数年おきにコロコロ配置転換を繰り返せば職場の誰も専門的な働き方なんて出来なくなる。
表面的な書類の処理で済む部分までは誤魔化せても、少しでも専門性が要求されるとその道の人間からすれば初歩の部分でも躓く。
その状況を民間企業とベッタリ繋がることで何とか補ってもらっているのが、転勤まみれになった今の官公庁の現状。
業者に金を払えばやってもらえる事であれば、多少ボッタくられはするだろうが(原価調査や契約に関わる人間全員が長くて数年しかその道に関わってないのでチェックすら誰も出来ない言いなり状態なわけだが)、それでも何とか仕事次第は終わる。
問題となるのは会社に依頼せずに自分達で何かをやろうとした場合だ。下っ端は当然素人、課長から上はキャリアとして無軌道に飛び回る門外漢だらけ、主任・係長クラスに「偶然」その仕事の経験があれば何とかなる。
本当にただただその「偶然」頼りである。何故なら「そういう経験があるからこの配置に」という人事が一切行われていないのである。階級と転勤の可否しか見ていない。出来る出来ないはない。あるのは「全国の人員と階級を一致させつつ、とにかく人事異動の回数を稼いで仮初のキャリアを積ませなければいけない」という認識だけ。
物分りのいい人はもうきづいているだろう。典型的な「手段の目的化」である。組織を機能させることが当初の目的でありそこから生まれた手段にすぎなかったものを、いつの間にか目的として認識しその結果、組織がまともに機能しなくなりだしている。
とりあえず転勤させまくればいいという旧態依然としたキャリア感、民間企業であれば事業成績というインセンティブのおかげで少しは改善の機会もあったろうが、官公庁はそうはいかない。ましてや、伝統と階級を重んじてしまっていてはいよいよもって。
最大の問題は、それがこうやって形を成した所で、この程度のことではやり方を変える理由にはならないことだろう。今後もこういう事が積み上がり続け、それがいつかもっと大きな問題に発展しても変わらないだろう。
それが出来るような組織の作り方を根本的にしていないのだから。
国が滅びて始めて変わる。
だから、こういったことに関してはもう諦めよう。諦めて、何割かがドブへと消えると分かっていながら黙ってその分多く税金を収めよう。それしか日本国民には出来ない。間違っても、「俺が変えてやる!」なんて考えて人生を無駄遣いしないことだ。万に一つ、それをやれるだけの力がある人間がいたとして、そんなことにその力を使うのは人類全体で見ても損失でしかないから
実際と数字が違うと注意書しないグーグルが悪い 自衛隊を悪く言うやつは震災時に救助を求めるな