はてなキーワード: 立派な大人とは
15分前に来いって言われた。
着替えのために早く来いって事かと思ったら、
着替え済ませて15分前には仕事始めろって事だった。
これおかしいだろと思って、店長とか経営者に聞いても、テナントで入ってる別の店を例に上げて
「他のとこもこんな感じだからねぇ.....」
で改善もその分の時給つける気も無し
その上法律では45分休憩のところ、30分しか休憩与えられない。
でもこの30分は"サービス"らしく、時給発生するらしい。
サービスってなんだろう。
なんか不信感が募ったので辞めた。
俺の考えが甘すぎるのだろうか
■追記
断っておくと初めてのバイトではない。
休憩時間の件も確かにお金だけ見れば損しているわけではないので気にならない奴にすれば寧ろラッキーなのかもしれない。
でも時給で働いているのに時間に対しての認識が甘いのは雇用される側として不安だ。(損得は別として)
雇用される側はただでさえ立場が弱いのに、未だに15分刻みのタイムカード、着替え時間が無給だとかを受け入れている実状がある。
広告に関する研修で、ここんとこのCMの炎上の件について話し合う機会があって、
むかつく当事者のひとも、そうでない人も、まずはお互いの意見について聞く耳を持っていない場合が多いなと思った。
牛乳石鹸の映像(https://www.youtube.com/watch?v=CkYHlvzW3IM)を見ていて、
とある女性のが言っていたのは「私の旦那が同じことやったら許せないからこのCMはだめだと思う」
だった。
これはCMの中の話である。CMの中のとある男性の気持である。
TVドラマのサスペンス劇場の犯人に対し、視聴者が怒っている構造と一緒である。
と、気付かないのであろうか。
怒るのは結構だが、(同意できるかは除いて)そういう男性の気持ちも世の中にはあるという読み込みの容量が無いんだなと感じた。
このことを家に帰って嫁と話をしていたら、
「もし文句をつけるなら、子どもが怒るなら分かるが、嫁が怒る理由が分からん。子どもの気持ちを汲んだつもりなんだろうが嫁が怒るのはお門違い。親のエゴ。もし自分が同じような境遇にあったとしたら、その時は感情に流されて怒るかもしれない。でも正しくないって分かってはいるから。」
だそうだ。
現時点で、本人が参加を辞退している以上、もう掘り起こさなくても良いんじゃないかとも思うけど、今回の件で色々と考えさせられたので、自分の中のもやもやを整理するためにこの日記を書いています。
なので、自分と違う価値観の方には全然落ちてこない内容かもしれない。そして私は、コミケや同人誌即売会というイベントにサークル参加した経験はないが、一般参加は何度もした事があり、友人に同人サークル活動をしている人もいて売り子で協力した事があります。このため、出来る限り中立的な目線を持ちたいですが、所謂コミケ参加者側の"オタク"の価値観に寄った意見になる事をご容赦ください。
ただ、自分にも真剣に応援している推し俳優がいるので、今回の一連の騒動はなんだか他人事とは思えなかったので。
まず、問題は一つではなく複数あり、複数の問題が複合的に重なった結果、今回の騒動が起きてしまったんだと思う。混ぜて話すと分かりにくくなるので、1個ずつ取り上げてみることにする。
また、「真木よう子にコミケ参戦を促した黒幕が別にいるから彼女には何も落ち度はない」という意見もあるかもしれませんが、ここでは論点が少しずれるので詳細には言及しないこととします。
まず問題なかった点というか、これは是非とも賛同したいなと思えた点から。
「オタクは普段から表現の自由を訴えている癖に、彼女の表現する機会や表現する自由を奪った」という記事や意見を多数見かけたが、コミケ参戦反対派のオタク(以降、便宜上「オタク」と略す)の中で「写真集を作成する」という行為自体を否定している人はほぼいなかったと思う。写真集を作成し、彼女が写真やエッセイ等で自分自身を表現すること自体はとても素敵で素晴らしいことだ。今回は残念ながらプロジェクトが頓挫してしまったが、今後また別の機会があれば是非とも再挑戦してほしい。
ただしその時は、その作品を発表・発売するのに一番適切な環境や手法について熟慮して頂くことを心から願いたい。
これは既に多くの記事でも言われている通り「クラウドファンディング」自体は資金集めの手段としては画期的であるし、彼女を応援するファンが支援できる、という事は全く悪いことではないと思う。ただ、「クラウドファンディング」というビジネスモデルに頼って「多額の出資金」で作成された「プロライクな作品」を「コミケのアマチュアサークルとして頒布する」となると、やはり違和感が拭えない。
正式にルール化されていなくても、アマチュアサークルで作品を作り頒布する人のほとんどは、例外を除き自費制作が主流。これは、出す作品が同人誌でも写真集でも雑貨でもCDや映像作品でも一緒だと思う。当然、自費制作なので多額の資金を準備するのは大変だし、制作数にも限りがある。そういう制約の中で最大限の努力をして、自分の作品を出す。コミケというのはこういうDIY精神がベースに根付いているし、そういう人達の活力で出来ている。
「クラウドファンディング」の「制作したいものがあっても資金がないので、パトロンを募って出資してもらおう」という精神は今の時代の風潮に合う素晴らしいものかもしれないが、「コミケ」の中の主流である「自分達の制作・頒布するものは基本的に自分達の資金力・能力の範囲内で準備する」という精神とはやっぱり相容れない部分が大きい気がする。
多くのオタクが拒否反応を示したのはこの部分のはずなので、同じことを別の人がやってもやっぱり叩かれていたと思うが、真木さんほどの有名人がやろうとしてしまったことが大炎上に繋がったのだろう。
コミケの企業ブースであれば、出展料金はアマチュア向けブースよりもかなり高くつくものの、そもそもが商用のスペースなので、企業ブースに出展する企業とコラボレーションして参加するという話であれば、もしかしたら成功していたかもしれない。(企業ブースには声優等の有名人が登場することもある)
何故コミケに参加したいのかという質問に対し、真木さんは「ファンの方と交流したい」という回答をされているのを拝見した。コミケは、確かに作品の頒布者とそのファンが交流できる場でもある。ただそれは、あくまで作品を頒布する際に生まれる「副産物」であって、そもそもファンとの交流に適した場所ではまったくもって無い。
コミケは、毎年ニュースになるほどの人混みになる。アマチュア向けサークルのブースは基本的に長机を半分で1サークルが使い、サークル側の1ブース内に入れる人数は2人程。大手サークルでも2スペースで長机一つ分。一般参加者が歩き回れる通路もとても広いとは言えず、移動したくても身動きが取れなくなってその場で立往生するなんてことは当たり前に発生する。人混みではない場所でもブースの周りにずっと人だかりが出来ていたら、近隣のサークルに迷惑がかかる。そもそも、入場するまでの待機列から目的の場所に辿り着くまでに3~4時間以上経っている…なんてことも当たり前に起き得る。夏コミなら炎天下の灼熱地獄の中で長時間外で並ぶことになるし、冬コミなら早朝の凍え死にそうな寒さの中で長時間並ぶことになる。
そんな場所で、所謂有名人である彼女が参加することで起きるであろうリスクを考えるのは簡単だろう。コミケ参加者・彼女のファンを問わず、真木よう子というネームバリューがあれば大量の人達がそのブースに押し掛ける。コミケ参加に不慣れな彼女のファンとコミケ常連客との間でトラブルが起きるかもしれない。それによって、近隣のブースで作品を頒布するサークルに迷惑行為や被害が及ぶかもしれない。コミケに不慣れなファンが長時間外で並ぶことで体調不良者が続出したり、救急車が出動することもあるかもしれない。
こういった可能性に対するリスクマネジメントをきちんと行い、徹底的に対策することまで考慮されていたのかは定かではないが、少なくとも頒布する場所がコミケではなく、個別に専用の会場を抑えてファンミーティング・握手会等といったイベントを開催した方がよっぽどリスクが軽減されるはずである。それに、彼女程の女優であればそのようなイベントを開催することも可能なはずだ。つまり、芸能人とファンとの交流に重きを置いているのであれば、コミケという場は正直不適切としか言いようがない。
これは、自分の推し俳優に当て嵌めて考えても、やはりコミケに出たいと言われたら絶対に全力で反対するだろうし、専用の会場を抑えてファンイベントを開催してくれた方が正直何百倍もありがたい。というか、あんな過酷な空間に推しを放り出すのはファンとしてとてつもなく心配である。
あとこれは、個人的な意思が多分に含まれるが、コミケというのはそもそも芸能人とファン交流の場ではないので、それを正々堂々と「ファン交流のためにコミケに参加したい」と芸能人が言ってしまうのはコミケを私物化したいと言っているようにも捉えられかねないと思う。やはり、ファン交流が目的ならば別の会場をブッキングするべきである。
もちろん、今年の夏コミでの叶姉妹のように上記リスクを全て懸念の上、事前のリサーチと対策を徹底的に行い、かつ準備を入念にしているというのをアナウンスをしてくれれば「そこまでしてでも参加したいのであれば…」と参加を応援する声が増えていたかもしれない。コミケに来るオタクの一部は、とてもトラブルに敏感である。そして「有名人が参加する」という事はそれだけでアマチュアサークルの何倍ものトラブル勃発の可能性を内包している。有名人とアマチュアサークルのコミケ参加にはそれくらいの差があることを、彼女のファンの方々にも是非知って頂きたい。
これは想定の話になってしまうが、発表時点で「クラウドファンディングで写真集を作成をする」という事だけが公表されていて、「コミケ参加」は当選が確定した後に発表されていれば、ここまで批判する者はいなかったように思える。もちろん、コミケ参加を発表する際には、先述のリスクに関する対策案も同時に発表しなければ結局炎上していた可能性はあるが。
毎年多数のアマチュアサークルからの応募があるが、その分落選するサークルだっている。そういった背景があるにも関わらず、確定前に「コミケに参加する」という発表をするのは「芸能人だからたぶん当選するだろう」という驕りにも見えるし、「コミケ」というキーワードを使えば話題性も高まるのでクラウドファンディングで資金集めをするネタにしようとしていたようにも見える。この辺も、オタクからの反論を買うことになってしまった要因の一つだと思う。
この辺は所属事務所の規定にも関わってくると思うが、本人のみで完全に非公式プライベートでコミケに参加するというのであれば、会社員をやりながらコミケに参加するアマチュアサークルと形式は一緒な気がするが、クラウドファンディングというのは一つのビジネスであり、実際の必要経費よりはかなり少ない額とはいえ800万円もの資金を所属事務所を通さず、大々的に公表して集めて、事務所側から何も文句は言われないのか?というところも疑問である。
コミケという場を借りててっとり早く本を出すよりも、少し時間はかかるかもしれないが、事務所と相談するなり、事務所を移籍するなりして、事務所側に彼女自身が望む企画を理解してもらえるように働きかけるべきだったのではないかと思う。
今となっては、あの発表内容に書かれていた文章が、本人による言葉なのかどうかは分からないが、ファンから集めたお金を使う以上、沢山のファンやコミケに関わる全ての人が閲覧できる場所で、あの内容を「本人の言葉」として発表する事を許容してしまったのは、一端の大人であり、女優という注目されやすい仕事をしている社会人として、あまりにも配慮が足らなかったと言えると思う。
これは、かなり個人的な意見になるが、Twitterにて批判を受けた際に、数あるリプライの中から、特に暴力的なツイートを引用して、謝罪文を投稿した事は正直ドン引きだった。彼女の元に来ていたリプライを見ていた人なら分かると思うが、その中には暴言だけでなく、建設的な助言や意見が多数寄せられていた。にも関わらず、謝罪ツイートにそれらの意見を引用するならまだしも、敢えて特別ひどい暴言を引用した意図が全く意味不明だった。
正直、自分のファンに「こんな酷い暴言を受けても謝罪しているアタシって可哀想」というアピールをしているように見えても仕方ないやり方だった。事実、その後Twitterでの論争は更に広がり、彼女の擁護派対オタクでの言い争いが巻き起こっている。こういった状況を誘発する事すら想像できなかったのだろうか。
世間には何も考えずに心無い暴言を吐く人間が山程いる。特にTwitterをやっている有名人というのは、そういう人間には格好の餌食だ。そういうのを真に受ける必要はどこにもないし、逆に相手にすることによって、相手の負の感情を助長してしまう事もあるので、そういう相手へのスルースキルを持つべきである。
逆に、彼女のことを親身に考えてアドバイスをしていたオタクやファンも沢山いたのだから、そういう意見を尊重し引用すべきだったのではないだろうか。そうすることで、擁護派の人もオタクの意見に寄り添えたかもしれないし、オタク側の理解者も増えていたと思う。少なくとも、今よりもう少し、平和な状況になってたと思う。
このTwitterでの一連のやり取りから感じた彼女への印象は、SNSの煽り耐性の無い人なんだなぁ、という印象である。仮にも34歳の立派な大人なのだから、SNSで発言すること、インターネットという世界中に開かれた場所で情報を発信する意味を、もっときちんと考えるべきだと思う。
最近この騒動を受けてか、Twitterアカウントを削除されたようだが、一旦彼女自身がSNSとの距離感を考える良い機会になってくれたら良いなぁと思う。
…以上が、一連の真木さんのコミケ参入に関する一連の騒動への所感です。素人意見なので、色々と間違っているところもあるかもしれないですが、自分なりに整理してみました。
いつか真木さんご自身が、これらの問題をすべてクリアにして作品を発表できる事になったら、その時は快く応援させて頂きたいですね…!
その日が来ることをお待ちしております。
自分は偏食が激しい。
詳しくは書かないが一般的な料理によく使われるような食材でも食べられないものが多い。
「食べられない」というのは飲み込もうとするとえずく、最悪後で吐いてしまうレベルの「食べられない」だ。
特にアレルギー等といった診断は受けていないが、幼少期からずっとそう。
別段甘やかされたとも厳しくされたとも思っていない。
母親は料理が好きだったので食卓に並ぶ食材のレパートリーは豊富だったし、
基本的に料理を残すのはやはりNGだったので嫌いな食材があっても頑張って食べていた。
ただ、母親の方も嫌々食べているのを見るのは辛かったらしく、
中学に上がる頃には自分の分の食事からは特定の食材だけ予め抜かれるようになった。
この時点で頑張って苦手なものを食べ続けることを辞めなければ、
ちなみに離乳食の段階で色々なものを食べさせるのが重要という説もあるが
ある時は「頑張って克服しよう」と言われ、
どうにか数ヶ月ほど食べ続けたこともあったが、全く克服出来なかったので諦めた。
色々と思い悩んでいたんだけど、最近になって、食事の好き嫌いってそこまで悪いことなんだろうか?と思う。
よく偏食の人間に対する意見として「わがまま」というのがある。
食事にありつけるのは有り難いことであるという前提がまずあって、
自分も流石に飢餓状態であれば目の前にあるのが苦手な食材であっても迷わず齧りつくと思う。
こういう都合の良さが「わがまま」なんだろうということは、理解できる。
要するに、食物に対する不誠実さ。感謝の足りなさ。
食べ物がいつでも手に入る恵まれた環境で育った生っちょろい贅沢な若者の意見だけど、
味覚って、視力とか、嗅覚とか、聴力に並ぶほど千差万別なもので、
目が悪くても、耳が悪くても「親の教育が悪い」という人は偏食に比べたらあまりいないだろう。
(たまにいるんだろうけど)
味覚に関することだけ、家庭環境の否定、人格の否定が当たり前になってくるの、結構辛いと思う。
好き嫌いのない人が羨ましい。
人が美味しいと思っているものに対して平気で
「それ嫌い」「よく食べられるね」という言葉を投げつける人が
結構いるっていうのもあると思う。
私の家は年収から考えるとけっこう貧乏な方だ。それでも色んな人に甘やかしてもらったから幸せに暮らしているという、私の家族の自慢話。
私の家は父、母、姉、私の四人家族。父は中小企業の会社員、母はパート、姉は新卒社会人、私は大学一年生だ。
私が父の年収を知ったのは去年の夏だ。東京の私大に行きたいと父に相談したところ、私大に行かれると実はお金が大変だからできたら国立大に行ってほしいと言われた。もうとうに50歳を過ぎた父の年収は300万円代だった。これが子供のいる家庭においては、普通よりちょっと少ないということは私にも分かった。私はそこで初めて、自分の家が実はけっこう貧乏なんだということを知った。母はよく「うちは貧乏だから」と笑っていたし、勿論お金持ちだとは思っていなかったけれど、まさかそこまでだったとは。母は貧乏のラインが高いなぁなんて思っていた。私は18歳になるまで知らずに生きてきた。
私の実家は北の方にあって、一軒家だ。私の家はお小遣い制ではなかったけど、欲しいものは基本、何でも買ってもらえた。本も洋服も。遊びに行く時にはお金をくれた。そのお金の残りを貯めて、よくゲームを買った。たまの休みの日は母と日が暮れるまでゲームをした。物欲はそこまである方じゃなかったから、それで十分だった。少し足りなくても、あとはお年玉で上手くやりくりすれば難なく一年過ごせるくらいには余裕があった。そのお年玉も余って今では40万ほど貯金がある。母は料理上手なのであまり外食はしなかったけど、それでも誕生日にはかなり美味しいお店に連れてってもらった。本格カレーが食べたくなったら食べに行った。学校で忙しくなる前は海外旅行も何回か行った。一年に一回は家族旅行をした。姉は大学で留学をした。短期と長期、二回も。私の家はどちらかと言えば少し裕福な方なんじゃないかと思っていた時期すらあった。
でもよく考えたら、小学生の頃から母は一日中働いていた。私は小さい頃病気がちだったから、薬代もけっこうかかっていたと思う。中学生になって病気が落ち着いてからも、母はずっと働いていた。それでも朝ごはんと夜ご飯は必ず一緒に食べてくれたから、あまり働いていた印象がなかっただけなのだ。姉は実家暮らしだが、大学時代から家にお金を入れていた。祖父母は家電など大きな買い物の時必ずお金を出してくれていた。親戚も会うたびにせっせと私たちにお小遣いをくれていたように思う。私が親戚で一番下の子どもだったこともあるのだろう。父だって毎日必死に働いていた。何の疑問も抱いていなかったが、つまりそういうことなんだろう。私が当たり前だと思っていた生活は、周りの大人が必死に働いて維持してくれていた生活なのだろう。それまでずっと、気づかないでいただけなのだ。
首を振ってそう言ったら父は、我慢させたら頑張る意味がないでしょうと笑っていた。
そっか、ありがとう。
姉と母とは仲がいいが、父にはあまり良くしてあげられない。嫌いなわけじゃないが難しい。でもこの時ばかりは、素直にそう言えた。
私は四月から都内の国立大に通っている。田舎から出てきて一人暮らし。バイトはしているが、学費は父が出してくれている。家族に言わせれば貯金しなさい、だそうだ。いいと言っているのに、家族は毎月仕送りもしてくれる。それも一般的に見たら決して多い額じゃないんだろう。でも月に一回送られてくるダンボールいっぱいのカレーや米、日用品なんかの金額を足したら、決して少なくもないはずだ。
次の月曜日、二ヶ月ぶりに実家に帰る。バイト代はほとんどが貯金だから滅多に手をつけないけれど、この間少し引き出した。そのお金で高速バスの予約をとった。そしてその残りで、父の好きな東京ばな奈、母の好きな鳩サブレー、そして姉が好きな化粧品ブランドの限定商品を買って帰るつもりだ。
そういえば、大学の成績はまずまずだと思う。テストの手応えはばっちりだ。レポートはどうかな。少し自信がないけれど。これから先も休まず通って、早く立派な大人になりたい。早く働いて、今度は私が家族を旅行に連れてってあげるのが夢だ。母は死ぬまでに一度フィレンツェに行ってみたいらしい。私が何回だって連れて行ってあげたい。
今回はお金に限って書いたけど、どんな面から見ても私の家族は素敵な人ばかりだ。私はそんな家族が大好きで、今から会うのが楽しみでしょうがない。早く帰りたくてうずうずしている。
私の家はけっこう貧乏なんだけど、
私はたぶん、かなりの幸せ者だ。
説明が必要なのかは判らないけれど「ぽんぺ」ってのは「ぽんぽんぺいん」の略語。
何となく可愛らしい表現を持ってはいるものの、いわゆる生理痛や便意に伴う腹痛をやんわりと表現出来る言葉として用いられている言葉。
で、その「ぽんぺ」という言葉を、30代半ばの男性の友人がよくツイッターで呟くんです。
30半ばって社会的に見れば立派な大人じゃないですか。なんならケツ毛だって生えてる。学生からしたらオッサンですよね。
その人が何で「ぽんぺ」という言葉を用いて腹痛を表現するのかが理解できないんです。
「腹がいてぇ」とか、何なら「うんこ漏れそうでしんどい」とかじゃ駄目なんですかね。
彼が「ぽんぺ」と呟くたびに、彼の有する属性や顔と「ぽんぺ」という言葉が持つイメージのミスマッチを感じてしまうんです。
内心、いい年して何言ってんだ、と思うところもあるけれど、微妙に上下関係があって彼に伝えるのは難しい。
どうして学校へ行かなきゃいけないんだ
作り笑いの教師が見せかけの愛を謳う
反抗したいほど 熱いものもなく
あと何年だろう ここから出るには…
(A)大人になるため 嘘に慣れろ!
通学電車の誰かにやられたんだろう
どこかの暗闇でストレス溜め込んで
(B)私は悲鳴なんか上げない
問1
(A)「大人になるため嘘に慣れろ!」とあるが、それはどういうことか。その説明として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。
1. 上手に嘘をつける人間こそが立派な大人であるということ。
2. 大人になるためには積極的に嘘をついていくべきであるということ。
3. 学校を卒業するためには大人たちがつく嘘に耐えざるをえないということ。
問2
(B)「私は悲鳴なんか上げない」とあるが、「私」の主張として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。
1. スカートを切られたときは黙って耐えるべきであるということ。
ポケモンが20周年記念で初代ポケモンをテーマにした劇場版やることになったわけです。
今の子は興味あるんですかね。
PVや公式サイトで相棒のピカチュウとホウオウに会いに行くと言われて、リアルタイム世代からしたら「うわーオニスズメと戦った後のあの伏線かー懐かしーああーサトシとピカチュウそういや最初仲悪かったなーミュウツーの逆襲の頃には完全にパートナーになってたから忘れてたわー…あれ……目からきずぐすりが……」となっちゃうわけですけど、子供からしたら「ホウオウ?ああうん沢山いる伝説ポケモンの1体ね」としかならんのじゃねーかなと。
ターゲットが完全にこっちに向いてるんですよ。
ポケモンも子供世代そっちのけで親世代に「この映画凄い懐かしいですよー面白いですよー」とアピールしてくる段階に入ったのかと。
その事自体はまあ良いんだけど、それにノスタルジーを刺激されている人間の1人に自分がなっていることが辛い。
具体的に言うと、それだけ年を取っておいて大して成長していない自分が辛い。
ポケモン楽しんでいた頃から換算したとしても物心ついて20年、それだけ時間をかけて自分は果たして立派な大人になれたのかと考えるととても辛い。
男子三日会わざれば刮目して見よと言うけど、20年ともなればその2000倍以上、その間刮目して見ることが出来るほどの成長を遂げたのかと。
20年経ったのにサトシやコナンの年齢が止まっているとか言ってられないですよ。
そもそもいい年こいてアニメの話でこんだけ盛り上がっている事が何かおかしいです。
いや、自分が楽しいと感じているもの、感じていたものを正しいと言えない自分がおかしいです。
ちゃんと成長した人間だったら大人がアニメやマンガの話して悪いのかと言えるんだと思いますが、自分はそう言い切る勇気がありません。
子供時代の親や世間の物差しにあわせてヘコヘコして薄ら笑いを浮かべていた状態で時間が止まっているのでしょう。
再び歩みださなければ。
どうすればいいのかは分からないけど。
とりあえずこの映画でも見るか。
>いちご100%の良さって少年漫画なのに少女漫画的価値観だと思うのだが
こう言ってる奴もいる
決め付けても駄目
でも作者さんは少女漫画やBL漫画のフィールドで鳴かず飛ばずで出戻ってきたわけですよね?
俺もラブコメより少女漫画含む女性向け漫画のほうが好きなんだよ
その観点から見てあの作者の漫画つまらんわ、少女漫画的価値観で評価するとね
童貞マインドの男にそこそこ受ける絵と萌えシチュを提供できたからで、
ついでにラブコメの手強いライバルも居なかったからっていうだけ
AKBのなんとかさんと同じ
AKBの人達も、美貌や歌や踊りだけで立つ能力が無いから童貞マインドに媚びた処女キャラやってんでしょ?
ならそれやるしかないじゃん
そんな立派な大人は『いちご100%』もAKBの投票券も買ってくれねーですよ
勘違いしすぎ
http://anond.hatelabo.jp/20170531063601
想像するに「40歳の増田が実家の両親(おそらく父親)のわがままぶりに困ってる」だろうか?
まず最初にもしまだ増田が実家で両親と同居してるならさっさと家をでて自立しろ。
以下はすでに自立してる前提で書くが、実家の問題からは少しずつ手をひけ。増田のご両親は高齢とはいえ立派な大人なんだから本人たちに対処させろ。それで財産をなくしたとしてもしゃーない。あきらめろ。
いくら増田が必死に解決策を見つけても、おそらく問題の元凶の両親はその解決策に満足しないし採用しないし問題は解決されない。ただただ増田がから騒ぎして貴重な人生の時間と金を浪費していくだけだ。
読む限りだと、他の兄弟や親戚も距離をおいていて、まともに相手してるのは増田だけなんだろ?増田も兄弟を見習って少しづつ実家の問題から手を引け。
ご両親が馬鹿な判断をして家を失ったらそれはそれで仕方ない。本人たちの人生なんだから、そしたら安い公営アパートにでも引っ越しすればいい。
いくら増田が親のためをおもって動いても、当の本人たちが問題に気づいて自分から行動しないとなんにもできないんだよ。
俺も似たような経験してたからあんたの気持ちは多少理解できるよ。結局おれは自分の家族や子供の世話が大変でたまに母親の愚痴を電話で聞くか、数ヶ月に1度に気晴らしに飯に誘う程度にしてる。
昨日は死ねなかった
病院に行くまではそのまま首つって終わりだと思っていたけど
でも、厳しい現状は何も変わらない
お金はなく
キャリアは閉ざされ
心は疲れ切り
この世に居場所はなく
皆自分を捨て
ひとりぼっちだ
生きている感覚すらない
死んだ方が楽だという思いも変わらない
疲れ切っている
引っ越しも遅々としてすすまない
果たして住人となじめるだろうか
それもあまり自信がなくなってきた
まぁでもどうせ死ぬしな、、、と割り切るようにする
ずっと、ずっと疲れている
そりゃそうだ
なんもかんもなくなっていって
みんなはなれていって
楽しみも奪われて
将来に希望なんてもうない
みんなのように家族も、家も持てない
昔の同期なんてみんなうまくいっている
あとは淡々と年を取るだけだ
楽しみながら
子供の成長を見ながら
彼らの人生は逓増していくだけだ
まっとうな人生
俺はもう生きていくことはできない
将来に希望はない
俺は失敗して転落した このまま耐えるしかない
エンジニアに転身、、無理だろうこの年齢では
もう好転はない
待っているのは孤独死だろう
このまま毎日苦しみを重ねて、苦しみ続けて死ぬくらいなら、早めに自分で結末を決めた方がいいという思いは変わらない
一度の失敗ですべてがぶっ壊れる
その程度の人生、その程度の器だったんだろう
後片付けしてさっぱりと死のう
情けない人生だった
そういうことだ
さあ、終わろう
せっかく浮世絵というキーワードが出たので、少し浮世絵の見地からコメントを残す。
その前に、この文章のなかでいう浮世絵とは、江戸明治期の大衆画、木版画ということで話を進める。
本当は浮世絵の定義でそれこそ一冊の本が出来上がってしまいそうなので、たぶんみなが一番あたまに浮かぶ絵として、そういうことにする。
おそらく、浮世絵の美人で一番名前が売れたのは、歌麿のものだと思う。
https://data.ukiyo-e.org/tnm/images/C0027082.jpg
他方で、役者絵などは、二重が多い。
https://ja.ukiyo-e.org/image/mfa/sc147410
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/kunimasa005/kunimasa005_main.jpg
役者=歌舞伎ということで自動的に男性になるわけで、女性と男性という違いが大きいので、これをもってどうとはいえないが、とりあえずそれを覚えておいていただき、次の話に移りたい。
(もう少し言えば、役者絵も理想化して描く場合と、写実的に描く場合と、個性をデフォルメを強くして描く場合とがあり、話が違ってくる)
四乃森蒼紫や流川楓を思い浮かべてほしい。
イケメンキャラというよりは、クール=糸目、熱血漢、優男=パッチリおめめでふと眉、という図式である。
藍染惣右介などわかりやすく、当初の優男の時から、敵役に回りクールな性格に変わると目が細くなった。
ここで、仮説を提案したい。
「二重、ぱっちり目は美人を示すアイコンではなく、快活な性格を示すアイコンである」
と。
そして、現代においては、快活で明るい女性が求められている(=二重、ぱっちり目)が求められている。
逆に、ぱっちり目でセクシー系も合わないように思う。
そりゃ、セクシー系の壇蜜だってキティちゃんグッズくらい買っててもおかしくないだろうし、ぱっちりおめめの橋本環奈だってアブノーマルハードコアセックスくらいしてかもしれんが、その容姿にふさわしいキャラというものを、われわれは求めている。
再び、浮世絵の話に戻ろう。
その仮説を検証しながら、浮世絵の世界での美人の変遷について語ろう。
まず、元号は明和の時代、浮世絵が単色や二色摺りから、多色摺りへ変化したときの絵師、鈴木春信である。
多色刷りという技術的な革新もさることながら、女性像も革新的だった。
江戸時代の女性像というのは、それ以前の髪を下したスタイルから、結ったアップスタイルに変化した時代だ。
アップスタイルは女性の社会進出の象徴であり、いなせで粋で大人な女性に萌えていた。
教科書的には、はかなげな女性を描いたことになってるらしいが、端的に言えば、ロリがハードコアに凌辱される絵である。
幼児ポルノは持ってるだけでお縄であるので、持っていないしURLを張り付けることも出来ないが、ハードコアロリ裏ビデオには、おめめパッチリの二重美少女よりも、糸目の薄幸少女がよく似合うと思いませんか!?
春信の絵は、物語性が強く、その絵の場面に至るまでの物語や、続きの物語を想像させられる。
薄幸そうな少女に、極太のデカいものがぶち込まれてる絵を一度みてしまうと、エロくない絵をみても
「このあとされちゃうんだろうなぁ」
と思ってしまう。
http://okunoin.up.seesaa.net/image/IMG20no.189.jpg
https://data.ukiyo-e.org/mfa/images/sc149258.jpg
春信の時代のものは、春画でも相当お高くて(一般に、春画のほうが安い。芸術と自分を騙せば100万でも買えても、エロパロのために何十万もは出す人は少ないんだろう)、春信の浮世絵を買うなら春画がおすすめだ。
続いて、鳥居清長。
https://data.ukiyo-e.org/mfa/images/sc226102.jpg
たぶん8頭身、下手したら9頭身くらいある。
女性を一人だけ描くことはせず、かならず複数の女性が絵に並ぶ。
体型も、表情も、健康的な感じがする。
続く
ついに先生の口から「数学はセンターで足を引っ張らないくらいを目指して」という言葉が出た。
散々数学は捨てるな逃げるなと言われとりあえず頑張るだけ頑張った。頑張る意味を考えた事もあった。先生が頑張りを褒めてくれた事もあった。
効率よく、切り捨て、知識を拾って、集中して、疲れをとらなければ、受験は乗り越えられない。
効率と頑張りは傍から見たら似ているけれど、真逆だ。効率は頑張れば上がるものでも無いし、頑張らなくても効率が良ければ受かる。
私が今まで褒められて来たのはただの頑張りで、それだけじゃ大学には受からない。
頑張った過程が大事とか、いつかためになるよ、とか言われなくてもわかってるしそれも事実だろうけど、私が目指してるのは徳の高い人間でも聖人君子でも深みのある人間でも立派な大人でもない、ただの大学生。
私の頑張り、返して。2年から数学を捨ててた友達を横目に、数学に1番時間を割いてた今までの定期テスト、模試、全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部無駄!
今からじゃもう遅い!あきらめて!ってあと1年、いや半年早く言って欲しかった。私が頑張らなくても良いって言って欲しかった。数学できなくても行ける大学なんて沢山あるのに、私はなりたい事もないのに、何を頑張ってきたんだろう。
私の2年間は一体、何だったんだろう。数学もっと手を抜けば、あの時79だった英語の評定も1点くらいは上がって5を貰えてただろうな。
親も先生も、私がどの大学に行こうと彼らの生活は直接は何の変化も無いって考えたら誰も信用できない。
馬鹿みたいに、ていうか馬鹿だったけど、数学頑張った自分ももう信じれない。
何を指針にあとの半年を乗り越えようか。