はてなキーワード: 弊害とは
…とだけ書いて終わるのは雑なので、個人的な偏見等を込みで色々思うところを書いていく。
おそらくここで語るものは陳腐で凡庸な面白みのないものであろう、しかしもし興味を持っていただけたら読んでもらえると幸いである。
オタクコンテンツはみなさんご存知の通り一般化した、街中にはアニメやVtuberなどとコラボした商品が散見され、街中でアニソンが流れていたりする。
アニメや漫画の話をしても嫌がられないし、むしろそのような話を積極的にしてくる人もいる。
オタクコンテンツは一般に広まったせいで過度に一般化してしまったと私は思っている(これはあくまで偏見である)
というのもまずは売れるかどうかという数値が前提にくるからである。
もちろんこれらは"商品"であるため、売れるのがいいというのは間違いがないし企業としては売れなければ価値がないというのは間違いないであろう。
そこで問題にしたいのはオタクコンテンツの精神性というふわっとしたものになる。
これらコンテンツは個人的な偏見等込みではあるが迫害の歴史であったと私は思っている。話をすればキモがられ、売っている場所は隔離されるそのようなものであった。
しかしそのような状態であってもコンテンツを作り続けた人たちがいた、彼らは自身の溢れ出るものを解放させコンテンツを作り続けた結果今のように市民権を得ることができた。
このようなコンテンツは最初はごく一部の人間が面白がり小さいコミュニティ、もしくは執着に近い発掘欲を持つ人間にのみ評価されていた。
また自身が面白いと思うコンテンツは他者に知らせたいものでさまざまな機会で、さまざまなツールで面白いと思う感情を広げていった。
問題はここからで私は一般層はものを評価する能力がない、もしくはあったとしてもそこまで高くないと思っている。
動物に悲劇があれば泣くし、子供が頑張れば感動する。弱者のサクセスストーリで涙し、悪徳企業に怒り、永遠の愛でしんみりする。
しかしわかりやすい感動にしか反応しない、もっと正確にいうならばわかりやすい感情の変化にしか反応しないのだ。
感動というものはさまざまなものがあるが大きくまとめれば感情の変化であろう。
感情の変化というものは各人のセンスや知識、経験に依存するものだ。感動するという行為にも才能と経験が必要になる。
例えばよくピカソの絵を見て誰でも描けるとかこれが芸術なんだとかいう人間がいる。しかしピカソが写実的な絵も描くことができ、キュビズムが本来なら同じ平面上に存在しないものを写実性を捨て記号化することにより同時に存在させるようにしようとした試みであることを知ればそれは難しいことがわかる。
コンテンツというのは歴史の流れがあり新しい評価基準や表現、感性を探求するという性質がある。
しかしそれらを評価するためには今までのコンテンツへの理解などが必要になる。
一般層の人間はこの知識や経験がない、そのため評価基準が他者に依存することになるかもしくはわかりやすいものしか評価できなくなる。
さてさまざまなコンテンツの多くは営利活動の結果生まれた産物である、営利活動の評価を行う際に基準となるものは収益であろう。
当然のことではあるが収益性のみを考えた場合、新しいコンテンツを評価するようなオタクやコミュニティ(ここではこのような人やコミュニティをまとめてオタクコミュニティと呼ぶことにする)と一般層、どちらの方が人口が多いであろうか。
考えるまでもなく後者だ、そして後者はわかりやすいものしか評価できない。
ではどうなるか
なので1手先しか考えていないようなわかりやすい一見深そうで薄いコンテンツが生産されていく。
間違いなくオタクコミュニティー向けの作品を作るクリエイターは一般層に評価はされないだろう、わかりづらい作品を作るので歓迎されることはないだろう。
では誰がコンテンツを作るようになるか、これは間違いなく一般層のクリエイターになる。
というのも感情が近いので作りやすいのだ、またオタクコミュニティー向けの作品を作るクリエイターと比較して、コンテンツ自体に執着が薄い(無いわけではないし一部の方はとても強いと理解しているが集合として見た時の話である)ので仕事と割り切れたりするという強みもある。
企業からすると一般層のクリエイターは収益も産みやすく優秀な金の卵であるが、オタクコミュニティー向けの作品を作るクリエイターは収益を産まない腐った卵であろう。どちらが優遇されるかは明白である。
このようにしてクリエイターの層が更新されていく(新陳代謝といえばそうかも知れない)
クリエイターが変わっていくとコンテンツ自体オタクコミュニティー向けのものから一般層向けのものへと大部分がシフトしていき、そのうち入れ替わる。
そうしてオタク向けのコンテンツは一般向けのコンテンツへと狂気が希釈されていく。(私はこれを一般層の文化的侵略だと呼んでいる)
そのような状況であってもオタクコミュニティー向けのコンテンツを作る人は作るだろう、しかし評価はされづらくなる。
もしくはそのようなクリエイターが時代の変化などさまざまな要因で一般層向けのものを作ることもあるだろう、映画などにある細かいネタや裏設定はそのようなクリエイターの少しばかりの一般層への反乱ではないかと思えて仕方ない。
さてオタク向けのコンテンツがオタクコミュニティーから一般層向けのコンテンツへと変わっていくという話をした。
ここで一般層の評価基軸をもう一度説明すると他社が評価しているか、わかりやすい感動かという軸で評価している。
後者と比べ前者は容易にハックすることができる評価基準である。資本とマーケティングの勝負に落とせるからだ。
つまり一般層のコンテンツは、芽が出そうなものに対して資本という栄養剤を投与することで完成する、そして一般層に収穫され消費されるのだ。
私は最近のコンテンツが話題になる期間が短いのはこのような背景があるからではと思っている。短くしないと次のコンテンツを消費できなくなるからだ。
ここで一つ誤解を解く必要があるが、私はこのような企業の行為に対して悪だと断罪するつもりはないし、営利活動を行う団体として収益を上げるのは正しい行為だと考えている。
このようにしてオタクコンテンツは終わっていくし、すでにアニメや漫画などは終わっていると私は考えている。終わっていなかったとしても一般層にリーチしないのでそのようなコンテンツを知り得る人はごく僅かであろう。
これが悪いのかどうかと言われるとそうではなくただ集団の行動の結果であるとしかいえない。
しかし、間違いなく言えることは一般層がオタクコンテンツに入ってきた瞬間にそれは終わるということだ。
昨日は早く寝たので元気いっぱいよ!
寒さで途中目覚めることもなかったインカなこともなかったので、
なんかぐっすり眠れないし、
かといって起きるわけにも行かないし中途半端なのよねー。
なんか微妙に普通にこの1時間睡眠体力回復パワーは100パーセントで発揮されているわけではないと思うのよ。
いやもう最近のテーマは睡眠時間をいかに確保しまくりまくりまくりすてぃーなのよね。
最低でも23時半には床につく山脈に向かってヤッホー!って叫びたいの。
スプラトゥーン3はそのスタイルに合った短時間プレイでいけんのでいいわよねって事なのよね。
昨日も1勝して
反省会のリプレイ見て愛用している私が必死になってもぎ取った星熟練度5つの星のセブンファイブオーライダーじゃない方のセブンファイブオーライダーカスタムの使い手としての後衛をいかに塗って守りーの、
そんで突破されたら困るチークポイントをいかに突破させないかの反省点を見てって見るだけだけどね。
そんで終了!
遊んでも充実感はそれなりに。
なので後の時間は明日のお茶のホッツ緑茶ウォーラーを作る茶器を洗って整える時間に費やせるわ。
あー!そうそう
思い出したんだけど、
実質2番組同時といいながら、
これってもう新しいレコーダーに変えた方がいいのかしら?
あれも案外賞味期限的なものはあるのかしらね?使い続けられていいんだけど、
中身の録画した番組が新しく買ってもレコーダーに移せないので、
見終えないといけなくない?ってまた遙かなる時間のかかることを思うとゾッとするわ。
午後からどっか出掛ける同行するかもっつってるし、
なのでこの辺にしておくわ。
うふふ。
朝から2つはちょっと多いかなって気がしたので1つだけにしておいたわ。
水筒に入れる分を作るので
続けることは続けていることなのよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
散歩のときは本が一冊ぐらい入る手提げ袋を持っていくが、コストコに入るときにカードをかざすと(外国人)店員さんからいつも「カート要らないの?」みたいな反応される。
コストコを出るときにも(外国人)店員によるチェックがあるが、小さな手提げ袋にコストコの商品が入らないことはほぼ明らかであり、いつもはほぼノーチェックだった。チェックは不必要だから、外へgogo!みたいな感じのときも多い。だが、今日は珍しく日本の中年女性の方がチェック係だったようで、口頭ではあったが商品を持ち出していないかを尋ねられ確認したそうな仕草を示された(でも結局立ち止まることは無かった)。
n=10~20のうちの1回とはいえ、少し違和感あった。今後も同じようなことが何回かあったら、明らかに無駄なことでも自分の仕事と言われたらそれだけをひたすら遂行する、みたいな日本的職業倫理の弊害みたいなものが言えるのかなと思う。それは、(店舗の雰囲気などの)全体最適を考えようとする姿勢の欠如でもあるし、それは「明らか」ではないみたいな議論にリソースを使われる可能性もあるし、生産性の低さにもつながるのだろう。そのときに、こういう人は外国のコストコで働く機会があってもそんな感じなのか、ということは知りたくなると思う。
話は変わるが、外食チェーンで食事していると、お店が暇になると高確率で掃除がはじまる。店舗をキレイに保つのは大事だと思うし、クソ真面目に業務を遂行するのも良いが、掃除中に食事をするのは必ずしも好きではないので、暇ならば店員同士で雑談でもしてくれればよいのにと思う。隣のテーブル誰も座っていないのに1時間に何回拭くんだろう、そしてそのアルコール消毒スプレーを噴射すると自分が食べる予定の食事に入ってきた気もする、それもサービスなのかな?、みたいな。
それぞれ80年代を代表するラブコメなのは間違いない名作なのだが、しかし終わらせ方に歴然とした差がある。
・いわゆる三角関係モノだが、圧倒的人気のヒロインまどかに傾倒させすぎ、第二ヒロインのひかるはただの当て馬となった
・原作はそのあたりぼかしたまま終了したが、外伝的OVAではひかるがひどい捨てられ方をしたため、今でもファンから胸糞が悪いと言われている
・原作は高校時代だったが、主人公とまどかは同じ大学に行き、いっぽうひかるの3年間の青春がそのままドブに捨てられた形になっていて、極めて自己中心的な終わり方になっている
・このように、メインキャラ3人全員が救われるような描き方ができなかったのは明らかにシナリオの力量不足である
・こちらも三角関係モノだが、ヒロインを奪えなかった相手も幸せな結婚をし、主人公を応援・バックアップするという終わり方になっている
・「響子さんを幸せにするんだぞ!」という昭和っぽい男らしさがある
・高橋留美子らしく、いっさいの胸糞わるい終わらせ方がなく、サブキャラもハッピーエンドになるよう伏線もすべて回収して終わらせている
・恋愛、結婚とはともすれば2人だけの自己中心的な世界に入りがちであるが、しかしめぞんの終わらせ方を見ると、必ずしもそういうことばかりではないとわかる
・たとえばかつての恋敵であっても幸せな結婚をし、それぞれが友人として付き合い続けることもできるはずである、ということを提示しているのがめぞんである
・ちなみにきまオレOVAのシナリオはファイナルファンタジー1~3や数々のアニメシナリオもてがけた名作家であるが、一部のファンにはアンチが多いようである
・SFもファンタジーもやれる多作の才能であるが、ラブコメ専門ではなかったという弊害といえるかもしれない
・きまオレも疑うことのない名作だが、留美子が作家としての格の違いを見せた格好ではないだろうか
・というか野球でいえばイチロー大谷クラスである留美子と他の作家を比較をするのがまちがいである
・このあたりでも批評されているので参考にされたし。
http://ifs.nog.cc/darkforth.hp.infoseek.co.jp/again.htm
https://www.youtube.com/watch?v=ltOrW5B22ZY
ホットエントリどうも。ちなみに、めぞんの恋敵・三鷹さんが響子を諦めざるをえなくなったきっかけは、いいなづけ(九条あすな)が妊娠してしまった!という誤解からはじまっている。
響子がふりむいてくれず、泥酔した三鷹が九条のマンションに寄ったさい、思わずキスをしてしまうのだが、三鷹にその後の記憶がないためであった。じっさいは両者の飼い犬同士が、たまたまその場でいたしてしまったからであった・笑。
九条も天然なので「あのようなことをされたからには・・・」という表現がまた誤解を生んでしまい、三鷹は責任をとって結婚する。
このようにアクシデント的なオチにすることで、ドロドロの結末でなく笑いをふくめてすべての登場人物を救ったというのは、やはり留美子の天才性というよりほかない。
なお九条さんの天然さはいまも一部のファンから根強い人気がある。三鷹も最後のシーンではしっかり手を握って愛妻家ぶりを見せている。皆さん、これがハッピーエンドというものですよ。
ChatGPTに風刺小説をかかせてみたが、ちょっとまだ説教臭いな。(タイトルもChatGPT作)
かつて僕が働いていたある国は、独特の文化と伝統を持っていました。勉強や努力が重んじられ、国民たちは経済発展に励んでいました。僕はそんな国に憧れ、外国から出稼ぎに来ました。
この国では、次第に時間とお金が余るようになり、人々はマナーやエチケットを楽しむようになりました。そんな中、あるテレビ番組が大流行しました。それは、様々な国から来たゲストがマナーやエチケットに挑戦するというコンセプトの番組でした。
僕もその番組に興味津々で、毎週楽しみにしていました。そしてある日、僕もその番組に出演することになりました。僕は緊張しながら、国民から学んだマナーを披露しました。僕のマナーは完璧ではありませんでしたが、視聴者たちからは温かい拍手が送られました。
しかし、次第にマナーが過度に重要視され、勉強や努力よりも大事にされるようになりました。それが過激な番組にも影響し、マナーの失敗が厳しく罰されるようになりました。視聴率は上がりましたが、国民たちはマナーに対する恐怖を感じ始めました。
経済崩壊時、過度なマナーは様々な場面で悪影響を及ぼしました。例えば、企業では重要な商談があるたびに、マナーを理由に長時間の準備が必要となり、本来の業務に割くことができる時間が短くなりました。また、重要な意思決定が遅れることも多く、会社の業績が悪化しました。
さらに、病院では医師たちがマナーに神経質になりすぎて、患者への治療が遅れる事態も発生しました。急患が入ってきても、まずマナーを優先し、患者の命を救うことが二の次になることもありました。
これらの問題が積み重なり、とうとう国は経済崩壊を迎えました。僕は失業し、故郷に戻ることにしましたました。帰国後、僕は友人たちにあの国での出来事を話しました。友人たちは驚きながらも、僕の話に興味津々で耳を傾けました。
「あの国の人たち、マナーばかりに気を取られて大変だったんだね。でも、それを乗り越えてきた君はすごいよ!」友人が言いました。
僕は故郷で新しい仕事を始めました。僕はあの国での経験を生かし、適切なマナーと努力を大切にすることを心掛けました。そして、僕が働く会社も徐々に成長し、僕も次第に出世していきました。家族や友人たちも僕の成功を喜んでくれました。
ある日、僕は友人たちと飲み会を開きました。みんなで楽しく話をしながら、あの国でのエピソードを披露しました。僕たちはその国の風変わりなマナーや文化について笑い合いました。
「君があの国で学んだマナー、教えてよ!」友人が興味津々で僕に頼みました。僕は彼らにちょっとしたマナーを教え、一緒に練習しました。みんなが楽しそうにしている姿を見て、僕はあの国での経験が決して無駄ではなかったことを実感しました。
そして、ある日僕はあるアイデアを思いつきました。それは、マナーやエチケットを楽しく学べるアプリを作るというものでした。僕は友人たちと共にこのアプリ開発に取り組み、多くの人たちが楽しみながら適切なマナーを学べるようになりました。
僕がかつて働いていた国の経験は、今となっては遠い思い出ですが、その国で学んだことは僕の人生に大きな影響を与えました。過度なマナー重視がもたらす弊害を痛感した僕は、これからも努力や勉強を大切にし、適切なマナーを心掛けて生きていくことを誓いました。そして、その国でのエピソードは、僕の友人たちとの楽しい会話のネタとして、これからも語り継がれていくでしょう。
身体精神的な特性で、他人と一緒にいることで体調不良に見舞われることが多いからだ。
特性に気づくまでは人といると不快(実際は身体的不調)だったので、てっきり人嫌いだと思っていた。
一人暮らしを始めてから、自由に自分で体調管理できるようになり、また特性に気づき、
最近はどういった点に気をつければ良いのか分かって、快適に過ごせる事が多くなり、色々できることが増えてきた。
なにはともあれ、相手に色々と配慮して貰わなければやはり体調が優れないため、結婚というものには相変わらず縁ができそうにない。
自分が相手なら面倒くさいなと思うし、配慮してもらったとしても、じゃあ同じくらい相手に配慮してあげなければ申し訳ないと思う性格だし、
そういったわけで、幼少期から結婚しないだろうから一人で生きていけるようにならなくては、と思って生きてきた結果、
それなりに楽しく、たまに悩んだりしつつ生きている。
基本的に自分で自分を養わなければ、という意識があったので、家事はもちろん、仕事もそれなりにできる。
家計簿をつけるのは得意で、老後のことも考えて貯金もして、蓄えも出来て今のところ不安はない。
だから休日に遅くまでゴロゴロしたり、たまにきちんと掃除した部屋でちょっとお高めのコーヒーを飲みながら映画を見たり、
日曜大工をしたり、釣りをしたり、ゲームをするのに幸せを感じている。
やはり子供を作ることもなく、かと言って養子を取るような気もない私は、税金くらいしか社会貢献をしていないことに多少の負い目を感じる。
そして年齢を重ねるにつれて、一人で自由な事の弊害で、自分勝手で傲慢になってしまう、という不安だ。
こうやってますだに書いているのは、
あまりにも周りの人間が、自分の人生に何も考えて生きていない、という不満を持っているのを吐き出すためだ。
学校が、社会が教えてくれないと言うけど、調べればちゃんと書いているし、問い合わせれば、それなりに丁寧に教えてくれる。
随分と「周りが親切じゃないからこうなった!」という人が多いように見えてしまい、時折馬鹿な他人に嫌味を言いたくなってしまう。
しかしそう思うのは一人で生きなければ、何でもしなければ、と思って生きてきたゆえの傲慢さだ。
実際はそれぞれのやむ終えない事情や、自分よりしっかりした人はたくさんいるし、
時には一人で全部してしまうより、出来ないところは人に頼り、そして頼られる相互関係を築くことのほうが社会には必要だ。
「いやいや、人はぞれぞれ悩みや事情を抱えているのだ」と気をつけるようにしているが、
年々、他人に不満を持ったりすることが増えている気がする。
きっとパートナーや感情のコントロールが効かない子供を持つことで養われる我慢や、相手を思いやる機会が足りないせいだろう。
だが独りである自由を満喫しすぎて、自分の性格が歪むのに気づかなくなったり、
誰も注意してくれなくない、といったことが無いように、
なにかしら今後、社会との関わりを持つようにしなければいかないな、と思う。
ん?
そうなの?
知らないけど。
それはさておき、
今まさにホッツな研究中の
お茶を淹れる急須を使わずに手軽に淹れることの研究に意外と熱を上げ熱心な私。
今朝からまた熱心にレッツホッツよ!
急須は容量が小っちゃいから一度にたくさん均等な濃さのお茶を淹れ作りたくて私が昨日思案したのが耐熱容器にお茶っ葉を入れて淹れるってことなんだけど、
棒でグルグルかき混ぜたら苦くなっちゃう成分が出ちゃうかも知れない?
そんで思ったより茶葉も容器の中でジャンピングチャンスしてなくて、
私が考えた今の時点での自分的に最強の耐熱容器でのお茶の淹れ方は
容器3分の1までお湯を入れて、
お茶っ葉を開かしーの1分ぐらい待つ、
その次に残りの3分の2のお湯を一気に容器内で対流させるように注ぎ
棒で物理的にお茶っ葉をいじらない方がいいかもしれない作戦よ。
安いお茶はとにかく熱湯でガンガンやった方がいいとのことなので
それで出来上がるお茶は残りのお湯を注いだときにお湯の流れの対流でかくはんされるので、
容器を見ていると、
重量の重いお茶っ葉はすぐに沈んじゃうから軽いお茶っ葉しかジャンピングチャンスをしてないのよ。
それで私は考えた作戦として、
残りのお湯を注ぐ回数でその勢いで
重く沈んでしまったお茶っ葉もジャンピングチャンスを得られるってわけ。
これもしかして
3回に分けてお湯を注げばダブルジャンピングチャンス!ってことにならない?
お茶っ葉がかくはんされて案外いい緑茶が淹れられるかもしれないわ!
と言うところまで試してみて飲んでみて、
もはや
急須で淹れたようなお茶なのか耐熱容器で淹れたお茶なのかのどちらの良し悪しが良いのか悪いのか分からなくなってきたわ。
結局どちらでもいいような気がしているところの結果的今の時点での発表よ。
ただ!
急須は部品が小さくて入り組んでいて洗うのが面倒くさいと言っても食洗機に突っ込んじゃうから私的にはそれノーダメージなんだけれど、
ただ気になるところは
お茶の苦味や渋味がなく甘みもなかったような感じがするテイスティング結果の着地地点に今私は空から女の子が振ってきたばりにそこに到達着地しているんだけど、
なんかもっと甘み出ないのかな?って
急須で淹れた時には甘み出てたような列島を奄美大島で味わったお茶のように
奄美大島には行ったことないけどきっと美味しいお茶がある大冒険!かも!?
うーん、
これはもはや先入観の差なのかも知れないけど、
急須は面倒くさいので
耐熱容器で一気に均等の濃さを大量に緑茶を抽出するって私の研究のテーマである昨日から始まった実験は完成しつつあるのよ。
お茶の葉っぱが容器の中で攪拌されているのが確認出来るから見ていて面白い実験の醍醐味でもある味つけでもあるわ。
でもこれ逆に
多いなぁって感じで
これは現代の世の中の大量生産大量消費を肉挽きにくい挽肉を皮肉るかのようだわ。
逆にクローズアップしすぎな現代も弊害の一途をたどるかもしれないわ。
でね、
だけど
これが1リットルつまり1000ミリリットルほど緑茶ホッツが出来てしまうので、
量が多いっちゃー多いのよね。
まあ飲むけど。
そこは私の生産体制のお湯を沸かす調整をすれば良いだけの話つまりはお湯を750ミリリットル分沸かせば良い!って最適解が出ているの!すでにこの方程式は!
なので、
お湯多すぎ!ってわけね。
朝の忙しいときに効率よく緑茶ホッツを!と思っているところよ。
かと言ったとて
お茶を淹れるに関しては
何かしろの器具がいるから結局は洗い物が増えるのはさけられない実験の結果は変えられないみたいね!
違う違う
そうじゃそうじゃなかったわ。
焼きたてのパンが焼けたときの発表するパン屋さんの店員さんのようでもあり、
てんちょーレジ1万円入りまーす!って言うレジの担当の人かのような如くね。
ってそれだとただのパン屋さんの店員さんかレジの係の店員さんか来客時に気を効かせてお茶をサーブする人かのどれかになっちゃうわ!
なので、
私はお茶が入りましたってサーブするからあなたはお茶をレシーブしてね!
行くわよっ!!!
うふふ。
ツナの旨味が口の中で爆発して美味しい感じが朝の元気をタマゴ不足を補ってくれるわ!
そしてトドメの薄いタマゴサンドはタマゴ不足の懸念はあるものの、
美味しいに変わりないから美味しいわっ!
朝のサンドイッチ最高元気出るー!
もっとゆっくじじっくりお茶を淹れられる時間があればいいのにーって
でも朝は忙しいの
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
この件に関しては、黒人差別を例にあげるやつが一番差別主義者だと思うわ。
まぁ、少なくとも世界中見渡して、黒人差別はまだまだ根強いのはお前がいうトップダウンが招いた弊害なんでねーの?
一方的な権利の押し付けなんて、嫌われる以外のなにものでもないからな。
少なくとも本件について、強引に進めればすすめるほどT女性は嫌われるし社会的な立場がなくなっていくと思うんだわ。
関わったら差別と言われるなら距離をとる、いない場所で生活するが最適解になる。
しかしそれでも構わないというやつが居るとすれば、性犯罪者くらいだと思う。
あるよく晴れた、暑すぎる夏の日だった。
高校3年間と半年ほどを共にした恋人から、別れの電話を受け取った。本気の声だったけど、嘘を言っているのがわかった。たぶん、別れたい本質的な理由はそこじゃないのだろうと思ったが、どうせ別れる相手だと思って何も言わなかったし、言えなかった。何となく最近の振る舞い方から別れを切り出されるのはそう遠くないと思っていたし、辛かったが現実として受け止めるにはそう時間もかからなかった。幸せになってね、と一言だけ伝えて電話を切った。
それから1年が経ち、また暑すぎる夏がやってきた。共通の友人だったひとから聞いたのは思いもよらぬ衝撃的な事実だった。
え、あ。
へえ〜。
はあ、そっか。
言葉が出てこなかった。普段は感情を言語化するのが得意な私だったが、この時ばかりは空気みたいな言葉しか出なかった。
友人は面白がってるのか、私が嫌な思いをするだろうとか考えもしなかったのだろう。笑いながら、「そんな人どうせ幸せにならないって!」と言う。そうか、そんなもんか。まあそんなもんかと思うしかないよななんて自分が傷付かないために、心にある色々なブレーキを精一杯かけた。まあ高校3年間は楽しかったし。あの人のおかげで成長できた部分もあったし。何度も言うけど楽しかったし。正直、悪を正当化させるのに事実なんていらなかった。ただ「そう思いたい」という気持ちのみが、間違いではなかったと言い聞かせる材料になるのだ。
そんな衝撃的“事実”を聞いてからまた少し経ち、春が来ようとしていた。新しい恋人も出来て、私も私で幸せに生きていた。もちろん浮気をされていたということが色々な気持ちの弊害になっているのは確かだったけど、何とか新しい恋人を信じ切ることもできるようになっていた。順風満帆に見える人生だったが、不幸は突然やってくる。
元カレと、新しい彼女……浮気相手だったという子のプリクラを、本当にたまたま見てしまった。SNSアカウントも、何なら新しい彼女がどんな子かも知らなかった。なのになぜか嫌なものは回ってきてしまう。
それを見て、それが何かをきちんと理解した瞬間、私の心のブレーキは一気に効かなくなった。突然、何もかもが見えなくなるような気持ちになった。
こんな簡単な言葉にしたくはないけれど、辛かった。本当に辛かった。私は浮気相手になってしまった子と同じ高校に一瞬でも通ってしまっていた。私と一緒に作った思い出は、浮気相手と話を盛り上げる手段になってしまった。私が彼と過ごした数年間で彼を作ったものが、浮気相手、しかも女子高生と恋に落ちるための序章になってしまった。
きっと彼女とは卒業旅行に行くだろう。私とは感染症予防で行けなかったディズニーに行くだろう。そして私と行った3泊4日の金沢旅行なんて忘れてしまうだろう。他にも、一緒に過ごしたあの高校での思い出も、彼女と言う存在に塗り替えられて、私と出会った場所ではなく、彼女とを繋ぐ場所になったのだろう。
もう彼のことは好きじゃない。それでも、許せなかった。これはもう浮気をされたひとにしか絶対にわからない。本当に許せなかった。年上がタイプで甘えられる人が好きなんて言っておきながら、年下で自分に甘えそうな、鼻の低い一重の女に乗り移ったのか。
浮気相手のことも許せなかった。女がいるかどうかくらい、わかってくれ。何より、年上ってことを利用するような男なんかに、本気にならないでくれよ。てか女子高生から見た成人男性なんてカッコイイに決まってるだろ。そいつじゃなくたって良いだろう。
そう、私のものだったんだよ。
高校1年生の春、初めて出会った部室。お前、すげえ無愛想だったよな。なんて呼べば良い?って聞いたらすっごい空いて、中学の時のあだ名を教えてくれたよな。本名とか知らなかったよ。でも名前の漢字がすごく美しくて、由来が両親の好きなゲームだったんだっけ。もう両親は不仲で家では何も話してないって、よく不満そうに言っていたよな。
高校1年生の夏、みんなで頑張った部活の練習。暑かったよな、冷えピタとか貼ってバカみたいな顔してた。練習が終わっても夕方の冷えた風が吹くまで一緒に喋ってたよな。あの頃はまだ一緒に帰っていなかった。お前の家と私の家、そういえば逆方向だったし。
高校1年生の秋、初めて勇気を出して誘った放課後の喫茶店。お前はキャラメルのカフェオレを飲んでいた。飲むスピードがびっくりするくらい早くて笑ったよ。そういえば食べるのはすごく遅かったのに、何であんな飲むのだけ早かったんだろう?確か、そこにものがあったら飲んじゃうって言ってたよな。それ病気らしいよ気をつけてね。
高校1年生の冬、勇気を出して渡したバレンタイン。本命って気づいてくれるかななんて思って渡したけど、私があまりにも無愛想に渡すもんだから、義理チョコと思われてたんだっけ。馬鹿野郎、義理チョコにあんな丁寧な手紙同封するわけないだろう。それから1ヶ月して告白して付き合って、その日は初めて手を繋いで、顔が痛くなるまで笑った。人に好かれるのって、それを伝え合えるって幸せだねってよく話してた。
高校2年生の春、クラス替え一緒にならなくて悲しかったよな。一緒のクラスになったらダンス一緒に踊れるはずだったのに。結局お互い誰と組んだんだっけ?覚えてないなあ、私、お前の衣装姿が可愛くてかっこよくて、今でもなんか思い出せるよ。私は紫で、多分お前は青だったよね。似合ってた。体育祭、3年生の頃はなかったからあの日のことすごい鮮明に覚えてるわ。
高校2年生の夏、一度別れた。何で別れたんだっけ。なんかショックすぎて覚えてないな。返しそびれたCDを返したいとか言って久々に会ったよね。あの時普通に楽しく話せて、また戻れるんじゃないかなあって思ったよ。あの日の緊張、今もどんなだったかわかるよ。
高校2年生の秋、もう部活もしなくなって本当は会えるわけないのに、私が前みたいに色々なところ無理やり誘って一緒に遊びに行ったよね。なんか映画とか見た気がする。お前最初から最後まで興味なさそうだったけど、今思えば何で着いてきてくれたの?友達いなかったのかな。その後パンケーキ食べたよね。甘くて食べきれなくて、気持ち悪かったよ。その日たまたま月が綺麗で、夏目漱石の気持ちを強くわかったな。
高校2年生の冬、クリスマスイブの日にカラオケでまた付き合った。イコラブの制服クリスマス歌って、「大人になって今日この日を、僕は思い出すだろう」って、なんかなぞる気持ちだったよ。あの日久しぶりにキスをして、嬉しくて泣いた。カラオケに入るまでは友達、出た後は恋人って、雑魚のスカイツリー広告だよね。多分広告なんて興味ないだろうから、何言ってるか分かんないだろうけど。
高校3年生の春、コロナが流行って学校に行けなくなって、会えなくなった。でもお互いの家のちょうど間くらいの場所に公園があって、なぜか誰もいなくてよくそこでマスクしながら会ったよね。たまにデカい犬の散歩してる爺さんが来てた。そこから見えるいつもいっぱいの駐車場には一台も車がなくて、ふざけて「コロナでみんな死んだ後の世界だね、二人きりだね」なんて笑った。私、正直それが本当になったら幸せだなあって思ってたよ。
高校3年生の夏、コロナの影響で全然夏休みとかなくて、しかも受験勉強でなんか全然記憶ないな。でも二人が一緒に高校で過ごせる最後の夏だって思うと、妙にワクワクした。これから一緒にずっと過ごせても、高校生の夏は一生来ない。お互いどうしようかって思ってたけど、私は美大に、君は文学部に行くって決めたね。国語と読書が大好きな君が、大学で何をするのかすごいワクワクしてたよ。
高校3年生の秋、私はひと足先に進学先が決まって、そこからずっと君の受験を応援した。確か塾に行き始めて、金銭的に英語の授業しか取れないって言ってたけど、君は記憶力も悪くないし国語は得意だし、それさえ伸ばせればきっと良い大学に進めるんだろうなって思ってたよ。私の方が英語得意だったのにいつの間にか私に教えてるくらい成績よくなってたよね。すごいよ。ほんとに。
高校3年生の冬、2月ごろ確かお互いようやく進学先が決まって、もう残すは卒業式だけだった。高校生活最後の日、サイゼリヤでどれだけ食べられるかって隣駅のサイゼリヤまで行った。途中から吐きそうなくらいしんどかったような気がする。間違い探し全部見つけた時の達成感、めっちゃ面白かったなあ。卒業式の日は一緒にプリクラ撮って、観覧車乗って、キスして、本当に3年間ありがとうって泣いた。本当に大好きだよって言った。ずっと一緒にいようねって、言った。
でも、お前浮気してたんだな。バイト先の女子高生と。妹と同じ年齢の女の子に。私に言った全ての言葉を嘘にして、彼女と手を繋いだんだね。
選ばれなかったという事実が、貴方と過ごした日々は全て無かったことになってしまったということが、もう一生戻れないということが、私は辛いよ。苦しいよ。
また二人にしか通じない言葉で笑おうよ。子どもが生まれたらなんて話す時につまらないキラキラネームを言って本気にならない会話をしようよ。公園で一緒にハンバーガーを食べながら桜を見ようよ。興味のない映画に着いてきてよ。顔の大きさが全然違うプリクラに爆笑しようよ。私はピアノを弾くからその優しい声で楽しそうに歌ってよ。将来私が作る晩御飯をリクエストしてよ。私の飼い犬を可愛いなあって笑いながら撫でてよ。その黒い髪を私の手で梳かさせてよ。カラオケで一緒にaikoを歌おうよ。ハグで全部分かった気になろうよ。
もう一度好きになってよ。