人であることで無条件に前面的な善として肯定されてしまう今のプリキュアは、人の心のなかにある善を育てることを阻害すると思う。
生きていることや存在することは善として扱ってもいいが、あらゆる営みが善として扱われるべきじゃない。
ましてや、自分たちにとっての住みやすさを絶対的な善として、それに敵対するものは無条件の悪として排除するのは非常に危険な描写だ。
あの世界は「人間がやっているから」を正しさの論拠とするような描写が多すぎる。
人間だって悪いことはするし、人間と違う生き物だってそれぞれの正義があるということを教えるべきだ。
悪と決めつけた相手だから話し合いもすっ飛ばして殴り殺すことを善とするようでは、アンパンマンにだって劣るというもの。
勘違いされがちだが、アンパンマンは「相手がバイキンマンだから」で殴りかかったことは一度としてない。
相手の行動に対して善悪を見定め、時にはバイキンマンが正しいことをしていたらちゃんと見抜いてる。
あのプリキュアにはそれがない。
彼らにとって、地球を蝕む病原体と決めつけた相手は絶対悪であり、それの死滅こそが正義となっている。
これでは鬼畜米英皆殺しを謳ったプロパガンダ映画と何も変わらない。
こんな番組をいくら見せても、人の心の中にある善が本当に目覚めることはないだろう。
対して、モルカーは素晴らしい。
人であること、モルカーであること、そういった単なる属性がそれぞれの善悪など全く保証しない。
それでも、正しくあろうとする心は輝き続ける。
モルカーを見て育った子はきっといい子に育つ。