって皆にスパスパ吸われても、それはそれで困る。不健康になって医療費が嵩んでしまっては本末転倒だからだ。タバコによって不健康な人間を増やさず、その上でタバコで儲ける。このパラドックスを成立させるには、タバコに対する問題意識を国民にしっかりと持ってもらう必要があった。義務教育でしつこく教わるのも、分煙化の潮流もその一環だろう。
それらを踏まえると、「禁煙法」なんていう突拍子もない政策が通ったのも納得がいく。本当の目的は、喫煙に関する問題意識の植え付けと、税金徴収の大義名分を手に入れるための物語作りにあったのである。喫茶店の客は、後にそう語っていた。
俺は中坊の頃からポルノ小説を読んでいて好きな作家は結城彩雨とジャック=ケッチャムでどのジャンルでも徹底的に露悪的なものを求めていた。
悪が跳梁跋扈し無垢なるものが破壊されていく様を眺めては歓喜雀躍していた。
嫌いなものは恋愛と勧善懲悪、特にスパロボみたいな絆(笑)の力で鬱フラグが折れるようなやつ。
しかしゲームオブスローンズの拷問シーンを見て以来、好物がまったく喉を通らなくなった。
それもまったく落ち度のない人物が理不尽な目に合わされているものが大好きだったのに。
かといって今更スパロボ的な価値観を受け入れることはできない。
これから何を消費して生きていけばいいんだ。