はてなキーワード: 恩恵とは
https://www.bs.jrc.or.jp/th/bbc/2020/04/202003_kyokyu.pdf
https://www.bs.jrc.or.jp/th/bbc/2020/04/202003_kenketsu.pdf
細かいことは良く分からんが、昨年比本数ベースだと昨年比で99%程度の微減、献血者数では111.6%てことになってる。
今緊急事態宣言が出されている自治体在住で、ここ数ヶ月、2週おき火曜日の朝に献血に行ってるのだが、今日は今までで一番ベッドが埋まってた。いつもはあまり居ない(普段は女性とリタイア目前かそれ以降の男性が多い)壮年男性が多めだった。前回(2週間前)は特に少なくて、今日の半分もいなかった気がする。年度末だったからかな?血液供給が心配されているけども、必死の呼びかけなどもあってそれなりには人が集まっているようでちょっとうれしい気分になった。別に自分に恩恵があるわけじゃないけどね。
3月頭から献血ルームの入り口にアルコール消毒薬が置かれ、手指の消毒が求められていたが、今日行ったら付け加えてマスクの着用が求められていた。万一キャリアだった場合まき散らさないための施策だろうから布マスクでもいいやつだと思う。献血行く際は忘れずにマスクをしていくか持っていくかしてください。
COVID-19の疫病は特異な歴史的コンテクストに現れました。まず、グローバル資本主義と自由民主主義の折り合いをつけるには他に解決策(ソリューション)がないと30年間も信じてきた後で、人類は自らに課した昏睡状態からしだいに目覚めつつあります。状況が改善するかもしれないが、急激に悪化するかもしれないという考えにもはや誰も驚きません。
他方で、これまでの4年間、ブレグジット、トランプの大統領当選、ジェレミー・コービンの登場と失脚――じきにバーニー・サンダースも同じ運命をたどることになりました――といった出来事から、グローバル資本主義がかなりしぶといものだということが見えてきました。世界主義から排外主義へ、ネオリベラリズムから社会民主主義へ、イデオロギーがたんに変わるだけでは、社会的・経済的な諸関係は変わりませんでした。資本主義の完全な作り直しという課題に直面して、かつてはあれほどラディカルに見えたイデオロギーが無力で陳腐なものであることが明らかになりました。
現在の健康上の緊急事態をどう考えるべきでしょうか。COVID-19の引き起こした危機が世界を変えて開放する可能性に希望を抱く人は、すぐに失望することになるかもしれません。私たちの期待が過剰だというのではありません。ユニバーサルベーシックインカムやグリーンニューディール政策は妥当だし、まさに必要なものです。ですが、私たちは現行のシステムのしぶとさを過小評価し、また同時に、思想が堅固な技術的・経済的インフラなしで世界を変える能力を過大評価しています。そうしたインフラがあってはじめて思想を作動させることができるのに。
「ネオリベラリズム」のドグマは諸悪の根源とみなされることが多いですが、このドグマであらゆることの説明がつくわけではありません。知的には「ネオリベラリズム」には似ているものの、これとはまた別の悪について、10年ほど前から私は指摘しています。それは「ソリューション主義」といいます。
このイデオロギーは、ポスト・イデオロギー的であることを標榜しており、グローバル資本主義が生み出す問題や矛盾を解決しながらこれを動かし続けるために、いわゆる「実践的」な、個別の対応策をまとめたものを勧めます。そして驚くべきことに、こうした対応策には美味しい利益がついてくるのです。
ソリューション主義のもっとも有害な帰結は、スタートアップではなく私たちの政府がもたらします。ソリューション主義国家とは、その前の時代の監視国家が人間的になりつつもより巧妙化したもので、二重の使命を帯びています。イノベーションを引き起こす人々(デベロッパー、ハッカー、起業家)は御しがたい存在ですが、これらの人々がその能力と既存のリソースを〔現在のグローバル資本主義とは異なる〕他の社会組織を作る実験に用いないよう、ソリューション国家は気をつけていなくてはなりません。AIやクラウドコンピューティングの恩恵を十全に受けたいのなら、資金的に余裕のあるスタートアップを作らなくてはいけないようになっているのは、偶然ではありません。逆にそれは意図的な政治的努力の結果なのです。
その帰結。非商業的なしかたで社会を編成する制度を生み出す可能性があり、既存の体制を転覆するおそれのある試みは、頓挫する。そういったものは胚子の段階で殺されます。そういうわけで、ウィキペディアの流れをくむ団体はもう20年以上現れていません。とにかくデータが欲しい多国籍企業が世界を完全にデジタル化してゆく時代に、国家は自分の分け前を手に入れようと目論んでいます。監視が完全に行き渡ったことに加えて、企業が世界をデジタル化してきたことで、諸国の政府は市場を利するかたちでソリューション主義的な数々の介入を進めることができるようになりました。
ナッジ (nudge)の技術はソリューション主義の完全な実践例です。ナッジのおかげで、問題の原因は変えないまま、取り組みやすい作業の方に集中することができる。それは、個人の行動を不可変の現実(それいかに残酷な現実であっても)に「合わせる」という作業です。
ソリューション主義者のみなさん! COVID-19はソリューション主義国家にとって、9/11のテロが監視国家にとって持っていたのと同じ意味を持っています。しかし、ソリューション主義が民主主義的な政治文化に対して示す脅威は、〔監視国家よりも〕陰険とはいわないまでも、より微妙なものです。
COVID-19の危機にさいして中国、韓国、シンガポールがとった独裁主義的な戦略は評価されました。3国ともに、市民が何をしてよいか、してはいけないか決めるために、アプリ、ドローンやセンサーの展開をトップダウンで決定しました。西洋で民主主義的な資本主義の擁護者を標榜する人たちは予想通り、すぐさまこれらの国を批判しました。
エリートの臆見をもっとも雄弁にうたう詩人たるユヴァル・ノア・ハラリがファイナンシャル・タイムズのコラムで表明した代替案は、シリコンバレーのプロパガンダマニュアルからそのまま出てきたようなもので、知識によって市民を自律的にしよう! というものでした。
人道主義的なソリューション主義者はみんなに手を洗ってほしいと思っています。それがみんなにとって、社会にとってよいことだと知っているからです。中国政府が暖房や電気を切るぞと脅したように、みんなを力ずくで束縛するよりは、そのほうがよいと思っているのです。このような言説は、政治のアプリ化〔アプリで市民を監視し行動を制限する方向性〕にたどりつくだけです。手洗いの奨励をめざして作ったアプリがその人道的な見地によって報酬を受けたとしても、そうなるのです。
認知行動的な介入によって市民を自律的にしようというハラリの呼びかけは結局のところ、キャス・サンスティーンやリチャード・セイラーに代表されるようなナッジの擁護者が推奨するステップとたいして変わりません。こうして、過去数百年で最大の健康上の危機への政治的な対応は、石鹸や手洗い槽の自販機というかたちで「実践的な」言説に還元されてしまいます。これはサンスティーンとセイラーが〔共著の『ナッジ』で事例として紹介しているアムステルダム〕空港の小便器の形をめぐる思考〔小便器の底に蠅の絵を印刷するというナッジにより、男性利用者がトイレの床を小便で汚す率が大幅に減るというもの〕の系統にある発想です。
ソリューション主義者の想像の中では、あらゆる中間団体や制度は、歴史と同様、政治のシーンからほぼ消えてしまったので、他にできることはあまりないのです。ハラリやサンスティーンのような人たちにとっては、世界は本質的に、消費者としての市民、企業、政府で成り立っています。労働組合、アソシエーション、社会運動、そして感情と連帯で結びつけられたあらゆる共同的制度のことをこの人たちは忘れているのです。
「知識による自律化」というお題目は古典的なリベラリズムの根底にあるものですが、今日ではひとつのことを示しているだけです。もっとソリューション主義を、ということです。だから諸国の政府は、去年私が「生存のための技術」(survival tech)と名付けたもの(つまりスペクタクル(見せ物)としての資本主義が、その主要な問題を緩和しつつ続くようにするデジタル技術の総称)に大金を投資するものと予期しておかねばなりません。そうやってソリューション主義国家は自分が「中国の道」は採らないことを標榜しつつ、自己の正当性を強化することになります。
この危機から脱するためには「ポスト・ネオリベラリズム」の政治が必要なだけでなく、とくに「ポスト・ソリューション主義」の政治が必要です。まず、スタートアップか、中央集権的な計画経済か、といった人為的な二項対立はもうやめてもいいでしょう。この考え方は、私たちが今日、イノベーションや社会的な協力を考える仕方を規定しています。
新しい政治的議論の中心となる問題は、「社会民主主義とネオリベラリズムのどちらの勢力が市場で競合する力を制御できるか?」ではなく、「社会的な協力と連帯の新しいかたちを追求するうえで、デジタル技術がもたらす巨大な機会をどの勢力が活かすことができるか?」でしょう。
「ソリューション主義」とはだいたいのところ、「他に選択肢はない」(There is no alternative)というマーガレット・サッチャーの有名なスローガンを応用したものにすぎません。このようなロジックは残酷で実践できるものではないことを、左翼の思想家は過去40年間にわたって明らかにしてきました。とはいえ、〔このサッチャー的なロジックが〕破綻していても、政治的な権力を持つようになるうえで支障はなかったのです。結果的に、私たちの暮らす技術的な世界は、市場が支配する世界秩序を逸脱するような試みはぜったいに制度化されることがないようにできています。私たちの議論の輪郭〔つまり議論の組み立て方〕そのものが、そのような〔逸脱の〕可能性を排除してしまっています。
COVID-19への技術的な対応策を考えるさいに直面する困難は、ポスト・ソリューション主義的な政治の方向性が私たちにどれほど必要か示しています。イタリアのような国では――私はローマで外出制限の3週間目に入るところです――提案されるソリューションは酷いほどに野心を欠いたものです。私生活と公衆衛生のあいだで妥協点をめぐって議論が繰り返されており、さらには、これはハラリが示した方向性に従うことですが(「反抗または生存」を参照)、「生存のための技術」を使ってスタートアップがイノベーションを引き起こしやすいようにしなくてはいけないという議論になっています。
他の選択肢はどこに行ったのかという疑問が浮かぶのはもっともなことです。なぜ公衆衛生のために私生活を犠牲にしなくてはならないのでしょうか。テクノロジー企業や通信事業者が作った現在のデジタルインフラが、それを提供する会社のビジネスモデルにかなった利益をもたらすようにできているからなのでしょうか。
現在のデジタルインフラは、私たちを個別に消費者として識別し、ターゲティングを行うようにできています。集団の行動についてマクロなレベルで匿名の情報を提供するようなインフラを実装する努力があまりされてきませんでした。なぜでしょうか。そのような〔匿名のデータ〕分析をする必要について検討した政治的プロジェクトがなかったからです。非商業的なしかたで社会を編成する形態の中でも、とりわけ〔社会主義的な意味での大規模な〕計画はネオリベラリズムが用いる手法ではなかったからです。社会民主主義を信奉する人たちのなかでも、そのような手法を用いるべきだと主張する人はいませんでした。
現在のデジタルインフラは残念ながら個人が消費活動をするためのインフラであり、相互扶助や連帯のためのインフラではありません。デジタルプラットフォームと同様、現在のデジタルインフラは、アクティヴィズム、人の動員や協力といったさまざまな目的に使うことはできますが、そのような使い方は、たとえそう見えていなくても、高くつくことになります。
ネオリベラリズム的でもなくソリューション主義的でもない社会秩序の基盤としては、これはじつに脆いです(さらにこうした基盤には、消費者、スタートアップ、起業家とは違う働きをする人が必ずいなくてはなりません)。アマゾン、フェイスブック、あるいはあなたがお住まいの国の通信事業者が提供するデジタル基盤のうえにこの新しい秩序を建てる誘惑にもかられますが、そうしてもろくなことにならないでしょう。それは良くてソリューション主義者が跋扈する新しいフィールドになるか、悪くすれば、監視と抑圧に基づく全体主義的で押し付けがましい社会となるでしょう。
この危機的事態を権威主義的な体制よりも民主主義がうまく収拾できると熱く説く声が、左翼方面からさかんに聞こえてきます。このような呼びかけは無意味なものに終わる可能性があります。現在の民主主義は民主主義的でない私的な権力の行使にとても依存しているので、名ばかりの民主主義になっているからです。これぞ「民主主義」と考えるものをほめたたえることで、潰れかかっているスタートアップの見えない持ち分を意図せずほめたたえたり、スタートアップほどには無害でなくソリューション主義国家を構成するテクノクラートの持ち分をほめたたえたりすることになります。
もしこの生ぬるい民主主義がCOVID-19を生き延びることができるのなら、私企業の権力から完全に自由になるためにポスト・ソリューション主義の道をまず選ばなくてはならないでしょう。そうしなければ権威主義的な体勢への道へまた踏み出すことになります。それは「民主主義的価値」、「規制の機序」、「人権」について、以前にもまして偽善的なエリートの支配を許す道です。
Covid-19, le solutionnisme n’est pas la solution
*ナッジとは、「行動経済学や行動科学分野において、人々が強制によってではなく自発的に望ましい行動を選択するよう促す仕掛けや手法を示す用語」(株式会社日立総合計画研究所)
⬜️日本がIMFへの拠出表明https://t.co/9kk241fve7
このIMF、日本は第2位の出資国で、重要な役職に日本人が就てたり、財務省の天下り先だよね。例えば日本は更に増税すべき!ってあたかも国際機関からの指導と見せかけて、財務省の代弁的役割をさせてたりね。今回の件で日本に恩恵があればいいけどね。— フィフィ (@FIFI_Egypt) 2020年4月8日
外交の安倍の中国包囲網はどうした?w
西村康稔経済再生担当相が対象地域となった7都府県知事とのテレビ会議で、休業要請を2週間程度見送るよう打診
日本がIMF大災害抑制基金への拠出表明へ、低所得国支援
そろそろ北から飛翔体飛んでくるぞw#無能自民党#全ての住民に補償と給付で防疫を pic.twitter.com/KapP3pfylr— kupalchan (@kupalchan) 2020年4月8日
馬鹿なの?
こんな言葉使うのはどうかと思うけど、流石に日本がヤバいこの時期に国内ほっぽり出してこの行動はないわ。
こんなコロナ禍と言う企業や個人に対する政府の要請により国内では経済的混乱を招き、そのせいで国内経済が悪化し、本来すべき国内企業や一般人にはケチ臭く消費税ゼロや給付金や粗利保障をせずに海外には良い顔をしたい為に景気良くばら撒いて、体裁だけを保ちたいだけと言う人達と言う事がモロに今回露呈したって事になるよね。
この国の政府はどこに向いているんだ?
流石にここまで酷いと売国奴って言われても仕方ないと思うが。
そりゃ野党に限らず、自民内部からも批判の声出るのも当然だよ。
平時ならともかく昨日のコロナ禍にこじつけた改憲発言と言いこれと言いとことんこいつら危機感ないし、空気読めていないよね。
そりゃ右も左も怒って当たり前だわ。
続くのは続くんじゃないかな。
そもそもリモートは大企業がデスクワーク業務を行っている正社員向けに行っているサービスであるということ。
他の方の書き込みにあるようにデスクワーク以外の業務、作業にはリモートワークなんて物理的にできないし
デスクワークでも協力会社(常駐の下請け)や派遣やアルバイトには恩恵が受けられない仕組み。
日本はリモートワークそのものに慣れている人、ではなく慣れてる企業がどこにもない。
リモートワークって会社のパソコンを遠隔操作するだけでしょ?と単純に捉えることが
できないアホ企業、アホ役職者しかいないので、とりあえずやってますーとしか言えない
IBMが続かなかったって何をもって言ってるのか分からないけど、恩恵が少ないよね
ってことで辞めたはず。しかし今はコロナの問題もあってやらざるを得ないはず。
まずリモートワークって誰のため、何のため?
セキュリティはどうすんの?画面キャプられたりスマホで撮影されたりしたときどうするの?
という問題もある。
勤務時間中、永遠ウェブカメラで撮影されてるのは逆にストレスになるからメンタルケアを
考えないといけない。
もちろん専用の契約書を交わして、トラブルがあったら10億円払わせるからなっていう契約
するのも手だけど、完全に防ぐことは出来ないよね。特に日本は隠れて海外に逃げられるザルなので。
続くか否かに対しては、続く。少なくともコロナ蔓延中はずっと続く。
しかし恩恵は極一部の大企業の正社員のみで、局地的なものが社会全体をハッピーにすることはできない。
まずリモートのメリットデメリットを熟知し活用ノウハウを貯めて活用事例を作れたら本当の意味で
長続きできるんじゃないかな。
できない社員と会議室に閉じ込めたり、急に社員証を取り上げて解雇と引導渡してくる
某IBxにはできない芸当だと思うけどね
日本人であるアイデンティティの住む地域と使う言語に拘らないなら海外に出ていって稼いで学ぶ
もし戻りたいやつがいたら歓迎してそいつに投資とか産業育成をしてもらう
いずれにしろアメリカみたいに外国人受け入れまくって人口増やしてすべての面をブーストしてもらわないともう衰退しかない
でもロンドンみたいに色んな肌の色の人間が闊歩してる情景想像つくか?無理だろ
ガッッラガラ。人気なし。
女湯の客層は7割くらいがおばあちゃんだった。
あとは上のジムの会員らしい人がちらほら。
ひとつの浴槽に人が0人~3人みたいな感じ。
バーはソファ席でパソコン持ち込んでワイワイ仕事?してるらしき男性グループがいた。
あとはおじさんやおじいちゃんがなぜかそこら辺で寝ていた。
レストルームの埋まりかたは男性40%女性20%くらいの体感。
金曜夜のレストルームなんて入れなくて岩盤浴ルームに寝るのが常だというのに。
全体的に本当に人がいなくて最高に快適だった。
じつは花見シーズンも、某桜並木の見えるテラス席の店でともだちとご飯を食べた。
普段なら予約をとれもしない店なのに、一テーブルずつ空けてゆったり桜を見ながらご飯を食べられた。
最高だった。
みんなが自粛してるからこの恩恵に預かれてるんだよな~大きな声では言えねえな~
と思ったけどどうせ海外渡航歴がない以上めったなことでは検査されないし
仮に職場の人が誰かコロナになったとしたら注目はその人に集まるし。
そろそろロックダウンされるだろうが
それまではこんな感じで人のいない東京を楽しめそうだ。
コロナがもたらす教訓2つ
まず感染した患者の治癒を祈り、被害者への追悼をささげたいと思う。
ところで、コロナウイルスはなぜ発生したのか?
と考えるとき、やれ陰謀だ、やれ責任はどこにある、という風に、
特定の国を政治的に糾弾するのは、もはや無意味だと考えるようになった。
だがそれはもはやどうでもいいことだ。
原因はともかく、その原因に至らせた何か大きな意志があったはずである。
そこに注目したいと思っている。
「コロナ」という名前を聞いて、「そういえば太陽の外側の熱いところがコロナって名前だったな」と思い出した。
コロナウイルスの外側のトゲトゲの部分に該当する。
YouTubeで「太陽が突然消えたらどうなるのか」という動画を見た。
https://www.youtube.com/watch?v=KM1NxPNp6sU
これによると、数日で地球の気温は一気に低下し、
地熱のある暖かい地域を求めて人間が殺到し、人間社会は崩壊するようだ。
ふだん、我々は「日光はあって当たり前」「水はあって当たり前」
「空気はあって当たり前」「大地はあって当たり前」と思っている。
だが、そのバランスは、太陽と地球の距離をはじめとした奇跡的な成り立ちによって
ぎりぎり保たれているのである。
我々はそのおこぼれに預かっているにすぎない。
今回のコロナウイルスの件は、いかに人間が弱い存在かを知らしめるために、つかわされたものではないだろうか。
ちなみに、太陽表面は6000度だが、コロナが100万度まで上昇する仕組みはわかっていない。
いうまでもなく、我々はその強力な熱の恩恵で生活ができている。
2.コロナの前では、国・宗教・思想の対立はもはや無意味である。
もしあなたの自宅近辺が崩壊して、みんなで避難しようというとき、
「隣の家のとは長年ケンカしてるから」などといっていたら、そのまま二人とも逃げ遅れてしまうかもしれない。
そういえば、「地獄では、とてつもなく長い箸を与えられる」という話をご存じだろうか。
1メートルもあるような箸では、自分で料理を口に運ぶことができない。
鍋を囲んだもの同士で、お互いに箸で食物を運んであげる必要があるというわけだ。
地獄では、自分がどうやって食べるかしか考えることができないようになっているため、
どうしても食べ物にありつくことができない。自己中心的な人生を送った人間が、その席に集まるのだという。
1.自然の前には人間の力はちっぽけなものである。科学の力で地球をコントロールできると思う、傲慢さに対する罰ではないか。
特に何もしてないのに恩恵を受けて給料が大幅にアップしたので驚いてる
氷河期の世代だってのもあるけど、落ちまくる就職活動ってのをどうしてもしたくなくて派遣社員(技術系)として長年働いてきた
気をつけてたのは、同じ派遣会社からの紹介される仕事を受けるって事
そして基本は自分から辞めないで契約満了になるまで働く(次を探して貰いやすい)
これをずーっとずーっとの繰り返してた
そしたら2年前に契約社員になるチャンスが来て派遣元の準社員みたいな形になれた
これだけでもかなり良かったんだけど、さらに今回、同一労働同一賃金の恩恵を受けられた
いいのかなこんなにお給料上がって
業務内容とか何も変わらないのに
時給とか待遇が気に食わないからって派遣元変えたり、コロコロジョブホッパーしてた派遣らが恩恵を受けられないーってブツブツ文句言ってるのはチャンチャラおかしい
大企業に入社するには、高校2年間は受験勉強に費やしてマーチ以上に受かり、大学2~3年間は勉強やインターンで経験を積み、さらに就職試験対策をしたうえで就職試験に挑む必要がある。この狭き門を通過して、ようやく(名目上の)終身雇用と賞与と言う恩恵にあずかることができる。人によっては高校受験もしているからさらに+2~3年努力が必要になる。一方、統計(https://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/koyou/haken/18/dl/gaikyou.pdf)によると派遣社員の75%は四大卒未満であり、無試験合格のいわゆる「Fランク大学」を足すと80%は超えるだろう。
10代で何年も遊びたいのを我慢して努力した人間と、遊んでいた人間の待遇が平等であって良いのだろうか。もちろん家庭の事情などで大学に進学でなかった、正社員で就職したが事情により退職せざる負えなかった、という個々の事情は考慮する必要があるが、それでも奨学金を含めて機会の平等はある程度担保されている。そう言うと「奨学金は借金」「そういう情報に接することができない層もいる」という反論もあるだろうが、そこまで行くと「福祉」の世界の話になると思う。当たり前だが、大企業勤務の高額所得者の方が納税額は多く「福祉」にも貢献している。
行き過ぎた自己責任論は嫌いだし、セーフティネットは用意されるべきであると思っているが、権利ばかり主張するのは見ていて痛々しく思う。
CPUをVHDL,Verilog,System-Verilogで書いたりした時もあった。
USB,HDMI,電池の充電制御,WiFi,自動車など色々やったが、コンピュータが遠くなっていく感じがある。
FPGAでCPUを書いてOSを起動させたとして、自分の普段の仕事環境が良くなるわけではない。
ソフトウェアでは次々と開発環境が良くなっていくし、自分で使いやすいようにカスタマイズもできる。
でもハードはそうではない。MS Officeは動くがメモリが4GBでカクカク。
作ったハードも自分達が使うわけじゃない。例えば100Gイーサ開発してもその恩恵は得られず1Gbpsが関の山だったりする。
Python,Go,R,C++,Rubyくらいになると書けるがどう動いてるかわからなくなってブラックボックス化する。
社会的には正しいのだが、自分が関わったハードと自分が書いたC/C++のコードを上位から呼び出すのはわかるが、
ハードが変わったらブラックボックスになる。ロジアナやオシロで見てわかるレベルであればいいが。
PandasのTime seriesが時間を扱えるのかと思っていると、ピコ秒が扱えない。
これは1例に過ぎないが、Amazonや本屋で新刊が出ると買って勉強し、ライブラリの公式ドキュメントも読んでいくが、仕事に直結しない。
クラウド使ってディープラーニングのやり方は沢山情報はあるが、CPU内蔵GPUでメモリ4GB+FPGAでやる情報なんてない。