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2014-08-20

姉歯物件は大震災でビクともしなかった?

やまもといちろう長谷川豊の一連の姉歯物件に関する議論

姉歯物件は大震災でビクともしなかった ⇒http://spotlight-media.jp/article/50466214100990319

②大震災で配管が断絶した(つまり建物がそれなりに地震で変形した)ものもあった ⇒http://blogos.com/article/92808/

の両方の主張は、いずれかが全数調査を行っていない限り「ウソを言ってないというレベルでは」「自分調査した範囲では、という但し書きの下では」同時に成り立ち得るが、あまり意味が無い。

東日本大震災は、地震のものの揺れのレベルは非常に小さかった。ここで言う「揺れのレベル」というのは「一般的建築物を揺らす能力」という意味だがこれは震度意味しない。震度が高くても建物が全く壊れない地震もあれば、震度が低くてもメチャメチャに壊れる地震もある。この辺は高校中学で習う「共振」を思い出せば何となく理解できるんじゃないだろうか。要するに地震のものの持つ周期と建物が持っている周期が一致すればより建物は揺れやすくなる。建物共振やすさは、震度計算にあまり加味されていない。これが東日本大震災で「揺れのレベル」が小さかった、と書いた理由だ。

この前の震災では地震継続時間が長かったか超高層ビルがめちゃくちゃ揺れたとかニュースが流れたが、一般の建物崩壊させるほどのパワーはほとんどなかったと見ていい。

もちろん局所的に地盤が軟らかい土地などでは大きな被害を受けた建物もあっただろうし、もちろんその逆もあっただろう。

要するに地震のものに対する認識が雑だと、この種の議論はまったく空転するのである。いくら建物が強かろうと、それを上回る程度の「揺れのレベル」の地震が来れば壊れるだろうし、逆に弱小建物も「揺れのレベル」が小さければ壊れないのである

長谷川豊が言っている、

当時、震度5か6でパターンと倒れると報道された姉歯元1級建築士設計したマンション果たしてどうなっているのか?!答えは…

ビクともしていなかった。

当時、姉歯氏はこう語っている。

耐震に関してはかなりの強度を保っておりますし、震度7や8にも十分耐えられるはずです」

そう、関東地方にある姉歯物件は実はフジテレビ関係者も住んでいた。お台場にあるフジテレビ本社にはかなり交通の便の良い所に姉歯物件存在するのだ。ちなみに、それらの姉歯物件だが、少なくとも僕の知る限り…

1棟もヒビ一つ入っていない。

要は姉歯氏の言っていた言葉の方が正しかったのだ。

国土交通省省の定める耐震強度がそもそも、あまりにも強すぎる設定になっているだけで、姉歯氏の計算通り、1000年に1度の地震が来ても、彼らの物件マンションはビクともしなかったのだ。

は、まったく地震に対する議論が雑である専門家ではないので仕方ないかもしれないが。地震に対する言及

1000年に1度の地震 ⇒ マグニチュードはその程度の頻度になるかもしれないが、マグニチュードは揺れの強さではない。「揺れのレベル」も表さない。

・そもそも震度8などない(最大で7。姉歯言葉引用のようだが。)

だけである。上でも書いた通り、震度7でもまったく建物が壊れない場合もある。

では逆に、震度5姉歯物件は倒壊しうるか?と言われれば、「倒壊しうる」と俺は答える。

http://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/kyoshin/kaisetsu/comp.htm

上記を参照すると、震度5強で周期1.0秒(建物の周期に近いところな)だと加速度100gal~200gal程度だろうか?(重力加速度は980galなので重力の1/10~1/5の「地面の揺れ」)

建物に「地面の揺れ」が伝わると加速度は増幅される。その倍率を仮に1.5だとする。そうすると建物作用する加速度100gal~200gal×1.5で150gal~300galだとする。

通常建物重力の0.5倍の加速度(490gal)で倒壊しないよう設計されるとして、それが耐震偽装により半分まで落とされた場合どうなるか?

490gal×1/2=245gal

これが耐震偽装された建物の耐えられる加速度だ。地震によって150gal~300gal程度の加速度作用したら?

安全率、建物劣化程度、局所的な地盤条件その他諸々条件を考慮したとしても、「倒壊し得る」という答えが妥当だ。100棟あれば少なくとも1棟くらいは倒壊する可能性が高い。

そんなような簡単な計算に基づいた推測からすると、姉歯は相応に叩かれるべきだったと思うし(叩かれ方は妥当ではなかったと思う。それは同意できる。)、姉歯物件震度5強でも倒壊し得る。

長谷川豊は「あの姉歯物件東日本大震災でビクともしていなかった。」とあくま特定地震に対する結果のみに限定しているとはいえ、姉歯物件安全であるかのような書きっぷりにはやはり納得がいかない。

もっと「揺れレベル」が大きい地震が来たら、倒壊するかもしれないのに。

2014-05-14

地震なんていないさ。地震なんてウソさ。

4年前、18歳の時に大阪から上京した時は夢に満ち溢れていた。

地元友達には、「東京109広告、乗っ取ったるで。まるまるっと1年な。」っと豪語して上京した。

JJの表紙を飾るつもりだった。CanCamの表紙を飾るつもりだった。

ゆくゆくはドラマにも出て、香里奈北川景子を超えるつもりでいた。

私は本当にそのつもりでいた。

本当に本当に本気(マジ)だった。

もちろん、それを叶えるためには血の滲むような努力必要なのもわかっていた。

屈辱をいっぱい受けるだろう事も覚悟していた。

うまくいかない日々に、心がブレてしまうだろう事にも勝たなければいけない事も分かってはいた。

全部全部わかった上で、毎日努力した。

1日 1800kcalを超えないように食事制限した。ずっと、温野菜中心の生活だった。

毎日5kmジョギングした。腹筋100回した。体幹トレーンングも行った。

睡眠も必ず8時間とれるように友達の誘いもほとんど断った。

遊んでいても、19:00には途中で帰宅するようにした。

毎日契約した事務所から仕事の依頼がないか、

携帯電話を見つめて一日中過ごした。

4年間、ずっとずーーーーとこんなんだった。

でも、、、、うまくいかなかった。

仕事が決まらなかった。所属事務所雑誌に載せてくれなかった。

載せてくれても、読モ扱いの小さな写真だった。(あたいは読モじゃない。職業 = モデルだぃ!!(激オコ))

思い切ってフリーランスになってみるものの、状況は変わらなかった。

東京に来て、何もかもうまく行かなかった。。。

本当の本当にうまくいかなかった。

もう限界だった。。

もう叶わないんじゃないかって、もう自分には向いてなかったんじゃないかって。

終わりの見えない暗いトンネルを、手探りで進み続ける体力はもう残ってなかった。

わたしの中のあたしが、毎日、”大阪戻りたい”って泣き叫んでいた。

つらかった。自分が若くなくなっていくのも辛かった。おばさんになっていくのがつらかった。

強くなりたかった。でも、なれなかった。

。。。。

2014/05/05 17:00 品川発 新大阪行 のぞみ299号

4年間帰らなかった大阪に帰るつもりだった。

”売れるまで帰らへん!!”ってママに言って出てきたから、ウソつき敗北者の帰還だ。

出発の前夜、ママ電話した。

明日、夜には帰るね。”

”うん、わかった。夜ごはん中華ちまきでいいでしょ。あと、シーチキンキャベツも用意しとくね。”

ママはそれ以外の言葉は言わず、”待ってるねー”だけで、電話を切った。

私は安心からか涙が止まらなかった。永遠に泣き続けていられるような気がした。

ずっと1人で戦い続けてきたから。。私を守ってくれる人を実感できた事がうれしかった。

きっと、何もかもママにはお見通しなのだろう。

その夜、東京で知り合った友達に連絡して、

いままで飲めなかったお酒をいっぱい飲んだ。山盛りフライドポテトも食べた。

モッツアレラチーズたっぷりピザを食べた。1300円もするアボカドハンバーガーを食べた。

ティラミスも食べた。

行った事のないおしゃれなレストランやバーにたくさん連れていってもらい、

気づいたら、翌朝5:00になっていた。

2014/05/05 05:19am 震度 5弱の地震が発生

あたしはその時、早朝までやっているレストラントイレにいた。

とても大きい揺れだった。東北震災の時と結構いい勝負だった。

私は確かに揺れを実感した。これは地震だ地震はあった。

トイレを出ると、みんなは地震のことはふれないで

”そろそろ、帰ろうっか”って言ってきた。

あれ、みんな気付かなかったのかな?

でもすぐに、こう思った。

これは、私だけに起きた地震なんだと。。

あたしの中の何かを壊す、地震なんだと。。

これは何かを覚悟した者にだけに訪れる、make changeしてくれる地震なんだと。

そう思いたかった。

表参道駅までの帰り道、どっかのテレビ局クルー

生中継をやっていた。

表参道交差点信号普通に動いています。。車の流れも普通にあります。”

私はすぐに地震の事だと気づいた。

でも、これはアタシだけの地震なんだ。ア・タ・シが覚悟を決めたんだ。

そう頭で強く思った瞬間。私は無意識言葉を発していた。

地震なんてないよ。”

NHKを視聴されたみなさま、申し訳ございませんでした。

※これはフィクションです。

2013-06-04

この手の商品、色々なメーカーが出しているけど本当に役に立つの

大抵は揺れる前に知ると言うよりも、揺れている最中

「うはw鳴ってる鳴ってる」ってアクセサリーみたいな感じじゃない?

震源地近くで震度6弱だとして、そこから100kmも離れたら

震度は3or4位?この震度4地域の人が「ゆれくる」で事前に知っても

まり意味なくて、本当に必要震源地近くの人には揺れている最中

揺れた後の告知になってしまって全く役に立たないという。

P検知−>S到達の時間差で求めるシステムに問題があると思うんだけどなぁ

この仕組みだと被害が甚大になる直下型には対応できないでしょ?

http://anond.hatelabo.jp/20130604084853

2013-01-14

http://anond.hatelabo.jp/20130114125223

>近所を見てるとだいたい1年に2軒ぐらいの割合で家が更地になってる。このペースで減少されても自分が受けるメリットなんてほとんどなさそう。

1年ごとには少しでも数十年たったら相当減るのでは?家買っても30年後の同程度の物件家賃も相当下がってるだろう。

地震は…まあ、家が崩れるほどのは多分来ないだろう(2011年も崩れなかったし)。

震度いくつだったの?

2012-04-18

浜岡原発自体が欠陥で稼働させると危険から停止になったんだぜ?


201 ソーゾー君 [] 2012/04/17(火) 07:58:06 ID:JFP2dq8QO Be:

浜岡原発は21メートル津波が来ても大丈夫

から何?

22メートル来たら持たないんだろ?地震震度何まで耐えれるの?




て言うかーお前達に信用有ると思ってんの?

それ以前に浜岡原発は欠陥だらけで津波地震などの災害が来なくても

原発自体の欠陥で事故起こしてまた被害を撒き散らすだろ?




津波地震対策不備で稼働停止になったわけじゃなく

浜岡原発自体が欠陥で稼働させると危険から停止になったんだぜ?

論点ずらしで誤魔化すな寄生虫共が…」









中央銀行・発行権】黒幕銀行家5【信用創造

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/business/9191/1333369457/

中央銀行・発行権】黒幕銀行家36【信用創造

http://uni.2ch.net/test/read.cgi/kokusai/1327244413/

2012-03-11

1年前の今日のこと

ちょうど今くらいの時間だったな、とふと気が付いて1年前のことを思い返してみました。

 

1年前の今日は6時に市ヶ谷に着いて、そこから神奈川まで団体で行動していました。

マイクロバスで移動して、すべてはスケジュール通りでした。

 

お昼に会食を済ませてバスで移動中、建物の中からたくさんの職員が走り出てくるのが見えました。

私たちはバスに乗っており、揺れには全く気が付いていませんでした。

速度を落とすために設置されているデコボコの上を走っているのかな、程度にしか思っていませんでした。

緊急地震速報なども鳴らず、建物から人がわらわらと出てくるのを見て

呑気に「今ってお昼休みでしたっけ?」という会話を交わしたほどです。

 

一度目の揺れはほとんど体感していなかったこともあり、危機感はあまりありませんでした。

外出先でしかも移動中、TVはありませんし、ネットにも繋がらない状況でした。

辛うじて繋がったYahoo!トップページを見て震源地は福島震度5強らしいということを知った程度でした。

震源地や震度が分かっても、やはり危機感はありませんでした。

 

揺れも収まったのでミーティング会場の建物に入り、

さぁこれからミーティングという段になって二度目の揺れがきました。

二度目は建物内にいたこともあって、一度目よりも危機感がありました。

それでも私は「この程度の揺れなら心配ないのではないか」と甘いことを考えていました。

建物内にいた人が“Everybody get out!!”と叫んだことでようやく現状を認識しました。

あぁ、これはどうやら非常事態らしい、と。

 

二度の大きな揺れがあったことによって、只事ではないという雰囲気が周囲を漂っていました。

緊迫感と焦燥感、戸惑いが溢れる中、私の携帯には祖母から電話がありました。

今思えばこの段階で電話が繋がったことは奇跡的だったのですが、

この期に及んでも正しく事態を認識できていなかった私は、

祖母に自身の無事と現在地家族とは別行動であることを告げ早々に電話を切ってしまいました。

 

すべての予定はキャンセルされ、とりあえず東京まで帰るということになりました。

マイクロバスに全員乗り込み、帰路に着いたのでした。

 

しかし、交通麻痺し、徒歩での帰宅者が溢れる中の移動は想像を遥かに超えた時間を要しました。

行きは2時間半程度だった道程も、帰りは9時間以上度かかりました。

それでも、ガス欠になることもなく車で安心して都内まで帰ることができたのは

不幸中の幸いだったと思います

 

帰路の間、家族と連絡を取ろうと試みましたが電話メールパンク状態でした。

神奈川にいる間は普通にメールができていたのですが、都内にいる人とは連絡が取れませんでした。

こちらから発信できても、あちら側が受け取れない状況が続いていたように思います

 

都内に戻ってからは、電話メールも繋がらない状態が続きました。

このとき、従姉が災害伝言板を活用し連絡してきたことで親戚一同が災害伝言板存在に気付き

メールが不通の間は災害伝言板でお互いの現在地や安否を確認していました。

 

私が帰宅したのは午前1時を回った頃でした。

帰宅してテレビを付けて驚いたのは、想像すらしていなかったレベルの未曾有の大災害であったこと。

何度も何度も繰り返し放映される津波映像を見て、放心状態になったことを覚えています

 

とは言うものの、私は都内の住まいなので食品の買い占め等以外は特に切実な問題はありませんでした。

震災直後、「物流が滞っているのでガソリンがいつなくなるか分からない」と

タクシーの運転手さんが話しているのを聞いて、そこまで緊急の事態なのだな、と再認識しました。

 

 

ここからは余談です。

 

当時、災害派遣中に自衛官が「やっと税金無駄遣いが役に立ったな」と言われたという話があります

自衛官の誰一人、感謝してくれとは言わないと思いますし、思ってもいないと思います

私が話した自衛官も「仕事から当然のこと」とさっぱり言い切っていました。

殉職するならそれも本望」とも言っていました。

そこに至るまでにどれほどの葛藤があったのかは民間人たる私には量ることはできませんが、

覚悟責任感、使命感を持って、自身の寝る間も食事の時間も惜しんで災害派遣に勤しんでいた自衛官

非常時にあってもなお、そのようなことをいう人がいるのだなと知り、悲しい気持ちになりました。

 

「我々が活躍する日なんて来てほしくなかった」

新聞に掲載された陸曹のこの言葉がすべてを物語っているのではないかと思います

2012-02-03

琉球大学木村政昭名誉教授地震予測

木村政昭氏の地震予測一部の人が知って偉く驚いてるようだけど、なんか過剰評価にしか見えないので。

まともに素人向けに検証したサイトないの?

TwitLonger — When you talk too much for Twitter

ざっとネットで調べても、どうも木村政昭氏の地震の目理論というのがよくわからないんだけど。ちゃんと見るものを見ればわかると思うんですけど今はパス

精度を調べると、多少見たところ「少なくとも一般の利用者にとっては現時点でそんなには高精度じゃない」というのが私の結論。

せめて 科学的・論理的な姿勢で原発の廃止を求める原発懐疑派のブログ  ネット反原発派の極北・「@tokaiama 東海アマ管理人」氏の地震予知は真実かデマか? 並みにチェックしたかったんだけど(これでも本来不十分だけど少なくとも東海アマ予測がでたらめであることだけははっきり分かる)、そこまではできなかった。

ざっと見たところ、東海アマレベルよりは比較にならないほど当てになる可能性は否定できなかったが、上記ブログにあるような「木村先生阪神淡路大震災以降、ほとんどの地震予測成功されていて、」っていうのは「え、ホントかいな?」というのが私の見解

まず、見てみよう。

彼の公式サイトのうち、2011/3/11もっとも直前2011/02/18の日本列島地震予測図だ。

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2007年には一度予測していたはずの、三陸沖の予測が書かれていない。

日本付近の地震予測図(M≧6.5)

木村説に基づく私案 (2009年8月6日公表)にも、やっぱり三陸沖はない。

そして、2011/3/9、後から「前震」であったとわかった地震直後

My Blog

これの目があったと突然言っている。

2011/3/11が終わってのち、

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目があったと言っている。しかし、それまでの上記引用すべての図と違うように見えるのだが。

2011/3/9の前震の予兆と2011/3/11予兆を取り違えることはあってもおかしくはないかもしれない。また、この比較だけをもって、地震の目理論の中身をデータ比較して検討しなければ「地震の目」理論そのもの妥当性(多少なりとも役に立つかもしれない、という可能性も含めて)を否定することはまったくできない。が、現時点で「木村政昭氏は2011/3/11三陸地震を的確に予想していた」と言われると、まったく予測してなかったこと断言できる情報には欠けるが、的確な予想が出来ていたというのは無理ではなかろうか。実は予想してたんだけれども政治的理由等で隠していたとか言われたらちょっとまぁ私には手に負えないが。

で、本当はもっと過去予測と実績を予測履歴と比較すべきなのだが、ぱっとぐぐっても私には見つからなかったので、

みつかったうちの最も古い前述の「木村説に基づく私案 (2009年8月6日公表)」でみてみよう。

再掲)日本付近の地震予測図(M≧6.5)

このうち、台湾付近(2009±2)のは当たってれば来てるはずなので、とみてみると

NEIC: Earthquake Search Results

…なさそうに見えますが。M5.5以上検索。2009/8/1~本日。当たっていればLAT21付近にあるはずなんですけど(このシステムデータ漏れがあったらわかりませんが)。そんな地震があったというエビデンスがあったら教えてください…。他のは予測期間が終わってないんで判定できませんが。。。

千葉周辺はなんか最近の他の学者が言ってるのと似てないこともない気がしますので、これは当たるのかもしれません(既に311余波で起こってたりします?)

鹿児島南東沖はまだ予測範囲終わってませんが、気象庁 | 震度データベース検索とかで見る限り、鹿児島震度1以上で震源地とマグニチュードが一致するものは見当たりません。

で、2011/8/9版をみると

My Blog

随分変わってますね。

まぁ、3/11で大きく事情が変わったとかいうのが地震の目理論に当てはまるかわかりませんが(311でまったく過去データが使い物にならなくなってたとすると多分私が見た数ページからして地震の目理論はたぶん、当分の間精度ががくおちです)。

過去のは図から抜いてるだけで予測撤回してないって話だと過去のも全部並べて重ねないと予測意味がだいぶ減ってしまいそうですが)

外れが多かろうとも、一定の精度があるのであれば、まぁ備えることに無意味とは必ずしも言えないので、私が見た限り、「東海アマみたいに信じるのがバカ」レベルであるという判断はできませんでしたが、警戒情報として参考にするならともかく、現時点であまり祭り上げるのはどうだろうかと思うわけですが。

また、上記検証では理論の正しさは何も検証してないので、この理論の今後についてもなんら評価してませんので、将来この手法が精度を上げて実用化される可能性を否定するものではありません(とりたてて肯定もしませんけど)。

2011-09-28

東京横浜24時間地震警報日本。おそらく5.5から6.5地震

日本語になってないじゃねえか、と誰でも思うであろう。

何の話かっていうとこれ。(http://bit.ly/qZJOum)

震度6つったら結構な揺れだが、この自動翻訳臭いツイートには震度とは書いてない(ちなみに、wikipediaによるとわれわれが使っている「震度」は日本固有の表記なのだそうだ)。というより単位自体が書いてない。そんなのありかよ。

で、ソースを手繰ってみる。@earthquakejapanは今までにもこの手の予測をいっぱい出しているが、めんどうなので一々確かめたりはしないが、とにかくhttp://bit.ly/pbKhJK予測は外れている。

次にhttp://www.quakeprediction.com/に行ってみると、これが糞重い上に「私はアメリカ地質調査所とは無関係です」とか「摩擦熱によるtectonic plate(日本語だと何になるのかわからない。太平洋プレートとかアメリカプレートとかそういうやつ)の温度変化により予測しています」と書いてあって非常に困惑させられるのだが、一番下のところに

World Earthquake Prediction Copyright © 2006-2011

Emergency food storage - April 4, 2011 - 2012

とある。なんだよ非常食の通販業者かよ。

以上から結論といたしまして、@earthquakejapanが電波インチキのどちらかといえばなかなか判断は難しいが、まあ明日が特別地震リスクが高いってわけでもないんじゃねえのとおれは思いました。

2011-07-15

プ レ ス リ ッ プ が 来 た ぞ お  お お お お お




















































































































































2011-07-09

原発の安全検査について一言

全国の原発検査して安心したがってるけど、そもそもそれが間違い。

この原発は安全ですと言われて納得する人って、どうかと思う。

もう原発なんて危険だと分かってるのに。

検査の結果は「この原発震度8以上だと危険」とか「津波30メートル以上だと危険」とかにすべき。

2011-07-06

今回の震災で親戚を亡くした。

はいっても遠い親戚。

そのことに関して涙を流すようなことは結局無かった。

それでも何も無くなった土地を見たときは足が震えた。


あれからずっと胸の中でつっかえてることがあって、でも上手く口にできないことがある。

それはもうあれ以来ずっと増田でもどこでも散々言われてることなんだけど、この今の日本に漂う空を切る感じ。

みんな復興頑張ろうって言ってる。頑張れって言ってる。

当事者じゃない第三者もみんな口を揃えて頑張ろう頑張れって言ってて、その為に何ができるのか考えてる。

偽善でも愛でも義務でもいいんだけど、そうやって日本を一つにまとめようとするムーブメントを起こそうとしてる。

広告会社TVネットも、それぞれの価値観で風化させないように頑張ってくれてる。

ホントに素晴らしいことだと思うのだけれど、でもそこには何か血が通ってない感じがする。

なぜかどうしても心をうたれない。


私が今回の震災で一番心を打たれたメッセージCMでもキャッチコピーでもデモでもツイートでもない。

あの時、何も無くなった大地に転がった、辛うじて原型を留めているような車のボンネットに真っ赤なスプレーで書かれたメッセージ

「あけない夜はない」

こんなクサくて、ありふれてて、使い回された言葉を見たときに脳天からつま先までしびれて、その後しばらく呆然としてた。

気が付いたら私は泣いていた。


私はあれからずっと、ヒーローを待っている。

それは、どこかの社長でも、政治家の誰かでもなく、芸能人でもない。

ムーブメントは必ず、きっと必ずそのきっかけの中心から起こるはずなんだ。

どんなに周りが大きな風を送っても、中心が凪いでいれば、それは人の心を動かすような大きなムーブメントにはならないのではないかと思う。

あの地震の震源地に一番近い場所で、私はヒーローが産まれるのを待っている。

もう一度、今度はその声で、ものすごい震度日本中の心を震えさせるのを待っている。

芸術家でもいい、バンドでもいい、漫画家でもスポーツ選手でもいい。

私はそういう人が声をあげるのを待っている。


下世話な話だが、そこからは新しいビジネスが生まれたりもするのだろう。

しかしたらもう構想はあるのかもしれない。

被災地が生んだ天才ピアニスト」みたいなことがきっと起こるだろう。

こぞってメディアはとりあげるのだろう。

○○を経験した△△なんてありがちな手法だ。

すでに被災したお笑いコンビを周りがそうやって持ち上げようとしてるのを見かけたりもする。

それでも私はかまわない。

私はあの日、あの場所で見た、あのメッセージのように、その生の声が聞きたい。

そこに生きてる人間の力を感じたい。


いや、それ以外は見たくないのだろう。

私に関して言うなら、きっとそうだ。

それは自分もその血の通わない声と一緒だと思われてしまいそうだからだと思う。

そういうつまらないことを恐れているつまらない人間だ。

自分で考えて動くよりも、自分誰かのために何ができるか考えるよりも、ヒーローに喝采を送るほうがよっぽど楽だからだ。

私もウルトラマン拍手を送る小市民でいたいのだ。

戦闘機を飛ばして意味もない弾をばらまく存在になりたくないだけなんだ。


から広告代理店CM制作会社はつまんないキャッチコピーCM作るヒマがあったら

もっともっと現場の声を伝えてください。

それが、そういうことがあなたたちの仕事でしょう?

AKBプロデュースする暇があったら、もっとプロデュースする対象があるでしょう?

本物のヒーローを私に見せてください。

貴方たちが机の上でコーヒー飲みながら肩肘ついて搾り出したキャッチコピーなんてなんにも響かないんです

2011-04-19

http://anond.hatelabo.jp/20110419160124

>・「原発固有の欺瞞的精神状態」のように語られてることは、原発に限らない。例えば地震

この話がおかしいのは、災害後の対応がまずかったのに、災害への対策を主眼にしちゃってる事。

いやいや、それは元々

今思い返すと、「本当はとっても恐いものである原発だけど共存してくしかいから、大丈夫だと思い込もう。

そしてそれに足る事実は多少ある。」といった精神状態になってるんだろうな、と思う。

という情緒的な原発総括に対しての元増田の反論(を、俺が雑にまとめたもの)だから

主眼の設定がおかしい、っていうのは俺や元増田に言うことではなく元のを書いた奴に言うべきこと。

わかるよね。俺や元増田がそこに主眼を設定したのではない。


にも関わらず、そこのリスクは込みで原発を作ったはずだときたもんだ。

あほらし。

これは姉歯たいなもんなんだよ?

買った人は、「そこまでひどい事」なんか想定してないんだから

で、「そこまでひどい」とカードを公開して、初めから国民に選択を迫っていたら、原発なんて作らせなかったと思わんかい

いや、おまえさっぱり読解力が無いな?

元増田は「そんなリスクはそこそこに諦めて原発を作ったんだろうね(だってお金かかるもんね)」つってるだろ。

「でもリスク費用を天秤に掛けてるのは原発だけじゃないよね」つってんだ。

おめーの読解正反対じゃん。既に若干相手するの面倒になってきたぞ。


ここからは俺が勝手にお前に説教するが

不動産屋が「震度7度来たら崩れるかもしれません。その場合しい圧死。震度8は全然無理ですな」って言いながら物件セールスした

お前の言う通り売上は一旦は間違いなく減るわ。

そして理屈震度8も震度9も来るか来ないかなら必ず来るわけだ。

でも、じゃー、震度8や震度9に必ず耐えられるためのたっけえ追加工費払いますか、だの

人類が利用する土地を厳しく制限しますか?って言えばどうだろうね。

どうだろうか、は現実的に答えが出てる。現状活断層の上でも余裕で住んでるよね。もしものときは圧死だよ。


>・今回の災禍で原発にばかり目を奪われてる人達視野狭小。被害の中で原発はワンオブゼム。

そんなん誰でも知ってる。

これは大嘘。

増田だけでも原理主義的な原発推進・廃絶論者がほぼ毎日ギャアギャア掴みあってるし

あらゆる場とメディア原発に目を奪われてる。日本国内にすらとどまらいかニュースぐらい見ろ。

恐怖やショックの心理として当然だとは思うけどね。

単に「原発の事を議論してるから、話が原発に特化してた」だけでしょ。

そこに、視野が狭いって突っ込むバカバカしさとかさ。

そーやってその場の勢いで嘘をつき始めるのはやめようよ、話のレベルが低くなるから

みんな原発の話しかしてねーだろ。メディアも、ネットも。

例えば元増田が挙げた土木だのアスベストだのの話が、原発と同じぐらいのトピックになってると言うなら

なんかそれを示すもの持ってきてごらん。

いや、無いものを持ってきてごらんとか言うのもまた馬鹿レベルに付き合うやりとりだからやめよう。


・「人類には早すぎる技術」とか言ってる奴は自分の知識がない分野に適当にそういうこと言ってるだけでしょ?

これも意味がないんだよね。

随分と突っ込まれてるけれど、何をもって早いとするか、制御可能とはどういう状態を指すか、まともに定義してないでしょ。

それが定義されてないと批判するなら、

その批判を送る先は元増田はな

人類には早すぎる技術」とか「オーバーテクノロジー」とか言ってた人達だよね。

一個目と同じだけど、

元増田が非難してる先の発言の瑕疵や愚かしさについて、

元増田責任を問うっつーのは、

いったいどういう論理なんだ?

おめーあたまだいじょうぶか?

それって【「人類には早すぎる技術」とか言ってる奴】と同じなんだけど、本人気付いてないよね。

いや、気づいてないのは君だけだよ。


馬鹿A「人類には早すぎる制御不能の技術だ」

      ↑

元増田自分が知らないからそう感じてるだけでしょ?」

      ↑

馬鹿B「制御不能の定義不明!しっかりしろ!」


って図にすりゃわかるかな。

しっかりしなきゃいけないのは馬鹿二名であって、元増田無罪だよ。


>・東京電力人材が腐れてるので役員全員クビ。以後は東北電力JRに下げ渡して管理させよ。

これも、全員首にしてどうするのよ?

何がどう改善して、どこが良くなるのか。そういう話はしないよね。

だよね。おれもそこは特にえっらい過激な発言だと思うわ。

全員クビって無理だろ。ぶっ飛んでるよな。


でもさ、俺がそこ引用したのって別に

「素晴らしい!そうだ全員クビにすべきだ!」なんて賛意のためじゃなくて

元々の

あのエントリは何も言ってないに等しいだろ。

中庸などうにでも転がせる文章で、なにも指摘してないけれどね。

繰り返すが、あのエントリは何も言ってないに等しいし、事実の指摘ですらない。

という元増田批判への

「どこが『何も言ってない』?むしろすげー突っ込んだこと言ってると思うけど?」

という例示なんだが

「何も言ってない」はどうなったんだろうな全く。

ごめんなさいも言わずに消えたり話をそらして暴れたりするから恥知らずはすげえよ。


まあこう言うとこの手のクズは必ず

自分は横である」「知らない」とか言って前言の責任を取らないんだけど

だってことにしてもやりとりの経緯ぐらい把握してからしかけてこい、ボケ

2011-04-11

震災発生から1ヶ月経ったので、そろそろ落ち着いてきたかと思って書いてみる。

以前から知人の姉妹によるお泊り要求&強行未遂が続いていたんだけど、やはり来てました

今度は地震に絡めたお泊り要求。

電車止まってる!週末のイベントに行くからまらせて!」⇒イベントはおそらく中止か延期です

余震が怖い!避難したいから泊まらせて!」⇒そっちより東京のほうが震源に近いし震度大きかったよね?

「とにかくここにいるのは怖い!東京に行きたい!」⇒どこかホテルとったら?⇒「お金ない!」

結局、タダで泊まれて好き勝手できる宿が欲しいんだ~と理解して、

1人1泊食事なし基本料金10万円、布団代・光熱費・飲食費等は別途請求、門限19時、朝7時強制退出を提示。

12時間10万円もらえるなら考え直してもいいやと。

ギャアギャアわめいていたけど、追加で「金土日は2割増」と言ったら通話切れたwww

最初からこうすればよかったのかも。

って書いてたらまた地震来たよ……

地震速報

有料のエンターテインメントチャンネル地震速報を入れちゃうのっておかしいだろ。

どう考えたって公共性なんてカケラもないのに。

緊急警報ならともかく「地震がありました。各地の震度は…」ってあれ。

有料なんだったら放送局に直接言え、ってのは承知なんだけどね。

もし直接電話したら「皆さんが気にされてますので」とかってわけのわからん空気を理由にされそう。

いやまさかNEXTでのF1生中継テロップ被せるなんて思ってもなかったからあきれちゃったのよ。

2011-04-08

http://www.newsis.com/ar_detail/view.html?ar_id=NISX20110406_0007865216&cID=10305&pID=10300

槐山郡(クェサングン)、日本地震被害助け合い寄付募金中断

【槐山(クェサン)=ニューシス】カン・シンウク記者=忠北(チュンブク)、槐山郡(クェサングン)は日本文部科学省が'独島(ドクト)領有権'技術を強化した中学校教科書検定結果を公開したのと関連、国内地方自治体では初めて日本大地震被害助け合い寄付募金を中断すると6日明らかにした

クンは"日本政府は傲慢放縦した野心を直ちに中断して大韓民国国民歴史の前にひざまずいて謝罪しなければならない"と強調した

クンは先月11震度9.0の大地震津波被害惨事(参事)で失意に陥った災害民と痛みを分けて早急な被害復旧のための財源用意に軍公務員家族が同じ意向で参加して5日現在450万ウォン募金したがこれを全額返済した

日本文部科学省は先月30日教科用図書検定調査審議会を開いて独島(ドクト)領有権主張を記述した中学校社会教科書12種の検定を通過させるなど独島(ドクト)領有権侵奪企画(祈祷)を一層露骨化していて国内地方自治体寄付募金運動に影響を及ぼしている。

あの国はほんとに凄い。日本も見習わないといかんわ。

http://anond.hatelabo.jp/20110407234925

あらかた崩れるもんは崩れてるだろうから震度がでかくてもそんな騒ぐほどの被害拡大はないと思う

山間部の道の補修には新たな土砂崩れで遅れるなどの影響があるだろうな

あと怖いのは火災だな

この時期に余震あると直接被害より風評被害の長期化が心配になるんだよね

でもそれもここまで大規模な震災だとあんま変わらないか

2011-04-03

http://anond.hatelabo.jp/20110403174944

対応が遅かったからとか事前の津波対策がいまいちだったとかいっているように見えるけど、

こんな想像を絶する災害が起きたら混乱して対応が遅くなるだろうし、

想像を絶してないから。

過去にもあのあたりで何度もあった津波だし、

福島震度なんか空前絶後って訳でもなんでもない。

もっとずっと高い震度原発を直撃する可能性も普通にあったし

「それを考慮に入れた予防策を講じろ」っていうことはいろんな人が申し入れてた。

東電の労力や費用が増すことをコストにそれは可能だった。

津波対策だって想定外だったよお、ってことじゃだめなんかい

だめだろ?

現状どうよ。

お前はあの20km圏内の避難所にいる被災者だったらそんなおおらかなこと言えるのかよ。

というより世界中が迷惑してるし怯えてるよ。東電の不始末のせいで

このクラス災害事故がおこったら、ソニーだろうがトヨタだろうがアップルだろうが、同じ状況になってるだろ。

仮定の話で都合よいほうこうにもっていってはいけない。

そんなのはソニートヨタ津波に襲われるまでわからない。

また、トヨタ工場が全部塩水に漬かったって放射性物質を撒き散らさないから。

トヨタ工場が全部止まっても関東停電したりもしない。

東京電力社会的に重大な義務を負っている会社だった。

もちろんその義務に見合う以上の特権を享受していたんだけど。

扱っているものの危険さも他の企業の比ではなかった。

車やパソコン会社と同列に語ってもらっては皆が困る。


誰か、少し客観的に教えてくれないかな。

まず、君が全く客観的でないことに気付くべきだ。

単に叩く敵でガス抜きしようとしているように見える。

こういう、「ボクチンだけは愚民と違うんだもん!」という子供じみた優越感の為に逆張りをしてるだけ。

そうではないというなら、東電を擁護するに足るだけの情報や論拠を自分で調べて集める筈だが

君の発言には全くそういう痕跡が見当たらない。

感覚で擁護してるだけ。



君は知識が無いし頭も悪い。

人に優っているのは「自分大衆と違う特別な人間のはずだ」という自意識だけ。

いっき愚民の1人にすぎない。

更に言えば個性も無い。

震災からこっちたま増田を眺めてるだけでも、

君みたいタイプ鼻息荒く東電擁護で登場して

女川のことすら知らずにボコボコにやられて撃沈してるのを3回ぐらい見た。

2011-04-02

余震収束しつつあるのか?

東京では大きな揺れを感じることは少なくなった気がするが、

昨夜も東北では震度5強が発生している。

はたして余震収束傾向にあるのか?

ニュースでは取り上げられているのを見ない。

気になったので、気象庁データグラフにまとめてみた。

 

震度ベース

http://twitpic.com/4fx9pz/full

マグニチュード ベース

http://twitpic.com/4fxaek/full

(3/11-4/1 西日本など関係ない地域地震も含む)

 

かに収束傾向にはある…のか?まだまだといったところか?

やれやれだぜ

2011-03-25

不謹慎震災の話。災い転じて福となしちゃった場合ケーススタディ

私の心の中にはいつも1人の救世主が住んでいます。

最初救世主小学校1年の時に好きだった初恋の相手。

直接想いを告げることはできませんでしたが、いつも一緒に遊んでいました

時を経て、高校生となり、一丁前に恋人ができ、すっかり忘れていたつもりでした

ところがどっこい、ある日突然私の前に現れて、楽しかったこと、

私が楽しくなれるようなことを次々としては去っていきました

そう、夢の中で。

あれ?なんでこの人の夢を見るのだろう?

とっくに忘れていたつもりだったのに。

しかも付き合っている彼氏もいる。

その後も何度か、突然夢の中に顔をだしては

心がポワンと温かくなるようなことを次々としでかして去っていきます

もしかして恋愛感情が残っている?

20歳にさしかかろうというまだ若かったその時期には、

そんな風に考えてみたりもしました

学生から社会人となり、大人の階段を徐々にのぼり始めていました

その後私は

いろんな人と出会い、いろんな人に恋をし、

いろんな人に失恋し、玉砕して自暴自棄になって暴れたりとか

その時その時を全力で

楽しんだり苦しんだり泣いたり笑ったりしながら過ごしてきました

そしてある日、

初恋の相手は夢にでてこなくなりました

その代わり、今後は別の人が現れるようになりました

その頃私は、ブログを立ち上げ始めた時期でネットという世界に興味津々。

たまたま呼ばれたオフ会で呼ばれて出会った相手です

その日は普通に会話をし、

なんか一発殴られたような気もしました

気にせず帰ってきました

その後、メッセンジャーを通して文字で会話をするようになり、

PCに疎かった私にいろんなことを教えてくれました

この時も私には、付き合い始めたばかりの彼氏もいて、

とりたてて恋愛感情などというものを感じていたわけではな

ただただ、会話するのが楽しくて

毎日のようにとりとめのない話をしていたと記憶しています。

それどころかいつも怒られてばかりで

というか怒らせるようなことをしでかしている私が悪いのです

3回に1度は平謝りに謝まってばかりだったと記憶しています。

その人が突然夢の中にでてくるようになったことは

本人には口が裂けても言えません。

言ったら「きめえよ、ふざけんな」と怒られること確定だし。

また、言ってしまうことで大事な何かが壊れてしまうような気がして

私だけの秘密にしておくことにしました

ところがそんなことに気を遣うなら、もっと別のことに気を遣えよ

と、自分自分を責めてあげたいことをやらかししまったのです

酔った勢いで、決定的とも言えるべき非常識な暴挙にでてしま

完全無欠に怒らせてしまいました

平身低頭で謝ったのですが、許してくれる気配がまったく感じられず

ただただ自分のバカさ加減に愛想をつかすしかなかったのです

なのに夢の中には相変わらずちゃっかり現れてくれちゃって

目頭が熱くなるようなうしいことをジャンジャンやらかしていくのです

から目覚めると、指先までほわっと温かくなっていて

冷え性の私に、とても良い血行状態を与えてくれるのです

定期的に夢の中にはでてきてくれますが、

実際には二度と話すことができなくなってから2.3年の月日が流れていました

そしてあの、忌まわしい311東日本大震災が起きたのです

揺れがきたとき、私は忘れ物をとりに自宅に戻っていました

このままちょっと一休一休みと、

パソコンで少し作業をした後、

ベッドに横になり漫画を読み始めた時にそれはやってきたのです

ひとりぼっちだった寂しさと、6階という高所にいた為、

体感震度と心の震度ボルテージは最高潮に達し、

「私、淘汰されるかも・・・今度は私の番だったんだ」

という諦めと恐怖が入り混じった感情がドクドクと体中を駆け巡りました

棚という棚から物が飛び出し、食器や鏡が割れる音が響き渡ります

ニュージーランドで起きた震災の家屋倒壊をニュース映像で見ていたので

あの映像が頭の中でシンクロしていきます。このマンションは突貫工事で建てたっぽく

新築なのにあちこちに不具合がでていて、やばそうな気配を醸し出していたかです

揺れが若干収まったあたりで、外の様子を見てみることにしました

目の前の家の瓦屋根の瓦が全て落ちてしまっています。

そして子どもの泣き声が。

2つ先の部屋に住んでいる子でした

ドアが開いていたので様子を見に行くと、お母さんが放心状態で立っています。

小学生女の子ワンワン泣いている2.3歳くらいの妹を抱きかかえるようにして立っています。

とりあえず避難だ!

幸いにもここは避難所である学校の近くです。その親子と一緒に避難所に向かいました

一人じゃないっていうことで、私自身がすごく救われた気分になりました

避難解除がなされ、深夜頃、自宅に戻ることができました

倒壊すると思い込んでいた建物も無事のようです

「私まだ、生かされてる」

再びベッドにごろんと横になり、ここで私の走馬灯はまわりはじめました

私がかかわってきたいろいろな人が頭の中をめぐりはじめました

「そういえばあの人、大丈夫だったかな?」

真っ先にあの人のことが浮かんできました

今更連絡なんてできないしなー

ていうか私のことなんでもう記憶から抹消されてんだろうなー

なんて思いながら、幸い停電することもなかったので

電源がついたままのパソコンの前に座りました

ここで奇跡が起きたのです

つなぎっぱなしだったメッセンジャーから着信メッセージ

なんと、あの人からのメッセージ地震直後に入っていたのです

「だいじょうぶだったか?」

たった一言

たったその一言だけなのに

これほど心にズシンと響いた言葉はありませんでした

この付近では震度6強記録したそうですが、それ以上です

不謹慎ながら「揺れといてよかった」と思ってしまいました

まだオンラインっぽかったので、

「だいじょうぶだよ」とメッセージを送信してみました

なんと返事が返ってきました

2.3年ぶりの会話です

お互いに地震直後の状況を軽く報告しつつ

最後

「生き残れたら、また一緒に遊ぼうね」

と送信しました

「絶対やだ」

と帰ってきました

うんそう、いつも通り。昔と変わらない反応です

夢の中でいつも助けてもらっていること、

すごくごめんなさいってずっと思っていたこと

言いたいことはたくさんあったけど、

あえて言う必要はありません。

あの人にとっては、ほんの軽い気持ちで声をかけてくれたのでしょう。

けど、その一言にどんなに救われた思いがしたか、

全てを伝えてしまうにはあまりにも重過ぎて、

逆に負担をかけてしまうことになります

というか

ほどけかけていた紐が、またかろうじて繋がったのに

またほどけてしまいそうで本当はすごく怖かったのです

でもだけど

心って結構通じるんじゃね?

って思えたことは事実だし、

「災い転じて福となす」って結構本当のことなのかもしれません。

何気ない一言が、実は誰かを救っているかもしれない。

知らず知らずのうちに、誰かを救っているかもしれない。

人は誰もがどこかで誰かの救世主になっているのかもしれません。

私の心の中の救世主は、そんなことはまったく我関せずに

今日もどこかでまた別の人を救っていることでしょう。

この気持ちってどう表現したらいいのだろう?

恋愛のそれとはまた別かもしれないし

やはり潜在的に想いがあるのかもしれない。

心が勝手偶像崇拝しているみたいな感じ?

ということで、このお話は一生自分の中にしまっておくつもりでしたが、

かに言わずにはいられなくなってしまいました

今回の大震災で心を病み

生きる目的とか、生きる意味とか

あれこれ考えすぎて思い悩んでしまっている人に送りたいと思います。

人と人は繋がっていて

自分の意思とは裏腹に、人を救ったり、時に人を傷つけている。

それ自体が人が人として生きていく存在意義なのである

ということを。

で、結局、私はその救世主にいつかその話をするのかって?

これ以上嫌われると本当に口も聞いてくれなくなりそうなので

それだけは墓場まで持っていく所存でございます。

2011-03-23

情報発表時刻 発生時刻 震源地 最大震度

2011年3月23日 7時37分 2011年3月23日 7時34分ごろ --- 5強

2011年3月23日 7時25分 2011年3月23日 7時21分ごろ 福島県浜通り 3

2011年3月23日 7時15分 2011年3月23日 7時13分ごろ --- 4

2011年3月23日 7時232011年3月23日 7時12分ごろ 福島県浜通り 5強

地震連発くぁwせdrftgyふじこlp

2011-03-22

東日本沖で起きた巨大地震について」について

この日記で論じているのは、下記のページの文章についてです

東日本沖で起きた巨大地震について http://sk01.ed.shizuoka.ac.jp/koyama/public_html/etc/EastJM9.html

地震学者の性質

地震が発生したとき地震学者は《大変なことが起きてしまいました。》と勿論思うけど、その一方で「地震キター!これで論文5〜6本書けるから、私の学会での地位も安泰だ」とも思ってしまう者です

東日本沖で起きた巨大地震について」書かれた小山先生も《大変なことが起きてしまいました。》と思う一方で、「チキショー!これが富士山大爆発だったら俺のテリトリーだったのにい」とほんの少し、本当にほんの少しだけど、思ってしまったでしょう。

小山先生の著作

Amazonで「小山真人」と入力して検索すると解りますが、小山先生は以下の本を書いたり監修されたりしてます

先生の次の本は「《東日本全体の地殻歪が再配列不安定化》している。それに伴って富士山の活動も活発化してるため、いつ噴火してもおかしくないのだ」という内容になります

その本の狙いの一つは「富士山噴火が近いので、観測・研究のために予算を投じるべきだ。ついては私、小山真人研究予算をつけなさい」というものです予算の確保も研究者重要仕事の一つであり、また、自己主張が強くなくては学者としてやっていけないので、このことは恥じることでも何でもありません。

火山」と「地震」の違い

さて今度は Google で「小山真人」を検索して、

を見てみましょう。

画面を下の方にスクロールしていって論文タイトルを眺めると、小山先生の専門は「火山であることが解ります先生の専門である火山」と、先生が「東日本沖で起きた巨大地震について」で論じられた「地震」の間には以下の大きな違いがあります

科学的な観測が可能になってからは噴火の記録がない富士山は「いくつかの火山」には含まれません。2000年に噴火した際に素早い避難で被害を抑えた有珠山などが噴火予知しやすい火山になります

地震予知が不可能なのは地震学者が怠慢なためではありません。日本全国をカバーする満足な観測網がなく、地震発生時のデータが取れないためです。それでも「ある地域での大地震は周期的に発生する」という仮説のもとに粗い精度で「200年〜300年周期で大地震が発生する」と言っているのです

このロングスパンの周期を突き止めるために、小山先生のもう一つの専門である歴史地震」が用いられています。古文書に記された地震に関する文書を調べ「吉原では灯籠が倒れたという記述があるから震度は6ぐらいだな」と見当をつける研究です。ひたすら古文書にあたり、いつの地震のものかはっきりしない記述年代の見当をつけ、震度の見当をつけ、震源地を探っていくという考古学に近いものが「歴史地震です

小山先生の予知で解らない点

地震予知現在レベルは「地震は、いつか、どこかで、必ず起こる」というものです。にもかかわらず《歪の再配列にともなう地震火山噴火が、今後数年かけて東日本全体で起きていくことになるでしょう。》と断言できる理由が解りません。

今回うごいた太平洋プレートに沿った部分に歪みが生じているというのなら解ります。《実際にインドネシアでは》と小山先生が挙げている事例は、同じプレート境界で地震が続くことを示しています。なのでこの文章の主旨が「太平洋プレートの境界で、今回うごいていない、十勝沖・根室沖、伊豆諸島沖で大規模地震が続く可能性がある」なら理解できます

もし歪みが異なるプレートもしくは内陸の活断層に生じると言いたいのであれば、同じプレート境界での地震を挙げるのではなく、内陸部で大地震が発生している事実、もしくは隣接する異なるプレートの境界で大地震が発生している事実を挙げなくてはなりません。

それでも地震火山噴火が東日本全体で起きるという理由は何なのでしょう。現在地震学で、そのような知見が得られるのでしょうか。

もし《歪みの再配列のために地震火山活動が起こる》と言いきれるだけの知見があるなら、どこに歪みが生じていて、それがいつ頃解放されるのか言えるのではないでしょうか。「どこで解消されるか解らないけど、とにかく東日本のどこか」というのは、一体なんの根拠があって断定できるのでしょう。

から安心して良いという話ではありません

小山先生が挙げられたプレート図を見れば解りますが、日本はいくつかのプレートがぶつかる地点に位置しており、大地震が起こりやすい国です

しかしこれは、昨日今日そうなった訳ではなく、ましてや東北地方太平洋沖地震が発生してそうなった訳ではなく、日本列島が形成された頃からずっとそうなのです東海大地震については、何十年も前から「いつ起きてもおかしくない」と言われ、東南海南海地震についても警戒が続いています。

なので東北地方太平洋沖地震によって《地学的に平和で安定した時代は終わりを告げた》わけではなく、日本に住む以上は「地震は、いつか、どこかで、必ず起こる」状態にあります

地震に対して備えるのであれば、地震のない日が何年も続いても、日々備えを怠らないことが重要となるでしょう。大地震が起きたからと言って慌ててパン・カップラーメントイレットペーパーを買い占めるのとは、異なる態度が重要です

小山先生テーマに「防災」もあります事実淡々と述べて行く中で防災意識が高まらず、歯がゆい思いをされたこともあるのではないでしょうか。そうした思いが、今回のようなある種「煽っている」文章を書かせているのではといます。

結論

要するに何が言いたかたかと言うと

ということです

2011-03-15

1日目

その時、私は書店にいた。仕事は3時から始まる。

業務の前に書店に寄ることが、半ば習慣化していた。

買いたい本を片手に持って、レジへ向かう。

人の声の重なりのような、妙なざわつきを感じる。

地面が揺れていることに気づいたのは、その後だった。

一昨日の余震だろうか?それならばすぐに収まるだろう。

生まれて初めて体験する激震が、我が身を、そして店全体を揺らしたのは、そんな甘い考えが脳裏をよぎった瞬間のことだった。

平成23年3月11日午後2時46分の出来事である

本を買うより、身の安全の確保が第一だ。

左手に持つ本を放り投げ、私は出口を目指して駆け出した

棚の高い場所から、多くの本が勢い良く吐き出されていった。

店を出る瞬間に、視界の片隅だけに見えていたものだけど、その光景は良く覚えている。

職場はすぐ近くにある。職場へ向かおう。

激しく揺れ動く地面と同様に、あまりにも落ち着きのない思考が私を動かしていた。

だけど私は運が良かった。ガラスが割れる軽やかな音に気づけたから。

目の前で、ガラス造りの街灯が落ちて地面に砕け散った。

あと数秒、私の走りが早かったら、危なかったかもしれない。

まずは身の安全の確保だ。最優先事項にやっと気づいた私は、元々いた書店入り口近くにある金属の柱にしがみつく。

建物の近くにいては倒壊に巻き込まれるのではないか、という考えもあったが、倒れそうには見えない外見のビルであったし、何よりも、屋根があった。

何かが落ちてきても、屋根があれば最悪の事態を免れることが出来るだろう。

一息ついて油断した、その瞬間を見逃さずに追撃するかのように、それはやってきた。

もっとも、どんな覚悟も、あれの前には無意味だったと思う。

視界に入るもの全てが揺れ動いていた。地面が左右に揺れる、というのを視認したのは初めてだったと思う。

地鳴りと悲鳴が重なる。震度表には「立っていられないほどの揺れ」という表現があるが、まさにそれであった。

銀色の柱にしがみつき、身体を支えること以外、何も出来なかった。

勇気ある人は、危険な位置にいた女の子たちを比較的安全な場所へと誘導していた。

その後、ガラスの街灯がまたひとつ落ちた。ガラスの破片が散らばったけれど、気にしている余裕はない。

私は死ぬのか、この世は終わるのか。本当にそう思った。

長い、長い、私の体感では3分ほど、実際はもっと短いだろう(これを書いている時点では正確なデータがないのです)、

だけど長い地震が終わって、私の思考はまた落ち着きのないものへ切り替わっていた。

そうだ、職場に行かなければならない。

揺れが収まり、身動きが取れることを確認すると、私は職場ビルへと向かった。

本震があって間もなく、仙台市内全域は停電となった。

エレベーターは動かない。12階立建てのビルの3階に職場はある。

階段の壁は一部が崩れ、破片がそこらに落ちていた。非常灯がなかったので、昼と言えど薄暗かった。

それは階段だけではく、各階でも同様のようであった。日の光が差し込むだけ、階段よりは明るかった。

ドアを押しあけ、オフィスへ入るとほぼ同時に、余震が襲いかかった。あの本震の直後の余震である。実際にどれほどの震度の余震だったのか、これも現時点ではわからないけれど、本震と同じくらい強いものに感じた。

「危ないから入ってきちゃ駄目!」と悲鳴に近い声が私に掛けられたけれど、入ってきてしまったものは仕方ない。

オフィスの中にいた他の方々とともに、私は机の下に身を隠した

自ら飛び込んできた私はともかく、朝から働いていたオフィス内の人々は、突然の、しかも未曾有の大きさの地震を受け、憔悴しているようだった。

それから階段を降ってビルを出て、一度は近くの小学校へ避難したしかし、地域の方々の避難が最優先であるため、解散の命令が出るまで、私たちは歩道で待機していた。

その間も余震はまるで容赦しない。地面が揺れる、街灯や電線が揺れる。大きな看板地震で壊れていて、たくさんの人が携帯電話写真を撮っていた。

本震の最大震度が7と聞き、やっぱりね、とか、宮城県沖地震かな、などという話題が上がった。少量ながら雪が降り始めて、とても寒かった。

地震保険の話があった。我が家には適用されるのだろうか。いや、それよりも我が家は無事か。

携帯電話操作して、自宅に電話をかけるも、繋がらない。当たり前のことだった。

それからしばらくして、今日のところは解散、ということが上司から伝えられた。私は家まで歩いて帰ろうとしていたけれど、同じ方向に住まいがある同僚がいたので、家の近くまで送っていただくことになった。

車道は当然のように渋滞していた。加えて、一部を除いて、信号も動いていない。

仙台市中心部から郊外へ移動しようというのだから渋滞に巻き込まれるのは致し方ないことだ。30分で100メートル移動出来たかどうか、ということもあった。

正直に言えば、自宅まで徒歩で戻った方が、早く家についたかもしれない。しかし、車で送って頂いて本当に良かったと思う。

そう思う理由はいくつかある。ひとつは、複数の人とともに移動することによって、不安や恐怖と言ったものを少しは紛らわせたということ。また、車にはラジオが搭載されているから、最新情報を確認することが出来たのも大きい。外気を遮断し、暖をとりつつ移動出来たというのもある。被災直後から仙台市内には断続的に雪が降り、吹雪くことさえあったから。

最終的なマグニチュードが8.8であるという報道を聞き、私たちは笑うしかなかった。この地震で亡くなった方が出るかもしれない、という話題にもなった。これを書いている今現在、確認されている死者は1000人以上であると聞いている。ここまで多くの方が亡くなってしまうとは、あの時、思いもしなかった。

移動中、私は家族が心配でならなかった。特に、自宅にいるであろう、母。我が家は築25年の木造住宅である。自宅が倒壊してしまったのではなかろうか、それに母が巻き込まれてしまったのではないか、心配で心配で溜まらなかった。

同乗している同僚は、2歳のお嬢さんを心配していた。夫の実家に預けているのだが、連絡が取れないのだという。

私も母との連絡は取れない。「頼りがないのは良い証拠」であるという、この場にはまるでふさわしくない故事を信じるしかなかった。

被災直後であるから携帯電話は全く役に立たない。それはとうに承知していても、家族の安否を確かめたいというのは当然のことだ。電話はとても繋がりにくかったが、幸い兄との連絡はついた。それから機械に疎い家族が見るかどうか分からないが、災害伝言板に書き込みをしておいた。

車に乗っていても、余震は我が身に伝わる。窓から見える外では、多くの人が歩いていた。結婚式最中だったのか、よそ行きの格好のまま避難する人、スーパービニール袋を被る人、クリーム色のカーテンを纏う人、様々いた。

1、2時間も経つと、日が傾き、徐々に日の光が失われていった。明かりがあるのは車ばかりで、どの店、どのビル、どの建物も真っ暗なままだった。唯一、警察署だけは明るかったけれど、自家発電装置はいつまで持つのだろうか。

これだけの巨大な地震であるにも関わらず、高層ビルの倒壊がなかった、このことはすごいことだと思う。

しかし、それは外見の話だ。どこも大なり小なりの被害を受けていて、壁が崩れたり、窓ガラスが割れたりするのは当たり前、水道管が壊れて、水が溢れだしている家もあった。

時間半ほどの時間を掛けて、自宅の近くまで送って頂いた。ここからは、歩いて帰ることになる。

外はやはり寒かった。実際の気温だけではない。街のどこにも光がない。駅の近くにある大きな交差点、そこの信号は機能していたけれど、他の信号は依然光を失ったまま。これまで車で通り過ぎてきた光景と同じく、街のどこにも灯りはなかった。

この夜の空は、山中で見るもののようだった。星座が確認出来るくらい、綺麗な星空。あまたの星がいつもと同じように、黒のキャンパスの上で煌めき、瞬く。暗い街並みといつにも増して美しい夜空を、私は生涯、忘れないと思う。

さて、この地震では、かなり多くの方が避難所での生活を余儀なくされている。

我が家はかなりましな状況であるということを、ここで記しておく(こうやって被災最中に手記らしきものを書いている時点でお察しの方も多いだろう)。

何せ、不自由なことは多いものの、自宅で生活が出来ているのだ。現在、これを書いている3日目の朝も、白いご飯を食べ、暖かな野菜スープを飲み、ゆで卵まで頂くことが出来ているのだから

時間かけて自宅まで戻ってきたが、電気はついているはずもない。もしかしたらみんな、避難所にいるのかもしれない。あるいは……。

最悪の事態を思い浮かべながら、玄関を開ける。ただいまと誰もいないかもしれない家に声をかける。返事はすぐに戻ってきた。

家族全員茶の間にいた。みんな、無事だった。そのことに安堵の息を漏らしつつ、私は茶の間に入った。

意外なことに、茶の間は暖かだった。捨てるつもりでいた石油ストーブを物置から持ってきて動かしていたのだ。停電していても暖が取れるのはありがたかった。さらに、ストーブの上にやかんを置けば、時間はかがるがお湯が湧く。パンを置けばカリカリに焼ける。外は氷点下にまで冷え込む中、石油ストーブで外から身体を暖め、お茶で内からも暖める。とても幸せなことだった。これを呼んでいらっしゃる皆様には、是非一家に一台、石油ストーブの購入をお勧めする。

家の中には、父、母、兄、それに近くに住む親戚の小母さんがいた。小母さんは、この地震で誰とも連絡が取れず、また誰も帰ってこないという。家の中は地震家具が散乱しており、中にはとても入れない。一人でいるのも不安である。そのため我が家に来たのだという。

自宅へ帰って来た頃、時刻はもうすぐで8時を迎えようとしているところだった。こたつの上には大きな蝋燭が立てられていて、その脇にラジオが置かれていた。懐中電灯もあるにはあるが、あまり明るくないので、部屋全体は照らせない。そのため、トイレに行く時等、移動する際に使われていた。

そういえば、自室に小さなライトがあるのを私は思いだした。いつだかにゲームセンターUFOキャッチャーで取ったものだ。おもちゃに近いが、電球はなくLEDなので、大きさの割には強い光を出す。

本棚が倒れたため、本で埋め尽くされ、足の踏み場がない部屋へ行く(自室の荒れ方がまた素晴らしかったので、出来ればお見せしたいところであるが、この時既に携帯電話の電池が切れていた。残念である)。机の引き出しの中にライトはあった。スイッチを入れると、白い光が散乱した部屋を照らした

また、その時の私は、黒いタイツストッキングと随分冷える格好をしていた。荒れ果てた部屋からジーンズを引っ張りだして着替えた。ついでに、タオルケットと毛布を茶の間へ持ち出した

茶の間に戻り、ライトで辺りを照らしてみせると、蝋燭や懐中電灯よりも広い範囲をより明るく照らせたので、当座はこのライトで部屋を照らすことになった。裸火がなくなり、火事可能性が低くなったのでひとまず安心した

余震は断続的に続いていた。これを書いている今もそうだが、大小の関係なしに、何度何度地震に遭っていると、いつも地面が揺れているような感覚に襲われる。恐怖が完全に拭われることはなく、むしろ大きい余震があるたびに増大していった。

地震当時、各々が何をしていたかを話した

母は、少し昼寝をしようとしていた時に地震に見舞われたそうだ。これほど大きな地震であれば、逃げることをまず第一に考えそうなものだが、母は42型の液晶テレビが倒れないか心配だったらしいテレビを支えつつ、近くの柱にしがみついて、本震を耐えきったそうだ。

兄は仕事をしていた。オフィスの中にあったパソコンは全て倒れて使えなくなったそうで、しばらくは仕事にならないだろう、それどころか解雇されるのではないか、と心配していた。

父もまた、仕事をしていた。スーパーでカゴ集めのパートをしている父は、地震の瞬間に店内にいた。これは危ない、と思い、しかし出口からは遠い場所にいた父は、普段は閉じられたままのガラス張りのドアをこじ開けて外に出たという。後から聞いた話によると、父の勤務地のスーパーは、天井が落ちてしまったそうだ。

ラジオから聞こえてくる男性の声が、この地震による被害の状況を伝える。泉区で家がひとつ倒壊した、壁に挟まれて死んだ人がいる、火災が発生した津波で何もかも飲み込まれた……。いつもの夜のラジオなら、軽やかな音楽や楽しげに話すDJの声が漏れてくるのに、今宵は厳しい現実と、それを乗り越える手段が、無機質に流れ出ているだけだった。

私が自宅に帰宅して、1時間ほどして、親戚の小母さんの娘さんが帰ってきた。

この時、電話はまともに使えなかったが、メールインターネットならば使用可能な状態にあった。

機械音痴しい小母さんは、メールを打てない。私が代わって、娘さんに「小母さんは我が家にいる」との内容を打ち、送信したところ、娘さんはすぐに我が家に駆けつけた。それまでは近くの避難所を当たっていたらしい

娘さんの勤め先は、長町にある。我が家仙台市泉区に位置しており、長町とはかなりの距離がある。娘さんは同僚の方から自転車を借り、ここまで帰ってきたのだった。それまでに1時間半の時間を要したそうだ。

午後の10時頃に、小母さんの旦那さん、つまり小父さんが帰ってきた。小父さんは地震発生直後に車に乗ったのだけど、ひどい渋滞に巻き込まれて、この時間に帰ってきたのだという。実に7時間もの時間をかけての帰宅だった。

先にも述べたが、被災はしたものの、我が家はかなりましな方だった。屋根瓦が吹っ飛んだり、壁に多少のひびがはいったりはしたけれど、とりあえず住める状態にはあったのだから停電していて茶の間以外は真っ暗だし、ガスも当然止まってはいるけれど、この時点水道は使用できた。トイレも流せる。これだけで、精神に随分と余裕ができた。とは言っても、時間が経つにつれて水圧は低下していき、2日目の昼には断水になってしまうのだけど。

しかし、断水前に風呂に水を貯めておけたのは良かったと思う。おかげで、今のところ、トイレの水には困っていない。流石に大しか流せないので、そこらへんの節約は必要だ。

とにかく、電気とガスが使えないのが痛い。そうは言っても、ライフラインが回復するまでは今ある環境で耐えるしかない。母に菓子パンを食べるように勧められたが、遠慮して、お茶だけ飲んでいた。……皮下脂肪が厚いので、少しの間飲まず食わずでも耐えられる。

夜の11時を迎えたところで、両親に就寝するように言われた。どうせ、余震が続いて眠れないので、次の日の夜明け、6時50分頃まで起きているつもりだったが、せめて横になるように、と言われたので、茶の間の畳の上に体を横たえた。今夜は座布団が枕の代わりだ。寝転がり、目をつぶるだけで、少しは休むことができる。

形だけの就寝をし始めて1時間。日付が変わった後、ふと母の携帯電話を見てみると、2、3時間前まであった電波がなくなっていた。メールネットならば使えたのに、それすら出来ない。ラジオ以外の情報獲得手段がない。ニコニコ動画ユーストリームNHKの放送をしている、とラジオは伝えていたけれど、そんなもの役に立たない、と思った(もちろん、まだ電池のある携帯電話等を持っている人には重要なのだと思うけど)。ちなみに、家に帰ってきた時点で、私の電話の電池は切れてしまった。

日の出まであと6時間ラジオは伝える。どうか日の出まで、希望を持ってと。ラジオは伝える。現実を。荒浜に、200から300の遺体が流れ着いたとの報を聞き、涙が頬を伝った。

3時か4時になった頃、NHKラジオ音楽を流した。2曲流れて、1曲は確か「カノン」だったと思う。そのおかげがどうかは分からないが、私は少し、眠ることが出来た。余震がある度に起こされはしたものの……。

 

長い、長い夜を過ごしているうち、私はひとつ思いついた。

被災している最中から、忘れないうちに、体験談を記しておこうと。

携帯電話は使えない。iPadは不向きだ。だから今、pomeraを使って書いている。我が家にて、単4電池を使う懐中電灯等もなかったから、こうやって書いている。

これは被災してから2日目に書き始めた。現在荒削りながら、被災当日のことを書き終えて、5日目である。出来れば電気が繋がった3日目のことまで書いて、増田に上げられれば、と思う。私なんか、とてもとてもましな方だったけれど、千年に一度とも言われる天災体験談は書いておかなければならないと思った。……エゴイストで申し訳ない。

また、普段は趣味小説のようなものを書いているので、そのような表現があり、読みにくい箇所も多々あったかと思う。このことについてもここでお詫びする。

私が住んでいる仙台市泉区とあるところでは、3日目で電気が繋がり、4日目で携帯電話の通話及びメールが使用可能に、そして現在、5日目の朝にネットが復旧した

ガスと水道は未だ使用不能。ライフラインが完全に復旧するまで、一ヶ月はかかるそうだ。

しかし、命があるだけ儲け物である。生きていれば何とかなる、との言葉を信じてみようかと思う。

2011-03-14

http://anond.hatelabo.jp/20110314123238

これだけの地震

なのは東北地方であって、

東京震度は所詮5ぐらいだから

直下型で崩れるって話をみんなはしてる

2011-03-12

http://anond.hatelabo.jp/20110312211850

「すぐに建物の外に出てはいけない」は本当?

本当。

たとえば、オフィス街で外に出たときビルなどから何か落ちてくる可能性のほうが

ビル内にいて怪我をする可能性よりも高いため。

ただし、建物が明らかにヤバい場合はそうではない。

なんでツイッターとかでいろいろ騒いでるの?テレビ情報は不十分なの?

不十分というか、粒度が違う。

震度とか自衛隊派遣されたとかそういう大きいことはテレビが早いけど、

炊き出しや給水をどこでやってるとかは個人の情報のほうが早い。

日本って意外と広いんですよ。

被災者が自力で検索するよりツイッター情報伝えた方がいい場合ってあるの?

1人に伝えて事足りることなら自力がいいけど、

たとえば「○○で携帯の充電できます」とかはやっぱり個人情報更新頻度が勝る。

災害用伝言ダイヤル携帯業者提供伝言板、人探しサイト…どれを使うか決めておくべき?

決めておくべき。片っぱしから登録するというのもひとつの手段だけれども。

災害用伝言ダイヤル携帯業者の伝言板は、登録する手段=登録先なのでやりやすい。

その他にtwitterで安否確認の拡散するとどうなる?

拡散はよくない。

個人的には「○○地区の複数の知人とまったく連絡が取れません」レベルからかな。

1人と連絡が取れないのは、もしかした携帯電池切れかもしれないし

携帯電話固定電話公衆電話携帯メール伝言ダイヤル つながりやすい順番は?

公衆電話>=固定電話携帯メール携帯電話

ただし、復旧は携帯電話のほうが早い気がする。

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