はてなキーワード: 賄賂とは
何なんだよ日本。
昨日見事に陽性反応出たわ。
会食して旅行して経済回して税金納めてやるって言ってるのに日本は何が不満なんだ?
陽性反応出たのはいいけど希望通りに入院・ホテル療養になるのほぼ無理だからwって言っててGOTOするやつなんかいねーよ。
罰則規定作ってもいいし給付金配らないとかどうでもいいから医療崩壊させるなよ。
コロナ対策やってますアピールだけで何兆円無駄に使ってんだよ。
どうすんだよ会社やめなくちゃならねーだろ。
ふざけんな日本。
医療崩壊も止められないし給付金はもう払わないけど感染拡大抑えたいんだよねーってそんなムシのいい話あるかよボケ。
金あれば引きこもるってやつがゴマンといるんだから取り敢えず給付金配れよ。
人であることで無条件に前面的な善として肯定されてしまう今のプリキュアは、人の心のなかにある善を育てることを阻害すると思う。
生きていることや存在することは善として扱ってもいいが、あらゆる営みが善として扱われるべきじゃない。
ましてや、自分たちにとっての住みやすさを絶対的な善として、それに敵対するものは無条件の悪として排除するのは非常に危険な描写だ。
あの世界は「人間がやっているから」を正しさの論拠とするような描写が多すぎる。
人間だって悪いことはするし、人間と違う生き物だってそれぞれの正義があるということを教えるべきだ。
悪と決めつけた相手だから話し合いもすっ飛ばして殴り殺すことを善とするようでは、アンパンマンにだって劣るというもの。
勘違いされがちだが、アンパンマンは「相手がバイキンマンだから」で殴りかかったことは一度としてない。
相手の行動に対して善悪を見定め、時にはバイキンマンが正しいことをしていたらちゃんと見抜いてる。
あのプリキュアにはそれがない。
彼らにとって、地球を蝕む病原体と決めつけた相手は絶対悪であり、それの死滅こそが正義となっている。
これでは鬼畜米英皆殺しを謳ったプロパガンダ映画と何も変わらない。
こんな番組をいくら見せても、人の心の中にある善が本当に目覚めることはないだろう。
対して、モルカーは素晴らしい。
人であること、モルカーであること、そういった単なる属性がそれぞれの善悪など全く保証しない。
それでも、正しくあろうとする心は輝き続ける。
モルカーを見て育った子はきっといい子に育つ。
ドコモ社長がキャリアメール切り捨てプランを自慢げに語り、それをキチガイのようにauのプランをこき下ろす武田総務大臣が問題にしないってホント何なのか。ドコモから裏献金や賄賂もらってるんじゃね
キャリアメールを継続したいのは老人ではなく携帯からずっと同じキャリア使ってきたアラフォー、アラフィフの壮年層だろ
知人との連絡先には使わなくなっても20年30年の間にキャリアメールでいろんなネットサービスに登録してきてるんだから、それらメアドを一括で変換できるわけでもなく簡単に切り捨てられん
今でも楽天銀行なんか連絡メールアドレスにgmail等のフリーメールは推奨してない(キャリアメール無しの人は何使ってる?)
キャリアメールをつけなかったら結局キャリアメールがほしい既存ユーザーは動かない。その人らが払う高い料金を使って低価格を維持するってことになって今までの不公平と変わらん
ドコモもauもソフバンも実質サブブランドの偽キャリアプランを作るのではなくキャリアメールのオプションありの低価格プランを作れ
賄賂は受け取らないってだけじゃ済まないんだよ。
賄賂を渡してくるような道徳もない連中の賄賂を拒絶するということは、目的のためなら手段を選ばない連中を敵に回すのと同じことなのさ。
そういう連中を敵に回すとスキャンダルをでっち上げられて失職に追い込まれたり、
なにをするにも妨害工作を仕掛けられたり、分断工作によって孤立することになったりもする。
それに対抗するには組織的な工作をひねり潰せるだけの強力な組織とそれを掌握するだけの権力が必要となる。
なので、そこまでの権力をもっていないやつは面倒事を避けるために賄賂を受け取ってしまう。
よくあるだろ?賄賂を受け取ってたけどまったく手を付けずにしまい込んでいたとか、竹林で何百万円以上入ったバッグが見つかるとか。
金自体は必要なくても受け取らないという選択肢がない場合、脱税を疑われたときのリスクを回避するためにいっそ捨ててしまったりするのさ。
より偉い人によりたくさん賄賂渡せばいいのよ
と、DeepL翻訳を駆使して書いてみた。
その辺りはご愛嬌って事で。
なお、元増田は観に行ってません。
---
これから書く文章はキングコング西野の絵本を劇場アニメ化した「えんとつ町のプペル」の感想である。
なお、私はこの映画を見てないし例え賄賂を貰っても観に行く事はないだろう。
つまり、これは私の想像に基づく感想文です。正確かもしれないし、正確でないかもしれない。
しかし、私は気にしない。これは語り継がれるべき物語だ。そして、それは全体として語られるに値する。では、始めましょう!
大前提として、キングコング西野がお笑い芸人を気取った炎上インフルエンサーであることに注目する必要がある。これは彼の作品に共通するテーマのようです。
これについては、「なぜ?これは、意志の弱い者のための松葉杖としての皮肉な現代の風潮に対する、ある種の皮肉なコメントなのだろうか?彼は本当にこのように気取っていたのだろうか?彼はそんなに面白かったのだろうか?(No.) 彼は刑期を終えて釈放されたヤンコ・ウルラの次の笑い中心のコメディアンになろうとしていたのだろうか? いやいや...
私はどこにいたんだろう?
どうやら「ペプル」なる少年を主軸としたジュブナイルファンタジーらしいのだが、私は原作を読んでないのでその様に類推した。が、もしかすると蒸気機関の様な何かが出て来るので、スチームパンク…もしくはそれに類する何かが出てくるのだろう。
重要なのは子供向けに作られたものだということだから、それはどうでもいいことだと思う。
私は子供向けの映画に文句を言う人ではありませんが(というか、誰がそうなのか!)、これは退屈しました。登場人物はすべて一次元的で、予測可能で、それらのどれもが歌うことができませんでした。
曰く「キングコング西野の影がチラついて鑑賞の妨げになる」と。
これは当然だと思います。
前述の通りキングコング西野は「炎上インフルエンサー」です。自身を執拗にアピールすることなぞ当たり前にやってのけます。それが彼の特技だからです。
「炎上インフルエンサー」は全員悪目立ちしないとお金が稼げない成年被後見人以下のクソ野郎なので、そこは笑って忖度してあげましょう。
しかし、この場合はキングコングが正解かもしれない。そう、この映画はひどい。でも、人が見に行かなければ世界が良くなるとは思えない。
最後に。
極端に聞こえるかもしれませんが この世の「炎上インフルエンサー」が 一人残らず絶滅することを心から願っています 数が多すぎるからね。
それは一般的に世界のために、これらの人々が死ぬべきであり、私は彼らが死ぬべきであると私たちの種族のために、特にそれがより良いと思います。
なぜですか?
もちろん、職業選択の自由はあるので一概には言えませんが、過激な言葉で注目を集める人が突然死しても何ら問題はないと断言します(YouTubeでも似たような行動をしています)。
彼らが絶滅してくれれば世の中が良くなると思う。彼らの才能で稼げなくなっても、いずれは消滅するだろうし、それはそれで良いことだと思います。
終わり。
---
(おまけ。英語版)
What I am about to write is my impressions of "Pupel of Entotsumachi," an animated film based on King Kong Nishino's picture book.
I haven't seen this movie, and I wouldn't go see it even if I were bribed to do so.
In other words, this is an opinion piece based on my imagination. It may or may not be accurate.
But I don't care. This is a story that needs telling. And it deserves to be told in its entirety. So let's get started!
As a basic premise, it is necessary to note that King Kong Nishino is a flaming influencer pretending to be a comedian. This appears to be a common theme among his work.
I have no real questions about this except why? Is this some sort of ironic commentary on the modern tendency towards irony as a crutch for the weak-willed? Was he really this pretentious? Was he even that funny? (No.) Was he trying to be the next laugh centered comedian Yanko Urla released after his prison term? (No.)
Where was I?
Now, let's talk about the important part of the story.
It seems to be a juvenile fantasy about a boy named "Pepuru", but since I haven't read the original, I guessed it that way. I haven't read the original, so I'm guessing that's what it's about, but maybe it's steampunk or something similar, since there's something like a steam engine in it. I suppose it doesn't really matter, since the point is, this thing was made for children.
Now, I'm not one to grumble at a child's movie (I mean, who is?!) but this one just bored me. The characters were all one-dimensional, the predictable, and none of them COULD sing.
In fact, I knew the reputation of this movie beforehand.
I was told that "the shadow of King Kong Nishino flickers in the background and interferes with the viewing.
As I mentioned above, King Kong Nishino is a "flame influencer". It's no surprise that he appeals himself relentlessly. That's because it's his specialty.
All "flame influencers" are wards of the law or worse who need to stand out to make money, so let's just laugh at them and let them be disciplined.
In this case, however, King Kong might be in the right. Yes, this movie is terrible. But I'm not convinced the world would be a better place if people didn't go to see it.
Finally.
I know this may sound extreme, but I sincerely hope that every single "flaming influencer" in this world will die out. There are too many of them.
It is better for the world in general, that these people should die out, and I think it is better for our kind specifically, that they should die out.
Why?
Of course, there is freedom of choice, so it is difficult to say for sure, but I assure you that there is nothing wrong with the sudden death of those who attract attention with their radical words (or similar actions on YouTube).
I think the world would be a better place if they were to just go extinct. If they are unable to make money with their talents, they will eventually disappear, and that's good for all of us.
自民党に投票せず民主党に投票する⇨鳩山政権続投⇨国民は舐められ無事死亡
共産党に投票⇨中国共産党の傀儡に⇨日本が第二のウイグルになって無事死亡
国家転覆⇨武力により国家転覆を行った者たちによる支配により無事死亡
アメリカに日本を売る⇨アメリカに舐められきって搾取⇨無事死亡
政府のクソムーブは無視して個々人で対処⇨国民の半分はIQが2桁しかない⇨馬鹿のクソムーブで無事死亡
ロビイ活動を積極的に行い政府をまともな方向に誘導⇨賄賂合戦になって安倍のお友達グループが潤うだけで無事死亡
悪い奴だけを選んで暗殺⇨悪い奴ほど守りが硬いので暗殺不可⇨無事死亡
圧倒的な経済成長⇨政府のクソムーブでも好調に⇨どっちにしろGotoコロナで無事死亡
圧倒的な科学的成長⇨コロナワクチン完成⇨となろうにも国や企業が科学を軽視してるので資金人材不足で無事死亡
諦める⇨無事死亡
製品名を出さないとはいえ、あんな露骨に商品紹介を賄賂で依頼されやすい仕組みを作るなら、売却すべきはNHK総合なのでは?
EテレというかNHK教育は、基本的に儲からない内容も多いように思うし、資本主義に問題がないわけでもなく、資本主義と教育が完全合体はあってはならないと思う。
流石のアメリカでもそれは微妙というか、まあセサミストリートのレベルでもなんと言っていいか分からんこともあるけど、
でも、エルモやビッグバードが突然商品紹介をし始めるとかありえないわけで、
番組内で深夜通販さながらのトークをセサミストリートのキャラクターがし始めたら、自分も最初はウケるだろうけど内心ドン引きである。
製品名出さなくてもググれば分かるわけだし、意図的に製品紹介を依頼されてたような話も昔出てたような気もするので、ああいうのやめてほしい気がするのだけど。
というか、NHKのああいうのってBBCやABCにあるのかなあ。
NHKは異常に民法っぽくなり始めた時期が子供ながらあったように記憶しているのだけど、誰の差し金なんですかねぇ。
産経新聞というのは元々は名前通り投資家などに向けた経済新聞だったのに低俗なものになってしまったから日経みたいな新聞の元に戻したいとか、
ブルームバーグとかロイターとか投資家向けの情報で嘘を書くことは難しい、フェイクニュースを書くと読者に損害が出てしまうとか言ってた気がするけど、
ほんと、ホリエモンは人としては嫌いなのだけど、あれに関しては完全同意しかない。
お金儲けになり、かつフェイクニュースを防げるというのは願ったり叶ったりで、
まあ、これはこれでお金を払わなければ真実に近い情報が得られなくなる危険性もなくはないわけだけど、そこは大資本というか、
サービスとして一般的な情報、緊急性の高い情報は無償で公開することは可能だし、
すべてを有償記事にすると無償記事という広告がなくなるわけで、それはそれで報道する側も儲からなくなるだろう。
もちろん、ホリエモンの言ってたことには裏があるだろうし、テレビとネットの融合だのシナジー効果だの想定内だのあった気がするけど、
ああいうロジカル、論理的思考力が日本社会では反対されるの何なの?という気がする。
「地頭」というオジサン用語があるけど、調べてみると「学校では習わない論理的思考やコミュニケーション能力のこと」らしいw
しかし、ホリエモンの様に論理的思考をすると日本社会では慣習を重んじるため反対されるのである。
「地頭」が良い人が日本社会ではハブられるのに、「地頭」が大事だとオジサンや老人に言われるのである。矛盾である。
つらい。
フジテレビはホリエモンによる買収を阻止した後は凋落したし、今も凋落しっぱなしなんでないの?
テレビ持ってないので知らんけど。
フジはドラマとか番組制作へのお金を渋るようになって、韓国から権利を買った韓流ドラマばかり流すようになった。
韓流ドラマを流す一方で、ニュースとか報道では嫌韓ネタが目立つようになる。どっちやねん?
だから、番組制作の会社は大手でさえフジテレビを見限って、みんな日テレに移ってしまったままだよねw
日本に原発も売りつけたCIAとの関係も噂されるナベツネである。
彼らを搾取していた企業が先進的な広告を発表し称賛され始めたら、あなたはどう考えるだろうか?
その広告のために莫大な費用が使われている一方で技能実習生の労働環境は劣悪で。
広告の成果でその会社が莫大な利益を得たにも関わらず、技能実習生が搾取され続けていたとしたら?
自社工場を持たないNIKEは、各国の工場に発注して商品の生産を行っている。
1990 年代、ナイキの関連工場において、労働者が虐待を受け搾取されていると訴えがあった。
ナイキはこの訴えを否定。ナイキには不正を許さない行動規範があり、下請け工場にも徹底していると発言。
しかしナイキが発注したベトナムの下請け工場の実情はこんなものだった。
これはベトナムの最低賃金を下回り、法定労働時間も超えていた。また従業員は管理者から暴行や性的嫌がらせも受けていたという。
ホーチミン市での生活は一日2.1ドルほどかかるため、全く足りないのである。チームリーダーこそ月に42ドルを受け取っていたが、これは最低賃金ぎりぎりの額だった。
一方ナイキの説明は、「ベトナムの国営工場の3倍の額を支払っている」といったものだった。
聞き取り調査に回答した35人の従業員全員が90日間で37ドルしか受け取っていなかったと語る。
これにNIKEは「訓練期間賃金だ」と反論したが、訓練期間賃金はベトナムの労働法規によると最長60日間しか適用できないものだった。
また、非現実的なノルマを課され、時間外労働が強制的になされている状況でもあった。トイレ休憩すら難しい。
時間外労働は割増賃金が支払われるはずだが、聞き取り調査で判明した賃金から考えるに、割増賃金は受け取っていなかったとされる。
ベトナムのケースとほぼ同じなので簡略して書く
NIKEの主張→「労働者はNIKEの工場で働いて生活のレベルが上がり、貯金や親に仕送りができるようになった」
またNIKEはインドネシア国軍に賄賂を支払い「いざというとき」のために備えていたという。
高名なアスリートと契約をし、メディアを使って選手がNIKEを使用してるシーンを流していく。靴は飛ぶように売れる。
「世界を変えていく」という強いメッセージを発信して多くの問題に切り込みナイキロゴを映す。NIKEは称賛され、また売れる。
しかし、NIKEが当事者である「労働問題」については、それを強いメッセージで訴えることはしていない。
NIKEの労働問題をメディアで最初に報道したジェフリー・バリンジャーは当時こう語っている。
今の40台位の人々は、バブル絶頂機を小学校高学年から中学生くらいの間に経験し、大学を出た辺りで超絶的な氷河期に入った、という経験をしている。俺もその中の一人だが、日本社会で印象的だったことをなんとなく懐古してみる。そして、今の時代の伏線は30年前にすでにはられていたのだな、というふうに感じた、ということも書いておきたい。
最近パソナの某がどうしたとかそういう企業による国民の搾取が問題になっていると思うんだが、「こうなるための準備は30年かけて着々とされてきた」ということだ。我々の親の代にはすべて始まっていた、と言ってもいいかもしれない。
まず、自分にとって最も印象的だったのは以下の2つだ。
1. 職業選択の自由アハハン
2. バイト探しが週二回
この2つを覚えている人は多いだろう。つまり、「なにか特定の仕事をやるんじゃなくていろんなこと片っ端から好きなようにやっていこうぜ」という社会的な機運づくりだ。たしかどちらもリクルートがやっていたと思う。リクルートは賄賂かなんかで大変なことになったという印象が強いのはこの辺のせいだと思う。
これまでは、一つの会社に新卒から定年まで勤め上げていく、ということが美徳であり、給料も年功序列、会社はアットホームだった。今でいうとどれも警戒されてしまう単語になっているのだが、この頃の会社は本当に一種の共同体として機能していた。バブルでお金に余裕があったからというのもあったとは思うが、この点は本当で、誰一人ここに疑問を持っていた人はいなかったと思う。
会社で運動会をやり、社員旅行があり、ゴルフ大会なんかもあったりと今では信じられないような状況だった。だが、同時に過労死であるとか、24時間働けますかとかの過剰労働が問題視され始めた時期でもある。
まだ、軍国主義の発想も強かった時代で、過労死した社員は2階級特進で部長待遇で退職したことにするみたいな、会社がそれに報いるとか、なんかそんなこともしていた気がする。この頃は俺は小学生だから、テレビで見た印象、ドラマで見たネタなんかも多分に混ざり込んでいるかもしれない。
タクシーなんかも無礼で、乗車拒否の嵐だったとか、彼女がほしかったらなんとかいうアクセサリーのゴールドを渡さないとだめとか、とにかく金、金、金、の社会だった。なんたら言うアクセサリーのシルバーだと女に「だっせ!どっかいけよ!」とか罵倒されていた。
この頃になると、あまりお金を持っていない男性たちはアッシー、メッシーとか言われて単なる移動手段や金づるにされていた。この辺りフェミニストの女性陣はどう思ってるんだろうか。とにかくひどいのだ。ある女性が彼氏とデートするので自分のことを好きらしい別の男性に長時間列に並ばせてチケットを買わせるとかそんなのをドラマでやれて問題視されない程度にはこのへん行き届いていた。
この頃は女子高生がブルセラショップなる店で自分のパンツとか売っていた気がする。この辺から確か援助交際とかに続いていっているのかもしれない。とにかく老若男女ブランド物しか目に入らない、ブランド物が手に入らないことは恥、春を売ってでも手に入れるべき、みたいな価値観は蔓延していた。この辺は今もづついているかもしれない。
新築マンションも棟の単位で10億円とかで売っていたし、ゴルフ会員権とかも何百万円で取引されていた。とにかく金が余って仕方ない、金を使わなくては、という時代だ。
今若者たちが努めている会社にいる50代60代はこういう社会で生きてきた人たちだということは肝に銘じたほうがいいかもしれない。
さて、バブル崩壊だ。バブル崩壊、という言葉自体は自分にはなんの印象もない。当時の経済状況をバブルと言っていた人はテレビには出ていなかったと思う。そもそもガキ過ぎてニュースを見ていなかったというのもあるだろうが。なんにしてもバブルが崩壊した直後に起きたのは「リストラ」だ。
この辺りで自分たちは家族だと言っていた企業が突然社員に牙を向き始めた。
いきなりやってきて「君クビね、さよなら」くらいカジュアルに社員をクビにし始めた。バブルで家を買ってローンもかなり高いものを組んでいた家庭の大黒柱がいきなり収入を断たれる、という状況だったのだが、社会としてそもそもリストラをきちんとルールにしていないので、とにかくやったもんがちだと言わんばかりにどの会社も社員をクビにし始めた。そして代わりに台頭したのが「職業選択の自由を謳歌していた人々」だ。
彼らはとにかく働いた。アルバイトを何個も掛け持ちして月収100万円なんていう人もいた。いつねてるのかはわからないが、バイトがとにかく儲かっていた。彼らは企業に雇われてしまうと自由がない、自由に職業を選べて好きなときに好きなだけ働けて、休みたければ休めばいい、こんな人生最高じゃないですか、というように言っていたが、彼らが今も息しているかはわからない。
バブル崩壊を契機に正規雇用から非正規雇用に企業は主軸を移し始めた。正規雇用はクビにしようとすると大変だが、非正規雇用は単に契約を打ち切れば終わる。正社員への登用をちらつかせることで企業は優位に立つこともできる。多分この辺は今も残っている。制度だけ残して給料は極限まで減らしているということでもありそうだが、移行期間というのは企業もお金を出すので、この頃はバイトは結構儲かった印象が強い。当時の経済状況でも時給800円くらいだったのだから、結構出していたと思う。考えてほしいんだが、携帯電話、インターネッとと言ったものは無いのだ。生活にかかるコストなんかそんなに高くなかったのだ。
同時に問題になったのは銀行の不良債権だ。バブルのときには土地の値段はとにかく上がっていくので、銀行も土地にどんどん融資をした。この辺金融機関としてリスク管理できていなさすぎだと思うんだが、とにかく金を貸した。例えば土地を買うので1億円貸したとする。この1億円はもはや回収できなくなった。なぜなら土地を売っても数千万円にしかならない。日本の不良債権問題は銀行がこの状況を受け入れてしまうとどの銀行も債権が取り返せなくなるのでどんどん倒産してしまう、というところにある。この頃になると俺もある程度ニュースを見たりするようになるので、なんとなくだが覚えている。
返してもらうこともできない、精算してしまった時点で大損確定する債権が大量にある、という状況だ。この辺りはよくわからないんだが、よくある含み益、含み損、と言うやつのことを言っていた。そして、債務者もお金を返せない。債務者は破産していき、債権者はどうしようもない債権ばかりが溜まっていく。そこで何が起きたか、国による救済だ。この不良債権に対して国は税金を注入して銀行を救ってしまった。資本主義の世界であれば、この辺は銀行の自己責任で倒産するのが正解だが、もしそうしたら、日本に銀行は一行も残らなくなってしまう可能性が高い。
銀行は金融庁による介入を受け入れて国は銀行を救済した。とはいえ、いくつかの銀行や証券会社は倒産してしまった。
このときに銀行は「もうこれで銀行は倒産しないことになった」という認識を得たかもしれない。国による救済というのは、ある意味で半分銀行を国営化するようなものだからだ。今後銀行が倒産すれば、国が損を被ることになる。そして熾烈な不良債権処理が開始された。
とにかく債務者から引っ剥がす。貸し剥がしというのが確かそれだ。銀行は自分たちが損したくないのでとにかく徹底的に国民から搾り取った。国民がどうなろうがお構いなしだ。少なくとも日本において債権者と債務者は全く公平ではないということがここに現れる。
ところでなんでこんなにひどいことになったのか、というはなしだ。どの国でもバブルが崩壊することはあるだろうが日本のそれはとにかく深刻だった。国が支配力を強めるためのシナリオでもあったのかと思うくらいにひどい。
おそらく当時の人々は何も考えないで借金して先物取引していたんだろう。借金と先物取引の組み合わせの極悪さは想像すればわかるだろうが、当時の人々はとにかく酔っていた。国はちっとも諌めなかった。
この辺は都市伝説だが、あるときにユダヤ系資本が急に日本から引いてしまったらしい。日本がアメリカの重要なものまで買い取り始めたからかもしれないとかいろいろ言われているが、俺の中にある投資に対する不信感はこの辺にあると思う。「ある時更に力を持つものが食い荒らすだけ食い荒らしていなくなってしまう」ということだ。
さて、このリストラが吹き荒れたことで企業は正規雇用を徹底的にダンシャリして非正規雇用に走った。就職氷河期というが、これは正規雇用を企業がひどく渋ったことによる。使い捨てのバイトがたくさんいたほうが企業としては助かる。だが、国民のメンタリティは社員になってなんぼ、というのが強かった。
更にこの頃になるとITも一般的になり、これまで10人でやった仕事が1人でできるくらいに合理化されていった。もはや人間はそれほど必要ない、という時代に突入したと言ってもいい。コンピュータならぶっ壊れるまで酷使しても違法じゃない。この大きく時代が変わるときにプログラミングが少しでもできた人は大いに特をした。20年後の今は結構苦しんでいるが。周囲が仕事のなさにあえいでいるときに適当な会社で仕事を手に入れることができた。多重請負地獄があるとも知らずに。
時代が変わるときは、大きく得する人と大きく損する人が出てくる。就職氷河期に仕事を見つけられなかった人々の現状はさんさんたる物だ。変な話だが、WORDとEXCELができれば仕事があったのだが、それを受け入れられなかった人(ここには仕事はEXCELカタカタやるもんじゃないという反発する人もいたかもしれない)との間で命運が別れたと言ってもいいかもしれない。
この頃になると、旦那の小遣いなんか0でもいいがそれだと死んでしまうから一日500円くらいは渋々許す(収入の殆どは旦那なのに!)という変な歪みが出てきたように記憶している。お金は子供の習い事や塾、そして、日々家事に忙しい奥様のたまの贅沢に主に使われるようになった。旦那は家に収入の100%を吸い取られるようになった。お金がない旦那似合わせて飲食店も値下げを始めた。ワンコインランチというのを出すようになった。
この辺は鶏と卵の話かもしれないんだが、男性が社会に還元するお金を持てなくなったこととデフレの開始は無関係ではないかもしれない。もうちょっと言うならば、お金の行き先が特定の業務に行くようになってしまい、ほかは旦那の少ない小遣いの獲得合戦になっていったように思える。
そして値下げ合戦が始まる。マクドナルドなんかは何でもかんでも100円とかで出すようになった。アルバイトたちが激務になることはお構いなしだ。値段を下げる、商品もしょぼくなる、デフレスパイラルの開始だ。
デフレスパイラルに入り、企業はお金が手に入らなくなった。手に入らないのだから給料も支払えない。年功序列型の給料をもらっていた中年層が今度は槍玉に挙げられた。日本ではリストラは絶対にできないと言われているが、実はできる。
こうしてみると、今の状況は変な話だがバブル崩壊から始まっていると思う。もっと言うなら明治時代から始まっているかもしれない。パソナの竹中平蔵に対するバッシングが最近すごいが彼の経済学者としての歩みを見ると、1990年くらいから始まっている。彼はおそらくバブル崩壊経済とそれが崩壊することの意味をわかっていたのかもしれない。
小泉内閣から急に出てきたように見えるが、実は小渕内閣の頃にはすでにいろいろやっている
びっくりするくらいブクマされてんのね。
よく調べてかけとか言う人々、嫌だよめんどくせえ。
はっきりいうと自分の記憶と印象だけで書いている文章だから、間違いや事実誤認、正確性の欠如、だらけだろうね。気になるならこの辺の正確な経緯でも書いてみてくれ。
それにしても男たちの挽歌にも登場する三合会は、一度は中国から追い出される対象だった
中国政府は意外と犯罪に厳格なことがあって、それは犯罪組織も国に反旗を翻す可能性の高い組織という考え方があるのだと思われる
しかし、今回の香港のデモでは裏側で政府側から呼び戻され、三合会の組員を反デモに利用しているという噂がある
デモで民主派の運動員の耳を噛み切った人がいるというが、多分中国側の右翼や三合会の組員ではないだろうか
政府は巧みに中国国内の右翼や犯罪組織も、利用できるものは利用するし、不利益になると思えば排除する
違法性の高いオンラインカジノも中国国内ではやっていきづらいため、
オンラインカジノ運営などで儲けるためにカンボジアに渡った中国人犯罪者も多かったが、近年摘発が進んでいるようだ
しかし、カンボジア警察と中国人犯罪者は賄賂で繋がってもいるため、摘発に疑問視する声もある
犯罪者は中国国内のIT系人材を騙してカンボジアに連れ出し、タコ部屋で生活させオンラインカジノの運営や開発を行っていた
カンボジアに中国人犯罪者によって不夜城が形成され、飲食店などのカンボジア住民は売上が増加し歓迎していたが、