はてなキーワード: 苦痛とは
疲労感を抱えた状態でベットに入った直後は強い快感を覚えるが、すぐにそれは取りすぎた睡眠による人生の浪費という不安によって覆される。
睡眠時間が少なすぎれば人生の効率が落ち、かといって多く取れば同じように落ちる。
最適なポイントを求めて悩めば不眠症へと誘い込まれ、気にせずに振り切ればふと振り返った瞬間に向けて過去が蓄積されていく。
生殖行為による心身の消費は強烈であり、強すぎる快感はたとえオナニーでさえ脳のホルモンバランスを急激にかき乱してくる。
逆に長期間快感から遠ざかるとそれもホルモンバランスを自ら破壊する行為となる。
肉体を自分の手で破壊することによってマゾヒズムに浸るだけの行為だ。
過剰な筋トレは心臓を破壊し寿命を縮め、関節を破壊して健康寿命も失わせる。
鏡ごしのナルシズムを求め今日も自分の人生をゴミに変えていく愚かな者達よ、人生を大事にしろ。
寝たほうがマシ。
絶対的に体に良い。
うんこは摂取した食物繊維と腸内バランスにより上限が決まっている。
ただ最低限度以上の食物繊維を摂取して、便意を我慢せずにトイレに行けばいいだけ。
それだけで肉体は健康へと近づく。
それは苦痛からの開放直後に脳内麻薬のお釣りを味わえるというだけでなく、肉体を浄化したという事実に対して本能が報酬系を刺激するからだ。
やがてうんこについての正しい知識が積み上がると今度は脳に宿る知性も正しい便通によってもたらされる効能を想像し報酬系へと電流が流れるようになる。
記憶がある限りもっとも古い記憶は幼稚園まで遡る。幼稚園から苦手だったので、きっとこれは持って生まれた性質だろう。
バブル経済が崩壊するかしないかぐらいの頃に生まれ、幼稚園児の頃から『ヨッシーのクッキー』で製菓業を営み、日々の『おかあさんといっしょ』と『カクレンジャー』を生き甲斐としてきたものの運動が苦手だった幼稚園の頃の自分は、その頃から体操教室やら何やらに通わされていた。
理由としては幼稚園に入って早速いじめに遭って陰キャ+ADHD+オタク君の片鱗を見せていたこともあるが、一番の要因は小学校受験を見据えていたことだ。
小学校受験では学校によっては体操もあるからだろうか、幼稚園の頃からマット運動や鉄棒や跳び箱やらをやらされていたし、小学校に上がってからは従来の体操教室に併せ更にスイミングスクール、高学年になれば更にアイスホッケー、日曜日になればいつも父親にキャッチボールに誘われ、近所の校庭開放されている区立の小学校へしぶしぶついていき、キャッチボールさせられていた。
とにかく、親は、とにかく子供の将来を願い、その家の経済的、立地的な『太さ』を100%活かして子供への投資を惜しまない親だった。
しかしながら、運動が苦手だった自分がそこに通うことでできなかったことができるようになるかというとそう甘くはいかず、マットは前転後転が精一杯、三点倒立だのブリッジだの側転だのは全くできなかった。多分今もできないと思う。走り回ればあらゆるところで頭をぶつけ尻もちをつき、跳び箱はもはや何段飛べたかなんて覚えていないが、とにかくある程度高さが出てくるとジャンプ板から思いっきり頭をぶつけていた覚えしか無い。
まともに運動ができないどころか、口を開けばトンチンカンなことしか喋らず、他の子と違うことをしだしたり、体育館の隅っこに居た蟻を眺めてたり、当時からすでに「悪目立ち」してADHDの片鱗を見せていた。
そういう感じに「恥」となるようなことがあると、別室で見守っていた母親は帰りの車で常に自分を「みっともない」と怒っていたので、とにかくこの体操教室が苦痛でしかなかった。自分にとっては怒られに行くようなものだった。
毎回後半になると、3,4人ぐらいで横並びでスタートし、体育館の中で走ってマットで前転したり側転したりした後に跳び箱を飛んだり、平均台を渡ったりしてゴールを目指す実践パートのようなものがあった。要は競争である。
大抵、最下位の子は跳び箱やら平均台やらで詰まっている間に大差をつけられて取り残されているのだが、この時先生が主導して全員で応援する。
「頑張れチャチャチャっ!頑張れチャチャチャっ!頑張れチャチャチャっ!」という掛け声と拍手をするのだ。
これは先生側は全くそのような意図はしていなかっただろうが、自分にとってはこれが本当に苦痛だった。
この応援、常に
「お前は劣っている、劣っているから最下位だ」と言われているように聞こえたのだ。
それ故に、途中で泣き出してそのままリタイアすることもあった。周りは不思議に思っていた。(もちろん、それも悪目立ちして怒られた)
「お前は劣っている」という呪いをかけられていた自分は、将来あらゆることを諦めるようになった。
幼稚園や後の小学校では「どうせ取れない」とサッカーボールやドッジボールを奪いに行く姿勢を一切見せなかったし、クラスから浮きたくないから無理やり参加している感が強かった。(とっくに浮いてたけど)
体操教室に対しても熱心に取り組もうとする姿勢は見えてこなくなり、できない中でも比較的マシだった水泳もそんな感じになた。小学校高学年のときにやってたアイスホッケーは最初こそ好奇心で真剣にやっていたが、練習試合になると「どうせパックの奪い合いにに勝てない」と考え、試合を放棄してゴール裏で氷を引っ掻いて雪集めに興じるようになった。
当然、莫大な投資をしてきた親からしてみれば激怒し、失望するのは当然で、あらゆる習い事は終了し、中学受験を見据えたサピックスのみになった。
サピックスでは毎回算数の授業の頭で10分間のテストをするが、全く無気力で白紙で提出、常に0点だった。
両親はそういった無気力さに対して親としての無力さを大いに嘆きながら、いつからか「みっともない」は「お金をドブに捨てた」という言葉に変わっていった。
そういうわけで、幼稚園で常にかけっこすれば最下位、体操教室でも最下位、小中高で運動会やら体育祭やらで短距離走を走っても最下位、マラソンで流石に最下位はなかったが後ろから数えて何番目だった自分は、常にその後も「最下位」という劣等感がついてまわってしまい、競争に参加することができなくなってしまった。
「自分はトップにはなれない、真ん中にもなれない。最下位であることを常に運命づけられている」と潜在的に意識に刷り込まれてしまった自分は、幼少期から今に至るまであらゆることを途中で投げ出すようになってしまった。大学は「卒業しないと死ぬ」と危機感を持っていたので、大学を出るだけはできたが。
同時に、莫大な投資をしてきた結果今の自分が出来上がってしまったことに対して、毎日のように両親に対して申し訳無さを感じる。若干リソースのかけかたを間違えていたんじゃないだろうかと思ってはいるし、自分が幼稚園児や小学生だったら「親が悪い」と言えばなんとかなるが、流石に30近い今になって親のせいにするのはあまりに情けなさすぎる。
eスポーツ、楽しそうじゃん。そう思って気軽に買って始めてみたものの、当然不慣れ故にネット対戦で最下位。
徐々に、幼少期の記憶が掘り起こされてきて、ゲームが苦痛になってきてしまった。
そうだった、自分は人と争って勝てたことがないから、人と争うゲームが本当に苦痛だったんだった。
FPSでもレースゲームでも、自分が最下位で大幅に負けていると、脳内で「頑張れチャチャチャっ!頑張れチャチャチャっ!」がフラッシュバックし、それに「お前は劣っている」と同時通訳されて耳に入ってくる。
ああ、そうか。勝つための努力が必要だし、必ずしもそれでも勝てないのはわかっている、だがその勝つための努力が自分の経験則上時間をかける効果が見込めないので、勝つための努力をする気が起きないんだった。
大した努力をせずに勝てる最弱設定のCPUをこちらのルールで一方的にボコボコにすることでしか楽しめないんだった。
そう考えながら、幼稚園児の頃の記憶を思い返しながら、自分は今日も試合を初っ端でリタイアした。
オンリーワンではなくナンバーワンになりたい。二番手や隙間産業ではなく、競り勝って一番になりたい。
何かの分野でナンバーワンになることはできるんだろうか。
実際は最下位ではないことは多いが、それより何かで一番を取りたい。ゲームでも、仕事でも、なんでもいい。でもその努力が苦痛だ。もう頑張れない。
30代まではまだ若者のつもりで、老害になりたくなくて若者文化に食らい付こうと頑張っていた。実際ある程度できていた。
しかし40代ぐらいから違和感を感じ始め、50近くなるともうこれはギブアップって感じになってきた。若者文化がダサく劣化したものに見えるようになってしまったから。
心の底で「ダサイ」と感じるものに迎合していくというのは結構な心理的苦痛を伴う。強行しても幸福になれないし、自分のQOLを考えると諦めるのが合理的と判断せざるを得ない。
こうして俺はかつて忌み嫌っていた老害になった。若者からはダサイおっさんに見えることだろう。しかしこちらからは若者がダサく見えるってのは、歳取らないとわからないことだった。
やっぱり生理ではないと思うんだよな。
酷い人は性欲の苦痛から逃れるために、それまで何十年もコツコツと努力して得た地位を台無しにするようなことをしたり、明らかに違法な行為をしたり、正常時には絶対にしないような相手の気持ちを無視した加害行為をしたりっていう。
たぶん、これに近いのは男女関係なく何かの依存症で、人によってはアルコール依存から薬物依存くらいの深刻さなんだと思う。
女性のアルコール依存や薬物依存患者を想像してみてほしい。それも悪い奴に騙されて知らずに依存にされた被害者を。
ずっと真面目に生きてきて、何かの誘惑に負けたわけでもなく自堕落な生活をしたわけでもないのに、生まれついての依存症を抱えて生きていかないといけない苦痛。それが男性の性欲。
バカも救われた方がいいのは確か
バカだから救われないのではなく、自らの意思で破滅へ突き進んでいるから救いようがないっていうふうに、考えたほうがいいと思う
まあ一度は救いの機会を提供しましたよっていうアリバイ作りのために一声かけてもいいだろうけど、誰も聞く耳はもたないだろうし、まともな反応は期待しないほうがいい
少なくとも彼らはあなたに救いを求めてないし、救いの押し売りがうざいのはバカだって一緒
他人を救えるなんてのは思い上がりで、人間誰しも自分を救えるのは自分自身だけって感じ
バカは救いようが無いけど、放置していいわけじゃない。バカを救うのはとても難しいけど、それは戦争なくせないから戦争しまくろうってのと同じ理屈で、なくせないから無視していいわけじゃない
バカを見たら一声だけでもかけて、1%でも我に返るバカがいたらいいのではないでしょうか
私はバカに関わり合うのは精神的に苦痛を伴うので、絶対にバカと絡みたくないのでやりませんけど、余裕がある人は軽くバカに声をかけてやってください
そういう店にたまたま足を運んで無いだけやろ
焼き鳥だとどんなに美味しくても高級店でない限り取れる値段が知れてるから
ボトル入れてもらう
ワイは焼き鳥が食べたいのであって話したくは無いんですがそれはって思ったわ
やりたいことリストを書くために紙を取り出しても、書きたい項目が何もない。本当に一つもない。
趣味もない。
強いて言うならゲームとか、動画視聴とかになるだろうが、それすら暇をつぶすために無理やりやっているようなものになってしまった。
新しいものに出会った時の楽しさ・ワクワクなどもう感じることはない。
世の中には既視感あるものにあふれていて、すっかり鈍色になってしまった。
精神科で鬱病と診断されて投薬やカウンセリングを受けたこともある。
何の効果もない。
そもそも病巣は私を取り巻くこの閉塞した世の中にあるじゃないのか?
日本の平均年収を考えれば恵まれている方なのかもしれない。だがそんなことを考えても無意味だ。
途上国より日本に生まれたほうが恵まれているとか言われても、全く幸せにはならないだろう。
そもそも日本に生まれたことは恵まれていたんだろうか、とも考える。
日本はいろんなものが整いすぎていて、自分が必死に努力などしなくても生きて行けてしまう。
使命も役割もないモブキャラとして生きている。自分が何者か、社会からは役割を与えられない。
明日を生きれるかもわからない紛争地帯に生まれていれば、今より確実に不幸だろうが、今より確実に充実した生を生きれたのではないか?
歴史ドキュメンタリーなんかを見て、中世や戦後直後を生きていた人たちに憧れたりする。当時はもっと生きるということがシンプルだったのではないかと。
みんな何を考えて生きてるんだろうか。何を動機にして生きているんだろうか。
建前ではなく心から、その動機のために明日を生きると言えるのだろうか。
なんとなく生きているのだろうか。死ぬのが面倒で苦痛だから、しょうがなく明日を生きているのだろうか。
私と同じようなことを考えながら生きているのだろうか。
もう疲弊して摩耗した。
私には動機がない。
もう覚えていない。
まともな人間は語る場所を選ぶというのが理解できないのは知能の問題と言わざるを得ない
かまって欲しいが故に盛大に盛ったり辻褄合わないこと書いたりするけど
例えばこの増田 ↓
子どもの着飾りや性への関心に干渉する病気な母親が多いが(より深刻なのは乳幼児の性器の写真集作ろうとしたり)
『凄いスピードで大人の男性になっていく』息子が親は嬉しくて、
同時にいつも少し寂しくて涙が出そうだから、冗談めかして誤魔化してるのですよ。
もしお母さんもそうなら、それでも貴方が感じるものは苦痛ですか?
「色気付いてる」の向こうにあるものを知ったら、傷だと思ってたものは瞬く間に癒えて、違う暖かいものになるのではないでしょうか?
とか書いてる増田いたが同様のことをネタじゃなく言ってる基地外はいくらでもネットで観測出来るぞ
あんまり言いたくないけど、普通じゃないのに普通の人生歩もうとすることそのものが苦痛でしかないのだから
以前バズった半グレの中に入って人間らしさを取り戻した増田みたいな普通の枠から外れた生き方の方が幸せになれるんじゃないかなぁってそういう増田見てて思う
そういう意味では、その人生や仕事が犯罪稼業だとかそれスレスレだったとしたってそれで飯が食えて才能が発揮できて異性と付き合えて子供設けて、家族を作れるのであれば、
別にここでそういう増田が人権がないレベルで叩かれるようなことはないと思うのよ
どっちみち他害的なうんこ製造機として増田で狂った統失妄想固定させて社会保障のゴミになるよりいいんじゃねえのかなあ
社会厚生的に
「普通」になりたくて
駄目だった
けど「これだけ頑張ってもダメなら普通は諦めた方がいい」ってなったからしゃーなきでござる
まあそもそも外交的でマルチタスクのできる健常者に産まれてくればこんな生き恥泥沼回り道、コース退場なんてせず苦痛少なくスムーズに日々を過ごせるんだろうからうわ結局いつもここにたどり着いてしまう
この文章を書いている今、かつてなく自殺企図の情動が高まっており、それでもなおそれを完遂することへの恐れから、今なるべく頭の中を冷静にして考えたことを書き留めておこうと思い、手を動かしている。
自殺未遂自体は、10年近く前にやったことがある。部屋に一人の状態でベルトで己の首をゆっくり絞めていき、「落ちる」ところまで行ければあとは死ねると思っていたが、結局自分でリミッターを外すことはできなかった。あとは、家にある薬状のものをとにかく全部飲むというのもやったが、たくさん飲めば死ねるような薬はなく、薬効どうしの食い合わせで運よく死ねるということもなかった。私は所詮その程度ですが、こんなのマウントを取り合いをするものではないと思う。
処方された薬は自分の判断で勝手に飲むのを止めてしまったが、少なくとも今日までは自殺することなく生きてこられた。自殺チャレンジばかりを考える日々から脱却できたきっかけははっきりとは分からない。グラデーションに近いものだと思う。そしてそのグラデーションは真っ白な状態に戻ることは決して無いだろうと感じる。初めて本当に死にたいと考えた日から今日までずっと死のことを意識してきた。下手な例えだけど、シャッフルされた山札から1枚ずつドローしていくうちに「死」を引いてしまったのが10年前で、それ以来ずっと手札に「死」を持っている感じに近い。手札に「死」を持っている状態に慣れていったことで、逆説的に今日までそのカードを使うことなくやってこれたような気がする。
少し話は変わるが、私は私が「自殺したい」と考えていることを他人に表明することをひどく恥ずかしく感じる。そのことを他人に話してしまえば、それは暗に「止めてほしい」ということを意味し、結局のところ本気で死ぬ気はないのだと始めから自己矛盾が露呈してしまうからだ。したがって、本当に死にたいと思うときに私は沈黙するしかない。実際この文章を書くまではそうしてきた。
なるべくキーを打つ手を止めないようにするため、文章の構成を考慮せず思うままに書くことにするが、ご容赦いただきたい。
「自殺をしてはいけない理由とは一体なにか?(あるのか?)」という倫理的・哲学的問いがある。よく答えとして挙がるのは
①生きていればまだ良いこともあるから
といったところだと思う(「自殺するには苦痛を伴う」というのは積極的に自殺を選ばない理由ではあるが、自殺をしてはいけない理由ではない)。
私はこれらのいずれも失当だと思う。
①生きていれば良いこともある
下らないことを言わないでほしいと私は思う。そりゃ良いことも悪いこともあるだろう。でも結局人生における良いことと悪いことの総量を比べることはできないし、最後には誰もが死ぬのである。なぜそれが今ではいけないのか。人生における最後の幸福を味わったら後は死んでもいいのだろうか。少なくとも、死にたい気持ちを自覚し、それを何度もやり過ごして生きてきた人間にとって、残りの人生は死にたい時間とそれをやり過ごしている時間の繰り返しでしかない。
②残された人が悲しむから
実のところ、身体的苦痛へのためらいを除いて、これまで私を自殺させなかった理由の最たるものである。幸いにも、私は家族に恵まれたと思うし、私が自殺した後の家族の気持ちを考えると涙が出そうになる。しかし、実はそれを私が気にする必要はない。なぜなら、実際に自殺した後に悲嘆に暮れる家族の様を「悲しい」と感じる主体であるところの私はすでにどこにもいないからである。悲しいと感じるのは残された者の気持ちを考える「今のまだ生きている私」であり、その意味で身体的苦痛へのためらいと同じだ。
少しそれるが、現行刑法だって自殺を殺人には当てはめていない。自分の保護法益である生命を自分が終了させたところで罪には問えないからだ(容疑者死亡のため起訴できないというのもある)。
したがって、突き詰めれば、②は(残されることになる)私が悲しいから「自殺してはいけない」ではなく「自殺しないでくれ」というお願いでしかないというのが正しい。
死を選ぶことは本当にいつでもできるだろうか。中途半端なためらいがなくなったあの瞬間に人生を終わらせておくべきだった、そうすれば今の苦痛を味わうことはなかったのにといずれ後悔しないだろうか。少なくとも私はいま後悔している。10年前に死ねていれば今日の苦痛はなかった(10年間の喜びも無価値だったのかと問われれば、少なくとも今の苦痛に釣り合うものではなかったと答えるでしょう。死にたいときは常に)。
「死」は切った時点でほかの全ての選択肢を失うという点で最後のカードだ。でも結局その理論は①の理由に行きつく。それは「自殺してはいけない理由」にはなりえない。
私が敬虔なクリスチャンであればこれほど強い理由はなかったろうと思うが、私を含む非キリスト者には全く通用しない。結局なにがしかへの信仰しか救いにはならないという気がしている。
こんなことを平気で言う人間とは関わらない方が良いですよ。
つまるところ、やっぱり自殺してはいけない理由なんて無いんですよ。
どれも思いとどまらせるための方便でしかなくて、あとは本人がするかしないかの判断があるだけ。
ここまで書いたところで紛れていた衝動の波が戻ってきた。
ところで私は家に包丁を置いていないのだが、その理由を人には「私は自炊しないので」とへらへら語っているが、実際の理由は衝動的に自分に使用しないためである。今は刃を己にめり込ませたくてたまらないので、平時の私の判断は正しかったのであり、その正しさを心底憎悪する。
私はその企業の企画部門に同期の女の子1人と2人で配属されることになった。
企画部門と言っても1年目は採用された企画のサポート業務がほとんどで企画会議には出席して企画プレゼンをする事ができるが、1年目だという理由だけで箸にも棒にも引っかからないのが普通だった。
今までそんな1ヶ月目の新人が企画を通す事は前例がないらしく、正直すごい嬉しかった。
企画を実現させていくために様々な所へアポをとることになった時、私は気づいた。
私には常識が欠落している。
他社へのビジネスメールの言葉遣いが分からなかったり、上司や社長と喋る時、いつもパニックになって言葉遣いもあやふやになってしまう。
企画用の資料も見にくく、作り方も分からなければデザインのセンスも全くないし、そのうえ時間がめちゃくちゃかかってるいる。
資料は作るの早いしとても見やすい。ビジネスメールも完璧ですごい丁寧だ。
決して妬み嫉みは全く無いが、彼女をみると自分が嫌いになってきた。
日は過ぎ、私が通した企画は無事成功し社内でも割と好評な結果となった。
しかしそれからというもの、私と彼女はまた企画のサポート業務に回されたのだが、彼女には少し技術が必要だったり既に先輩たちがやっているような業務を少し任されるようになった。
対して私は、猿でも出来るような雑務ばかり回されるようになった。
正直、とても苦痛だった。
私は早く1人前になりたいのに、重要な仕事はほとんど彼女に任せられている。
しかも、彼女の周りにはいつも先輩たちがおり常に雑談をして楽しそうに喋りながら仕事をそつなくこなしている。
しかし、私は1人で黙々を雑務をこなし誰とも喋らず職場で孤立している。
先輩たちとほとんど喋らないので、雑務が終わってやる事がなくなった時「他何かやる事がありますか?」と聞く事ができない。
普通に聞けば仕事を任せれて成長できるのだと思うけれども、まだ関係性や距離が分からずグイグイいくと「煙たがれるかも…」と思い、結局聞けずにずっとネットサーフィンをしている。
そして、先日同期の彼女と2人でご飯にいくことになり、私は思いの丈を全てぶちまけた。
常識がない事、ビジネスマナーがわからない事、作業も人より時間がかかってしまう事、彼女が優秀で羨ましいということを全て伝えた。
すると彼女は「企画通したんだからすごいよ!私のほうが増田さんのこと尊敬してるし羨ましいよ!」と言われた。
私は「ありがとう」と言ったが、正直企画なんて通そうと思えば通せるし、実際に会社でやっていくには人間関係が良いほうが楽だろ。私はすごい苦労しているぞ。と思ってしまった。
みんな、隣の芝生は全て青く見えている。それは私も彼女も同じなんだろうなと感じた。
しかし、そう思いながらも彼女は今日も先輩と楽しく仕事している後ろで、私は1人で猿でもできる業務を黙々とやり孤立し心で泣いている。
【追記】
昨日の夜、なんとなく確認したら人気エントリに上がっていてめちゃくちゃびっくりした。
企画が通ったのはラッキーパンチだったと思うし、自分はプライドは無いほうだと思っていたがそうではないっぽい事にも気付かされた。
ビジネスマナーとかは本を買って勉強はしてたのだが、正直まじでムズイ。。。
この思いをずっと誰にも話せず、同期や上司には話せないから自分の中でモヤモヤしていたが、今やっと吐き出せてすっきりしたよ。
ありがとう、頑張ってみる。
もう5番煎じくらいだけど、書きたくなったので筆を執る。
こういうところがいけないんだよなあとは思う。
増田でも満たせそうだがどっちかってえと読む方なんだよな。増田でも承認欲求満たせるかな?
今期放送のアニメとかを適当に消費してTwitterあたりに感想を書くだけで共感が貰える。こんな楽なもんはないよ。
重要なことは、どこか人が見てるところに吐き捨てるってところだ。
オタク的な深堀りや探求をしようとすると苦痛になるだけだからしなくていい。
この目的のために見たくもねえ定番コンテンツを消化しようとするから続かないのさ。
やりたいことは知識バトルでバチバチすることじゃないはずさ。なら、やることは決まってくる。
俺はバチバチしながらチヤホヤされたいから自分が生まれる前のクソ映画の消化してるよ。ああ。
ジャンルを間違ってしまったので反応が薄く、あんまり承認欲求は満たせなかった。
短期目標で1エピソード何字くらいってボリュームをきめて、毎日投稿できる量を書いた。
プロットと設定を大まかに決め、1話あたりの展開を前者に沿って、たまに外したりしてた。
液晶タブレットや左手デバイス、参考用の画集やらを買ったりするくらいは投資している。
俺がやりたいのは絵が描きたいんじゃなくて絵で承認欲求が得たいんだ。
だけど、そのためには手が早くないといけない。手が致命的に遅くなってしまったのでコスパは最低。
別にうまくなくていいんだが、中途半端に絵を描く人間やってるせいでうまくなりたいと思ってしまう。
あー、絵でバズんねえかなー。
練習が苦痛なら手先も不器用で運指もままならねえ。続くわけがない。
ちょっとでも内容についてぐぐったらトップに出る程度にはネットで有名になった。
細かく色々ジャンルはあるけど、自分の守備範囲のコミュニティで「しってるー」って言ってもらえる事が多くて満足している。
だが信じていて頭がいい連中を欺くには相当気合を入れて自分から騙す必要がある。
別に仕事が大変というわけでもない。問題なのはその逆で仕事がなさすぎるってことなんですよね
僕以外はみんな忙しそうに仕事してるんですけど、僕だけ何にもしてないんですよ。入社2ヶ月経って研修も終わったし配属もされて、仕事がない。
基本的に朝9時から18時まで電話を取るぐらいしかしていないんですよね。
性嫌悪の根幹は「性的接触を嫌悪する心理状態になる」「それによって日常的に苦痛を感じている」というところで、「妄想はOK」やろうが何やろうがそんなん枝葉末節やろ。
炎上案件なのでここに書く。「スポーツ競技では社会的性差と生物学性差は分けるべき」という為末大の意見に賛同する人が多いのを見て、違和感が強かったので一言。
結論から言うと、性的マイノリティへの差別を撤廃するという観点で言えば、トランスジェンダー女性の女性枠での出場は積極的に認めるべきである。男性/女性の枠組みに代わるものが現実的に準備できない以上は、そうするしかない。
そもそもこの問題は、トランスジェンダーへの差別を撤廃すべく、彼らの性自認に基づいて競技参加権を保障するのか、それともトランスジェンダーの人には「我慢して男性として出場」してもらい、シス女性の金メダル可能性を保障するのか、のどちらを優先するのかという問題にほかならない。前者が優先されるべきなのは、あまりに当たり前のことである。差別の上に乗っかった金メダルなどあってはならない。事実、「不公平だ」と言って、性的マイノリティへの差別を助長するような発言を無邪気にしている人が多い。
そもそも「社会的性差と生物学性差は分けるべき」というのは、あまりに雑で非現実的な議論である。当事者からすれば、両者はそんな簡単に分けられない。「男性というカテゴリーの中に詰め込まれて苦痛」というトランスジェンダーの人の訴えが、なぜ「生物学的」ではなく「社会的」と断言できるのか。身体的な能力差についてでは医学の専門家に委ねるしかないが、「男/女」とは別の基準であってもいいはずだろう。
もちろん不満を感じる女性アスリートは多いと思う。しかし、そうした「金メダルが遠のく」ことへの不満への配慮を優先するのか、差別への配慮を優先するのか、と言えば後者しか選択肢はないはずである。どうしてシス女性の金メダル可能性が、トランスジェンダー差別よりも優先されるのだろうか。
そこそこの国立大卒、全体のIQは125、スペックとしては悪くないはずなのにとにかくポンコツで何一つ人並みに出来ず毎日オドオドビクビクして過ごしています
言語凸知覚統合凹という典型的な高学歴無能パターンです、私自身は高学歴ではなくそれなりレベルなので尚困っています
コミュニケーションもとれないし人と喋ると疲れるので営業・接客も駄目
ウォーリーが一生見つけられない人間なので工場で単純作業も無理
今はメーカーで技術職として働いてるけど、そもそも段取りも要領も悪いので作業はこなせないし、先輩上司とホウレンソウはとれないし、データの分析とか論理的思考力が無さすぎるので無理だし、仮説を立てる力もない、現場のおじさまとのコミュニケーションもとれない、細かいチェックとか無理すぎる、人前で発表も声が震えちゃうし、責任感も知的好奇心もないから何一つ突き詰めて考えられない
唯一苦痛を感じない仕事がメール・企画書・議事録作成・マニュアル作成等文章を書くお仕事
それならばと文章を書くお仕事を探したけど未経験可の求人って少ないんですね
そもそも面白い文章が書けるわけでもなし、何か斬新な考え方が出来るわけでもなし、ただ苦痛を感じずにできるというだけなので能力はない
やっぱり結婚してテープ起こしのバイトするのが一番手っ取り早いな
でも私のスペックで捕まえられる結婚相手の年収を考えるとそんな細々としたアルバイトしてたら家計が回らない、がっつり共働きフルタイム労働しなければ
あーーーーあ私このまま一生オドオドビクビク働くしかないのかな