「こんな『異常な行動』をやって、周りの人を困らせてやったぜーwww」と、詳細にも雄弁にも、嬉々として物語る「自称変人」「自称異常者」、これらはもはや、東京のネズミと同じぐらいいそうだ。
少なくとも私には、見るに堪えない。
「異常者エピソード」や「変人エピソード」、特に周囲を困らせるタイプは、発言行為と発言内容に整合性を見いだしづらい。
そのようなエピソードをことさらアピールするということが、かえってその「正常」「異常」に対する極めて正常な判断基準や道徳基準を持ち合わせていることを意味している。
「自称変人」や「自称異常者」たちは、信号が赤であると分かっていたにもかかわらず、わざとブレーキを踏まなかっただけだ。踏めなかったわけじゃない。
それで周囲の人たちが困ることを、なぜだか喜んでいる。目立ちたがり屋の小学生がするくだらないいたずらと同程度のことを、いつまでもやめられない人たちがいる。
そうやって誰にでもできる誰もやらないだけのバカな方法をわざわざ取って周囲の目を引くこと、周囲に迷惑な行動を受け入れさせることで得られる「特別な自分感」に陶酔しているのであれば、それは間違いだろう。
ただそれは周囲が諦めているだけだ。周囲が優しいだけだ。
ただの「幼稚で迷惑な人」、ということに気付いてほしい。
それはあなたが無意識に「人はみな同じ」という幻想を抱いているいるだけですよ 正常な心をもたせてくれた親に感謝しなさい
でもみんながおもしろいってゆってくれるからしょうゆさしぺろりんこしちゃうもーん
それはね、個性重視教育の弊害なんです。 周りの大人が他人との差異を盲目的に価値だと持て囃すような真似をしたからなんですよ。
そうやって若い時に「若さと折り合いの悪い」生き方をしてると、 後で損したなーって思うぞ。 ソースは俺。