はてなキーワード: 官公庁とは
40過ぎの派遣社員だが悩みを聞いてもらいたい。
氷河期の煽りをモロにくらってマトモな就職がただの一度もできず、薄給(手取り15万円)、パワハラ、始発終電上等のブラック企業を渡り歩く。
ここが今まで務めた企業での待遇がウソみたいな超ホワイトっぷり。
給料もトンカツをいつでも食えるくらいもらえる、多少堅苦しさはあるものの職場の人間関係もいたって良好、10-18で残業は一切無し(1年務めたけどホントにただの一度もしたことがない)。
条件聞いたら勤務体系は今までと同じで、給料が800万円くらい、さらに役職付いたら1,000万円超えるらしい。その日の食費にすら事欠いてたワープアど真ん中の1年前から比べたら高低差で耳がキーンとなるくらいだ。
普通だったらノータイムで「なります! 正社員!」とこたえてるところだが、なかなか世の中うまくできてるものでこの会社が実は新興宗教団体なのだ。
今までは派遣社員だからとセミナーや研修会のお誘いをのらりくらりとかわしてきたけど、正社員ともなるとそういう訳にもいかないっぽい。
役職につく、ということはその宗教でステージが上がることを意味している。
さらに最悪なのが、この会社が日本会議とかとべったりでホメオパシーや親学の団体ともかなり深く繋がりがあるのだ。
こんなに待遇の良い仕事はこの先ないのはハッキリ分かってるんだけど、カルトの片棒担ぐのはまっぴらゴメンなのでめちゃくちゃ悩んでいる。
カルトじゃないけど、パワハラや反社の手先みたいになってるAKSや吉本興業の社員もこんな感じで悩んでたりするのだろうか。
初めて増田書いたんだけどこんなにかまってもらえて驚いてる。他人に気にかけてもらえるのって嬉しいものなのね。アドバイスやら助言、ありがとうございます😊
カルトって書いたけどこの団体自体は違法なことは自分の知ってる限りはやってない。むしろ官公庁からけっこう表彰されてる。
表面的にはマトモなこと言ってるし、なんなら政権与党とうまくやってて文教族の議員もセミナーにやって来る。
ただそのセミナーの排他的な雰囲気と、社内のそこかしこに創始者と2代目の写真が北の偉い人みたいな感じで飾られてるのを目にするたびに「きつー、、、」とおもってしまう。
大きな声では言えない話だけれど、外務省は私たち一般市民が思っているよりかなりアメリカ(トランプ?)に対して弱腰。
で、最近HUAWEIだけでなくチャイナリスクとして全ての中国系を締め出し初めている。
私の所属はアメリカ在住の中国人がはじめた会社の日本支社なので、日本人の社長がいて、日本に登記があって、日本人と在留資格をもった(主に高度人材)外国人が働いている。
高い語学力と専門知識が求められ、官公庁との取引もあり、低いレベルながらも日本の官公庁の競争入札に参加するための一般競争入札資格も持っている。
その省庁関係のクライアントから来年は契約更新ができないと連絡があった。
なぜかというと外務省が中国系の会社を締め出しでいるからだという。
ちなみに官公庁の仕事には一切中国人は関わっていないし、中国も関係していない。売り上げを中国に送ることもない。
唯一アメリカにいる中国人が請求書ぐらいは見ることはできるけれど。
クライアントからは、サービス自体は今後も必要なものなので、社長名義で別の会社を設立して外務省の目をごまかせないかと打診があった。
会社が1円で設立できるとはいえ、現実的ではないので断ったようだが。。。
官公庁のいう来年は来年4月なので、まだ時間はあり、状況は劇的に変わる可能性があるけれど、あまりの弱腰っぷりに眩暈がした。
https://anond.hatelabo.jp/20190612125338
フェイクあり
おっきな組織の話をすればバズ流れが来てるみたいなので。
フェイクあり
俺の中の俺~♫
お給料については国家公務員俸給表 https://www.jinji.go.jp/kankoku/h17/pdf/h18.4houkyuhyou.pdf を見ていただくのがいいと思います。
読み方ですが、高卒はおおむね1級5~15程度からスタートし、大卒(一般職)は1級の25~40程度からスタートし、おおむね4ずつ毎年級が上がっていきます。スタートが違うのは前職での経験を加味することがあるからです。総合職の場合は大卒で2級5号俸~、院卒だと2級15号俸~それぞれの経験を加味した号俸から始まります。
2級というのはいわゆる主任クラスです。1級が平、3級が主任/係長、4級が係長といった具合ですね。
昇給した場合は、その級において前の給料と同程度の号俸+4ぐらいになります。
級が上がるほど責任が増える代わりに毎年の昇給量が増えやすくなるということですね。
たとえばですね、1級25号俸170,200円からスタートして4年目で1級41号俸194,900、次の年に2級に上がったとして1級41号俸は2級7号俸と同じ値なのでそれに4号俸増やして5年目で2級11号俸201,600円となり、その7年後に昇給したら前年が2級35号俸245,300円なので3級13号俸を基準として4号俸増やしての12年目3級17号俸252,600 円、年収にするとボーナスが4.5ヶ月分でるとして416万円ですね。ここから10年3級のままだと3級57号俸324,100円なのでおよそ22年目で年535万円、これを多いと取るか少ないと取るかどうかは個人の感想に任せます。まあ、有能な人ならもっとトントン拍子で上がるでしょうけど。
地方公務員の場合もおおむね同じぐらいなので、基本的に公務員の給料はこれで計算できると思ってください(都市部の場合は国家公務員もそれ相応に補正がつきますし、潤っている自治体はそこを基準に考えるべきですががここでは割愛します。まあとりあえず東京都職員やっぱ羨ましいよねって)
なんだかんだ公務員宿舎は安いですが、値段的にも大手民間の社宅に比べると見劣りはする程度にはなってきてます。設備も古いですし。
むしろ、宿舎に住まなかった場合でも家賃の半額程度は手当してもらえることが大きいですね。
出張の旅費はほぼほぼ全額出ますし、転勤時の引っ越し代も持ってく荷物を服ぐらいにして家具は全部端金で売っぱらってから家電量販店の激安セットで我慢すればトントンになる程度は貰えます(こちらに関しては実質ほぼ赤字ですね)
配置によって残業時間はほぼ0~月200hまで選り取り見取り。残業が多い部署なのに残業代がロクにつかない所もあれば、各省庁の中央に近いところだと謎の権力が働いてアホほど多い残業がしっかり給与明細に反映されてたりと多種多様。
基本的には頭は死ぬほど固くて、リースのクソスペックPCを使って頑なにエクセル方眼紙を手作りマクロで頑張って出力してますし、電子決済なんて意地でも導入しないことに誇りを感じる人種だらけです。
非正規の職員さんがあちこちにいますが、数年おきにコロコロ部署を変えている連中と違って10年20年非正規として働き続けている方ばかりですので非常に高い専門性を持っていて完璧に仕事をこなしていただけるので助かっております。
担当者をコロコロ変えてまで防ぎたかった不正行為ですが……防げているとは言い切れない。というよりもガチガチに固まっていながらも相互にデッドロックをかけあってまともに組織が機能しなくなっている部分が多々ありますので、ある程度は現場の責任によって鉛筆を舌が濡羽色に染まるまで舐め続けなければ何も始まらないという状況が多いです。管理部門、経理部門、実務部門、窓口部門、それぞれが互いに嘘を付き合いながらそれをスルーしあいつつ、そもそもこうなるのはお前らが無駄に細かいせいじゃんと責任転嫁しあってなんとか回っています。時折我に返ると、規則を守るために働いていると言いながら規則を積極的に破り、それを報告するために存在すると言い張りながらそれを自分たちで隠蔽し続け、その対価として自分すらも含めて巻き上げてきた血税を頂いているという姿の情けなさに、本気で俺たちはみんな一度ちゃんと首を吊って詫びるべきなのではと感じますし、時折と言いましたがそう感じざるを得ない瞬間はほぼ毎日襲ってきますので、基本的には己の中にある希死念慮や切腹精神を厚顔無恥によって埋めていくことがワークライフの主成分となります。
上記で述べたようにどこか頭がおかしくならないと自分で自分を殺すか辞めるかの二択しかなくなってしまいますので、大体の人は若干どこか壊れています。多いのは、極端に腰が低いタイプの人(組織の良心です)、世間擦れをカッコイイと思い込んだ勘違い社畜(空気の破壊者です)、特権意識に凝り固まった小役人(実在しますご安心を)辺りでしょうか。多種多様な人間の壊れ方が見れますが、見ていて楽しい壊れ方をしている人は少ないので、それを楽しむ目的での入社はオススメしません。
こんな職場ですが、専門性が身につかないため転職する人は少ないです。これが非常に大事なのですが、転職しない理由は待遇というよりも、専門性が全く身につかないことによる部分が大きいです。ほぼほぼ全てです。専門性どころか、一般的な感覚すら養えないです。強いて言うならば官公庁系との付き合い方を内側から知ることが出来ますが、辞める人の多くはそれが嫌になってやめているのでそれが活きる道は選ばないでしょう。よっぽど若いうちでないなら腰掛けで入るのはオススメしません。
フェイクあり
数年おきにコロコロ配置転換を繰り返せば職場の誰も専門的な働き方なんて出来なくなる。
表面的な書類の処理で済む部分までは誤魔化せても、少しでも専門性が要求されるとその道の人間からすれば初歩の部分でも躓く。
その状況を民間企業とベッタリ繋がることで何とか補ってもらっているのが、転勤まみれになった今の官公庁の現状。
業者に金を払えばやってもらえる事であれば、多少ボッタくられはするだろうが(原価調査や契約に関わる人間全員が長くて数年しかその道に関わってないのでチェックすら誰も出来ない言いなり状態なわけだが)、それでも何とか仕事次第は終わる。
問題となるのは会社に依頼せずに自分達で何かをやろうとした場合だ。下っ端は当然素人、課長から上はキャリアとして無軌道に飛び回る門外漢だらけ、主任・係長クラスに「偶然」その仕事の経験があれば何とかなる。
本当にただただその「偶然」頼りである。何故なら「そういう経験があるからこの配置に」という人事が一切行われていないのである。階級と転勤の可否しか見ていない。出来る出来ないはない。あるのは「全国の人員と階級を一致させつつ、とにかく人事異動の回数を稼いで仮初のキャリアを積ませなければいけない」という認識だけ。
物分りのいい人はもうきづいているだろう。典型的な「手段の目的化」である。組織を機能させることが当初の目的でありそこから生まれた手段にすぎなかったものを、いつの間にか目的として認識しその結果、組織がまともに機能しなくなりだしている。
とりあえず転勤させまくればいいという旧態依然としたキャリア感、民間企業であれば事業成績というインセンティブのおかげで少しは改善の機会もあったろうが、官公庁はそうはいかない。ましてや、伝統と階級を重んじてしまっていてはいよいよもって。
最大の問題は、それがこうやって形を成した所で、この程度のことではやり方を変える理由にはならないことだろう。今後もこういう事が積み上がり続け、それがいつかもっと大きな問題に発展しても変わらないだろう。
それが出来るような組織の作り方を根本的にしていないのだから。
国が滅びて始めて変わる。
だから、こういったことに関してはもう諦めよう。諦めて、何割かがドブへと消えると分かっていながら黙ってその分多く税金を収めよう。それしか日本国民には出来ない。間違っても、「俺が変えてやる!」なんて考えて人生を無駄遣いしないことだ。万に一つ、それをやれるだけの力がある人間がいたとして、そんなことにその力を使うのは人類全体で見ても損失でしかないから
https://digital.asahi.com/articles/ASM5X6HTMM5XULBJ01H.html
このニュース、話題になっているけど、「アラビックヤマト」のインパクトの大きさから「フェイク」じゃねーかと思う人も多いと思う。
そうじゃないんだよという理由は下のリンクのものがだいたい説明している。ちゃんと取材しているということなんだよね。どうでもいいことで、需要ないかもだけど、報道関係者として補足説明しておくわ。
http://blog.mobilehackerz.jp/2019/05/blog-post.html
東大などの国公立大や有名私学レベルなんかみんなやっていることなんだけど、プレスリリースを作る際に「縛り」をつけることが多い。
この「縛り」、業界用語なんだけど、情報の解禁日時を指す。このサイト http://news.ceek.jp/search.cgi?q=%C2%A4%B7%EC&way= なんかで検索すると、30日の午前2時の日経の記事がネット上だと一番早く、その後各報道機関が報じている。
全くこの報道には関わっていないので、完全な推測だが、おそらく「30日朝刊から解禁」という条件で、事前にプレスリリースを報道機関に提供している。
なんで事前に提供するのかというと、大きく正確に書いてほしいからだ。例えば解禁日当日にいきなり発表だと、取材する側もなるべく努力はするが、十分な取材もできず、あいまいな理解のままで原稿を書くことがある(テレビも新聞も1日に締め切りが何回もあるので本当に大変)。
そこで発表する側はいい加減なことを書いてもらわれては困るので、解禁日のルールを受け入れてくれる代わりに事前にじっくり取材していいよってことをする。
特に大学の研究なんていう一見素人にわからないものなんかはその傾向が大きい。後は企業や官公庁の発表でもよくある。
最も簡単にできるものではなくて、報道機関側(だいたい記者クラブ)との相談で決まっているけどね。
で、横一線でよーいドンってなった時、力が出るのは、理解力の深さと「面白がり」なんだよね。
「面白がり」ってのは、また業界用語で概念的な話なんだけど、平べったく言えば「視聴者や読者が『へぇー』や『面白いな』『興味がわいた』と思えるように視点を持って取材したり、原稿を書いたりすること」かな。
今回のケースで言えば、そもそも研究自体もすごいことで「へぇー」って思えることなんだけど、おそらく一番面白いのはアラビックヤマトも使えたということじゃないかな。
報道を見る限り、それに一番早く着目したのは朝日の記事。おそらく記者が研究者に取材して説明を受けている最中に「PVAって何ですか」「あー、市販ノリで使われているものですか」「ところでなんですが、もしかして市販ノリでも試しました?」って感じで取材した結果だと思う。
意味わかってないんだな。
自衛隊関係者は、自軍が予算がっぽり取れることが目的で、自分の軍団が有名になる事が大事。
でも、当たり障りのない訓練や小競り合いだと、国民が注目してくれない。
だから、韓国でいいから敵を作り出して、正義のために戦う自分らを演出したい。
自衛隊を擁護する人らは、確かに政府や官公庁関係者から直接か間接的につながりがある可能性もあるが、
基本的にはえらい幹部が優先で、ポストが減ったりするのを嫌ってることが多くて、人によって相対的で曖昧な正義はないんで、主張がだいたい一貫してる。
「AI=何かすげぇシステム」程度の理解をしているユーザー企業や官公庁の情シスと関わっているとシステムの不具合が出た時に最終的に責任を取る「人」は誰なのかと言う話になる
よくAIに取って代わられる仕事なんてのも一時話題になったけどシステムが関わる以上、システムと情シスの間に責任を押し付ける生贄を配置したがる、派遣とか下請けとか子会社とか
それが伝統的になっているSI業界でAIを取り入れてもAIで不具合が起きた時の対応部隊や生贄の配置は必須になり、恐らくAIを監視・保守するような仕事が発生する。
まぁ給与は少なく待遇も悪い上に人も足りないような仕事になるだろうが、システムに関わる知識を必要とされるため派遣会社がこぞって群がる案件になるだろう。
そんな未来が予想されるためAI導入でAIに取って代わられる仕事をしている労働者が不要とされる事はないと断言できる、日本人はAIを信用してないし責任を押し付ける人を欲しがるからね。
それくらいじゃ日本の大手は本気で慌てないと思うんだよね。というか多分そこまで慌てていない。
だからGAFAは日本の大手、もっとはっきり言えば大手SIerを本気で慌てさせるために、一流PGだけじゃなく、一軍PMやコンサルも引き抜け。
彼らの働きぶりは低く見積もっても、年収3000万くらいの価値がある。
ちなみに大手の一軍というのは、それぞれの会社では事実上の「最終決戦兵器」と化している。
すなわち、炎上して大火災になったプロジェクトを、会社が本気でクローズさせようと決心した段階になって、ようやく登場するんだよね。
そう、あのみずほのように。
極稀にプロジェクトの最初からいることもあるけど、それは日本のSIで天国案件が数えるほどしかない理由でもある。
というわけで、そんな神の手(?)を持つ紳士淑女を、消防士あるいは特攻隊長みたいな仕事で、まさしく火事場の渦中に特攻させるなんて、それこそ日本のITの損失だわ。
そこでGAFAが新サービスとしてのSI事業の中核を、大手から引き抜いた日本最高レベルの「手配師」に任せれば、あっという間に日本のSIはGAFAが牛耳るようになるだろう。
もちろんこれだけITが発達した現代において、大企業や官公庁の基幹システムをGAFAに押さえられるというのは、日本がグローバル企業という「世界帝国」に支配されることを意味するのだが、なんだかそっちのほうが良さそうに見えちゃうんで。
NHKで政府が3年間、就職氷河期世代の支援策をやるってニュースが報道されてたけど、就職氷河期当事者はよほどいい支援じゃない限り無理に働かなくていいと思う。
今まで散々、人数の多さや不景気で足下見られて、パワハラ、長時間労働、低賃金強いられて。
「がんばれば正社員になれる」って言われて派遣やら偽装請負やらで搾取されて、最後は契約切られて放り出されて。
あげくの果てに、「努力が足りない」「甘えてる」とか蔑まされて。
そうして一番日本経済が苦しいときに下支えしていたのに、景気回復したと思ったら、年齢制限で正社員の枠はみんな下の世代に持っていかれて。
どうせ今回だって、上の世代や下の世代が余計なお金払いたくない、ってだけなんだし。
就職氷河期世代を、ブラックで人手不足の介護や飲食業界で働かせたいだけなんだし。
だから、今まで非正規やブラックで散々苦労してきた人が無理に乗っかる必要ないと思う。
もらいたいひとは堂々と生活保護受ければいいと思うよ。
年金が少ないのは屁理屈や差別で給料を出し渋っていた企業や官公庁のせいなんだから。
他の世代が困るなら困らせとけばいんじゃない?
働いてほしけりゃ、他の世代と同じ給料と待遇を用意するべきだと思う。
そんなの知ったこっちゃないよね。
って言うほど問題視されないよね。叩かれるのは大抵「萌え絵」と呼ばれるアニメ調のイラストばかり。そういうダブルスタンダードさえなくしてくれたら議論の余地はあると思うんだけどね。逆に言えば、絵画とかに文句がついたときに「とうとう芸術にまで~~」とか言って嘲笑する空気には乗れない。
「性表現=エロ・猥褻」なのか?という問いばかりが先行して、それに対する答えを用意している人が少なすぎるのも問題じゃないかな。
結局、なぜそれを批判されたときに心がざわつくかと言えば、それが我々のsexual expressionであり、「ミニスカート」や「タトゥー」と同様に我々のアイデンティティーを構成しているからだと思う。そう考えて見れば、なぜそれらが「公共空間」において許されないのか?という問いにも一応の説明がつく。公共施設の職員が、「ミニスカート」や「タトゥー」を「義務付け」られていたら、やはり問題だろう。個々人のアイデンティティーは、誰からも侮辱されない権利を持つ代わりに、誰にも押し付けてはいけない義務がある。
ところで、我々のアイデンティティーを構成する「性表現」を「エロ・猥褻」呼ばわりしてきたマジョリティーの皆さん、今度はあなた方の番ですよ。いい加減、公共空間からあなたがたのsexual expressionを撤退してはいただけませんかね。あなた方マジョリティーの考える「素敵なセックス」が、いったいどれほど公共空間にあふれているか、未だに気付いていないんですか?それが一体どれほどのセクシャルマイノリティーに対し、「君たちは所詮アブノーマル」という傲慢で不快なメッセージを伝え、侮辱してきたのか、ほんの少しでも考えていただけませんか?
毎回フェミが晒しあげられる光景を見る度にモヤモヤする。ブコメだけではではいつも言いたい事が何も言えず、一度そのモヤモヤを雑ではあるが増田でアウトプットしてみたいと思い、不慣れな長文を書いてみる。
フェミの主張の大筋は要するにエッチなものを世に溢れさせるなという主張だと何となく考えている。この問題は非常に議論しづらい難しさがある。例えばエッチなものとはそもそも何なのか誰が決めるのかという切り口だけでも大変複雑な難問であり、それに対して「表現の自由の侵害」「お気持ちを押し付けるな」という反論だけでは有効なカウンターになってないのではないかというのが俺の見解だ。後に詳しく説明するが、この問題において議論されるべきだと俺が考えているのは公共空間のデザインと表現の自由のバランスについてなのである。ところが当のフェミからもオタからもそのような議論がされている様子はほとんど見られず、見るも無残な中傷合戦に終始している。クリエイターからはそのような話が出る事が多々あるのだが、オタもフェミもこれらの問題に対して無関心を貫いていると言わざるをえない。ある意味で我々の価値観の過渡期であるにも関わらず、肝心の論点が置き去りになるその不毛な状況に対しての失望こそが俺が感じるモヤモヤの正体なのだ、とようやくこの文章を書きながら気づいた。
例えば近年、学校や官公庁や公園などといった公共空間に設置されている裸の少女の像や裸婦像の絵画などがフェミによって問題視されるケースがある。一見するとそれは荒唐無稽な主張かもしれない。しかし裸の女性というモチーフは西洋芸術の文脈においては古くからの一大ジャンルではあるが、一方ではエッチなモチーフでもあり、我々は単にそれをエッチなものと捉えてはならないと繰り返し教育を受けてきただけに過ぎない。パブリックアート、公共空間における彫刻や造形、絵画のあり方としては、すでにエッチなものには疑義が生じているという状況と考えてもいいだろう。
言うまでもなく公共空間というものは幾多もの他者と自分とが相互に関わりあう空間であり社会そのものである。そのような場にエッチな創作物がさも当然のように鎮座する事が保証されるのが表現の自由というのはいささか暴論だ。他者と関わりあう場だからこそ公共空間における表現は常に綱渡り的なバランス取りを強いられる。仮に頭のおかしなフェミによる病的なクレームであるにせよ、クリエイターは観客のリアクションを受け止めざるをえない。おそらく世の大抵のプロアマ含めたクリエイターはそれを十二分に自覚しているはずだ。つまり表現の自由は公共空間、社会という危うい綱渡りに最初から常に晒されており、真なる表現の自由というのはそもそもが幻想なのである。真なる表現の自由がもし完全に存在する空間があるとするなら、それは引き出しの中の鍵付き日記のような私的領域における創作という場において以外はありえず、フェミがそこまで創作行為を批判しているようにはどうにも思えない。公共空間に作品を送り出す以上、我々は常に公共空間にとってセーフかアウトかを社会に対して問いながら、あるいは喧嘩を売りながら生きていく他なく、現代においてエッチなものが忌避されるならばそれは綱渡りの判断材料の一つと捉える他ない。それは別に表現の自由の侵害でも何でもない。元から創作活動というものはそういうものなのだ。
そんな議論ができればいいなとは思うのだが、フェミもオタもそういう話には興味がないらしい。公共空間だからこそ快不快という主観のぶつかり合いが大切なのに、一番のキモである「お気持ち」が軽視されている現状は何なんだろうな。
題名にある通り私は某旧帝大で特任助教(バイオ系)をしており、今年の3月末で任期が切れます。アラフォーです。
ここ二年の間アカデミア、民間企業等多岐にわたって職探しをずいぶんやりましたが、結局就職先は一つも見つかりませんでした。
アカデミアに関しては南は沖縄から北は北海道まで日本全国で様々な大学のバイオ系研究職に手当たり次第に応募しましたが、全て落ちました。面接では練に練った研究計画を余すことなく熱意を持って伝え、面接官からもお褒めの言葉を頂いた事も何度がありましたが、結局全滅しました。
民間企業に関しても軽く30社は応募しましたが、面接に辿り着けたのが数社で、全て不採用でした。
もうここまで来ると職探しをする気力は消え失せてしまいました。
もうアカデミアも民間企業も持ち駒は一つもなく、今はただ来月末の任期満了日を怯えながら待つのみです。
4月からどうすればいいんだろう。。。どうしよう。。。私は独身で、頼れる身内も一人もいません。人生つみました。
世間では研究者はすごく大変だけどやりがいのあるかっこいい仕事だと思われてるようです。昨今の日本人ノーベル賞受賞者の影響もあるでしょう。しかし、研究者は能力がなければ目も当てられないくらいに悲惨です。(私です。。)素質に恵まれた極少数の研究者は非常に良いですが、大半の研究者はそうではなく、早晩窮地に追い込まれることになります。(私です。。)
思い返せば、私は小さい時から研究者に憧れていました。高校では必死に勉強して、現役で東大理一に合格し、その後も理学部を経て理学系研究科で博士号を取得し、自分は将来東大教授になるんだと信じて疑いませんでした。しかし、今思うと、理学系研究科で大学院生をやってた時既に自分は研究者に向いてないという事に気付くべきタイミングが少なからずあったように思えてなりません。詳細は省きますが、当時の指導教諭や先輩(今は某旧帝大の准教授です。。)から私が研究者を目指すことをやんわりと否定するようなことがあったことを思い出します。結局研究者としてやっていけなくなっていまこのようなにっちもさっちもいかない状況になってしまったので、やはり彼ら(研究者としての素質を持ってる人たち)の指摘は正しかったし、素直に彼らの指摘を受け入れて、大学院生時代にキャリアチェンジを図るべきだった(就職、医学部編入とか)と意味のない反省をしてます。博士時代の同期は何人かいましたが、途中で中退して、医学部に編入したり、民間企業や官公庁にでていった人が結構いました。今思えば彼らの選択が正しかった思います。素直さのなさと視野の狭さが私の欠点であり、その欠点のせいで人生がこうなるとは予想してませんでした。
博士号取得後は別の研究室に移りポスドク(激務薄給労働者)として一日も休むくことなく馬車馬のように働きました。ポスドクをしてた時にも今思うとやはり研究者としての限界を思い知らされる様な出来事がありました。(ご想像のとおりです。)この時も現実を受け入れる事なく、そのままポスドクとして残ってしまいました。ひょっとしたらくだらない自尊心のせいで、自分が研究者としてやっていくのは無理だという残酷な事実から無意識的に逃避していたのかも知れません。
数年に渡るポスドク生活の後、運良く(今思うとここで自分の人生の運を全て使い果たしのかも知れません。)今の特任助教の職にありつく事ができました。しかし、研究の世界は非情なもので、才能のない人がいくら努力しても上手く行くことは決して無く在任中にたいした成果も出せずに気が付けば任期満了まで一ヶ月というところまで来てしまいました。
昨今大学の研究者を取り巻く環境は悪化の一途を辿っており、任期無しの研究職がどんどん少なくなり、その一方で任期付きの研究職の割合が日に日に高まっています。このような状況のせいで自分は研究者になれなかったのだと不平不満を述べる人が多数いますが、私はそうだとは思いません。やはり研究者になれない人(私も含めて)には素質がないのです。素質が何なのかは難しいところですが、結局任期無し大学教員という職を巡る椅子取りゲームで勝つのはやはりふさわしい人なのです。終わりのない椅子取りゲームに見えますが、研究者として生き残る人はなんとなく決まっているように思います。(ここらへんは私自身の勝手な想像です。自分は研究者になれなかった脱落組なので。。)
繰り返しますが、研究者は素質がないともうほんとに悲惨です。自分に素質があるかどうかは割と早い段階で分かるはずなので、いま大学院等で研究者を目指して奮闘している方達(特にバイオ系)には時期を逃すことのないよう気をつけてほしいと思います。
また、アカデミアのよろしくないところは、成功者の経験ばかり語られて、落伍者の声は闇に葬り去られてしまうところだと思います。成功談も大事ですが、それ以上に失敗談にこそ学ぶべきところがあるのだと悟っています。
ああ、4月からどうすればいいのやら。今後の人生はどうなることやら。任期満了日が過ぎたら、その後は社会の底辺を彷徨いつついつか年老いて死ぬ日をひっそりと待ち続けるのみです。