はてなキーワード: 現実逃避とは
こないだ遅い夕飯を食べた後、食休みしようと思ってTVをつけたら、「マツコ会議」という番組で、相席居酒屋での30代以上婚活パーティーをレポしていた。
そしたら婚活女(見た目肌年齢から30代後半?)が「希望する男性は年収800万」て言ってるの。
それ見て、なんかその女の気色悪さに「おぇぇ」とさっきの夕飯をえづいて嘔吐いてしまった。テレビ見てて本当にヘドが出たのは初めてだった。
とっさにチャンネルを回したら、テレ玉のピーチ9という番組(あかひげ薬局がスポンサーの今時珍しいAV女優が出る番組)だった。
「私のおしりでおっきくなって」というおしりピストンで風船に空気を入れるコーナーだった。
まったく勃起しなかった。
ツイッターでマツコ会議の感想を見てみると、当然のごとく「だから結婚できないんだろ」「自分の顔と年齢みろよ」という意見だったが、
なかに女性が「あーもう仕事なんて休んで南の島にバカンスに行きたいレベルの、現実逃避まじりに言ってるんだろね」というコメがあったのだが、
私も30歳になり結婚したいのだが、彼女がいないので、結婚相手を探すとなったら婚活するしかないだろう。
しかし世の婚活女性が全員とは言わないがあんな感じの事を内心思っているのなら、私は結婚できないだろうし、そんな相手とは正直したくない。
目の前で「年収は800万希望してます!」と言われたら、私は気色悪さに本当にゲロ吐くだろう
婚活経験ある女性諸氏(男性でもいいです)は婚活でそういう体験(痛い女、男に会ったとか)をしたことがあったら教えてほしい。
遅い夕飯を食べた後、食休みしようと思ってTVをつけたら、「マツコ会議」という番組で、相席居酒屋での30代以上婚活パーティーをレポしていた。
そしたら婚活女(見た目肌年齢から30代後半?)が「希望する男性は年収800万」て言ってるの。
それ見て、なんかその女の気色悪さに「おぇぇ」とさっきの夕飯をえづいて嘔吐いてしまった。テレビ見てて本当にヘドが出たのは初めてだった。
とっさにチャンネルを回したら、テレ玉のピーチ9という番組(あかひげ薬局がスポンサーの今時珍しいAV女優が出る番組)だった。
「私のおしりでおっきくなって」というおしりピストンで風船に空気を入れるコーナーだった。
まったく勃起しなかった。
ツイッターでマツコ会議の感想を見てみると、当然のごとく「だから結婚できないんだろ」「自分の顔と年齢みろよ」という意見だったが、
なかに女性が「あーもう仕事なんて休んで南の島にバカンスに行きたいレベルの、現実逃避まじりに言ってるんだろね」というコメがあったのだが、
私も30歳になり結婚したいのだが、彼女がいないので、結婚相手を探すとなったら婚活するしかないだろう。
しかし世の婚活女性が全員とは言わないがあんな感じの事を内心思っているのなら、私は結婚できないだろうし、そんな相手とは正直したくない。
目の前で「年収は800万希望してます!」と言われたら、私は気色悪さに本当にゲロ吐くだろう
婚活経験ある女性諸氏(男性でもいいです)は婚活でそういう体験(痛い女、男に会ったとか)をしたことがあったら教えてほしい。
現在の推しに対してだけでなく、多分ガチ恋しかできないヲタクなのだとおもう。
これまで、自分の中の一番だった異性に対しては、その度にガチで恋をしてきた、つもりだ。
つい半年ほど前まで、私はあるジャニーズタレントのガチ恋ヲタクだった。学生時代から9年ほど、ずっと彼と結婚したいと思ってたしどこかで出来るかもしれない、と思っていた。当然、お金を積んで良い席にも入ったし、ファンレターを書いたりしたけど、夜の仕事やそれに近いことをする勇気はなかったし、自分の出せる範囲ギリギリのお金と体力を使ってヲタクをしていた。
多分、どんな手段を使ってでも彼に覚えてほしい、とか、繋がりたい、とか思っていなかったのは、いつかタレントになって彼と同じ立場で恋に落ちたい。と思っていたからだとおもう。
でも、例に漏れずメンヘラの私はいつも病んでいて、最後のほうは彼のどこが好きなのか、彼をほんとに好きなのかわからないくらい、彼を憎いと思う感情が勝っていた。勝手に傷ついて、勝手に怒って勝手に嫌いになって、どれだけ理不尽で邪なファンであるかはわかっていた。だからこそファンとしていつも自信がなくて、「私なんかファンじゃないほうがいいよね。」とか病みツイートを1週間に一回は垂れ流していた。
出会ったというより、見つけてくれた、彼は。
一人のジャニタレに一途になるのはつらすぎて、兼ヲタをして気持ちを分散するという術を得た私は、その頃別分野のステージに夢中になっていた。大好きなキャラクターがいて(これは現在進行形だが)このキャラクターに対しても、ガチ恋のような感情を抱き、この子に構ってほしい。気づいてほしい。という気持ちで毎週通っていたし、手作りのグッズも作っていた。
ある公演で、いつも通りそのキャラクターの手作りグッズを抱きしめていた私を見つけてくれたのが彼だった。
わたしの好きなキャラクターと同じ括りで出演していた彼が、私を構ってくれたのは不思議なことではないとおもう。今までも、コンサートや舞台で、一番好きな彼以外に構われることはあったけれど、だからといって、「一番好き」が覆るような、尻軽な女ではないことは自負している。
なぜあの時が、私が彼に向かうきっかけになったのか。今考えるとそれは、ヲタクである私を認めてくれた、と思ったからだとおもう。
真っ直ぐな気持ちを、そのまま受け止めてくれる。そういう人だ。
だから、私を構ってくれたのかどうかはわからないけれど、私は、「この人は私が○○を好きな気持ちを認めてくれた。」と思ったのだろう。
その頃もジャニタレにガチ恋していた私は、他の異性タレントに夢中になることすら浮気心だと思っていたので、負い目を感じながらも明らかに彼に夢中になっていた。
彼に気づいてもらえるように、構ってもらえるように、出来ることは全てした。結局は、ファンサ厨であり認知厨であるわけだが、本心で、認知されたいわけではなかった。
ただ、彼が私を見てくれたり、私に笑顔を向けてくれればそれが嬉しい。そういうものが欲しくて必死になった。
けれど、彼は私が彼のファンになった途端に私を見なくなった。
彼のファンがいるあたりを見なかったのか、私がいるから見なかったのかはわからない。
けれど、わたしの浮き足立っていた心はスンッと冷えたことを覚えている。
じゃあどうしたら見てくれるのか、構ってくれるのかを必死で考えた。さらに必死になったりもしたり、彼の演じるキャラクターのグッズを手作りしたりもした。
彼は私の目を見てはくれなかったけれど、そのグッズへの視線を感じて、私がいることはわかってくれてるんだ、と思った。
そして、考えに考えた結果、彼は自分のファンが自分に必死になって、その作品を見ない事、感じない事に傷ついているんじゃないか、と思った。
彼は演じている間も、あからさまに辛そうな顔をしていた。他の人にわかる程度なのかはわからないけれど、ファンになったばかりの私が気付く位には傷ついていた。
だからこそ、私はちゃんと作品を見よう、愛そう。それが、私を見つけてくれた彼に対する誠意だ。と信じて、他のファンと小競り合ったり、ピリピリした空気を出したりせずに、純粋にその公演を楽しむことにした。
確かに、彼のファンになったきっかけは構われたあの日。だけれど、彼のパフォーマンスに夢中になっていた。この時にはもう、だれよりも、彼のパフォーマンスを見ている時が幸せで、楽しかった。
そして、この公演の千秋楽。
彼は私がファンになってから初めて、目を見て手を振りかえし、頷いてくれた。
それからは転げ落ちるように彼のファンになっていき、いつの間にかジャニタレへの長年の恋愛感情も消えていた。
彼を見ているだけで楽しい。幸せと思えた時間は、どうして長く続かなかったのだろう。
彼が頷いてくれたあの日、わたしの頑張りを認めてくれたと思った。私が出した答えが、正解だって、示してくれたと思った。
彼はそういう人なんだ。彼にとって正しくないことをすれば、それ相応の態度を示される。その代わり、正しいことをすれば、些細な、大きな、ご褒美をくれる。
彼に見つけてもらえてから一年が過ぎて、彼は私がいるとほとんど必ず見つけてくれるようになった。
どんな場所だとしても、私が頑張らなくても、正しいことをしている私は彼が見つけてくれるし、ご褒美をくれる。
私は特別だと思った。
彼のことを特別わかってるし、彼もそれを知ってるから優しくしてくれる。
だって他のファンの人たちは視界に入っていなくても、私がいれば二度見してくれる。
私がいるのといないのじゃ違うの?私かどうかをそんなに確認したいの?
他のファンとは違うんだ。私は大事にされてるし、特別なんだって思った。
私が何をしても、彼の目の前にいけば彼は認めてくれる。
どこで傷ついたとしても、私がどれだけ人間としてクズだとしても、彼を好きなことは彼が認めてくれてるって思えた。
もちろん人それぞれだけれど、現実逃避のためにヲタクをする人は沢山いる。
彼の優しさに舞い上がって、私は特別だと決めつけて、半分ネタだけど友達には彼の妻だと名乗っていた。
それくらい、思いっきり舞い上がっていたし、それだけの自信があった。
恋人がいる、と言い切れるわけじゃないし、あらぬ疑いと言われたら何も言えない。
けれど、一度疑った気持ちは拭えない。
あれだけ信じていた彼が、突然わからなくなった。
今までなら、彼らしい。と流せていた言葉が、引っかかる。
どうしてファンを傷つけるようなことを言うんだろう。
にわかが、彼に目線をもらったとか、何かされたというツイートを見ても、優越感に浸りながら草を生やせたのに、今はもうよくわからない。
そこでやっと気づいた。
彼が、ファンと関係を持って身を滅ぼすような人じゃないことは最初から知ってる。
そういう、隙がないところも大好きだから。
自分に都合の良い解釈をして、それで現実逃避して、すごいなーアホみたいだなーと、急に客観的にガチ恋ヲタクであることを自虐的に見られるようになった。
自信がないから、すぐ疑う。
彼にとって特別じゃないことも、彼がくれた優しさも、言葉も、全部、100%で信じていたのに。今はよくわからない。
彼の周りにいる女の人たちさえ一人一人疑ってしまう。
彼にとっての正しさを守っていたいい子の私は、本当にいい子なわけじゃない。
彼に楽しくお仕事してほしくて、彼に好かれたくて、いい子と思われたくて、いい子をしていた。
もし、いい子でいたところで彼に選ばれないのなら、なんの意味もない。
最初からわたしは邪で、嫉妬深くて、歪んでいる、ガチ恋ヲタクだ。
彼は私のこんな気持ちに気付いているのだろうか。
気付いていたら私をどう思うのだろう。
嫌われたくないなあ。出来るなら、いい子と思われたい。
でも、いい子だから優しくしてあげよう、って思われてるなら、死ぬほど辛いなあ。
ジャニタレのガチ恋からやっと卒業できても、やっぱり、同じ運命なのかもしれない。
もし、これから辛い日が続くなら、このタイミングでやめてもいいとも思った。
けど、きっと、私がいなくなったら、彼は私を嫌いになると思う。
いなくなったらわかるくらいの存在でいられることはとてもありがたいとおもう。けど、あまたのガチ恋ヲタクが語るように、認知は辛いってことを、認知ヲタになって身に沁みてわかった。簡単に距離を置けないし、簡単に離れられない。
きっと、このままいい子でいられれば、彼はファンとして優しくしてくれるだろう。
わたしは彼を好きで居続けられるだろうか?
好きな人を嫌いになるのは、とても辛い。
http://anond.hatelabo.jp/20161215115056
わかってはいたことですが、そうやって人の揚げ足取りばかりをして結局わたしが言いたいことには耳を傾けてくれないんですよね。
そんなことは今までも嫌ってほど味わってきたし結局これからも変わることはないんだってことがよくわかりました。
長年務めていたパチンコ店が経営難に陥り、会社から望んでもいない若い社員たちのリストラを強いられた挙句に突然裏切られるように解雇されました。
毎日のように自分の行いを責め続け、その後うつ病になり最後には自ら死を選びました。
母は父の死が原因でアルコール依存症になり、今は地元コミュニティの回復プログラムに参加しながら生活をしていますが、知らぬ間に通販番組で商品を買い漁ってしまうことがあり目を離すことができない状況です。
母の面倒を見るためにわたしは務めていた会社を辞め、今は時間の都合が利くパートタイムを掛け持ちしています。
父のようなことは二度と起こってほしくないし、目を離すこともできないので仕方ありません。
パチンコに対する依存症問題バッシングは、父の死をきっかけに知りました。
はじめは仕方ないのかなと思う部分もありましたが、母と回復プログラムに顔を出しているうちに世間の考えと実態があまりにかけ離れていることに気が付きました。
依存症の方々は、世の中の間違った認識で理解を得られずに苦しんでいました。
依存の対象がなくならない限り治らない。自己責任だからしょうが無い。根性論を持ち出しては本人の努力が足りないだけだと責められることすらありました。
でも現実は、アルコールから距離を置くことができても、コミュニティから少し距離をおいしまうだけですぐに別のものに依存してしまう人が多くいました。
そうして別の問題が起こる度に、本人やその家族、援助する人たちに批判や陰口が囁かれ、疲弊を繰り返していくばかりの状況でした。
アルコール依存症を解決するためには、ただアルコールから切り離せばよいというだけでなく、現実逃避をしてしまう理由や自己重要感が危機にさらされる原因などを突き止める必要がありました。
しかし、そこに辿り着くには人によってあまりにも背景が異なりすぎるため、人手も時間も資金も体力も周囲からの理解も、何もかもが不足しているのが現実です。
それならば行政は何をしていたというのでしょうか。
当事者放置のまま効果のないことを繰り返した挙句にパチンコ業界をいたずらに追いやったのであれば、父は一体誰に殺されたというのでしょうか。
いらぬ話かもしれませんが、わたしの家系は日本人ですし、父が勤めていたパチンコ店もオーナーは日本人だと聞いています。
台数が横ばいという数字を持ってきて店舗が大型化しているだなんて、そんなことくらい当然知っています。
では売上高や参加人口の著しい減少に目を向けようとしないのは何故でしょうか。そこにも相関関係がないといい切るのでしょうか。
依存性患者の数について具体的な調査結果はないとしてはいますが、これについてもアルコール依存症のときと同じく、基本的には増加するはずだということだって明らかです。
なぜなら、単純に今まで依存症として認知されていなかったものに対して診断が下るようになるからです。
新規患者数の増減や相談件数の増減は、依存症に対するキャンペーンやマスコミに対する露出頻度によって容易に上下するのでそもそも簡単に測定できるものではありません。
わたしをパチンコ業界の関係者だと思うことは勝手ですが、こんなことくらいは調べればすぐにわかることですし、このあたりの話を掘り下げなかったのは議論がそちら方向にいって欲しくないからという気持ちからです。
依存症問題に対する解決というのは、今現在依存している対象がなくなれば解決するようなそんな簡単な問題ではないことをどうして理解しようとしないのでしょうか。
わたしの声なんかそもそも届いていないかもしれませんが、お願いしたいことは2つです。
政治家の方々は対策に効果が出ていないことを速やかに認めて、もっと依存症に悩む人間とそれを援助する人間の言葉に耳を傾けて下さい。
世の中の人達は、自分たちが嫌いという理由を正当化するために依存症問題を安易に口にすることは止めて、嫌いなら嫌いと素直に認めることをして下さい。
規制を強化したことで依存症対策をしたつもりになっている影で、本当に依存症を解決したいと思う人たちに必要な援助が行われていないどころか、むしろ風評を悪化させているということに気づいて下さい。
少なからずあなた方が安直に振りかざした拳で悲しんでいる人がいることは忘れないでください。
<追記>
なんだろう。言葉を伝えることってどうしてこんなにも難しいのだろう。
規制に反対だなんて言ってません。規制するなら効果ある規制をして下さいと言いたいだけです。
それもせずに無闇矢鱈に規制を続けて働いている人間を一方的に苦しめるくらいなら、そんな規制よりも先に依存症に悩む人間に直接目を向けて欲しいというのがどうして伝わらないのか不思議で仕方ありません。
もう疲れました。
社会に出ると自己中心的で、公平や公正なんてものに興味がなく、人から搾取することを悪と考えない、考えようとしない人で溢れている。
彼らが正常として扱われ、全体の改善を提言するとめんどくさい人間として扱われる。
「真面目すぎる」という言葉は、「お客様は神様です」や「万引き」と同じくらい社会に害を与えた言葉だろう。
丸く収まっているからいいじゃんって考えが強く、その尻拭いをさせられている人の立場を考えるように言っても聞く耳を持たない。
いい人は都合のいい人っていう表現はその通りで、自分のメリットデメリットでしか物事を見ようとしない。
そんな社会の中で、事大主義的な振る舞いをして同調し、誰かにめんどうを押し付ければ割といい待遇で生きていけるのはわかっている。
ガキの頃はそういう側面があったけど気づいていなかったからできていたし、今でも物理的にはやろうと思えばやれる。
でも、そんな理不尽を解消しないやり方って虚しくないのだろうか。
誰かに迷惑をかけてしまうくらいなら、引きこもって現実逃避をしたくなる。
安楽死でもなんでもしてさっさとこの醜い世界から抜けたいと思う。
なぜ誰も解決しようとしないのか、なぜ学ぼうとしないのか、なぜ寄り添い考えようとしないのか。
おそらく現代は、高度に進んだ未来の人間から見れば狂ってて頭の悪い人間が跋扈している野蛮な時代に思われているだろう。
力を持った人たちが場当たりな快楽を追求するのではなく、余裕があるからこその行動を見せて欲しいし、自分もそうなりたかった。
そうなれなかった自分が悔しくて仕方がない。
百合好きな先輩(三十路超え独身彼女なしケッコンするつもりもなし)に適当に話合わせるために気軽に踏み込んだだけのはずだったのに
百合自体のよさはここでは語らないけど、百合って現実逃避できるのがでかいなあとこの上京になって思う
自分のことを考えなくてもいい
文を読む限りでは正しさについても大して考えていないな。ぬるすぎ。
他人にマウント取るために使って、他人からマウント取られるのが怖くて、マウント取られまいと必死に真面目に振る舞ってただけ。
そうこうしているうちに自分の中の自分との間でマウント合戦が繰り広げられて、自己嫌悪。
言葉の定義も使い方も全てが酷い。真面目に考えていないのがバレてる。
まあ、あなたが何かに気づいて、感動したことは素晴らしい体験だったんだろう。
ただ、“私たち”って何だよ。
この私が気づいたことだから、見下していた皆様にも使えると思います!ってか?
自分の性格の悪さを「真面目」「正しさ」だとかに置き換えて現実逃避してるようじゃ、一緒だと思うけどね。
田舎で育ったガキだった。
小学校に入ると、「頭いい」・「勉強ができる」ということは恥であると思うようになった。
田舎では学歴がある人がそこそこ稼げていても、中卒の地主や土建屋がそれ以上に稼いでいた。
学ぶという事はイケてる人間になれなかった者が仕方なしにする事だと思うようになった。
リーダー格が犯罪行為をしても、それをチクる事は法を犯す以上に悪い事だと思っていた。
法律や知識なんてのは、力のない者が現実逃避をして自己弁護するためのポーズだとすら思っていた。
彼は小さい頃からお経を覚えさせられ、科学に対し否定的な考えを持っていた。
スピリッチュアルな単語が様々な現象の原因を説明できるとのことだった。
彼の周りには同じ事柄を信じた人が集まり、その信仰を深めていった。
信心深い彼は小学校の頃から三十になる今までずっと同じ姿勢である。
今更彼は、別の角度から物事をみることができないだろう。英才教育が今の彼を作り上げたのだ。
私は高校時代、たまたま知り合った人に勉強の重要性を教えてもらう事ができた。
高3まで頭になかった受験勉強に専心し、上位3%くらいの大学に入る事もできた。
学歴を生かして、いろんな人と交流する事で、自分の無知を自覚できるようになった。
だが、もしその知り合いに出会っていなかったら、その知り合いが自分にとって説得力のない人間だったら、ルックスがかっこ悪かったら、
多分今の自分は別の人間であり、もっともっとバカで愚かな人間であっただろう。
だからこそ、バカを見下すのではなく、自分の運に感謝し、もっと謙虚にならなくてはいけないと思う。
私の両親は恋愛結婚ラブラブで結婚したのだけれど、私が3歳、姉が4歳のときに離婚してしまった。
私も姉も母親に引き取られて、母に女手ひとつで育てられたんだけど、貧乏(仕事と育児から現実逃避するために母がパチンコに嵌っていたため)と虐待(しつけという名目で暴言や身体的暴力、服を買ってもらえない、食事を作ってもらえない)が本当に辛かった。
子供の頃から、「私は絶対に結婚しない。こんなひどい苦しみを生む可能性があるんだから」と思い続けてきた。
実際に、異性との交際経験はあるものの、いまでも結婚は考えられない。
世間の人たちの大半は、特にそこまで考えず、周りが結婚してるし親も勧めるから〜って理由で、自然の流れで結婚してるのではないかと思う。
ところで、私のような劣悪な環境で育った人間は病気になりやすいのだろうか?
親戚には精神疾患のある人はいないのに、私は16歳で摂食障害になり、その後うつ病になり、さらにその後20代半ばで難病を発症し、さらにそのあと双極性障害を発症した。
色んなことに失望し、心の底から人生に絶望して、もはや何の望みも抱けないと思っていた。
自分はすべての希望を失って、人生のすべてを諦めるしかないと思っていた。
そんな生活の中にも、不思議なもので、ふと何かの弾みで希望のような感覚が蘇る瞬間がある。
もっとも、それもすぐに勘違いや糠喜び、甘い見通しに過ぎないと気付いてしまい、自分の愚かさに気分が悪くなる。
それにも関わらず、再び絶望の中に小さな希望を見出してしまうのだ。
こうした一連の出来事を、自分は精神の未熟さの顕れだと思い込んでいた。
明らかに他人より劣った人間世界の敗者に過ぎない自分が希望を抱くのは、
それがどんなに小さいものであれ、愚かな現実逃避に過ぎないのでは、と考えていたからだ。
だが、もしかするとそうではないのかもしれない。
どんな困難な状況にも希望を見出してしまうのは、人間の生存本能の働きなのかもしれない。
しかし、そうした温かな感覚を胸に抱かずして、どうして人は人生を生きていけるのだろうか。
人が希望を見出すとき、それは往々にして他者には欺瞞的に感じられるだろう。だが、だからこそ、それは重要なのだ。
この本質的に予測不能で理不尽極まりない現実世界を生き抜くためには、そうした理不尽から自己を守る欺瞞のベールが不可欠。
それは精神の未熟さというより、むしろ精神に備わった安全装置のようなものなのだと考えるべきなのだ。
消えかえる灯を見て、人は暗闇を恐れ、あるいは暗闇を受け入れようと覚悟する。
しかし、暗闇の中では身動きが取れず、気づけばまた光を欲し、そしてそれは必ず与えられる。驚くべきことだ。
その光は決して現実をありのままに映し出さず、むしろ嘘と偽りに満ちた姿を見せるが、心細くとも人は希望の火に頼らざるを得ない。
火は消そうとしても消そうとしても、必ず再び灯りだす。なぜなら、それこそが命の輝きだからだ。
あいつらは安定した仕事、家庭があり、明日は家族と何をしようかと楽しく語らうのだろう
家に帰れば妻が作ったおいしい食事があり、家族で囲んで喜び合うのだろう
そして逓増していく
俺は何もない
何も増えない
ただ失われていく
どんどん屑と化していく
生きていて何か意味があるだろうか
宝くじでも当たらない限り、この貧乏くじの負債はなくなることはない
なんでここまで差がつくんだろう
なんでちょっと幸せになったくらいで、叩き落されなければいけないんだろう
なんでうまくいかないんだろう
なんで?
なんで?
なんでここまで?
正直死んだ方が楽だな、ましだなと思う時間の方が多い
輝かしい時間も瞬間もあったのにな
2年前は
もうずっとつらい
カウンセリングなんて受けても何か変わるだろうか
タイムマシーンが欲しくても手に入らない
せめて2億円でも手にあればな
全部リセットできるのに
つらさも、後悔も、悲しさも、しんどさも、
誰にも本当の本当はわかりっこないから
やっぱり死ぬ方がいいのかもしれない
死んだらすべての意識を絶つことが出来る
考えるのもやめることが出来る
楽になれる
つらい思い出にとらわれることもなくなる
楽しかった思い出がすべてつらい思い出に転化してしまったから、死にたい
まだ受け入れられない
失ったこと
一人になったこと
裏切られたこと
受け入れられないのかもしれない
やはり死んだ方が楽なのかもしれない
思い出がよみがえってきた
つらい
つらい
このまま痛みをずっと抱えたまま死んでいくんだろうな
永遠に癒されることはないんだと思う
誰かを愛して、あんなふうに幸せな交流や日々を過ごすことも、思い出を積み重ねることもないんだと思う
それくらいすべてを失ってしまったんだ
それが事実だ
さて、いよいよ生きている意味がなくなってきた
ただ苦しみをかみしめて、亡霊のように生きていくのか?
まだ大丈夫、と思える瞬間は現実逃避でしかなくて、何も解決していない時間だ
本当の実際は終わっていて、どうしようもなくて、手の施しようのない状態の自分だ
悲しくなるし、情けなくなる
居なくなりたい
疲れたな
なんでこんなに不幸にならないといけないんだろう
もう疲れたなぁ
16人の魔法少女による、精液をかけた、過激なスケベ椅子取り合戦が始まる―!
「運命の出会い」を信じた穴美は、貯金をはたいてスワッピング会場に潜入。
初スワッピングで味わった非日常的な体験が、亜美の心と体を刺激する。
「私…このままどこででもイけちゃいそう」。しかし、スワッピングの現実は甘いことばかりではなかったのだ!
金曜日、風俗店のゲルマラマニア帝国は突如隣の店に侵攻を開始した。
その戦火は一気に店内全域へと拡がり、店内は性欲の渦に巻き込まれていく。
そして土曜日、ゲルマラマニアはその矛先を美しい処女に恵まれた場末の店エロシナイットに向けようとしていた。
家計の財政難のために風俗店で男娼をすることになった根田巨輔。
しかし、そこにはマグロのチーフ、誰にでも金玉を見せつけるオナホール係など、まともな人間がいない風俗店だった…!?
娯楽の無いツマラナイ生活から現実逃避したいという願望が海外の大麻解禁を後押ししているのだろう
連中がやってるのは自分が気に入らない表現をただ叩いているだけでそこに正義などありはしない。なのに社会一般から見てこれは公共の場で許されない表現! などと理屈として成立しないこじつけをしながら叩くから反発が大きくなる。
ただ単にお前が気に入らない表現というだけだろ。なぜ素直にそう言えない?
もちろん理由は単純。理屈をつけないと広く支持を集められないと思い込んでるからだ。ただのこじつけにすぎないから支持など元より集められないのに近視眼的になっているからそんなことも理解できず理屈にならない理屈をこねる。
萌え絵化された駅乃みちかを一般人が見てヨガり顔だと思うだろうか。ブレザーを着てるにもかかわらずおっぱいがデカいと思うだろうか。スカートが透けてると思うだろうか。
答えは何とも思わない。
そう読み解く目がないし、そもそもそんな細かいところまで見ていない。
なのに一部クレーマーがメトロに凸って表現を変えさせる。自分が気に入らないことを公共ふさわしくないと言い換えて。
1950年代には悪書追放運動が沸き起こり、マンガが叩かれた。
一部クレーマーは自分の理解できないもの、嫌いなものを社会のためと言いながら徹底的に攻撃する。そこにはあるのは自分が嫌悪するものを社会から消し去りたいという下卑た欲望だ。
叩くことそのものが目的だから「美おっぱいグランプリ」を擁護しながら駅乃みちかを叩くという無理筋なことさえしてしまう。
クレーマーは「美おっぱいグランプリ」が「女性目線」だからセーフという。おっぱい=エロへの批判だからセーフという。女体に関して、女が自ら主導権を握っていればセーフという。
ではなぜ主催者は新聞社を集めて撮影会などしたのか。写真が表に出れば男性視線を向けられることは避けられない。女性が女性のために自らのおっぱいを誇るだけであれば報道も写真もいらないだろう。むしろ報道によって写真が表に出ればそういったコンテクストは失われ、おっぱいは性消費物に堕する、と思うのだがそういった批判はフェミニストからなぜか聞こえてこない。むしろ駅乃みちかがダメな理由として引き合いに出される始末だ。
「美おっぱいグランプリ」をエロ目線で見る男が悪いということか?
「美おっぱいグランプリ」がニュースサイトで報じられることは男性に対するセクハラだと考えたことはないのか?
あるいは「Fカップにマギーが思わずおさわり 」という見出しになぜ怒らないのか。これは純然たるセクハラではないのか?
しかしフェミニストは駅乃みちかを叩いて「美おっぱいグランプリ」にまつわるエトセトラは叩かない。
そこにあるのはけっきょく女性の尊厳を守りたいといったことではなくただの萌えフォビアである。
となどと
3次元の水着女性のグラビアに欲情するのは、普通のスケべな性欲だと思うけど、
萌え絵はオタクの欲望に応じて、オタクの理想通りに作り上げられた、非現実の女性だから。
オタク差別ではありません。