自分は偏食が激しい。
詳しくは書かないが一般的な料理によく使われるような食材でも食べられないものが多い。
「食べられない」というのは飲み込もうとするとえずく、最悪後で吐いてしまうレベルの「食べられない」だ。
特にアレルギー等といった診断は受けていないが、幼少期からずっとそう。
別段甘やかされたとも厳しくされたとも思っていない。
母親は料理が好きだったので食卓に並ぶ食材のレパートリーは豊富だったし、
基本的に料理を残すのはやはりNGだったので嫌いな食材があっても頑張って食べていた。
ただ、母親の方も嫌々食べているのを見るのは辛かったらしく、
中学に上がる頃には自分の分の食事からは特定の食材だけ予め抜かれるようになった。
この時点で頑張って苦手なものを食べ続けることを辞めなければ、
ちなみに離乳食の段階で色々なものを食べさせるのが重要という説もあるが
ある時は「頑張って克服しよう」と言われ、
どうにか数ヶ月ほど食べ続けたこともあったが、全く克服出来なかったので諦めた。
色々と思い悩んでいたんだけど、最近になって、食事の好き嫌いってそこまで悪いことなんだろうか?と思う。
よく偏食の人間に対する意見として「わがまま」というのがある。
食事にありつけるのは有り難いことであるという前提がまずあって、
自分も流石に飢餓状態であれば目の前にあるのが苦手な食材であっても迷わず齧りつくと思う。
こういう都合の良さが「わがまま」なんだろうということは、理解できる。
要するに、食物に対する不誠実さ。感謝の足りなさ。
食べ物がいつでも手に入る恵まれた環境で育った生っちょろい贅沢な若者の意見だけど、
味覚って、視力とか、嗅覚とか、聴力に並ぶほど千差万別なもので、
目が悪くても、耳が悪くても「親の教育が悪い」という人は偏食に比べたらあまりいないだろう。
(たまにいるんだろうけど)
味覚に関することだけ、家庭環境の否定、人格の否定が当たり前になってくるの、結構辛いと思う。
好き嫌いのない人が羨ましい。
人が美味しいと思っているものに対して平気で
「それ嫌い」「よく食べられるね」という言葉を投げつける人が
結構いるっていうのもあると思う。
ある一定の年月が経つと急に美味しく食べられたりする物もあるし悲しむものでもないし、よく食えるね〜くらいなら笑いで流せる。が、単純に偏食の人と一緒に食事に行く時は店選び...
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