はてなキーワード: ケアとは
美人、いつも機動力の低い衣装やるから、いつも長いウィッグ絡んだり動きづらそうで、撮影中もそういうところのケアをしてたんだ…
ほんと、気を遣いすぎだよね。
カメラマンさんにも、ハッキリ言える勇気がなかっただけなんだよね。
その場が凍るよなって。
狭い地域でのイベントだから、気まずくなるのが怖かったんだなと今気づいた。
色々と気づかせてくれてありがとう。
さて、私は地球から何万光年も離れた惑星からやって来たいわゆる宇宙人である。とは言っても、外見だけから私をそうだと言い当てることは出来ない。なぜなら、私は地球上では地球人の肉体を用いて生活しているからである。
私の故郷の惑星における文明は、地球の人類文明が持つのとは異なる文化を持つ。そのため、地球で暮らし始めた当初は戸惑うことの連続であった。私の出身惑星で自然であることはこの地球と呼ばれる惑星においては自然であるとは限らず、その逆もまた然りだからである。具体的に述べよう。まず、私の惑星では衣服を着用するという文化がない。裸の状態でも性器が露出しておらず、また、非常に高度な体温調節の機能が我々の肉体には備わっているので衣服を着用するという必然性が生じなかったからである。しかし地球人類はそうではなく、そのために衣服の着用を必要とし、それがいつしか社会的規範、ひいては明文法に組み込まれるようになった。私は地球に来てただちに地球上の法執行機関による直接指導を受けるという形でそれを学ぶことになった。(私の姿を見た地球人が「露出狂!」と叫び、私は気づけば拘束されていた。)
私にとって衣服を着用するということはいたって自然ではない。しかしながら私は地球人類と区別できない肉体を用いて生活をしている以上、他の地球人が私を地球人と誤認し、地球人が従うところの社会的規範に服従するよう私にも要求することは自然であるから、彼らを責めることは出来ない。私も不必要な面倒ごとは避けたいから、地球人の期待に添うために衣服を着用することを選択している。しかし、付言しておきたいのは、私の故郷の惑星では文明が地球と比較すれば数世紀程度進んでおり、私のような状態は「出身惑星同一性障害」として認識され、必要なケアが受けられるという事実である。どうやら地球においても近年「性同一性障害」という状態の認知が進みつつあるようだが、「男の肉体を持ちながら男として振る舞うことに苦痛を感じる」という状態が障害であるとみなされるのであれば、「地球人の肉体を持ちながら地球人として振る舞うことに苦痛を感じる」という状態が障害であるという認識も持ってもらいたいところである。地球人類の進歩には期待している。
なんか変な反論を俺がしてたっけ?
追加
タイトルをクリックすれば元の発言に行き着ける事に気が付いた。放置しててすまなかったが、一応俺もすでにあなたの最初の投稿には返事をしているね。
あなたのその後の投稿をすべて踏まえたものでは無いけど、探すの大変そうだから一応ここに再掲しておく。
〜〜再掲開始〜〜
「マスクは関係ないので、たとえ発端が人種差別であっても降ろされるのは妥当」というものになるはずだよ。
それを踏まえて、機長が妄想だったら云々、というのは、それでも機内では機長に従うしかない、という結論にはなりそうだよね。
その代わりあとで機長にはそれ相応の罰が与えられるけどね。
つまり機長の巻き込み自殺までは規定とかでは完全には防げないんじゃない?
〜〜再掲ここまで〜〜
なりたい自分になる行動をしていれば、自己肯定感が高く居られて、サボると途端に不安になって婚活へ走る。
本気じゃないから安いパーティ行って、斜に構えて、感じ悪さダダ漏れ。
男の質に内心ケチつけたり、本当は自分を1番ダメだと思ってるのに。
でも選ばれないとムッとする。
維持するために細々頑張る自分も。
でも、油断するとすぐ太るし、そうなると
自分が揺らぐ。
そんな自分を認められたくて、婚活パーティー行って、でもこんな男どもに選ばれたって全然嬉しくないと、ウンザリ。
何のために痩せて、なりたい自分を目指すのか?
男も特にいらない。
年齢的に素敵な人は売り切れてると痛感してるし、元々淡白。
ただ、自分で自分を諦めるセルフネグレクトになって、自暴自棄になって、婚活で無駄な時間※を過ごすのがつらすぎる。
どうしてこんな男どもに、なんて思う人に自分の評価を任せなきゃいけないのか。
どんなマゾだよ。
医者数年目のペーペーが医療に関して偉そうに語るのは、医師の大多数の先輩方からしたら生意気以外のなんでもないと思う。が、いくつか病院を移動して研修する中で思うところがあったのでここで吐かせてくれ。
一般的に医学部5,6年生になると、初期研修2年間を過ごす病院を自分で探して見学、面談をするようになっている。今は市中病院志向が強く、大学病院はあまり人気がない印象。どちらも一長一短があるので、自分が求める研修のできるほうを選べばいいと思う。
まずは、医学生がよく気にするが、ぶっちゃけどこでもそんな変わらんっていうポイントを書いていく。
よく聞くのは、ハイパー・ハイポという評価軸。忙しいか暇かという意味だ。先生によっては、医師人生で最初の2年間での経験は大きいため忙しい病院で多く経験を積むべき、と言う人もいれば、自分で勉強できる時間を取れる研修が良い、という人もいる。これも当人が医師としてどういう研修が良いか、というところによるので、一概には言いにくい。実際働いてみないとどちらが向いているのかわからないし。
あと、給料がいくらもらえるか。これもその人の価値観で選べば良い。給料の高い低いと研修病院としてのレベルの高い低いには、そこまで関係がない気がする。
他には手技ができるかどうか。ここも医学生としては結構大きなポイントとして思う人が多い。が、研修医ができる手技なんて内科医・外科医になったらいつだってやる機会がある。CV、Aライン、ルンバール、マルク、挿管。パッと思いつくのでそんなところだろうか。むしろ思うのは、手技ができることを売りにしている研修病院に、その指導体制も整っているかは全く別問題という点である。まともな先生ほど、侵襲的な手技は必ず監視する。その時怖い指導をする医師もいるだろうが、指導があるだけ本当にありがたいと最近思っている。
で、結局なにが言いたいかって言うと、働くスタッフの意識が高いか低いか、レベルが高いか低いかで選んだほうがいいよ、という話。
意識が高いというのは、知識でマウントを取るとか、やった手技の数や経験の早さで競い合うということではない。患者に対して前向きかどうか、だ。特に、コメディカルの人々が、だ。
高齢者が入院した際、DNARを取得することはよくあることだ。だが、DNARは急変して亡くなった時の免罪符ではない。治療がそれなりに奏功していたのに突然呼吸状態が悪化して亡くなることは確かにある。だが、それを高齢だからという理由だけで片付けられてしまっては、治療方針を日々検討して最善を尽くしてきた身として正直やるせない。DNARはあくまでも、終末期に際して人間としての尊厳を尊重するために、胸骨圧迫や気管挿管をしないというだけに過ぎない。必要な治療を放棄したりおざなりなケアをしたりするために取得するものではない。
それすら分かっていないコメディカルが中にいることがある。ただ急変時の仕事を減らすためや、患者家族との後々の衝突を避けるためだけに取得していると思い込んでいるやつがいる気がする。治療の見込みがあって進めているのに、はなから緩和みたいな対応されると腹が立つ。DNAR取得は急変したときに延命措置をしないで夕方の申し送りを時間通りに始めるためのものじゃないんだよ。定時に帰るよりことよりも目の前の患者に向き合うことを考えろ。
この意識の高い低いは、自ずとレベルの高い低いにつながってくる。いわゆる三次救急病院でER研修をした後に、二次救急病院で当直をすると、看護師のレベルに本当に差があることを強く感じる。もちろん人による、し、私が研修した病院がそうだっただけの可能性はある。だが、三次救急の病院で研修をすると、看護師の当たりは強めかもしれないが、助けてくれるという安心感が間違いなくある。患者を見てるし、必要な道具がすぐ出てくるし、無駄話しないし、助言をくれるし、看護師同士で勉強している。三次救急病院で研修医生活を送った人は、二次救急病院に行った時にそのレベルの高さを実感すると思う。これはICUなどの急性期病床もそう。
で、愚痴をいろいろと書いたが、医学生が研修病院を見るときにそのレベルの高さを見るのに何を見たらいいか。一つ思いつくのは、カルテを見せてもらえるなら、看護記録を見ることだ。対応した時刻と実際に記載された時刻のラグが少なくて、こまめに書かれているかどうか。
あとは、実際に病棟を回ってみて、スタッフが無駄話をしていないか。どこどこの職員がどうこうだとか、あの先生はどうこうだとか、そんなどうでもいいことをたらたら突っ立って喋っているやつがいるところはだらだらと仕事をしている。もちろん、雑談はコミュニケーションとして重要である。が、それが明らかに無駄になっているところは見ていたらなんとなくわかる。かもしれない。
あと、見学に行くとERを見ることが多いだろう。その時、来ている患者の症例を見ることに目が行きがちだが、そこで働くスタッフの機敏さを見たほうがいい。おそらく、基本的に三次救急が機能している病院のERは概してレベルが高い。二次病院はまちまちな印象。だが、特に、救急車が入ってきてスタッフがすぐ来るか、医師の指示にすぐ対応するか、バイタルはすぐ取るか、患者が見える範囲にいるか、そういうところを見たほうがいい。
忙しい病院は、walk in と救急車の患者対応が多すぎてスタッフの手が回らないことはある。それはどうしても仕方ない。だが、僕が驚いたのは、だらだらと雑談するスタッフのいるERもあるということ。それでもって一晩に大した数を見てない割に、ほら、うち忙しいでしょ、という顔をする病院は実際にある。それは患者対応で忙しいのではなく、スタッフの対応が遅いから仕事が溜まってるだけだ。
やっぱし父親が群馬県民、母親が栃木出身、一家で群馬県在住だからそうなるんだろうなって思う。
私がコミュ障であんまり外に出ないもんで栃木の訛りが抜けず、子供達は私の喋るのを聴いて言葉を覚えたものだから、栃木弁ネイティブ、アクセントがない。
対して、群馬弁は語気がやたら強いので、群馬の人が栃木弁のアクセントのない喋りを聴くと何言ってるかわからないらしい。
長女は私由来の無アクセントトークを人に咎められたのか馬鹿にされたのかわからないけど、最近とにかくどんな単語にでも一ヶ所強くアクセント付けとけば良いだろ的な考え方をするようになったらしく、トンチキな強いアクセントを付けた話し方をしては、夫に叱られて修正されるんだけど、私はそれを聴いて「“柱”を“パンツ”みたいに発音する奴に言われたくねえ」と内心思ったりしているのだった(たまに声に出して言う)。
ああ群馬弁!栃木と群馬はすぐ隣の県の癖に言葉が外国語かよってくらいに違っていて、私もこっちに初めて来た時は周囲のネイティブグンマーが何言ってるのかさっぱりわからなかった。日本語だってことは分かるんだけど、それをどういう感情でもって喋ってるのかがすごくわからなかった。エブリデイ・エブリタイム怒ってるこの人達、と思って枕を涙で濡らす夜が続いたけれども、だからってあーおら栃木さ帰りてぇ……とは思わなかったんだな何故か。
と、ここまであまり栃木弁っぽい単語を使わずに栃木弁的に書いてみた。私は言語学とか知らないけど、何となく個人的な経験からして栃木弁っていうのはアクセントはないと言われているけど独特のリズムで歌うように喋る言葉だと思う。あのリズムこそ栃木弁みたいな。書き言葉じゃ伝わらないのでなんか分かりやすい動画ないかなと思ったらこんな動画を見つけて、これだ!と思ったのでリンク貼る。
「佐藤さん」を「サーッドサァン」みたいな言い方をするのが実に栃木っぽい。
栃木弁って、単語的には同じ概念でも各地によって全然違う言葉で表しがちで、栃木の中に膨大な数の方言があるようでいてリズムだけは大体こんな感じに共通してる。
栃木弁はよその地域のどこに出て話しても馬鹿にされる言葉だが、実はこれはこれで良いとことがあって、それは鼻にかかる音や喉の奥にかかる音の発音で躓かないことなのである。ドイツ語とかイタリア語とかの日本人には難しいと言われる発音をしれっと発音できちゃったりするのが栃木弁話者。例えばMachtという単語を発音するのに日本人の大半が「まはと」と言ってる横で栃木県民は普通に「Macht」と言えたりする。まあ発音のコツを教えてもらえればだけど。「gli zii」を「り、ずいい」とか「ぎ、つぃい?」とかジャパニーズネイティブが言ってる側で栃木県民だけが「gli zii」っていうとか。どうしてかは知らない。あと、栃木弁、なにげにイタリア語と相性がいいので英語でけっ躓いた栃木県民はイタリア語やってから英語やるといいかもしれない。何故かはたぶん、リズムに乗って喋りがちだからじゃない?
すごく、話し飛んだ。
そしてまた話しは飛んでちょっと元に戻るけど、長女がああやってアクセントに苦労している側で次女は何故かキャンディを「ケアーンリィ」みたいな、ちょっと片仮名では表現し難いこなれた発音を生まれつき話すんだけど人生二周目かなこの子?って思う。
https://note.com/ikedanoriyuki/n/nb74ef6f71a54
うちも経緯は違うけど赤ちゃん亡くしてるから、筆者夫婦もそれぞれ傷付いてそれぞれ立ち直ろうとした記録だなと捉えながら読んだ
でもよく考えたら私の読み取り方のほうが深読みのし過ぎだったかもしれない
勝手に自分たちを筆者夫婦に、特に人一倍繊細な感情の機微を持ちながらそれを言語化できず「なんとなく」といった曖昧な表現すらできずに黙り込みがちな夫を筆者さんに投影し過ぎていた
そう思いながら読み返すと筆者さん自身のことをそんな風に表現した文章ではない
赤ちゃんを亡くして悲しみにくれる時、私が一番悲しいなんてことはない
夫も、母も、父も、義父も、義母も、みんなそれぞれ悲しかったのだ
悲しみの深さなんて測れないが、それは同じ人間の中であっても常に一定ではない
表面上強く現れる時もあるし、心の奥底で悲しい時もある
もちろん一時忘れたかのように何かを楽しむことだってあるし、それは立ち直っていくために必要な瞬間だ
一定ではないのは悲しみの強さだけではない
これも当たり前だが一緒に暮らしていくことを楽しみに準備していた赤ちゃんを早々に亡くすことは誰であっても悲しいものだ
私は立ち直る過程で「次に授かる赤ちゃんや私にとっての身体的リスクがあったとしても、それでも赤ちゃんを育てたい」と思った
その気持ちは揺らぐこともあるが、赤ちゃんを育てたいという思いは捨てきれない
夫は「妻や次に授かる赤ちゃんにとっての身体的リスクがあるのなら、赤ちゃんは諦めたい。例えその可能性が低くてもまた失うリスクがあるのなら危険な挑戦はしたくない」と思っていると思う
先述の通り言語化が苦手なタイプなので、断片的な言葉を一生懸命読み取った結果なのだけど
傷付き方、悲しみ方、立ち直る過程、全てが違う
筆者夫婦もそのように見えた
私の夫も自分の感情の機が熟したと感じるまでは「なんとなく」で行動を避ける傾向がある
それを思い出した
まあ当たり前だけど筆者さんと私の夫は全く違う人間なんだけどね
勝手に思い出しちゃっただけで
でもそんな風に読んでたからトップブコメの筆者さんを責める内容に驚いたってだけで
赤ちゃんの死後のお父さんの悲しみって、お母さんの悲しみよりもケアが手薄くなりがちなんだ
これは赤ちゃんを亡くした夫婦向けのブックレットにも書いてあった
男の人って感情を巧みに表現できずに大丈夫そうに見える態度を取りがちな傾向があるらしい
そんな私に夫が言ったのは「気持ちを表現しない=溜め込んで辛いという訳ではない。逆に気持ちを表現できる=発散できてるから大丈夫って訳でもない。だから俺は君のことも心配だ」という言葉だった
その言葉で私達の悲しみ方の違いが初めて実感できた
赤ちゃんを亡くした場合の気持ちのケアよりわかってもらえそうな似た例だと、お父さんの産後うつへのケアとかかな
そっちもやっぱりまだお母さん向けのケアより手薄だと思う
夫婦や家族のこと、複数人が登場してそれぞれの立場に自分や周りの人を投影しやすい経験談のようなものをネット上に書くと、どうしても登場人物同士を比較して誰か1人を批判する人が出てくる
そういう目を大事な家族に向けられたくない、というのが私が今まで家族の経験をネット上に書くのを躊躇って、想像上の腐女子になり切ったお気持ち文やらなにやらばっかり書いてた理由だ
勝手に想定した人物の気持ちになって捏造したエピソードへの感情を文に起こすのがただ好きってだけというのも大きいんだけど
ブコメを書こうとしたのを消して、匿名である増田に来たのも半分はその理由だ
だからそういうリスクがあっても起こったことをそのまま文章にして公開してくれる人は尊敬に値する
初回で全身麻酔時に挿管した管による過敏症の一種といわれ処方薬を使用中。
後者は患部の異変発生時に問い合わせたら再診待てといわれ、再診時にも問題ないと言われるが膿んでる様子は悪化して今に至る。
多少膿んでる様子でも傷が乾いていけば問題なくきれいに治ると言われたが、実際良くなっていないので受診の予定。
医療従事者からしたら大したことないと軽視されるような状況なのかもしれないし、実際軽傷なのかもしれないが、
説明されるほど良い状態とも思えないわけで、備忘録兼ねてここにメモしている。
心遣いはありがたいです。
ただそういった文言も確かに退院時のレジュメに記載があり、確認した上で問い合わせた結果、放置しろ、よくあることだみたいなことが重なるとつらい気持ちも重なるわけで。
ずっと伝えてるけどおかしいと感じた時にどうしたらいいんだみたいな部分のケアに不信を感じている次第です。
追記:あたりがきつい文になってごめん。
シンプルにしんどいんじゃが????って伝えても今日の当番医はきっと語気を荒げたりするタイプなのでそのあたりもしんどいー!うおー!別の人にしてくれー!ておもってる。しんどい。
私はかつて元KAT-TUNの田口淳之介ファンだった人間だ。(釈放時に派手に土下座して法廷で公開プロポーズしたあいつだ)現在も別の男性アイドルを応援しているので、Twitterでいわゆるオタ垢を動かしている。そのオタ垢のTLで今年私をざわつかせた一連の流れがある。
手越祐也のジャニーズ事務所退所と、そこからのファンの動きだ。
何がざわつくかって、かつての田口のファン層の変化と共通する点が多いからだ。
先にトピックを列挙しておく。
・私生活の切り売り
当初たまたま目にしたファン...というより降りたくても降りられない人たちのつぶやきがあまりにも既視感があって、愚痴垢界隈からしばらく目が離せなくなってしまった。自分でもはちゃめちゃに気持ち悪いと思うけれど、自分のトラウマと向き合って過去を冷静に振り返りたい自分がそこにいたのだと思う。
はじめに書いておくけれど、これはアイドルファンに対して「こうあるべき」と言いたいのではなく、手越くんをはじめとするアイドルたちに「残ったファンがこういう状況になったら危険」とどこかにメッセージを吐き出したくなったそこらの限界オタクの呻きです。オタクたちに石を投げるつもりは一切ございません。
また、「逮捕されたアイドルと一緒にするな」というご意見もあるかと思いますが、正直逮捕の有無に関わらず、逮捕前の田口の状況はいわゆる下降線をたどっていて、あまり芳しくなかったと思います。メジャーとの契約が切れたりして。(現在はリセットされて少し良くなったと思う。この辺りは末尾にて。)知名度も人気の規模も手越くんとは差がありますが、あくまで「アイドルとファンの関係」が悪化すると活動が衰退する可能性があるぞという個人の意見ですのでご了承ください。
田口といえば世間一般的にオラついていたKAT-TUNの中でもマイルド担当で、育ちとスタイルの良さ、ダンスの美しさからクラシカルな王子様的ポジションとして愛されていた。(寒いギャグも言う三枚目キャラでもあったけど。)
ジャニーズ時代は比較的需要をまっとうしていたけれど、退所してソロ活動を始めてからは、本人のリアルな嗜好が垣間見れるようになってきた。
今でも「田口淳之介 ロゴ」と画像検索すると一部ヒットするが、ゴリゴリのワルなストリート系のロゴなのである(語彙力、、)。
インディーズで発表した1stシングル「HERO」のジャケも完全にらしからぬワルでマッチョなフォントでタイトルが描かれていたし、続いてリリースされたメジャー1stシングルのロゴもストリートアート風で、本人のファッションもとてもカジュアルなものだった。
活動のかなり初期から、熱心だったファンからも「これじゃない」「田口くんに似合う服はもっとこういうの(画像つきTweet)」といった類の意見が頻出していた。
音楽性に関してもちょいちょいジャパレゲテイストを出してきたり、ウェイ度の高いラップにチャレンジしたり、イカついテイストの楽曲が目立った。(全てではないが)
はっきり言って、目指している方向が「理想とちょっと違う」というよりファン達が「なんなら苦手」と感じるジャンルだった印象だ。地雷を踏んでいたのだ。
アー写も「強い自分」を打ち出したい意図がわかりやすいものを長らく使っていて、「もっと穏やかな空気感の写真の方が田口くんの良さが出ていいのに」なんて言うファンの数は決して少なくはなかった。あれだけ言われていたのだから、ファンレター等で直接進言した人だっていたに違いない。
逮捕前の田口は、ファンの需要を理解していながらも「自分が表現したい自分」との大きなギャップに苦しんでいたのではないか。
(ライブの衣装しかり、写真集の衣装のチョイスしかり、需要に応える場面もそれなりにあった。けれど、本人が持たれたい印象と差があることがあまりにも明確だったので正直見ていて苦しかった)
独立して個人で活動していくのだから、アイドルが自分のやりたい表現をやる権利を行使して当然だ。それは美しく言えば信念とも言える。だけど、ファンのツボを押さえていないとファンが減るのは当たり前の結果なのだ。
かつてのファンが一番切望しているであろう音楽活動が手薄なまま、YouTubeにボランティアに脱毛サロンにと活動範囲を広げている手越くんを見て、そんなことを思い出した。
ただここまでは本人がリスクを覚悟してどこまで天秤にかけるのか次第の話だからまだいい。ここまでなら未来に期待して残るファンはそこそこいる。
芸能人の実名をあげまくった手越くんの自伝とは影響力にだいぶ差があるが、田口もしばしば私生活の切り売りと称されても仕方のない活動があった。
いくつかの媒体で、退所から現在までを振り返るインタビューで結婚をいずれ考えている主旨の発言をしたり、吉本芸人がたくさん集まる関西ローカルの番組でも同様のことを語ったりしていた。
長年交際を続けている恋人がいるのはファンなら周知の事実だったし、退所理由を濁された時点で結婚を見据えての退所なのだろうと多くのファンが推察していたせいなのか、ソロ活動の開始当初から田口のファンには恋愛に寛容な人が多かった。
だが、週刊誌から情報が流れてくるのと本人の口から語られるのとではダメージ全く異なるのだ。くだりの関西ローカルから一気にファン離れが進んだ印象が強い。
「アイドルだって恋愛は自由だ」という考えは正論だし、どちらかといえば私もその主張に近いが、一方で「恋愛して欲しくないというより、アイドルの生々しさに触れたくない」というファンの気持ちはわからなくもない。そういうファンが良い悪いというより、アイドルが実生活の恋愛の話をすと、一定の耐性がある人でないと応援しづらくなるのが実情なのだ。
また、生々しい恋愛を語りファンに耐性を求めることで、”とあるリスク”が生じるのだ。
現在手越くんを純粋に応援するファンの方も、どちらかというと高齢の方が目立つ。
田口はジャニーズ時代から元々マダムキラーの傾向があったが、1stアルバムを出したときに池袋のサンシャインで行われた特典握手会には本当に若いファンがたくさんいたし、握手して感激して目をはらして会場を後にする人で溢れていた。
それが、いつからか会場には自分の親世代のファンの割合がどんどん増えていって(つまり若い子が減った)、スタンディングの密集した現場なんかでは誇張ではなく本当に加齢臭が漂うようになってしまった。
アイドルの恋愛に耐性がある人とはどういう人なのか。全員ではないが、自身が結婚を経験している人ほど、その傾向は高まるように思う。
また、アイドルの親目線で「幸せになって欲しい」と願うファンもこの傾向が強い。(言わずもがな親世代の人たちに親目線のファンが多い)
「自分が結婚しているのに、アイドルの恋愛や結婚を咎めるのは後ろめたい」と思う人、「アイドルの恋愛を許容する心の広い自分が好き」と思う人たちが生き残る。
高齢なファンが全て悪いとは言いません。年齢を重ねて穏やかに応援していて、マナーを大切にする素敵なファンの方もたくさんいました。
・SNSが苦手
SNSが苦手。これが単に「拡散力が低い」だとか「他界隈を沼に落とすのが下手」といった特徴であれば、単にプラスの影響が少ないだけで、害はありません。
SNS慣れしてない、SNSしてない世代の特徴は、<自分のSNS上での振る舞いで他者からどう見られるか>という視点が欠如した行動全般を指すのです。
わかりやすい例でいうと、愚痴をつぶやくときに検索避けが出来ていなかったり。アイコンやプロフィールがダサかったり。使っている絵文字や顔文字など表現全般が古かったり。内容を垢分けせずに無駄に日常を垂れ流したり。
高齢な女性ってなんですぐ「○○ちゃん〜❗️」とか言ってすぐリプライで絡むんでしょうね。あとすぐ「○○同盟」とか「見守り隊」とか言い出したり。
きっと若い世代以上に良くも悪くも<いかに標準的であるか>に気を遣う世代だからすぐに群れたがるのでしょうか。
アイドルのディープなオタクになるための2大行動として「ファンクラブに入る」と「SNSで専用垢を作る」だと思うのですが、後者の専用垢を作る前段階で、新規の若いファンは大手垢を中心に、界隈のファンがどんな発信をするかをチェックします。そして、安心できるコミュニティーだと判断してようやく壁打ち垢からスタートするものです。
SNSが下手なファンばかり増えてしまうと、残念ながら新規のファンはどんどんつきにくくなります。
あとこれは田口のファンだけかもしれないけれど、高齢のファン、気持ちが昂ってても遠慮してなのかライブ会場であんまり声出さないから、パフォーマンスの素晴らしさの割に現場の熱狂が薄くて悲しくなることが多かったな。。。
よく愚痴垢界隈や降りかけのファン、ひいては批判を投げかけるファンに対して投げかけられる意見として、「嫌なら見なければいい」という言葉があります。
特に逮捕直後は当然ながら田口ファン界隈のSNSも荒れに荒れ、結果として擁護派からこの言葉が発せられました。
少し前にAKB48の柏木由紀ちゃん(この人選で傷つく手越くんファンいたらごめん)も自身のYoutubeチャンネルで、「全肯定してとは言わなけれど、アイドルを自分の理想に変えさせるのは違う。見ていて自然と応援したくなる人を応援すべき」という主旨のことを話していた。全肯定まではいかないけれど、比較的近いスタンスの発言だと思う。
こうした類の意見は、ファン自身が精神を病まずに応援するという観点では大正解だ。
だけどアイドルから見て、本当にこのスタンスは望ましいのだろうか。
アイドルに限らず、認知度がものを言う世界では、無関心こそが最大の脅威だ。愚痴を言われながらフォローを続けられているならまだマシで、チャンネル登録やフォローを一度外されてしまったら、そのファンが戻ってくる望みはほぼゼロに等しい。
だいたいアイドルが何をやっても許すならば、そもそもなぜそのアイドルを推しているのかという根拠が揺らいでしまう。だんだん応援するのが習慣になってしまったとしても、元はといえば応援したくなる決定的な要素があったからファンになったはずだ。本当に全肯定になってしまったら、それはただの宗教か依存か自己陶酔だ。
今私が推しているアイドルの界隈は、ことによっては批判も行われ(批判はアイドルだけでなく運営に向けられることもある)、少なくともファンの間では正当に議論が交わされることが多い。批判も決して押しつけではなく「次は気をつけられるといいね」「反省できる○○くんは素敵」といった具合に幸いにもポジティブに着地するのをよく見かける。こういう意見が見られる場所で応援してこそ、自分の推しているアイドルを好きだと日々自信を持って実感しながら応援出来るのではないか。
そして現在の手越くんの愚痴界隈は、見切る勇気がなかったり、まだ期待しているというだけでなく、ファンが減ってしまう恐ろしさを察知しているからこそ、健気に意見を言い続けているのではないでしょうか。
かつての田口担から見ても、彼女たちがいなくなってからが本当に切ない事態を招いてしまう予感がします。Twitterを見た感じ、若いファンが多いし。
少し前に現在応援しているアイドルグループのメンバーの一人が、新しいレギュラー番組を始めるにあたって、「今まで見せたことがない一面を見せるかもしれない」と事前にブログで発信していてとても感心しました。ファンが離れる恐れのある新しい挑戦の際に、先回りしてファンをケアしたり、活動の幅を広げるにしても、ファンが理解できるような筋を通すことでいかに安心感が得られるか、と実感した体験でした。手越くんもよかったら参考にしてみてください。
最後にこのブログで散々貶めてしまった元自担の田口淳之介さんに関して補足。
私は逮捕が原因でファンをやめたというより、逮捕後、ファンクラブの会員だけが見られるブログでは「法廷で語ったことが全て」と言っていたくせに、そのブログの後で家族との仲が原因で小嶺家に助けられて絆を深めた、などなど余計なことをベラベラと週刊誌に語ったのに呆れ果てて応援する気をなくしてしまいました。
ですが、私がファンをやめる前より、現在の方が状況が良いように思います。
逮捕されたことで以前よりプライドがなくなったのか、自身のオリジナル曲だけでなく「踊ってみた」に積極的に挑戦して動画を投稿したり、逮捕前からラジオ番組を通じて交流があったボカロ界隈の方と楽曲を作ることで、クリエイターを押し上げつつハイペースに作品を出すことに成功しています。
正直、逮捕された後にここまでアクティブに活動してくれると思っていませんでした。
ボカロ曲が私の音楽的嗜好に合わないので、応援はしていませんが、SNSのフォローは続けています。
たくさん傷つけられましたが、今でも幸せになって欲しいという気持ちには変わりはありません。
何より、「歌って踊ることが好き」であるということにしっかり軸を置いて活動しているのが見て取れるのが嬉しいし、どうかこのまま続けて欲しい。田口氏に関しては、いつの日かまたファンに戻る日がくるかもしれません。
勝手に比較して勝手に書き散らしましたが、どうか手越くんのファンやかつて手越くんファンだった人たちが幸せに心穏やかに暮らせますように。
これ読んでて思ったんだけど。
まず前提確認として、
ここに異論は少ないと思う。
その上で、元増田で気になったのは、自分の理解では、「同性愛者もかつては迫害されていたが今は改善された。小児性愛者への迫害も同様に改善され得る」と主張していることだ。
確かに、現代日本では、しばしば、小児性愛者の内心すら否定する人を目にするので、それが改善される可能性はあると思う。
一方で、小児性愛「行為」が違法から合法になるという可能性は、ほぼ確実にありえない。
1. 児童には、性行為の持つ意味・リスク・人生への影響が理解できない。このため、性行為についてフェアな合意はありえず、大人から子供への一方的な加害行為である。
2. 特に、人生への影響は深刻である。性体験の原点が犯罪被害である人生を歩むことになる。人生を通して、尊厳を奪い続ける。
3. 児童は行為の意味が理解できずに被害を訴えられない場合がある。このため、保護者が被害に気づかず、メンタルケア等が処置されない場合がある。これは保護者に対し、小児性愛犯罪にたいする慢性的な不安を与える。
この辺りを理解していれば、同性愛行為と小児性愛行為は全く異なり、「同性愛行為と同様に小児性愛行為が合法になるかも」なんて無理筋の発想であると気づくはずだ。
小児性愛行為は、同性愛行為よりは、強制性交等の性犯罪に近い。
逆に、こういう発想をする人は、どれくらい小児性愛行為の加害性を理解しているんだろう、と不安に思う。
小児性愛者自身こそ、特に、小児性愛行為の卑劣さを認識するべきだ。これは小児性愛の内心を否定する主張ではないと思う。男性が性犯罪を犯すことの有害性は、特に男性が認識するべきだし、痴漢の有害性は、特に痴漢依存症者が認識するべきだ。まずは行為主体が行為の有害性を認識すべきだというのは一般的な主張だろう。もし、小児性愛者が、小児性愛行為の卑劣さを認識していなければ、それが非難されるのは当然だし、その非難は差別ではないはずだ。
この辺りをきちんと合意すべきなんじゃないだろうかと思う。
zenkamono アセクシュアル(無性愛者)『性愛者って、性犯罪が「超卑劣」って認識はあるの?』 性愛者『言うても自分ら性犯罪なんてしたことないし・・・』
私は小児性愛者ではない性愛者で、性犯罪歴もないですが、性犯罪の卑劣さは十分に認識していますし、多くの人がそうあるべきだと思います。
>TakamoriTarou
hellshake まとめ手前の例が雑に感じる。男性だけが性犯罪犯すわけじゃないんだから性犯罪の有害性を全人類が認識すべきだし、痴漢依存症を小児性愛者と同レイヤーで語るのは無理があると思うわ。
前半は「男性が」性犯罪を犯すことの有害性としたので、まずは男性が理解すべきというのは普通ではないでしょうか。おっしゃる通りに「性犯罪」一般の有害性であれば、性別問わず認識されるべきだと思います。
後半はもちろん様々な差異があるとは思いますが、今回の文脈で、2つ並列したことに問題があったとは現段階では思っていません。
自分と妻は大学時代の同級生で、学生時代からお付き合いし紆余曲折あったが20代半ばで結婚した。
現在はお互い30代半ばを過ぎている。
で、コロナ禍で在宅勤務をしていたらふとしたきっかけで妻が不倫をしていることに気がついてしまった。
問いただした結果、浮気相手と再婚したいから離婚してくれと言われている。
自分にとって妻は最愛の人だ。今までも大切にしていたし、これからもずっとそのつもりだ。
しかし妻からすると俺の日頃の行いが積りに積もって気持ちが離れて行き、結果として浮気そして離婚に繋がるのだと言う。
浮気された上に自業自得だと言われ、端的に言って気が狂いそうだ。
次に離婚という結論を相談もなく突き付けられたことに狼狽している。
何もかもが変わってしまうし、何よりも子供達はどうなるのかと聞くと、
彼女の持論として以下のことを言われる
・子供達にとってのパパとママの関係はこれまで通り続けていけば大丈夫
・親が離婚をしても子供が不幸になるとは限らない。離婚した後にどうするかが重要。
俺としては、最終的に子供が幸せになるかどうかは親が離婚しているかどうかとは関係がないというところについては同意だが、
それ以前に母親が浮気をして離婚するという事実に自分の小さな子供が傷つくということがそもそも許容できない。
妻と話していると、離婚することが子供に精神的な苦痛を与えることになるということをリアルに想定できていないのではないかと感じる。
離婚で子供が傷ついたらどうなるのかという事象はすっ飛ばして、傷ついてもそのあとのケアが重要だから大丈夫だと、傷つける側の立場の人が言っているのが怖くて仕方がない。
結局は自分の欲望が優先で、子供のことを軽んじているのではないかと思ってしまう。このことについては憤りを感じる。
妻が家を出て行った原因を最後に話したい。
離婚を切り出したのは妻であるが、妻はいわゆる有責配偶者なので妻から離婚をすることはできない。
そのことが妻にとってストレスになっている。
妻からすると、
・妻が子供の親権をとって新しい夫と暮らすのが本当は最善だと思っているが、そうはしないであげてるのに同意しないのはおかしい
・結局何を話しても離婚に同意しないでいつまでも私を解放しないつもりなんだろう。いつまで苦しめるつもりなんだ。
ということになっている。
それでついつい、お前も確かに苦しいのかもしれないけど、俺はずっと苦しいし死にたいよ。なんでずっと被害者面なんだよ。一番の被害者は子供達だろ。みたいなことを言ってしまった。逆効果で、もう耐えられないと言って一人で出て行ってしまった。
不倫相手の男はアメリカ人で投資会社に勤めている多分金持ちで、コロナの影響で妻とはずっと会えないでいる。コロナ前は日本企業への投資活動の一環で月イチくらいの頻度で来日していたようだ。俺たち夫婦に子供が出来てから育児で妻が疲弊したり、それと同時期に仕事面でも妻の責任が重くなったりしてなかなか精神的な余裕がなかったのはその通りだと思う。なので俺も積極的に育児に参加しているし、妻はそれは評価してくれている(離婚してもパパとママの関係は続けていくべき、と言ってくれている)。少なくとも育児の面は俺が多くをカバーし、妻にはなるべく仕事に集中してもらったり仕事以外でもなるべく自由な時間をとってストレス発散してもらえればと思って、休日は子供二人と俺の三人で出かけることが多くなった。別に、子供は超絶可愛くて面白くて良い子だから一緒に過ごして全然俺は嫌じゃないんだけど、妻が定期的に行く海外出張の時のワンオペ育児のときはちょっと心がくじけそうになることもあった。
で、妻は俺たち三人が過ごしている隙に浮気してた。海外出張先でも浮気していた。離婚は俺の自業自得で、離婚出来ないストレッサーも俺なのか?相手のアメリカ人の素性はネットで晒したりしたらダメなのかな。はぁ〜最後に、と言いながら余計なことを書いてしまった。