はてなキーワード: ブロゴスフィアとは
これ
https://nou-yunyun.hatenablog.com/entry/2024/03/04/170000
また例によって差別商売のアイツが何やら言ってるのに対して電脳塵芥氏はガソリンスタンドだったのはとうの昔で違うんじゃね?と疑問を呈しているが、増田はこの建物はガソスタの躯体のままだったと考える。
なお、増田がガソスタ勤務だったのは20年前で、その後は危険物取扱者の更新研修を受けていないから20年前より後の消防法の改正については追いかけられていない。
勤務時は危険物保安監督者に任命されていた。(役職手当無し!)
で、火災の危険があるので基本的に給油所の上に建物を建ててはならないし、敷地内に事務所や整備所以外の用途の建造物は建ててはならなかった。
いつかは判らんが、自社の事務所用途のみなら給油所の上に建物を建てても良いという事になった。つまり給油所の上に本社などが建てられる。
90年代の規制緩和の波に合わせて自社以外でも事務所としてなら使用可になった。但し住居としての使用は絶対に不可。
というわけなので〇〇モータースKKが本社社屋兼ガソスタとして建築→廃業して建物を改造してディーラー化というのは平仄があう。
給油所は火災や土壌、排水汚染の危険性があるので設備や形状に特徴がある。そのいくつかが合致する。
・上階の窓は壁面から後退させるか下に庇をつける
前面から見ると2階はファサードで覆われ、3階の窓は後退しているhttps://maps.app.goo.gl/ruJd61cgMcRoPGDj7
裏から見るともっと特徴的だ。https://maps.app.goo.gl/kQsHnn3hNptBMpVX7
2階の窓の下には大きな庇がある。3階、4階とも窓が大きく後退している。こういう建て方をすると雨漏りしやすく防水工事に金が掛かる。
・扉は防火で外開き
建物裏参照。風で扉が開いた時に危険物扱所から屋内に空気が入らようにするない為
・外側に向かって比較的大きな床勾配
給油所の床には水勾配よりも大きい勾配を外に向かって付けねばならない。ガソリン蒸気は重いので隅の方に溜まって引火することがある為。
・鉄線入りガラス
前と裏面にある。まぁこれは車屋でも必要か。こぼれた油脂を下水に流さない為。
なのでガソスタを廃業して、給油スペースを巨大ガラスで仕切る改造をしたものと思われる。
例を挙げると秋葉原のリビナヤマギワの駅と反対側もガソリンスタンドとその本社だった。https://maps.app.goo.gl/j43sSStAaXZKDRVD9
リビナヤマギワは元々駅側のあきばおーとかに近い方だけだった。
上階の窓が引っ込んでいるという特徴と1階天井が高くてシャッターが付いているという特徴があるのが判るだろうか?
90年代前半にガソスタとその本社として開業したが、実は神田秋葉原近辺はガソスタが多い上に設備も少なくて余り儲からなかったのか、数年で閉業してシャッターが掛かったままになった。それをヤマギワが買収して大工事を行い、オフィスを店舗と駐車場に、スタンド部は空調置き場に、本店の裏の壁をぶち抜いて両建物を連結したのだった。
2.地下タンクの油脂だけを抜いて売り、別業態で営業する。給油取扱所のままだがポンプや給油機は撤去する。タンク残量の記録などの義務は残る。
3.タンクを洗浄して水で埋めて封止する。
嘗ては認められなかった方法だがいつだかの規制緩和で可能になった。
タンクを中和剤で洗い、水で埋める。水質検査して汚れが無ければok。パイプ類は切断して厳重に封止する。点検口などの穴は水が溜まるのでモルタルで埋める。これなら他の用途に使えるようになるので給油所部分に建物を建てて会社にしたり、スーパーになっている所もある。上階部分もテナントとして貸せる。住居として貸せるかは不明。
件のHonda Carsの裏側には床に四角いモルタルがある。タンク直上の点検口を埋めたものと思われる。
ガソスタの解体でヤバいのはやはり地下タンクだ。ガスで切断したりユンボでゴツンと叩いて破壊すると中のガソリン蒸気に引火して大爆発する。それ故、一度水で満たしてからガスで切断するというような慎重な作業が必要になる。
但しそれは営業していたままのものだ。建物転用している場合は上記の3.で、タンクと配管は既に洗浄、水で埋まっているから危険はないはずだ。また土壌汚染も起こらないはず。
解体時にテキトウやれば油脂が漏洩して土壌が汚染される。だけど油脂を抜いてあるからその量は大した事ない。
問題は配管やタンクにクラックがあって長年漏洩していた場合だ。ガソリンの主成分は揮発してなくなるがベンゼンが残留する。ガソリンの匂いで気持ち悪くなるのはこのベンゼンが血中に回る為だ。
またハイオク剤も残留する。ガソリンを放置すると沈殿したり固まったりしてキャブレターが詰まったりするが、これがハイオク剤が重合したものだ。長年漏洩していた場合はかなりの量になり、それが広範囲の土壌に浸透している。
そういう場合は土壌の入れ替えをせねばならないが、これがとんでもない額になる。小さなガソスタでも5000万とか7000万とか行ってしまうのだ。だから売主は土壌汚染についてはピリピリしている。
地主は上記のように土壌汚染問題にはヒリついているものだ。そしてそれは多くは営業中の漏洩で引き起こされる。
更に土地の権利はカタギの商売人じゃなくて、訳アリ土地扱いますっていうスジもの業者に売られて転がされてる事もある。
それなのに2chまとめブログ農園のキャベツとか、アルファブロガ時代には日本のネットで隆盛だった2chの影響が無いブロゴスフィアを作ると銘打っていた主幹が作ったのに、年喰って背伸びしたい2chねら上がりみてえなのしか読者が居ない上に寄稿者もそんなのばっかなのに古代ギリシャの広場を名乗ってて当人らだけが日経新聞と比肩するとか思ってるようなサイト農園のレタスとかから生まれた、社会の仕組み判ってないような妖精のチンクルみたいなおっさんが「クルド♪土壌汚染♪」とか歌いながら地雷原の方に行ったらそれを優しく見守ってあげる方がいいのではないだろうか?
ゆえ無き批判で破廉恥な売文業を生業にしているのを見て糺したくなる気持ちは判るが、地雷原の近くで自転車の練習してる場合には応援してあげる方が良い場合もある。
自分が@niftyのADSLと契約したのが2000年だったと思う。インターネットが、時間を気にせずに、生活の中にがっちり組み込まれたのはそれ以来だ。以来22年。2003年くらいからブロゴスフィアなるものが登場した。ネット論壇は高度で刺激的で、礼儀を守りつつ論争的であった。自分の体感的には2008年くらいから、「あれ?」と思うことが多くなってきた。はてなブックマークもそこから如実に子供の言い合いのような罵倒コメントが増えてきた。それまでは仮に、イラッと来る言論があったとしても「お言葉ですが、かくかくしかじかの理由で、お考えには多少の齟齬があるのではないでしょうか」くらいにぐっと堪えたものである。2008年ぐらいから急に「やーいやーい、うんこちんちん」みたいな反応が多くなった。
何が変わったんだろうと考えてみると、だいたいゆとり世代が成人し始めるのがそれくらいからであった。ゆとり世代は17年間続いたので、今がちょうどネット活動世代のヴォリュームゾーンかも知れない。明らかに、日本語を読めてない人たち、過度に構図を単純化する人たちが増えてきた。
「ウクライナ兵の決死の戦闘に敬意。終結するまでロシア 軍を叩き潰すしかないが、報道がきちんとなされているか懸念。」
これが従前からの、人命を守るために早く降伏しろと言う彼の持論からの手の平返しと叩かれた。
手の平返しだろうか。以前からのロジックとかけ離れているのであれば、その解釈をまず疑うべきではないだろうか。
「人命のためには降伏が早い方がいいが、それもできないというならば人命を犠牲にしても終結までロシア軍を叩き潰すしかない」
と読めば何の矛盾も無い発言であるし、実際、これ以後の氏のコメントを見るにこの解釈が妥当なのだと思う。報道がきちんとされていないという橋下氏の主張は、ゼレンスキーが全体主義的な強権を発動して国民を盲目にしていると言う橋下氏の見解に沿っている。このtweetの主眼が後段にあるのは明らかだ。
しかし大半の人がそれを読めていなかった。
ウクライナ戦争への評価の話ではない。単純に日本語読解力の問題である。
次に相手に都合がいいように解釈してみると言う精査の段階を欠いている。端的に言えば自己肯定、万能感が強すぎる。客観性が欠如している。
更に悪魔視した相手だと罵倒の限りを尽くしても構わないとする、異論排除傾向と念のために礼儀を守っておこうと言う安全策をとらない無謀さが顕著である。
昔はよかったとは安易には言いたくない。
しかし今の20代30代のヴォリュームゾーンは20年前と比較しても明らかに水準が低下している。IQが30くらい下がっている印象を受ける。
とあるところではてなスターを覚えておきたいコメントのしおり代わりにしていると書いたら、スターがしおりになるのか?みたいなメタ※があったので、自分なりの使い方を簡単に書いておきます。
スターをよくつけるのは、ざっと見では把握しきれない、複雑な対立関係が見える話題とかですかね。その中でも自分と同じ意見をうまく言語化してくれた※、そのトピックの特徴的な※やトレンドの※、その考え方はなかった的な※、気に食わないが気になる※をおおよそ5:2:2:1くらいでつけてました。あと、資料へのリンクなんかにもよくつけてます。そうやってスターをつけておいたコメントを時間ができたときにテーマ単位でまとめて見返します。昔はそれを元にして、簡単な「意見地図」みたいなメモを作っていました。言い方を変えると、コメントを使って一人でKJ法みたいなことをする感じです。最近は時間がないので、スターをつけっぱなしでほとんど見返してないですけど。
昔は2ちゃんねるやブロゴスフィアを使っていたんですが、まとめサイトが出てきてからはとても使えなくなってしまったため結局はてなに落ち着きました。twitterほどのスケールがなくて、ほどほどに居心地もいいし。
買っても読んでもないからよっぴー本の批判である元増田をさらに批判する権利も何もないんだけど
「何も守るものがないから無謀に攻められた」インターネット初期世代がそんなに好きだったんだねと。
そんで人が普通に成長して得るもの得てその経験を語りだしたら猛烈にdisる人って自分はどうなんだと。
単にまた若くて野心に満ちた人を(ネットのブロゴスフィアよりちゃんとしてきていない場所、でも2chウォッチ板でもない本当の意味で若い人のいる新たな場所で)発掘すればいいだけでは。
セブ山にしても誰にしても、何十年でも何も学ばず若気の至りな煽りネタだけをやってろっていわれたらうんざりするだろう。
まあ昔から知ってるアピしたうえで
ほんとにいいお客さん(悪くいえばストーカー気質だけど)なんで、
できれば裏で山吹色のお菓子でも送ってもらって「これからもどうぞごひいきに」っていわれたい夢のある人なんだろうね。
って朝書きかけたのを投稿したらもう消えてた。
ばいばい
「私はブログを愛していました。毎日真剣にコミュニケーションしていたつもりです。周りにはいつもブロガーがいました。トラックバックとソーシャルブックマークで繋がっていたんです。オタクもサブカルも主義者もいたし、道化、変態もいました。ユーチューバ―のおままごとと違って、正真正銘の道化や変態です。
仕事が終わると、いつもラップトップに張り付いてアンテナをチェックしました。寸暇を惜しまずブログを読み、ブログを書きました。私にとってブログとは、自由になるための手段でした。彼らもそう思っていたでしょう。しがらみに揉まれず、率直な意見をぶつけあう空間。誹謗中傷と批判の区別のつかない人間もいましたが、自由のうちにそういうノイズが混じるのは仕方のないことです。それでもノイズを我慢してブログを続けられたのは率直に意見交換ができたからです。
ときには自分自身への囚われからも自由になれました。私は一人ではなかったからです。信頼できるブロガーからの批判になら、私は耳を傾けることができました。他者の批判は、自分自身の防衛機制を照らす小さな灯です。あまり利口ではない私と彼らでも、知恵を出し合い、意見を出し合い、一人ではたどり着けない何かをアウフヘーベンできました。私にとって、web2.0とはそういう経験だったのです。
ときに讃えあい、ときに批判しあい、ときに潰しあい、そうやってブログを楽しんでいました。土日祝日もブログを欠かしませんでした。アカウント生命を賭けた戦も何度もやりましたし、痴情のもつれがブログをクラッシュさせるところも何度も見ました。人間の最も汚い部分から最も尊い部分まで、すべてがそこにあったのです。
あなた達にはご理解いただきにくいところかもしれませんが、ほんらいブログとは自由なのです。ガンジス川のほとりのように。そして私も!彼らも!ブロガー!!だったのです!」
Yes!
Yes!
Yes!
『賛成多数、汝を戦闘ブロガーと認定する。“獰猛危険”の烙印を施した後、はてなシティ引き回しのうえ、“ゲットー”での謹慎蟄居を命ずる。今後は市民に対するいかなるコミュニケーションも許可しない。良いな?id:○○○○』
「なぜですか!私はコミュニケーションがしたいだけなのです!自由なブロガーの!ブロガーの自由をお認めくださいませ!」
『ならぬ。汝ら戦闘ブロガーは、今という時には不要な存在なのだ。命(アカウント)があるだけでもありがたいと思え』
「どうして手斧を投げてはならぬのですか!どうして討論してはならぬのですか!」
『討論など今のブロゴスフィアには要らぬ。
やれ!』
「や、やめ、ギョワーーーー」
焼きゴテが押し当てられ、男の額には“獰猛危険!”という烙印。
倒れ込み、牢に投げ込まれる男。
『市民諸君!また一人の戦闘ブロガーを適正に処分した!シティの平和は守られ、ますます繁栄するであろう!』
※この台本はフィクションです。登場する団体・人物などの名称はすべて架空のものです。
凄いですね、「イケダハヤトって人は嫌いです」って言っただけなのに、赤の他人に殺害予告されてる。どれだけイケダハヤトって信奉されているんでしょう。
イケハヤ氏って言葉選びが過激で、火の無いところに火種を放り投げて油を注ぎ込んで大炎上させてその火に焚べていた焼き芋を売り歩いているようなブロガー生活を歩まれているように感じますけれども、本人の性格としては飄々としているというか、実際あってみると穏やかな人なんじゃないかと思います。私が好意的に見ているかもしれませんが。
それに対して、この増田は堂々と「おいテメエ俺っちの親分になにイチャモンつけていやがる、生きて帰れると思うなよ!」と脅しております。恐ろしいですね。匿名の書き込みでも警察が動き出したらこの書き込みでも充分に警察の御用になる可能性が十分にあるのに、こんな無謀で生産性のないことを行っている、この人の無防備さと無鉄砲さが恐ろしいですね。
イケハヤ氏の罪というのは、専業ブロガーを多く生み出していることだけでなく、後先考えず短絡的な感情のみで動いてしまう信奉者を増やしていることだったりするかもしれません。本人はそんな信奉者を増やそうなんて微塵も思っていないでしょう。しかし彼の言動がそういう人を結果的に増やしてしまっている、ということはあるのではないでしょうか。
「ああ、こういうことを書いたらお縄を頂戴するかもしれないし、相手もこれを読んだ人も嫌な気持ちになるな。こちらの意見も汲み取ってもらえるよう、柔和かつ分かりやすくイケダハヤト先生のお考えを訴えてみよう」という、良い書き手らしい考え方を持った人が増えてくれれば、ブロゴスフィア(こんな言葉を書くのは久々だ)はもっと良い物になると思うのですけれども。
先駆者としてのotsuneには敬意を払いつつも、この人のブログを面白いと思った事が無い。はてながまだ「オタクの読む物」「悪書」だと言われていた時代の人だ。当時のブロガーの地位なんて今とは比べ物にならない。競争相手なんて(今と比べると)居ないも同然の時代なら、ちょっと本気で取り組めば何を書いても「斬新」で「一番乗り」が簡単に出来た。やりたい放題がそこそこ許された時代だったはず。(同じ理由でガンダムの監督の人もそうだと思うんだよね。それなりにやりたいようにさせてもらえた時代であれば、今でも成功する人間は沢山居ると思う)
ただ、otsuneというクリエイターに匹敵する人間は存在しないのかといったら、多分、全然そんなことは無いと思う。「神様」と担ぐ理由って、別にotsuneに心酔しているからではなくて、ブロゴスフィアの象徴であってほしいという、もっと利己的な理由じゃないかなと思う。
文化に偉人は付き物だもんね。ブログにも歴史があるれっきとした文化なんだぞと、業界ぐるみでその雰囲気を盛り立てていくために、otsuneを利用してきたところはあると思う。
私がサードブロガーという言葉を始めて目にしたのはこの記事を読んだときである。
はてな村では「誰が言ったか」より「何を言ったか」とか言うけど嘘だよね。またはサードブロガーアワードでも、γブロガーアワードでも、+αブロガーアワードでも同時並行で勝手にやったらええねん
この記事について私はこのような感想を残している。
順位を気にしてるからこそ「順位なんか気にせず行こう!」って言ってるみたいで、なんか根本的な解決になってない気がする。宇野常寛っぽい。 2013/10/19
http://b.hatena.ne.jp/masudamaster/20131019#bookmark-165863730
「電車に新しい席を作ろう」という話を書いたつもりです
と言っているが、新しい席も何も、インターネットという場には無数に席がある。それこそ無限にだ。
勝手に座ればいいのに、アルファブロガーがうんぬんアワードがうんぬんと言い続けるその姿勢
カースト論そのものがそもそも馬鹿馬鹿しいし、ましてやブログにはそういった類の優劣は無いはずだ。
私のような疑問・違和感を他の人も表明している。
・サードとかフォースとか言ってる人たち
ゴメンやっぱりよくわからない。
この人ら、何が言いたいの?
「僕はアルファーになれない。アルファーになれない僕らは何者にもなれないのと同じ。でも何者にもなれないのはツライから自らが何者かであると自称する。よかったら認めてくれ」って話なの?そうとしか聞こえないわけだが。
それが書き手個々人の自尊心とかやる気にとって意味があるのは何となく分かる。だが、読み手にとってそれ何の意味があるの?個々人が胸の内で持っていればいいことじゃないの?その概念を広めて最終的にどうしたいの?
(略)
そのサードブロガーとやらは、アルファとは何が違うの?アルファと違って何が読み手にとって素晴らしいことなの?別にブロガーにプロアマの違いがあるわけでもないし、「アルファブロガー」の劣化版としか思えないわけで。 サードブロガーとして認められたら何か満たされるの?すでにサードブロガーとして認められた人たちは、何か心が満たされましたか? 何か生活変わりましたか?
自分なりの目標立てて満足したいだけなら、そんな名前いらなくない?
そもそもなんでアルファにこだわる必要があるの?アルファとかにこだわってるの君等だけじゃないの?自分に自信はあるけどアルファは無理、だからセカンド、サード、フォース、フィフス。そんな志半ばで折れてくたびれた人みたいな話に読み手が付き合う必要あるの?
毎日のように「本物のブロガーとは」みたいなこと言ってる人は、本当はアルファになりたいんじゃないの?
「僕らはアルファになれないブロガーです!」と自称する意味がわからないし、それを公表して一体どうしたいのか、とは
誰もが持つ疑問である。ほとんどのブロガーはアルファではない。しかしブロガーはそんなこと気にしないし、ましてや
いちいちそのような自虐めいたことを記事にはしない。
「僕らは競争から降りたんですよ」と言っているわりにはアルファブロガーに対する意識がとても高く、これにも矛盾を感じた。
この時点で、私のサードブロガーに対する印象は最悪である。自分の立ち位置を意識して書かれたブログなどに価値は感じないからである。
このような記事が投稿されたが、私はこれがまったくわからないのである。
何が言いたいのかわからないのである。村上春樹がここで出てくる。
「○○かもしれないし、○○かもしれない」
「完璧な○○など存在しない。完璧な○○が存在しないようにね」
一事が万事この調子で、とても難解な文章になっているし、私や他のはてなユーザーへの回答・反論にはなっていないと言って良い。
なっていないから「サードブロガー」の意味は二転三転したのである。
それはこの池田批判にも繋がる
サードブロガー問題について理解したいと思っている読者に対して何かを説明しようという意図は全く感じられない。説明する前にさらに自分の課題意識を語って問題をさらにややこしくしている。読んでる人完全においてけぼりである。
そうこうしていると、次はトマト祭り(?)なるものが開催され、よくわからないが、この事件には私よりも私以外のユーザーが不満を漏らしていた記憶がある。
たぶん、トマトをお題にブログを書いてブックマークし合う、といったような話であろう。
身内ブクマ問題である。この部分にはあまりコミットしていないので私にはわからない。
そうすると今度は、やけに声の大きいとても目立つブロガーたちが集団で現れた。体調わる子を筆頭としたはてな女子、大彗星ショッカー、まつたけ、etc・・・。
彼らははてなで大騒ぎをした。とんでもないタイトルととんでもない極論をまぶした記事をはてなに大量に投げ込んだ。
はてな移住前のファンを引き連れてやって来た(ホットエントリが確保されていた)。
お金をください、ファンになってください、と叫んだ。自殺宣言をした。馴れ合った。アイコンを女体に変えた。
私は彼らのことをさっぱり理解できず、嫌悪感を持ちながらも考察した。彼らがブログを書く動機や目的は何か。
そして彼らをどうカテゴライズすればいいのか。
そのとき、私やはてなユーザーは、池田氏が提唱した「サードブロガー」という言葉を持っていた。
これを使わない手はなかった。
池田氏の提唱する「サードブロガー」に対する嫌悪感と、新参DQNブロガーに対する嫌悪感が合体した瞬間である。
「まとめて呼んでしまえ」
ここで池田氏は「提唱者が違う」とおっしゃられるかもしれないが、私はこの記事を提示したい。
サードって言葉使うと俺はサードではないとか、まつたけは一緒にするなとか、原義がー事実誤認がーってうるさいんだよ、あいつら。
そんな細かいこと知らないし、ソース当たるために読み返さねーよ…
そこまでしたくなるほど魅力的な人物や文章がない。
かなり口は悪いが、それなりのことは言っていると思う。
つまり我々は、友達でもない人のブログをいちいち過去に溯ってまで読まないということだ。
自分のブログを過去に溯ってまで読まれるということはとても光栄なことであり、それは自分に興味を持ってくれたということでとても嬉しい。
ただ、それはとても稀なことであり、だから私の過去もあなたの過去もほとんど参照されない(それは救いでもある。東浩紀レベルになってようやく参照されまくる)。
池田氏以外の最近のブロガーにも言えることだが、「私はこのときこう言ってるんですけど!」「過去記事見てください!」
というのは文章のコミュニケーションではたぶん有り得ないことだ。文脈の時制を統一するのが文章のやり取りであり、もちろん
日本のインターネットに居るほとんどの人ができているのに、サードブロガーになると途端にこれがダメになる。
「私の過去ぐらい知ってるでしょ?(みなまで言わないわよ)」ときたもんだ。そんなもん知らないのである。
そういう姿勢が、サードブロガーの文章の読みにくさの大きな要因となっている。
話は逸れたが、つまり私や他の多数のユーザーにとって、「サードブロガー」の提唱者・代表者は間違いなく池田氏だということだ。
さて以上が「私がサードブロガーという言葉を使うまで」の私的(主観)歴史である。
サードブロガーという概念・言葉が二転三転した経緯を私はこう捉えている。
他の人はどう考えているのか。最後に私の目に止まったものを紹介して今回の記事を終わる。
kanose 「サードブロガー」が今までのブログとどう違うか明確に説明されず、他人が理解できない時点で、定義がどんどん出てきたのは当然だったんじゃないかな 2013/12/23
そんな絶望した世界にサードブロガーという言葉が定義されました。
だって、そんな名前つけなくてもWebには、小さな世界や日常をを映し出す人達なんていくらでもいた。
トマトブロガーになりませんかって茶化す記事があったときに一緒になって笑っていた。
別の人間も、フォースブロガーでもプラスアルファブロガーでもええやんと言い出した。
いっぽうで、はてなブログの馬鹿騒ぎに苦々しい思いをしている人たちは、
だから、彼らが大して大事にせずにほったらかしにしてた言葉を使うことにした。
この動きがあった時も、大して反論のようなものは見られなかった。
この時点で、もはやサードブロガーは提唱者のものではなくなってしまった。
乗っ取りが完了してしまっている。
(略)
起源などどうでもいいとはいわない。言葉を提唱したこと自体に意味が全くないとは言わない。
だが、サードブロガーという言葉をどのように使うか決められるほど
トマトバイトテロが洗濯機に入って浮かれているときに笑って見ていた。
ところが、「サードブロガー」周辺のやりとりをみるに、このあたりがよくわからない。PVや影響力だけがすべてではない、と主張しているようにみえるけれど、実際、サードブロガーに該当しそうなブロガーがPVや影響力を軽視しているようには見えなかった。既存のはてなダイアリー・はてなグループのブログ群のほうが、よほどPVや影響力を意識せず動いているようにみえたからだ。そして、彼らはお隣さん同士で「拍手」をつけあい、「あしあと」を気にしあうようなプライベート的ブログ文化圏のソレに近いようにもみえた。本人達の思惑はさておき、日本のブロゴスフィア全域を前提として考えた時、第三の極と言えるようなポリシーの鋭利さは見出しえなかった。
http://anond.hatelabo.jp/20131222231100
http://anond.hatelabo.jp/20131209142219
http://anond.hatelabo.jp/20131224125320
http://anond.hatelabo.jp/20131228163827
俺はブログと言う世界で生きている、この世界で偉いのは金持ってる奴でも喧嘩強い奴でもない、土日祝日ブログ書く奴。サードブロガーです!
http://azanaerunawano5to4.hatenablog.com/entry/2013/12/24/170036
めんどくさいがざっくり説明しとくと、
元々、Tumblr界の魔神otsu●e氏が道路を暴走し、それを「情報戦略は始まっとるんや」とウチで茶化したらクマのお医者さんが鉄製の屑籠を振りかぶって
「悪いことは悪いって言わんかい...オマエネタにして調子乗っとったらぶち○すど、このクソ猿ブログが!!」
と怒鳴られ説教されて「やべー!殺される―!!怖ぇぇぇっ!! (((( ;゚Д゚)))」と冷や汗かいてるところを取り囲んでブコメで騒ぐはてな村お馴染みの盛り上がりの一連をyarukimedesu氏が
ブログ記事を沢山書いて、アルファーブロガーになりたいな、なんて思ったこともあったけど。今でも思うけど、こらあかんわ。人生はあきらめが肝心だ。“
と書いた。
それを見たinujin氏が「アルファなんて目指さないでいいんじゃね?」と言い出したところが最初。
だから元々の発祥も「ボクたちサードブロガーはもっとブログ界を盛り上げて...」なんて意味でも無かったんだが、ちょうどその頃新進気鋭でロジック・思考甘々で釣りまがいの記事を挙げまくって軽く炎上するようなブログが(昨日今日も何やら燃えてたらしいが)幾つも出て来たもんだから「新進気鋭のブログ=サードブロガー」と結びついて、その瞬間本来的な「サードブロガー」と言う言葉と概念は死んだ。
(略)
先日、本を読まない人を見下していると書かれたエントリに思いのほか反響があり驚いています。
話は変わりますが、私は匿名で文章を書き込むような人を見下しています。正直言って、頭の中がお花畑でいらっしゃるのかと疑いたくなる。友達になりたくない。
書き込みという単語が正しいのかわかりませんが、いわゆる増田とか、Anonymous Cowardとかこのエントリが掲載されているようなサイトのことと思ってください。
識別できるIDをつけて評価を得るというのが基本だと思っています。払った時間と知恵に対して、得た物の価値が低く感じると、私はとても残念な気持ちになるのです。
増田というものは、払った労力に対して、得るものといえば、はてブ数?みたいなものでしょ? よくわからないのです。判断対象によって違うのかもしれないですが、ブクマするとリンクがより赤くなると仮定しましょう。
それって、はてブのDB内で数字が増えるだけってことですよね? 労力を払ってまですることなのですか?
そもそも、増田のネタ投稿にあけくれて、評価されたい一心で書き込みしまくる人というのは、何がしたいのでしょうか?
私が思うに、みんなに読んで貰ったという達成感を味わいたいのではないでしょうか? つまり、自分のブログで人気になったエントリが少ない、もしくは人気になるエントリを書く自信がないのではないでしょうか?
増田の世界なら、数さえ増やせば、プレイヤーに関わらず読まれる機会が増える。そして、強いkanoseみたいなものを倒せる。自分がヒーローになれる。
でも自分のブログやTwitterでは、自分は何ひとつやり遂げることができない。やり遂げた経験がない。
そういう人が多いのではないでしょうか?
もう一つ言えば、やはり労力を払って実際の評判を何も得られない課金というのは、経済的に(アフィリエイト的にという意味で)無駄すぎる行為です。それをしてしまうような人の金銭感覚がしれません。
ワンクリック1円や2円かもしれないですが、100クリックもあればイオンなら500mlのジュースとお菓子が買えますよ。ブックオフで本を買えますよ。(アフリカではry) それをただの露出機会獲得のために…理解できないですね。
増田にはまる人との価値観の相違を認めましょう。そういう人がいることを認めますし、やめろとは言いません。そういう人の中にもいい人はいて、一概に達成経験の欠如や金銭感覚の欠如が理由だとはいいません。
しかし、生理現象として、増田に連続で書き込んでいるのを知ると、こいつヤバイと思ってしまいます。ごめんなさい。正直言って、見下している自分がいます。
でもこういう人がいるから、ブロゴスフィアって回ってるのかなとも思います。つまり、増田に書き込む人も評判経済のプレイヤーなんですよね。なるほど、見下している場合じゃないですね!感謝しなくちゃ! って価値観の相違を認めてみました。
ほな、さいなら!
使ってないからw
主語デカすぎだし、はてサの不断の努力なんて期待してないよ。これまででも明らかなように、むしろはてサという存在は真の左翼を後ろから鉄砲玉撃つような人間だということ。言い換えればはてなは低俗左翼メディアってわけだ。
はてながブロゴスフィアで一定の存在感を保ってるのは、はてサの人が感情に流されず理屈をもってネトウヨに立ち向かってきたからでしょう。
感情に流されまくってネトウヨを口汚く罵りまくっているんだからさあ、釣りなら釣りって言おうね?
そもそもはてなで論壇が成り立った例として何があるだろう?
そうなった時に困るのは今回はてサを批判してる貴方たち自身だし、はてなが凋落すればはてな村での人気をバックグラウンドに多方面に顔を出せて来たkanose氏も埋没するだろう。
kanoseが埋没しようがしまいが知ったことではないんだけど、「はてなが凋落すれば」じゃなくて「もう凋落してる」だから。はてな村は限界集落で、村の話題はどれだけ拡散されても村の人間しか見ないし面白くない。困ってるのは「貴方たち自身」じゃなくて「お前」
こういう記事あげるのも首を絞める一環かな?w
これまで散々ネトウヨからの防波堤にこき使っておいて、突然kanoseがはてサをバッシングしはじめたらそれに乗っかって攻撃する奴らの二枚舌が腹立つ。
はてなが2chやニコニコみたいな低俗右翼メディアにならなかったのは、はてサの人の不断の努力があったからでしょう。
はてながブロゴスフィアで一定の存在感を保ってるのは、はてサの人が感情に流されず理屈をもってネトウヨに立ち向かってきたからでしょう。
今回の騒動ではてサの面々がもしも他のサービスに移ったら、はてなの論壇はもう成り立たないんじゃないかとすら思ってる。
そうなった時に困るのは今回はてサを批判してる貴方たち自身だし、はてなが凋落すればはてな村での人気をバックグラウンドに多方面に顔を出せて来たkanose氏も埋没するだろう。
「昔のニコ動は…」Twitterで話題のニコニコ動画への不満ツイートベスト25
(http://matome.naver.jp/odai/2134440748265351001)
まあ、なんというか、あれだね。『動画』を語る人っていなくなったね。
1・2年くらい前まではアイマスMADを語る系のブログ記事がはてブの5user以上にバンバン入ってきてた印象だけど、今はもう壊滅してる。
東方動画はどういうわけかもともとあんまり見かけなかった。同人誌界隈の方が賑やかだからかな?
ボーカロイドは……"現象としての初音ミク"をアレコレ論じる人や"キャラ萌え"の2chまとめなんかは多いけど、"音楽"としてのボーカロイド楽曲を語る論壇ってのはついに形成されなかった。
他の動画、『~ってみた』とか『技術部』とかを体系的に紹介やら批評やらする人ってのは、結局現れなかった。個人ブログそのものが死んでるというのもあるか。
例えばアニメや漫画の論壇なんてのはまだまだ元気だ。(それでも10年前に比べりゃ随分減った気がするけど。) 最近じゃラノベ批評もよく見かける。母数が多いだけに、個人にとってのブロゴスフィアが死んだ今でもまだ、『有名な個人』にとっては論で人を集められる場になってるだろう。
◆はてブされやすい記事の特徴
これらのように、有用な記事を「あとで読む」つもりではてブする人、またコミュニケーションの一つとしてはてブを使う人がいる
長い記事でたくさんのアドオンの解説・リンクをつけておけばある程度はてブされるのは難しいことじゃない。
自分自身にコンテンツ力がないプーたろうでも検索機能とブログ投稿ができればいいのだと思う。
さらに掘り下げてはてブ二桁以上を狙うには以下の施策をおすすめする。
後者は特に重要でソーシャルメディアやブロゴスフィア圏内で友人関係を作っておき彼らにブログを見て貰えるようになっていればはてブは1個から10個くらいは簡単につく。
イベント参加して親しげに彼らとやりとりしていれば彼らの友人からも気にかけてもらいやすいだろう。
ようするにイチャイチャキャッキャするならエライ人としておけばOK。本人にコンテンツ力がなくても数個はつく。
彼とイチャイチャするにはTwitterで動向をチェックしておき参加するイベントや主催しているものに積極的に参加したり@で会話したりなにかをお手伝いしてあげればいい。
◆3桁ブクマを狙うにはコツがいる
3桁ブクマはイチャイチャしてるだけでは得られない大きな壁がある
ブログ記事をかくのには大まかに分けて3つある
・日記
・まとめ記事のまとめ
「自分ならではの」というのはマニアックなほどいい。ロングテールという言葉とおりその情報を知りたい人は世界のどこかにかならずいる。
自分がつまづいたところを日々ログにしておき解決策とともに投稿しよう。他にも上級者ならではのマニアックな状況や初心者に向けた懇切丁寧な記事もよい。
あらかじめ検索しておき同様の記事があればそれを引用して、さらに自分の感想を述べておこう。長く続けているブログであれば検索ランキングも上位に食い込みやすい。
「まとめ記事のまとめ」は簡単だ、「スティーブ・ジョブス」などの旬ワードではてブ検索し、3桁から4桁の記事をピックアップする。
キレイなスクリーンショットをつけて「スティーブ・ジョブスの逸話、心に留めておきたい10のこと」とでもしておけば「後で読む」的にブクマされるだろう。
※もちろんあなたのブログの地力にもよるので弱小ブログでやっても仕方ないが。
これは通称「コバンザメ記事」という。海外の有用そうな記事を和訳したり、テンプレートや無料素材、アドオンなどを合わせて紹介しておけばそのうちはてブが集まっていく。
のような段階がある
AからSランクは体験したことのない別世界だとは思うがC〜B,そしてAになっていくのには長く続けていく力と情報のアンテナ感度があれば挑戦できるところだと思う。ぜひ試してみて欲しい。
海外のネットって面白くなくね?日本で特に象徴的だなあと思うのはにちゃんとはてな。要するに匿名掲示板とソーシャルブックマークがおもしろいと思ってる。派生的なまとめブログもおもしろい、多分ヘビーユーザ的にはこの感覚は共有できるはず。まあ別にできなくても別にいい。
んで個人的にすごい興味深いなあと思うのは、海外のネット(といってもここで指してるのはほぼ英語圏だけ)って眺めててもおもしろくないんだよね。
いやそれはお前の語学力が微妙すぎて理解できてないだけじゃん?とかじゃなくて。割と英語はできるから理解もしているし、確かに理解はネイティブほどではないのだろうけど、そういった理解の深度に依るといったようなことじゃなくてもっと根本的なところでの違いを感じる。
例えば匿名掲示板ではにちゃんが日本にある。とんでもないトラフィックを誇っていて、まあ日本でネット触ってたら名前くらいは嫌でも耳にする存在だわな。
んで、対して、アメリカには4chなるにちゃんの後発サイトがあるというのは割と知られている。仕様は一応にちゃんに似せている(つもり)らしい。
んでここで決定的に違うなあと思うのは、この4chって完全にアニメとか漫画とかのサブカル的な題材扱ってるだけなんだよね。政治経済とかちょっと硬い話題はない、どころかライフハックネタとかも無いんじゃないかな確か。
一方で日本のにちゃんなんて生態はまあ多様だけども知られているように非常に右傾化して先鋭化したネトウヨの存在とかに代表される、政治的な主張を強く持った連中というのがいて、政治経済、はたまた様々な専門分野で論を交わしているというのが実態だ。
こういったのは向こうのだと見られない。ブロゴスフィアなる言葉があって、論壇としてのインターネットの認知というのは遙かに向こうのほうが先に為されていて親しまれているはずなのに、こういった傾向がみられるのは非常に不思議だなあと思う。
また先述のはてな、ソーシャルブックマークの件も非常に不思議。海外ではDelicious、diggあたりが有名で、それ以外にも複数非常に有名なところのソーシャルブックマークってのがある。でもこれもどう表現したらいいのかわからんのだがあまりおもしろいとならんのだよね。実際に付いているブックマークの数も多くはないし、ページに飛んだ先でも面白いユーモアがあったりするわけではないし。まあこのへんは非常に感覚的で意見を異にする人も多いかもしんないっすケド。
とりあえずこういった違いは非常に強いし、例えばTwitterなんかでも日本人が以上にハマりこんでて議論を交わしたりするのに対し、他の国ではあんましなかったりとか。何なんだろうね、この日本人特有の性向っていうのは。日本人のどういった心性がもたらしているものなのか興味深いなあと思うことが多いんだよね。
朝倉兄
「皆の者、見よッ、朝が来たぞ。
我等の勝利を祝う朝だッ!!
昨日まで続いていた暗黒の時代は
ようやく終わりを告げる…、
このVNIの死によってだッ!!
思い知れーッ!
悪魔を殺せーッ!
はてなアイドルファンの老人
地獄へ堕ちろーッ!
朝倉兄
同胞からも嫌われているようだな。
「………。
朝倉兄
「皆の者、静まるがよい。
皆の気持ちはよ~くわかった。
我がブロゴスフィアの同胞よ。
我等の苦しみはすべてこのVNIによって
引き起こされた災いであった。
友であるはてなの民よ。
我々はすべての恨みをこのVNIの血で
あがない、水に流すとしよう。
すべての争いはこれで終わりにしよう。
皆同じ国の民なのだから。
「…汝、神の子よ。
最期に言い残すことはあるか?
「ふはは、すべての戦いは終わっただと?
ふははははは、愚かなやつらめ。
争いを始めたのは私ではないぞ。
朝倉兄
「黙れッ! この期に及んで
自分の罪を民のせいにするかッ!
「哀れだぞ、お兄ちゃん。そして兄チャマ諸君。
貴様らも私と同じだ…。
ぐうたらで、不満ばかりを口にし、
自分では手を汚さない…。
それが閲覧者というもの。
次の瞬間にはようつべで違法アップロードされたアニメを視聴し、
そしてムラムラしてくれば同人誌を落とし、エロゲーすら無料で落とす…
しかし、それは見当違いだ。
手のひらで踊っているのはこいつらでは
ないぞ。私と貴様らだ…。この私の姿は
朝倉兄
「ええい、もうよいッ。殺れッ!
綺麗なふりをしても無駄なことだ。
ふはははははは…!
ふはははははははははははは!
基本的に女性は割り切りなんだよ常に。だから、旦那が鬱になったら即離婚。割り切りってそういうこと。不義理だなんて言っちゃ駄目。女性はそういうモン。
もう後腐れなんて最初からない。歳になって旦那が要介護になったら離婚というケースも多いんだそうです。介護士の情報。
..
ついでに言うと、世の中には馬鹿が常にいて、どれだけ情報を周知しても、理解しない馬鹿が一定数いる。そして、一定数の馬鹿がどこに行っても現れる。
わらわら留まることなく沸いてくる。例えば、2chでテンプレ嫁としつこく書いても読まない奴は常に現れる。テンプレ嫁とテンプレに書いても、
で、この馬鹿を釣るのが一般的な企業のマーケティングなわけ。馬鹿じゃなかったら買わないような商品ばっかでしょ。
なめてんのかテメーって言いたくなるような胡散臭い商品でも売れているのが現実。馬鹿は常にいるもんだ。
俺はブログでライフハック(笑)とか便利なTips集(笑)とか定期的に書いてて、そのたびに10ブクマ、運良ければ100ブクマとか行くんだけど、
馬鹿ばっかで本当に助かるよ。検索すれば書いてあるし、これまではてブでも何度となくブクマ数集めたようなTipsであっても、かなりブクマが集まるww
馬鹿がいる限り、我々ブロゴスフィア(笑)の住人は、コンピュータのこと真剣に勉強してない門外漢であっても、ブクマを集めることができる。馬鹿がいてくれて助かるよ。
逆に言えば、馬鹿ばっかのせいで、ブロガーはろくすっぽ勉強せずにいい加減な記事を量産してるってわけ。
お客さんが進化しないと、我々ブロガーも進化しねえ。消費者が進化しないと、業者は進化しねえ。その意味では馬鹿は(助かる反面)害悪でもある。
いつのころからだったろうか。
僕はブログというツールで真剣な議論ができるという楽観的な見通しをもてなくなった。
たぶん、実社会での仕事に余裕がなくなってきて、プライベートモードに切り替えたころだったろう。
そのころ、3年ほど書きつらねた自分の文章をふりかえって、こんなことを思っていた。
月日がたつと、自分は変わるものだ。
だいたい自分の過去の文章など読み返すと、赤面するような内容であることが多い。
あんなに情熱的に書いていた自分自身はいったいなんだったんだろうと思うくらい、頭を傾げたくなるような文面であることに気がつくものだなぁと。おそらく当時は何の説明も要さないだろうと意識もしなかった背景事情の説明がまったくよみとれず、一体何のためにこんな文章を残したのか理解に苦しむこともある。
と同時に、自分にとって文脈を理解しにくい他人の文章を読むことにストレスも感じるようになっていた。
自分が関心をもっている領域と話題が重なったときですら、ホットイシューとして現在進行形で議論されている中身に容易にキャッチアップすることができない。
もちろん、自分の頭が悪くなった、という部分によるところがもっとも大きいのだろう。
ただ、最近ある話題をながめながら、ふと考えた。
キーワードはすべて私自身の関心領域と重なり馴染みの深いものであるのに、語用法がどうやらぼくが聞きかじった程度のことではあれ、なじんだ使い方と異なることがある。それがただ単にぼくの理解不足や思い込みに起因するときとも多いだろうけれど、当然ながら論者自身の我田引水によるところも多いのではないか。
そして、通常、それに対する注釈もなにもない。自覚がなければ注釈のしようもないわけではあるが。
つまり、お互いに意見を交わそうとするブロガーというのは、その意図とは裏腹に、メディアの仕組みとしてある議題に対してお互いの共通理解を妨げようとする、あるインセンティブが働いているんじゃないかとそんなことを考えた。
端的にいってそれは、自説の一貫性を死守しようとする動機だ。
その牙城が攻略され、掘り崩されてしまうとブログでの言説の信頼性を失い、支離滅裂な人間というレッテルを張られてしまうからだ。
言葉の使い方というのは、動機によっていかようにもゆがむ。あるいは知らず知らずにバイアスがかかる。ブログ言論というのは、共通理解のもとで言葉を使おうとすることを妨げる引力が働いているのではないか。
理想論からいえば、言論空間では、自らの意見の誤りや矛盾は、他者から指摘されることで修正されたりより豊かなものになっていくことが期待されている、と思う。しかし、僕がみたかぎりのブロゴスフィアではそうはなっていないことが多く、自分自身に限っていっても欠陥を取り繕う珍妙な理屈を量産しているような居心地の悪さがつきまとう。。。本人的には言論の一貫性を担保したつもりなんだろうけれども、「私のいいたいことを真に理解するためにはこれらのリンク先を全部読んでおくんだな」みたいなのは、大変不親切で無礼であり、しかもカッコの悪いことこの上ない。
かっこ悪いとは思いつつ、ぼく自身はついついそうなってしまうし、これは要するに能力のなさ、なのだろう。不完全さなんだろう。
そう理解するほかなかった。
ぼくは、自分で書いているブログが「参考文献は全部俺。語用法も俺独自。」みたいな、いびつなつぎはぎ状態になっていくのがどうにもみっともなく感じられ、しだいに人に何か訴えよう、意見を交換しようという動機がうすれてしまった。
第一、そうしてみっともない継ぎ接ぎをしてまで訴えようとしていた事柄も、時がたつと、褪めてしまうことはあるんだとすれば、他人と論争を続けるなかで、そういった過去の残像を保守しようとすることにいったい何の意味があるんだろう。
どこで見たか完全に忘却したが、以前、こんなタイトルのエントリを見かけた事がある。
↑このエントリとは全く関係ないのだが、ハンコが取り持つハートフルストーリーを見たので、まとめた。
インサイダー取引についての誤解 2008-01-20
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/c2fb8cf06d2b523d04b5438919034a4e
私のRSSリーダーには、日本のブログは5つしか入っていないので、それ以外は読まないのだが、その1つであるdankogai氏からのTBで、また内田樹氏の変な記事を読まされたので、簡単に事実誤認を訂正しておく。
「自分が読んでいる5人の中の1人」という告白をそっとした。
ウェブを「匿名の卑怯者」の楽園から脱却させるには 2008-02-05
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/9ad59f1a7f3069cac4c09a84652fccbf
強烈にDisる。
404 Blog Not Foundを読むのをやめた 2008-02-11
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/93da1c13d0f2ad70922e3f7ce8e3d641
前にも書いたように、私のRSSリーダーには、日本のブログは5つしか登録してないのだが、その一つ、404 Blog Not Foundの登録を解除した。理由は、毎週『週刊ダイヤモンド』の広告を読まされるのはごめんだからだ。
「もう読まないんだから!」と宣言をする。
ハンコ・元号・縦書きをやめよう
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/ab7a17b40d389dcd899691841c24261b
ところが、ここに来て、このエントリが奇跡の再会への扉となる。
縦書きだけは残してもいいのでは?
あの頃を彷彿とさせるささやかな返信。ハンコが二人の中を取り持つのか。
今後の展開から目が離せない!
【東京=岡田有花】日本のアルファブロガーを探せ2004でベストイレブンに格付けされ、はてなブックマークでもしばしばホットエントリーとなる論壇系ブログ「極東ブログ」「finalventの日記」の管理人が突然「肉体的にやっていけない」とベストイレブンを返上し、近くブログを閉鎖する方針を明らかにした。関係者に衝撃を与えている。
石垣良樹氏(51)。9日付ITmedia配信記事によると、8日にアジャイルメディア・ネットワーク社を訪れ、アルファブロガー運営委員会の徳力基彦氏にベストイレブン返上を告げた。「もはや毎日朝と昼、エントリーを書けない。肉体的についていけない」と説明。徳力氏は驚きながらも受け入れたという。
ブログは12月15日に閉鎖。今後は、はてな村の外に開いてきた気軽なマイクロブログ(短いテキストの簡易型ブログ)の運営に力を入れるが、無断リンク・無断ブクマは望まないという。
テレビに出たり世界の記事の翻訳だけしたりする他の有名ブロガーと異なり、石垣氏は一貫して原点にとどまって地道に意見を書き続けた。その真摯(しんし)な姿がかえって共感を呼び、近年は日本のブロゴスフィア中からアクセスが殺到。有名ブログや雑誌でも取り上げられ、うすらバカどもにも人気のブログとなっていた。
ちょっと昔の話。今よりも僕はずっとずっと言い訳をするのが好きで、理屈を説明するのが好きだったんです。
でまぁ、当時も今と変わらず誰からも話を聞いてもらえませんで、
鼻歌まじりにチンコいじりながら「話を聞いてくれる相手がいない」と文句言ってたのです。
増田で。
したらまた、はてなーが「じゃあ、わかった」と言うのです。「今からブログ書こう」と。
はてダにエントリなんかしたことないオレは焦りました。「いや、ちょっと待って」とあわてます。
でもはてなーは、少し遠くで荒んでいる非モテのブログを指さし、「あそこ行って一緒にクダ巻こうぜ」と言い、入会を誘います。
オレは「いや、向こうも迷惑だし」とか「さすがにうざいっしょ」とか言って止めます。
はてなーは「嫌がられたら童貞プギャーって言って戻ってくればいいんだよ」と言ってましたが、オレがidとらないのでブコメをやめました。
「じゃあ、ライフハックで、一般人釣るか?」と友達は言います。
「逆にそっちの方が難易度高いだろ」とオレは顔をしかめます。
「でも聞き手がいないんだろ? だったら作るしかないだろ」と友達は口調を強めます。
「そうだけど、もっと普通のブログに書きたいっていうか」とオレ。
「なに、普通って?」
「なんたら記法とか、うんたら記法とか、そういうのがない…」とハッキリ言えない自分。
「じゃあ、オレが今から記法プリントアウトしてきて、それでお前に教えたらいいか? それも良いインターフェイスと言えるよな」というはてなー。
「それは…、だけど、ほら、お前もこの前言ってたじゃん。はてなで書いてくる子って暗い子が多いとか」
「は?」
「その…」
「…暗い子じゃねぇよ。ホリが深い子だよ」
「あ、そうだったね。…でもオレ、ホリが深い子、少し苦手だし。そこまでしてブクマが欲しいってわけでもないし…」
はてなーはオレの顔をじっと見つめながら、一言、
「らめぇ」
と言いました。
彼は言います。
言い訳をして、さも「こういう事情なんだ、だからしょうがないんだ」って言うけれど、
どうせ思想系に行けば「ポストモダンで引っかかるような子は…」って言うし、
技術系につれていけば「ああいう場のノリは苦手だし、そういうところに来る子と仲良くなれそうにない」とか言うだろうし、
ブロゴスフィアのかわいい子を狙えって言えば「いや、彼女とは電波の波長が違って高圧電流がないし白熱電燈」って何かにつけて言い訳するんだろ?
だったら「自分にははてダで書く勇気ないんです」って素直に認めて文句言うんじゃねぇよ。
そっちの方が、よっぽどクソエントリでもトラバしてやろうって気になるし、
つーか、id晒さずに、エントリだけ書いて、ブクマもらおうとするその魂胆がらめぇ、と。
あれは恥ずかしかったなー。すげぇ。恥ずかしかった。
その場は言い訳もできず笑ってごまかしたけど、家に帰ったら彼の顔とセリフが思い浮かんで、
布団の中で「でもさ、でもさ」と必死に言い訳考えてた。